終末のイゼッタ 偽りのフルス(完結)   作:ファルメール

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第11話 呪われた力

 

「……さて、残ったのはあなた一人ね」

 

 襲ってきたゲール兵の中で、士官の制服を着た男の胸ぐらを引っ掴んで私は言う。

 

 私の足下には十数人の兵士の死体が転がっていて、ファルシュがそれらを一箇所に集めていた。

 

「……どうして、あなた達は何度も私達を狙うの? 教えてもらおうかしら?」

 

「ぐうっ……俺とて誉れあるゲルマニア軍人のはしくれ!! 断じて口を割るものか!!」

 

「そう……」

 

 これは予想されていた回答であったので、私は何の感慨も抱かなかった。

 

「気の毒ね、あなた」

 

「え?」

 

 私の魔法で部屋の引き出しが開いて中から無数のメスや鉗子が姿を現し、空中を動いてこの士官の眼前にまでやってくる。

 

 これから何が起こるのか察したのだろう。この士官の顔が引き攣った。

 

「……話していれば、楽に死ねたのに」

 

「え? あ? ひ……ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 聞くに堪えない悲鳴が響いて、やがて数時間もするとそれすらも聞こえなくなった。

 

「……『口が裂けても言わない』って言葉があるけど……あれは本当ね。私の経験上、口を裂かれて話さなかった奴は確かに居たわ……でも……頭を開かれ脳味噌を弄られて話さなかった奴は居ないのよね……どうやら、あなたもその例外ではなかったわね」

 

 聞きたい事を全て聞き終えた私は、椅子に縛り付けられて動かなくなった士官を一瞥して、ファルシュにこいつを埋めてくるように言った。

 

 これで、疑問が氷解した。

 

 何故ここ最近、私達がゲール軍に狙われるのか気になっていたが……

 

 まさか、そんな理由だったとは。

 

「何て事……!!」

 

 全てをやり直そうと思ったのに。

 

 やっとメーアの事も、私の中で忘れられないにせよ一つの踏ん切りが付いて、ファルシュを本当に自分の娘として愛していこうと思えたのに。

 

 此処へ来てまた、過去が追い付いてきた。

 

 魔女である事を捨てようと思ったのに、魔女としてのしがらみはどこまでも私に絡みついてくる。

 

「ママ……私のせいなの?」

 

 上目遣いにおずおずと尋ねてくるファルシュの頭をそっと撫でてやると、私は首を振った。

 

「いいえ……」

 

 そう、この子は。ファルシュは何も悪くはない。

 

 悪いのは、私だ。

 

 間違ったのは、私だ。

 

 命とは、川のようなもの。

 

 行く川の流れは絶えずとも、元の水はもう何処にも無い。

 

 流れてしまった命は、もう二度とは還らない。

 

 でも、私はそれを還そうとした。摂理に逆らおうとした。条理を曲げようとした。そんな事をすれば成功失敗に関わらず、どこか何かが歪む事は道理。

 

 その歪みが、今になって表出しただけの事なのだ。

 

 それを、思い知らされた。

 

「メーアを……死んでしまった人間を生き返らせようとした私が間違っていたのよ……」

 

 そしてもう一つ、分かった事がある。

 

「この……魔女の力……どんな形であれ、これに関わった人は必ず不幸になる……進んで関わろうが巻き込まれようが……例外無くね……」

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタット国境、ベアル峠。

 

 ここを抜かれたら首都ランツブルックは無防備も同然。エイルシュタット側としては何としても守らねばならない要地である。

 

 配置された守備隊の中には、ヨナスの姿もあった。

 

「中隊本部より通達!! 300メートル下がれとの事です!!」

 

「何か……策があるんですかね?」

 

「やはり、魔女殿が来てくれるんでしょうか?」

 

「!!」

 

 魔女。そう聞いて、ヨナスはびくりと体を竦ませる。

 

 思い出すのは先日、ブレストリヒの倉庫で見た恐ろしい光景だった。

 

 無数の服が床に投げ出されて、まるで中身の人間がどこかへ消えてしまったような……

 

 あんな事は普通では起こり得ない。

 

 だとすれば、あれをやったのは……魔女?

 

 何の為に?

 

 考えれば考えるほど、悪い想像ばかりが浮かぶ。

 

 魔女とは、自分達が考えているような……祖国の守護者などではなく……もっとおぞましい何かなのではないかと。

 

 そんな風に考えていると、戦場に声が響いた。

 

 あの時、ケネンベルクの戦場に響き渡ったのと、同じ声が。

 

<この地を侵せし蛮族共。問おう、汝等は、誰の許しを得てそこに立っている?>

 

 敵も味方も、戦場の全ての視線が、やがて崖の上の一点に集中する。

 

 いつの間に現れたのか、そこには白いローブを身に纏った女性が立っていた。

 

 エイルシュタットの守護者たる二人の白き魔女、その一人であるフルスだ。

 

<我が名はフルス。遠き昔よりこのエイルシュタットを守護する、魔女の血脈に連なる者。我が許し無くこの地を侵す者には、何人であろうと死を与える>

 

 

 

 戦場の注意が自分に向いている事を感じながら、フルスは内心で「してやったり」と頷いた。

 

 このベアル峠にはレイラインが通っておらず、魔女は魔法が使えない。だが、それをゲルマニア軍に知られる訳にはいかない。しかしだからと言って、イゼッタなり自分なり、魔女を出さないという選択肢も有り得ない。出さないのなら出さないで、何故出さないのか。あるいは出さないのではなく出せないのではないかと、そうした推測が成り立つからだ。

 

 よってエイルシュタット側としてはこの戦いは『魔法が使えない場所で魔女を前面に出して、その上で魔法を使って勝たねばならない』という厳しい勝利条件が設定されたものであったが……

 

 そこでジークやフィーネが考えていたのが、計算と演出によって魔女の力を再現するというものだった。

 

 折良く、この一帯には霧が発生して視界は良くない。多少の粗は目立たない。

 

 戦場に響き渡るこの声は、ケネンベルクの時にフルスが使った空気を操る魔法によるものではなく、あらかじめ各所に設置されたスピーカーから発せられるものだ。それが山や崖に反響して音の出所を分からなくして、崖の上に立つフルスの姿が目立つ事もあって結果的に彼女が発しているもののように思わせられていた。

 

<退くがいい。そうすれば、私はそなたらに手出しはせぬ。だが、この場を去らずに戦うと言うのなら……それは……とても悲しい選択だ>

 

「黙れ!! 我がゲール軍が、お伽話の魔女などに屈すると思うか!!」

 

 ジープに乗った指揮官らしい男の手にしたライフルが、フルスへ向けられる。

 

<愚かな>

 

 ばっ、と大仰に手を振るフルス。

 

 すると、指揮官の手からライフルが弾かれた。

 

 ゲール兵達は狐につままれたような顔だったが、慌ててそれぞれ手に持ったライフルをフルスへ照準する。

 

<無駄な事を>

 

 再び、フルスは大きく手を振る。

 

 するとまた、ライフルは兵士達の手から弾かれて地面に転がった。

 

 良い腕をしている。

 

 フルスは胸中で、ビアンカ達近衛兵の腕を賞賛した。

 

 これは魔法ではなくトリックである。

 

 身振り手振りは合図だ。

 

 この動きをフルスがするのと同時に、周囲に伏せられた近衛が敵が持った武器を狙撃して落とさせる手筈になっていた。

 

 無論、こんなのは冷静になって調べられるとすぐにバレる小手先の手品でしかない。ライフルなどには狙撃された際の弾痕などが残っているだろうし。

 

 故に、ゲール軍が冷静になる前に、次の手を打つ。

 

<……退く気は無いようだな……では、仕方が無い。咎人は、大地に還れ>

 

 天高く掲げられた手が、さっと振り下ろされる。

 

 それを合図として、地響きが起こる。

 

 轟音と共に土砂崩れが発生して、崩落した崖にゲール軍が呑み込まれていく。

 

 文字通り高みの見物を決め込みながら、フルスは感心したように嘆息する。

 

 これもジークの策だった。この辺りには古代ローマ時代に岩塩を掘り出す為に造られた坑道が点在しており、そこに爆薬を仕掛けて合図と共に起爆させ、山を崩すという作戦だった。勿論、合図はフルスのそれに合わせて魔法を使ったように見せた上で。

 

 魔女として熟練している自分の目から見ても、これは見事と言って良いタイミングだった。運の要素もかなり絡んではいたが、確かにこれなら魔法で山を崩したように思えるだろう。

 

 山崩れに巻き込まれたゲール軍は敗走を始めている。エイルシュタット軍はこれを見て追撃を開始しているし、この戦いの趨勢は既に決したと見て良いだろう。ジークやフィーネの目論見通り『魔法の使えない魔女を前線に出して魔法を使って勝利』する事は、見事に達成されたのだ。

 

「まぁ……これで、しばらくは誤魔化せるでしょう……後は、その間に外交工作がどれぐらい捗るか……か」

 

 ひとりごちるフルス。

 

 すると、そこにイゼッタやビアンカが駆け寄ってきていた。

 

「フルスさん!!」「フルス殿!!」

 

「ああ、みんな……どうやら、ひとまずは上手く行ったようね」

 

 最初に、イゼッタが目の前に走ってきてばっと頭を下げた。

 

「あの……フルスさん!! すいません、私の代わりに……こんな危ない事をさせて……」

 

 娘ほども年の離れた魔女の頭を、フルスはポンと撫でてやる。

 

「良いのよ、この前は私が比較的危険の少ない裏方だったからね……魔女の存在を喧伝する為には、たまには私も前に出ないといけないでしょ」

 

「でも……」

 

「良いのよ。私達はもう、この世界に二人だけの魔女。互いに助け合わなくてはね……」

 

「しかし……それにしても正直意外に思っている。貴殿がここまで体を張るとは……」

 

 と、これはビアンカの発言である。ともすればフルスに対して失礼なコメントとも言えるが、当のフルス自身は気にした素振りもなかった。

 

「……ビアンカ女史、私はただ、態度や言葉だけの誠意なんて信じていないというだけですよ。これは私の持論だけど……誠意を伝え示すものは……物質か行動、そのどちらかだけだと思っているので」

 

「……物質と行動、か?」

 

「ええ」

 

 フルスは頷く。

 

「既にフィーネ様からは、誠意として十分な報酬を前金で頂いています。ならば……私も体を張って行動しなければ、自分の誠意も伝わらないでしょう?」

 

「……そう、か」

 

 ビアンカが「うむ」と首肯する。

 

 正直彼女はフルスの事を金の亡者のような女だとばかり思っていたが……その評価を改める必要があると感じた。

 

 フルスの言い分は誠実なのかがめついのか分からないが、少なくとも支払われた対価に対して対価を返す。そうした姿勢自体は筋が通っている。

 

 信頼は出来ないかも知れない。だが、信用は出来る人物だと、今のビアンカの目にフルスはそう映った。

 

「では、帰るとしようか。ご息女も、きっと心配しているだろう」

 

「ファルシュが……ええ、そうですね」

 

 少しだけ戸惑ったように、フルスは返した。

 

 国を救う為、魔女の力を使う。このエイルシュタットの大戦略に於いて彼女はイゼッタにもビアンカにも、フィーネは勿論ジークにも言っていない事があった。

 

 この作戦、勝ち筋は確かにあるが銃火の前に身を晒すという性質上、危険もかなり伴う。フルスがその役目を引き受けたのは彼女自身が口にした通り行動によって自分の誠意を示すという目的もあったが……しかし彼女は何の保険や保障も無く、のるかそるかの博打にベットするようなギャンブラーではなかった。

 

 手は、打っていた。保険を掛けていた。

 

 それがファルシュだ。

 

 ファルシュは、レイラインの無い土地でも魔法が使える。それを知る者はフルス以外誰も居ない。

 

 それこそがフルスの隠し球であり強みなのだ。

 

 同じ魔女であってもフルスはイゼッタとは多くの点が異なっている。その最たる点が、フルスはエイルシュタットを完全には信じていないという点だ。

 

 自分の手札を相手に晒してポーカーをする者は居ない。狡兎死して走狗烹らると言うが、フルスはエイルシュタットが自分達魔女を切り捨てる事態をも想定している。その可能性がゼロではない以上、打開する為の切り札は常に隠し持っておく必要があった。

 

 今回の作戦でも、フルスはファルシュをこっそり自分に随行させており、万一の場合は魔法を使って自分を守るように命じていた。そして『もし魔法が使えない所を人に見られたり知られたらそいつを殺せ』とも言っていた。

 

 これなら成功時のリターンに対して、失敗時のリスクは最小限に抑えられる。

 

「あら……ファルシュは、何処へ行ったのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 ヨナスは、爆発しそうな肺の痛みも構わず森の中を走っていた。

 

 水汲みに出ていた彼は、偶然にもシュナイダー将軍とミュラー補佐官が話している場に出くわして、とんでもない事を聞いてしまった。

 

 この場所ではイゼッタやフルスは魔法を使えない、何の力も無い女性でしかないと。

 

 ゲール兵の銃を弾いたり、山を崩したのは魔法でも何でもなく、爆薬を使用したトリックであったのだと。

 

 それを聞いた瞬間、彼は後先のペース配分も何も考えずに全力疾走していた。あの時は、兎に角あの場所から少しでも遠くへ離れたかった。

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 

 こんな秘密を知ってしまって、俺はこれからどうすれば……

 

 考えれば考えるほど先行きが不安になって……そして彼はひとまず考える事を止めた。

 

「と、とにかくみんなの所に戻らなきゃ……」

 

 水汲みに出ていたのに、バケツを落としてしまった事も忘れて彼は宿営地へ向かおうとする。

 

 今は何でも良いから、テントに入って休みたかった。朝目が醒めたら、こんなのは全て無かった事になっていてほしかった。

 

 そんな想いと共に彼は歩き始めたのだが……

 

 眼前に、黒い影が立っていた。

 

「?」

 

 幽霊かとも思ったが、良く見ると影のように見えたのは黒いローブで、目深に被ったフードから覗いているのは幼い少女の顔である事が分かって、ヨナスは警戒を解いた。

 

「君は……迷子かい? ここはまだ危ないから、俺が安全な所まで送って……」

 

 しゃがんで、少女と視線を合わせてヨナスが語る。

 

 その少女は無言で、そっと手を伸ばし……その手が、ヨナスの首に優しく触れた。

 

「?」

 

 少女の行動の意図を図りかねて、ヨナスは少しだけ目をばちくりした。そして、

 

 ごきり。

 

 生々しい音が、体の内側から聞こえてきた。

 

「え……あ……?」

 

 急速に体の自由が利かなくなって、視界が暗転していく。

 

 自分が倒れている事すら、もう彼には分かっていない。

 

 その音……自分の頸椎が折られた音が、ヨナスが最後に感じたものだった。

 

 そして彼の意識は呑まれていった。二度と浮かび上がらない闇の中に。永遠に明ける事のない夜に。

 

「……」

 

 ヨナスを殺害した少女、ファルシュは有り得ない方向に首を捻転させた死体を見下ろして、昔の事を思い出していた。

 

「……ママの、言っていた通りだったね」

 

 

 

 

 

『この……魔女の力……どんな形であれ、これに関わった人は必ず不幸になる……進んで関わろうが巻き込まれようが……例外無くね……』

 


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