終末のイゼッタ 偽りのフルス(完結)   作:ファルメール

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第10話 戦いの前に

「う……ううん……!!」

 

 机の上には、無数の歯車やネジが転がっている。

 

 メーアはそれらに向かって両手をかざし、一心不乱に念じていた。

 

 まるで指先から見えない手を伸ばして、触れずしてネジや歯車を動かそうとするかのように。

 

「……出来ないの? メーア……」

 

「はい……出来ないです……」

 

 机を挟み、向かい合うように椅子に座った私は、娘にそう尋ねた。

 

「こう……大地に走る魔力の流れを感じ取ってそれを自分に流し……更にそれを物体に注ぎ込むという感じなのだけど……」

 

「ごめんなさい、おかあさん……ボクには、その感覚が分かりません」

 

「そう……」

 

 私はネジや歯車の一つ一つに触れていくと、付与した魔力を活性化させる。

 

 ふわりと、私の魔法によって無数の機械部品は空中に浮き上がり、絡み合い組み合わさって形を成していく。

 

 一分と経たない間に懐中時計が完成した。いやこれは元に戻ったと言うべきか。ちょうど掃除の時期でもあった事だし、メーアの魔法の訓練も兼ねてあらかじめ分解していたのだ。私の手の中で、針が時を刻み始める。

 

「やっぱり、あなたに『力』は受け継がれなかったのね……」

 

 予想は出来ていた。既に私の代で、一族の子供の中で魔女の力が受け継がれていたのは私一人。更に言えば私の一族では高祖母ぐらいの代から生まれてくる子供の中に魔法が使えない者が現れ始めており、その割合は曽祖母、祖母、母と世代を重ねる度に増えていったと記録が残っている。

 

 もう一つの一族でも、生き残りはおばさまを除けばイゼッタ唯一人という話だ。恐らくは魔女という『種』そのものがもう衰退し、滅びつつあるのだろう。

 

「あの……ごめんなさい、おかあさん……ボクに力が無くて……」

 

 上目遣いで私を見てくる娘の頭を、私はそっと撫でてやる。

 

「良いのよ、メーア……私は、怒っている訳ではないの。寧ろその逆……とても嬉しいの」

 

「……嬉しい?」

 

「そう……人にとって人以上の力は、必要が無い余計なもの……こんな力があるから、道を誤る人が出るの……白き魔女と呼ばれたゾフィーも……私の一族もね……この力は、何百年も何千年も私達魔女にずっとつきまとってきた『呪い』……その軛から、自分の娘が逃れられたのが分かって……私はとても嬉しいの」

 

 私は懐中時計に鎖を通すと、メーアの首にペンダントのように掛けてやった。そして娘の体を、強く抱き締める。

 

「いい……メーア。あなたは魔女でも何でもない、普通の女の子なの。あなたは、普通の女の子として幸せになって良いの。あなたにはその権利があるから……だから、全身全霊を挙げて幸せになりなさい。お母さんはあなたがそうなれるように、どんな事でもするからね」

 

「……おかあさんは、幸せになれないの?」

 

「私は良いのよ。幸せになるには、私は今まであまりにも多くの血を流しすぎたし……それに、あなたが幸せになってくれるのが、私は一番嬉しいの。だから、良いの」

 

 

 

 

 

 

 

「ママ?」

 

 掛けられた声によって、フルスは思い出の世界から現実へと引き戻された。

 

 視線を向けると、そこにはファルシュが自分を覗き込んでいた。

 

「…………」

 

 ちらりと、フルスは手の中で開けっ放しになっている懐中時計へと視線を落とす。中に入った写真には彼女自身と、回想の中でメーアと呼んでいた少女が写っていた。

 

 そして視線をファルシュへと移す。そこには写真のメーアと同じ顔が、同じ目が自分に向けられていた。

 

「……ママ?」

 

「……い、いや……何でもないわ、メ……ファルシュ……」

 

「?」

 

 ファルシュが首を傾げたその時、部屋のドアがノックされた。それによって二人の会話が打ち切られる。

 

「どうぞ」

 

「失礼するよ」

 

 返事とほぼ同時に入室してきたのは、意外と言えば意外な人物だった。エイルシュタットの大公補佐官であるジークだ。

 

「おや……ミュラー補佐官、私に何か御用で?」

 

「……少し、話したい事があってね」

 

「ふむ」

 

 フルスは頷くと、椅子に座り直した。机を挟んだ対面にジークも腰掛ける。

 

 ジークはおもむろに、懐へと手を入れた。僅かに、フルスが警戒を示す。その意味を悟ったジークは「心配しなくていい」と一言添えると、ゆっくりとした動作で胸ポケットに入っていた物を取り出した。それは、数枚の写真だった。無造作に投げ出されたそれらが、机に散らばる。

 

「!!」

 

 ぴくり、とフルスの片眉が動いた。

 

 どの写真にも脱ぎ散らかされた服が所狭しと放り出されているような光景が写っていた。フルスは知らないがブレストリヒの倉庫で、ヨナスが目撃したものだ。

 

「……これは?」

 

「……ある兵士から報告があったのです。先の戦場になったブレストリヒの倉庫で、このような異様なものが見付かったのですよ。まるでゲルマニア兵が百人以上も、服を残して突如として消えてしまったような……そんな有様がね……」

 

「へえ……?」

 

 写真を眺めながらとぼけた返事を返すフルスを、ジークはじろりと睨め付けた。

 

「……言うまでもなくこれは、まともな戦闘では起こり得ない事態です。フルスさんは、何か心当たりはありませんか?」

 

「…………」

 

 即答を避けたフルスは視線だけ動かして、ジークと目を合わせる。

 

 ファルシュは、二人の間でかわされる沈黙の意味を測りかねたように首を傾げるだけだ。

 

「さて……私にもどういう事なのか……皆目見当が付かないわね……」

 

「…………」

 

 これは、ジークにとって期待していた返答ではなかったらしい。フルスへ向ける視線が、鋭くなった。

 

 そのまま尚、数分ほどどちらも視線を外さず、沈黙が続いたが……先に、折れたのはジークだった。今度は手にしていた鞄を開けて、中に入っていた地図を机に広げる。

 

「では……次の話題に移りましょう」

 

「ふむ」

 

 ジークの指が、地図の一点を差した。

 

「既にフィーネ様や将軍閣下、イゼッタ君にも招集を掛けておりこの後会議を行う予定ですが……ゲルマニアの再度侵攻が始まりました。場所はここ、ベアル峠です」

 

「ここは……」

 

 ジークの言いたい事を察して、フルスも顔色を変えた。この反応を受けてジークも自分の言いたい事が伝わったのを確信したのだろう。頷きを一つして、話を続けていく。

 

「そう、レイラインから外れた場所……あなた方魔女が、力を使えない場所です」

 

「成る程……でも、仮にも魔女の秘密が分かった上でそれでも私達の存在を世界に喧伝しようと提案したのはあなたよ、大公補佐官……で、あれば当然こうした事態も想定の範疇ではあった筈……ならば、対応する策の一つや二つはあるのでしょう?」

 

「ええ、フィーネ様とも打ち合わせ済みでこの後の会議で全員に発表するつもりですが……その前に一度、あなたにも目を通してもらいたいと思いまして」

 

 鞄から取り出された書類をフルスへと差し出す。フルスはそれを受け取ると、そこに記載された作戦の概要に目を通していく。

 

「……何故、私だけ先にこの話を?」

 

 書類に視線を落としたまま、ジークに尋ねるフルス。

 

「あなたはイゼッタ君より年上で、魔女の力についてもより使いこなしており、知識や理解も深い筈……その視点で、この作戦内容に何か問題点は無いかと意見を頂きたいと思いまして」

 

「……ふう、ん……?」

 

 5分ばかりして書類を読了し、内容を把握したフルスは机に作戦書を投げ出した。

 

「良くできていると思うわ。多少確実性に欠けるとは思うけど……」

 

「それは……仕方無いでしょうね。元々正攻法で我々がゲールに勝利出来る可能性は皆無。それを搦め手で、勝てるかも知れないというレベルにまで持って行けるだけで御の字という所でしょう」

 

「ふふふ……まぁ、それは確かに」

 

「そして、フルス殿……これは他言無用に願いたいのですが……特にフィーネ様とイゼッタ君には……」

 

 ジークの視線を見て、これが真剣な話である事を察したフルスは「分かったわ」とこちらも真剣な表情で返した。

 

 フルスが聞く態勢に入った事を見て取ったジークが、話し始めた。

 

「あなたがた魔女の力をプロパガンダとして、ゲールの侵攻に対する抑止力として用い……その間に同盟各国を動かそうと言うのが現在のエイルシュタットの戦略方針です」

 

「ええ……既に世界各国から密書が届いていて、魔女の力の真偽についても問い合わせが来ていると聞いているわ」

 

 ジークは頷き、一呼吸置いて話を続けていく。

 

「その上であなたにお聞きしたいのですが……今のエイルシュタットのこの体制は……後どれぐらい保つとお思いですか?」

 

「…………」

 

 この問いは、聞く者が聞けば国家反逆罪だの敗北主義者だのとあらぬ疑いを掛けられかねない、危険なものであった。フルスは周囲を見渡して、目も耳も無い事を確認する。その上で、彼女自身も慎重に答えを口にした。

 

「……一年。あるいは、もっと短いかも」

 

「……それぐらいでしょうね。つまりはそれまでの間に、世界各国に働きかけてゲルマニア帝国への包囲網を敷かねばならない、という事ですか……大本命としてはアトランタ合衆国ですが……」

 

「その為にも、今回の作戦は何としても成功させねばならない……でしょう? そこで提案があるのですが、ミュラー補佐官」

 

「何か?」

 

「この作戦、ゲール軍の矢面に立つ役目……私に任せてもらいたいのだけど」

 

 フルスのこの提案は、ジークにとっても意外だったらしい。これまでは変わらなかった彼の鉄面皮が、初めて僅かながら動いた。

 

「良いのですか? 作戦書にも書いてある通り、近衛の中から貴女やイゼッタ君に背格好が似た者を選んで魔女役とする予定だったのですが……」

 

「……補佐官、私は自分が信用されていない事は、知っているわ」

 

 と、フルス。そもそも最初に協力を要請された時点で裏切らない事のアピールとは言え多額の報酬を求めるなど「自分はエイルシュタットを信用していません」と逆説的に表明してしまっているし、あんな怪奇現象のような写真を見せて心当たりの有無を問うてくるという事自体、エイルシュタットは……少なくともジーク個人はフルスを信用していないと宣言しているに等しい。

 

「だから、ね……少しは体を張らねばならないでしょう? 最低限の信用を勝ち取る為にはね」

 

「……それは、確かに。後の会議で提言しましょう。では、10分後に会議室で……」

 

 そう言い残して、ジークは退出していった。

 

 そうして彼が完全に部屋から離れたのを確認すると、ファルシュが話し掛けてきた。

 

「良かったの? ママ……やっぱりブレストリヒのあれは写真に撮られてたし……燃やすとかして、証拠を消しておくべきだったんじゃ……」

 

「良いのよ、ファルシュ。これで、少なくともミュラー補佐官は私達を切り捨てない事が分かったから」

 

「……? どういう事?」

 

「……既にミュラー補佐官の中で、あのゲール兵の服だけ残して中身が消失事件の下手人が私達である事は、確信となっているでしょうね……でも、彼はそれ以上私達を追求する事はしなかった。やりたくても出来なかったと言っても良いわ……今のエイルシュタットの生命線は、イゼッタと私、二人の魔女だから……」

 

「……それは、当たり前なんじゃ?」

 

 尋ねてくる娘に、フルスは苦笑しつつ頭を撫でてやる。

 

「人間はそう簡単じゃないのよ、ファルシュ……時として感情の爆発は合理的な判断を簡単に覆す……後から考えれば何でこんなバカをって行動を、その場の勢いに任せてやりかねないのが人間なの……それは『あなたの体』が良く知っている筈よ」

 

 フルスの瞳が、涙ぐんでいるように揺れる。

 

「…………」

 

「まぁ……私にとってもこれは一つの賭けではあったわ。もし不信感や疑惑が先に立って、情勢も何も関係無く私やイゼッタを捕縛・排斥しようと動くなら……その時は返り討って逃げるだけと考えていたわ。あなたがレイラインの外でも魔法が使える事は、誰も知らないからね」

 

「はい、ママ……今なら、私の核(コア)には十分な量の命が充填されています。ブレストリヒでたっぷり補給出来たから……多少派手に魔法を使っても、この肉体を維持するのに問題はありません」

 

「ええ、そうでしょうね……そういう計算があったから、私も今回の手に踏み切れた訳だけど」

 

 フルスにとって、ブレストリヒ倉庫の怪事件の痕跡が発見されるのは織り込み済みだった。これは彼女にとってはエイルシュタットを信用出来るかどうかの試金石だったのだ。だからわざと証拠を残した。

 

 もしエイルシュタット側が自分達を信用出来ないとして、捕縛・排斥・抹殺に動くならファルシュの魔法を使って反撃し、この地から離れる。それをせず、自分達の力は多少の不安材料があっても必要なものだと割り切るのなら、礼金の魅力もあるし協力体制を継続する。

 

 果たして賽の目は、後者と出た訳だ。自分達にだけ、しかも彼一人で話を持ってくるという事はジークはブレストリヒの倉庫での一件を、自分の所で止めているのだろう。そして追求しなかった事で、フィーネやシュナイダー将軍にも伝えないと暗に言っているにも等しい。

 

「……理で動く相手は読みやすいけど、感情は予測が付かないからね……でもこれで、少なくともミュラー補佐官は理で動く人間という事がはっきりした」

 

 つまり、フルス達がエイルシュタットに必要とされている、エイルシュタットにとってフルス達の存在は価値がある間は割と安全であるという事が証明されたのだ。

 

「で……次の作戦だけど……先程の話にもあった通り、ベアル峠では私は魔法が使えない。だからファルシュ、あなたが頼りになるわ」

 

「……はい、ママ。もしママが危ないと思ったなら……その時は魔法を使って、ママを助けるのね?」

 

「ええ……そうよ……頼りにしているわ、ファルシュ……」

 

 娘の頭を撫でながら、フルスは言い様の無い居心地の悪さを感じていた。胸がむかつく。頭を掻き毟りたくなってくる。

 

『とんでもない皮肉ね……昔は、自分の娘が『魔法が使えない』事を喜んでこの体を抱き締めたのに……今は『魔法が使える』事を喜んで、この体を撫でているなんて……』

 


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