首筋にチリっとした痛みを覚える。
ゴンは引かれるようにそちらに視線を向けた。碧い瞳と視線が交わる。
ゾクリと、心臓が騒いだ。
視線が交差したのは一瞬のことで、その瞳の主は既にゴンの方を向いてはいなかった。
それでも、ゴンの心臓は煩いぐらいに鼓動する。
「どうしたのだ、ゴン?」
傍らの少年、クラピカがゴンに問いかける。
「うん。ええと……」「よお!」
ゴンが何事か答えようとすると、横から別の声が差し挟まれる。
「ああ? 誰だ、あんた?」
クラピカともう一人、ゴンの同行者であるレオリオが、近づいてきた人間を胡散臭そうに見やる。
近づいてきた男、トンパは、そんなレオリオの様子に頓着せず声を掛け続ける。
「君たち、新顔だな」
その言葉に、クラピカは眉を僅かに持ち上げた。
初対面にかかわらず、自らの情報を持つ相手に、警戒心を抱いたからだ。
もっとも、警戒心を持たない者が一人。
「どうして分かったの?」
何の頓着もせず、ゴンが不思議そうに問い掛ける。
単純に疑問に思っただけなのだろう。
その疑問に、トンパは得意気に答える。
「もう35回もハンター試験を受けてるからな。まあ試験のベテランってこと! 俺はトンパってんだ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ!」
「35回!? そんなに!?」
素直に驚きの声を上げるゴン。
そんな組し易そうな少年の様子に、トンパは人好きしそうな笑みを浮かべる。
もっとも、内心では嘲笑っている訳だが。
「へー、じゃあ、他の受験生のことも分かるの?」
「もちろんさ! 例えば……」
トンパが、レスラーのトードーや、蛇使いのバーボンなど、ハンター試験の常連たちを紹介していく。
そんな最中、地下道に絶叫が響き渡る。
「また今年も危険な奴が来てるな。奴には極力近づかない方が身のためだぜ」
他の受験生の腕を切り落とした道化師、ヒソカを指して忠告するトンパ。
もっとも、忠告などなくても、普通の感性の持ち主なら、あんな見るからにヤバそうな人間に近づこうともしないだろうが。
それからも、トンパは色々とアドバイスをしていく。
全ては目の前の獲物から警戒心を削ぐために。
「さて。取り敢えずはこんなものか。まだ何か聞きたいことは?」
「あっ! そうだ、トンパさん! あの人のこと分かる?」
そう言ってゴンが指し示したのは、先程視線が合った少女だ。
「389番か……。いや、知らないな。君たちと同じ新顔としか。ただ……」
「ただ?」
「……大きな声じゃ言えねえが、あの女はヤバい。恐らくヒソカレベルの危険人物だ。命が惜しけりゃ関わらねえ方が……」
「おやおや、陰口は感心しないわね」
「ッ!」「なっ!」「いつのまに!」
話題の少女が、いつのまにかトンパのすぐ後ろに立っている。
誰もが彼女が声を出すまで、傍に寄られていることに気付けなかった。
先に危険人物と聞いていたこともあり、クラピカとレオリオが警戒心を高める。
戦闘になることも考慮に入れて、いつでも動けるよう身構える二人。
哀れトンパは完全に色を失い、顔面蒼白である。
そんな三者の様子を見てとり、笑みを深める少女。
一触即発の緊張感が漂う。しかし、そんな空気を場違いな発言が霧散させる。
「すごいや! 今のどうやったの!?」
危機感のない、ただ少女の隠行の業に感嘆したという声音。
少女は面食らったように目をパチクリとする。
次いで微笑みを浮かべると、口を開く。
「ありがとう。ただ、企業秘密なのよねー」
「えーー!」
少女の返答に、ゴンが不満そうな声を上げる。
ここでようやく冷静になったクラピカが、一歩前へ踏み出す。
「先程はすまない。確かに褒められた行為では無かった。謝罪しよう。……私はクラピカという」
「……レオリオだ」
「俺はゴンだよ!」
「…………と、トンパだ」
「私の名前はリンドウよ。さっきのことは別に気にしていないわ。それじゃあ、また縁があれば……」
そう言って、あっさりと踵を返す少女、リンドウ。
四人はその背中を見送る。
「……はぁー。助かった……」
どっと肩の力を抜き、大きく息を吐き出すトンパ。
「おいおい、トンパさんよ。ちょっと大袈裟じゃないか? 別にそんな危険人物に見えなかったぜ」
「そうだな。ただ、先程の隠行、只者ではなさそうだ」
そんなレオリオとクラピカの言葉に、トンパが言い返す。
「エレベーターから下りてきた時の様子を知らないから、そんなことが言えるんだ」
「エレベーター?」
「いや、いい。折角命拾いしたんだ。これ以上余計なことは言わないでおくさ。それじゃあ、頑張れよ
そう言って、トンパも三人から離れていく。
恐怖と、それを脱した安堵感から、下剤入りジュースを渡すことも忘れて。
「何だ、何だ。思わせぶりなことを言って去りやがった。気になるじゃねえか。なあ、ゴン。……ゴン?」
「…………」
「……? どうかしたのか?」
「……うん。どうしてかな、すごく胸がドキドキするんだ」
ゴンはリンドウが去って行った方向を見ながら呟く。
ジリリイリリリッリリリリ、けたましいベルの音が地下道に鳴り響いた。
****
ゴオン、ゴオン、ゴオン。駆動音を立てながら飛行船が飛んでいる。
私はその中で、壁を背に座り込んでいた。
飛行船での夜はゆっくりと更けていく。
明日には三次試験会場のトリックタワーにつくだろう。
一次試験と二次試験を通過した私は、次の試験会場に着くのを待っている。
やることは特にない。
ただ待つだけという手持無沙汰から、何となくこれまでの試験を振り返ってみる。
もっとも、特筆すべきものは何も無かった。
うん。原作通りつまらない試験だ。
一次試験は、競歩チャンプのサトツさんとのハイキング。
ホント、退屈極まりない。
唯一の見どころは、三兄弟に潰されるニコル君ぐらいのもの。
彼の心が折れる様は、退屈を一時紛らわせてくれた。
ただ残念なのは、三兄弟と裏で糸を引いたトンパ、連中の手ぬるさだ。
心が折れたといっても、まだニコルには立ち上がる手足がある。
可能性は低いのかもしれない。それでも、再起の可能性はゼロではない。
私なら、あんな中途半端に終わらせない。
やるなら徹底的に。そう、どうしようもない絶望を味あわせてやったのに……。
二次試験は、美女と野獣の美食ハンターコンビの課題。
前半の豚の丸焼きに、後半の握りスシ。
前半は問題無く通過。後半はどうしようもないので、傍観しただけだ。
美食ハンターが満足するレベルのスシなんぞ握れるわけもない。
傍観が正解でしょう。
そして、クモワシの卵を無難にゲットして通過と相成った。
ただ、今になって、毒魚の握りスシでも食わせたらよかったかしら、なんて未練が湧き起る。
美食ハンターは胃腸が丈夫そうだし、通用しなかったかしら?
そんな疑問に首を傾げてみる。
……まあ、ともかく、これまでの試験はそんな感じだ。
退屈も退屈。本当につまらない。
試験の様子を一通り書いたが、つまらなくて全カットしたほどだ。
それぐらいの退屈さ。
……うん? 何だ今のメタ発言は? 何か電波を受信したような……?
思わず首を捻る。……気にしたら負けかしら?
そんな風に、取りとめもなく物思いに耽っていると、強い視線を感じた。
そちらに目を向ける。
317番。私と同じイレギュラーたる青年の姿。
……そうね。特筆すべき存在として、彼がいたわね。
これまでの試験中も、目を離さないと言わんばかりに、ずっと熱視線を向けてきていた。
あれはロリコンね。間違いない。
幼気な少女を視姦するなんて、ロクでもない男だ。
……とまあ、冗談はさておいて。
彼の視線が強まったのは、私が地下道でゴンと接触してから。
私がゴンに何かしでかすのではと、警戒している?
きっと、そんなところだろう。
ふん、御苦労なことね。
ただ、無意味な労力を払ったもの。
何故なら私は、試験中に手出しをする積りなんて、これっぽっちもないのだから。
だって、そうでしょう?
ヒソカじゃないけど、御馳走を食べるには、それに相応しいシチュエーションというものがある。
ただゴンを潰すだけなら、そもそもくじら島でしている。
彼を絶望に突き落とすのは、彼にとって特別な瞬間でなければ。
より高い所から突き落とすからこそ、より深い絶望を与えられるのだ。
その時はもう決めている。
それは、ハンター試験を合格し、仲間と共に旅立つ瞬間。
その輝かしい門出を、黒く塗り潰してやる。
まずはレオリオとクラピカを殺す。
出来る限り無残に、ゴンの目の前で。
そして、怒りと無力感に叫ぶ彼に、更なる絶望をプレゼントするのだ。
殺しはしない。殺してあげない。
私の念能力で呪ってやろう。嘗ての私と同じ絶望を呉れてやる。
キルアは……まあ、いいでしょう。
彼は現時点では幸福な人種ではないし……。
ゴンに救われなければ、勝手に闇に落ちていくだろう。
それに、ゾルディック家を丸ごと敵に回すのもおっかないしね。
ともかく、今はゴンだけが狙いね。
他はおまけに過ぎない。
ゴンに絶望を与えるその瞬間を想像するだけで、胸が騒ぐ。
ああ、その瞬間が待ち遠しい。
ふふ、そしてお前はその邪魔をできないの。
ゴンのガード気取りの青年を心の中で嘲る。
だって、お前はそれより前に、物語の舞台からドロップアウトするだろうから。
あの青年は、今でこそ見張っているだけだが、その内私に接触してくるはず。
今は周りの目があるからできないだけ。
そうね。きっと、四次試験かしら?
そこで私たちは相対することになるだろう。
あそこなら、周囲の目を然程気にせず済む。
他の受験生を殺しても、不自然ではないしね。
互いに邪魔は入らない環境だろう。
そう、私も彼を放っておくつもりはない。
障害になるものは、積極的に排除しよう。
そこまで思考して、私は唐突に立ち上がった。
そうして、先程チビッ子ズが走り去った方向に足を向ける。
目的? 青年への嫌がらせですが、何か?
慌てたように立ち上がる青年に向き直る。
そうして、両手の人差し指を立てた。
常人には意味不明のポーズ。だが、念能力者には確かなメッセージだ。
青年は凝をして、私がオーラで描いたメッセージを読み取る。
『追ってこないで、ストーカーさん。大丈夫、ゴンには
青年はそれを読み取ると歯噛みする。
私はそんな青年に微笑みかけてやった。