地面に倒れ伏す。
首筋を押さえてもどくどくと流れ出す命の源。体から急速に熱が失われていく。
霞む視界の中、遠ざかる男の後ろ姿を捉える。
……は、早く……早く……早くいってしまえ。じゃないと、この体の能力が……!
おぼろげな意識の中、ただそれだけを願う。
見詰めていた男は、細い裏路地から大通りへと繋がる地点まで歩む。
そうして、そこを曲がって行った。
道化師を模した、その特異な姿はもう見えない。
冷たく、動かなくなった体。霞がかり、朦朧とした思考。
にもかかわらず、私はほっと安堵の息を吐いた。
ほどなくして、ゆっくりと死へ近づいていた体に、急速な変化が現れる。
黒いオーラが全身から迸る。一秒、二秒……私はむくりと起き上った。
まるで何もなかったかのように自然と。
ポケットからハンカチを取り出す。
それを使って、自身の血で濡れた首筋を拭う。
そうすると、滑らかな白い肌が現れる。そう、傷一つない柔肌が。
致命傷を負ったはずの首筋。
しかし、そんな事実が無かったかの如く、綺麗なものだ。
服や、路地裏を汚す血の痕だけが、確かに私が致命傷を負った事実を示している。
この現象は当然、念能力によるものだ。
ただし、私の念能力ではない。これは、この体の創造主の念能力。
彼は、彼が遺した死者の念は、この体が美しさを損なう事を決して許しはしない。
理想の美少女に、完璧なる美に、僅かな瑕疵も許されないのだ。
この能力、私の念能力ではないので、当然私のコントロール下にない。
だからこそ、ヒソカの姿が見えなくなる前に発動しないかと、気を揉んだわけだ。
悔しいが、今の私ではヒソカに勝てない。
それを先の戦いで実感させられた。
私の傷が修復されるのをヒソカに見咎められ、戦いが再開されるようではまずかった。
……どんな傷も修復されるなら、戦っても最終的に勝てるのでは?
そんな思いが無くもない。
ただ、本当に、どんな傷を負っても問題無いかの保証はない。
例えば、首を完全に刎ねられたり、体をバラバラにされたり。
そんな状態からも、問題無く修復されるのか?
過去に、それほどの欠損を、この体で負ったことが無い。
だから、何の保証もない。
当然、検証をできるわけもなく。今後も分からないままだ。ただ……。
直感でしかないが、それほどの欠損はマズイのだと感じる。
いや、きっとこの体自体は当然の如く修復されるのだろう。
だが、『私』自身がもたない。漠然とそんな風に感じる。
ただの直感と馬鹿には出来ない。
何せ、念能力なんてものがある世界だ。そういった感覚を無視するのは危険だろう。
「あっ……」
不意にそれが訪れる。
右手に握っていたハンカチが、ひらひらと地面に落ちる。
右腕がだらりと、力なく垂れ下がった。
「あっ、あっ、ああああああ……」
どす黒いオーラが、私の右腕を蝕んでいく。蘇るかつての喪失感。
――時間切れだ。ヒソカの右腕を呪ってから、10分の時が経ったのだ。
呪い返しが発動し、私の右腕の自由を奪っていく。
「ああああああああ!!!!」
久しく覚えていなかった喪失感に、気が狂わんばかりに、感情が揺さぶられる。
分かっている。これは一時的なもの。
10分経てば、右腕は元通りだ。ああ、理性の声がそう告げる。
しかし、荒れ狂う感情は、そんな言葉に慰められはしない。
私の腕が……また……!
「……許さない。……絶対に許さない。ヒソカああああ!!!!」
奴を避けて、ゴンを狙う? そんな考えをかなぐり捨てる。
この際、ゴンは後回しだ。先に奴を、ヒソカを必ず……!
後悔させてやる。死よりも残酷な絶望へと突き落とそう。
そうとも、必ずヒソカを……。
「待ってなさい。必ず私が呪ってやるから」
言の葉に憎悪をのせて口から吐き出す。
その声が、私しかいない路地裏にポツリと零れ落ちた。
****
空港のロビーを歩く。
ごった返す人の群れ。それらが濁流のように流れている。
私はその流れに逆らうことなく、空港の外を目指した。
ふと、視線を上に向けると、『ようこそ、ヨークシンシティへ』と掲げられた看板が目に入る。
そう、ここは、毎年9月に世界最大規模のオークションが行われることで有名な、かのヨークシンシティだ。
この人の多さはつまり、一年に一度の大規模オークションに参加すべく、世界中から人が集まってきたためというわけだ。そして――。
そして、この漫画の世界における重要人物たちもまた、同様に集まってきている。
ゴンたち主人公組に、幻影旅団。……そう、ヒソカも。
看板から視線を外して、人の流れに沿って歩いていく。
そうして暫くすると、やっとのことで空港の外へと出た。
ふう、と一つ溜息をこぼす。
さて、まずはホテルへと向かおう。……タクシーでも拾いましょうか。
視線を左右に走らせる。
早々に、タクシー乗り場を見つけたので、そちらに歩み寄っていく。
人の山を抜け、視界が開けた場所に出たからか、そこかしこから視線を感じる。
主に男性の視線だが、中には呆けたように見詰め続ける女性もいる。
無理もない。この体は、非現実的なまでの美しさだもの。
更に、今日の装いもまた、一段とその美に磨きをかけている。
黒を基調としたドレスは、レースやリボンで飾られた華美な装い。
スカートはパニエで脹らませ、靴は編み上げブーツ。
ブーツから伸びるソックスも黒。そこにも純白のレースがあしらわれている。
また、スカートとソックスの合間に僅かに覗かせる絶対領域が眩しい。
まあ、それらを一言に要約すれば、とどのつまりゴスロリだ。
一切の手を抜かず、この体が最高のポテンシャルを発揮する装いを身に纏う。
常在戦場の心構えだ。
そう、この都市は、これから戦場になるのだから。
私はタクシーに乗り込むと、予約をとっているホテルの名を告げる。
ゆっくりとタクシーは、昼下がりのヨークシンシティを走り出した。
完全なる美(パーフェクトビューティ)
リンドウの体を創造した男の能力。
理想の美少女をかたどった念獣を具現化する。
より真に迫った、生きた少女を実現するため、死した魂を取り込み稼働する。
また、創造主の妄執によって、決して色褪せることなき美を堅持する。
例え、物理的、あるいは時間的な外的影響を受けても、元の最も美しい状態へと自然と回帰する。
ただし、元の状態に回帰するのは、あくまで体だけであり、取り込んだ魂に対しての配慮はなされない。
そのため、中の魂が耐えなれないような事態に陥れば、体が無事でも、魂が破壊されることはありえる。
仮にそうなった場合は、新たに別の死した魂を取り込むことで、稼働し続ける。
つまり、除念されぬ限り永劫廻り続ける一種の呪いである。
誓約と制約
①念能力を起動するために自身の命を捧げる。