ホテルのエントランス傍にあるカフェで時間を潰す。
ゴンたちの行先は分かっている。
ゾルディック家の屋敷があるパドキア共和国へ向かうため、まず空港へと足を運ぶ。
すぐ後ろをついてくのもあれなので、暫し時間を置いて後を追うことにする。
コーヒーを飲みながら、さりげなくホテルの正面玄関を窺う。
丁度二人の男が連れ立って出ていくところだった。
隙の無い身のこなし。洗練されたオーラ。ヒソカとイルミだ。
ホテルを出たところで、最後に一言二言話すと、二人は別々の方向に歩き出す。
……行ったか。あるいはと、その可能性を警戒していたのだけど。
無用の心配であったらしい。
これなら、怪しまれぬよう時間を置く必要もなかったわね。
私は伝票を取ると、席を立つ。
そうして、会計を済ませるとカフェを出た。
メインストリート沿いに歩く。
二、三分ほど歩くと、タクシーが通りかかったので、手を挙げて止める。
自動で開かれたドアから車内へと身を滑り込ませた。
「お客さん、どちらまで?」
「空港まで……」「やあ♥ ボクも相乗りさせてもらっていいかな?」
「…………どうぞ」
まだ閉じていなかったドアの傍に、いつのまにか変態ピエロが立っていた。
私の返事を聞くや、ヒソカも車内に入ってくる。
そして、私のすぐ横に腰掛けた。
走り出すタクシー。
暫し車内に沈黙が落ちる。私は意を決してヒソカに話しかけた。
「行先は空港ですけど、貴方も空港でよかったのかしら?」
「行先は関係ないかな♦ ボクは君に用があっただけだし♠」
「私に? ……一体何の用でしょう?」
「くくっ、分かっている癖に♥」
ヒソカが忍び笑いを漏らす。
もっとも、その眼は笑っていない。ギラギラと妖しげに輝いている。
そんなヒソカに対し、私は反応に困った様な笑みを顔に張り付ける。
ついでに小首を傾けてみせた。
ただ、私の態度を気にも留めず、ヒソカは言葉を重ねる。
「ボクは青い果実が好物でね♥ 将来熟して、甘く芳香な香りを放つ、そんな実へと成長する果実♦ それが熟すのを見守り、熟し切った時に摘み取る♠ それが何よりの楽しみだ♥」
「はあ……」
「当然、横取りされるのは大嫌いでね♠ ましてや、まだ青い内に摘み取ろうなんて輩には、怒りすら覚えるよ♦」
「あの、何が言いたいの?」
「バレバレだよ♠ あれで隠していた積りかい? 君もゴンを狙っているんだろう?」
私は曖昧な笑みを消して、真顔になる。
「…………仮に」
「うん?」
「仮にそうだったとして、それなら私は何故、最終試験でゴンとの戦いを避けたのかしら? 絶好の機会の筈でしょう?」
「さあ? 分からないけれど……♠ 君なりの拘りかな? だからあの時は戦いを避けた♦ でも、今はヤル気だろう? 君の纏う空気が雄弁に物語っているよ♥」
……誤魔化すことは無理そうね。仕方ない。
「運転手さん、車を停めて下さい」
「はい? ですが、まだ空港には……」
「停めて下さい」
「はあ……」
タクシーが路肩に停まる。
私は料金を支払うと、ヒソカと共にタクシーを降りる。
そして、ヒソカを先導するように人通りの少ない路地の奥へ、奥へと歩を進めた。
そして、周囲に人気を感じない路地裏で足を止める。
くるりと振り返った。
「ここでヤリ合おうってわけかい?」
「ええ、そうよ」
私はヒソカの問い掛けに、こくりと頷く。
仕方ないけど、戦闘は避けられない。
もとより、その可能性は考慮に入れていた。
獲物が被っている以上、私とヒソカがぶつかる可能性は常にある。
互いに譲る気が無いのだから当然だ。
出来るなら避けたかったけど、こうなっては仕方ない。
ヒソカを倒した上で、ゴンの下へ行くとしましょう。
私は黒く滲んだオーラを迸らせる。『堅』を維持しつつ、ヒソカと相対する。
「その色、中々興味深いオーラだ♦」
「それはどうも」
愉しげに笑うヒソカを睨みつける。
ヒソカもまた、見事な『堅』を行使している。
……強い。
間違いなく、私がこれまで戦ってきた中では、最強クラスの敵。
だけど付け入る隙はある。
それは、彼が生粋のバトルジャンキーであること。
戦いを愉しむために、いきなり全力で敵を殺しにかからない。
まずは小手調べと、敵の出方を窺うような戦い方をする。
つまり、スロースターターなのだ。
なら、最初の『右腕』は、そう難しくない。たぶんね。
そうなると、ヒソカは片腕を封じられたハンデ戦を強いられる。
勝ち目は……十分にある!
ダンと、強く地を蹴る。
攻防力を6対4。右腕を繰り出すのとほぼ同時に、右手にオーラを多めに振り分ける。
もっとも、『凝』を怠りはしない。
……まだ、『バンジーガム(伸縮自在の愛)』を使う気はないようね。
目を凝らしても、『隠』で隠している様子も見られない。
安心して右ストレートを放つ。
難なく、こちらの攻撃をいなすヒソカ。
まあ、そうでしょうね。
落胆することなく、次なる攻撃に移る。
踏み込みと同時に、体勢を低くする。
イメージは潜り込む様に。
身長差を活かそうというわけだ。
近く、低く、そんな位置取りをする相手の対処は、容易ではないでしょう?
事実、ヒソカは嫌がる様に距離を取ろうとする。
――逃がさない!
私は牽制に放たれるヒソカの攻撃をかわし、懐に潜り込む。
そして四肢を存分に振るって、コンビネーション攻撃を見舞う。
一打、二打、三打、四打、五打……。チッ、上手く防ぐじゃない。
有効打が入らない。そればかりか、連携の間隙を狙って反撃までしてくる。
そしてついに、力強い蹴りをクロスガードするも、その強烈さから弾き飛ばされるような形で、ヒソカとの距離が開いてしまう。
「体術は悪くないね♦ オーラ移動も淀みない♠ うん、見事な『流』だ♥」
ヒソカはそう口にしながら、トランプを取り出す。
パラパラパラと、両手の中でカードをシャッフルし始めた。
「今度はこちらからいこうか♠」
その言葉と同時に、トランプが四枚投擲される。『周』で強化されたカードだ。
私は横に跳躍し、そのカードをかわす。
着地の瞬間を狙って、距離を詰めたヒソカが右手に握ったカードの切っ先を振り下ろしてくる。
もっとも、本気で当てる気はないようだ。
牽制の一撃。本命は、これをかわした後に来る。
「――!?」
ヒソカが初めて驚きの表情を見せる。
私が避けることなく、敢えて振るわれるカードへと踏み込んだからだ。
鮮血が舞い散る。
左肩に痛みが走る。……問題ない。致命傷には程遠い。
私はすかさず、カードを振るったヒソカの右腕を掴み取る。
そして、振り払われぬよう強く握り締めながら、呪歌を紡いだ。
「だーるまさんがこーろんだ♪」
「……? ……!?」
黒い、黒いオーラが、ヒソカの右腕に纏わり付く。
ふふふ、右腕もーらいっと♪
更に左腕も狙うが、これは上手くいかない。
するりと、掴もうとする私の手から逃れていった。
その攻防を最後に、一旦仕切り直しと、互いに距離を取る。
ヒソカはピクリとも動かない自身の右腕を見る。
「……へえ。これが君の能力か♥」
厄介だね、なんて嘯きながら、感覚を失った右腕の様子を確認するヒソカ。
「ゴンを譲る気になったかしら? 厄介と思うなら逃げてもいいのよ」
「まさか♠ むしろ興奮してきたよ♥」
ヒソカのオーラが迸る。
ゾワリと、背中が総毛立つ。ッ、来るか!
右腕を封じられたのも何のその、ヒソカは戸惑い無く踏み込んでくる。
私は『凝』でヒソカの動向を注視する。
まだ活きている左手で攻撃を仕掛けて来るヒソカ。
……やはり使ってきたわね。
ヒソカの左手の先、巧妙に『隠』で隠されたそれを見つける。
そう、『バンジーガム(伸縮自在の愛)』だ。
あの左拳を受けるのはマズイ。
きちんと防御しても、その上からオーラを張り付けられる。
だから、思わず防御したくなりそうな攻撃――勿論、ヒソカが意図して行った攻撃だろう。回避よりも防御を選択したくなりそうなそれ――を無理に回避する。
そうして空を切ったヒソカの左腕を掴みにいく。
だが、また避けられた。バックステップでヒソカが距離を取る。
「……何やら執拗にボクの左腕を追ってないかい? 右腕を潰したら、次は左腕、そんな思考は理解できるけど……♥ どうもおかしい♦ 腕だけが君の能力の対象? いや、違うな♠ 順番だろう? 右腕の次は左腕、そんな制約がある、違うかい?」
滔々と推論を述べながら、最後にはビシリとこちらを指差す。
私はひょいっと、飛ばされたオーラを避ける。
「おや、残念♦ でも、もう一つ確信できた♥ 君、ボクの能力を知っているね♠」
……先の攻防で、防御ではなく回避を選択したのは、やはり不自然に映ったか。
今の指差しで、『隠』で隠しながら飛ばしたオーラを避けたのもそうね。
普通、自身の念能力を言い当てられている場面で、あんな自然に回避できないか。
これらから、私がヒソカの『バンジーガム(伸縮自在の愛)』を事前に知っているのだと、そう確信されたわけか。
それに、たった二回左腕を狙った動きだけで、私の制約も言い当てる。
……驚異の観察眼、それとも戦闘勘か。本当に恐ろしい相手。
万全のヒソカとは戦いたくないわ……。そう、万全のヒソカとは。
ふふ、まだ私の優位は覆らない。ヒソカは、利き腕を封じられているもの。
手数が一つ足らない状況で、呪いを齎す私の両手から逃げ切れるかしら?
私は両手から黒いオーラを迸らせる。
「くくっ、いいねその顔♥ ゾクゾクするよ♥」
顔? 私はそっと口元に触れる。その口角は吊り上がっていた。
ああ、そうか。そうね、笑っているのね、私……。
「あは♪」
愉しい。ヒソカの様な強者、しかも、かの漫画の重要人物を呪う。達磨にする。
自然と笑みが浮かぶのも当然……よね!
私は狂笑を浮かべながら、一気にヒソカとの距離を詰める。
そうして、呪いの両手を存分に振るう。
ヒソカはするり、するりと、こちらの両手を逃れる。
時折反撃も繰り出す。流石ね。……でも!
ふふ、いつまで避けられるかしらね? 私はニヤリと嗤う。
ヒソカの動きは必ずしも良くない。いや、ハッキリ言って精彩を欠いている。
右腕だ。右腕が封じられた影響は、単に手数が減るだけではない。
全く動かないそれは、お荷物だ。
全体の動きを、どうしても阻害してしまう。
私は左腕を狙うと見せかけて、ローキックを放つ。
ヒソカの足が止まる。私は改めて、ヒソカの左腕を狙った。
ヒソカは咄嗟に体を捻って半身になり、左腕を遠ざけようとする。
ふん、無駄な足掻きね。
予想していた私は大きく一歩を踏み出す。真っ直ぐ左腕目掛けて。
そして――掴んだ! 後は……。
「だーるまさん……グッ!」
なんだ? 世界が揺れる? 違う、揺れているのは私の頭、いや、脳だ。
でも、どうして……?
掴んでいた腕を振り払われる。
それだけで体勢を崩して倒れそうになる。
何とか踏ん張ったが、自身の両脚が覚束ない。まるで船の上にいるよう。
マズイ、マズイ。どうして? どうして?
頭の中を焦りと、疑問が駆け巡る。
そしてそれが視界に映った。
動かない筈のヒソカの右腕。それが、ぶらん、ぶらんと揺れている。
まるで振り子のように。惰性のような動きで。慣性の力で動く。
ああ、そうか! そういう……!
私は得心する。
きっとヒソカは、バンジーガムで建物の壁か何かと、自身の右腕をくっつけたのだ。
そして、私の注意の全てが左腕に注がれた瞬間だろう。
その瞬間に、ゴムの性質を利用して、限界ギリギリまで右腕をしならせる。
そしてバンジーガムを解除。
解き放たれた右腕が、私の頭を襲った。きっと、そうに違いない。
失敗した、失敗した、失敗した!
動かないはずの右腕を、完全に意識の外へと追いやってしまった。
ヒソカはその隙を見事に突いたのだ!
「楽しかったよ、リンドウ♥ そして……」
マズイ、マズイ! 避けろ、避けろ! ダメ、足が……!
バックステップでかわそうとするが、足がもつれる。体勢が崩れる。ああ……!!
「さようなら♥」
カードを握ったヒソカの左腕が振るわれる。
すっと、首筋を何かが擦り抜けていく感触。
一拍置いて、冗談のように鮮血が噴出する。そう、頸動脈を切られたのだ。
痛みよりも、熱さを感じる首筋。
思わず傷口に手を当てるが、そんなことで鮮血は止まらない。
私は自身の血で汚した地面の上に崩れ落ちた。
年内最後の投稿になります。
皆様、どうか良いお年をお過ごし下さい。