白を基調とした殺風景な部屋。
何の飾り気もない、そんな変わり映えのしない景色が私の世界の全て。
中央の同じく白いベッドの上に放り出された私の体。
私の意思で自由にできるのは首から上だけ。
私はここから外へと歩いていくことはできない。
だからこそ、この殺風景な病室が私の世界の全てなわけだ。
事故に遭ったのは、今から一ヶ月前。
私には何ら非はなかった。
青信号の横断歩道を当たり前のように歩いていただけ。それだけなのに――
突っ込んできたのは、赤信号を無視して暴走する乗用車。
一瞬の出来事で、それから身を守ることなど出来る筈もなく。
その後のことは何も覚えていない。
気付けばこの病室で寝かされていたわけだ。
そして、この病室が私の世界の全てになった。
脊髄損傷による首から下の全身麻痺状態。
それが医師の診断だ。
回復する見込みは、限りなくゼロに等しいらしい。
私は一ヶ月もの間、ただただ無為に時間を過ごした。
当たり前だ。指一本動かせない私に、一体何ができるというのか?
入院当初は訪れてきた学友たちの見舞いも、今は無い。
それどころか、最近では両親ですらこの病室に足遠くなってきた。
一人娘のこんな姿を見るのが、どうも精神的な苦痛になっているようだった。
体の動かない私に許されたのは、ただ膨大な時間の中で思索することだけ。
窓の外から射し込む陽の光。
それを全身で感じられたらどんなに気持ちの良いことだろうか?
今は四月だ。
校門の傍らにある桜の木は、もう薄桃色の花弁を咲かせたのだろうか?
外へ出たい。外へ出たい。外へ出ていきたい。
私は奇跡を望む。
もしも何かの奇跡で、この体が回復してくれたなら……!
どうか、どうか、神様! どうか私の身体を、どうか!
そんな奇跡を望む気持ちが、とめどなく溢れ出す。
もしも、体が回復したのなら……。
自分の足で外へと駆け出そう。
今まで感じていた当たり前のこと全てに感謝しよう。
勿論、神様への感謝も忘れない。
外へ出れたなら、意義のある生き方をしよう。
人生を大いに謳歌する。
他人にももっと優しい人間になろう。困った人がいたら助けてあげるのだ。
私の出来る、全てを為そう。
だから、だから、神様。どうか奇跡を……。
事故に遭ってから、一年の時が経った。
まだ私の身に奇跡は起こらない。
一年もの間、精神を黒く塗りつぶす様な乾いた時間だけが過ぎ去った。
窓を見る。
あの窓の外には、当たり前のように自由に動き回れる人々が暮らしているのだ。
その有難みを実感せずに。そのささやかな幸福に感謝すらせずに。
ああ、なんて妬ましい。なんて、憎らしい。
そこまで無意識に思考し、ハッとさせられる。
駄目だ、駄目だ。こんな醜い考えをするから、この身に奇跡は起こらないのだ。
ただただ無為な時間が流れるほどに、精神が黒く汚れていくのを実感する。
でも、それでは駄目なのだ。
ごめんなさい、神様。
私は改心します。もし奇跡が起きたなら、多くの人の為に生きると誓います。
だから、だから、どうか奇跡を……。
ある日、母が私の病室を訪ねてきた。
珍しい。母がこの病室に来るのはいつ以来だろうか?
いや、そんなことはどうでもよい。
私は呆然と、母の膨らんだお腹を凝視した。
母も私の視線に気付いたのだろう。
気まずげに横を向きながらボソボソと呟いた。
あなたの妹が生まれるのよ、と。
ああ、ああ、ああああああ!!!!
どうして!? 何で!?
もう三十も半ばを越して、じき四十になるのに、今更子供!?
私の、私の代わりなのか!?
母にとって、私はもう……!
動いて! 動いてよ、この体! 動け!
この体が動いたなら、目の前の女を殺せるのに!
ああああああああああ!
事故に遭ってから、どれほどの時間が過ぎ去っただろう?
私は未だこの病室の中。
ああ、私以外の全てが妬ましい。憎らしい。
もし、思い一つで人を殺せたなら、どれほど良かったろう。
可能なら、外界の全てを呪ってやったのに。
ああ、どうしてこの体は動かないのだろう?
決まっている。この世界に奇跡などありはしないのだ。
それでも、神がもし何かの気まぐれでこの体を治したなら……。
そうなれば、私は病室の外へと駆け出して、外界の全てを破壊しにいけるのに。
動け、動け、動けこの体……。
ただ、ただ、砂のように無味乾燥した、余りに膨大な時間が流れた。
今、私の傍らで心電図の音が煩わしく鳴り響いている。
本当に煩わしい。
ただ幸いなことに、その音は徐々に、徐々に遠ざかっていく。
どうやら、私に終わりの時が訪れようとしているらしい。
やっとか。心中でそう呟く。
ようやく私の下に、安息の時がやってくる。
心底ホッとする。
ただ、世界に対する憎悪だけは薄れない。薄れることはない。
遠ざかる意識の中、最期に一言、頭の中で呟く。
――世界に呪いあれ。