うたわれるもの ~魂の揺り籠~   作:悪役

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導く名

 

意識が覚醒し、己の記憶の不明を知った日から数日が経った。

最初こそ勿論、混乱したが混乱しても日は過ぎるし、頭も勝手に冷える。

ようやく上半身を起こせるくらいにまで回復した自分が最初に見たのは包帯だらけの体だった。

 

「………」

 

流石に記憶を喪失しているよりは衝撃は小さい事柄であった。

そもそも自分は少女が言うには

 

「えっと、その……私は、た、旅をしていて………そ、それで山を歩いている時に重傷を負って倒れている貴方を見つけたんです!」

 

前半がやけにたどたどしかったのはもう警戒心を抱くとかより初々しさを感じて苦笑を漏らしそうになった。

本人は隠しているつもりみたいのようだが、嘘を言うたびに罪悪感一杯の表情を浮かべている事を両親はもう少し教えてあげなかったのだろうか。

 

……まぁ、指摘しない自分が言える事ではないか。

 

ともあれその負傷はどうやら刀傷らしく自分は盗賊に襲われたのではないかという結論が仮で出ていた。

当時来ていた服などを調べれば何か出るものがあるのではないか、と思ったが、訊ねてみると服は既にボロボロで使い物になりそうではなかったから処分。

持ち物は特に何も持ってはいなかったそうだ。

その事を謝られたが、彼女は謝る事ではない。

ただ少しだけおかしい事があるとすれば

 

「最低限の治療だけはされていた、か……」

 

そして不思議な事に特にそこまで傷が無かったというのに、顔に包帯が巻かれていたという事らしい。

まるで顔を隠すように巻かれていたから、酷い傷でもあったのか、と思われていたが、別にそういうわけでは無かったので意味が分からない事の一つであった、と。

まぁ、深く考えた所で証拠も何も無いので結論はどんなに足掻いても保留になるしかない。

今はこの体の治療を第一の目的とする。

 

「お待たせしました。お粥をお持ちしました」

 

そう思っていると少女が入室した。

笑顔を浮かべてこちらを世話してくれる少女に自分はもう本当にどう感謝すればいいやら、という所なんだが。

本人にもそれを言うと

 

「私が選んでやった事です。感謝される為に貴方を助けたわけじゃありません」

 

とやんわりと断られた。

それはそれで物凄く心苦しいのだが、少女が本心でそれを語っているのが理解してしまったので本当にどうしたものか。

それに……と実は目覚めた時から気になっていた事柄がある。

少女、ルサミアはこちらに目掛けて普通に歩いている。

歩いている……時々少しぶれたりし………何より瞳に注目する。

少女の瞳は焦点が合っていないのだ。

失礼かと思っていて目を逸らしていた事実だが、失礼なら既に何度も働いているかもしれないのだ。

恥の上塗りと自覚した上で聞く。

 

「ルサミア……君は、目が……」

 

「え? あ、そ、そうですね。私は皆様のように正しい目を持っていません。でも、全く見えないというわけじゃないんです」

 

お粥が入った皿を手元に置きながら少女は笑う。

 

「ぼやけて、遠くのモノは見えないですけど、手元や人のお顔くらいは把握できます」

 

その笑みに一切の陰りは見えない。

少女が目に関して暗い一切負の感情を抱いていないと悟るとほっとする。

 

「そうか……すまない。無神経な事を聞いた」

 

「いえ。周りに迷惑をかけている事は自覚していますから」

 

その返答は少しいただけないのだが、正直記憶の無い自分がどこまで踏み込んでいいものか分からないので沈黙を選ばせてもらう。

そして少女は黙って匙を使ってお粥の中身を

 

「……ルサミア。今日は調子がいいから自分の手でそれを食べさせてくれないか?」

 

「駄目です」

 

ピシャリ、と目の前で扉が閉じた気がするが、岩戸をこじ開けるのが人間の本能のはず!

 

「いやな。人間、あんまりにも自堕落が過ぎると己を甘やかすのではないかと自分は記憶を失っていてから思っていて」

 

「はい、とても良い心掛けです。でも駄目です」

 

岩戸に更に追加の岩が落ちて来たのを感じるが、人間は諦めなければ出来ない事はないのだ、という事を知っているような気がするので追加のラッシュをかける。

 

「更にはだ。男というのは基本、女に見栄を張る事を生き甲斐としている。つまりだ。自分は今こそ自由を謳う雄としての強さを取り戻すべきなのだ!!」

 

「そういう事は立ち上がって元気な姿を見せれるようになってからにして下さい」

 

ドッガアアアアアアアアアン、とルサミアの背後で落雷が落ちる幻覚を見る。

背中に冷や汗が流れる。

全く壊れない物を見た時、人間はやはり焦りを覚えるものだな、と真っ白の自分に普遍的な事実がすごい勢いで刻まれている気がする。

しかしだ! やはり壊れない物を相手に男というのは壊したくなるものであるはず!

 

「ならば今こそ立ち上がろうではないか!」

 

「立ち上がったら即座に膝に手刀を入れるので」

 

にっこり笑顔で奇跡の力を使ったら殺します、と断言された。

怪我を慮っているのに、最終的に怪我が悪化する手段を選んでいる気がするのだが、とりあえず冷や汗が倍増した。

 

……策だ。策が必要だ……!

 

あの嬉し恥ずかし状態を何とかする策が必要だ。

もういっそ受け入れちまえよ、という誘惑は甘美だが、現実問題として何時までも少女に甘え過ぎているのは良くない。

嘘か真価は知らないが、少女は旅をしているという。

ならば余計に少女を引き止めている自分は彼女から遅かれ早かれ脱却をしなければいけないだろう。

故に今、少女から脱却する策。

それは──

 

「ふっ」

 

「?」

 

勝ちの確信が自然と笑みを浮かべる。

これを行えば自分が間違いなく勝てるという手段。

完璧過ぎて何も文句が言えない。

そう

 

 

「もしも自分の手で食べさせてもらえないのならば──自分はここで脱ごう」

 

 

例えそれが以降の自分の尊厳を捨てる行いであろうとも────

 

「…………………………は?」

 

ルサミアはこちらの言葉を一切理解出来ないという表情を浮かべ、しかし数秒後に理解し、赤面する。

効果は抜群だ、と笑いながら俺は密かに服に触って誇示する。

 

──本気である事も。

 

「しょ、しょ、正気ですか!?」

 

「ふふふ、恥を捨てれば人間に出来ない事は無い事を知ってもらいたい。さぁ、お粥をこちらに渡してくれ」

 

「そ、それは出来ま……」

 

少女の岩戸が跳ね除けられるのを感じる。

少し服を脱ごうとした素振りを見せれば口を閉じたのがその証拠だ。

潔癖な少女であればある程、効果が強くなるこの方法。

内心の俺、終わったの涙の感情を無視すれば少女に対しての最大にして最悪の策になるのだ。

 

「さぁ」

 

「う、うぅ……」

 

勝った……と涙を流しそうな気持を浮かべながら思う。

勝利の代わりに全てを失った気がするが、戦いとは実に空し過ぎる……少女の目が無かったなら泣くしかない。

半端に勇気を持っている人間に待つ末路は中途半端な地獄なのだと自分は悟った。

しかし

 

「わ、分かりました……」

 

少女の敗北宣言にようやくほっとする。

だがしかし

 

 

 

「な、なら! 脱いだ後、体を洗うのを手伝わせて貰います!!」

 

 

 

「何……だと……」

 

将の首を獲れる寸前に暗殺者に首を獲られるのを幻視する。

策を持っているのは自分だけではなかった。

あれ程縮こまっていたのは、こちらの油断を誘う為だったのか。

天然の最上級演技とはやってくれる。

い、いやだがしかし

 

「か、下半身を脱いでもその台詞、い、言える……かな……?」

 

「……」

 

めっちゃ恥ずかしそうに俯いているが、その瞳に二言の気配がない。

つまり、今の状況は美少女に食べさせてもらうか、美少女に体を拭いてもらうか。

 

……どちらもお得か!?

 

あ、いや待て。落ち着け。

本音を出してはいけない。建て前は大事な事なのだから。

だが、しかしだ。

 

仮にも男が年下の少女に対してここで脱衣に持ち込むことが出来ようか……

 

名も無き男は記憶を失ってから最初の大敗を身に刻んだ。

 

 

 

 

 

男──ウヒュウはその光景を見はしなかったが耳にはした。

最初はともかくとして途中の流れについてはぶち殺してやろうか、と刀に手を当てて切り殺す算段をしていたのだが、それ以外で聞こえてくる声に青年は沈黙を選んだ。

それは男に配慮したものではなく、少女の声が余りにも明るかったからだ。

 

「……分かっているとも。現実から逃避させているだけだと」

 

人によっては余りにも厳しい発言と捉われるかもしれないが、彼女の現状を語るならばこう言うしかないのだ。

彼女には本来はこうして一か所に止まる時間すら惜しいのだ。

その事は聡い人だ。分かっていないはずがない。

いや、聡いからこそ分かり切っているのかもしれない。

 

自分には勝ち目何てほ(・・・・・・・・・・)とんど無いという事を(・・・・・・・・・・)

 

「っ……!」

 

唇を噛む。

悔しさで自害でもしたくなる。

どうしてそこで否、姫殿下が望むのならば見事勝利を得てきましょう! と叫べない!

殿下の懐刀であるのに勝利を勝ち得ないのならば鈍らと何が違う。

武士が聞いて飽きれる。

これならばそれこそ殿下に笑みを与えるあの得体のしれない男の方が己よりも遥かに役が経つ。

自分を見れば嫌でもしなければならない事を思い出して、恐怖を嚙み締めながら気丈にしか笑えないあの御方を笑みを知って、どうして自分が幸福に見える少女の傍に近づけようか。

ウヒュウはだから見守るしかできなかった。

少女が少しでも幸福の時間を得る事を大神(オンカミ)に祈るしか無かったのだ。

 

 

 

 

 

 

ふぅ、とルサミアは食べてくれたお粥を片付けようと立ち上がる所であった。

しかし、その行為は目の前の記憶を失った彼の言葉で遮られた。

 

「ああ、済まない。ルサミア。一つだけ、恥知らずだが頼み事がある」

 

「頼み事……ですか?」

 

ああ、と頷く青年の顔はルサミアからしたらまるで透明な色に見える。

それを見ると改めて彼は本当に何も持ってないのだ、と実感してしまう。

地位も経歴も名も持っていない青年。

そんな彼に───一瞬、羨望を得てしまった時は恥じた。

記憶を失って苦しんでいる彼を見て、羨ましいと思うなど最低だ、と思った。

恥知らずなのは彼ではない。

恥知らずはむしろこちらの方だ。

でもそんな思いを彼に見せたくはないから、直ぐに微笑でそれらを埋め尽くした。

 

「私に出来る事なら……」

 

「大丈夫。君になら任せてもいい事だ」

 

そう、彼は根拠のない言葉を言って、本当に気軽そうに

 

 

 

 

「自分の名前を考えて欲しいんだ」

 

 

 

 

 

 

「名前…………?」

 

「そ、名前」

 

名前を失っている事を別にそんなに辛い事ではないんだ、とこちらに説明するかのように彼は余り頓着はしていないという態度でこちらに告げてくる。

 

「何時までも名無しの男とか貴方とかではほら、余りにも面倒だからな。ならば考えればいいのだが……自分はどうやらその手の名前選びの才は無いらしくてな。だから、君に決めて貰おうと思ってな」

 

「そ、そんな大事な事……」

 

私は貴方が思っているような人間ではないのだ。

現実に直面して、対峙しないといけないのに貴方を癒さないといけないという体の良い言い訳を使って、幸福に浸っている最低な小娘なのだ。

だから仮になるかもしれないとはいえ貴方のこれからの名前を決めるにはもっと適した人か、もしくは自分が決めた方がいいと言おうとして

 

「頼むよ─────何もないのは嫌なんだ」

 

「────」

 

本当にぞっとする程の透明の言葉に言葉が断たれた。

そうだ、この少年には記憶は無いのだ。

無いとは言っても物とか常識といった知識は今の所言えば分かるという風に覚えているようだが、逆に言えば彼は物の名は知っていても者の名は知らないのだ───私を除いて。

そうだ。

この青年にあるのは今はこの部屋にあるものだけなのだ。

閉じ込めているわけでは無いし、恐らくもう少しすれば歩けるようにはなるが少なくとも今、彼の心の中にある風景はこの部屋だけなのだ。

なのにどうして彼が自分に名を付けれる。

彼の中身はまだ空白なのだ。

 

「わ、分かりました……」

 

つい肯定してしまい、恐ろしい程の恥が襲うが、言ってしまったからにはもう答えるしかない。

本人も頼むよ、と言って若干だが期待の目を投げかけてくる。

 

「え、えっと……」

 

引き受けてしまった後に思うのもどうかだが、別に私だって人に名前を与えた事なんてないのだ。

動物を飼った事も無いし、誰ともお付き合いした事が無いので当然子供だっていない。

人に名前を授けるなんてそれこそ子を産んだ時くらいしか縁が無いだろうって思っていたし、もうその縁も無いだろうと思っていたのだ。

特に記憶を失った青年に対して名前を付ける事になるなんて想像は出来ないだろう。

自分の知識や今まで会った人などを総動員して彼に相応しい名を組み上げようとする。

 

「あっ、マッ──」

 

パ、と先程の記憶を思い出した時につい口から漏れた言葉を全て吐き出そうとしたら極寒の半目で視られたので自重する。

すみませんすみません、ただ先程の印象が強かっただけです。申し訳ありませんでした。

でも責任は折半では無いでしょうか?

邪悪な印象を全て取り合えず捨てさせて貰って色々と考える。

そして一つ、ポツリと水面に浮き上がるように一つ名前が思い浮かんだ。

それは圀に一つはある御伽噺のような話の一つであった。

御伽噺の内容はそうドラマチックなものではなく、有体に言えば混乱や貧窮に苦しんでいる人を救う人の話。

その救う者の名。"導く者"と御伽噺では揶揄される名前。

何故その名が思いついたかは知らない。

でも、その名が何故か目の前の透明な青年に酷く似合いそうな気がして、だからそのまま

 

 

 

「カムイ……というのはどうでしょうか?」

 

 

 

と、告げた。

 

「カムイ……カムイか。うん、何か孤高そうで身が締まりそうな名前だな。気に入った」

 

それを聞いた青年はおべんちゃらではなく本当に好物になった、という感じで私が告げた名を何度も繰り返していた。

何かちょっとだけ恥ずかしくなって甘く赤面してしまうが、気に入っていただけたのならば本当に良かった。

ああ、でも一つだけこちらの肩の荷の大きな物が下りたような感覚を抱いた。

何を下ろしたのだろうか、と思うが、こちらの名を舌の中で転がして馴染ませている青年を見たら結局、直ぐに納得がいった。

 

私は……自分が生きた証を残せたって事でしょうか……?

 

身勝手な思いを、と直ぐに思った。

助けられた彼はそんな気、露程にも思っていない。

彼にとって私は恩人であると言ってくれるが、私の存在を受け取って貰える立場の人間でもなければ、付き合いのある人間でもない。

なのに

 

「じゃあルサミア。自分の名前はカムイだ。改めて礼とよろくしを言わせてくれ」

 

こちらの思いなど無視するかのように笑みを浮かべてこちらに手を差し伸べてくる。

 

「───」

 

一瞬、この手が自分を救い上げてくれるような錯覚を覚える。

酷い勘違いだ。

自分が助けたから彼も自分を助けてくれるなんて偽善この上ない。

弱気になっている事は理解している。

もうこんな風に笑って過ごせる時間は無いと覚悟していたが故の気の緩みである。

そして──全てを捨てればこの時間を続ける事は可能であるからこその諦めの誘惑であった。

 

「……」

 

何もかもを捨てれば私は私では無くなるかもしれないけど、これから新しい私を続けれるかもしれない。

それはもしかしたら今までの私よりも遥かに幸福な未来が訪れるのかもしれない。

でも

 

 

「───はい、カムイさん。こちらこそよろしくお願いします」

 

 

少女はその手だけ(・・)を取った。

その先に見えていたモノから少女は目を逸らした。

でも、そういうのには慣れている。

曖昧なモノなんて元からこの目には映りにくいのだから。

だからこそ、少女は目の前の青年がこちらに対して少し目を細め、おいおい、という顔をしていた事に気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 




悪役節なんてモノはこの世には存在しない。いいね?

さて、今回は主人公の恒例の名づけイベントをメインにしましたが、先に言っておきます。
最初こそ自分もやはりハクの二字を使った名にするべきではないかと思いましたが、この先の展開、この作品のテーマを考えて、敢えて今までの"ハク"という名前から離れて名付けました。
それでカムイっていうのはまぁ、意味を知っている人からすればちょっと単純ですよねぇ(苦笑)。

あ、知っている人はあんまり明言は避けていただければと。その方が深読みとかしないで済むでしょうし。

本当ならもっと手早く投稿したかったですが、残業と肩の痛みが…! 己、日本の社畜根性…!

感想や評価など出来るだけたくさん貰えれば本当に幸いです。
また次も出来る限り早く頑張りますっ

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