熱い……熱い……
体が溶岩に包まれているかのような熱気が自分を焦がす。
何で体が燃えているんだ……
眼球は水分を失い、舌は乾ききって音を発するを許してくれない。
熱い、熱い、熱い。
水だ。水が欲しい。
体にぶっかける水が、喉を潤してくれる水が欲しい。
だが欲求を形にする口が動かない。
水を求める事が出来ないと知った体は我武者羅に手足を動かし、渇きを勝手に表現する。
しかし、手足の感覚までも焼けているので全く感じれない。
目だってさっきから暗闇しか捉えられていない。
何も見えない。何も触れられない。
でも、今はそんな事はどうでもいい。
ただこの焼けた肉体を──焼け焦げた魂を冷やす何かが欲しい。
だから、必死に口を動かして
耳だ。
最後にまともに感覚を残した耳を揺るがす音が聞こえる。
一定の拍子と言葉で織り成す音は焼けた肉と脳にほんの少しだがひんやりとでも今、感じている熱とは全然違う温かみを感じさせてくれるものだった。
何だ……? 音、いや、これは……
こちらを包むように響く音の正体に興味を持った肉体が瞼の辺りを意識を持ったかのようにピクピク動かす。
本能が気付いている。
これが音ではなく声であると。
そして声がするという事は近くに人がいるという事を。
誰だ……?
意思までが好奇心を抱いたお陰か。
固く閉じられた瞼は初めて開かれたかのようにして、光を受け入れた。
「────」
視界全てに入ったのは少女の姿だった。
艶やかな黒髪を背中にまで流し、髪の先を結っている。
それだけで十分に幻想的なのに、顔立ちは可憐な出で立ちを隠す事が出来ない。
服装も質素に見えるが、逆にそれが彼女の儚さを醸し出している。
その今でも折れて吹き飛びそうな体から、出で立ちに沿う声色で少女は歌っていた。
「……」
ぼんやりとした思考と意識では何も思いつかなければ、動く事すら出来ない。
ただ見るという機能しか働かない。
その視界も薄ぼんやりとして全く機能としてまともではない。
だが、そんな視界でも少女の意識を捉える事が出来たのか。少女の瞳がはっきりとこちらの目を捉えた。
「……」
お互い何も言わない。
こちらは何も言えないし、向こうはどう思っているのかは分からないがあちらも何も言わない。
視線を動かす事すらこちらには不可能事故にどうしても見つめ合う事になる。
歌も止まって、無音と化したこの場で、しかし変化が起きた。
少女が微笑したのだ。
その笑みの意味も分からないまま、しかし少女が少しだけこちらに顔を近づけて、口を開く。
先程までは機能していたと思っていた耳は、しかし都合よく機能不全となったかのように音を捉えなかったので、目だけが彼女の口の動きを見おぼえた。
あ・い・い・ぅ・う・う
口の形から母音を察して、本来の音になるようにぼんやりとした意識が勝手に働く。
何の思考も果たらなかった癖に、まるで今では難しい呼吸をするかのような自然さだ。
だが、告げられた言葉を自分は理解できた。
だいじょうぶ、と
何が大丈夫なのか、どうして大丈夫なのか。
そんな事を気にも留めずに、何故かその言葉を聞いただけで瞳が勝手に閉じていく。
意識すらも肉体から離れる中、今もまだ熱が籠っている体を守るような温かみが体を包んだ気がしたが、それを確かめる間も無く、意識は沈んだ。
少女は"彼"が目覚めた意識を直ぐに手放したのを感じ取った。
しかし、一定の拍子の寝息も感じ取っていたので、少女は安堵の吐息を吐いて、"彼"の布団を整い直す。
恐らくもう峠は越した。
治療は出来るとはいえ専門家ではないので、はっきりと断言は出来ないが、この安定した寝息と顔色を見る限り下手な事をしない限り大丈夫だと思える。
「良かった……」
本心からの言葉を漏らし、少女は笑みと共に安心を得る。
その瞬間に
「──失礼を。姫殿下」
先程まで間違いなくいなかった人影が突然、少女の傍に現れる。
左右の腰に刀を差しながら、明らかに年下であるはずの少女に対して現れた青年は膝を着き、頭を垂れていた。
精悍な顔つきと見る者が見れば分かるであろう鍛え上げた刃のような肉体を持っている青年は誰が見ても武人であると察せれるだろう。
少し、青みがかかった短髪を少しだけ揺るがしながら、少女から許しが出るまで口を閉ざす。
すると少女は先程までの安堵を真剣な表情と眼差しで覆いながら、目線と意識を青年の方に向けた。
「ウヒュウ……様子はどうでした?」
「はい──今の所、追手の気配は感じられず。恐らく撒く事自体は成功できたかと。ですが……」
「……大まかな位置は悟られている、と?」
「……仰る通りかと」
そうして青年は改めて顔を伏せ、意見を放つ。
「直ぐにここから発つべきです姫殿下。幸い、その者の峠は越しました。後は村の者に任せれば無事歩く事が叶いましょう」
見ていたのか、と少女は先程まで自分の感覚にも感じ取れなかった青年に対して溜息を漏らしたくなるような感嘆を吐き出したくなるような思いを得るが、それだけ青年が自分に尽くしてくれているくらいは理解している。
だが
「……それは出来ません」
何故なら
「助けると決めたのは私の意思です。途中で放り投げる事は私の意思を放り投げる事。何より……」
再び意識寝ている"彼"の方に向きながら
「ここで命を見捨てて……どうして我が身を誇れますか?」
「……」
鋭い聴覚が青年が手に少しだけ力を込めたのを察する。
その事に内心で謝罪をしながら
「私に……最後まで従う必要はないのですよ?」
「──いえ。私にはあります」
覚悟の声音でこちらの耳を響かせ、最後にまた頭を伏せ
「周囲の警護はお任せを」
その声を最後に、青年の気配は一瞬で消えた。
言葉通りの行動を起こしているのだろう、と思い、少女は苦笑に近い微笑を浮かべる。
「本当に……意地っ張り……」
もう何もないただの小娘に付き合う理由などないのに。
だから、その有難みを心に秘める。
彼も決して礼を言われたくて自分に従っているわけでは無い事くらいは鈍感な自分でも察している。
そう思っていると、"彼"から呻き声が漏れる。
傷口から発せられる痛みと熱に魘されているのだろう。
もしくは……その傷の元となった原因を夢で見せられているのか。
既に処置は済んでいる。
過剰な治療は逆効果になるから、もう自分にはこれ以上、"彼"の為にしてやれることは無い。
だから、少しでも痛みが、苦しみが和らぐように
「──」
再び歌を歌い始める。
子守の歌。眠りの歌。
かつて幼き時に母がよく歌ってくれた歌を口ずさむ。
すると気のせいか、少しだけ呻きが収まったような気がするから不思議だ。
自意識過剰はしないように、と心に秘めながら
「大丈夫です……」
そう、もう大丈夫。
何故なら
「貴方が苦しむ必要なんてどこにも無いのですから……」
そうして私は名も知れない"彼"を見守り、歌い続ける。
かつての私に安らぎをくれた唄を。
瞼の裏にまで届く光を感じ取る。
光が意識を刺激して、覚醒を促す。
「ぅ……」
意識は覚めようとしているのに体は異様に重たい。
起こしたのは肉体の癖に、起きるのを否定している。
だが、それでも覚めようとする意識に肉体も反応し始め、最初に目が開く。
「……」
最初に目に付くのは天井。
特殊な所など無い木で組んだ天井。
視界に見える範囲ではどこにでもある民家の一室のようだが、自分の意識のみで特異な所を述べるならば
「しぃ……ら、な……」
知らない。
こんな天井見覚えが一切ない。
知らないという事が恐ろしい程に恐怖を与えてくる。
「ぁ……!」
天井が押し寄せてくるように感覚を幻視し、もがこうとするが体は何一つとして言う事を聞いてくれない。
せめて声だけでも発そうとするのだが漏れ出る声は寒気がするくらいにか細い。
呼吸の機能だけが正常に機能しているのが不快だ。
まるで負け犬の喘ぎだ。
だから、どうにか立ち上がろうと体を起こそうとするのだが腹に力を入れようとすると途端に激痛が走った。
「────」
無様な悲鳴が漏れないように無理矢理口を力で縫いとめた。
最悪な代償ではあったがとりあえず腹に力を籠めるのは良くない事ではあるとは分かった。
ならば次は腕に力を込めた。
右腕。
込めてみるとこちらも鈍痛が仲から響くが……腹よりマシ。
左腕。
こちらはどちらよりもマシだ。
ならば起点にするのは左手だ。
左手を地面に付き、自分の上半身を支える力を送る。
そしてそのまま自分の体を持ち上げる。
「う、ぎぎ……!」
少し持ち上がる度に全身から悲鳴が上がるが、動く事が出来ない恐怖に比べれば何一つとして問題ではない。
後、もう少しで上半身が持ち上がる。
そのタイミングで
「あ……」
声が聞こえた。
直ぐに女の甲高さであると気付いたが、その前に瞳が声の方向を向く。
一言で言えば可憐な少女だった。
絹のような黒髪は当然のように美しさを誇示し、顔はまるで作り物を超えた儚さを持っている。
頭からは柔らかそうな耳が出ていて庇護欲まで誘ってくる。
その癖、体は抱きしめたらそのまま砕け散るような脆弱さしか持ってないのではないかと感じてしまう。
これを可憐と言わず何を可憐と称する。
そんな少女が水が入った桶を片手に、布などを持っているように見えたが、その後に見えたのは天井の光景であった。
唐突に表れた少女に注目したせいで腕に対する見極めを判断できなかったのだ。
何の受け身も出来ないまま背が地面に激突する。
地面に割には柔らかく感じたが、その衝撃は十分に激痛の火種になった。
「あ、が、ぎぃ……………!?」
全身に素敵なくらいに混ぜられた痛みが迸るが、逆にもう痛過ぎて何が何だが処理不能だ。
実にのたうち回りたいが、それを止める手があった。
「駄目です! 傷口に障ります……!」
痛みに反応して暴れようとする体を少女は一切諦める事なく抑える。
力なんて概念とかけ離れているような体で必死にこっちの体を痛みから守ろうとしてくれている。
その献身に意識が冷める。
自分は今、起きなくても大丈夫なのだ、と勝手に思ったお陰か、激痛に耐えようとする意識が生まれ、やがて落ち着く。
そして最後には息を荒げる男女の図が残った。
「はぁ……」
息を落ち着かせようとする少女を見て、自分も改めて彼女を見る。
美しい少女である事は既に分かっている。
問題は
「きぃみ、は……」
掠れた声で疑問を告げる。
そう、最大の疑問は少女が誰なのか、という事だ。
残念ながら自分には本当に一切の見覚えが無い。
少なくとも自分に敵意や悪意を抱いている人間というわけではない事は察している。
その事に気付いていないのか、少女は笑みを浮かべ、胸に手を当てながら
「安心してください。私は貴方を害する者ではありません」
それはもう大体分かってはいるのだが、言葉を放つにも体力を使う身としてはどうすればもっと上手い事聞き出せるか、と思っていると今度こそこちらの言いたい事を察したらしい。
すると少女はあからさまにどうしたらいいか、という風に考えている。
話す事が出来ないのか。
普通なら警戒に値する態度なのだが、全く警戒心を抱かない。
前提となる敵意や悪意というものを全くと言って良いほどこちらに向けていないからだ。
こちら側が少し不安になるくらい自分を警戒していない。
まぁ、そうは言ってもこっち側も何かをしようとしても何も出来ない体なのだが。
ともあれ彼女がどうするかを見守っていると、少女はうん、と一人納得したような顔をすると
「ルサミアと申します」
ルサミア
その単語を口と脳内で転がす。
叶うのならば言葉にしたかったが、そんな余裕が無い。
だけど、やっぱり聞き覚えが無い名前だった。
その事がこちらの顔にも出ていたのだろう。
少女はえ? という顔を浮かべるが、しかし直ぐに少女は逆に
「そうですか」
と嬉しそうな顔をされてしまった。
…………よく分からない
名前を知らない事が喜ばれる事例など余り聞いた事はないのだが、しかしそういう事もあるのだろうとは思い、今はとりあえず置いといた。
何故ならもっと聞きたい事があるからだ。
「こ、こ……」
「……? あ、場所の事ですか。えっと……とりあえずここは安全な場所です。敵意や悪意を抱かなければ何も起きません」
説明がやけに曖昧で大雑把だが、根底にはどう説明したものか、という調子だ。
ならば、これに関しては仕方がないのだろう。
それに自分が
「じ、じぶ、んは……な、な、んで…………」
その疑問に、今度こそ少女は困惑の顔を浮かべた。
「え……? えっと、それは……」
少女の反応に噓を感じれない。
少女は本当に心の底から、それは貴方が知っているのでは、という疑問を抱いていた。
知らない。
そんなの知るわけがない。
大体、そもそも
「じ、ぶ…………は……だ、れぇだ…………?」
他人の事所か、自分についての記憶が一切ない。
自分の経歴も……名前すら思い出せない。
白紙を見たような気分だ。
自分の人生が書かれているはずの紙が白紙である示され、固まる感じ。
何か自分の事で書きたいのに、何一つ書けなくてお終い。
とてつもなくぞっとした。
「え……?」
少女もまたこれまでの中で最上級の驚きを身に宿している。
最初こそ理解が追い付いていなかったが、徐々にこちらの言葉の意味を悟り、顔色が青白くなる。
その後にどうすれば、という想いを抱いたような表情を浮かべ
「ちょ、ちょっとお待ちくださいっ」
ルサミア……さん? が唐突に立ち上がって部屋から出ていく。
足音の大きさすら気にせずに走っていく姿を見ると逆に冷静になってしまう。
待ってくださいって言われても動けないから待つしかないのである。
そうこう頭の中でどうでもいい事を思っていると少女は直ぐに帰ってきた。
手に手鏡とは違う、普通に大きな鏡を持って。
ああ、成程……
少女の意図を自分も直ぐに理解した。
ならば再び起き上がるべきか、と思うが、それよりも早く少女がこちらに駆け寄って、鏡に自分の顔が映るように調整して────そして自分も見た。
鏡に映る自分は黒髪をぼさぼさにしており、黒目の瞳で真剣に鏡に映っている自分を見ていた。
顔立ちから察するに20代前半から後半くらいの年だと思うのだが、寝ていたせいか。無精ひげが生えて後半くらいに見えてしまう。
目つきは少し細目でそれ以外はまぁ、普通よりは少しくらい格好いいのではないか、とどうでもいい評価を下す程度であり、そして
──
全く覚えを感じない顔であった。
一切脳に刺激が送られない。
文字通り、知らない人の顔を覗き込んだかのような感想しか抱けない。
これを自分だと心が判断しない。
記憶喪失
単語としては頭の中にはあっても、その単語に陥った場合を知らない自分は背筋に冷たい汗が流れるのを実感した。
名も経歴も無い肉体のみしか所有物を持っていない謎の男。
これが鏡の中の自分が記憶を失って最初に己に刻んだ冷や汗であった。
反省はしている。けど後悔はしたくない。
だから、最初はこの一言だけを。
楽しんでいただければ幸いです!!
他の作品みたいに長文ではなくこれくらいの文字数を平均にして書いて即座に投稿出来たらと思います。
感想・評価など宜しくお願い致します。