怨霊の話   作:林屋まつり

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九話

 

 快晴、風もなく心地の良い陽気。……それを確認し、トゥルーデは胸を張る。

「では、今日は山に行くぞっ」

「へー」

 綿入れに包まれたままエーリカはぐったりと応じる。トゥルーデは眉根を寄せて「それを脱げっ」

「えー、無理ー」

「ウィッチ、……いえ、軍人たる者、ちゃんと体力はつけないとだめよ。

 それに、鉄蛇との戦闘も控えているのだし、体を鈍らせるわけにはいかないわ」

 基地では常に訓練として体を動かしている。有事の際、すぐに万全の状態で動けるように、日頃から体は動かしておかなければいけない。いくら平穏だったとしてもそれに甘んじで体を鈍らせ、いざというときに動けないようでは軍人として失格だ。

 ゆえに告げるミーナにエーリカはしぶしぶ綿入れを脱いだ。

「サーニャ、たくさん歩くみたいだけど辛くなったらすぐに言うんだぞ」

「うん、……その時は豊浦さんに負ぶってもらうから、大丈夫よ」

「う、…………む、むむむっ」

「エイラ?」

 難しい表情のエイラ。困ったように覗き込むサーニャ。エイラは頷いて、

「だめだ、サーニャは私がおんぶしていく」

「エイラさん。それは難しいと思うよ。

 山道はただでさえでこぼこもたくさんあるから」

 地元の山に慣れている芳佳もサーニャを負ぶって歩ける自信はない。体力的な問題もあるが、何より同じくらいの体格の人ひとり背負って歩くのはバランスを取るのも難しい。ろくに舗装されていない山道ならなおさらだ。

「うー」

 といっても、サーニャが豊浦におんぶしてもらおう。それはつまり、…………それ以上の事を考えそうになり、エイラは慌てて首を横に振る。

「やあ、集まって、……エイラ君、僕、なにかしたかい?」

 豊浦は壮絶な目で睨まれて首をかしげた。

「あの、豊浦さん。それは?」

「ああ、」豊浦は猟銃を示して「ほら、山といえば、狩りだから」

「しないよっ! ねっ、バルクホルンさんっ」

「そ、そうだな」

「そっか、あ、けど、釣りくらいはする?」

「そうだな。……宮藤、山川、魚を釣れる場所はあるか?」

「小川ならあります。そこなら、釣れると思います」

「釣りですわね。それで、竿は?」

 ペリーヌの問いに豊浦は鉈を示す。

「…………竿?」

「現地調達は基本だよ」

「…………そうですか」

「はいはい、じゃあみんな、準備はできた?」

 ぱんっ、と手を叩いてミーナが問いかける。ルッキーニは笑顔で虫かごを掲げる。

「問題なしっ」

「準備、それなの?」

「ま、食い物をもっていけば何とかなるだろ。……それとも、それも現地調達か?」

「魚の塩焼きくらいならね。それ以上は、……芳佳君に猟銃を取り上げられたねえ」

「それでいいのっ、シャーリーさんも、お弁当はおにぎり作ったから、ね、リーネちゃん」

「うんっ」

「それじゃあ、先頭を宮藤さんと山川さん。一番後ろは、豊浦さん。お願いしていいかしら?」

 ミーナの問いにそれぞれ頷く。芳佳と美千子は、とりあえず一番近く、五百メートル程度の山頂を目指す事にする。これなら問題はないだろうから。

 一度山頂に向かって、下りるときに近くの小川で休憩。食事もその時で、と。美千子と確認し合い。頷きあう。

「決まったみたいだな。

 それでは、行くぞっ」

「おーっ!」

 ルッキーニは笑顔で手を振り上げ、シャーリーも楽しそうに歩き出す。その後ろを肩を落としてエーリカが続き、カメラを提げたエイラと興味深そうにあたりを見ながらサーニャが続く。

 そして、……不意に芳佳は振り向く。

「あ、熊がいたらいきなり大声を上げて逃げないで、静かにじっとしていてくださいね」

 その言葉を聞いて、ペリーヌは逃げ出した。

 

「どうして、……どうしてわたくしがこんな魔境探索をしなくてはなりませんのー」

「魔境じゃないよお」

 ペリーヌの横を歩くリーネは苦笑。

「うう、熊とか出たら、……どうすれば」

「歌いながら歩くと熊は出ないらしいよ」

「ミーナさんっ、お願いしますっ」

「歌いながら歩きたくないわよ」

 ちょっと楽しそうだな、と思ったが、柄じゃない、と拒否。

「まあ、じゃあ仕方ないね。

 熊よけの鈴でもつけようか。ペリーヌ君。ちょっと止まって」

「はい」

 止まる、と豊浦はペリーヌのリュックに大きな鈴をつける。軽く振ってみると、かろんかろん、と音。

「ふふ、面白い音だね」

「そうですわね。これで、熊は出ませんの?」

「うん。……まあ、一応ね。さすがに野生動物相手に絶対は言えないよ」

 一応、というところで抗議しようとしたが、確かに相手が野生動物では仕方ない。ペリーヌはしぶしぶ頷く。

 そして歩き出す。歩を進めるたびにかろんかろん、と音が鳴る。

「何の音?」

 エーリカが振り返って問いかける。「迷子にならないように鈴の音だよ」と豊浦。

「あー、ペリーヌ迷子になりそうだし」

「なぜですのっ?」

 なぜか納得するエーリカに怒鳴る。エーリカはにやあ、と笑って、

「でっかい虫とか出たらさ、パニックになってどこか適当なところに逃げ出しそうじゃん?」

「うぐっ?」

 そのことを想像し、そうかもしれません、と納得してしまったペリーヌは言葉を噤む。

「でっかい虫っ? 見つけたっ?」

 そして、ひょい、と飛び出すルッキーニ。「見つけてませんわ」と、ペリーヌはひらひらと手を振って応じる。

「ん? その音はなに?」

「鈴ですわ。熊とか怖い動物が寄ってこないようにするための」

「へーっ、おもしろーいっ!

 ペリーヌっ、あたしも欲しいっ」

「ルッキーニ君もつける?」

 豊浦は鈴を取り出す。かろんっ、と音。

「うんっ」

 豊浦はルッキーニのリュックにも鈴を括り付ける。ルッキーニは上機嫌に飛び跳ね、そのたびにかろん、と音が鳴る。「ありがとっ」と、シャーリーのところへ。

「シャーリーっ、鈴もらったーっ」

「え? それくれたのか?」

「ちょっと、ルッキーニさんっ! もらったわけではありませんわよっ!」

「ああ、いいよそのくらいは。大したものでもないしね。

 ペリーヌ君も、よければそれあげるよ?」

「そ、そう、……では、いただきますわ」

 ペリーヌは嬉しそうに応じる。リーネ笑顔で「よかったね。ペリーヌさん」

「え、ええ、あの子たちも、喜んでくれそうですわね」

 あの子たち、……ペリーヌが預かっている孤児たちだろう。リーネとも交流がある。家族を失い、それでも暗い様子もなく、ペリーヌたちと懸命に生きる子供たち。

「うん、きっと喜んでくれるよ」

「お土産?」

「そうなの、ペリーヌさん。孤児を引き取って面倒を見てるの」

「そうなんだ。ペリーヌ君は偉いね」

 感嘆する豊浦。ペリーヌは視線を背けて「ま、まあ、これも領主としての義務ですわ。別に驚かれるようなことでもありませんわよ」

「それでも偉いよ。ペリーヌ君は頑張ってるんだね」

 ぽん、と。

「ふ、……あ、」撫でられて、じわじわと顔が赤くなって「ちょ、やめなさいっ」

 振り払った。豊浦は笑って「ああ、ごめんね」

「ま、まったくっ、小さい子供じゃないのですのよっ! やめっ、やめなさいっ! やめてっ!」

 しつこく撫でる豊浦を相手に悪戦苦闘するペリーヌ。豊浦はけらけら笑って手を放す。

「むーっ、……もうっ、意地悪な人ですわねっ」

「いやあ、僕も年寄りでねえ」

「まったくっ!」

 ペリーヌはそっぽを向いて歩き出す。「リーネ君?」

「あ、……あ、ご、ごめんなさいっ?」

「なにが? まあ、ほら、急がないと置いていかれるよ」

「はいっ」

 

「うがー、つーかーれーたー。こたつー」

 ぐったりと歩くエーリカ。トゥルーデは彼女の手を引っ張って歩く。

「そろそろ休憩にしますか?」

 美千子は苦笑して振り返る。トゥルーデは振り返る。

 大仰に肩を落とすエーリカはともかく、ペリーヌやリーネ、サーニャ、エイラにも疲れが見える。

「そうだな」

 慣れない山道を歩きっぱなしだったし、一息つくのもいいか、とトゥルーデは頷く。

「みなさーん、休憩にしますよーっ!」

 それを聞いて芳佳は手を振る。ほっと、安堵の声。

「さて、それじゃあ芳佳君、美千子君、茣蓙を広げるから手伝って」

「ござー?」

 疑問なのかよくわからない声を出すエーリカ。

「まあ、簡単な畳だよ。と」

 ばさっ、と茣蓙を広げる。「レジャーシートさえも草」と、慄くペリーヌ。

「……それにしても、山川と宮藤は元気だな」

 トゥルーデもかすかに疲れを感じて一息。腰を下ろす。男性の豊浦はともかく、芳佳と美千子にも疲れた様子は見られない。

「慣れていますから」

「そうか、…………むう」

 芳佳はともかく、美千子は一般の女学生だ。その彼女より体力がないような気がしてトゥルーデは難しい表情。

「あー、つーかーれーたーっ」

 ごろん、とエーリカとエイラはそろって寝転がろうと倒れ、頭をぶつけて悶絶。「なにやってるんだお前らは?」と、トゥルーデ。

「ええと、……豊浦さんは山家よね?

 いつもこういうところで暮らしているの?」

「そうだよ。まあ、茣蓙なんて上等なものは滅多に持ち込まないから、葉っぱ集めて寝転がることが多いけどね」

「葉っぱ?」

「荷物は少ない方がいいからね」

「まあ、確かにかさばるよねー」

 ごろごろ寝転がるエーリカ。

「そういう事」

「あの、豊浦さん。聞いていい?」

 不意に、芳佳が手を上げた。「なにかな?」

「あの、…………どうして、山で暮らしているの?」

 問いにくそうに、口を開く芳佳。

 平地で暮らした方がずっと楽だろう。豊浦にそれが出来ないとは思えない。

 けど、それでも、不便な山で暮らす理由。もしかしたら、

 …………もしかしたら、聞いては悪いことかもしれない。平地にいられないような、辛い事情があるかもしれない。けど、

「ん、ただの好奇心だよ」

 あっさりと、応じた。

「豊浦は物好きな奴だなー」

 エーリカと寝転がる場所の取り合いを演じていたエイラがごろんと転がって告げる。否定できない。

「あの、どんなことに興味があったのですか?」

「そうだね。さっきの、芳佳君の問いかな。

 山家は僕だけじゃない。だから、わざわざ山で暮らす人の話を聞いてみたかったんだ」

 豊浦の答えに、そこにいる少女たちは興味の視線を向ける。

「大まかに二種類。一つは資源のためだね」

「資源?」

「そ、木材、鉱物資源、……あとは、川魚、狩猟目的、…………マタギはまだいるのかな?

 ともかくそういう人たちだよ。まだ開拓されていない場所、知られていない資源を探すために、奥地を目指して山に分け入った人たち。……当然、すぐに入って戻ってこれるような場所にはもう手が付けられているから、すぐには戻ってこれない奥地に進むためには山で暮らす必要があるからね。

 そして、鉱脈を見つけて独占できれば莫大な富に繋がる。狩猟で得た食肉は平地の人にしてみれば珍しいごちそうだからね。危険だけど、それに見合う価値があるんだ。

 それと、もう一つは悪人かな」

「悪人?」

「そ、殺人、強盗とかして平地にいられなくなった人、山に隠れて暮らすしかできない罪人。…………それと、そうだねえ」

 不意に、豊浦は意地悪く笑う。

「芳佳君みたいな、かな」

「わ、私っ?」

「芳佳ちゃんは悪い人じゃないですっ」

 反射的に立ち上がるリーネ。その視線には強い憤り。

 そして、彼女の友人たちも非難の視線を向け、豊浦は苦笑。

「自分の理想を貫くために権力者に刃向かい。けど、敗北して追放された《もの》たち。

 正しい、を執行する者たちに自分の正しさをもって相対し、敗北して悪人とされた《もの》。……さて、規則をよく破っていた芳佳君は、こういう人じゃないのかな?」

「心当たりがありすぎるわね」

 ミーナは同意。そして、納得。

 軍部でも反逆罪という言葉がある。自分の信じる正義のために上に反逆する者。それは確かに上層部から見れば悪人になるのだろう。けど、

 ミーナは、不意に、困った現実に思い至り頭を抱える。シャーリーは大笑い。

「それじゃあ、私たちの部隊は悪人だらけだなっ」

「ちょっとっ、わたくしまで巻き込まないでくださいますっ?」「わ、私もー?」「私もかっ?」

 心外なペリーヌとリーネとトゥルーデが抗議の声。「サーニャもか?」

 自分はいい、命令を真面目に聞いているとは思っていないのだから。

 けど、大切な少女まで悪人呼ばわりされてむくれるエイラ。サーニャは微笑。

「まだ、そういう事はしてないかもしれないけど。……けど、」

 いたずらっぽく、エイラに笑いかけて、

「大切な人のためなら、私も悪い人になっちゃう、かも」

「う。……ま、まあ、サーニャがそれでいいなら、いいけどさ」

 そんな微笑にエイラは頬を染めてそっぽを向く。

「なに照れてんの」

「照れてないっ」

 にやにや笑うエーリカにエイラは怒鳴る。けど、

「それは、辛いよね」

 自分の貫きたい理想。けど、そのために悪と呼ばれて追放されたこと。

 以前、《STRIKE WITCHES》が解散させられ、故郷に戻された時の事を思い、ぽつり、リーネは呟いた。

「そうだね。……だから、山には怨霊も出るんだ。理想を踏みにじられ、居場所から追放された《もの》が、追放した者への怨みを抱えて、山に行き、山に隠れ、山で死ぬ。

 その怨みがこの昏い山には堆積しているんだよ」

「うっ」

 怨霊の実在は信じられない。けど、豊浦のいう事に妙なリアリティを感じてリーネは小さく震える。

「あう、あう、あううう」

 ルッキーニはシャーリーの後ろで震える。シャーリーは彼女を撫でながら「あ、あんまり、こ、怖いこと、いうなよ、な」

 思わず下りる沈黙。豊浦は苦笑。

「ま、そういう人たちもいるっていう事。悪人には悪人なりの事情もあるから、ね? 可愛い悪人さん」

 笑って芳佳を撫でる。……確かに、豊浦の最後に語った悪人には共感できる。というか、自分もそうだっていう自覚はある。

 けど、

「あ、あんまり悪人って言わないでよ」

 そういわれるのはやっぱり、ちょっといや。唇を尖らせてそっぽを向いた。

「いやいや、ごめんごめん」

「むー」

 困ったように笑って芳佳を撫でる豊浦。ふと、リーネはそんな彼を見て、思い出したこと。

 彼は自分の事を魔縁といっていた。怨霊のようなものだ、と。

 なら、

「豊浦さん、も?」

「ん?」

「…………あ、ごめんなさい、なんでもない、です」

 小さな、小さな呟き、問い返した彼にリーネは首を横に振る。

 聞いてみたい、と思った。けど、それは彼の辛い過去を引き出すことになる。興味本位で聞いていいことじゃない。

 だからリーネは言葉を濁し、視線を背けて追及を避けた。

 


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