怨霊の話   作:林屋まつり

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七話

 

「あの、お手柔らかにお願いします」

「ふふ、ふふふふふ」

 深々と頭を下げる芳佳に悪い微笑を向けてミーナは宮藤診療所へ。

「それじゃあ行こうか。……ええと、どこか、行きたい場所ある?」

「そうですわね。生活必需品が売っているお店がいいですわ」

「はいっ」

「あの、食材、お野菜とか売ってるお店はありますか? 扶桑皇国のお料理、お勉強したいです」

 むんっ、と拳を握るリーネ。美千子は目を見開いて、

「すごい、リーネさん。お料理もできるんですね。ウィッチなのに凄いですっ」

「えへへ、……けど、芳佳ちゃんの方が凄いよ」

「わ、私はずっとお家で作ってたから」

 ウィッチになるなんて考えてもいなかったころ。当たり前のように家事をしていた。その経験がある。

「リーネ君。食材なら山にいくらでもあるよ。

 釣り、狩り、食べられる野草の採取とかね」

「それは難易度高すぎますっ」

「釣りっ! 豊浦っ、あたしもやってみたいっ」

 ルッキーニが手を上げる。

「そう、それじゃあやってみようか」

「いやったあっ」

「いいけど、竿とかあるのか?」

 シャーリーは首をかしげる。さすがに持ってきていない。豊浦は頷く。

「大丈夫。鉈と針はあるから」

「え? 竿も現地調達?」

「シャーリーも釣りをしてみてはどうだ? 少しは落ち着くんじゃないか」

 トゥルーデは横目で見て笑う。「む」と、シャーリー。

「山なんて入りたくありませんわ。虫が出たらどうするんですの?」

 考えたくもない、とペリーヌ。

「ペリーヌさん、虫とか苦手だよね」

 いつかの、小さなネウロイが基地に紛れ込んだ時のことを思い出す。虫が苦手なペリーヌ。そして、

「虫っ? かっちょいい虫もいるっ?」

「もちろん、巨大な蜘蛛もいるよ」

「蜘蛛ーっ!」

「ひっ、い、いいですのルッキーニさんっ、蜘蛛を家の中に持ってきたら承知しませんからねっ! いいですねっ!」

「えーっ?」

 ルッキーニは頬を膨らませてエーリカに視線を送る。

「いやあ、私も蜘蛛はさすがに勘弁」

「えーっ? 芳佳はいいよねっ?」

「へっ? え、ええと、……お、大きいのは、ちょっと勘弁してほしいな」

「こらこら、蜘蛛は益虫だよ。あんまり無碍にしてはいけないよ」

「益虫?」

 ペリーヌは首をかしげる。豊浦は頷いて「害虫を食べてくれるありがたい虫だよ」

「あ、そうなんですよね。

 近所の農家さんも蜘蛛は悪い虫を食べてくれるありがたい虫だから大切にしろ、って言っていました」

 美千子も頷く。「むむ」とペリーヌ。知らなかった。

 思い出すのは領内の農園。そこで働く農家の皆も知っているのだろうか、という事。

 害虫の被害については聞いてる。貴族として領民の声は常に意識している。その話の範囲では、害虫の対策は被覆による虫除けくらいだったか。

「ちょっと、後でそのあたりの話聞かせてくださいませんの?」

「あれ? ツンツン眼鏡、虫嫌いじゃなかったっけ?」

 不思議そうなエイラにペリーヌは「嫌いですわよ」と応じ、

「けど、領内の農家に有益な知識を持ち帰るのは、吝かではありませんわ」

「領内?」

 首をかしげる豊浦に美千子は胸を張って「ペリーヌ中尉はウィッチであると同時に、ガリアの貴族でもあるんだよ」

「そうなんだ。ペリーヌ君は真面目なんだね」

「と、当然ですわっ」

 感嘆の表情を浮かべる豊浦にペリーヌは胸を張って応じる。それこそ貴族の義務であるのだから。

「やったっ、ペリーヌから許可出たっ!

 豊浦っ! でーっかい蜘蛛を捕まえてこようっ!」

「そうだね」

「実物はいりませんわよっ!」

 手を広げるルッキーニと、なぜか乗り気な豊浦にペリーヌは大声で応じた。

「そういえば、宮藤、山川。二人は周囲の山に詳しいか?」

「え? はい、よく遊んでいました」

 地元の山だ。幼いころはよく二人で駆けまわっていた。今も薬草や山菜を取りに入っている。

「そうか、……では、明日は二人の案内で強歩登山を行う」

「「えーーっ!」」

 エイラとエーリカから悲鳴が上がった。

「ミーナとも話したが、カールスラント軍人たるもの、たとえウィッチであっても体力は必要だっ!」

「いや、私、カールスラント軍人じゃないし」

 エイラはそっぽを向く。

「揚げ足を取るなっ! ともかく、こんな訓練ができる機会はほとんどない。

 つべこべ言わずにやるぞっ」

「うえー」「山登りとかやりたくないよー」

「うう、……む、虫は出ませんわよね? ね、宮藤さんっ? 虫とかいませんわよねっ?」

「え? たくさんいますよ」

「わたくし、辞退しますわ」

「山かっ、くぅー、冒険家の血が騒ぐーっ」

「いや、シャーリーいつから冒険家になったの?」

 拳を握ってテンションを上げるシャーリーにルッキーニは首をかしげる。

「や、山に入るの。……えと、芳佳ちゃん。大丈夫?」

 不安そうなリーネに芳佳は微笑。

「大丈夫だよ。リーネちゃん。怖いところなんてないからねっ」

「滝つぼに落下しそうになった芳佳君が言うと説得力がないね」

 リーネは芳佳の微笑に笑い返そうとしたが、固まった。

「あ、あれは仔犬を助けようとしてっ、それでですっ!」

「まあ、僕も入るし何かあったら、……それなりに頑張ってみるよ」

「豊浦は山にも慣れているのか?」

「うん、五百年くらいは山をうろうろしてたから」

「…………ま、まあ、慣れているのだな」

 とりあえず聞き流す。

「それに、ええと、……空を飛ぶんだよね。

 それなら、山とか、森に墜落した場合の事を考えて、ある程度慣れておくのは必要だと思うよ」

「そういう事だ。いいか? これはウィッチとして必要な訓練だ。虫が出るからだの面倒だからだのそんな理由でさぼる事は許さんっ」

「あ、それとハルトマン君。あの家に炬燵出しておいたよ」

「トゥルーデ。私、炬燵と合体するから無理」

「無理じゃないっ! 豊浦っ、炬燵は解体だっ」

「「「「えーっ」」」」

「えーじゃないっ!」

 

「ここが、今やってる一番大きいお店だよ」

 デパートに到着。その道中、美千子のいう意味は分かった。

 多くの店が閉まっている。生活が維持できる最低限の営業という形だ。

 そして、その理由もわかる。

「ま、しょーがないよな」

 いろいろな店が見れなくて膨れているルッキーニの頭を撫でながら、シャーリーは呟く。

 封印されている。とはいえ、すぐ近くに大型のネウロイがいるのだ。むしろ、この店が開いていることが驚きだ。

「いらっしゃいませ。……あっ、ウィッチの皆さまっ」

 商品を並べていた店員が笑顔で挨拶をし、すぐに驚いた表情で声を上げた。ほどなく、

「わっ」

 美千子が驚いたように声を上げる。芳佳も困ったような表情。店員の声を皮切りに一斉に人が集まってきた。

「わっ、写真で見るよりずっときれいっ」「可愛いっ!」「横須賀市をよろしくお願いしますっ!」「頑張ってくださいっ!」

 客も集まって声。歓迎と好意は嬉しいけど、

 人が集まれば動けなくなる。どうしようかな、と芳佳が思い始めたところで、

「皆さまが困っています。仕事に戻りなさい」

 奥から声。恰幅のいい男性が声をかけ、集まっていた人だかりは散会していく。

「すいません。皆様の勇名はよく聞いていますので、一目会いたいという人が多くて」

「あ、いえ、大丈夫です」

 ぺこり、丁寧に頭を下げられ芳佳は軽く手を振る、彼は目を細める。

「私はここの店主をしている者です。皆様の事は聞いています。生活に不便がないよう、ぎりぎりまで歓迎させていただきますので、いつでもお越しください。必要なものがあればいつでもお届けします」

「はい、ありがとうございます」

 普通に考えれば、すぐ近くにとてつもない危険が存在するのだ。一刻も早く逃げ出したいだろう。

 けど、それでも不備がないように支えてくれる。その好意がうれしくて芳佳は笑顔で応じる。だから、私に出来る事。

「代わりに、ここは絶対に守ります」

 ウィッチとして出来ること。ここを守る。その覚悟を告げる。……そして、その言葉に、

「いえ、それは不要です」

 困ったような、否定の言葉。芳佳は予想外の言葉に動きを止める。

「私たちは開戦時にはすぐに避難します。横須賀市は無人になります。その準備はすでに進めています。

 なので、ウィッチの皆さまにはここを守る事より、扶桑皇国の脅威の撃滅と、何より、皆さまが生き残れることを第一として行動してください」

「なに、家が壊れたらまた建て直せばいいんだっ、だから気にするなっ」

「壊れて困るようなものはさっさと持ち出して逃げてるから、遠慮はいらないよっ」

「町より貴女たちの命の方がずっと大切なんだから、パーッとやっちゃいなさいっ!」

 店主の声と、それに重なりここに暮らす人たちの声。

 大切な家がある。思い出の詰まった町がある。

 けど、それよりなにより、貴女たちの命が大切だと。そういってくれた。

 だから、

「はいっ、ありがとうございますっ」

 

 宮藤診療所。ミーナは出迎えた清佳に会釈。

「お時間を取っていただき、ありがとうございます」

「いいんですよ。それに、娘がお世話になっている人ですから」

「いえ、宮藤さんには私たちもたくさん助けられてもらっています」

 謹直に応じるミーナに清佳は好ましそうに目を細める。そのまま居間へ。

 畳に腰を降ろし、清佳は一度奥へ。ほどなくお茶と茶菓子を持って戻ってきた。

「どうぞ、緑茶です。お口に合えばよいのですが」

「ありがとうございます」

 芳佳や美緒がよく淹れてくれた。だから、抵抗はない。

「それにしても驚きました。欧州の医学校に留学したと思ったら、まさか軍人として戻ってきたのですから」

「あ、……えーと、すいません」

 そのあたりの事情は美緒から聞いている。あのあと、勢いで《STRIKE WITCHES》再結成としてしまったが、芳佳には留学の道も提示した。

 けど、

「いいんですよ。それがあの娘の選択したことですから」

 娘が自ら歩むべき道を選択し、そこに向かって歩き続けること。その姿を誇らしいと、嬉しそうに母は語る。

「私の方こそ、ミーナさん。

 無茶ばっかりして、我侭な娘ですが、よろしくお願いします」

「我侭、という事はないのですが」

「あら? 自分がやろうと決めたことのためなら規則を無視して突っ走るのは、我侭ではないかしら?」

「……そうかもしれませんね」

 ミーナは困ったように応じる。けど、

「はい、わかりました。

 宮藤さんは、お任せください。…………出来る範囲でですが」

「ええ、それで構いません」

 何せ命令違反上等の娘だ。そうでなくても彼女が舞う空は戦場。いくらミーナでも安全を保障しますとは言えない。

 それに、必要ない、だって、

「それも、娘の決めたことですから」

「…………はい」

 自分の娘が戦場にいる。それがどれだけ心配なことか、子のいないミーナにはわからない。

 けど、…………思い出す、芳佳の母親。宮藤一郎。戦火に遭い死亡した、彼女の夫。

 愛する人が死ぬ悲しみはわかる。夫が死亡したと聞いたとき、彼女はどれだけ嘆いただろうか? それでも、戦場に飛び出そうとする娘を、彼女がそう決めたのだからと送り出す。……自分にそんな強さはあるだろうか?

 否、と。かつて愛する人を喪い。その事を思い悩みすぎてウィッチたちに異性との接触を最低限にするよう厳命した自分に、清佳のような決断ができるとは思えない。

 強い、と思う。あるい二十歳前の小娘が一人の少女を育てた母と比較すること自体、おこがましいのかもしれない。

「それと、清佳さん。もう一つお聞きしたことがあります。

 豊浦さんの事ですが」

「ああ、……山家ですね」

「……その、サンカ。とはどのような職業なのですか?」

「正確には職業というわけではありません。家を持ってそこを拠点に暮らすのではなく、山々を渡り歩く、山そのものを拠点とする非定住者。……ですね。

 私も、まだ子供のころはたまにこの村に来るのを見かけていました。よく川魚や山菜、狩猟で得たイノシシとお米や野菜を交換したり、大工仕事や農具の修理をしてくれていました。それで、そうした一時的な交流をした後はすぐに山に戻っていました。

 最近ではほとんど見かけないので、いなくなったと思ったのですが」

「そうですか」

 確かに、豊浦の言っていたことと大体一致する。

「それで、豊浦さん個人ですが。……ええと、個人的な印象ではいい人です。

 横須賀海軍基地への鉄蛇の襲撃をどのように予見したかはわかりませんが、襲撃の際も横須賀海軍基地に踏み込んで避難を助け、鉄蛇の封印後は薬草を頂いたり、治療を手伝ってもらったり、市街地の混乱を治めるために奔走したりといろいろ助けてもらいましたから」

「そのようですね」

 頷く。淳三郎は豊浦に感謝をしていた。清佳の言葉も嘘はないだろう。

 ただ、

「あの、封印は、魔法だと思いますか?」

「…………難しいですね」

 清佳も魔法についての知識はある。魔導エンジンの権威である夫がいて、自身も魔法を使い治療にあたっているのだから。

 けど、それでも、

「難しい、ですか?」

 否定でも肯定でもない返答。それしかできない。

「はい。……少し話が脱線しますが、構いませんか?」

「もちろんです」

「では、……扶桑皇国の歴史に、陰陽寮、というものが存在します。天文観測や占術をしていたと記録されていますが、扶桑皇国のウィッチの間では、魔法の研究をしていたのではないか、と言われています」

「陰陽、……確か、豊浦さんが使う魔法がそのような体系といっていたわ。……あ、ええと、魔法かは解らないけど」

「その陰陽寮は、七世紀後半、七百年ごろに作られたと歴史書には記されているのよ」

「七百、年。……扶桑皇国では千年以上前から魔法の研究を?」

 桁が違う、と。ミーナは内心で呟く。

「ミーナさん、何度も言うようだけどその陰陽が魔法とは限りません。私たちのいう魔法とはまったく別物の可能性もあります。

 あるいは、原理は一緒かもしれませんけど、長い研究の末まったく別の、私たちの魔法とはかけ離れた技術になっているのかもしれません」

 だから、難しい、判断できない、と清佳は申し訳なさそうに締めくくる。

「わかりました。ありがとうございます」

「いえ、協力できなくてごめんなさい」

 ともかく、豊浦について害はなさそうだ。

「ミーナさんから、豊浦さんの印象については?」

「穏やかな青年、という印象です。今のところいくつか不審な点はあっても、悪い人には見えません」

 あの警戒心の強いサーニャも言葉を交わしていた。悪い人とは思えない。

 けど、

「不審? ……ああ、怨霊とか」

「あれはどの程度本気で言っているのか」

 ミーナは溜息。清佳は苦笑。

「まあ、皆さん、冗談として受け流しているようですから」

「はい」

 それが基本ね、と。ミーナ。けど、

「とはいえ、ネウロイを封印した、という実績やその出現を予知した点は十分に評価できることです。

 可能なら、欧州に来て欲しいくらいです」

「そうですね」

 とはいえ、当人の希望もあるし欧州でも扱いかねるだろう。それに、扶桑皇国が簡単に手放すかは分からない。

 だから「希望ですけどね」とミーナは念押しし、お茶を一口飲んだ。

 


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