怨霊の話   作:林屋まつり

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四十七話

 

「さあ夕食だっ、みんなっ、好きなだけ食べて食べてっ」

 広間に案内され、妙に嬉しそうな酒呑。そして、彼女たちは動きを止めた。

「……………………す、……凄い」

 長い、大きなテーブルに乗せられた数々の料理。鍋やお刺身など、扶桑皇国らしい丁寧に作りこまれた料理が並べられている。

 が、それより、何より目を引くのは。

「酒?」

「そうだよっ、現代の英雄たちが遊びに来てくれるんだからねっ」

 料理の間に並ぶ数々の酒瓶。どや顔の酒呑。

「というか、こんなに飲めませんわよ」

 ペリーヌは苦笑。ざっと見ても一人三本は飲むことになりそうだ。

「ペリーヌ君、君は鬼の歓待を甘く見ているね」

 豊浦が重々しく告げる。「どういうことですの?」と、ペリーヌ。

 豊浦は黙って襖を開ける。隣の部屋。

「…………あー」

 酒樽が詰め込まれた部屋。

「何ですの? この、大量の酒は? 池でも作る気ですの?」

「酒池なんて無粋だよ。もちろん、みんなと一緒に飲もうって思ってねっ!

 言仁様から現代の英雄たちが遊びに来るって教えてくれたから、大急ぎで用意したんだっ! あっ、もちろん選定には手を抜いてないよ。どれもいいお酒だから遠慮せず飲んでっ」

 いつになく楽しそうな酒呑。対してペリーヌは頭を抱えた。

「飲めませんわよ」

「は?」

 楽しそうな表情が固まった。

「酒呑、彼女たちはお酒を飲めないよ」

 なんとなくこうなるだろうなと思っていた豊浦は苦笑。

「そうね。というか、法律で禁じられているわよ。ここでは、二十歳になってから、かしら?」

 ミーナの補足に酒呑は愕然とした表情で呟く。

「…………なん、……だって、…………そんな、楽しみにしてたのに」

「どうしてそんなにショックを受けるんですの?」

 ペリーヌは不思議そうな表情。酒呑は肩を落した。

「酒を飲めないなんて人生の半分を損している。

 というか、お客様、それも英雄と呼べる人たちを迎えるのに酒が飲めないなんて、本当に残念だ」

「ぐちぐち言わないでよ。ほら、さっさと出てって」

 ぼやき続ける酒呑を豊浦は追い出す。ミーナは溜息。

「ねえ、豊浦さん。ルッキーニさんとか、どう見ても飲酒してはいけない年齢なんだけど、あの人は気にしないの?」

 呆れたような表情のミーナに豊浦は重々しく頷く。

「ミーナ君。山では里の常識は通じないんだ」

「そういう問題なの?」

「彼らは酒好きだからね。何かにつけて酒を飲もうとするよ。

 お客さんが来た、なんて格好の口実だし、皆と一緒にお酒を飲むのも楽しみだっただろうからね。部屋で自棄酒でもするんじゃないかな?」

「自棄酒って、…………そういえば、豊浦さんも飲めるのよ、ね?」

 確か、数日前に天麩羅を肴にお酒を飲んだとか。

 ミーナの問いに豊浦は胸を張って「もちろん、酒呑にだって僕は負けないっ」

 なぜか胸を張る豊浦にミーナは、……不意に、くすくすと笑う。

「なに?」

 胡散臭そうに彼女を見る豊浦。対し、そんな表情も面白いのか、ミーナは楽しそうに笑って、

「ふふ、ううん。……どっちがお酒を飲めるかで張り合うなんて、なんていうか、子供っぽいっていうか」

「むう」

 笑うミーナに豊浦は眉根を寄せる。彼は頷いて、

「というわけで、お酒飲んでもいい?」

「飲みたいなら部屋で一人で飲みなさい」

 にっこりと、ミーナは鉄壁の微笑。

「むう、……じゃあ仕方ない。あとで一人で飲もうかな」

 仕方なさそうに何本かの酒瓶を確保する豊浦。……ふと、ミーナは視線を滑らせる。

 興味津々、と酒瓶を見据えるシャーリーとルッキーニ。二人が何か言いだす前に「それじゃあ、片付けましょう」

 こっそり飲んだりしかねない。そして、もし酔っぱらったら、…………ミーナはふるふると首を振り急ぎ片付け始める。他のみんなもそれに続く。

「ううん、……けど、ちょっともったいない気もしますわね」

 手の中の酒瓶を見て、ぽつり、ペリーヌが呟いた。

「な、……何を言っているの? ペリーヌさん。

 貴女、お酒を飲むという、の?」

「…………ええと、ミーナさん。

 なにか、トラウマでもあるんですの?」

 結構怖い表情のミーナに半歩引きながらペリーヌ。

「いえ、わたくしが飲むわけではなくて、お土産ですわ」

「あ、うん。そうだね。お酒もすっごく高いのもあるんだよね」

 リーネもペリーヌの言葉に頷く。商家の娘でもあるリーネは驚くほど高いお酒も知っている。

 それに、

「これ、扶桑皇国原産のお酒ですよね。

 すっごく珍しいんです」

「そうなの?」

 地元のお酒。父親を早くに喪った芳佳にはあまり縁はないが。神社のお祭りでたまに見かけていた。縁はなくても珍しいものとは思っていなかった。

「うん、家で取り扱ってる商品の目録見せてもらったことあるけど、ほとんどないんだよ。

 たまにあっても、すっごく高いものばっかりなんだ」

「そうなんだあ」

 豪商の娘であるリーネの言う凄く高い。扶桑皇国の山村出身の芳佳には想像も出来ない。

「じゃあ、お土産に持ち帰ってみる? 間違いなく扶桑皇国でも特級のお酒だよ」

「…………特級」

「それはもちろん、化外の魔が英雄を歓迎するための酒だからね。

 あ、リーネ君なら酒呑は喜んでいくらでも譲ってくれるよ。隣の部屋の樽とか」

「そ、それはいらないです」

 樽の容量は知らなくても、それがものすごい高価な事は見当がつく。思わず引くリーネに豊浦は「そっか」と微笑。

 ともかく、酒瓶を部屋の隅に片付けて、改めてみんな、思い思いの所に座る。

 それぞれの場所に座って、ミーナは一息。

「それじゃあ、いただきます」

 

 にぎやかな食事が終わり、豊浦は部屋の縁側に座り酒瓶を開ける。

 傍らには杯。夜空を見上げて、ほう、と一息。

 まあ、よかったかな、と。

 誰も口に出さなかったとしても、なんとなくわかる。自分の話を聞いて、ちゃんと、彼女たちなりに考えてくれたことは。

 それでいい、と。

 それが、たとえ自分と対決する結果になろうとも、それは、それぞれの意思で選んだ結末だ。それなら、英雄と対峙する怨霊として、真っ向から相対すればいい。

 そんな事にならなければいいな、と。そんな思考に苦笑。と、

「こんばんわー」

「ハルトマン君?」

 戸が開く。浴衣を着たエーリカ。

「どうしたの?」

「ん、お酒飲みに来た」

 彼女の言葉に豊浦は眉根を寄せる。

「飲んではだめだよ?」

「はいはい、豊浦は堅物だなー」

 頷き、けど、エーリカは部屋に入って豊浦の隣へ。

「わざわざ外で酒飲んでるんだ」

「ん、……まあね。月見酒」

「…………わ、あ」

 月見、と言われて何気なく空を見たエーリカは感嘆の声。

 満天に瞬く星と、その中心、天頂に輝く満月。

 言葉を失うエーリカに豊浦は微笑。

「月見て、月を肴に酒を飲む。これもいいんだよね。

 酒呑もこんな感じで酒飲んでるんじゃないのかな」

「肴、……そういえば、何もないね」

 縁側に視線を落とす。以前は、天麩羅を肴にしていたらしいが、今は何もない。ただ、酒瓶と杯があるだけ。

 これでいいのかもしれない。奇麗な夜景を見てなんとなく思う。

「そ、花を見て、月を見て、星を見て、それを肴に酒を飲む。いいものだよ」

「……私も、飲んでみたいな」

 いいものだよ。そう楽しそうに告げる豊浦にエーリカはぽつりと呟く。

「いつかね」

 いつか、大人になったら。

「その時は、豊浦も一緒にお酒飲んでくれる?」

 期待の混じった問い。豊浦はエーリカを撫でて、

「いいよ。…………そうだね、ハルトマン君はどっちの方が好みかな?」

「どっち?」

 問いに首を傾げる。豊浦は笑って、

「静かにゆっくり飲むのと、みんなで騒いで飲むの」

「ああ、そうだね」

 食事は雰囲気で味も随分と変わる。酒もそういうものなのかもしれない。

 どっちか、…………「今は、一人で飲みたい気分、かな」

「ハルトマン君?」

 不意に落ちた声のトーン。エーリカは視線を落として、

「……豊浦、さ。私の事、優しいって言ってくれたよね」

「思った事を言っただけだよ」

「そうじゃ、なかったよ」

 ぽつり、零れる声。

「リーネさ、豊浦の事、好きみたいなんだ」

「…………そっか」

 それは入浴中の会話。あの時、ペリーヌやエイラはそんな彼女を応援していた。

 なのに、

「私、……リーネのそんな思いを素直に喜べなかった。

 リーネは、大切な友達、……なのに」

 大切な友達の淡い思い。応援してあげるべきなのに、

「私、優しいやつじゃなかった」

 彼に褒めてもらえたのに、…………俯き、寂しそうにつぶやいた。

 けど、

「それでいいんじゃないの?」

 軽く、気楽に豊浦は応じた。

「いい、……って」

「リーネ君とハルトマン君は別人だよ。

 だから、リーネ君の思いをなんでも歓迎する必要はない。ハルトマン君はハルトマン君の思いを大切にしなさい」

「……そんなもの、かな」

「そんなものだよ」

 おずおずと問いかけるエーリカに豊浦は気楽に笑って応じる。ぽん、と頭を撫でられて、ふと、力が抜けたように肩を落とす。

「それでも、ハルトマン君にとって、リーネ君は大切な友達であることには変わらないんだよね?

 なら、それでいいと思うよ。歓迎できないなら言葉を交わしていけばいい。認められないならぶつかり合ってもいい。友達なら気にしなくていいと思うよ。拒絶して離れるくらいなら、喧嘩でもした方がいい。……ま、その結果で離れることになったら。それは僕の責任だ。どこにも行き場がなくなったらここに来ればいい。ここは誰でも受け入れてくれるからね」

 撫でられて、……それもいいかな、と。思ってしまったが。

「いらないよー、リーネは私の友達だもんっ」

 つんっ、とそっぽを向く。豊浦は微笑。「それでいいよ」

「ん、……あー、愚痴ったら気が楽になった」ひょい、とエーリカは立ち上がって「そうだ」

「ん?」

「我侭一つ聞いてくれるんだよね?」

「え? 今から? ……これから遊びに行くのは遅いと思うよ」

「…………違うよ。そーじゃなくて」

 それも面白そうだけど、それよりは、

「ねっ、豊浦。

 今から私の事、ハルトマンじゃなくてエーリカって呼んで」

「う、……ん?」

 豊浦にとってはよくわからないおねだり。けど、ミーナもそう呼んでいたしことさら気にすることではないのだろう。だから、

「わかったよ。エーリカ君。……で、いい?」

「う、……うん、あ、あはは、なんか慣れないや」

 我侭に応じたら困ったように笑うエーリカ。

「違和感あるならやめようか?」

「だめっ、これからずーっとそっちっ」

「あ、うん」

 思った以上に強硬に反対され豊浦は首を傾げるが、……まあ、いいか、と。

 ぽん、とエーリカを撫でて、「それじゃあ、旅の疲れもあるだろうし、今夜はもう寝なさい。エーリカ君」

「はーいっ」

 エーリカは上機嫌に手を振って部屋を出た。豊浦はその姿を見送って、ぽつり、と。

「…………女の子って、難しいなあ」

 

 朝食は夕食と同じ広間。並ぶ朝食と、

「酒瓶?」

 朝食の席で懲りずに並ぶ酒瓶。朝から酒、と。ミーナは曖昧な表情になる。豊浦は「ああ」と頷いて、

「彼らは酒が好きなんだ」

「だからって朝っぱらから酒。…………なるほど、これも扶桑皇国の奇習ね」

「扶桑皇国、……凄い」

 一緒にいたリーネが慄く。芳佳は「私も聞いたことないよ」と肩を落とす。

 どうにかして扶桑皇国のイメージを元に戻さないと。と、そんな事を考えながら適当なところに腰を下ろす。みんなもそれに続いたところで、ふと、

「おはよ。エーリカ君」

「あ、……うん、おはよ。豊浦」

 聞きなれない呼び方。エーリカも、少しはにかんだように応じる。

「ん?」

 エーリカと一緒にいたトゥルーデもそんな様子に首を傾げた。

「昨夜にエーリカ君とお話をしてね。

 それで、呼び方を変えてってお願いされたんだ」

「そうか?」

 何かあったか? と思う。ミーナなど親しい相手はエーリカと呼ぶ者もいる。エーリカはあまり気にしていないようだが。

 ともかく、豊浦は悪いやつではない。特に関係が悪化しているようには見えないし、友人が親しくなるのはいいことだ。

「そ、」応じ、エーリカは座る豊浦の後ろから抱き着いて「好きな人にはそう呼んで欲しいんだっ」

 え、……と。誰かが呟いた。

「えーと、はる「エーリカ」エーリカ君?」

「ん」

 エーリカと呼びかけられ、上機嫌に笑う。後ろから抱きしめる。

 唖然、と。そんな沈黙の中、エーリカは視線を向ける。

「ま、そういうわけ、悪いね。

 こればっかりは簡単に譲れないんだよ」

 言葉の先にはリーネ。……だけではなく、

「私も、譲れません」

「え?」

 豊浦の隣に座るサーニャが彼の手を取る。

「わ、……わ、私も、……す、…………あの、……と、とにかく、だめーっ」

 一生懸命声を出して豊浦の腕を確保。そのまま、むー、と。エーリカを睨む。

「え、……えーと、エイラ君」

「エイラは私の味方をしてくれるよねー?」「エイラ?」

「ふはっ?」

 唐突に言葉を投げかけられて変な声を上げるエイラ。

「あ、え? ……あ、あう、あわわわ」

 サーニャには幸せになって欲しい。けど、豊浦にサーニャを取られるのはやだ。豊浦が悪いやつとは思っていないけど、それでもやだ。けど、サーニャから助けを求められたら力になりたい。…………と、そんな事をぐるぐると考え、……エイラは頷く。

「豊浦」

「な、なにかな?」

 エイラは真面目な表情。

「とりあえず、一発殴っていいか?」

「なんでそうなるの?」

「八つ当たりだっ」

 

「悪いね。リーネ」

 とりあえず、混乱を避けるために豊浦は端に追いやられ、隣にミーナが腰を下ろす。彼女に笑顔を向けられて豊浦は隅でちまちま朝食をとる。

 で、そんな端っこの事情はおいておいて、エーリカは隣に座るリーネに軽く笑いかけた。

 悪い事をした、……とは思う。けど、

「こればっかりはねー」

「びっくりしました」

 そんなエーリカにリーネは困ったような微笑。昨日、夜。その場の勢いとはいえ自分の気持ちを話した。

 けど、それでも、

「うん、……けど、簡単には譲れないんだ」

「そうですね」

 静かに微笑むエーリカにリーネも頷く。

 解ってる。譲れない。いくら大切な友達だとしても、簡単には、譲りたくない。

 そんな、思い。

「ま、あの何も考えてなさそうな阿呆がまともに返事するとは思えないけどね」

「うん、びっくりしてると思う。……エイラさんにぶたれたし」

「八つ当たりだよねー」

 そのエイラは不機嫌な仔猫のような表情でサーニャにくっついている。サーニャは困ったような、微笑ましいような、そんな優しい表情でエイラを撫でている。

「ま、気長に待つよ。

 どっちにしても、ウィッチやってる間はそういうのご法度だし、…………けど、」

 不意に、エーリカは笑う。

「待ってる間何もしないつもりはないけどね。ま、お金はあるしー、扶桑皇国まで遠いなー

 ウルスラも引っ張っていかないとなー」

 ちょくちょく遊びに来るつもりらしい。おそらく、扶桑皇国の誰もが歓迎してくれるだろう。

 そして、そうなったら、…………リーネはエーリカに視線を向ける。悪戯っぽい笑顔。整った容貌。改めて、可愛いと思う。

 だから、

「私も、……」

「ん?」

「私も、譲りたくはありません。

 豊浦さんがちゃんとハルトマンさんを選ぶまで、私も、諦めません」

 静かな、きっぱりとした口調の宣戦布告。

 普段おどおどしている事が多いリーネには珍しい。……けど、だからこそ、

「……じゃ、まあ、お互い頑張ろっか」

 あの何も考えてなさそうな阿呆を振り向かせるために、……自分の譲れない思いを貫くために、

 そんな思いを込めて、二人は笑顔を交わした。

 

 一転して賑やかな朝食の席。

 本当に、……本当に、小さな、小さな呟き。小さいけど強くて、誰にも聞こえないほど儚く甘い、ささやかだけど決意の言葉。

「私だって、負けないもん」

 


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