怨霊の話   作:林屋まつり

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四十六話

 

「私、お姫様抱っこに憧れていました」

 

 淡い、非常に曖昧な表情でサーニャはそんな事を言った。

「え、ええ、そうなんですのね」

 ペリーヌはそんなサーニャに曖昧に頷く。

 子供っぽい。とは思うが、ペリーヌも故郷、ガリアで伝えられる御伽噺は好きだし、子供のころは素敵な王子様とお姫様に憧れもした。

 だから、サーニャの言葉はわからなくもない。

「だから、豊浦さんにしてもらって、嬉しかったです」

「まあ、そうかもしれませんわね」

 物語に登場するような素敵な王子様。…………には暢気すぎるし素性が怪しすぎるが。

 とはいえ、いろいろ知っていて頼りになるし、リーネやルッキーニたちから慕われているのはわかっている。サーニャがそんな風に思うのは、一応、解る。

「けど、……最初だけでした」

 ペリーヌは視線を横へ。その先、少女たちと盛大な鬼ごっこに興じている大人がいた。

 

 数十分前の事。

 豊浦とサーニャが二人きりで出かけた。というわけで後をつけようとするエイラとエーリカをペリーヌは押し留めていた。

 その横ではよくわからない義務感を発揮して追跡しようとするトゥルーデをミーナが説教している。それはともかく、

「うぬぬー、そこ退けツンツン眼鏡ー」

「そうだー、邪魔をするなツンツン眼鏡ー」

「なんでハルトマンさんにまでツンツン眼鏡なんて言われるんですのっ」

 という遣り取りをしていると、……ふと、エイラとエーリカが動きを止めた。きょとん、と目を見張る。

 ペリーヌは何があったのか、と振り返る。

「…………あー」

 サーニャを抱きかかえ、彼女にしがみ付かれている豊浦がいた。

 

 何が起きたか、ふるふると震えるサーニャの話を少しづつ聞いていてなんとなくわかってきた。

 二人で散歩。ちょっとした広場でお話をしていたらしい。そして、サーニャが話し込んでしまい、気が付けば夕暮れ。

 サーニャはおとなしい性格だが話好きなところがある。以前もエーリカと長時間話し込んでいたと聞いている。

 夜の山道は危険だ。それは少しとはいえ山を歩いたペリーヌもわかる。あんな悪路を視界の悪い夜に歩きたいとは思えない。山道に慣れていないサーニャが一緒では豊浦でも絶対に避けるだろう。

 ゆえに、時間を忘れて話し込んでしまったサーニャを止め、歩きなれていないために時間がかかりそうな彼女を抱えて急ぎここに戻ってきた。

 と、それはいい。問題があるとすれば時間を忘れて話し込んでしまったサーニャだが、咎められる事ではない。

 が。その道行が問題だったらしい。

「まあ、…………豊浦さんが悪いですわね」

 急ぐという理由で山道を疾走。近道という名目で跳躍、落下。憧れのお姫様抱っこに淡い思いを抱いていたサーニャは数分でシャーリーの運転もかくやの絶叫コースに突入したらしい。

 豊浦にお姫様抱っこしてもらった喜びと絶叫コース突入の憤りといろいろな疲れなどで非常に淡く曖昧な表情になるサーニャ。向こうでは豊浦がエイラに八つ当たりを受けているが、とりあえずペリーヌは放置に決定。豊浦が悪いとは思わないが阿呆な大人とサーニャを天秤にかければほぼ無条件でサーニャに傾く。

「あのさ、豊浦。

 女の子抱えて山道爆走って、ばかじゃないの?」

 文字通り腹を抱えて笑っていた酒呑。対してエイラの飛び蹴りを華麗に回避した豊浦は首を傾げて、

「いや、そこまで飛ばしたつもりはないよ。それなりに気遣って走ったつもりなんだけど」

「一体何準拠?」

「っと、修験者。……お、っと」

「逃げんなーっ」

 未来予知の固有魔法を使えるエイラを相手にしても逃げ回れる豊浦は結構凄いのかもしれない。

「修験者?」

「扶桑皇国にいる人たちだよ。落ちたら衝撃で死体も残らないような高さにある崖から逆さ吊りになったり、命綱なしで崖に突き出した岩に張り付いてぐるりと回ってみたり、そんな修行をしていたみたいだね」

「……………………ばかじゃないですの?」

 そんな奇人とサーニャを一緒にしてほしくない。

「はははっ、豊浦はほんとばかだねえ。……さて、それより、そろそろこっち夕ご飯にするから」

「そうだよ。エーリカ君、エイラ君」

「だめだっ、一発殴らせろーっ」「八つ当たりだーっ」

「いやだよ。僕だって痛いのは嫌いなんだっ」

「さて、仕方ないか。待たせるのも申し訳ない、しっ」

 とんっ、と音。そして、

「げっ?」

 ふわり、軽い跳躍で酒呑は豊浦の前に飛び出す。

「よい、しょっ」

「あだっ?」

 跳躍の勢いのまま突き出した掌が豊浦を打撃。そのまま吹き飛ばす。……で、

「いっ?」「うわっ」

「ハルトマンーっ?」

 吹き飛ばされた豊浦はエイラにぶつかりそうになる。「ありゃ」と、酒呑。

「と、おおっ?」

 エイラにぶつかる直前。豊浦は地面を蹴って大跳躍。エイラを飛び越える。が、

「うひゃっ?」

 エイラはそんな唐突な行動に対応できなかったらしい。バランスを崩して、ぽすん、と。

「お、……と、大丈夫?」

「あ、う」

 ちょうど、先に地面に腰を落とした豊浦の上に落ちるようにエイラが倒れる。豊浦は受け止める。

 抱き留める形になった。豊浦は気にせずエイラが地面に倒れなかった事を安心するように微笑み、エイラはじわじわと赤くなりそうな顔を見られないようにするために俯く。

「だ、……大丈夫、だ」

「そっか、よかっ、……………………あー」

 豊浦の困ったような声。それを聞いてエイラは視線を上げる。その視界に映った少女。千載一遇のチャンスを逃さず突撃するエーリカ。

「なんで私までーっ?」

 

「まったく、豊浦のばかっ」

「なんかわからないけど、ごめんよー」

「なんで私まで、……私は被害者だー」

 荒ぶるエーリカと、その後ろを小さくなって歩く豊浦とエイラ。

「は、はは、いや、うん、ごめんごめん。悪気はなかったんだ。豊浦以外には」

「君ね」

 くつくつと笑う酒呑を豊浦は睨む。ともかく、

「さて、それじゃあお詫びに夕ご飯は奮発してあげるから。…………それとも、先にお風呂にする?」

「お風呂?」

 ぴく、とエーリカが反応。お風呂は好きだし、扶桑皇国に来てから入った木のお風呂は気に入ってる。

「そ、そうだっ、先にお風呂入ろうっ」

 エーリカの不機嫌を逸らすため、エイラは急ぎ言葉を続け、

「そうだねっ、ここのお風呂は広くて大きいからエーリカ君も気に入ってくれると思うよっ」

 そして、そんなエイラに続く豊浦。二人は視線を交わして頷き合い、…………エーリカは笑う。

「そっか、広い、……なら、皆で一緒に入れる?」

「んー、と。お客さんは、……十人か。…………まあ、女の子なら大丈夫」

「じゃあ先にそっちかな。皆で一緒にお風呂は久しぶりだなー」

 扶桑皇国に来てからお風呂は二人で入っていた。狭いので仕方ないし、それはそれでいやではないが。

 みんなで一緒に広いお風呂に入って手足をのんびり伸ばしたい。それを想像して上機嫌になるエーリカ。エイラと豊浦は彼女の不機嫌が治ったので握手。

「…………さーて、豊浦にどんな我侭言ってやろうかなー」

 で、そんな二人を横目に悪い声を出すエーリカ。豊浦は固まる。……助けを求めるようにエイラに視線を向け、

「なむー」

 口の端を吊り上げながらエイラは合掌した。

 

 ウィッチたちはそれぞれの部屋で入浴準備を済ませ、

「あ、豊浦もか」

「うん、せっかくだからね」

 同じように入浴準備をした豊浦も顔を出す。案内を買って出た茨木はしっとりと微笑んで、

「豊浦臣、混浴の申し出は断っております」

「するわけないじゃないか」

「こんよく?」

 その言葉に動きを止める芳佳。ミーナは首を傾げ問いかける。

「知らなくていいこ「男女が一緒に入浴する事です」茨木っ」

 いらんことを言い出した茨木を怒鳴る。茨木は「ほほほ」と微笑む。

「な、なな、なんてはしたないっ! 極東の魔境にはそんな文化があるんですのっ?」

「夫婦とか恋人とかやりたい人だけだよ。ちゃんとここは別れてる」

「そうでしたか、豊浦臣が同じ時に入浴を始めるというのは混浴目当てだと思っておりました」

「その方が夕食の時間とか合わせやすいでしょ」

 にたあ、と笑う茨木に豊浦は念押し。

「お兄ちゃんと一緒にお風呂っ」

「入らないよ」

「えーっ」

 口をとがらせるルッキーニの頭を少し乱暴に撫でて「シャーリー君」

「いいんじゃないか?」「いいわけないでしょっ」

 気楽に応じるシャーリーにミーナが怒鳴る。豊浦は当然、と頷いた。

 

「これは凄いな」

 思わず、トゥルーデは感嘆の声を上げる。

 広い木の風呂。遠く、夜景の見える浴場。

 一刻も早く突撃しようとするルッキーニを抑えて、まずは体を洗い、

「ふあー」

 湯船につかる。

「いい湯だねー」

「そうだねー」

 リーネと芳佳は並んでのんびりと言葉を交わして、脱力。思い起こすのはここに来て出会った《もの》たちで、

「みんな、優しい、よね」

「…………うん」

 豊浦の話を聞いた後、芳佳はエーリカと入れ替わりリーネと扶桑皇国の御伽噺や英雄譚に目を通してみた。ここにいた女性。藻女に案内してもらい、いろいろな物語を読んだ。

 目もくらむような大きな書庫。これは大変だな、と思ったけど、藻女は本を持ってきてくれたり表現の難しいところを教えてくれた。途中で顔を出した紅葉はお茶を用意してくれて、高いところにある本は星熊という大男がとってくれた。

 ここにいた《もの》は、……戦い、敗北し、追放された化外の魔は、不思議なほど、優しかった。

「私の故郷にも、こんな人はいるの、かな」

 ちゃぷ、とお湯をかき分けて零れる小さな呟き。

 政変があった、政争があった、……そして、戦争があった。それらすべてを経て、リーネの祖国、ブリタニアはある。

 もちろん、扶桑皇国に息づく怨霊とは違うだろう。けど、あるかもしれない。歴史の裏側、時代の狭間に生じ、国のどこかに堆積した怨念が、……そして、いつか。

 いつか、怨霊という形を持ち、祟りという害をなすかもしれない。それが、反乱や暴動なら戦うのは軍人。その最前線を担うのはウィッチ。つまり、自分たちだ。

 大好きな家族がいる大切な故郷。そこを荒らすなんて許せない。……けど、そこにある怨念を知らないまま戦うなんて、出来ない。

 どうして彼らは戦いを選択したのか。それを知らないまま戦うというのなら、命令をする者の操り人形になっているだけ。そんな風に戦うなんて、許されない。

「そう、かもしれないね。だから、いろいろお勉強しないとね」

 だから、芳佳の言葉にリーネは頷く。

「うん、私も、芳佳ちゃんみたいにちゃんとお勉強をして、自分の信念で、大切なものを守っていくよ」

 湯につかっておっとりと微笑む芳佳。リーネは彼女みたいになりたいな、と。思ってる。

 芳佳が豊浦の事を慕っているのはわかってる。けど、それでも、大切な故郷を守りたいから戦うと、芳佳はきっぱりと告げた。それが、豊浦と戦う事になったとしても。

「だから、私も、芳佳ちゃんみたいに強くならないとね」

「リーネちゃんは強いと思うよ?」

 芳佳は首を傾げる。リーネは苦笑。

「私、芳佳ちゃんみたいに戦うなんて、言える自信、ないよ」

 そんな風に言われて、芳佳は空を見上げる。

 満天の星空。…………それを見て、思い出すのはいつかのやり取り。

「私の言った事って、ほんと、笑っちゃうよね。

 千年とか、全然想像できないくらい永い間思い続けた事なのに、二十年も生きてない私がぶつかっても、何にもならないと思う。けど、」

 そんな事ない、リーネは否定の言葉を言うより早く、芳佳は微笑んで、

「こんな私の言葉でも、豊浦さんはちゃんと受け止めてくれた。

 私の事をいい娘って言って頭を撫でてくれた。だから、私は私の信念を曲げない。認めてくれた人がいるから」

 誇らしそうにそう語る芳佳。「…………ま、負けないもん」

「リーネちゃん?」

 唐突な言葉に芳佳は首を傾げる。リーネは、なぜか芳佳を睨む。

「ええ、と?」

「わ、私も、もっと豊浦さんに褒めてもらったり、頭撫でてもらったりするの。

 芳佳ちゃんには、負けないもん」

「え? え?」

「あたしもーっ、もーっとお兄ちゃんに甘えるーっ」

「えええっ?」

 ざぱーっ、とお湯の中から飛び出すルッキーニ。

「ルッキーニちゃん? ええと、ほら、大人の女性は甘えたりしないよっ、ミーナさんとか、ねっ」

「え? ええ、そ、そうね」

 恋人がいたときは結構甘えたりしていたミーナは視線を逸らしつつ応じる。けど、ルッキーニは胸を張る。

「お兄ちゃん基準なら二十歳になっても子供だもーん」

「あいつ、千歳超えてるからな。何歳から大人なんだ?」

 のんびりと湯につかるシャーリーはぼんやりと口を開き。「五百歳っ」とルッキーニ。

「そうか、大人になるためには人間辞めなくちゃいけないのか」

 シャーリーはあまり詳しくないが、おそらく人間は五百年生きられるような生態をしていないと思う。

 ふと、シャーリーはルッキーニを見る。

「ん?」

「いや、ルッキーニが二十歳くらいになったらどうなるかなーって思ってな」

「んー?」

 ルッキーニはよくわからなさそうに首を傾げる。「きっと美人になりますわよ」とペリーヌ。

「そうかな?」

 シャーリーは改めてルッキーニを見る。いつも隣にいる少女。いつも賑やかで奔放な姿で忘れがちだが、非常に整った可愛らしい姿をしている。ペリーヌの言う通り大人になればかなりの美女になるだろう。

 リーネと芳佳もそう思ったらしい。そして、

「だ、だめーっ」「だめですーっ」

 大人になり、二十歳になり、美しく成長したルッキーニがぺたぺたと豊浦に甘える。そんな姿を想像したリーネと芳佳は仲良く声を上げる。

「えーっ、豊浦はいいって言ったもーんっ、だから芳佳とリーネがだめって言ってもだめっ!」

「うー、豊浦さんのばか」

 間違いなく、何も考えずに甘えていいといったのだろう。彼はそれでいいかもしれない。けど、よくない、リーネにとってそれはなんとなくよくない。

 並んで難しい表情のリーネと芳佳。シャーリーは、そんな二人を見て不意に笑って、

「なんだ。リーネ、も、豊浦の事好きなのか?」

「ひひゃっ?」

 思いもよらない言葉に声を上げるリーネ。そして、

「な、な、なな?」

 なぜか、沈黙。なぜか、注目。

「あうう、はうう」

 顔を真っ赤にして、ぷくぷくと沈む。けど、

 こくん、と。

「あら、リーネさん。それは素敵ですわね」

 友の恋路、それを聞いて嬉しそうにペリーヌが微笑。エイラもからからと笑って「ま、仲間のよしみだ。応援してやるぞ」

「そうだな。何かあったら私に相談するといい」

「いや、一番だめだろ」

 どや顔のトゥルーデにシャーリーは溜息。非常に残念だが、トゥルーデが恋愛相談に向くとは思えない。

「あたしもお兄ちゃんの事大好きーっ、一緒だねっ、リーネっ」

 ぷくぷくと沈んだままリーネは、こくん、と頷いた。

 


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