怨霊の話   作:林屋まつり

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四十二話

 

 酒呑童子の案内で、ウィッチたちは門をくぐる。

「わ、……あ」

 門の向こうは草原。冷涼な空気にサーニャは感嘆の声を漏らして、

「と、おおおおおおっ!」

「うわっ」

 ものすごいスピードでどこからか走ってきた少女に豊浦は蹴り飛ばされた。

「あ、……いたた」

「だ、大丈夫? 豊浦さんっ?」

 サーニャは慌てて転がった彼を助け起こす。そして、蹴り飛ばした主。

「このばかものっ! 最新の英雄がいるのならなぜ私を呼ばないっ!」

 びしっ、と指を突き付ける少女。彼女はきょとんとするウィッチたちを見て、

「うむっ、これは噂以上の美女だなっ! 会えて嬉しいぞっ」

 サーニャは目を見張る。自分たちを美女と称したが、艶やかな黒髪と勝気で快闊な瞳を持つ彼女こそ、驚くほどの美女なのだから。

 身長はサーニャと同じ程度、小柄で華奢な少女。けど、羨ましいくらい、見ているだけで笑いかけたくなるくらい、楽しそうな、裏表のない笑顔。

 自分の事をあまり明るい性格ではないと思っているサーニャにとって、彼女の快闊な笑顔は羨ましく思う。

 けど、

「な、……なんで、君までいるの?」

 サーニャに助け起こされて豊浦が問う。珍しく嫌そうに、

「あはははっ、いや、……言仁様が。ねえ」

 で、そんな彼を見て笑っていた酒呑童子は曖昧に言葉を濁した。不意に、豊浦は眉根を寄せて、

「まさか、」

「いや、さすがに顕仁様はいらしていないよ」

「そういうわけだっ、この、おおばかものっ! なぜ私を呼ばないのだっ!

 がっ、まあよいっ、こうして会えたのだからなっ、私は嬉しいぞっ!」

 くるくると回って笑う少女。「ええと、」とミーナは、

「貴女は?」

「私か? 私は尊治だ。尊治と呼べばそれでよい。……ふむ、すまんな。会えたのが嬉しくて自己紹介を忘れてしまった。許すがよい」

「あ、いえ、大丈夫よ。私たちの事は知っているの?」

「うむ、言仁のやつが自慢そうに話していた。あやつは私が会いたがっていたのを知っていて自慢するのだ。性根のねじ曲がった子供だ。

 そなたもそう思うであろう?」

「え、……ええと、」

 言葉に詰まるミーナ。尊治はそれでも機嫌よく笑って、

「そなた、名はミーナだな。話は聞いているぞ。とても優秀と聞いている。

 よいなっ、美人で優秀というのは素晴らしいっ」

「え、ええ、それで、」

 改めて、美人といわれると照れくさい。ミーナは少し困ったように微笑み頷く。

 もっとも、彼女の表情に嘘は感じられない。彼女自身が相当な美女だが言葉に嫌味がまったく感じられない。だから、純粋に嬉しく思う。

「うむっ、そなたはペリーヌ、……だったか?

 むむっ、金色の髪は奇麗だなっ! 私は羨ましいぞっ」

 何者か、聞いてみようと思ったらすでに彼女はペリーヌの所にいた。

「あ、ありがとございます」

 なぜか、微かに頬を染めて応じるペリーヌ。

「けど、貴女のその黒髪も、とても奇麗ですわ」

「ああ、これか? うむっ、…………烏の何とか色だなっ」

「か、……烏、って」

 艶やかな黒髪をほめたら出てきた形容が烏。思わず苦笑するペリーヌに尊治は頷く。

「そうだっ、濡れ場色だっ! えろいなっ!」

「絶対に違いますわよっ! その表現はっ!」

「おっぱ、あれ?」

 尊治は跳躍。とんっ、と軽い跳躍で後ろから迫るルッキーニを飛び越えて、着地。

「私の乳を揉もうなど、百年早いっ! そりゃーっ!」

「ひにゃぁぁぁあっ」

 そのままルッキーニを押し倒してくすぐり始める。

「ふははははっ、そこに男連中がいるからなっ、私の慈悲で乳を揉む、……小さすぎて揉めんなっ! 触るのは勘弁してやろうっ!」

「きゃっははははっ、きゃははっ、やーっ!」

「尊治」

 豊浦の呼びかけに尊治はルッキーニから離れて「うむっ、というわけだルッキーニっ、私の乳を揉みたくば修練を積むがよいっ」

 むんっ、と尊治は胸を張る。彼女は小柄だけど胸は結構大きい。ルッキーニは触れなかったことが残念に思えて唸る。

「ぐぬぬーっ、練習あるのみだねっ」

「いや、積まなくていいわよ」

 どや顔で宣言する尊治と難しい表情のルッキーニ。どう転んでもその練習とやらはろくなものじゃないので釘を刺す。

「れ、練習、あるのみ、だね」

 その傍らで拳を握る芳佳はとりあえず叩いておいて、

「ええと、貴女は?」

「私だっ!」

「あ、ええ、そうね」

「そうだね。彼女は芳佳君にとって一番現実的な敵だよ。

 ネウロイがいなくなったら彼女と戦うだろうね」

「ふぇっ?」

「シャーリーのおっぱいは、……リーネのおっぱいは触りたくなるなっ」

「何でですかっ?」

「私のはだめか?」

「ばかめっ! ちょっと気弱そうな少女を押し倒すのがよいのではないかっ!

 リーネだなっ、男がいるがおっぱい揉まれても気にするなっ!」

「しますっ!」

「ぐぬぬ、大丈夫だっ、リーネは奇麗だからなっ! 堂々と曝すがよいっ! むしろ誇れっ!」

「いやですーっ!」

「あのー「そっちの銀色の髪の娘はサーニャだなっ、うむっ、金色の髪もよいが銀色の髪もよいなっ、とても美しい。月光に映えそうだ」」

「あ、ありがとうございます」

「うー、サーニャを変な目で見んなー」

 サーニャに対し気楽に美しいと言ってのけた尊治にエイラは頬を膨らませる。が、

「ばかものっ、美しいものを美しいと愛でて何が悪い。

 なんだ? それともそなたはそうは思わぬか? それはよくないな。あれほど美しい髪はそうそう見れるものではないぞ? 彼女ほど可愛らしい娘もな」

「う、……そ、それは、サーニャは、奇麗、だけどさ」

「そうであろうっ! うむっ、ではエイラよ。ともにサーニャの美しさを讃えようっ」

「よしきたっ」

「来なくていいですっ!」

 いきなり乗り気になるエイラにサーニャは慌てて声を上げる。讃えられても困る。

「では、まずは、あだっ?」

「いつまで遊んでるの尊治。

 酒呑、さっさと行こうか。いつまでも庭で話し込んでるわけにもいかないでしょ?」

「それもそうだ」

 呆れたように言う豊浦に笑みをこらえながら酒呑は応じる。

「それで、ええと、……戦う、って」

 楽しそうだなー、と思ってみていた芳佳は問いかける。尊治は頷いて笑顔で、

「そうだっ、私は南朝故なっ、現在の皇族、そうだな、北朝から連なる現在の皇族は敵だ。

 豊浦の言う通りネウロイがいなければ扶桑皇国にとって最も明確な敵は私だ。そして、最も不明確で厄介で陰湿で悪辣な敵は豊浦だっ! そなたは困ったやつだなっ」

「君ほど困った子になった覚えはないよ」

 呆れたように応じる豊浦。そして、

「ほく、ちょう?」

 芳佳は首を傾げる。尊治は苦笑。

「知らぬか? よいよい、それならそれでも構わぬ。

 神器をかっぱらって扶桑皇国の皇族が分裂したのが南朝と北朝だ。現在の皇族は北朝から連なる。ゆえに、南朝である私にとっての敵という事だ」

「負けたけどね、南朝」

「うるさいぞばかものっ! 悪党に紛れ込んで一枚噛んだ貴様にも負けた責任はあるっ! ……と、安心せよ。まだ行動を起こしたりはせぬ」

 そういって尊治は、不安そうな表情の芳佳を乱暴に撫でて、

「俯くな顔をあげよ。戦うときは後悔なく盛大に戦えばよい。そうでなければ存分に遊べばよい」

「そういう、ものなの?」

「ものだ。どうしたって後悔はするのだ。だが後悔前提に動くのは止めよ。戦う時も遊ぶ時も全力でな。

 つまらん感情を引きずって戦うなど、興ざめにもほどがある」

 そういって、尊治は心底楽しそうに笑って芳佳の背を叩く。

「盛大にだっ! 全力で己の意思を叩き付け、お互いの意思を否定し合おうっ! 力の限り戦いっ! 存分に殺し合おうぞっ!

 ミーナよっ! さっさとネウロイとやらを殲滅してこの娘を扶桑皇国に戻せっ! 私は芳佳と戦える日が楽しみになってきたぞっ!」

「そ、……そういわれても、」

 それが出来るのなら一刻も早く実現したい。曖昧に応じるミーナに尊治は口をとがらせる。

「むむ、……まあよい。ならば仕方ない。気長に待つとするか。それに、戦うのは楽しみだが遊ぶのも楽しみだからなっ! 今回はそっちだけで我慢しようっ!

 うむっ、他にも可愛らしい娘がいるからな、私は楽しみだっ! 酒呑っ、四季の間はすべて開けてあるなっ」

「もちろん準備を進めています。尊治様。

 言仁様の紹介、豊浦臣の友、そして、なにより最新の英雄を、化外の魔物である我々が歓待しない理由がどこにありましょうか?」

「うむっ、それもそうだなっ」

 尊治は上機嫌に笑う。その傍ら、

「…………はあ」

「豊浦さん」

 溜息をついて肩を落とす豊浦。サーニャは心配そうに問いかけ、豊浦は苦笑。

「ごめんね。もうちょっと静かな道行を考えてたんだけど、まさか、彼女がいるなんて思ってなくて」

 尊治はさっそくルッキーニと芳佳の手を取って歩き出す。サーニャは微笑。

「ううん、賑やかな娘、だね」

 戦う、そういう考えは怖いと思う。……けど、

 後悔なく、全力で相対しよう、強くそう言える彼女は、凄いとも思う。

「厄介な娘なんだよ。……うん、厄介なんだ。とてもね」

「聞こえているぞそこっ! 誰が厄介だっ! そなたは失礼なやつだなっ!

 ミーナっ、そなたもそう思うであろうっ? 豊浦は失礼で嫌なやつだとなっ」

「あ、……えーと、」

 豊浦の意見にちょっと同感なミーナは曖昧な表情。

「むっ、よいかルッキーニ、ああいう肯定も否定も微妙なとき、大人はなんか曖昧な顔をするのだ。

 そなたはそうなってはだめだぞ。言いたいことははっきり言えっ」

「うんっ、尊治は厄介っ」

「なにおーっ」「うひゃはははははっははははっ」

「……た、楽しそうですね」

「あははは、……はあ」

 

「凄いな、これほどの豪邸とは」

 玄関にまで到着すれば見渡せない規模、玄関も、ウィッチたちが一緒に入ってもまだ余裕がある。

 広大な屋敷。トゥルーデの知る限り、カールスラントの貴族でもこの規模はなかなかお目にかかれない。

 ましてや、

「これは、……酒呑さんは、扶桑皇国の貴族ですの?」

 ガリアの貴族であるペリーヌにとっても、無視できない事。

 異国、それも文化が大きく異なる扶桑皇国の貴族。とても興味がある。

「違う違う。そんなんじゃないよ。

 あれ? 豊浦は僕たちの事を何も話してなかったの?」

 酒呑童子は首を傾げる。トゥルーデは頷いて「友達としか聞いていない」

「ま、それだけで十分だって思ったのか。それはそれでいいんだけどね」

「そうだな、正直、素性は気になる」

 振り返る、扶桑皇国の敵と自称した少女。尊治。

「くっ、ここまで大きいとさすがに見事としか言いようがないな」

「シャーリーおっきーっ」

「って、やめろっ、さすがにくすぐったいってっ」

「…………その、酒呑も尊治と同じ、扶桑皇国の敵、なのか?」

 問いに、酒呑は笑って「そのつもりはないな。……いや、そうだな、例えば、南朝と北朝がまた戦争をするとか言い出して、両方から助力を頼まれたら南朝、尊治様の側につくだろうけど」

「貴方も、……ええと、怨霊ですの?」

「まさか、僕は豊浦臣や言仁様のように語られる存在じゃないよ。……なんていうのかな、二人とは存在の規模が違うからね。規模、っていうか、知名度かな。あるいは、業の深さ、か」

「そうか」

 といっても、普通の人か、と言われるとそれも信じられない。なぜなら、

「なら、魔物とは?」

 彼は、自分の事を化外の魔物と称した。魔物も怨霊と同じでいい響きではない。それを自称するとならば、

「んー、……ええと、バルクホルン君、だね? ええと、たぶん異国の人だと思うけど」

「そうだ。カールスラント出身だ」

「かーるすらんと?」

 不思議そうに繰り返す酒呑。知らないらしい。「まあいいか」と応じて、

「扶桑皇国では鬼と呼ばれる存在だよ。かーるすらんと、っていうところだとなんて言われるかわからないけどね。

 んー、……えーと、何だろうな、産鉄民。それか、山師。……いや、鉱山師? 鉄鋼業の従事者。か」

「結構現実的だな」

 鬼、という言葉は知らない。けど、鉄鋼業はさすがにわかる。

 だから、意外だった。魔物という自称とのギャップが激しくて、

「現実だからね。そうだな。

 この辺りの鉱脈を抑えて鉄鋼の産出で財を成した。……っと、みんなもまずは腰を落ち着ける場所か。部屋は確保してあるから行こうか」

 靴を脱いだのを見て酒呑が歩き出す。トゥルーデも後に続きながら「宮藤」

「あ、はい」

 尊治と何か遊んでいた芳佳はトゥルーデに視線を向ける。

「鬼、とはなんだ? 酒呑が鬼を自称していたのだが」

「お、……に?」

 トゥルーデは知らないだろう。それは扶桑皇国で語られる存在なのだから。

 それは、

「英雄に退治される怪物です」

 

「これは、見事だな」

 トゥルーデは感嘆の声を上げた。

 今までいた家の部屋に不満があるわけではない。畳だけの広い部屋というのも落ち着いて過ごせた。

 けど、この部屋はまた別格。

 部屋の中には二つの間。板の間には炬燵が置かれ、障子で仕切られた畳の間には上品な華が活けてある。

 染み一つない。美しささえ感じる純白の障子。窓、と思って障子を開ければ、

「おお」

 思わず、声が漏れる。玉砂利が敷き詰められた庭にはさらさらと緩やかに流れる小川があり、花崗岩で作られた白い石橋。ところどころに木が植えてあり、赤く染まった葉が石の白と素晴らしいコントラストを描いている。

 祖国とは趣の異なる美しい家。……だから、酒呑の言ったことが信じられない。

 怪物、と。芳佳も鬼とはそういうものだといっていた。

「怪物の棲み処、……には到底見えないな」

 貴人の家なら違和感は感じないのだが。……ともかく、特に荷物は持ってきていない。室内を一通り見て回り、部屋を出る。

「あら?」

「お、……え?」

 部屋を出ると見知らぬ女性。深紅の和服を着ているので扶桑皇国の人とは思うが。

 目を見張る。彼女の髪は、炎のように美しい紅。

「あらあら、貴女が最新の英雄ねっ?」

「あ、……ああ」

 扶桑皇国ゆえか、酒呑の所に来てからはウィッチという呼ばれ方はほとんどされていない。英雄、と。よく言われる。

 芳佳やサーニャは慣れてないだろうが、トゥルーデにとってはたまに同じカールスラントの軍人や民からそういわれることもある。

 だから戸惑いながらも頷く、彼女は興味津々とトゥルーデを見て、

「ええ、可愛いわね。噂通りねっ」

「そ、そうか?」

「ええ、ええっ、……それで、他にもいらっしゃるの?」

「ああ、……と、貴女は?」

「あら、失礼。私は紅葉。…………ああ、そういえば、異国の人がほとんどだったわね。

 ううん、鬼って言っても通じないだろうし、…………うーん?」

 なんといったものか、と彼女は首を傾げる。

「いや、……ええと、酒呑と同じか?」

 問いに彼女は笑って頷く。……ただ、

 やはり、怪物とは思えないな、と。

 紅の髪に目が行きがちだが、彼女自身も凛と整った上品な容貌で到底怪物には見えない。

「あら? 解ってるのね」

 と、

「あっ、トゥルーデ。……ん?」

「あら? あら、可愛らしい娘」

 ひょい、と顔を出したエーリカが紅葉を見て首を傾げる。

「ふふ、貴女もここのお客様?」

「あ、うん。……ええと、」

「私は紅葉よ。可愛い英雄さん。貴女のお名前は?」

「エーリカ、エーリカ・ハルトマン」

「遅くなったが、私はゲルトルート・バルクホルンだ」

「げる、……と? ……ううん、異国の名前は難しいわね」

「バルクホルンでいい」

「そ、…………ふぅん。

 ええ、ここに滞在するのなら、また、よろしくね。可愛い英雄さん」

 微笑んでひらりと手を振り歩き出す。

「それで、どうしたんだ? ハルトマン」

 彼女が顔を出したのは用事があるからだろう。紅葉もそれを察してくれたらしい。

「あ、うん、今日と明日、ここに泊まるから中を案内してくれるって、酒呑が」

「ああ、わかった」

 外から見ても驚嘆する広さを持つ屋敷だ。確かに案内がなければ迷子になりかねない。

「どんなところなのかなー、楽しみだなー」

 手を頭の後ろで組んで歩き出すエーリカ。トゥルーデも頷く。

「ああ、そうだな」

 祖国、カールスラントでは決してお目にかかれない家。どちらがいいか、と問われれば答えかねるが。

 ただ、楽しみだなとだけ素直に期待し、エーリカに続いて歩き出した。

 


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