怨霊の話   作:林屋まつり

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三十一話

 

「豊浦さん。どこか行くの?」

 ルッキーニの病室から出ようとする豊浦に芳佳が声をかける。豊浦は振り返って頷く。

「うん、ルッキーニ君も回復したことだしね。

 お祝いもかねて、お夕飯を頑張ろうかなって」

「やったーっ、病院のご飯味薄いんだよねー」

 嬉しそうに両手を上げるルッキーニ。清佳は苦笑して「あんまり、味の濃いものは控えてくださいね」

「大丈夫だよ」

「あ、じゃあ、私も手伝おうか」

 シャーリーは立ち上がる、が。「シャーリー君はルッキーニ君のそばにいてあげなさい」

「え、と。」

「……シャーリー」

 きゅっ、と控えめにシャーリーの手を握るルッキーニ。シャーリーは彼女と豊浦と、視線を向けて、

「……うん、ありがと」

「ううん、気にしないでいいよ」

「手伝いなら私が行こう。荷物持ちなら任せてくれ」

 トゥルーデが立ち上がる。芳佳とリーネも立ち上がろうとする、が。

「一人手伝ってくれれば十分だよ。

 それより、ルッキーニ君と一緒にいてあげなさい」

「あう」

 確かにルッキーニと一緒にいた方がいたい。けど、

 …………けど、二人きりでお出かけ、というのは、……なんとなく、いやだ。

 やきもきする二人を見て豊浦は首を傾げる。トゥルーデは胸を張る。

「なに、大丈夫だ。魔法を使わなくても鍛えてあるからなっ」

「…………だめだこいつら」

 エーリカは小さく呟く。「何か言ったか?」

「べっつにー」

 聞き咎めたらしい。トゥルーデから視線を逸らす。むう、と。難しい表情。

「ええと、……ハルトマン君。僕はどうすればいいのかな?」

「じゃあ、私も一緒に行くよ」

「え? ……いや、いいのかい?」

「いいのいいの」エーリカは豊浦の手を引っ張って「それじゃあ、さっさと買い物済ませちゃおうか」

「あ、うん、……って、ちょ、ハルトマン君?」

 ぐいぐい引っ張り出される豊浦。「ハルトマンも自主的に手伝うようになったか」と、感無量な表情で頷くトゥルーデ。三人は病室を出た。

「…………だ、大丈夫、かな」

 ぽつり、こぼれた芳佳の声にミーナは「たぶん」と、曖昧に応じた。

 

 買い物、と気楽に言っても横須賀市に開いている店はない。ネウロイがすぐ近くにいるのだ。住民はとっくに避難している。

 だから、それなりに遠出しなければならない。生活に必要なものは横須賀市から避難している商店の人たちが随時届けてくれるが。今回は少しだけ事情が異なる。

「豊浦は車の運転もできるのだな」

 楽しそうにハンドルを握る豊浦の隣、助手席に座るトゥルーデが呟く。

「ん、ああ、出来るよ。いろいろ便利だからね」

「トゥルーデは不器用だから運転できないんだよねー」

 ひょい、と後ろから顔を出したエーリカ。「むぅ」とトゥルーデは眉根を寄せる。

「悪かったな」

「練習していけば慣れてくるよ。……というか、飛行の方がずっと難しいと思うんだけどね」

「そんなものか」

 トゥルーデにとっては運転の方がずっと難しいが。

「それより豊浦ー、何買うの? わざわざ買いに行くってことは期待していい?」

「そうだね。…………ああ、そうだ。

 みんなは生魚とか大丈夫? お寿司にしようと思うのだけど」

「寿司っ! やったっ!」「ああ、大丈夫だ」

 海産物をのせたちらし寿司なら基地で何度か芳佳が作っていた。だから「あ、けど、シャーリーが蛸だめだったよ」

「蛸ね、……うん、了解。……ふふふ、家船から習った鮮魚の目利きとさばく技術、発揮する時が来たようだね」

「…………た、楽しそうだな」

 やたらと上機嫌な豊浦。トゥルーデは少し反応に困る。……ふと、

「えぶね?」

 ひょい、とエーリカが顔を出して問いかける。豊浦は「ああ」と頷いて、

「海、漁船で暮らしている漁業民だよ。

 生活のほとんどを船の上で過ごして、たまに陸で収穫した魚と生活に必要なものを交換して暮らしていたんだ」

「うえ、……そんな生活も信じられないな」

 生活のほとんどが船の上。……海、というのはエーリカにとっても身近な存在だ。もしもの時のために水泳の訓練もしている。

 故に分かる。海は、一つ間違えれば死と隣り合わせの場所だと。……けど、そんなところで暮らす。想像できない。

「そんな者もいるのか。扶桑皇国にはいろいろな者がいるのだな」

 同じく、海の危険性を知るトゥルーデも驚いたような声。豊浦は苦笑。

「どうだろうね。僕は二人の故郷の事を知らないけど、探してみればいるんじゃないかな? …………ハルトマン君、バルクホルン君」

「ん?」「なんだ?」

 ふと、楽しそうな表情から一変、豊浦は寂しそうに微笑む。

「山や海はとても住みにくいところだよね。……けど、そういうところしか住む場所がなかった《もの》って、どんなのかな。

 僕は君たちの故郷を知らない。だから、その背景は知らない。けど、ね」

「そうだな」

 住みにくい場所に住まざるをえなかった者たち。それがどんな人なのか。

 考え込むトゥルーデとエーリカに豊浦は軽く笑いかけて、

「まあ、いろいろ調べてみるといいよ」

「そうだな。……ああ、そういった者から学ぶのもいいか」

 うむ、と頷くトゥルーデ、豊浦もそれを肯定しようと口を開きかけ、

「豊浦がいるんだから学ぶためにわざわざ探さなくていいじゃん」

 なぜか、面白くなさそうにエーリカが口を挟む。トゥルーデは首を傾げた。その態度、以前、ウルスラがジェットを持って来た時、頑なに装着を拒んだ時と似ている気がする。

 その時と全然状況が違うが。

「いや、まあ、それもそうか。そうだな。豊浦。また山に行こう。いろいろと教えてくれ」

「いいよ。バルクホルン君の都合がつけばいつで、ぐえっ?」

「私も行くっ!」

 エーリカが割って入るように口を挟む。やたらと怠けたがるエーリカが珍しく真面目になり、トゥルーデは「そうか」と、感極まった声。

「ハルトマン、お前もカールスラント軍人としての自覚が出てきたんだな」

「……あ、ああ、そうだよっ!」

 なぜか怒鳴るエーリカ。それと、

「あの、は、ハルトマン、君。

 危ないから、そろそろ、僕の首を放してほしいん、だけど」

 勢いで首を絞められた豊浦が息絶え絶えに、そんな事を言った。

 

「鮪と、鮭と、海老と、烏賊と、いくらと、鰻と、……あと、油揚げと、……あ、ハルトマン君は食べたいものはあるかい?」

「芋」

「わかったよ。じゃあ、ハルトマン君のために薄切りジャガイモのお寿司を作ろうっ」

「やったーっ、…………そんなの存在するの?」

「聞いたことないけどねっ、僕もっ!

 生のジャガイモを米の上に乗せるだけだから美味しいとは思えないけど、ハルトマン君が食べたいなら、それでいいよっ」

「変なの作らなくていいよっ!」

 そんなやり取りをしながら籠に食材を放り込む豊浦。

「楽しそうだな」

「ん、そうかな?」

「ああ、そう見える」

「…………ん、……そうだね。

 いろいろあったけど、ルッキーニ君が無事ではしゃいでいるのかもしれないね」

 手は尽くした。けど、それでもどうなるか分からない。

 だから、ちゃんと回復していてくれてよかった、と。

「ああ、そうだな。豊浦、改めて感謝する。ルッキーニを助けてくれてありがとう」

「うん、どういたしまして」

「はしゃぐほどなんだ」

 確かに、ルッキーニが助かって嬉しい。けど、そこまで妙なテンションになるか?

「そうだよ。ルッキーニ君みたいないい娘が生きているのはいい事だからね」

「あ、……うん、まあ、そうだよね」

 頷くトゥルーデの横でハルトマンは曖昧に頷いた。……彼が自称した、怨霊、という言葉を思い出してしまったから。

「そうそう、それにバルクホルン君みたいないい娘に手伝ってもらえるのは嬉しいからね。

 いい娘いい娘」

「って、だから、撫でるなっ! なんでお前はそうやって頭を撫でるんだっ!」

 頭を撫で始めた豊浦。感謝はしているがカールスラント軍人としてこのような子供扱いを容認するわけにはいかない。払いのける。

「……いーこいーこ」

「ハルトマンっ、って、いたっ? こらっ、掴むなっ、頭を掴むなーっ」

 頭を鷲掴みされてぐりぐりされてトゥルーデは悲鳴。理不尽な攻撃にエーリカを睨むがエーリカはそっぽを向く。

「こらこら、二人とも、喧嘩をしてはだめだよ。

 ハルトマン君も、ね」

「はーい。ごめんなさい」

 困ったように撫でられながら豊浦に止められ、エーリカは素直に謝る。睨んだトゥルーデは拍子抜けしたような表情で「ああ」と頷き首を傾げた。

 そして三人で買い物を済ませて車に戻る。車に戻り、荷物を置いて、

「はい、ハルトマン君、バルクホルン君。飲み物だよ。

 二人ともお疲れ様。助かったよ」

「なに、このくらいはお安い御用だ」

「もともと私たちの仲間の事だしね。

 豊浦もありがと」

「うん、どういたしまして、……さて、せっかく買ったんだし喜んでくれれば嬉しいね」

「ああ、それなら心配するな。豊浦の好意を解からないほどルッキーニも馬鹿ではない」

「そういう事、っていうか私たちの仲間のためにいろいろ気を遣ってくれて、それだけで嬉しいからね。私はさ」

 運転席に座る豊浦に、後ろから手を回してエーリカが笑う。ちょこん、と後部座席から顔を出す。

「そっか、それならよかった」

 ぽん、とエーリカを撫でる。エーリカは心地よさそうに目を細める。

「さて、……豊浦。これ飲んだら出発しよう。

 疲れているだろう。今のうちに休んでおくといい」

 トゥルーデの言葉に「そうだね」と、豊浦。……ふと、思い付きで缶ジュースを掲げる。

 トゥルーデとエーリカはその意味を察して、軽く笑う。こつん、と重なる。缶を開けて一口。

「ふぅ」

 トゥルーデは、ほう、と一息つく。そしてふと思う。どうも、思ったより疲れていたらしい。

 感じるのは脱力。軽く肩を落とし、

「疲れた?」

「……そう、かもな。…………体力はある方だと思うのだが」

 いかんな、と。弱音を吐くところなど見せたくない。トゥルーデは意識して姿勢を正す、が。

「昨日の夜はまだルッキーニ君は入院中で、彼女の事が心配でよく眠れなかったのかもしれないね。

 バルクホルン君、帰りは長いからその間仮眠していなさい」

「いや、…………いい、大丈夫だ」

「座る場所変わろうか? 後ろの方が寝やすいでしょ?」

 エーリカも心配そうに声をかける。トゥルーデは、「大丈夫だ」と応じた。

 

「…………で、寝ちゃったわけね」

 発車して三十分ほどか。寝顔を見せるトゥルーデ。

「やっぱり疲れてたんだろうね。このまま寝かせておいてあげよう」

「そだね。トゥルーデも大丈夫だって言い張るから、……まったく」

 仕方ないやつだ、と。エーリカは微笑。

「そうだね。ハルトマン君みたいにもっと甘え上手になってもいいかもね」

「……えー? 私がいつ甘えたっての?」

 心外だ、と。豊浦の後ろから手を回して口をとがらせる。豊浦は微笑。

「そう? バルクホルン君によく甘えていたみたいだけど?」

「…………べ、別にそんなんじゃないっ、適当なこと言うな。ばか」

 ぎゅっと、回した手に力を籠める。豊浦は微笑。

「僕はいいことだと思うよ。大切な人がいるのはね」

 その言葉、そして、その笑顔にエーリカは、ふい、とそっぽを向いた。

 

 思ったより時間がかかってしまった。家に到着するころには十六時。

 そして、ルッキーニも含めて他のウィッチたちも戻っている。だから、

「それじゃあ、これからお夕飯を作るよー」

「随分早くから作るんですのね」

「うん、いろいろ作るからね」

 楽しそうに応じる豊浦にペリーヌは小さく笑って「楽しみにしていますわよ」

「腐った豆もたくさん出すからねー」

「いりませんわよっ!」

「それで、なにを作るのですか?」

 リーネが拳を握って問いかける。今度こそお手伝いするんだ、と。奮起。

「うん、お寿司だよ。

 ちらし寿司を中心に、あと、いろいろ握り寿司も作ろうと思うよ」

「あっ、あたしそれ知ってる。なんか、酸っぱいごはんに魚混ぜたやつっ! 芳佳が作ってくれたよねっ」

「うん、ちらし寿司だね」

「知っているかいペリーヌ君。酸味も菌の働きなんだ。

 つまり、酸っぱいものは菌類がいるんだよ」

「もういいですわよっ!」

 重々しく告げる豊浦に怒鳴る。さて、と。

「それじゃあ、作ろうかな」

「お手伝いしますっ」「私もっ」

 リーネと芳佳がさっそく挙手。「よろしくね」と、豊浦。それと、

「あ、あたしも、……いい?」

「ルッキーニ君?」

 珍しい声に豊浦は視線を向ける。

 ちょん、と豊浦の服の裾を掴み、ルッキーニは、

「あたしも、お手伝いしたい。だめ?」

 料理なんてしたことはない。迷惑かけるだけかもしれない。だから少し不安そうに問いかけるルッキーニ。

 豊浦は彼女を撫でて、「いいよ。一緒に頑張ろうね」

「うんっ」

 ぱっ、と笑顔。「そうだね」と、豊浦は彼女の家族たちに視線を向けて、

「せっかくだから、みんなに手伝ってもらおうかな」

 

 いつもよりたくさんお米を炊く。芳佳、シャーリーは包丁を使い具材を切り揃え、豊浦は合わせ酢を作る。ルッキーニはゆでた野菜を鍋からおろして、ふと、視線を向ける。

「炊けたーっ」

 ルッキーニの声に豊浦は「それじゃあ、そこの桶に出すから、芳佳君、シャーリー君。こっちはお願いね」

「はーいっ」「任せろー」

 豊浦は寿司桶をもってルッキーニの所へ。

「それじゃあ、ここにご飯を移して、少しずつでいいからこぼさないようにね」

「はーいっ」

 大きめのしゃもじで寿司桶に炊けた米を移していく。全部移したところで豊浦は合わせ酢を振りまいて、

「ルッキーニ君、うちわでご飯を扇いでくれるかな?」

「うん、……ええと、こう?」

 ぱたぱたとうちわで扇ぐ。豊浦はしゃもじで混ぜ合わせていく。

「そうそう、上手上手。疲れたら休んでいいからね?」

「もーっ、このくらいで疲れないよっ!」

「そう、じゃあ、頑張ってね」

 空いた手でルッキーニを撫でる。「えへへー」とルッキーニは嬉しそうに笑う。

 酢飯も冷めていき、具材も切り揃えられる。

「豊浦、こっち出来たぞ」

「頑張りましたー」

「うん、ありがとう。それじゃあルッキーニ君、ご飯に混ぜて…………ん?」

 じ、と。豊浦を見る芳佳。

「な、……なにかな?」

「……………………別に、何でもないです」

 そっぽを向く芳佳。シャーリーは笑って「宮藤も頑張ったから撫でて欲しんだよなー」

「ふあっ?」

「芳佳あまえんぼーっ」

「ち、違うよっ、違いますっ! シャーリーさんも変なこと言わないでっ」

「ああ、そうだね。ごめんね。芳佳君」

「べ、別に謝らなくてもいいよっ! 次は混ぜるんだよねっ」

 ひょい、と豊浦の横をすり抜けて酢飯に具材を混ぜ込んでいく。苦笑。

「それじゃあ、ルッキーニ君、シャーリー君。お皿を持ってきて、大きいの二つと、あと、小皿を人数分ね」

「「はーいっ」」

 ぱたぱたと二人は皿を取りに行く。そして、ぽん、と。

「甘えていいって思える人がいるのなら、遠慮しないで甘えていいよ。芳佳君。

 君は頑張り屋さんだから、我侭を言って甘えられる人には遠慮をしなくていいんだよ」

「…………じゃあ、」

 芳佳は顔をあげない。けど、耳まで真っ赤にして、小さな声でぽつぽつと、

「が、……頑張ったら、褒めて、撫でて、…………ください。豊浦さんに、撫でて欲しい、です」

「うん、わかったよ」

 


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