怨霊の話   作:林屋まつり

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二十六話

 

「ん、…………あ、う、え?」

 リーネは目を覚ます。けど、感じたのはだるさ。起きないと、と思うけどなかなか体が起き上がらない。

「う、…………んんん、お、起きない、と」

「ううん、起きなくていいよ。リーネ君」

 跳ね起きた。がつんっ、と音。

「たっ?」「いたっ?」

 頭をぶつけた。「と、豊浦さんっ?」

「あ、いたた。……ええと、大丈夫かな?」

「う、…………頭は、大丈夫、です」

 問われて改めて感じるのは体の不調。

「ちょっと、だるい。…………どうしたの、かなあ?」

 リーネも軍人だ。体調管理の重要性は理解している。

 何より、今は作戦行動中だ。体調不良など万が一でもあってはならない。……それなのに、

「おそらくは、昨日交戦した毒蛇の影響だろうね。

 ミーナ君たちもだるいようなことを言っていたよ。睡眠中に免疫力が低下して、その時に毒蛇の毒に当てられたんじゃないかな?」

 不安そうに瞳を伏せるリーネを豊浦は安心させるように撫でる。「ミーナさん、たちは?」

「宮藤診療所。清佳君たちが来て面倒を見てる。

 けど、そんなに多く預かれないみたいだし、比較的毒蛇からは離れていたリーネ君はこっちに残ることになったんだ」

「あ、……そう、なんだ」

 対装甲ライフルでの狙撃を行うリーネは積極的に近づく必要はない。必然的に後ろにいることが多くなる。大した違いはなかったとしても、比較的軽症ならここに残るのは自分が適当だろう。

「あと、芳佳君とペリーヌ君が家に残ってるよ。美緒君と静夏君が看病を買って出てね。

 まあ、そういうわけだから、僕がリーネ君の担当になったんだ」

「そう、…………え?」

「静夏君とペリーヌ君の強い希望でね。……まあ、そういうわけ。……ええと、それとも、美緒君に代わってもらった方がいいかな?」

「あ、こ、このままでいい、ですっ」

 立ち上がる豊浦の手を掴み引き留める。

「あの、ペリーヌさんも、芳佳ちゃんも辛いだろうし、坂本さんたちも大変と思うし、……………………わ、私も、いやじゃない、です」

「そっか、じゃあ、よろしくね。リーネ君」

 丁寧になでられて、起こした体を抑えられるように寝かしつけられる。布団をかぶる。……独り占め、そんなことを考えてしまい、リーネは反射的に布団を引き上げ、顔を隠した

「はい、よろしく、……お願いします」

 

「清佳君が診た感じだけど、軽度の衰弱みたいだね。

 毒蛇は魔法力で編んだシールドを綻びさせたらしいし、君たちの魔法力が体力に直結する要素なら戦闘中に吸い込んだ毒が睡眠中、免疫力の低下をきっかけに魔法力を侵食して、体力を食らった。……ようなことを言ってたよ。

 僕は魔法力に関しては知らないけどね。それで、リーネ君。特に痛いところとかはないよね? 寒気とか、手足のしびれとか、何か変なところがあったらちゃんと言うんだよ?」

「ううん、今のところは何も、大丈夫です」

「そっか、……それじゃあ、朝ご飯にしようね」

「朝、ご飯」

 その言葉を意識したら、不意に、くぅ、と音。

「あ、……あ、」

 お腹の音。リーネの顔が真っ赤になる。

「食欲はあるみたいだね。よかったよ」

「…………は、い」

 豊浦は微笑んで立ち上がる。「あ、あの、私もお手伝いを」

「リーネ君」

 咎めるような強い口調。そして、自分の状態を思い出す。

「はい」

「それに、もう出来てるからね」

「え?」

 豊浦が立ち上がって向かう先。陶製の「壺?」

 壺の上に小さな鍋が乗っている。

「……まあ、それで間違えていないかな。一応。

 火鉢だよ。この中で火を焚いているんだ。暖房器具と、簡単な調理器具ってところかな。囲炉裏みたいなものだよ」

「あ、……そういえば、暖かい」

 言われて意識すれば、微かな暖かさを感じる。寒いと感じない程度の柔らかな温もり。

「うどんにしたけど、だるくないなら出来るだけ食べようね」

「はい」

 だるくないし、豊浦のいう通り食欲はある。豊浦は鍋からお椀にうどんをよそって持ってくる。

「豊浦さんは?」

 うどんを受け取り問い。豊浦は「もう食べたよ」と応じる。

「あ、……そう、ですか」

「ん?」

「あ、いえ、なんでもないです。

 それじゃあ、いただきます」

「召し上がれ」

 じっくりと煮込まれ、出汁が全体にしみこんでる。白菜や鶏肉など雑多な具材を一つ一つゆっくり、味わって食べていく。

「熱くないかい?」

「熱いです」

 正直に応じる。何せさっきまで火にかけられていたのだから、熱くないはずがない。

 けど、

「……美味しい」

「そう、それならよかった」

 ゆっくり少しずつ食べていく。ほどなく、はふ、と一息。

「ごちそうさまでした」

「ん、お粗末様。それじゃあ片付けてくるね」

「あ、」

 ひょい、と茶碗を受け取り豊浦は立ち上がる。リーネは反射的に手を伸ばす。けど、

「お願い、します」

 無理に手伝おうとすれば心配をかける。だからリーネは小さく呟いて布団の中へ。ぽん、と。撫でられる。

「リーネ君は真面目な娘だね。

 けど、今はゆっくり休みなさい。たまには甘えることも大切だよ?」

「……はい、お願いします」

 大人しく返事をする。豊浦は鍋を手に立ち上がって部屋を「あ、あのっ」

「ん?」

 不意に、リーネは呼びかけた豊浦は振り返る。

 呼びかけた理由。お願いしようとしたこと、それを思ってリーネは布団を持ち上げて顔を隠して、……けど、

 甘えていい、って言われたから。

「と、豊浦さん。今日は、私のお世話、してくれるんですよ、ね?」

「そうだよ。ああ、気になるなら僕は隣の部屋にいるよ。

 その方がゆっくり眠れるなら、それに越したことはないからね」

「だ、だめですっ」

「ん?」

「あ、…………あうう、あの、……そのぉ」

「リーネ君?」

「い、……一緒に、いて、ください。……お話したい、です」

「そう、わかったよ。

 じゃあ、洗い物を済ませたら戻ってくるからね」

「…………は、い」

 

 襖が開く。

「リーネ君。水を持って来たよ。喉は乾いてないかい?」

「あ、ありがとうございます。大丈夫です」

 とん、と。枕元に茶碗と「やかん?」

 黒い、鉄製のやかん。

「そうだよ。あ、白湯がよければ沸かすよ?」

「さゆ?」

「……ああ、お湯だね。うん、お湯のこと」

「白湯、っていうんだ。……あ、お願いします」

 冷水より少し温めた水の方が飲みやすい。リーネのお願いに豊浦は鉄瓶を火鉢に乗せる。

「それで、リーネ君。どんなお話がしたいかな? ……あまり、女の子が好きそうなお話は詳しくないけど」

 どんなお話、と。改めて聞かれると困る。けど、

「あの、豊浦さんの事、もっと聞きたい、です」

「僕の? ……そう、まあいいか」

「あ、だめ、ですか?」

「そんな事はないよ。ただ、前に扶桑皇国の神話について聞きたいって言ってたからそっちかなって思ってね。

 まあ、僕の昔話でもいいけど。どうする?」

 言われて思い出す。確かに、そんな話をした。……けど、

「豊浦さんの、お話、をお願いします」

 彼の事をもっと知りたい。そんなことを思ってリーネはおねだり。

「そ、……そうだね。……………………ちょっと前の事だけどね。昔話の収集と編纂をしていたことがあったんだ。

 喜善君のお手伝いだね」

「昔話の収集と編纂?」

 山で暮らしていた、という彼が語るには意外な内容。不思議そうな表情のリーネに豊浦は頷いて、

「うん。扶桑皇国の昔話とか御伽噺、伝承、口承だよ。

 そういうお話を聞いて回ったりして書き残したりしていたんだ。いや、お年寄りの話を聞くのはほんと難儀したよ。訛りがひどくてね。……喜善君も大概だけど」

「そんな事もしてたんだあ」

 なんとなく、縁側でお年寄りと並んでお話を聞いている豊浦の姿を想像して微笑ましくなる。

「喜善君は作家になりたかったらしいんだけどね。……僕は会ったことないけど、柳田って人に影響されたのかな?

 彼、喜善君に故郷の昔話を聞いて本にまとめていたからね」

 昔話の作家。童話作家とそんなことを思い、そういうのもいいなあ、と。

「彼はとても努力家だったからね。たくさんの物語を集めていたよ。昔話を改めて聞くのは面白いし、いろいろな勉強にもなるね。

 リーネ君は、……まあ、それどころじゃないかもしれないけど、もし時間があったら故郷のお話を聞いてみなさい」

「はい」

 故郷、ブルタニア。欧州本土から離れているからか、そこには本土にはないいろいろな昔話がある。

 それを聞いていくのも、改めて国を知るのにいいのかもしれない。……大切な故郷だから、なおさら。

 戦争が終わったら、……そんな遠い未来への希望を一つ。胸に抱えて、その先輩に聞いてみた。

「豊浦さんは、どうしてお手伝いを?」

「んー、……作家云々はどうでもよかったんだけど。

 ほら、口承とかだし、誰かが集めないと、喪われてしまうからね。……ただ、」

 豊浦は手を伸ばす。リーネを撫でて、

「喪うのは、寂しいよね。……だから喜善君の手伝いをしたくなったんだ」

「そう、……うん、そうだよね」

 失われるのは、寂しい。……………………だから、自分も、

 いつか、ネウロイの危機がなくなったら。

「えへへ、……豊浦さんは、優しいんですね。昔話まで、失ったら寂しいって」

 す、と。額に手が乗せられる。瞼が覆われ、視界が閉ざされる。

 ぽつり、声。

 

「違うよ。優しいからじゃない。……それは、僕が怨霊だからだよ」

 

 声が、聞こえた。賑やかな声を聞いてリーネは目を開ける。

「服部っ! 米が真っ赤だぞっ、これはどういうことだっ!」

「はいっ、風邪は発汗を促すのがよいと聞いています。

 なので、唐辛子を使ってご飯を炊きましたっ」

「はっはっはっ、なるほど、それは妙案だ」

「それで、坂本少佐。そのお薬は?」

「ん、……ああ、我が家伝来の薬だ。

 良薬は口に苦しというから、これほどの良薬はないだろうっ」

「なるほど、論理的ですっ」

「はっはっはっ」

 リーネは目を閉じた。

「「ひひゃっぁぁああああああああああああああああああああああああああっ?」」

 リーネは布団に潜り込んだ。

 

「リーネ君。お昼御飯が出来たよ」

「あ、はい」

 もぞもぞと布団から顔を出す。豊浦が持っているのは土鍋。

「……えーと、芳佳ちゃんとペリーヌさんは?」

「……………………今日のお昼は雑穀粥だよー」

「……………………はい」

 雑穀粥? と、首をかしげて土鍋を開ける。

「わ、……あ、」

 蓋を開ける。湯気があふれる。どんなのかな、と思って覗き込む。

「……え?」

「なにかな、その疑問符は?」

「……えーと、黒?」

「黒米って言ってね。お米の品種の一つだよ。あと、白米、稗とか粟、小豆、胡麻、あと、栗も入れてみたよ。卵もね。

 朝のうどんのお出汁で味付けしたけど、少し薄味かな」

「へー、いろいろ入ってるんですね。……あの、それで、…………あの、豊浦さん、も、」

「……そうだね。じゃあ、一緒に食べようか」

「はいっ」

 土鍋から茶碗に雑穀粥をよそる。土鍋は火鉢に乗せて、

「「いただきます」」

 声が重なった。なんとなく嬉しくなってリーネは微笑む。

 蓮華で掬う。掬ったところから湯気が立ち上る。「わっ」と、小さく声を上げてしまう。

「熱いから気を付けて食べてね。……冷まして、食べさせてあげようか?」

「い、いいですっ」

 その光景を思い浮かべ、顔を赤くして否定。けらけらと豊浦は笑う。

「…………豊浦さんの、意地悪」

 笑われて、小さく呟いて、一口。いろいろな食感の入り混じった不思議な味。

「美味しい?」

「はいっ、……あ、でも、それより不思議な感じです。こんな味もあるんですね。凄いなあ」

「気に入ってくれたみたいだね。よかった」

 安心したように微笑む豊浦にリーネも微笑を返し、一口。

 味は薄い、けど、お米だけとは違ういろいろな触感と、栗や卵など雑多な素材の味。それが美味しくてリーネは一口一口と食べていく。……「豊浦さん?」

 にこにことそんなリーネを見ている豊浦。

「あ、ごめんね。……ただ、リーネ君が美味しそうに食べててね。

 やっぱり、うん、作った料理をおいしそうに食べてもらえるのは嬉しいね」

「…………う、……た、食べてるところをじーっと見るの、だめです」

 嬉しそうに語る豊浦から視線を逸らして、リーネは小さな声で文句を言った。

 

「はふ、……ごちそうさまでした」

「うん、お粗末様でした。

 ちゃんと残さず食べて偉いね」

「え、偉いってことは、ない、です」

 頭を撫でられてリーネは小さくなる。

「それじゃあ、片付けてくるね。

 終わったら、またお話をしようか。……そうだね。今度はもう少し昔、傀儡士をやっていた時のお話をしようかな」

「うんっ」

 頷く、と。豊浦は笑みを返して片付けに立ち上がった。……その姿を見送って、ふと、

「……怨霊」

 彼の自称。…………ふと、思う。

 怨霊、怨みを抱えた霊。それが事実とは思えない。怨霊の実在は信じられないし、何より、彼がそうだとは思えない。思いたくない。……けど、なら、それを自称する彼の抱えているものは?

 …………彼の、昔話は? 彼の物語は? ……首を横に振る。

 それは、決して聞いてはいいことではないのだから。彼の傷を抉るようなことなんて、出来ない。

 だって、豊浦さんは、…………それ以上の事を考えないように布団を被った。

 

 す、と襖が開く音。

「リーネ君。タオルおいておくよ」

「え?」

「温かいものを食べていたら汗をかくからね。寝る前に軽く体を拭いておきなさい。

 僕は隣の部屋で待ってるから」

 そういって豊浦は立ち上がる。…………ふと、その後姿を見て、

「あ、あの、豊浦さんっ」

「ん?」

「…………あの、あのっ」

「リーネ君?」

 なぜか唐突にいっぱいいっぱいになるリーネ。豊浦は首を傾げ、

「あのっ、…………せ、背中、拭いてくれます、か?」

「…………………………………………」

 顔を真っ赤にしておねだりするリーネ。そして、あまりにも想像を斜め上に行くおねだりに言葉に詰まる豊浦。

「あ、う、……あ、あの、とよう、あたっ」

 沈黙が辛くなって口を開きかけたところで、ぽんっ、と頭を叩かれる。

「甘えていいとは言ったけど、女の子が男性にそういう風に甘えるのは感心しないよ。

 ちゃんと、相手と内容を考えて甘えなさい」

「…………ごめんなさい」

 しゅんと俯く。頭を撫でられる。豊浦は安心させるように微笑んで部屋を出た。今度こそ、その後姿を見送って、彼の言ったことを思い、

「豊浦さんの、……ばか」

 そんなことを小さく呟いた。

 

「全快ーっ、やっほーっ!」

「んー、……久しぶりだったな。ベッドに縛り付けられるの。もうヤダ」

 夕食時、宮藤診療所に行っていたウィッチたちも戻ってきた。リーネも回復し囲炉裏を囲む。

 囲炉裏の自在鉤には鍋。シャーリー達も囲炉裏を囲むように座って豊浦は鍋の蓋を外す。

「「「おおっ」」」

 鍋の中にはごろんとした食べごたえありそうな鶏肉や彩り豊かな野菜。ふんわりと広がる卵。

「今日のお夕飯は炊いたお米に雑にいろいろ入れて煮込んだ飯だよー」

「「…………」」

「宮藤?」

 相変わらず適当な事をいう豊浦。けど、芳佳は黙って鍋を注視。芳佳と、ペリーヌが。

「そ、それじゃあ、いただきます」

 そんな二人に軽く慄きながらミーナ。そして、芳佳とペリーヌはおじやを食べて、…………泣いた。

「ど、どうしたっ? 宮藤っ、ペリーヌっ」

 ぎょっとするトゥルーデ。エーリカは二人からじわじわと距離を取る。

「ご飯、……美味しい」

「ええ、…………ええ、素晴らしい素材と、適切な調理。素朴な味付け。

 感謝します、わ」

 奇跡を目の当たりにした信徒のように敬虔な表情を浮かべるペリーヌと芳佳。何があったのかわからない宮藤診療所から戻ってきたウィッチたちはただ慄き。

「よ、芳佳ちゃん、ペリーヌさん。

 あの、鶏肉、あげるね」

 なんとなく察しのついたリーネは、自分の茶碗に乗った鶏肉を二人の茶碗にそっと乗せた。

 


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