恋のリート 作:グローイング
広い海の上でひとつの街を形成している学園艦は、ヘタをすれば外界から孤立する危険性を秘めた環境でもある。
海難事故などがそのひとつだが、最も恐ろしいのがハイジャックである。
船そのものの占拠を完了してしまえば、艦内の物資、金銭はもちろん、街中の住人を人質に取って莫大な資金を要求することもできてしまう。実際、過去にその類の事件はいくつもあった。
以降、学園艦の警備力強化は徹底され、資金次第では自衛隊や特殊部隊を常時配備することも可能となった。
……逆を言えば、予算の少ない学園艦では、気休め程度の警戒態勢しか敷けないことを意味していた。
結果、大洗のように警備の薄い学園艦を狙って、海上テロが行われるのは決して珍しいケースではないのだった。
通報さえすれば無論ヘリに搭乗した部隊が出動するが……到着までの間にどれほどの被害が出るかは、想像に難くない。
それゆえに、武装した特殊警察たちは持ち前の正義心から、学園艦の平和を必ず守らねばと決起するのである。
情報によると、犯人たちは最新鋭のプロテクターを身につけ、いくつかの銃器とナイフを武装しているとのことだった。
穏やかな大洗で、途轍もない銃撃戦が行われるかもしれない。なんとしても被害を最小限に抑え、一秒でも早く住民たちを安心させなければならない。
覚悟を固めた部隊は、いざと現場へ飛び込んだ。
……が、彼らの出動は徒労に終わることとなった。
というのも、すでに強盗犯全員が失神して倒れていたのである。
それもどういうわけか、プロテクターや銃器がバラバラになった状態で。
狐につままれたようだ、とは、まさにこういう場面に使うのだろう。
いったい如何様な怪奇現象がここで起きたのか、警察たちは肝を冷やした。
ともあれ、周辺の建築や住人たちに被害はなく、人質にされていた銀行員たちも幸いケガもなく無事だった。
結果として見れば、平和に事件が解決したのだ。万々歳である。
ただ、自分たちの活躍を奪われた警察たちが、やり場のない闘争心を持て余すことになったわけだが。
昏倒した犯人たちを収容している間、まだ若さを残した一人の隊員が、銀行員たちに詳細を尋ねた。
自分たちが到着する前にここで何が起きたのかと。
銀行員たちはおずおずと打ち明けた。まるでこの目で見たものが夢だったのではないか、と本人たちも疑わしげに感じている具合に。
実際、話を聞いた隊員も、ふざけているとしか思えない内容に唖然とすることとなった。しかし銀行員たちが嘘をついている様子はなかった。
突飛な話に戸惑ったが、しかし仮に真実だとしたら見過ごせない点が出てくる。
それは未成年の少年が武装強盗犯に挑んだということだ。
いくら事件解決に貢献してくれたとはいえ、素人が警察の判断もなく鎮圧行動に移るなど、決して誉められた行動ではない。
そもそも、武装した相手を屠るほどの戦闘力を有しているとなると、また別の対応を考える必要がある。
その少年はどこかと尋ねると、すでに去ったとのことだった。乱闘が終了した同時に、慌ててやってきた四人の少女たちに引っ張られていったという。
人相を尋ねて捜索するしかあるまいと考えていると、銀行員の一人が「その実は……」と自信なさげに口を開く。
去り際、少年に
隊員にはもちろん、暗唱した銀行員にも理解できない言語だった。何かのコードだろうか。
メモを残さなければ、すぐに忘れてしまいそうだった。
ひとまず隊長に、銀行員から聞いた情報と、謎の暗号について報告をした。
隊長は前者の話よりも、後者の暗号を聞いて、すべてを納得したようだった。
「そうか。また“彼ら”に助けられたわけだ」
「は?」
「お前は知らなくていいことだ」
コードが書かれたメモを取り上げ、隊長は厳格に言った。悔しさを募らせるように、メモをぐしゃぐしゃに握りつぶす。
「ここに書かれたことはすぐに忘れろ」
言われたところで、記憶しにくい暗号だ。すでに頭の中にはない。ただ、薄気味の悪い感情だけが残った。
隊長いわく、少年に関して捜索する必要はないとのことだった。例の暗号を伝えれば上層部も納得するらしい。
いったいどういうカラクリなのか、若さを残した隊員は当然疑心に駆られることとなったが、追求は許されない空気を感じ取った。深入りしてはならない裏の事情があるのは間違いなかった。
不審な点を伏せられることに不満を隠せないでもなかったが、この場は素直に隊長の忠告に従うことが最善と若い隊員は判断した。
身の安全を守りたいのなら、きな臭いことには必要以上に関わらない。それが賢い大人の生き方だ。
「……」
自然とそう考える己に若い隊員は嘆息した。
権力に怯えて当たり障りない選択をするなど、つまらない大人の代表例だと幼い頃の自分は軽蔑していた。いつから自分もその代表例になってしまったのだろう。
ヒーローになりたいという幼少時代の憧れを実現するため、この職に就いたというのに。待ち受けていた現実は、見える範囲でしか行動を起こせない窮屈な世界だった。
だからといって、その枠から抜け出す勇気もない。分不相応なことをすれば、あらゆるものを失う。大人の世界とは、そういうものなのだ。
だからなのか、今回の事件を解決した少年に対し、理屈でない複雑な感情が芽生える。
大人としては見過ごせない行為。それゆえに、眩しくもある。
我が身を
若さゆえの無鉄砲さと言えばそれまでだが、大人になった今ではそれを羨ましく思う。
少年が現場から去ってしまったことを、隊員は少し惜しく思った。
混ざり気のない、純粋な正義心に触れれば、もしかしたら自分もかつての情熱を取り戻せたかもしれない。
きっと夢破れた自分と違い、さぞまっすぐで、たくましい少年だったことだろう
* * *
「むう~」
事件現場とは遠く離れた公園のベンチで、武佐士は腑に落ちないという顔つきで唸っていた。
不満の矛先は、頬に負った傷である。
「不覚。まさか頬を負傷してしまうとは。先輩たちなら無傷で済ませられたところを僕ときたら。修行不足の証拠。反省せねば……ってイタタタタタ!」
「反省するとこはソコじゃないでしょうが弟くん!」
武佐士の横に座った沙織が、むすりと怒りながら簡易の救急箱で頬の傷を手当てしていた。
若干涙目になりながら、武佐士に対して説教をする。
「もう! この程度のケガで済んだから良かったけど、もっと大きなケガしてたらどうするつもりだったの!?」
「た、武部さん、もう少し優しくお願いします」
「男の子なんだから我慢しなさい! はい、もう一回消毒~!」
「むううううう!」
奇妙な叫び声を上げながら目をバッテンにする武佐士に、別のベンチに座った麻子が戸惑いと呆れの混ざった目線を投げる。
「さっきまで強盗犯と戦っていたのと、同一人物とは思えないな」
沁みる傷口で涙目となっている武佐士のなんとも情けない姿は、先ほど目にした苛烈な印象とは程遠いものだった。
結局、武佐士を放っておけなかったあんこうチーム一行は、危険を承知で事件現場へと向かった。
行ったところで自分たちに何かできるとは思えなかったが、親友の弟を見捨てて逃げるようなことをしてしまったら、みほに顔向けができない。
間に合うのなら、武佐士を説得して無茶な行動を止めようとした。
しかし、乱闘はすでに始まっていた。
冷や汗をかきながら、少女たちは集まった野次馬を押し退けて、騒ぎの中心でいるであろう武佐士の名を呼んだ。
最悪のシーンをつい浮かべそうになった少女たちだったが……現実の光景は想像を絶するものだった。
目にしたありのままを語っても、はたしてそれを真実と受け取る者がいるだろうか。
(そど子みたいな頑固者に言っても、信じないだろうな)
鉄の風紀委員、園みどり子が「嘘は泥棒の始まりよ!」と、いつものように怒鳴る姿が容易に浮かぶ。
彼女に限らず、誰もが疑うに違いない。
麻子自身、夢でも見ていたのではないかと、いまも困惑しているのだから。
強盗犯たちはプロテクターで身を護っていた。とても素手で傷つけられるような相手ではなかった。
しかし……
──
武佐士が相手の腹部に掌を当てた途端、視認できるほどの空気の衝撃波が生じた。
強盗犯は文字通り吹っ飛び、そのまま気絶した。
まやかしでも見せられたかのように、少年以外の周囲は動揺した。
だがすぐに危機感をいだいた仲間の強盗たちは反射的に銃器を構えた。乱射の合図に少女たちを含めた野次馬は狂騒に陥った。
しかし、銃声よりも先に鳴り響いたのは、鋼が滑る音だった。
──相賀流武闘術《
武佐士が背に抱えていた包みからその中身の長物を抜き取ると、光の筋がいくつも瞬いた。
何が起こったのか、誰もが唖然とし、一瞬、時が止まったようになった。
刹那の静寂を破るように、鋼同士が打ち合う音が鳴り渡る。
『散』
鋭い衝撃波が強盗犯たちの間で生じた。
銃器とプロテクターは、まるで伐採された木のようにバラバラとなった。
理解が追い付かないうちに丸腰になってしまった強盗犯たちは、口を開けて呆然するばかりだった。
野次馬も、人質にされていた銀行員たちも同様だった。
無論、戦車道の少女たちも含め。
『その程度の武装など、相賀流の前では紙に等しい』
誇るでもなく、驕るでもなく、淡々と武佐士は呟いた。
『神妙にしろ。これ以上の悪道、断じて許さぬ』
睨みだけで人を殺せるような眼力に、強盗犯たちは完全に委縮した。
戦車道を始めてからというもの、激しい連戦の積み重ねで、よほどのことなら動じない胆力を少女たちは身に着けていた。
そんな彼女たちですら戦慄を禁じ得なかった。既知の
完全に人が変わった武佐士に対し、少女たちは思わず身震いした。
『成敗』
氷のように冷ややかに、火のように憤りを宿して、武佐士は敵陣に吶喊した。
それからは、もう一方的であった。大の男たちは、たった一人の少年によって、完膚なきまでに討伐されたのだった。
ただ者ではない、とは思っていた。
それは性格的な意味合いでの『ただ者ではない』だったが、どうやら認識を改める必要があった。
穏やかで礼儀正しい動物好きの天然。反面、その逆鱗に触れると『鬼』が顔を出す。
武佐士の人物像について、事前にみほから聞いてはいたが、どうも内容に齟齬があるように思えた。
ひょっとしたら、身内のみほですら知らない側面を、自分たちは目にしたのかもしれない。
どうあれ……
「ほら動かないの。じっとして」
「むむむ。治療という行為はどうも小さい頃から苦手意識がありまして……」
「情けないこと言わないの! もう少しで終わるから」
沙織の治療を受けている今の武佐士は、少なくとも大人しい物静かな少年だった。
彼が再び、あのような豹変を起こすとしたら、慈悲を寄せる必要もない悪人が現れたとき。
そして恐らく、彼がやっているという武道の試合のときだけなのだろう。
……しかし、あの超人的技巧を披露するような武道とは、いったい何なのだろうか。
武佐士の発言によれば、さらに上位の実力者までいるらしい。人外たちが蔓延る魔境としか言いようがない。
(戦車道も最初のうちは、ずいぶんと風変りな武道だとは思ったが……)
どうやら、まだまだ世界には
そして、自分たちの中に一人だけ、その武道に通ずる存在がいるようだった。
「話には聞いてましたけど、実際に見ると凄まじいものですね。“あの武道”をやっている男子というのは」
優花里はふとそう口にする。驚愕というよりも、畏敬を込めた顔つきで、武佐士を見つめている。
麻子を小首をかしげて尋ねる。
「なんだ秋山さん。アイツが何の武道をやっているのか知ってたのか?」
「あ、いえ。発言から『もしかして』と予想していただけだったのですが、先ほどの戦闘を見て確信しました。あれほど苛烈な格闘技といったら、ひとつしかありませんから」
優花里の視線は、武佐士の背にある長物に向く。
「そうでなければ、“アレ”を持ち歩くこともできないはずです。たぶん、学園直々の許可証があるんだと思います」
麻子も優花里の視線にならって、
愛用の武装《
包みから抜いたのは一瞬で、はっきりと目に収めたわけではないが、銃器やプロテクターを微塵に断ち切ったことといい、アレは間違いなく……
「──まあ、もともと“登録証”があれば免許や警察の許可は必要ないらしいがな、アレは」
状況を理解している者でなければ、いったい何の話をしているのか、検討もつかないだろう。
少なくとも穏やかな内容でないことは確かだったが、口にしている麻子本人はずいぶんと毅然としていた。
反して、優花里は不安げな顔を作る。
「警察といえば、つい逃走を試みてしまいましたね。……大丈夫でしょうか?」
「アイツが『その点に関しては心配ない』と断言したしな。その言葉を信じよう」
背に抱えた長物が学園によって所持が許可されたものだというのなら、それとはまた別に何らかの『許可』を武佐士は有している。そのことに麻子は気づいていた。
犯行現場から去る際、武佐士は暗号らしきものを銀行員に伝えていた。
慌てていた沙織と優花里辺りは耳にしていなかったようだが、麻子だけは耳聡くそのコードを聞き、いまも記憶していた。
無論解読には至らなかったが、それが警察機関と何らかの関わりを持つコードであることを、麻子は鋭く見抜いた。
信じ難いことではあるが、どうやら武佐士は通常の学生とは異なる、何らかの特許を持つ立場にあるらしい。迷うことなく過剰な鎮圧行動を起こせたのも、恐らくは法に触れない権限あったからではないか。
突飛な想像だという自覚はあるが、現に警察関係が事情聴取にやってくる気配はない。そして後日に顔を出すこともないだろうと、麻子の勘は告げていた。
(何者だアイツ)
とうぜん疑問が生じるが、しかし無理に追及する気は麻子にはなかった。
天性の賢智を持ち得る彼女は、この手の話題には深入りすべきでないことを心得ていたし、そもそも興味がなかった。
確かに武佐士は普通とは違う。謎も多い。……だが、それがどうしたというのだ?
数時間の付き合いでしかないが、麻子はすでに武佐士の人となりを看破していた。
断言できる。彼は決して、イタズラに武力や権利を行使するような人間ではない。少なくとも、それを
実際それによって事件は解決したのだ。自分たちも無事だった。お咎めもない。
ならば、それで充分ではないか。丸く収まってくれるのなら、それ以上に越したことはない。いちいち究明に及ぶのは、無粋というものだろう。
(なにより、面倒ごとはまっぴら御免だ)
頭脳明晰ではあるが、決して品行方正とは言えない麻子。そんな彼女の思考回路は、以上のように都合のいい方向に身を委ねることを決めたのだった。
幸い、他の三人も武佐士に不審な感情をいだいている様子はない。
善意の塊である彼女たちは、事件解決よりも武佐士が無事だったことのほうに安堵している様子だった。ならば麻子も同じように対応するだけだ。
彼はあくまで、敬愛する姉に会いにきただけの、姉思いの弟でしかないのだから。
それよりも、麻子の関心はもっと別の方向にあった。
「なあ秋山さん。アイツがやってる武道っていうのは何なんだ?」
人体の限界を極めるかのような、超絶的体術が繰り出される武道。彼女の知的好奇心は是非それを知りたいと訴えていた。
「ええと。たぶんわたしの予想している武道で合ってると思いますが」
優花里は語り始める。
「ときどき琴線に触れる試合があるので、戦車道の試合とは別にチェックすることがあるんですけど。たびたび戦車道と対比される武道なんです」
“乙女の武道”と称される伝統競技、戦車道。
……ならば、それとは別に、“男の武道”と称される競技が存在し、今なお発展を続けていても、決しておかしくはない。
戦車道が成立し始めた時代、誰かが言った。
女性が戦車に乗り、これまでにない武道の在り方を確立させようというならば、男性にも同じように新たな武道が必要だと。
それは従来存在する剣道や柔道に
その結果……
「大戦時代の反省を踏まえて、“騎士道精神”、“結束力”、“心技体”、“知恵”──それらを育むための、男性だけの武道が成立したんです」
創始者は、かつて学生の男児たちに向かって、こう言い放った。
少年たちよ。信念を宿せ。闘志を燃やせ。
叡智の結晶たる装甲を纏いて、新生せよ。
拳を握り、己が武装を手に執り、己が絶技にて、天下を目指せ。
時代の流れと共に失われつつある、
優花里は口にする。その武道の名は……
「弟くんのバカ~!!」
名称を告げようとする優花里の声は、沙織の甲高い声に遮られた。
何事かと麻子と優花里が声の先を見てみると、なんと沙織が涙を流しながら武佐士を抱きしめているではないか。