恋のリート   作:グローイング

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みほ、弟について語る

 西住みほは大洗に来たことで、夢見た学園生活がいくつも実現している。

 気心知れた友人たちと気軽に談笑するという当たり前のやり取りも、そのひとつであった。

 

「へえ、みぽりん弟がいるんだぁ」

「うん。ひとつ年下の。言ってなかったっけ?」

「はい、初耳です。まほさんのときも戦車喫茶でお会いしたときに初めてお姉さんがいると知りましたし」

「そうだったっけ」

 

 もはや談笑をする上で馴染みの場となった戦車の格納庫。

 戦車道が“乙女の嗜み”と称されるこの世界といえども、華々しい女子高生が団欒(だんらん)するために集まるには(いささ)か不適切と思われる鉄臭さと油の匂いが漂う空間。

 しかし少女たちの笑声で満たされれば、たちまちそこも華やかな雰囲気に包まれた光景に風変わりする。

 

 あんこうチームのお馴染みのメンバーは、その日も自主練のあとの休憩中に会話に花を咲かせているところだった。

 話題は現在、みほの弟について盛り上がっている。

 

「西住殿の弟殿ですか。ちょっと興味深いですね」

「うん! わたしも気になる!」

「男の話になると食いつきがよくなるな沙織」

「人聞きの悪いこと言わないでよ麻子!」

「でも、わたくしも気になります。どんなかたなんですか? みほさんの弟さん」

「えーっとね」

 

 思いのほか友人たちが弟に関心を示すので、みほは困惑した。

 そこまで気になる内容かなぁと思いつつ、弟について記憶を掘り起こす。

 

「ん~……」

 

 はて、あの弟をひと言で表現すると何だろうか、と頭をひねる。

 唐突なことだったのでうまい言葉が見つからない。

 だがあえて言うならば、小さい頃からよく見てきた一面であろうか。

 

「……よく、寝る子かな?」

「ほう。わたしと気が合いそうだな」

 

 すぐに反応を返したのは麻子だけだった。

 他の三人はあまりにアバウトな紹介に苦笑いを浮かべる。

 

「いやいや。それだけじゃどんな子かわからないって、みぽりん」

「あ、あはは。ごめん。意外と家族のこと説明するのって難しいね」

 

 これまで身内について語れる友人に恵まれなかった、という悲しい理由もあるが。

 

 

 

 そもそも、どうしてこういう流れになったのだったか。

 確か、沙織が相談を持ちかけたところから始まった気がする。

 

 ──うちの妹の詩織がね、進学先で悩んでるみたいなんだぁ

 ──そうなんだ。うちの弟は確かこうこうこうで今の学園を決めたよ?

 

 という具合に、参考になればと思って弟の進学先について話したのだ。

 みほとしては別段、大した話のタネをふったつもりはなかった。

 が、男気のない女子校だと異性の話題というのは過敏に反応されるものなのかもしれない。

 もちろんそれも理由のひとつであろうが、この場合は“みほの弟”というキーワードのほうが効力としては強い。

 みほ自身含め他四人も無自覚だが、グループ内で影響力のある存在とは、どんなことでも関心を引き付けるものである。

 その身内ともなれば、同様に興味の対象と成り得ても不思議ではない。

 西住という特殊な家系で生まれ育った男児がどのような人物なのか、という純粋な好奇心もあるのは確かだったが。

 優花里は特にその色合いが強い。

 

「やはり西住家の男児ともなると、屈強で(いさ)ましい大和魂を秘めた益荒男(ますらお)のような人物が育つのではないでしょうか!?」

「ど、どうかな? うちの弟はどっちかって言うと大人しいほうかな? 戦車道とはあまり関係なく育ったし」

 

 瞳を星のようにキラキラさせる優花里にみほはそう言った。

 

 弟は小さい頃よく泣く子であり、いまはだいぶマシになったが、相当な甘えん坊でもあった。

 戦車道とは別の武道を始めてからは大人びた落ち着きを持つようになったが、それでも優花里が想像するような猛々しさは身についていないと思われる。

 どちらかというと、穏やかで物静かな子だ。

 良い意味での人畜無害であり、自然と相手の警戒心を解き、気づくと毒気を抜いてしまうような無邪気な性格の持ち主。

 色でたとえるなら“純白”。

 

 一方で情に厚いところもあり、自分のことよりも相手を優先し、困っていればできる限り力になろうとする。

 両親を尊敬し、姉である自分たちを思いやり、屋敷で働く者たちにも日ごろからの感謝を欠かさない。

 人にはもちろん、草木や虫にすら優しさを見せるような、そんな少年だ。

 姉のみほとしては、そういう面が自慢であった。

 その辺りのことを皆に打ち明ける。

 

「まあ。とても思いやり深いかたなのですね、みほさんの弟さんは」

 

 人格面を重視する華はさっそく好印象をいだいた。

 

「なるほど。つまり弟殿は西住殿寄りの好青年なのですね!」

「みぽりんっぽい男の子ってことね。うん、ちょっとイメージしやすくなった」

「いまどき珍しいくらいのお利口さんだな」

「いや、そんな、えへへ」

 

 他の者も口々に弟のことを褒めたたえるので、みほは自分のことのように機嫌をよくした。

 そんな様をクスクスと笑われる。

 

「みぽりんが照れることないのに」

「実は結構なブラコンさんか?」

「ふぇ!? そ、そんなことないよ。普通だよぉ」

 

 弟のことはもちろんかわいいと思っているが、それは姉ならばごく普通にいだく平均レベルの感情である。

 ブラコンとまでは行かないだろう、とみほ自身は思っている。

 

「でも西住殿なら弟殿に深い慈愛を注いでいそうなイメージがありますね」

「あ、わかる。みぽりんすっごく弟のことかわいがりそう」

「確かに仲はいいけど……でも昔はけっこう意地悪もしてたんだよ?」

「まあ。あまり想像できない光景ですね」

 

 華が意外そうな顔をする。

 現在のみほしか知らない彼女たちからすれば、確かに思わぬ事実だろう。

 

「これでもわたし昔はやんちゃだったんだ。お菓子を取り合ったり、いたずらで泣かしたりなんてしょっちゅうだったし」

「わわわ。本当に意外だね、みぽりんがそんなことするなんて」

「姉弟らしいと言えば、らしいですけどね」

「いまとだいぶ違う子だったんだな」

 

 おっしゃるとおりで、とみほは頷く。

 いまならば躊躇するような酷なことを、小さい頃は当たり前にやっていたものである。

 近所の田んぼで捕まえたカエルを、泣き叫ぶ弟に向かって笑いながら突きつけたり、お昼寝している横に昆虫を置いて、起きたところでビックリさせたり。

 世の中の姉の例に漏れず、弟をオモチャにしていたわけである。

 

(我ながら結構ひどいことしてたなぁ……)

 

 年月が経ったいまでは、両生類や昆虫を手で触るなど絶対に無理だ。

 逆にいまでは弟のほうが平気という始末である。

 実家に“宇宙外生物染みた黒いアレ”が発生した際、救世主として事に当たるのも弟である。

 

「しかし、西住さんがお姉さんしているところをあまり想像できないな」

「ちょっと失礼でしょ麻子」

「あ、あはは。わりと間違ってないかな? 弟のほうがしっかりしてるところあるから」

 

 大人たちもよく言っていることだった。『若いのにしっかりしている』と。

 それは恐らく、姉弟の中で一番家の言いつけを守ってきたからだろう。

 一時期は歳相応に駄々をこねることが多かった弟だが、箸の持ち方や襖の開け方といった礼儀作法を学び始めると、幼稚な面は減っていき、成人も顔負けな気骨を持つ少年へと成長していった。

 いま思えば、あれは大好きな母に褒めて欲しかったゆえの努力だったのかもしれない。

 

「いつのまにか、わたしより弟のほうが立派になっちゃってたなぁ」

 

 反して、みほは現在のように自信のない大人しい性格になっていき、弟を頼りにする一面が増えていった。

 姉の威厳もあったものではないと、みほは自嘲する。

 

「でもね。こんなしょうもないお姉ちゃんでも、『姉さん』って呼んで慕ってくれるようないい子なんだ」

「なにをおっしゃいますか! 西住殿ほど素晴らしい姉上がいれば尊敬するのは当然であります!」

「えっと、そう、かな?」

 

 自分に自信を持てないみほとしては、その辺りのことは確証を得られない。

 しかし優花里の熱弁どおり、弟は長女のまほだけでなく、次女のみほにも分け隔てない尊敬の念を向けてくれている。

 いつだって優秀な姉と比較され続けてきたみほだが、弟に限ってはそうではなかった。

 

『人と比べることに意味はないよ。どっちが強くて弱いかなんて、所詮は相性の問題でしかないんだから。ジャンケンだって一番強い手なんてないでしょ? みんな違うなら“相子”さ』

 

 人の価値とは唯一無二であり、比べるべきものではない。

 というのが弟の座右の銘だった(弟を鍛えた師の言葉らしい)。

 

『グーのように豪胆な人もいれば、チョキのように鋭い人もいて、パーのように大らかに受け止めるような人がいる。みんなが違うからこそ、世の中はうまく回っているんだって思う──だから、みほ姉さんはみほ姉さんのままでいいんだよ』

 

 

 

「──ふふ」

 

 在りし日に言ってもらえた弟の言葉を思い出して、みほは思わず頬を緩ませた。

 

「何か楽しいことを思い出されましたか?」

 

 そんなみほに、華は微笑ましいものを見るような顔を浮かべて尋ねる。

 

「うん。ちょっとね」

 

 懐かしさから来る喜悦が表情に出てしまったらしい。

 みほの多幸に満ちた相好は、その姉弟仲が実に良好であることを充分すぎるほどに物語っていた。

 ここにいる全員までもが、みほに連れられて和やかな気持ちになってしまうほどに。

 

「仲いいんだ、弟くんと」

「うん♪」

 

 沙織の言葉にみほは躊躇うことなく頷く。

 それだけは、自信を持って肯定できることだった。

 

 いつしか実家に帰ることは、みほにとって憂鬱とまではいかなくとも気後れするものになっていた。

 西住の娘として相応しい振る舞いをしなければ、厳格な母の寵愛をもらえないという不安に、常に翻弄されていた。

 だが、そんなものを抜きにしてまっさらな気持ちで向き合ってくれたのが弟だった。

 彼と過ごす時間だけは、西住流も戦車道も関係ない、どこにでも見られる普通の姉弟でいられた。

 

(会いたいな……)

 

 大洗に転校して以来、弟とは一度も顔を合わせていない。

 西住の屋敷を去る自分を、辛そうに見送った弟の顔が、いまでも忘れられない。

 

『……どうして、みほ姉さんだけが責められなくちゃいけないんだ』

 

 戦車道流派の家に育ちながら、戦車道について何か意見を言うことは許されない弟が、痛切に呟いたのがその言葉だった。

 家の言いつけは守らなくてはいけない。しかし仲の良い姉への仕打ちを前に、彼はどれほどの歯痒さを覚えたことだろう。

 

(寂しがってるかな……)

 

 長女のまほがいるから、その心配はないかもしれないが……それでも、安心させてあげたかった。

 もう、心配ないよと。

 自分には、こんなにも楽しい時間を一緒に共有できる仲間と友人たちがいるのだから。

 

(でも)

 

 残った懸念があるとするならば、それは母との確執だけ。

 面と向かって言葉を交わす勇気は、いまでもない。

 

 思えば、それこそが弟にとって最大の心配事であるかもしれないというのに……

 

 

 

「そういえば、弟くんの名前なんていうの?」

 

 沙織の問いかけに、みほは暗い淵へ沈みかけた意識を引き戻した。

 確かに肝心な名前を口にしていなかった。

 

「あ。うん。名前はね、むさ……」

 

 弟の名前を言おうとしたところで携帯電話の音が鳴った。

 

「誰のケータイ?」

「あ、わたしだ」

 

 いまとなっては珍しいガラケーの携帯電話をみほは取り出す。

 

「電話みたい。いいかな?」

「もちろん。どうぞどうぞ」

「ありがとう。誰からだろう?」

 

 画面に表示された名前をみほが確認すると……

 

「あっ!」

 

 パァッ! とその顔が輝いた。

 思わず「うおっまぶしっ」と言ってしまいそうなほど、それは歓喜いっぱいの笑顔だった。

 

「え? どうしちゃったのみぽりん?」

「なんと幸せに満ちたご尊顔!」

 

 そんな周りの動揺も気づかないほど意識がハイになっているのか、みほは光の速さにも負けないスピードで電話に出る。

 

「もしもし! “むうちゃん”!?」

 

(むうちゃん!?)

 

 みほ以外の四人の心がひとつに重なった瞬間である。

 まず驚いたのは、これまで見たことがないほどの嬉しげなみほの顔。

 彼女が好きだというボコを前にしたときでさえ、ここまでテンションを高くしたことはないのではなかろうか。

 そして彼女が親しげどころか、慈愛を込めて呼ぶ“むうちゃん”とは何者か。

 そんな四人の反応も露知らず、みほは高揚を維持したまま電話を続ける。

 

「うん! みほおねーちゃんだよ! 久しぶりだね!」

 

 まず疑問がひとつ解決する。

 口振りから推察するに、どうやら件の弟から電話がかかってきたようだ。

 しかし、そこでまた疑問が生まれる。

 いくら仲の良い弟が電話してきたとはいえ、ここまで“喜”の感情を爆発させるものだろうか。

 そう思わせるほどまでに、いまのみほは尋常でない喜び方をしているのだった。

 

「うん! うん! 元気だよ! 心配してくれてたの? えへへ、ありがとう。大丈夫だよ。いまの学園生活すごく楽しいから。むうちゃんも変わりない? そう? よかった♪」

 

 当たり障りない近況報告だが、そのやり取りすらもみほは愛しんでいるように見えた。

 

「ふふ。むうちゃんの声聞くの久しぶりだなぁ。むうちゃんも嬉しいの? えへへ、一緒だね♪」

 

 姉弟の会話というよりも、まるで久しく会っていなかった恋人同士が語り合っているような、そんな雰囲気があった。

 

「それで、どうしたの? むうちゃんが電話してくるなんて珍しいね。うん。うん……え? 大洗に来るの!? 本当!?」

 

 ただでさえ眩しかったみほの表情の周りに星雲が瞬く。

 

「もちろんいいよ! みんなにも紹介したいし! うん! うん! え、ホテル? そんな宿泊代が勿体ないよ~。おねーちゃんのお部屋に泊めてあげるから。ね? うん♪ いいよ、おいで♪ おいしいご飯作ってあげるからね! ……え? つ、作れるもん! もう、むうちゃんたら!」

 

 まさに喜怒哀楽の百面相。

 ひとつひとつのやり取りで、ポンポンとみほの表情が変わっていく。

 そんな様子を見ている友人たちは、

 

「……なんかさ」

「はい」

「いまのみほさんを見ていると」

「うむ。とても──」

 

(なごむ~)

 

 と、心をホッコリとさせた。

 まるで幼子のように感情のビックリ箱となっているみほ。

 普段なら決して見せない遠慮のない態度がまた新鮮で、見ていて飽きない。

 きっと身内の前ではこんな感じなのだろう。

 親友の新たな一面を垣間見ることができて、四人は満足げな笑みを浮かべた。

 そんな癒し効果を与えているみほの表情は、やがて愛情の込もった優しいものへと落ち着いていく。

 

「──うん。じゃあ、待ってるね? うん──ふぇ!? も、もう、むうちゃん! あいかわらず平気でそういうこと言うんだから、もう~……」

 

 何か恥ずかしくなることを言われたのか、みほは顔を真っ赤にする。

 しかし、満更でもないような顔つきであった。

 

「……ううん。そんなこと、あるわけないでしょ? ……言ってほしいの? もう、甘えん坊さんなんだから」

 

 身体をモジモジとさせながら、みほはまるで口づけでもするように唇を電話口に寄せて、

 

「──おねーちゃんも、大好きだよ?」

 

 恥ずかしがりつつも、しかしたっぷりとした情愛を込めて、そう言った。

 

 

 

 顔を紅潮させたまま、みほは電話を終える。

 

「はあ……ふふ」

 

 持ち前の性格から照れくささが抜けないようだったが、その顔はご機嫌だった。

 久しぶりに弟と話せて気持ちが大いに弾んだのだ。

 つい名残惜しむように、携帯電話に視線を注いでしまうほどに。

 

「もう、本当にむうちゃんはいつまでも……はっ!」

 

 そこでみほは友人たちが目の前にいることをようやく思い出す。

 四人の親友はニヤニヤとニコニコと暖かな笑顔をみほに向けている。

 それは、とてもとても優しい笑顔だった。

 ボンっとみほの頭から湯気が上がる。

 

「あ、あの、そのね? いまのはね」

 

 周りの目も気にせず、弟を前にしているときと同じ調子を恥ずかしげもなく披露してしまったことを誤魔化そうとするみほだったが。

 時すでに遅し、である。

 

「“むうちゃん”、ですかー」

「ふ、ふええ!」

「みぽりんったらぁ、弟くんとアツアツじゃーん」

「はにゃあああ!」

「本当に仲のよろしいご姉弟なのですねー」

「あうあうあうあう!」

「やっぱりブラコンだったんじゃないか」

「ち~が~う~の~~!」

 

 畳みかけてくる追い打ちの数々に、みほは首をぶんぶんと振って否定する。

 

「な~にが違うのよ~。あーんな甘ったるい声で『むうちゃん♡』なんて言ってぇ。みーぽりんったらカワイイんだからぁ♪」

「そそそ、それはぁ! えーと……お、弟の名前『武佐士(むさし)』って言うんだけど、ほらそのまま呼ぶと堅い感じするでしょ? だから親しみやすさを込めて“むうちゃん”って呼んでるだけだから! 昔の習慣が抜けてないだけだからぁ!」

 

「でも、ご自分の部屋に泊めても気にならないほど仲がいいわけですよね?」

「ゆ、優花里さんまで! きょ、姉弟なら普通だよ! 弟はあくまで弟だもん!」

 

「ですが先ほど『大好き』と……」

「弟が先に言ってきたの華さん! わたしも言わないと、ほら、ショックで泣いちゃうかもしれないし……」

 

「普通はその歳で『大好き』とは言い合わないと思うぞ。やはりブラコンにシスコンか」

「麻子さーーん!」

 

 みほはすっかり茹蛸のようになった。

 いくら言い訳をしようと決定的な場面を見せてしまった以上、どう頑張ったところで印象が覆ることはないのだった。

 

「まあとりあえず、みぽりんの大好きな弟くんが大洗に来るわけね!」

「うー……」

 

 当分これをネタにからかわれるんだろうなぁと、みほは半ば観念した。

 幸い、いま話の流れはみほの弟を迎える方向へ転じているが。

 

「西住殿の弟殿ならば盛大に歓迎しなくてはいけませんね!」

「はい。ではわたくしは歓迎の花をご用意いたしますね♪」

「せっかく姉弟水入らずで会うんだぞ? あまり騒がないほうがいいんじゃないか?」

「なーに言ってるの麻子! どうせなら大洗のいいとこ知ってもらおうよ!」

 

 相変わらずの切り替えの早さに、みほはタジタジとなる。

 

(でも、まあ……)

 

 こういう落ち着きのないハチャメチャな日常が、愛おしくもあるわけだが。

 きゃっきゃっと弟をどう迎えようかと盛り上がるその光景は、実に大洗らしい。

 

「みぽりん! 弟くんの好きな料理って何? わたし男の子が好きな料理なら大抵作れるから、ご馳走してあげられるよ?」

「西住流家元で育った男児というのはやはり興味深いですね。ぜひお話してみたいです!」

「みほさんの幼少時のお話などもお伺いしたいですね♪」

「まあ、わざわざ来るって言うなら挨拶ぐらいはしておくか。遅刻の件といい、おばあの件といい、西住さんたちには世話になったからな」

 

 快く弟の武佐士をもてなそうとしている親友たち。

 そんな彼女たちを前にすると、みほは先ほどの失態も忘れて、その情の深さに感謝したい気持ちになるのだった。

 彼女の表情はすでに、いつもどおりの笑顔だった。

 

「──みんな、ありがとう。来たら紹介するね? 弟の武佐士を」

「あれ? “むうちゃん”って呼ばないのみぽり~ん?」

「も、もう沙織さん!」

 

 格納庫にのどかな笑い声が広がった。

 

 

 

 親しいからこそ、からかったり、冗談を言い合ったり、笑い合うことができる。

 一見当たり前のようで、しかしとても掛け替えのない日常の断片。

 そんな尊い日々を送っていることを、弟の武佐士に知ってほしい。

 自分の新しい居場所を、自分が大好きな仲間たちのことを、たくさん知ってほしい。

 

(楽しみだな)

 

 愛弟と再会できる日を、みほは待ち遠しく思うのだった。

 

* * *

 

 一方、西住邸では。

 

「……」

「まほ姉さん。機嫌直してよ」

「約束が違うじゃないか武佐士。ずっと私の傍にいると言ったくせに、大洗へ行くのか?」

「ずっと、とは言ってないと思うよ?」

「私よりも、みほがいいということか」

「どうしてそうなるの」

 

 大洗へ出発する前夜、武佐士はむくれている長女を嗜めていた。

 子どものようにぷくぅっと頬を膨らませている姿からは普段の威厳など何も感じられない。

 黒森峰の隊員たち(特にハンバーグ好きの副隊長)が、こんな有り様を見たらショックのあまり卒倒するに違いない。

 半分はギャップ萌えで卒倒するかもしれない。

 

「三日ぐらいで帰ってくるから。ね? お土産も買ってくるから」

「三日も武佐士と触れ合えないだと? 私に死ねと言うのか?」

「大袈裟だよ姉さん。学園艦にいる間はもっと長く離れてるでしょ?」

「正直に言えば毎日でもエリカにヘリを出してもらってお前の学園艦へ押しかけようと思っているんだが、我慢しているんだ」

「これからも我慢してね。そのエリカさんって人が気の毒だから」

「我慢している分、この休みの間はお前と大いに触れ合おうとしているというのに……お前という薄情者は」

 

 そう言って、まほはツーンとそっぽを向いてしまう。

 

「まほ姉さんったら」

「ツーンだぞ」

「口で言わないでよ」

 

 まほは一度こうなると、なかなか許してくれない。

 母に似て本当に頑固であり、そして素直でないのだ。

 

(もう。一緒に行きたいなら、そう言えばいいのに)

 

 自分だけが気掛かりなくみほと会うから拗ねているのだろう、と武佐士は見当違いな推察をしていた(その辺りの嫉妬が若干混じっているのは事実だったが)。

 

 とは言え、前もって相談もなく勝手に決めてしまった分、自分に非があるのは事実。

 ここは年下の自分が折れるべきだろう。

 

「わかったよ姉さん。今夜は姉さんの言うこと何でも聞くから、それで機嫌を……」

「ほう。何でもと言ったな?」

 

 ギラリとまほの目に妖しい光が瞬いたのを武佐士は見逃さなかった。

 武佐士は思わず身震いした。

 

「男に二言はないな?」

「あ、ありません」

 

 正直「あ、やっぱタンマ」と言いたかったが、それだと余計に機嫌を損ねてしまうので押し黙った。

 

「覚悟しろ。今夜はたっぷりと“ムサシニウム”を補給するからな」

「何ですか“ムサシニウム”って」

「細かいことは聞くな。とにかく、命令を言うぞ?」

 

 ごくり、と緊張から唾を飲み込む武佐士。

 まほのほうも、なぜか頬を赤く染め、決意を固めた表情でいる。

 よし、という具合に、口を開く。

 

「武佐士──私と、寝ろ」

「え? ……ああ。いいけど」

 

 なんだそんなことか、と武佐士は拍子抜けした。

 

 一緒の布団で眠る。

 それぐらいのことなら実家に帰ってからというもの、ほぼ毎日のようにやっているではないか。改まって言うことでもないだろうに。

 とにかく無理難題を言われないで本当に良かった、と武佐士は心底安心した。

 

「……思いのほかあっさりと受け入れるんだな。男らしいぞ、武佐士」

 

 あっけらかんとしている武佐士に、まほはうっとりとした眼差しを向けるのだった。

 

 草木が眠る時刻。

 月の明かりしかない闇の中で、二人の姉弟は互いに寝間着浴衣に着替えて同じ寝床に横たわる。

 

「……」

 

 まほは薄着に隠された肉感的な肢体を愛弟に押しつける。

 当然、下着など身に着けていない。

 ちょっとしたことでも豊かな胸元がはだけそうな状態で、まほは妖艶的なほほ笑みを浮かべる。

 

「武佐士……今夜は寝かさないからな」

「いや、夜更かしは良くないよ姉さん? それに僕、明日は早いし」

 

 ごとん、とまほは布団の中で器用にズッコケた。

 

「お、お前という奴は、意味を理解していなかったのか。あいかわらず乙女心がわからん奴め。いいか武佐士、こういうとき女が覚悟を決めて『寝ろ』と言ったらそれは……」

「すぴー」

「そしてあいかわらず寝つきのいい奴だな」

 

 ハァと、まほは溜め息をついて先に眠ってしまった弟の頬を憎らしげに突いた。

 

「まったく。お前が同意してくれないと意味がないんだぞ? 無理やりというのは、私も好かないからな」

 

 弟を伴侶としたい自分の()()()思いを頑なに認めない母を説得させるためには、武佐士にも合意してもらわなければならない。そう考えられる程度には、まほもまだ冷静ではあった。

 そして、()()()()のはやはり、互いを深く思いやりながらが乙女としては望ましい。

 一方的なのは、暴力と変わらないのだから。

 

「仕方ない」

 

 その日は愛弟を抱きしめながら寝ることにした。

 大洗への旅は、それで許すことにしよう。

 気を付けて行くんだぞ、と心の中で呟きながら頭を撫でる。

 

「姉さん……」

 

 胸の中で武佐士が寝言を呟く。

 はたしてどちらの姉と夢の中で会っているのだろう。

 自分であってほしいと思ったが、しかし、みほであってほしいとも思った。

 

「……ふっ」

 

 姉としてのほほ笑みを、まほは静かに浮かべる。

 すやすやと眠る愛弟を抱きしめながら、まほも目を閉じた。

 

 ──みほに、よろしくな?

 

 どうか妹と弟が無事に再会できますようにと祈りながら、まほは眠りに落ちた。

 


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