恋のリート   作:グローイング

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黒森峰の日常① 早朝

 空気の澄んだ気持ちのいい朝だった。

 どんな気難しい人間でも、思わず背伸びしてほがらかな笑みを浮かべてしまいそうなほどに。

 しかし、

 

「はあ……」

 

 そんなお日柄でも関係なく、いつものように怒り顔を浮かべる少女が一人ここにいた。

 

「整備士。ちょっといいかしら?」

 

 苛立たしげな声が戦車の格納庫に反響する。

 戦車の整備をしていた男子整備士たちはビクリと背筋を張った。

 

「お、お疲れさまです逸見副隊長」

 

 黒森峰分校の真面目な男子整備士たちは、格納庫にやってきた逸見エリカに恭しく頭を下げる。

 しかし、作法を心得ているはずの整備士たちに向けられたのは怒りの眼差しだった。

 それはまさに『ギロリ』としか形容のしようがない鋭い怒気に満ちていた。

 整備士たちはますます萎縮する。

 

「……アンタたち、また止めなかったのね?」

 

 エリカはただ冷ややかにそう尋ねる。彼女が何に苛立っているのか、整備士たちはすでに理解していた。

 整備士の一人が身体をこわばらせながら答える。

 

「す、すみません。レイジさんがどうしてもっておっしゃるので……」

 

 黒森峰の日常をよく知る者も、事情をすぐに察することだろう。

 話の筋からしてまたもや新留礼慈(あらとれいじ)が整備関連で何かやらかしたのだと。

 そして、それを止めなかった整備士たちも同罪とばかりにエリカが責めているのだと。

 

 整備士の情けない返答に、エリカは呆れの溜め息をつく。

 

「アイツの家柄が気になって口出しできないっていうなら、無用な心配よ。別にアイツは家の権力を振りかざすことはしないし、なにより本人がそういうのを嫌ってるんだから。アホなことしたら遠慮なくガツンと言ってやんなさい」

「ですけど新留(あらと)財閥はドイツ戦車のレストアに貢献してくださった企業ですし、そこの御曹子のレイジさんに何か意見するってのはどうも気が引けて……」

 

 エリカは再び嘆息した。

 

「それはアイツの祖父の代での話でしょ? どら息子が継いだ今じゃ幹部に仕事丸投げのどうしようもない企業でしかないわ。アイツはそんな父親を心底毛嫌いして家と縁を切ってる。ほら、何も関係ないでしょ。だから義理立てする必要なんてないのよ」

「ですが……」

「ああ、もう」

 

 生真面目な整備士たちを前に、エリカはこめかみを抑えた。

 

 分校とはいえ彼らも黒森峰の生徒。実直で何事にも真面目な優等生たちの集まりである。

 物腰は低く、常に礼節を欠かさず、整備の面でも最高の仕事をこなしてくれる。まさに模範的な補佐役の在り方と言えよう。

 

 だがその分、イレギュラーな事態に対応できないところがある。特に礼慈のような常識の通用しない、奇天烈で奇怪な奇行に走る奇人の前では何も言えず、そのまま流されてしまう。

 エリカは彼らのそういう一面に、つねづね苛立ちを覚えていた。

 まったく、模範的過ぎるというのも時には考えものである。

 

 しかし彼らがここまで礼慈に義理立てをするのには、もっと別の理由があることもエリカは知っていた。

 

「副隊長。確かにレイジさんは突飛なことをする人ですけど、僕たちが困っているときはいつもフォローをしてくれるんです」

「整備の腕だって俺たちよりもずっと高いし、学べることも多いんです。だからレイジさんには伸び伸びとやりたいことやって欲しいと言いますか……」

「わかった。もういいわ」

 

 エリカは手で制した。

 これ以上、彼らに苦言を言ったところで徒労に終わるだけだとわかった。

 どういうわけか、あの奇人変態はやたらとこうして人望を集めているのだ。それがまたエリカの心を乱す。

 最初のうちは何か弱みを握られているのではないかと疑っていたが、彼らの瞳には純粋な厚意と混ざり気のない尊敬の色しかなかった。

 

 言いようのない不満と若干の嫉妬が込み上がりそうになったが、それを彼らに向けたところで意味はない。

 

「レイジはどこ?」

「いつもの場所にいらっしゃいます」

「そう」

 

 とにかく不平不満は直接元凶にぶつけることにしよう。

 エリカはそのまま格納庫の奥へと入っていく。

 

「邪魔したわね。整備を続けてちょうだい」

「……あ、あの!」

「なによ?」

 

 義理堅そうな整備士に呼び止められる。

 

「そ、その。レイジさん、確かにやることがよくわからない人ですけど。でも、それはあの人なりに逸見副隊長のことを思ってやってると思うんで。だからその……」

 

 どうか、そんなに責めないでください……と整備士は言った。

 普段から礼慈に恩義を感じているらしき感情が、ひしひしと伝わってきた。

 エリカはおもしろくなさそうに眉をひそめたが、

 

「……努力はするわ」

 

 それだけ言った。

 

「あ、ありがとうございます」

「ふんっ」

 

 エリカは長い銀髪をさらりと払って、整備士に背を向けた。不満を足音で表すように、ズカズカと歩いていく。

 

「……ったく。なんであんな男が慕われるのよ。わたしだっていつもいつも頑張ってるのに。何が違うってのよ。理不尽よ世の中。なによなによ。このっ。このっ」

 

 小声でそんな愚痴をこぼす彼女の背中を、整備士たちは冷や汗をかきながら見送った。

 

「はあ~……」

 

 重圧から解放された整備士は各々、深く息を吐いた。

 

「あいかわらず怖いですね逸見さんは」

「ああ。今回はそんなに怒られずに済んでよかったよ」

 

 日頃の苦労が如実に伝わってくるやり取りだった。

 

「……副隊長、あの性格じゃなければ本当に理想的なんだけどな」

「本当にな。ああいう怖いところがなければな」

「勿体ないよな。あんなに美人なのに」

 

 異性がいなくなった途端、整備士たちは男子生徒らしい会話に花を咲かせる。

 たとえ優等生でも彼らとて思春期の男子である。人並みに異性の話題で盛り上がるし、美しい女性には心惹かれる。

 そんな彼らにとってエリカは特に目を引かれる存在だった。ルックスだけを見れば、エリカは間違いなく絶世の美少女である。

 もし学園で美少女コンテストをやろうものなら圧倒的勝利を納めるほどに、その美貌は男を惑わす。

 

 もちろんカリスマ的人気を誇る西住まほも美人には違いないが、どちらかというと彼女は女子の人気を集めるタイプだ。

 ……あの出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる見事なスタイルに、オスとしての感情を刺激されるのは否定できないが。しかしそれでも、初心な少年心をときめかせるのはエリカのたぐいまれな美しさだった。

 遠目から見れば、我も忘れて見惚れてしまう。

 

 ……ただ、綺麗なバラにはトゲがあるのである。

 

「いくら美人でもあそこまで性格がキツイとな……」

「うん。僕だったら絶対に胃に穴が空いちゃうね」

「逆に『それがいいんだよ』って息荒くして言う上級者もいるけど……それにしたってな」

「そう思うとレイジさんってやっぱり凄いな。あの副隊長と小さい頃から一緒で、今も変わらず付き合えてるんだから」

「ああ。大物だよレイジさんは。残念なイケメンだけど」

「家が金持ちでも鼻にかけないし、それどころか自分で学費稼いでるんだもんな。発明品を売り込んで。立派だよなあ。残念なイケメンだけど」

「整備の技術も高いし、本当に尊敬するよ。残念なイケメンだけど」

「そう思うとお似合いの二人なのかもしれないな。残念美形同士」

 

 うんうんと整備士たちは深く頷く。

 あくまでも純粋に、そして好意的に。

 しかし、その場にエリカが残っていたら、間違いなく戦車で追いかけ回されるような会話だった。

 

* * *

 

 格納庫の奥には、ほぼ礼慈の独房と化している一室がある。もともとは何の部屋だったのか、もはや知る者はいない。原型が思い出せないほど、そこは礼慈の奇怪な発明品で埋め尽くされているのである。

 

 普段ならば誰も近づかない。

 というのも、礼慈の案内もなしにその独房に入ってしまうと、高確率でひどい目に遭うからである。

 

 被害に遭った生徒は「危うく誰にも見せられないような変死を遂げるところだった」とか「おぞましい生物を誕生させてしまうところだった」と青ざめた顔で述懐する。

 中には「時を越えた」とか「異世界に行った」とか「悪魔が召還された」などと明らかな嘘もあったが……完全には否定しきれないのが、あの新留礼慈の恐ろしいところである。

 魔法使いを志す彼ならば、そういう超常的なことができても不思議ではないかもしれない。と思わせるものが彼にはある。

 

 ともかく、その独房に好きこのんで近づく者は滅多にいない。そんな勇気も持てない。

 しかし、エリカはまったく躊躇わなかった。もう何年も彼女は礼慈の奇怪な発明品の被害を受け続けているのだ。

 もはや慣れ親しんだものである。決して慣れ親しみたくはなかったが。

 

 扉の前に立つ。どんどんと乱暴にノックをする。

 

「レイジ! いるんでしょ!」

 

 声をかけても返事がない。ただ中から、

 

「フハハハハハハハハ!」

 

 とバカみたいに楽しそうなレイジの笑い声が聞こえてきた。よほど何かに夢中になっているのか、ノックにもエリカの怒声にも気づかず笑い続けている。

 

「フハハハのヘヘヘヘのホッホロひぃだ!」

「どういう笑い方してんだアイツは」

 

 珍妙な笑いをする礼慈に薄気味悪さを覚えるエリカだったが、奴の奇行をいちいち気にしていたらキリがない。

 返事も聞かず部屋に入ることにする。

 

「ちょっとレイジ! アンタまたわたしのティーガーⅡに変な細工を……」

 

 さっそく本題に入ろうとしたエリカの口は止まった。

 室内のあちこちには奇怪なデザインの発明品。そしてその中心で礼慈は椅子に座って機嫌よさげに笑っている。

 初見時ならば驚くかもしれないが、見慣れた者にとっては別段珍しい光景ではない。

 しかし、

 

「フハハハハ!」

 

 ウイイインと突然、彼の座る椅子が天井に向かって高さを変えた。

 エリカはその光景を唖然と見つめる。

 

「フハハハハ!」

 

 まるで座った者の笑い声に合わせるように高さを変える椅子。天井に向かって高々と昇っていく礼慈。

 

「フハハハ! フ……」

 

 そして笑い止むと椅子は元の高さにスルスルと戻っていく。

 

「……フハハハハ!」

 

 再び笑い出すと椅子はまたグイーンと高さを変えて、座った者を天井高く持ち上げる。

 

「フハハ! ……。フハハ! ……。フハ! ……。フハアアア!」

 

 そんな具合に笑ったり無言になったりを繰り返して、椅子を文字通り上下に動かす礼慈。

 椅子はまるで絶叫マシーンのようにグイングインと激しい上下運動をした。

 そんな椅子に座りながら、礼慈は満面の笑みで言う。

 

「楽しいいぃぃぃ!」

「なんなのよ!? アンタ本当になんなのよ!?」

 

 言葉を失っていたエリカはようやく突っ込みを入れられた。

 

 礼慈の奇行には慣れ親しんだものと思いこんでいた彼女だが、それでも思った。

 わからない。やっぱりわからない。

 もう何年も一緒にいるのに、本当にこの男の行動は理解ができない、と。

 

「おお! 誰かと思えば我が幼なじみエリカではないか!」

 

 ようやくエリカの存在に気づいた礼慈は笑うのを止めて、笑顔で視線を配る。

 スルスルと天井の高さからゆっくりと降りてくる幼なじみにエリカは不審げに尋ねる。

 

「アンタ、何なのよその椅子は……」

「これかね? 人の笑い声を音声認識し、その声量の分、椅子の高さを変えられる私の最新作だ。いま私の声で認証設定をしてテストをしていたところだが、うむ。どうやら成功のようだよ。いや実にご機嫌だ! フハハハハ!」

 

 礼慈の笑い声を認識して椅子はまた天井高く昇っていく。

 

「ちょっと! 話があるんだから降りてきなさいよ!」

「フハハハ! ここからだとエリカが小っちゃく見えるぞ! うん小さい! 実に小さい! 小っぽけな存在だな君って奴は!」

「いいから降りろってんのよ!」

 

 上から見下ろされるのが何だか腹立たしかったので、怒気を込めてそう言う。

 同じ視線に戻ってきた礼慈にエリカは呆れ気味に言う。

 

「アンタ何でいつもそう意味のないものばかり作るわけ?」

「意味はちゃんとあるともエリカ。この椅子を使ってあの気にくわない生徒会長にひと泡吹かせてやろうと思ってな」

「ああ。あの上から目線で厭味な笑い声上げる分校側の生徒会長?」

「そうとも。近頃さすがに悪政が過ぎるのでな。お灸を据えてやろうと思ったのだ」

 

 変人な一面ばかりが目立つ礼慈だが、これでもこの男は正義の人間である。悪人に対しては容赦なく天誅を降そうとし、それを正そうとする。

 最もそのやり方はいつも非常識で度が過ぎたものだが。

 

「この椅子と奴の椅子をこっそりすり替えて、いつものようにバカみたく笑ったところで頭をゴチーンと天井にぶつけるという算段だ。出力を最大にする予定だから、さぞ小気味良い音を奏でることだろうよ」

 

 これだけ聞くとどちらが悪人かわかったものではない。

 ただ相手の生徒会長が悪質な人間であることはエリカも承知なので、同情の余地はないが。

 

「期待しているがいいエリカ! この新留礼慈が必ずや奴の圧政に終止符を打つ! フハハハハ!」

 

 勝利宣言のように高らかに笑う礼慈。

 グイーンと天井に向かって伸びていく椅子。

 

「ああもう! いい加減に降りなさいっての!」

 

 エリカは神経質な怒鳴り声を上げた。これでは落ち着いて話もできやしない。

 

「ちょっと聞いてるのレイジ!」

「フハハハハ! 明日が楽しみだなぁ! ンギッ!」

 

 天井からゴチンという音と「いたーい!」という声が聞こえてきた。

 

 エリカは思う。

 本当に、どうしてこんな男が慕われ、真面目な自分は怯えられるばかりなのだろうかと。

 

「それはやはり日頃の行いの違いではないかな?」

「だからナチュラルにモノローグに突っ込んでくるんじゃないわよ!」

 


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