恋のリート 作:グローイング
黒森峰では今日も過酷な訓練が行われようとしていた。
今年から副隊長として任命され──そして次期隊長候補となった逸見エリカは、愛機であるティーガーⅡへと乗り込む。
「今日は昨日のおさらいをするわよ。同じ失敗をしたら承知しないからね」
「は、はい」
車長エリカの言葉に乗員たちが緊張した面持ちで受け応える。
彼女たちが普段どういう感情でエリカに従っているのか、一目瞭然といえる光景だった。
次期隊長として任命されてからというもの、エリカの訓練への専念ぶりは凄まじい。
もともとキツメの性格にさらなる鋭さと厳しさが加わり、周りを怯えさせるのに充分過ぎる迫力と化している。
それは一重に、強豪黒森峰として恥じない戦いをしなければならない、というプレッシャーから来ている。
そして……
(証明してみせるわ。私は決して《あの子》の後釜なんかじゃないってことを)
脳裏に浮かぶ存在が、エリカの心に火をつける。
「エンジン始動」
愛機たる猛虎にも命の火を灯す。
さあ今日も始めよう。
敬愛する西住まほの後継者として恥じない戦車乗りになる。そのための訓練を。
唸りを上げるエンジン音。
軋む鉄の音。
そして「ppppppppp」と車内に鳴り響く電子音。
精神が研ぎ澄まされていくのを感じる。
まるで「相手を倒す」ためだけの情報が脳に直接流れ込んでくるように……
「教えてちょうだいティーガーⅡ。わたしはあと何輛の戦車を撃てばいい? ティーガーⅡは何も言ってくれな……ってなんじゃこりゃあああああ!!」
いつもはないはずの異音が戦車から鳴り響いている。
「ひゃあ! なんですかこの音!」
「もしかして爆発!? 他校のスパイに爆弾仕掛けられました!?」
「こ、これは! 名曲『リズム・エモーション』のSEつきver!」
「なんですかそれ~!」
困惑する乗員たち(約一名を除く)を見るに、彼女たちのイタズラではない。
というか、こんな真似をする人間は一人しかいない。
それはエリカがよく知っている。
「ぐぬぬぬ!」
キューポラから怒り顔を出すエリカ。
「レ~イ~ジ~!!」
空に向かって主犯であろう忌み名を叫ぶ。
「フハハハハハ!!」
不遜な笑い声がエリカの呼びかけに応える。
「呼んだかね? 我が幼なじみエリカよ!」
戦車の格納庫から派手な黒いツナギ服を着た少年が現れる。
見た目だけならば、それはひと目で異性を虜にしてしまうような美形だった。
西洋人形のように整った顔立ちに、それに見合う長身と細見。
肌は色白で、瞳の色は外国人のように薄く、目と眉はキリリとしている。
背筋は常に流麗に伸びており、歩き方はあたかも貴族のよう。
一見、不釣り合いとも言えるツナギ服すら魅力的に着こなしている。
容姿、雰囲気ともまさに完成された美男子である。
しかし、エリカは知っている。いやというほど知っている。
この男は、口を開けば、ただの『奇人変態』でしかないということを。
キッと、エリカはただでさえツリ目の瞳を刃のように鋭くして現れた男を睨みつける。
「
「いかにもタコにも! 気に入ってくれたかね?」
「んなわけあるか! なんなのよアレ!? エンジン入れた途端なにごとかと思ったでしょうが!」
「性能面ばかり重視して整備するのも芸がないと思ってな。音響効果による精神面のサポートをコンセプトに想像の翼を広げてみたのだ」
「アホか!? わたしの戦車をオモチャにすんじゃないわよ!」
「ときには遊び心も大切であるぞエリカ」
「限度があるわよ!」
怒りのボルテージが上がっていくエリカと対照的に、少年は涼しい顔をしている。
「本当ならば砲塔が回るたびに『ブッピガン!』と相手を威圧する音を出したり、敵の砲弾が着弾するたび『ダイナマン!』と焦りを引き起こす音響効果を用意することで双方の精神鍛錬に繋げられればと思ったのだが……」
「やかまし過ぎて集中できるかそんなの! 精神負荷でしかないわ!」
「しかし私の美学に反するので今回は取りやめたのだ」
「一生取りやめてろ!」
目の前の男は高い整備の腕と技術力を持っている。
しかしその腕前が正当な形で活かされたことはない。
いつだって努力の方向音痴な新機能を生み出しては、こうしてエリカの怒りを買っているのだ。
まさに「変態に技術を与えた結果がコレだよ」である。
「いいからとっとと直しなさい! なんかあのままだと無意味にやたらと自爆が起きそうで怖いのよ!」
「ティーガーⅡにピッタリではないか。聞けばあの戦車、敵に撃破された数より味方に爆破処分された数のほうが多いというではないか。確か巨大で重すぎるあまり戦場で壊れても回収できないゆえに
「言うなソレを!」
「要するにダイエットは大切という教訓であるなエリカ。というわけだエリカ。あまりハンバーグを食べ過ぎるのではないぞ! また最近体重のメモリが増加したそうではないか!」
「黙れこの残念美形がああ!!」
ぴょーんとキューポラから出て、憎き相手に飛び掛かるエリカ。
スラリと伸びる美脚で回し蹴りをするも、男はそれを「おっと」と言って容易にかわす。
「ぐっ! なんでそんな簡単に避けられんのよ!」
「フハハハハ! 当然だろうエリカ。私は整備士であり発明家であり同時に武道家でもあるのだぞ? この間の練習試合で戦ったサンダースの“猛牛”くんの拳と比べたらこの程度の蹴りなど、そよ風に等しい!」
「むきいいいい!」
エリカは翻るスカートも気にせず連撃を繰り出す。
「今日こそはアンタに引導を渡してくれるわ!」
「フハハハハ! 元気なのは良いことだエリカ! だが淑女としてそれは如何なものかな? それとなぁ、あまり背伸びしたデザインを履いても逆に子どもっぽく見えるだけだぞ?」
「死ね!」
そんな二人を、周りの隊員たちは「またか」という具合に眺めている。
逸見エリカと整備士の
幼なじみである二人のこのやり取りは、もはや黒森峰のひとつの名物と化しているのだった。
「アンタって奴はいっつもいっつも余計なことを!」
「余計なこととは何だエリカ! すべてはお前のためを思って私が天才的発想と技術でもって戦車道に新風を巻き起こそうとだな」
「そういうのをいらんお節介って言うのよ! そもそも戦車道は伝統競技なのよ!? 新しい試みとかそんなものいらないのよ!」
「堅い! あいかわらず堅いぞエリカ! あずきのアイスみたいにカッチカチだ!」
「やかましいわ! まったく何のために黒森峰に分校を設立してアンタたち男子整備士を迎え入れたと思ってるの!?」
「専属の整備士を配備し、選手たちを訓練に専念させるため。ひいては重量級過ぎるあまり女子のパワーでは扱いきれないドイツ戦車を修理する男手が必要だったのだろう?
存じているとも。以前はプロの整備士を雇っていたようだが、予算削減のため学生整備士を育成するカリキュラムを設立したということもな」
「わかっているならそのカリキュラムどおり戦車を整備しなさいよ!」
「この新留礼慈はルールなどに縛られない! 我が想像力は天を越え、銀河を越え、人類を未来へ導く光となるのだ! 何人たりとも我が創造を阻むことはできん! フハハハハ!」
「誰だあ! このマッドサイエンティストの入学を許可した教師陣はああ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐエリカと高らかに笑う礼慈。
厳格な黒森峰には似つかわしくない幼稚な喧嘩が、隊員たちが見ている間で繰り広げられていた。
* * *
「た、隊長。止めなくてよろしいんですか?」
三年生の隊員が、隊長の西住まほに進言をする。
訓練場で攻防を続ける男女二人。
このままでは練習にもならない。
「必要ない」
同級生にすら敬語を使わせるカリスマ性を秘めたまほはそう言う。
常に冷静で厳しい彼女にしては珍しく、その表情は柔和であった。
今年の全国大会以降、彼女はまるで憑き物が落ちたように穏やかでいる。
「いまのエリカにはちょうどいいだろう。近頃、根を詰めすぎて、一人で思い悩んでいるところがあったからな。一度ああして感情を爆発させたほうがいい」
「は、はあ……」
確かに最近のエリカは狂気的なまでに気を張っていた。
隊員たちも腫れ物を扱うように発言や行動には注意していた。
しかし、いまではどうだろう。
猫のように「ふにゃああああ!」と怒りの声を上げて、男子と追いかけっこしているエリカ。
副隊長の威厳もあったものではない。だが、それをまほは咎めなかった。
「あれはあれでエリカにとってはガス抜きになっているのさ」
「そ、そうでしょうか?」
「無理をし過ぎても目覚ましい結果は得られない。
そうだろうか。
どう見てもお気に入りのオモチャを弄っているようにしか見えない。
「それに、新留の行いは私たちにもいい影響を与えている」
「え?」
「周りを見てみろ」
まほにそう言われ、周囲に意識を配ってみる。
いつも任務に忠実で、決まり事を破らない優等生たち。
逆を言えば、遊びや息抜きを知らない彼女たちは──エリカと礼慈の喧嘩をクスクスとほほ笑ましそうに眺めていた。
ティーガーⅡの乗員たちも、恐れていたはずのエリカに対して親しみのこもった苦笑を向けている。
「副隊長ってほんと
「怖い人だけど、ああいう一面があるって知ると親近感わくよね」
それは黒森峰では滅多に見られない仲睦まじい光景だった。
去年まではとても考えられなかった穏やかな空気。
普通なら叱るべき状況だ。
気が緩んでいるぞと。自分が一年生のときは間違いなくそう叱咤された。
しかし、現隊長のまほはそうしない。
「隊長、どうして……」
「いまの我々に必要なのは、堅実に統制された部隊よりも、各隊員の個性を最大限に引き出し、自己判断で行動できる部隊だ。そのためにまず必要なのは……」
いまのように心の壁を取り払うこと、とまほは言う。
「……隊長は、これを
「そこまでは言っていない。ただ、去年まで真面目だった新留がああしてふざけた真似をするのは、奴なりに一年前と今年の試合に思うところがあるからではないかと、私は踏んでいる」
「……」
一年前と今年の試合。
あのふたつの戦いは本当に、黒森峰の欠点が浮き彫りになった試合だった。
それに気づかず、克服しなかったゆえに、自分たちは二度も優勝を逃した。
まさかあの男は、そんな黒森峰に不足していたものを、取り入れようというのだろうか。
自分たちに足りなかったもの。
いわゆる、信頼関係というものを──
「……考えすぎではないでしょうか」
認めがたいものを感じて、少女はそう言った。
「そうかもしれないな」
まほも否定しなかった。
そうである。きっと思い過ごしだ。
あの黒森峰きっての問題児がそこまで計算して動いているはずがない。
もしすべてを予測して行動を起こしているというのなら、そんなの……
空恐ろしすぎる。
「まあ何はともあれ、ああして仲のいい二人を見ていると、こっちまでほほ笑ましい気持ちになってしまうな」
「仲がいいって……あんな毎日のように喧嘩をしているのにですか?」
「だからこそだ。エリカがあそこまで感情的になるのは、心を許している証拠だ」
そういうものだろうか。
喧嘩するほど仲がいいとは言うが……
「もっとも私と
あ、まずいと少女は思った。
まほは愛弟の武佐士の話になると毎回暴走するのだ。
「武佐士は乙女心がわからないところもあるが、しかし一番大事な場面では気づく男だ。私が普段押し隠している気持ちも含めてな。
……そう、それは愛がなければ不可能なことだ。私と武佐士は深い絆と愛で結びついているのだ」
案の定、惚気だした。
「いかんな。無性に武佐士に会いたくなってきたぞ。あとでエリカにヘリを出してもらうか」
さり気なく足として使われる副隊長に同情した。
現在の状況も含めて。
「安心したまえエリカ! 君の戦車道はこの新留礼慈が支え続ける! 君が輝かしい道を進むためならば私はいかなる不可能をも可能にする!
そう。それこそが、君の魔法使いとなると誓った私の愛だ!」
「そんな愛いらんわ!」
苦労の多い副隊長の嘆きが空に響き渡った。
* * *
もし過去の時間に飛べるというのなら、エリカは全力で幼い自分を説得するだろう。
その男の手を決して握り返してはならぬと!
「そんな悲しいこと言わないでくれたまえよエリカ」
「モノローグに突っ込むんじゃないわよこの奇人変態があ!」
かくして、逸見エリカはこの奇怪な男との長きに渡る因縁を背負うことになった。
彼女はこの先、礼慈の『愛』と評した常軌を逸する数々の試練に巻き込まれることになるのだが……それは今後明かされていく物語だ。
そして、この新留礼慈というトリックスターは、この黒森峰に飽き足らずさまざまな場所に顔を出し、その超技術を振るう。
ときには助っ人として、ときにはライバルとして、ときには黒幕として、ときには最大の敵として、あちこちにちょっかいをかけたりするのだが……
「それはまた別の話──と言うのだろう? 演出家ならばもっと
「誰に向かって話してるのよ礼慈?」
「さてね」
……いずれにせよ、この男の奇行を止められる者は、たとえ神であっても不可能かもしれない。