恋のリート 作:グローイング
エリカの幼なじみ
偉大な栄光とは失敗しないことではない
失敗するたびに立ち上がることにある
* * *
逸見エリカの人物像について尋ねると、以下のような答えが返ってくる。
強気で頑固。
怒りっぽい。
好物はハンバーグ。
優秀ではあるが感情的になりやすい。
美人だが性格はきつい。
学食でしょっちゅう食べるのはハンバーグ定食。
ひたむきな努力家ではある。
実は面倒見がいいかも。
主食はもしかしてハンバーグ?
メディア報道や取材の場ではわりと常識人。
でもやっぱり面倒くさい性格である。
ハンバァァァァグッ!
彼女のことを知る者の大半は、このようにほぼ似た解答をすることだろう。
万人に共通の印象を残すほどの、強烈な性格と美貌の持ち主であることを物語っている。
しかし彼女が昔いじめられっ子だったということは、わりと知られていない事実である。
いまでこそ質実剛健なキツさを日常的に披露している彼女だが、幼少時は『深窓の令嬢』という称号がふさわしいほどに、大人しい少女だった。
もともとエリカは西洋系の良家に生まれた、生粋のお嬢様である。
当時はロリーターファッションに身を包み、ヌイグルミを抱いて出歩くような、それはもう愛らしい少女だった。
日本人離れした顔立ちや銀色に近い亜麻色の髪も相まって、どこか幻想じみた魅力すら放っていた。
近所の人間たちも「なんてかわいらしいお嬢さんなんだろう」と老若男女問わず、その幼き美貌に魅了されたものである(エリカが調子に乗りやすい高飛車な性格になった原因であるのは言うまでもない)。
それだけ注目を浴びる存在感を放っている以上、良からぬ感情で近づく
エリカが外出しているときや公園で遊んでいるときなどに、それは狙いすましたように現れるのだった。
「コイツなんでこんな変な髪の色してんだぁ?」
「変だよなぁ」
「知ってるぞぉ。こういう髪にしてる奴って不良なんだぜぇ」
「不良だ不良だぁ」
近所の悪童たちは、なにかとそう難癖をつけてエリカをからかった。
気になる子ほどちょっかいをかけたくなるという、典型的なアレである。
もっとも、それは初心な好意というよりは、動物染みた下賤な嗜好からくる嫌がらせだった。
衝動的で無遠慮な中傷は、とうぜん幼いエリカの純心を傷つけた。
「うぅぅ……違うわよぉ。この髪は生まれつきなんだからぁ」
もちろん正当な反論をしたところで納得するような連中ではない。
エリカが感情的になればなるほど、彼らはただ楽しむだけである。
「なによぉ。アンタたちなんか嫌いなんだから! あっち行けー! ちねえ!」
エリカがハッキリと敵意と嫌悪を剥き出しにして、罵詈雑言を浴びせ追い払おうとしても、悪童たちはケラケラとその有り様を笑うだけだった。
むしろエリカが自分たちに対し、敵意であっても意識を向けていることを喜んでいる節さえあった(きっと幼くしてMっ気があったのだろう。将来が心配なことこの上ない)。
「うぅぅ……」
根が真面目で堅物なエリカにとって、正論が通じない相手は未知の生物も同然で、対処の仕様がなかった。
どれだけ「お前たちは間違っている」「男として最低だ」「恥を知れ」といった類いの説法をしても、悪童たちのお粗末な心には到底響かない。
(誰か……)
自分にできうる限界を悟ると、エリカは救いを求めた。
こんなとき、物語だったら“正義の味方”が助けてくれるのに──
「くっ!」
そんな甘い考えをいだいた自分をエリカは恥じた。
そしていきり立つ。
負けるものかと。
こんな集団で一人の少女を虐めるような卑劣な連中に簡単に屈してはいけないのだ。
エリカは、せめて心だけは負けまいと決めて、涙の溜まった目を鋭く突きつけた。
そんな彼女の果敢な姿勢に天は感心を示したのかもしれない。
あるいは出会うべくして出会う必然だったのかもしれない。
どうあれ、
「やめたまえ!」
“正義の味方”は現れた。
もっとも、それは
──魔法使い?
声のした先に目を向けると、そこにいたのは黒いマントに鍔の広い三角帽子を身に着けた同い年ぐらいの少年だった。
夕日を背にし、公園のジャングルジムの天辺に立ち、その
「なんだお前?」
妙な恰好をした少年の登場に悪童たちは訝しんだ。
というよりアホを見るような目をしていた。
正直エリカも「なんだコイツ」と思った。
しかし黒衣を纏う少年は、そんな蔑みの目線に怯むことなく堂々と直立し、悪童たちにびしっと指を向ける。
「恥知らずどもが!」
「あぁん?」
「姿かたちなど、どうでもよいこと。人間にとって大事なのはその中身……心であろう! 貴様らの心は黒くよどんでいる! 寄ってたかって一人の少女に責め苦を味わわせるとは! 男の風上にもおけぬ腐敗堕落! 許しがたい悪逆無道である!」
少年はまるで演劇のように華美で仰々しい言葉遣いで悪童たちを罵倒した。
育ちがいいのか、幼くして難しい言葉を知っている。
一方悪童たちはいくつか聞き慣れない言葉を前に首をひねっていたが、しかしそれが自分たちをバカにした内容であることは
一気に喧嘩腰となる。
「んだとコラァ! おりてこいや!」
「上等である! この正義の代行者たる私が、貴様らに鉄槌を降す!」
少年の威風堂々としたその勇姿に、エリカはつい見惚れた。
最初はその奇抜な姿に期待よりも不安が先だったが……ためらうことなく悪童たちに挑もうとする彼は本物のヒーローみたいだった。
彼なら本当に自分を助けてくれるかもしれない。
エリカの心が光に満ち溢れる。
「覚悟しろ悪人! とう!」
黒衣を翼のように翻し、ジャングルジムから飛び降りる少年。
恐れを知らないその行動はまさしくヒーローそのもの……
グギッ
「あ、いたーい!」
着地したヒーローは足の痛みに悶えた。
拍子抜けする光景にエリカも悪童たちも思わずズッコケた。
「イタイイタイ! さすがにジャングルジムから飛び降りるのはカッコつけすぎちゃったかな~!」
「何しに来たのよアナタ!」
膝をさすりながら情けない声を上げる少年に思わずエリカは駄目だしをしてしまう。
その横で悪童たちがゲラゲラと笑う。
「なんだコイツ。けっきょく口先だけのマヌケ野郎だぜ!」
「そこの変な髪の色した女と一緒でコイツも変な奴だー!」
「やーい。変なのコンビ~」
「ぐぬぬぬ……」
エリカは苛立ちから歯噛みした。
これでは悪童たちに余計なからかいのためのエサを与えたようなものではないか。
ちょっとでも黒衣の少年に見惚れた自分が恥ずかしい。
希望が失望に変わりかけたそのときだった。
「──ほう。彼女の髪のどこがおかしいというのかね?」
さっきまでの情けなさはどこに消えたのか。目の前には、大人にも負けない気迫を携えた少年が、真っ向から悪童たちと対峙していた。
びくっと悪童たちが怯む。
「な、なんだよ。変なもんを変って言って何が悪いんだよ!」
少年の豹変に困惑しながらも、悪童のリーダー格は食ってかかった。
しかし、少年は動じない。
「貴様らの目は節穴か? 彼女の髪をどこから見れば、からかいの対象になるというのだ?」
「うっせー! 俺たちと違う髪の色してっから変だって言ってんだよ!」
「見識の狭い奴だ。そしてひどく自己中心的だ。貴様のような人間には、世の中はさぞつまらないものとして映っているだろうよ。価値あるものの価値がわからないのだから」
「あぁん? さっきからワケのわからないこと言って話逸らしてんじゃねーぞごらぁ!」
「そして言葉の真意も図ろうとせず、ただ衝動的に暴言と暴力を振るうばかり。我が屋敷にいる大人どもとなんら変わりはしないな」
「なにぃ?」
「わからないのなら、わかりやすいように言ってやろう」
少年はエリカの前に立つ。
悪意から庇うように。
理不尽から守るように。
そして少年は言う。
「彼女の髪はきれいだ。その容姿も。そして、その心もだ。貴様らのような人間に負けんと挑む勇気ある心を持った彼女を──バカにする権利はない」
ドクン、とエリカの胸が鼓動を打つ。
よく大人たちに「かわいい」と持てはやされたエリカだが、こうもハッキリと「きれいだ」と言われたのは初めてのことだった。
それも歳の近い男の子の口から。
容姿どころか、心そのものまでがそうだと。
少年の背中から、エリカは目が離せなくなった。
「それに、世の中にはもっとおかしな色をした髪の持ち主がいるのだぞ?」
「嘘つけ。そこの女の髪より変わった色した人間がいるのかよ?」
「いるとも」
少年は不適な笑みを浮かべて、三角帽子を手にかける。
まるで手品を見せるような動きで帽子を取っていく。
そんな少年の一挙一動すら、エリカは目を逸らすことができなかったが……
「私の髪の色はレインボーだ!」
「ぎゃああああ! 目にイテエエエ!!」
極彩色に輝く少年の頭髪はさすがに直視できなかった。
「フハハハ! どうした悪童ども! なぜ逃げる! この世にも珍しいレインボーヘアーをとくと見るがいい!」
「やめろ! こっちに寄るな! 見てると気分が悪くなる!」
「遠慮することはない! ほれほれ光が当たる角度によって色が変わるんだぞぉ!」
「やめろっての! ポケモ〇ショックになるわ!」
「レインボーフラァァァッシュ!!」
「こいつ人間じゃねえええ! 化けもんが出たよお母ちゃああああん!」
「フハハハハハ!」
「……」
少年はエリカを助けるために奔走してくれている。
それは間違いなかった。
しかし。
しかし、である。
それでもエリカは思った。
──わたしは何を見せられているんだろう。
目の前の状況をどう受け止めればいいのか。
幼い彼女には処理しきれない奇天烈な救済譚がいまここに披露されていた。
「ひいいい! もう勘弁してくれーーー!」
「ふん! これに懲りたら二度と彼女を虐めないことだ! もしまた同じことをしたらそのときは……レインボーフラァァァッシュ!!」
「いやああああ!! 気が狂ううううう!!」
サイケデリックに瞬く光を前に、悪童たちはいつのまにか退散していた。
公園に残ったのは茫然としているエリカと、「正義は勝つ!」と勝利のポーズを決めているレインボーボーイのみである。
「もう心配はないぞ君。ケガはないかね?」
「う、うん。だいじょうぶだけど、そんなことより……」
安心よりも先に純粋な疑問と恐怖がエリカを支配している。
恐る恐る、エリカは尋ねる。
「あ、あなたの髪って、ほんとうにその、生まれつきそうなの?」
「ん? まさか。こんな人類が存在するはずなかろう」
当然のごとく、それは虹色に光るカツラだった。
彼の本来の髪の色はどこにでも見られる黒色だった。
人型の突然変異と出くわしたのではないかと肝を冷やした分、エリカは深く安堵した。
同時にわいてきたのは「羨ましい」という気持ち。
自分も彼のような黒髪だったら、あんな変な連中に目を付けられることもなかったのに。
そんなエリカの気持ちを視線から汲み取ったのか、少年は言った。
「さっき言ったことは本心だ。君の髪はおかしくないし、とてもきれいだ」
再びストレートに褒められたので、エリカは顔を赤くした。
なぜだろう。
大人に褒められると「当然」と気分がよくなるだけなのに、同い年の異性相手にこう率直に言われると、途端に照れくさくなる。
「少なくとも、こんな髪よりは、ずっと見栄えはいい」
彼はそう冗談交じりにカツラをぶら下げた。
確かに、エリカにとってこの髪は自慢だ。自分でも気に入っている。
しかし、周りまで好意的に受け取るとは限らない。
あの連中がいい例だ。
「……きっとまた、あんな奴らがわたしの髪をバカにするんだわ」
そう考えると、この生まれ持った髪を疎ましく感じてしまうのだった。本当は好きにも関わらず。
先行きの不安がエリカという少女を気弱にする。
「ふむ。そうだろうね。ああいう連中はどうあっても、この世から消えることはない」
少年も否定しなかった。
少し悲しかったが、彼の言うとおりだと思った。
悪い人間はいなくならない。だから毎日のようにニュースや新聞で報道される。
どんな平和な時代でも悪はのさばる。それは覆らない事実。
小さい子どもでも知っている。
そう、知っているからこそ、
「だからこそ──君自身が強くなるしかない」
ごく当然のように少年はそう言った。
俯かせていた顔を、エリカは少年に向ける。
優しさと厳しさを併せ持った、そんな笑顔を少年は浮かべていた。
「強くなりたまえ。バカにする奴が現れようと、鼻で笑ってやれるぐらいに強い自信を持つんだ。自分は間違っていない。お前たちのほうがおかしいんだと胸を張って言えるようにね」
「……」
そうなった自分をエリカは想像してみた。
生まれ持った髪を美点として堂々と見せつけ、果敢に立ち上がる己の未来像を。
それは、とってもカッコイイ姿のように思えた。
なれるのなら、なりたいと心から思った。
「……でも。そんなこと、わたしに、できるかな」
「なにを言う。君は今日、奴らに向かって怯まずに正論を言い続けた」
それは、君にとって成長の“兆し”だ、と少年は言う。
本当に彼は大人みたいな言葉を使う。
「成長の第一歩は、まず自分が自分を一番信じることだ。偉大な祖父の受け入りだがね」
「……それでも、うまくいかなかったら?」
「ふむ。そうだな。君がどうしても乗り越えられない困難な壁に直面し、一人でどうしようもできなくなった、そのときは……」
少年は三角帽子を被り、ニコリと笑った。
「そのときは、私が全力で君の助けとなろう」
無邪気な笑顔だった。しかし、どこか頼もしさを感じさせる笑顔だった。
「私は趣味で演劇を見るのだが、いつもね、悪を倒す英雄よりも、人助けをする魔法使いに憧れるのだ」
彼の仰々しい口調や「私」という一人称はその演劇が影響しているらしい。
そして、黒いマントと帽子はまさに少年の憧れの姿だったのだ。
「悲しんでいる少女に綺麗なドレスを用意し、カボチャの馬車で舞踏会に行かせる。そんな風に人を助け、笑顔にすることができるのなら──それはとても素敵なことだと思うのだ。怪物退治よりは、私はそっちのほうがいい。だから……」
人助けの魔法使いを夢見る少年はその手を──もしかしたら、本当に魔法を起こすかもしれない手を──エリカに差し伸べた。
「私を、君の魔法使いにしてくれないか? お姫様」
それは、「一緒にお城に来てください。幸せにします」という王子様の告白よりも、「あなたを守ってみせる」という騎士の誓いよりも、力強い言葉のように感じられた。
「君がこれからどんな道を歩むかは知らない。しかし、それがどんな道であれ、君を輝かすためなら、私はなんだってしよう」
今日初めて会った自分に、どうしてそこまで言ってくれるのか、もちろんエリカにはわからなかったが、しかし……
彼はきっと、約束を守る。
その確信だけはあった。
だから、
「あなたの、お名前は?」
差し伸べられた手を、エリカは握り返した。
少年はエリカの小さな手を、まさに姫君として敬うように、そっと口元に寄せた。
鼓動が高鳴るのを、エリカは感じた。
彼のまっすぐな瞳から、目が離せなかった。
視線と視線を交差させて、少年は名乗りを上げる。
「
アラトレイジ。
その名は、自然とエリカの心に浸透していった。
それはエリカにとって、運命の日と言える瞬間。
宣告どおり、礼慈という少年はエリカのために助力を尽くす存在となる。
エリカにとっては数少ない気心知れた幼なじみとなる。
それだけ聞くならば、確かに人はそれを運命の出会いと称すだろう。
ロマンチックだと夢見ることだろう。
しかし、16歳となった現在のエリカは、その出会いをこう述懐する。
「あれは間違いなくわたしにとって人生が劇的に変わるファーストコンタクトで──そして
そう言ってエリカは「はあ……」と溜め息を吐く。
その理由は、彼女の現在の日常を見れば一目瞭然だが、それはまた別の場所にて。