恋のリート   作:グローイング

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アキは面倒見がいい

 風邪をひいた。

 

 寝床に横たわりながら体温計で熱を計る。

 確認……うん、無理して授業に出るとバカを見る体温だなこれは。今日は素直に休むとしよう。

 担任に連絡を入れて風邪で休むと伝える。

 継続高校は堂々と授業をサボる自由人ばかりなのでこういうときなかなか信じてもらえないのだが、我ながらひどい鼻声だったため教師は仮病とは疑わず「ゆっくり休みなさい」と言ってくれた。

 

「ああ、完全に油断したわ……」

 

 気怠げに呟く。

 風邪の原因は間違いなく昨日の野営だろうな。

 

 昨夜、ミカさんにとつぜん「一緒に星空を見よう」と誘われた。

 脈絡もなくそんなこと言い出すミカさんにもちろんクエスチョンを浮かべた。

 けどこの人が唐突な提案をするのはいまに始まったことじゃないし、言い出したら聞かないので、しぶしぶ寒空の下を寝袋持参で向かったわけである。

 

 お互い自分の寝袋にくるまって夜空を眺めつつ、ミカさんは俺に言った。

 

『星空はね、人を素直にするんだよ、ライヤ』

『へえ~』

『どんなつまらない悩みも意味のない拘りも、この広大な星空を見たらちっぽけなものだと人は自覚するのさ』

『はあ~』

『だからライヤ。君が普段押し隠している感情も自然と打ち明けたくなるはずさ』

『かもしんないっすね~』

 

 返事はほぼ適当。

 だって寒かったし眠かったし。

 反してミカさんは何やらウキウキしていた。

 付き合いの薄い人間なら「そうは見えない」と言うかもしれないが、あれは絶対に内心テンション高めだった。

 

『ライヤ。いまならどんなことを言っても不自然ではない。これまで言えなかった内なる思いを私に語るといい』

『いや、ないっす』

 

 なにやら期待の込もったミカさんの提案をバッサリと切り捨てる俺。

 

『……』

 

 沈黙が夜空に溶け込む。

 しばらくして先に口を開いたのはミカさん。

 

『なにもないのかい? 私に言いたいこと』

『ないっすよ』

 

『まったく?』

『まったく』

 

『ホントに?』

『ホントっす』

 

『……マジで?』

『マジ』

 

 珍しく砕けた言葉を使うくらいミカさんにとっては予想外だったっぽい。

 何を期待していたのかは知らないが、別段彼女に秘め隠していることなどない。

 

『いや、だってミカさん。俺普段から思ったことは正直に言ってますし。いまさら言うことなんてないっすよ?』

 

 強いて言うことがあるとすれば今回みたいに脈絡のないことに俺を巻き込まんでくれってことだが、それは毎回言ってることだしな。

 

 ……あとはまあ「俺みたいなひねくれ者といてくれてありがとう」っていう感謝の気持ちぐらいだけど、もちろんそんなこと小っ恥ずかしくて堂々と言えないし。

 それに感謝の気持ちってのは言葉じゃなく行動で示すものだ。

 それは毎日の整備で示しているつもりである。

 

 俺はふわぁっと欠伸をする。

 最近寝不足のため、眠気がマックスだったのだ。

 

『ミカさ~ん。特に話すことないなら寝ていいっすか?』

 

 視界いっぱいの星空を見ていたら本気で眠くなってきた。

 プラネタリウム見てると眠たくなるのと同じ原理だなこりゃ。

 最初は辟易していたが、なんだかんだで星を眺めながら寝るというのも悪くないかもしれない。

 ロマンチックな雰囲気に包まれたまま寝れば健やかに安眠できるだろう。

 

『……ミカさん? 聞いてます?』

 

 返事がないので眠たげな瞳をミカさんのほうに移すと、

 

 

 プク~

 

 

 なにやら膨れていた。

 いつもみたいな糸目で、頬だけ子どもみたいに膨らませているので異様にシュールだった。

 なんか知らんが怒らせてしまったらしい。

 こっちに目も向けずツーンとしている。

 

『ツーンだ』

 

 口で言いやがった。

 

『はぁ~……』

 

 あいかわらずよくわからない人だ。

 そう思いながら俺は微睡みの中に落ちた。

 ミカさんが何かを言ってきたところでもう反応はできそうになかった。

 

 

 ジジジ~ッ……

 

 

 だからジッパーが開くような音がしてきても無視した。

 本気で眠かったのだ。

 最近は戦車の整備に加え、趣味の工作でオルゴールを夢中で作ったり、アキと一緒にミカさんの部屋を大掃除したり、ミッコと木の実を大量に集めに行ったりと暇がなかった。

 今夜ぐらいはグッスリと眠るとしよう。

 やけに空気の通りがいい寝袋の中で俺はウトウトとした。

 

 

 

『……バーカ』

 

 横からそんな声が聞こえた気がしたが、その頃にはもう俺の意識は落ちていた。

 

 

 

 で、目が覚めたら寝袋のジッパーが全開になっていて、見事に寝冷えしたわけである。

 寝相わりーなぁ俺ぇと我ながら呆れたものだが……

 

 あれ? いま思うともしかしてあの女の仕業じゃね?

 

「……」

 

 まいっか。

 最近は無理ばっかしてた気がするし、ゆっくりする良い機会だ。

 

「一日寝てりゃ治るだろ……」

 

 自室の寝床に横たわって眠ることにする。

 こういうときフカフカのベッドが欲しいものだが、継続にそんな贅沢な設備なんてねーのである。

 とは言え無骨な寝床でも、寝慣れた暖かみの中はゆっくり俺の意識を奪い……

 

 

 すやすや

 

 

* * *

 

 

 額に心地良い感触があって、目が覚めた。

 

「……ん?」

「あ。起きた?」

「アキ?」

 

 目を開けると間近にあるのはアキの童顔。

 俺の額に手を当てて、自分の額に手を当てている。

 

「まだ熱いね。冷やしたタオル用意するから」

「あ、いや、ていうか……」

 

 なんでここにいるんだアキ。

 

「お前、授業は?」

「もう放課後だよ」

 

 マジか。

 そんなに爆睡してたのか俺。

 

「わざわざ見舞いにきてくれたのか?」

「うん。先生に聞いたら風邪だって言うから」

 

 アキとは同じクラスだ。

 一年前ではサボってばかりの俺だったが、最近はちゃんと授業に出ているので不思議に思ったのだろう。

 

「すごい鼻声だね。そのまま寝てていいよ」

 

 確かに今朝よりひどい声になっている。

 傍にあるティッシュ箱から一枚取って鼻をかむ。

 

「珍しいね、ライヤが体調崩すなんて」

 

 言いながらアキはテキパキと氷水を用意して、タオルを絞る。

 ぎゅっと水滴を絞りきってから、ひんやりとしたタオルを俺の額に乗せてくれた。

 デコに集中していた忌々しい熱さが一気に冷やされる。

 ふひぃ、と変な声が洩れる。

 

「気持ちいい?」

「ああ。生き返ったみたいだ」

 

 額に貼る冷え冷えのアレがなかったのでたいへん助かる。

 

「あと湯たんぽ持ってきたよ。風邪ひいたときはカラダ温めるといいんだって」

「お、おう」

 

 そんなものまで持ってきてくれたのか。

 アキはお湯を入れた湯たんぽを布でくるむと足下に置いてくれた。

 ちょうど足が冷えていたのでありがたい。

 

「どう?」

「いい感じだ」

 

 完全に快調になったわけではないが、さっきよりはマシになった。

 お礼を言おうとするとキッチンから何か吹き出す音が聞こえた。

 

「あ、いけない」

 

 慌ててキッチンに向かうアキ。

 鼻づまりで匂いに気づかなかったが、料理まで作ってくれたのか?

 実際そうだったらしく、アキは湯気がたつ皿をお盆に載せて持ってきてくれた。

 

「野菜スープ作ったんだけど、食べられる?」

「食う」

 

 食欲はあるので素直にいただくことにする。

 アキの手作り料理なら具合が悪かろうが食いたくなるけど。

 

「ブロッコリーと赤ピーマンが風邪にいいみたいだからたくさん入れたんだけど、苦手だったりしない?」

「ミカさんじゃあるまいし。食える食える」

 

 あの人「食べ物に高級も低級もない」とか言っておきながらめっちゃ好き嫌い激しいからな。

 

「イチゴも持ってきたからデザートに食べてね? これも風邪にいい果物なんだって」

 

 ……ていうかアキの奴、面倒見よすぎるだろ。

 いや、ありがたいんだけど申し訳ないというか。

 

「なんか、悪いな。いろいろしてもらって……」

「いいよ気にしなくても。ライヤには普段から整備で助けてもらってるんだし」

 

 そうだ。整備で思い出した。

 

「アキ、戦車道の練習はいいのか?」

「ん? 今日は休んだ」

「おいおい」

「一日ぐらい大丈夫だよ。それにもともと皆だって気まぐれで活動してるんだし」

 

 そうなのである。

 他の学園の戦車道履修者たちなら毎日訓練するのが普通であろう。

 しかし継続はその訓練まで気分で好き勝手にやっている。

 やりたいときにやる。やりたくないときはやらない。

 そんなスタンスでいながら大会では各強豪と接戦できる実力者だって言うんだから謎だ。

 まあその形式に縛られないってのが彼女たちの強みでもあるのだが……。

 

(あれ? でも……)

 

 けどアキはそんな自由人連中の中でも熱心に練習する奴だったはずだ。

 だから今日はたぶん……俺に気を遣ってくれたのだろう。

 

「すまん」

「だから謝らなくっていいってば。それに、ほら……この間は誤解でひどいことしちゃったし」

「え? ああ……」

 

 事故でミカさんを押し倒したとき、早とちりで殴りまくったことを言っているのだろう。

 いや、あれは誤解されるようなことした俺が悪いんだしアキが気にする必要はない(もっと遡ればミカさんが原因だが)。

 

 しかしどんなに気にするなと言っても納得しないのがアキという人間だ。

 だからこの場合、

 

「今日はお詫びに看病するから。ね?」

 

 彼女のやりたいようにさせてあげるのが一番だろう。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「うん♪」

 

 俺が素直に頷くと、アキはやたらと嬉しそうに笑った。

 

「じゃあスープ、冷める前にどうぞ?」

「おう。いただくよ」

「あ、待って。起きなくていいよ」

「え?」

 

 起き上がろうとすると、アキが手で制止した。

 まさか、と思うとアキはニコリと満面の笑みで、

 

「わたしが食べさせてあげる♪」

 

 と愛らしく言った。

 

「え、いや。い、いいよ」

「病人が遠慮しないの。ほらほら」

 

 やけにノリノリな勢いで、アキは俺を横たわらせる。

 枕を高くして食べやすい状態にすると、具とつゆを掬ったスプーンを俺に差し出す。

 

「はい、あーん♪」

「あ、あーん」

 

 正直恥ずかしかったが、上機嫌なアキを見ていると抵抗できなかった。

 

 ……ま、いっか。

 これで彼女の気が済むというのなら、したいようにさせてあげよう。

 素直に口を開いてスプーンを口に含む。

 

「……って、あちちっ」

「あ、ごめん。まだ熱かった?」

 

 慌ててスプーンを引っ込めると、アキは「ふーふー」とかわいらしく息を吹きかけて具を冷ます。

 ……そこまでしちゃいますアキさん?

 

「ん、これぐらいかな? はい、もう一度あーん♪」

「……あーん」

 

 アキは意識していないようだし、俺も意識しないほうがいいのかもしれない。

 

 パクリッ

 

「おいしい?」

「うまいよ」

 

 この具はカブかな。

 味が沁みていて大変おいしい。

 あと、この風味はゆずの皮が入ってるか?

 さすがアキ。手が込んでいる。

 俺が感想を言うとアキはますます機嫌をよくした。

 

「よかった♪ ふーふー。はい、あーん♪」

 

 今度は赤ピーマンが乗ったのをいただく。

 シャキシャキとした感触。

 

「あれ? 生だなこの赤ピーマン」

「うん。赤ピーマンってビタミンCたっぷりだけど、熱に弱いからスープと一緒に煮ないで後から入れたの」

「へえ~」

 

 家庭的だねホントこのお嬢さんは。

 彼女を嫁に貰う男は間違いなく幸せ者だろうな。

 

「しっかり食べて、早く良くなってね?」

「おう」

 

 そうして立て続けにアキは「ふーふー」「あーん」をしてくれた。

 

「~♪」

 

 食べさせるごとに彼女は嬉しそうに微笑む。

 あれかね。こうやって男に料理を食べさせるのって、女の子にとっては一種の憧れなんだろうか。

 たとえその相手が俺みたいな奴でも、行為そのものが楽しいのかもしれない。

 

 

 

「ごちそうさん」

「お粗末様♪」

 

 あっという間にいただいてしまった。

 途中から照れくさくて味がわからなくなったが、おかげでカラダは温まった。

 

「欲しいものがあったら言ってね?」

「おう。今んとこは大丈夫だ」

「そう?」

 

 手持ち無沙汰になったアキはキョロキョロと「何かできることないかなぁ」と辺りを見回す。

 なんというか、本当にお世話好きだなこいつ。

 本人は否定してるけど、ここまで人に甲斐甲斐しい奴を俺は見たことがない。

 

「あ、そうだ。ついでだからお部屋のお掃除してあげる」

「え? いや、そこまではしなくていいって」

「だってライヤ毎日小まめに掃除してるんでしょ?」

「まあ、そうだけど……」

 

 綺麗好きというか、ほぼ潔癖の俺は掃除を欠かさない。

 整備に集中しているときとかは気にならないが、それ以外の時間ではわずかな汚れでも気になってしまう。

 今日みたいに具合が悪い日はさすがに掃除を控えるけど……まあ気になると言えば気になる。

 

「ね? だから代わりにわたしがやってあげるから」

 

 アキはそう言ってウインクをした。

 

 天使かな?

 ずるいなオイ。

 そんなかわいく言われたら、

 

「ああ~……じゃあ、お願いします」

 

 誰だって折れちゃうじゃないか。

 

「~♪」

 

 アキはハミングを奏でながら箒で床掃除をする。

 毎日掃除しているのでそんなにゴミはないが、それでも彼女は丁寧にやってくれた。

 

「雑巾がけもしておくね?」

「ん」

 

 そんな本格的にやらなくていいぞーと言うために顔をアキのほうに向けると……

 

「っ!?」

 

 雑巾がけでしゃがんでいるアキの後ろ姿が映った。

 そして見えてはいけないものが丸見えだった。

 

 短すぎるスカートの中から、真っ白いものが。

 小さいながらも、形のいい丸みが思い切り。

 サッと真っ赤になった顔を逸らす。

 

「ア、アキッ」

「ん? どうかした?」

「いや、その……」

 

 言うべきか迷う。

 黙っといたほうが互いのためではないだろうか?

 ……いや、不可抗力とは言え、一度盗み見ちまった以上、隠すのは卑怯だ。

 

「なにライヤ?」

「だから、その……み、見えてる」

 

 俺は正直に言うことにした。

 

「へ? 見えてるって……っ!?」

 

 俺の指摘でアキも気づいたらしい。

 バッとスカートを抑える音が耳に届く。

 

「……エッチ」

「……わりぃ」

 

 素直に謝る。

 無防備なそっちが悪いとか言うのは無しだ。

 こういうとき全面的に謝るべきなのは男のほうである。

 

「う~……」

 

 真っ赤な膨れっ面でアキは正座をした。

 短いスカートを意識するように手で抑えている。

 俺の視点からだとちょっとしたことで見えてしまうと気づいたためか、ジッと動かなくなった。

 

「……」

 

 気まずい空気が続く。

 参ったな。怒らせちまった。

 でも言わぬままバレるよりは正直に打ち明けたほうがまだ誠意は……

 などと考えがごっちゃになっていると、汗がドっと出てきた。

 

 ていうか熱いな。

 あつあつのスープを食べた影響か、寝間着が汗でぐっしょりと濡れていた。

 まずいな。こりゃ放っておくとまた寝冷えしそうだ。

 アキもそれに気づいたらしい。

 ジト目で俺の寝間着に目を配る。

 するとまるで拗ねるように顔を逸らしてから、

 

「……脱いで」

「は?」

 

 なんかとんでもないことを言い出した。

 

「え? 脱ぐってまさか……」

「そうだよ。寝間着を脱ぐの!」

「なんで!?」

「カラダ拭いてあげるからだよ!」

 

 そう言うとアキはやけくそ気味にお湯とタオルを用意してきた。

 

「ほら脱いで!」

「脱げるか!」

 

 なに言い出すのこのお嬢さん!

 いきなりすぎるわ!

 脱げって言ってるアキ自身、顔真っ赤だし!

 

「わ、わたしに恥ずかしい思いさせたんだから、ライヤも恥ずかしい思いしなきゃ不公平だよ!」

 

 ああ、なるほど。

 それなら納得……できるか!

 

「顔真っ赤にしてなに言ってんだ! そっちだって結局恥ずかしい思いすんなら意味ねーだろ!」

「う、うるさい! もう~! 脱がないならわたしが脱がしちゃうから!」

「きゃあああ! アキのエッチー!」

 

 乙女みたいな悲鳴を上げる俺の衣服をアキは装填手特有の手練でポンポンと脱がした。

 ……念のため言っておくと上半身だけですよ?

 

「じ、じっとしててね?」

「あいよ……」

 

 もう脱がされちまったもんはしょうがないので、抵抗をやめて身を任す。

 変に拒否して風邪悪化させるのもアホらしいしな。

 もう好きにしてくれって感じで背中を拭いてもらう。

 

「……」

 

 アキは黙々と俺の背中に温かいタオルをあてがう。

 

 ふう。

 困惑はしたけど、やってもらうと何だかんだで気持ちがいいものだなこれは。

 

「ふわぁ……」

 

 妙に熱の込もった視線があるのはちょっと気になるけど。

 

「すごく、ゴツゴツしてる……」

 

 というかアキさん。

 もはや汗拭くというより単純に触ってるだけじゃありませんか?

 

「ライヤ」

「な、なんだよ」

 

 変にうっとりしているアキにこわごわと答える。

 

「背中、広いね」

「……そりゃあ、お前から見たらな」

「でもその辺の男の子よりすごいと思うよ? 筋肉とか、こんなクッキリ形が出てるし」

「……まあ、一応中学は武道やってたしな」

 

 継続に入学する以前、俺はとある武道に専念していた。

 いまはやっていない。

 基礎的なトレーニングは絶やしていないので、身体能力そのものは維持されているが……恐らく勘は鈍っているだろう。

 ブランクが空きすぎた。

 ある一件から、俺は競技そのものに参加しなくなっていた。

 

「……」

 

 机の上にはその武道で使用していた道具が置かれている。

 

 “Changes”と銘が刻まれた、他の者には扱えない、俺だけの専用器具。

 いまでは何の機能も持たない、使う必要性もない、ただの無機物だ。

 

 ──しかし、格納庫に眠らせている俺の“愛機”を再び機動させれば、コイツもまた本来の役割を取り戻す。

 いまでも俺の決断を待っているであろう“群青色”の相棒を呼び起こせば……

 

「ライヤ」

「ん……」

「ごめん。いやなこと、思い出させちゃった?」

 

 アキが心配そうに声をかけてくる。

 不安にさせるような顔をしていたのだろう。

 

「……いや」

 

 一年前なら、取り乱したかもしれない。

 けれど、いま俺の背中に触れている小さな手のぬくもりが、俺を落ち着かせてくれていた。

 そのぬくもりがある限り、笑顔だって作ることができる。

 

「心配すんなよアキ。俺なりに、折り合いはつけられてっから」

「……うん」

 

 穏やかな声で彼女を安心させる。

 暗い顔を見せたら、人のいい彼女をまた悩ませてしまうだろうから、俺は微笑みを絶やさなかった。

 背中越しで、互いの視線が絡み合う。

 

「……えへへ」

 

 アキも笑顔で返してくれた。

 それはとても明るい、かわいらしい笑顔だった。

 

 そのままアキに汗を拭いてもらった。

 不思議と羞恥心はなくなっていた。

 アキも落ち着いた状態で、背中だけでなく前も拭いてくれた。

 

* * *

 

 汗を拭き終えると、アキはタンスから新しい寝間着を持ってきてくれたので、それに着替える。

 再び横になると、びっくりするぐらい身体が楽になっていた。

 

「……ありがとな」

「え?」

「今日、こんなに看病してくれて」

 

 かけ布団を整えてくれるアキに俺は礼を言う。

 アキは意外そうな顔で俺を見ると……やがてクスクスと笑い出した。

 

「なんだよ?」

「ふふ。だって、ライヤに素直にありがとうって言われるの、なんだか変な気がして」

「礼ぐらい俺だって言えるぜ?」

「でも、一年前では想像もできなかったよ?」

「……かもな」

 

 一年前の俺は、まあなんというか『嫌な奴』だった。

 いまこうしてアキと普通に話していることすら不思議なくらい、ひどい人間だった。

 けど……

 

「お前と約束、したからな。本当の気持ちは、ちゃんと口で言うって」

「……うん」

 

 俺がそう言うと、アキは心底に嬉しそうに微笑んで、俺の寝床の傍に寄った。

 ポンポンと俺の胸の辺りを優しく叩いてくる。

 まるで子どもをあやすように。

 無意識にそうしてしまったのだろう。

 普通なら「ガキ扱いすんなよ」と言うところだが、不思議とイヤではなかった。

 むしろ、心地いい思い出が俺の中で蘇った。

 

「……懐かしいな」

「なにが?」

「今日みたいに具合悪くなったとき、ばあちゃんによく看てもらってたんだ。こんな風に」

 

 病気になったらいつも駆けつけてきてくれた優しい祖母。

 果物やアイス食べさせてくれたり、寝つくまで一緒にいてくれたっけ。

 

「……ご両親には、されたことないの?」

「共働きだったし、毎日帰り遅かったからな。たまに来てくれるばあちゃんが、育て親みたいなもんだった」

 

 けど、その祖母と一緒にいられる時間は、とても短いものだった。

 彼女の柔らかい笑顔は、いまでもちゃんと思い返せる。

 

「ばあちゃんが亡くなってからは、病気になってもだいたい一人でなんとかするしかなかったから……なんか久しぶりだったよ、こういうの」

 

 誰かが傍にいてくれるってだけで、こんなにも違うんだな。

 

「だから、ありがとなアキ。来てくれて嬉しかった」

「……」

 

 改めて感謝を言うと、アキはとても切なそうな瞳で俺の頬に手を触れてきた。

 彼女の表情は、その童顔に似つかわしくないほどに深い慈愛に満ちているように見えた。

 

「アキ?」

「ねえ、ライヤ」

「なんだ?」

「……一緒に寝てあげよっか?」

「はい?」

 

 目が点になるわたくし。

 また何を言い出すんだこの子ったら。

 ばあちゃんの話で彼女の憐憫の情を刺激してしまったのだろうか。

 

「変なこと言うなよ」

「一人で寂しくない?」

「子ども扱いすんなし」

「……ほんとに~?」

 

 あ、これただ俺をからかってるだけだ。

 くそ。一瞬でもドキってしちまったじゃねぇか。

 

「夜中に泣いたりしませんか~?」

「しませーん」

「隣で子守歌とか歌ってあげるよ?」

「やめろっての。つうか一緒に寝たら風邪移るぞ?」

「そしたらライヤに看病してもらおうかな?」

「今日の仕返しにカラダとか拭くぞ?」

「エッチ」

「男はみんなエッチだよ。オオカミさんなんだよ。だからお嬢さん? オオカミに食べられる前にお逃げなさい」

 

 時間が時間だし、アキに帰るよう遠回しに言う。

 アキの言うように別に人恋しいわけじゃないが……こうして彼女の優しさに触れていると、本当に治まりが効かなくなりそうだった。いろんな意味で。

 しかし、アキは楽しげに意地の悪い笑顔を浮かべたまま、寝床を離れない。

 

「時間的に怖いオオカミさんが来る時間?」

 

 ニシシとどこか期待の込もった顔まで浮かべる始末。

 小生意気な娘め。本当に食べちまうぞ。

 

「ああ。こわーいオオカミが来るぞ」

 

 そう言ってわざと寝床に引きずり込んでアキをからかってやろうかと考えた矢先……

 

 

 

「ではそのオオカミの相手は私がするとしよう」

 

 ニュッと、俺たちの間からチューリップハットが飛び出した。

 

「「うわああああああああ!!」」

 

 アキと一緒に悲鳴を上げる。

 

「やあ。いい夜だね」

「ミカさん!」

 

 ああ! びっくりした!

 マジで心臓止まるかと思った!

 

「どっから生えてきてんだアンタ!」

「人をキノコみたいに言わないでもらいたいね」

 

 うっせー。半分人間捨ててるようなもんだろアンタ(社会的に)。

 

「ミ、ミカ。何しにきたの?」

「アキと同じさ。お見舞いだよ。どうやら私のせいでライヤが風邪をひいてしまったようだからね」

 

 うん。たぶん全面的にアンタのせいだね。

 

「こんな時間にお見舞い来たって迷惑なだけでしょ?」

 

 アキがいかにもな正論を言う。

 しかしミカさんは動じない。

 

「本当は早くに来てあげたかったけれど、あいにく私はアキみたいな看病はできないからね」

 

 よく知ってます。

 

「だからアキとは別の看病をいまからすることにするよ」

「別の看病?」

「何する気っすか?」

 

 アキと一緒に首を傾げる。

 すごくイヤな予感しかしません。

 

「心配することはない。これは私なりのお詫びの印さ」

 

 そう言ってミカさんは上着を脱ぎ始めた。

 

「「……なぜ脱ぐ?」」

 

 アキとツッコミが被る。

 ミカさんは聞く耳持たずやたらとエロティックに衣服を脱いでいく。

 ボタンをゆっくりと外し、白い谷間が露わになっていく。

 

 ゴクリ……。

 

 あまりの色香に思わず見入ってしまう。女の子のアキですらも。

 ブラウスを脱ぐと、タンクトップに包まれた巨大な膨らみが弾けんばかりに零れ出た。

 すげー。

 服越しでもデカいとは思っていたが薄着になると一層その存在感が主張される。

 

 あの凶悪なシロモノをこの間、俺はこの手で……

 

「……ライヤ?」

「イテテテテ」

 

 よろしくない感情を察知したらしいアキに非難の目を向けられてつねられる。

 

「ていうか、ミカ。なんのつもり?」

「おや。わからないのかい?」

 

 ミカさんはさらにスカートにまで手をかけ……ってそれ以上はシャレになんねーぞ!

 しかしミカさんは手を止めない!

 スルスルと肉実たっぷりの太ももを通ってスカートが床にパサリと落ちる。

 ほぼ半裸の状態になったミカさんはそりゃもう艶っぽい笑顔で言う。

 

「風邪をひいたときは人肌で暖めるのが一番さ」

「アホかああああ!!」

 

 アキが顔を真っ赤にして一喝する。

 うん、本当に勘弁してくださいミカさん。

 いつものように俺をからかっているんでしょうが、それだけはやめてください。

 そんな格好で密着されたらさすがに俺も冗談じゃ済ませられません。

 マジでオオカミになってしまいます。

 

「すまないがアキ。席を外してくれるかい? さすがに生まれたままの姿を友人に曝すのは私も照れくさいからね」

 

 全裸になる気かよ!

 つぅか男の俺には見られていいのかよ!

 

「さてライヤ。昨夜の続きといこう。ひとつの布団の中で、互いに真実の気持ちを明らかにしよう」

 

 やめろ! 色っぽい顔して布団に入ってこないで!

 

「風邪は相手に移すと治るらしいね。……だからライヤ、存分に私に移して構わないんだよ?」

「あばばば」

 

 健全な青少年には刺激が強すぎる扇情的な肉体が間近に迫ってくる。

 ほぼ媚薬に等しい強烈な色香を前に俺の意識がアホになりかけたところで、

 

「だ、だめえええええええええええ!!」

 

 アキの悲鳴が理性を蘇らせてくれた。

 

 おお! アキ! 頼む!

 この色ボケお姉さんを止められるのはお前しかいない!

 

「わたしも一緒に寝るううううううう!!」

「なんでそうなるんじゃああああああ!!」」

 

 ミカさんと同様、衣服を脱いで半裸状態になったアキが布団に入ってくる。

 お前だけは信じていたのに!

 

「もう~! ミカはいっつもいっつも余計なことするんだからあああ!」

 

 お前もな。

 

 アキはそのままギャーギャーと騒ぎながらミカさんを俺から押しのけようと奮闘。

 寝床の上で三人一緒にもみくちゃ状態となる。

 なんだこのカオス状態は。一気に色気が去って行ったわ。

 

「おやおや。これは残念だけれど、オオカミへの食事は一旦お預けかな」

 

 もう黙っててくださいあなたは。

 そして帰れ。

 

「お~いライヤ。風邪ひいたんだって? さっきブルーベリー採ってきたからこれ食って元気出し……ん? みんな何やってんの? おしくらまんじゅう? なんだけっこう元気そうじゃん!」

「ミッコ。お前のそういう無邪気なところが唯一の救いだよ」

 

 新たに見舞いにやってきたミッコの邪気のない笑顔に最終的に癒やされるそんな夜だった。

 

「もう~! ミカのバカあああ! なんでいっつもこうなるの~!? もう~! もう~!」

「牛かな?」

「牛はミカでしょ! このおっぱいオバケ!」

 

 というか二人とも、こちとら病人なんで寝かせてください……。

 

 

* * *

 

 

 おまけ・「真のジャンケン」

 

 

 四人でお菓子を食べていたある日のこと。

 

「あ、一個だけ残っちまったぞ?」

「ほんとだ」

「これは平等にジャンケンだな」

「ふっ。いいだろう」

 

 こういうときはいつだって恨みっこなしのジャンケンに限る。

 まず四人同時にジャンケンぽん。

 

 ミッコとアキがまず脱落。

 

「ぐわ~負けた~」

「あ~ん。グー出せば良かった~」

 

 最後に俺とミカさんでジャンケンをする。

 

「言っときますけど一回勝負っすからねミカさん」

「構わないよ。でも普通のジャンケンではおもしろみがない。ここは『真のジャンケン』で決めるとしよう」

「なんすか『真のジャンケン』って?」

「とりあえずやってみよう」

「へいへい」

 

 よくわからないが普通にジャンケンぽん、と。

 

 俺:グー

 ミカさん:チョキ

 

「あ。俺の勝ちっすね」

「普通のジャンケンならそうだね。しかしライヤ。はたして君は本当にそのグーで勝ったと言えるのかな?」

「どういうことっすか?」

「このチョキを見てごらん。チョキには他に呼び名があるだろう?」

「えーと、ピースっすよね」

「そうだね。そしてその意味は?」

「peace……『平和』っすね」

「そう。このチョキは“平和の象徴”なんだ……──それが“暴力の象徴”であるグーに負けていいはずがない」

 

「……」

「……」

 

「……くっ! 悔しいが納得しちまったぜ! 持ってけ泥棒!」

「悪いね」

 

 俺は敗北を認めミカさんにお菓子を献上する。

 なるほど。

 これが真のジャンケンか!

 

「いやいやライヤ。ミカの口車にうまいこと乗せられてるから!」

「ライヤってこういう人情話に弱いよね~意外と」

 

 

 

※真のジャンケン

 

 ジャンケン勝負でどのような結果が出ようと相手を納得させられる屁理屈を言った者が勝者となる。

 どうしても譲れないものを賭けてジャンケン勝負するときに是非使ってみよう!




 結局最後にミカさんが全部もっていく。

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