恋のリート   作:グローイング

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西住編・大洗編──アトム・ハートは絆を繋ぐ
西住家の末弟


 世に(せい)()るは事を()すにあり

 

──坂本龍馬

 

 

 ◇序曲──Ouverture──

 

 己の存在意義を問うとき、少年の胸に去来するのは過去に結んだ誓い。

 それは“原体験”のひとつ。

 

 ──お前はどんな大人になりたいんだ?

 

 暗い面持ちで沈む少年に対し、“父”と呼ばれる存在がそう問いを投げた。

 どんな答えでも受け入れる。そんな懐の広さに満ちた声色だった。

 だからこそ少年は自然と答えることができた。

 

 ──僕は……

 

 それは少年でも自覚していなかった己の理想の形。

 変えようのない現実に立ち向かうために選択した自身の在り方。

 だからこそ、そのとき口にした言葉を、少年はしかと胸に刻みつけた。

 たとえこの先の未来、(くじ)けることが何度あっても、決して(あやま)たないために。

 惑い苦しむ局面と対峙しても、この瞬間に立ち戻れるように。

 

 そして、その誓いを果たすべき日は目前に訪れる。

 

 ──ねえ。何が一番正しいのかな?

 

 精一杯強がった笑顔で、少女は訊く。

 

 ──おねーちゃんは、どうすればいいと思う?

 

 眠りついていた“心”に炉は回る。

 息吹を上げて、あるべき姿へ転じる。

 決して彼女に涙を流させないために。

 その笑顔を失わせないために。

 

 鉄のように、鋼のように強い彼女たち。

 しかし、ゆえに秘め隠されてしまう大切なもの。

 明るみに出ないまま沈んでいってしまうもの。

 

 だからこそ、少年は誓う。

 鋼の内で静かに泣き叫ぶ鼓動を、危うげに切れかけている絆を、決して見失わないためにも──

 

* * *

 

 

『次のニュースです。学園艦を集中的に狙った海上テロが急増する中、政府は各学園に警備力強化の徹底を呼び掛けておりますが、統廃合計画を進めている文科省からは「被害を避けるのであれば警備の強化以前に不要な学園艦そのものを失くすべきだ」という主張が上がっております。この発言に対し、世界プロリーグを間近に控えた戦車道連盟始め、各武道連盟は「優秀な人材の育成を妨げる悪辣な行為だ」と苦言を申しており……』

 

 バスが目的地に到着したところで、音楽プレイヤーで聞いていたラジオを停止させる。

 

「あいかわず物騒な世の中だな。姉さんたちの学園艦、何も起こらないといいけど」

 

 独り言ちながらバスを降りる。 

 代わり映えしない道に郷愁を覚えながら、僕は歩を進める。

 故郷に吹く風が、火照った身体に心地よく当たる。

 海の上で浴びる風とは、やはり違う。まるで子どもを柔らかく包み込むような優しさを、肌で感じる。

 あくまで気がするだけだけど。それはやっぱり思い入れがあるからこそ、感じるのだろう。

 

「ん……」

 

 額に流れる汗を拭う。

 

(夏、だなぁ)

 

 夏日の眩しさは、幼い頃を思い起こさせる。

 

(今日みたいな日はよく姉さんたちと一緒にアイスを買いに行ったっけ)

 

 一番上の姉さんは僕と手を繋いで「ちゃんと帽子を被るんだぞ?」といつものように優しく面倒を見てくれた。

 二番目の姉さんはまだその頃やんちゃで、一人真っ先に駄菓子屋さんに向かって「はやくはやく!」って急かしていた。

 

(懐かしいな)

 

 時間も忘れて三人で遊べた夏休み。この季節が来ると僕の心は弾んだ。

 

(……)

 

 しかし、いまこうして家路に向かって歩く僕にあるのは不安という感情。

 学園艦から実家に戻るときは、いつもそうだ。ひとつの懸念が、僕の足を重くする。

 そんなことは絶対にありえないと心の底で思っていても、もしやという可能性を頭に思い浮かべてしまう。

 いつのまにか、そんな風になってしまった。

 

 学園が長期休暇になると、僕は必ず実家に帰省する。

 独り暮らしはあまり好きじゃない。

 自立心を育む学園艦は確かに画期的で素晴らしい制度だと思う。学生が親元を離れて生活することはもはや世間の常識だし、そこに違和感をいだくほうがおかしいということもわかっている。

 それでも、僕は実家で家族と暮らすほうが好きだ。

 

 たぶん僕ほど頻繁に実家に帰る学生もいないだろう。

 友人の中には「どうせ帰っても小言を言われるだけだ。独りのほうが気楽じゃないか」と言って帰省しない者が当たり前にいる。だから僕みたいな人間は「親孝行だ」と言われる。

 

 ……そういうのとは違う。

 どちらかというと、これは“儀式”のようなものに近い。

 自分を納得させ、自分を安心させるための慣行。実家で過ごすことは、僕にとって重要な意味を持つ。

 

 いま、ふたつの感情が僕を揺さぶっている。

 家に帰りたい気持ちと、家に入ることを躊躇う気持ち。

 氷炭相容れない葛藤。

 ひとつの言葉が脳の中で反復する。

 

(言ってくれるだろうか)

 

 僕が一番求めている言葉を、あの人たちは変わらず口にしてくれるだろうか。

 いつものように、親しみを込めて、僕の名を──

 

 

武佐士(むさし)

 

 

 慈しみに富んだ、しなやかな声が僕を呼び止める。まるで母に呼ばれた幼子のように、反射的に振り返る。

 木漏れ日の下で、美しい女性がほほ笑みを向けている。散歩の帰りなのか、傍らには愛犬が嬉しそうに鼻を鳴らしている。

 何度も繰り返し見てきた、日常のいち風景。

 愛してやまない“原風景”のひとつ。

 

「まほ姉さん」

 

 声が弾んでいた。不安が嘘のように消えていく。

 彼女に名前を呼ばれただけで、彼女の凜とした笑顔を見ただけで、心に安らかな風が吹き渡った。昔と変わらない優しい顔で、彼女は最も欲しい言葉を夏の風に乗せる。

 

「お帰り」

 

 その言葉を聞いて初めて、僕はようやく安堵することができる。

 堂々と、言葉を返すことができる。

 

 ただいま、と。

 

 この当たり前のやりとりを、当たり前にできることに深い感謝を込めながら、僕はそう言った。

 

 

 

 今年も僕──西住(にしずみ) 武佐士(むさし)は、西住家の末っ子長男として帰郷することができた。

 

* * *

 

 戦車道というものがある。

 礼節のある、淑やかで慎ましく、凛々しい婦女子を育成することを目的とした、()()()()に許された武芸。

 

 西住流というものがある。

 戦車道を嗜む者なら知らぬ者はいない、最古にして最大の流派。

 西住家に生まれる娘は、戦車道の最前線を担う運命を背負う。

 幾年と繰り返されてきた厳しい教育によって、いまなお、最大の流派としての命脈をたもっている、完全なる女系の一族。

 

 僕が暮らしている家は、そういう家だ。

 

 実家の西住邸は門下生を迎える道場でもある。異様に広い敷地は戦車を運用するためのものだ。

 戦車の砲撃音、履帯が軋む音はこの家に暮らしていると慣れ親しんだものになる。

 しかし、いまは師範であるお母さまが外部に出向いているためか、屋敷は静かだ。風鈴の清涼な音色が耳に届いてくるほどに。

 そのことに、僕は少しホッとした。母とは、いま気まずい雰囲気だからだ。

 本当は仲直りしたいけど、しかし譲るわけにはいかないものが僕にはあった。あの人が折れるまで、僕も折れる気はない。

 

「んくっんくっ……ふぅ」

 

 冷えた麦茶で一服し、熱した身体を冷ます。

 

「武佐士、長旅で疲れたろ?」

 

 部屋着に着替えたまほ姉さんがそう聞いてくる。

 

「そうでもないよ」

「遠慮をするな。お母様が帰ってくるまで、まずゆっくり休め。ほら、膝枕してあげるから」

「……うん」

 

 庭の見える縁側。

 ちょうどよく日陰のある場所で、まほ姉さんに膝枕をしてもらうことになった。

 

「ほら」

 

 ポンポンと膝を叩くまほ姉さんの膝に、恐る恐る頭を乗せる。

 

(……柔らかい)

 

 安眠枕でも敵わないんじゃないかと思う心地いい膝。

 昔ならともかく今だとちょっと恥ずかしいなと躊躇したが、いざやってもらうと瞬く間に「ま、いっか」と身をゆだねた。それぐらい寝心地がいい。

 

「熱かったろ? あおいであげるからな」

 

 膝に僕を寝かせつつ、まほ姉さんは団扇で心地いい風を送ってくれる。

 もう片方の手で、僕の頭を「よしよし」と撫でながら。それが当然のことのように、ごく自然な手つきで。

 

「気持ちいいか?」

「うん」

「そうか」

 

 僕の返答にまほ姉さんは満足し、ますます柔和なほほ笑みを浮かべる。

 戦車に乗っているときとは異なる、とても情愛に満ちた表情。

 

 西住家の長女として、幼い頃から厳しい教育にも、訓練にも耐えてきた、立派でたくましい自慢の姉さん。

 彼女が放つ貫禄は、もはや高校生のものではない。

 多くの人は、そんなまほ姉さんを近寄りがたい怖い人だと思い込んでいる。

 けれど、僕の記憶にあるまほ姉さんは、いまのように面倒見のいい優しいお姉さんだ。むしろ僕が知っているのは、そんな面ばかりである。

 もちろん、昔は叱るべき場面ではちゃんと叱っていたけれど。

 

『男がめそめそ泣くな! もっと強くなるんだ!』

 

 でも、いまではそういう風に叱られることもなくなった。

 近頃のまほ姉さんはやたらと僕に優しい。昔以上にスキンシップが多くなっているような気がする。

 険悪になったり素っ気なくなるよりはずっといいけど、互いに成長したいまだと何だか背徳感が出てくる。

 

「どうした武佐士?」

「あ、その……」

 

 包み込むような暖かな視線に、僕は思わず顔を逸らす。

 まほ姉さんは年々綺麗になっていく。もともと容姿端麗だけど、近頃は大人の美しさも備わって、さらに魅力的になっている。

 彼女の弟として育った僕でさえドキドキする。けどそんなことを言うのは家族としておかしいから……

 

「何でも、ないよ」

 

 とだけ言って誤魔化す。

 

「そうか。具合が悪ければ言うんだぞ? 熱中症は怖いからな」

「うん。ありがと」

 

 まほ姉さんはいつもどおりだ。たぶん意識し過ぎる僕がおかしいのだろう。

 せっかく姉弟水入らずの時間だ。ここは弟らしく素直に甘えよう。そのほうが、まほ姉さんも喜ぶし。

 

「高校生活はどうだ? うまくいっているか?」

「うん。楽しいよ」

「無茶なことはしていないか? 武佐士はいつも自分を追い込み過ぎるところがあるからな」

「そっくりそのまま返すよ姉さん」

「姉さんは強いから心配いらない」

「じゃあ僕のことも心配しなくても大丈夫だよ」

「こいつめ。いつのまに言うようになったな」

 

 ちょんちょんと頬を指でつつかれる。

 くすぐったくて僕が身をよじると、まほ姉さんはクスクスとほほ笑む。

 

「この間の試合テレビで観たぞ。いい試合だった」

「あ、見てくれたんだ」

「弟が活躍する試合だ。当然ぜんぶチェックしているぞ」

「恥ずかしいな」

「何を言うんだ。小さい頃はあんなに泣き虫だった武佐士が、あそこまでたくましく戦えるようになったんだ。姉としては誇りに思うぞ?」

「まだまだだよ。強い人たくさんいるもの」

「けど通り名があるそうじゃないか。“眠れる獅子”とか、“刀剣の修羅”とか、“白銀”のなんとやらとか……」

「それ言わないで。名前負けもいいところだから」

「そうか? 私は武佐士なら通り名にふさわしい素晴らしい選手になれると信じているぞ」

「……うん、ありがと。そうなれるよう頑張るよ」

 

 姉さんたちが戦車道をやっているように、僕もとある武道を嗜んでいる。

 戦車道が“乙女の武道”だというのなら、僕がやっているのは“男の武道”と称されるものだ。

 中学生間の試合だとあまりテレビで取り上げられないが、高校に進級するとメディアで公開される機会が増えてくる。

 家に恥をかかせるような試合はもちろんできない。たとえそれが戦車道と関係のないものでも、西住の名を背負うというのはそういうことだ。

 

 最も僕が鍛錬を続けるのは、それだけが理由ではないが。

 チームメイトはよく僕に言う。

 

『武佐士さんってすごく自分に厳しいですよね。ときどき見てるほうが怖くなります』

 

 傍から見ればそうなのかもしれない。もっと手を抜いても許されることでも、僕はいつだって全力で挑む。

 まるで修身の苦行のように。

 

 でもそこまでしないと……

 

「武佐士は志が高いな。さすが、私の弟だ」

 

 いつも頑張っている『姉さんたち』と対等になれない気がするのだ。

 

* * *

 

 縁側で涼み終えた僕たちは一緒にチェスをすることにした。

 

「うーん……」

「ふふ。どうした? 降参か?」

「まだまだ」

 

 優勢なのはやはり、まほ姉さん。

 趣味で嗜んでいるだけあって本当に強い。

 僕はさっきから、どこにどの駒を進めるべきかずっと悩んでいる。

 うーん。将棋なら僕も自信あるんだけど、チェスになった途端、異文化に戸惑うように調子が出ない。

 

「むむむ」

「ふふ」

 

 頭をひねる僕を姉さんは顎を手に乗せて楽しそうに見つめている。

 余裕だな姉さん。でも僕だっていつまでも負けっぱなしじゃない。

 今日こそはひと泡吹かせてみせよう。

 

(ここ!)

 

 自信満々に駒を進める。

 

「本当にそこでいいのか?」

「え?」

 

 まほ姉さんの声で手が止まる。

 しまった。姉さんめ、心理戦に持ち込む気か。

 こんな風に言われたら悩んでしまうのが人間というもの。

 姉さんは笑みを絶やさず僕の動向を伺っている。

 

「ほら、どうするんだ武佐士? ん?」

「むむむ」

 

 姉特有の弟をおちょくる戦法。ついつい乗せられてしまいそうになるが。

 

(いや、大丈夫だ)

 

 ここは自分の判断を信じよう。僕だって少しは成長しているのだから。

 予定通りのマスに駒を置く。

 

「うむ」

 

 姉さんは迷いなく駒を取ってコトンとマスに置く。

 

「チェックメイト」

「むうう……」

 

 まるで成長していませんでした。

 

「ふふ。あいかわらず武佐士は詰めが甘いな」

「返す言葉もございません。参りました」

 

 こういうボードゲームだと姉さんたちは本当に強い。

 みほ姉さんもしょっちゅう僕をカモにしては罰ゲームをしていたものだ。チェスで負けた者は勝者のお願いを何でもひとつ聞くという、ありふれたもの。

 ちなみに僕は一度もお願いする側になったことはない。

 

『じゃあ罰ゲームで今日一日ボコの恰好しててね! はうう! かわいいよお!』

 

 という具合にコスプレをさせられ、一日中みほ姉さんの抱き枕にされたことが何度あったことか。

 そして無論、まほ姉さんも……

 

「さて武佐士。約束どおり罰ゲームだ」

 

 嬉々として弟にペナルティをしかけてくる。

 

 姉二人に弟一人。

 こういう図式だと弟はどうしても姉たちのオモチャにされるものだ。末っ子長男の宿命である。

 

「さて、何をしてもらおうか」

「お手柔らかに」

 

 優しいまほ姉さんのことだから、そんな理不尽なことは要求してこないとは思うけど。

 

「ふむ。悩ましいな」

 

 よほど候補があるのか考えあぐねている。

 ちょっと不安になってきた。

 

「……うん。よし決めたぞ」

 

 そう言って椅子から立ち上がる。

 どこか妖艶な笑みを浮かべて姉さんは僕の傍によると……

 

 むにゅうううっと豊満な物体に顔面が包まれる。

 まほ姉さんは思い切り僕を抱きしめてきた。

 

「むぐ……姉さん?」

 

 もごもごと柔肉の中でもがくと、ぎゅっとその動きを抑えられる。

 

「こら、動くな。罰ゲームなんだぞ?」

 

 これが罰ゲーム?

 世の男性陣にとってはご褒美でしかないと思うのですが。

 

「今日は一日、私に思い切りかわいがられろ。それが罰ゲームだ」

「えー」

 

 やっぱりそれはご褒美ではないでしょうか姉さん。

 いや、羞恥に見舞われるという意味では確かに罰ゲームかもしれないが。

 

「なんでこのような?」

「弟分が足らん。その補給だ」

 

 左様ですか。

 まほ姉さんは弟の僕やみほ姉さんとスキンシップを取ることが大好きだ。それが元気のもとだということも幼い頃から身に染みて知っている。

 けれど、さすがにこの歳でこういうのはシスコン気味の僕でも躊躇いが……

 

「まさか武佐士。私との約束を(たが)えるような真似はしないだろうな?」

「む」

 

 そう言い方をされてしまうと僕はとても弱い。

 

「私の弟はそんな義理も守れない薄情な男だったか?」

「滅相もない」

「そうだ。お前は素直で聞き分けの良い子だ。だから抵抗せず私に抱かれろ」

 

 まほ姉さん。そのニュアンスだといろいろ危ういです。

 いや、男よりも凛々しいまほ姉さんが言うとぴったりだけどね。

 

「ふふ」

 

 僕が抵抗をやめると、まほ姉さんはすっかり機嫌をよくして抱擁を深める。

 とてもいい匂い。

 抗う意識なんて瞬く間に消えてしまう魔力を秘めた芳香に、酔いにも似た感覚に囚われる。

 

「武佐士……」

 

 胸の中にいざないつつ、頭をナデナデする姉さん。

 意識が小さい頃に戻っていくようだ。

 

「まったく、お前という奴は。せっかく黒森峰に分校が新設されて男子でも通えるようになったというのに。なぜわざわざ黒森峰以外の学園に進学したんだ?」

「いや、それは……」

 

 確かに姉さんと同じ学園艦に通えるのは嬉しいことだけど、でもそれだと甘えん坊の癖が抜けないと思ったのだ。

 さすがにこのままじゃいけないよなと判断して、武道が盛んな男子校に通うことにしたのである。でもまほ姉さんは、いまでもそのことにご立腹みたいだった。

 

「いいか武佐士。私は何もお前を縛りつけたくてこのようなことを言っているのではないんだぞ? ただな、大人しいお前が男子校でうまくやれているか心配でしょうがないんだ。いじめに遭っていてもお前のことだから内緒にしているんじゃないかと……」

「いや、友達は結構いるし、うまくやってるよ? いじめがあったらむしろ助ける側で……」

「黙って聞け」

「あ、はい」

 

 横槍を入れてはいけない独白タイムなのですね姉さん。

 武佐士、了解しました。

 

「確かに昔と比べたらお前はたくましくなった。だがそれでも心配なものは心配だ」

 

 壊れものを扱うように姉さんは背中をさする。

 僕は黙って姉さんに身を任す。

 

「昔は私もよく『強くなれ』と言ったが、いまは逆の気持ちだよ。お前が私の見えないところで何かトラブルに巻き込まれているんじゃないかと思うと、不安になる」

 

 腕の力を強めて僕を引き寄せる。

 

「過保護なのは百も承知だ。だが武佐士。それは前例があるからこそだ。お前は中学時代、厄介ごとばかりに顔を突っ込んでいただろう」

 

 僕にとっては厄介ごとというより人助けのつもりだったのだが、姉さんにとってはそうではない。

 実際それで何度か大怪我したこともあるわけだし、気がかりになるのは当然と言える。

 素直に申し訳ないと思う。だから僕はただ黙って姉さんに身を任す。

 

「武道ならばまだいい。安全が保障されているからな。だが、それ以外のことでお前に危険な真似はして欲しくない。だから手が届くところにいて欲しいと思ってしまうんだ」

 

 姉さんは本当に弟思いだ。

 こんな優しい姉さんを心配させるなんて、僕は悪い弟だ。

 反省の意味も込めて僕は黙って姉さんに身を任し、そのまま一緒に布団に横たわり……

 

 え? 布団?

 

「ちょっと待って姉さん。いつのまに布団なんて敷いたの?」

「武佐士」

 

 僕の質問を無視して、まほ姉さんはしなだれかかってくる。

 その表情はとても色っぽく、動揺なんて一発で吹き飛んでしまうほどに見惚れてしまう。

 立派に発育した女性的なカラダを惜し気もなく押し当て、耳元に唇を寄せる。

 

「お前はどこにも行かないでくれ」

 

 痛切な祈りの込もった言葉。

 そこで僕は冷静になり、すべてを察する。

 そうか。つまり、まほ姉さん……

 

 僕は彼女の背中に腕を回す。

 

「武佐士。やっとその気に……」

「まほ姉さん──みほ姉さんがいないと、やっぱり寂しい?」

「……」

 

 まほ姉さんの表情が一瞬で悲壮なものに変わる。

 滅多に人には見せない、僕やみほ姉さんにしか見せない彼女の弱い部分。

 

 なんて察しが悪いんだろう僕は。帰ってすぐに気づいてあげるべきことじゃないか。

 今年の帰省は、僕たち姉弟たちにとって、いつもの帰省とは違うのだから。

 

「……ごめんね。確かに、みほ姉さんの代わりに、僕が傍にいてあげられればいいんだけど」

 

 戦車道の名門校、黒森峰。全国大会において幾度も優勝を続けた王者の学園。

 まほ姉さんはその部隊の隊長として、次女のみほ姉さんは副隊長として、十連覇を賭けた試合に臨んだ。去年のことだ。

 そして、悲劇が起きた。その悲劇によって、みほ姉さんは黒森峰を去ることになった。

 もう二度と戦車道に関わることはないように思えた。それほどまでに、みほ姉さんの心は傷ついたのだ。

 

 だが、大洗という無名校で、みほ姉さんは再び戦車道を始めた。

 そうして、まほ姉さんが率いる黒森峰と決勝で戦った。

 

 いつだって二人は、同じ場所で、手と手を取り合って、戦車道をやっていた。

 そんな彼女たちが──

 

「まさか、二人がライバルとして戦うだなんて、僕には想像もできなかったよ」

 

 ただ黙って見ていることしか僕にはできなかった。戦車道に関して男の僕が口出しするのはタブーだったから。

 だけど……

 

「ライバルとしてじゃなくて、最後まで一緒に戦いたかったんだよね?」

 

 まほ姉さんは、ずっとみほ姉さんと支え合いながら戦車道を続ける未来を夢見ていた。

 そのことを知っているのに、僕は何もしてやれなかった。何かをする勇気すらなかった。

 

「ごめんね、まほ姉さん」

 

 いまの僕には謝ることしかできない。その寂しさを、抱擁によって埋めることしかできない。

 

 誰もがまほ姉さんを強い人だと言う。何事にも動じない心が強かな女性だと。

 でも、まほ姉さんはただ真面目なだけだ。

 どんなことにも一生懸命に取り組み、感情を表に出さないだけで。本当は誰よりも思いやり深く、そして当たり前のように脆さも持っている。

 僕はそんな姉を強く抱きしめ、約束の言葉を送る。

 

「大丈夫だよ。僕は、離れないから。今日みたいに、絶対に帰ってくるから」

 

 まほ姉さんに同じような思いは、二度とさせない。

 それだけは、絶対に守ろう。

 

「……ああ」

 

 僕の言葉にまほ姉さんは頷き、僕の胸に顔をうめる。

 

「傍にいてくれ」

 

 ぬくもりを手離さないように、まほ姉さんは眠るように僕にしがみついた。

 

 まほ姉さんに悲しい顔はさせたくない。笑っていて欲しい。

 もちろん、みほ姉さんも。

 

「……」

 

 みほ姉さんのことを思い出すと、彼女の無邪気な笑顔が恋しくなった。

 

(……会いたいな)

 

 やっぱり、今年は帰ってこないのかな。

 結局なんの言葉もかける間もなく、みほ姉さんは大洗に行ってしまった。

 もっと弟として、してあげられることがあったんじゃないのか。いつもそう後悔している。

 

(会いに行ってみようかな)

 

 夏休みを利用して、大洗に行くのもいいかもしれない。

 

 巨大な都市として海を進む学園艦は、学び舎としてだけではなく観光スポットとしても成り立っている。

 最大級規模の黒森峰やサンダースなどは人気の高いスポットだし、艦の上という限られた空間で営業をする経営者たちにとっては、外部の客人はむしろ歓迎すべき相手だ。

 うん。ヘリの免許も取ったことだし、予定を決めて行ってみよう。

 

 

 でもいまは、

 

「暖かいな、武佐士は」

 

 まほ姉さんとの時間を大事にしよう。

 

「暑くない?」

「構わない。もう少しこうさせてくれ」

「わかった」

 

 まるで小さな頃のように、僕たちはひとつの布団の上で抱き合った。

 懐かしい気持ちが、僕の心を満たしていく。

 けれど、昔とは違うところもある。

 腕の中にいる姉は、僕よりも小さい。昔は僕が抱きしられる側だった。いまは、僕が彼女を包んでいる。

 いつのまにか、こんなにも体格差ができていたのだ。

 

 戦車に乗らず、こうして僕の腕に抱かれるまほ姉さんは、とても華奢で、とてもか弱く、いまにも消えてしまいそうなほどに、(はかな)かった。

 どんなに凛々しくとも、人よりも勇ましくとも、彼女も『少女』なのだ。

 

 自分でも理解しがたい不思議な気持ちが、ふつふつと湧いてくる。

 彼女を抱きしめる力が、一層強まった。

 

「ん……」

 

 ついチカラを込めてしまったが、まほ姉さんは苦しさを訴えなかった。

 むしろ、どこか歓迎するように甘い吐息を洩らして、しがみついてきた。

 

「武佐士……もっと、強く抱いてくれ」

 

 言われるままに、さらに彼女を抱き寄せる。

 ひとつに溶け合ってしまうのではないかと錯覚するほど、僕たちは深く深く、互いの温もりを共有する。

 

 そうしていると、だんだんと眠気がやってきた。ここで長旅の疲れが出てきたみたいだった。

 こくん、こくんと船を漕ぎ始める。

 そんな僕を見てまほ姉さんはクスリと笑う。

 

「眠ってもいいぞ?」

「ん……でも」

「気にするな。私も、少し眠るから」

「うん。じゃあ……」

 

 お言葉に甘えるとしよう。

 ひぐらしの鳴き声を子守歌代わりにしながら、僕は瞳を閉じる。

 

(小さい頃の夢が、見れるといいな……)

 

 三人で遊んだ一番楽しいひとときに思いを馳せて、僕はまどろみの中に沈んだ。

 

 

 

 ──おやすみ、武佐士

 

 優しい言葉と共に、柔らかな感触が頬にあてがわれた気がした。

 

 


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