嵐の日の雷
雷が轟いている日、少女は全てを失った。
呆然とその残骸を、自分の大切なものだった“形をしているもの”を見ているだけしか出来なかった。
野山に似合わない少女の容姿はとても美しかった。
夜空のように黒い瞳、手入れの行き届いた髪、傷ひとつない白い肌、整った顔立ち。
少女の両親は彼女が着飾れば、その美しさを褒めてくれたし、彼女も両親に自分が容姿のことで褒められることも、日々の生活で両親の仕事を手伝うほどに働き者であった事もあり、両親も美しく、働き者な娘を誇りに思っていた。
けれど、その優しい声を聞くことはもう出来ない。彼らは、人間の天敵ーー鬼は全てを奪い取って行ってしまったのだから。鬼が憎いか、と言われれば、今の少女にそれを答えることは出来ないだろう。彼女の心にはぽっかりと穴が開いてしまった、たっぷりと摘んだ木の実を入れた袋に大きな穴が開けば、そこから零れ落ちてしまうように少女の感情は抜け落ちてしまった。
何か手伝えることはないか、力になろう。
そう言って言葉を掛けてくれた、近くに集落を作って生活をしているという部族の男。
昔からよく、両親は少女のことを容姿で褒めてくれた。
お前は美しい、まるで姫君の様だと。
姫君と言うものが理解できなかった少女、それが何かと尋ねてみると、都と呼ばれる場所に大きな家に住み、着飾った女性を指す言葉であるという。
両親にその都に行ったことがあるのか、と尋ねてみると、父親は謝った。
生まれも育ちもこの山であるという父親は都に行ったことがないという、それから少女が質問を変え、母親とはどうやって出会ったのかと尋ねると綺麗な夕陽の見える日だったという。
とても晴れた日のこと、仕事帰りに疲れた身体を引き摺って帰って来たときに出会ったのだそうだ。
そうした綺麗な思い出を走馬灯のように思い出すのは、よほど衝撃的な出来事だったのだろう。
「……ぁ、……ぁ、赤ちゃん……?」
集落の人々に両親の遺体のまわりを綺麗にしようかとの申し出は断ったので、そのまわりは依然、襲撃を受けたときのままだ。
しばらく、魂が抜けたようにしていると彼女の耳は赤ん坊の泣き声を捉える。
雷が鳴り響く日、こういった日の山は母親が言うには「雷さまが笑っておられる」ということだそうだ。
元々、独特な言い回しをする母親だったので上機嫌だから雷を落とすのか、それとも怒っているからいかずちを落とすのかは最後までわかることはなかった。
けれど、今、少女が拾い上げなくては赤ん坊が雷に撃たれないと言う保障はどこにもない。
赤ん坊はまだ泣いている。
赤ん坊が泣くのは自分の意思を言葉で伝えることができないため、泣いて感情を表すしかないのだ。
まだ現世に生を受け、己がどう言った者になるかは定かではないが、自分がどうすれば生きていけるかは知っている。
声をあげ、自分が此処にいると主張する。
それが赤ん坊にとってはできること、赤ん坊の持つ唯一無二の手段。
心が両親を失ったことで空虚になってしまった少女、両親の残した勾玉を首から下げ、それを雨の雫が打ちながらも、赤ん坊の元へと少しずつ、やがて駆け寄るようにして歩み寄っていく。
「よしよし、怖かったでしょう?私がいるからもう大丈夫です」
抱き上げた赤ん坊は男子だろうか?とても凛々しい顔立ちをしている。
頬にある赤い刺青のようにも痣にも見えるものは生まれつきだろうか?
ごめんなさい、と小さく呟いて、両親だったものから布を剥ぎ取り、赤ん坊を包む布を作る。
少女はそれなりに成長したものの、子を持った経験は勿論ない。
“そういうこと”は閉鎖された山で暮らしているとはいえ、母親から習っているが、本当に愛おしい人としかしてはならないと言われているし、彼女のお眼鏡に会う男には出会った事がなかった。
赤ん坊の重さは痩せた彼女が抱えても、何とか持てるほどの重さだ。
栄養が足りないのだろうか?両親を呼んでいるのだろうか?
彼女には分からない、彼女は赤ん坊の親ではないのだから。
彼女は赤ん坊の腹を満たすことはできない、子はいないし、与えられないからだ。
だけど、できることはある。
「父様も、母様もいないんですね……。私と一緒です。今日からは、今からは、私が貴方の姉様になってあげます。……ふふ、本当は親を失ったんですから、悲しまなければならないのに。私は貴方の姉様になれて嬉しいのかもしれません」
駄目な姉様を許してください、と赤ん坊に少女が微笑むが、それでも赤ん坊が泣き止むことはない。
彼女の中で愛情が、赤ん坊への愛おしさが湧き上がってくる。
彼女が言うように今は普通であれば、両親を殺した者を、鬼への怒りに燃えるか、悲しむことが普通だろう。
しかし、少女の中で別の感情がわきあがっているのもまた事実だ。
この発見した人間とも物の怪の類とも判断のつかない、この赤ん坊。
少女が手を差し伸べなければ、死んでしまう命。
暗い感情も愛情の裏で芽生えつつあった―――この子が生きるも死ぬも私次第。
だから、この子には愛情を与えよう。
だから、この子の家族となろう。
だから、この子を姉弟としよう。
きっと喜んでくれる、愛情は伝わるはずなのだから。
だって、この子は私の物で、私はこの子に―――。
「名前、付けてあげないといけませんね。何がいいでしょうか?雷鳴の日が誕生日なのは好みかわかりませんけど、雷神様からあやかりましょう」
少女の足は集落の方へと進んでいた、もちろん、赤ん坊を抱きかかえて。
雨に濡れ、その肢体に着物が張り付きながらも、彼女は自らの着物に赤ん坊を覆うように入れて包み込む。
母親が子供に愛情を与えるように。
食事を与えよう。
家を与えよう。
愛情を与えよう。
膨らむことは多い、そして、きっと成長した“弟”は受け入れてくれるはずだ。
「貴方の名前は――――“
だって、私はたくさん与えるつもりなのだから。
「たくさん、愛してあげますね?私のカヅチ」
そうして、彼女は愛を囁いて微笑んだ。
少女が“何か”に変じ、新しく名前を与えられたことで“生まれた”赤ん坊を抱きかかえている時。
そこからかなり離れた場所で、将来、共に背中を預けて戦うこととなる相棒と呼び合うほどに信頼する“雷”に縁のある一人の男児が生まれた。
名は知られども、深く、その内容にまでは触れられることのない御伽噺。
一つの“特異点”を交え、雷迸り、「痺れる」物語が始まる。