現状、三門市における戦闘は、清治の懸念と三輪が計画した作戦案の通りに推移していると言えた。
清治が示した懸念は主に2つ。1つは敵ラッドによる索敵行動だった。
当初から清治は、例の改良ラッドは単にゲートを開くことを目的としていたとは考えていなかった。ラッドの本分は『偵察』だ。
トリオン能力が高い人間がより多くいる場所。想定される出現可能地点からその場所までの距離と経路。
それらを総合して、敵は既に三門市全域を攻略するための地形図のようなものをある程度以上の精度で手に入れている可能性が高いと考えていたのである。
現に敵は、裏通りの小道… とまでは行かないまでも、効率的にトリオン兵を展開できる場所と移動できる経路を、ほとんど迷うことなく移動している。
清治からその推測を聞いた三輪は、早速東と共に地図を広げて検討に入った。そして、実際に基地に待機できる隊の数から最低限抑えておかなければならないポイントを割り出した。
東らの導き出したそのポイントは非常に的確で、彼らはさらにそれらを3段階のレベルへ分割した。1はそこで敵を食い止めるのが最善と思われるポイント。2はできることならそこから先に行かせないことが望ましいポイント。3は言うまでもなく、絶対に突破されてはならないポイントである。
現状では、ほぼ全ての交戦地がポイント2よりも警戒区域寄りだった。序盤としてはまずまずの展開と言えた。
しかし、この展開も清治にとっては懸念材料の1つだった。
現在のボーダーの戦力と投入できる人員のことを考えれば、これが最善であることは清治も理解していた。しかし、まだこれ以降も到着する隊員がいるとはいえ彼らはまだ戦場に到着していない。
その到着も人によってまちまちで、早い者もいれば遅い者もいるだろう。こうした状況では戦力の逐次投入以外の戦略を立てることができないのだ。
兵法家である清治にとっては、この状況は好ましく無かった。最も良いのは、序盤において全戦力で敵を圧倒し、しかる後に防衛体制に入るのが一番望ましい。
だが、城戸の手腕によって人員が増補された現在のボーダーであっても、そうした理想的な戦いに近い方法を取るには人手が足りないのである。
ボーダーは防衛組織ではあるが軍隊ではない。このことが、現在のような状況においては致命的ではないにしても不利に働くのは仕方のないことだろう。
もちろんこれには様々な事情があった。ボーダーは日本に存在する組織だが、国家機関でもなければ国際機関に所属しているわけでもない。あくまでも1民間組織だ。
そうした組織が徴兵のような制度で人を集めることなどできない。
仮に徴兵制度を敷いたとしても、招集された人間全てがボーダーに参加できるわけではない。トリオンという特殊な生体エネルギー。それを体内に内蔵する量は人によってまちまちであることは語るまでもないだろう。
そして、トリオンを利用して作られた道具、武器と言っても良いのかもしれないが、これらを有用に扱うにはトリオン量とはまた違ったタイプの才能が必要だった。
つまるところ向き不向きなのだが、結局誰でも入ればボーダーの仕事に就けるといった種類のものではないのである。
4年前の大侵攻の頃と比較すると人は増えたし、相対的に戦力は増した。だが、その戦力を一時に運用する『強さ』を、現在のボーダーは持ち得ないのである。
1つには、ボーダーの主任務である防衛に当たることができるのは、基本的にはティーンエイジャーの若者であるという点が上げられる。トリオンを体内で発生させるトリオン器官は第二次性徴を迎える前後に急激に発達し、成人を迎える頃には徐々に衰えて行く。
そのため、一般論ではあるがボーダーの戦闘員として動くことができるのは長くとも20代前半まで。以降は例えば沢村 響子のようにボーダーの職員として働くか除隊するかのいずれかとなる。
先の通りボーダーは民間組織であり、通常は日本の法律の元に動く必要がある。そして、この国の3つの義務として教育があることは小学校の社会科で習うことだ。
ボーダー戦闘員に限れば、そのほとんどが中高生だ。そして、彼らは任務も重要だが学業こそが本分である。これが一時に戦力を集中投入できない理由の1つだ。
もちろん他にも理由はいくつかあるが、現状戦力を集中運用できない辛さは、早くも最悪の形で現れようとしていた。
『新型トリオン兵と遭遇した!』
外でもない、今回の防衛作戦の概要を策定した功労者の1人である東からその情報がもたらされたのは、何とも言えない皮肉だった。
三輪にしても東にして、もちろん清治や忍田にしてもそうだが、新手が登場するということまでは想定していなかった。彼らにしても預言者などではないのである。
たが、清治は現状のように戦力が薄く広がって膠着状態になった時に、交戦状況から敵がもっとも戦力が低いと判断した場所にトリオン兵を集中運用し始める可能性は考慮していた。
そのため、非番隊員もできるだけ警戒区域から離れないように通達を出していた。特にB級隊員はボーダーの主力だ。戦いの基本はいつも同じだ。衆寡敵せず。少数のA級隊員よりも多くのB級隊員の方が主戦力となるのである。基本的には。
東の隊を始め、新型に遭遇した隊の全てがその主力たるB級だった。そして、登場した新型はそうした戦いの基本をいとも簡単に覆す戦闘力を有していたのである。
実際、最初に会敵した東隊は、そこから少し離れた場所に現れた新手の敵兵の群れに一瞬気がそらされた。そう。わずか一瞬だった。
「東さんはむこうをやってください! こいつはオレらが…」
隊員の奥寺 常幸がそう東に声をかけたほんの一瞬の隙をついて、新型トリオン兵は一気に間合いを詰めてきたのである。
「奥寺!!」
東の一声で再び奥寺が向き直った瞬間は手遅れで、既に新型は彼の攻撃の間合いに入っていたのである。
腕を振り回す新型の『雑な』攻撃を、奥寺は反射的に孤月でガードした。通常の攻撃であれば楽に防御できていたはずだった。
しかし、新型の一撃はあまりに重すぎた。奥寺の体は一瞬で東と同僚の小荒井 登の視界から消え去った。しかも、隣接した路地の塀、その向こうにある数件の民家を貫いて。恐るべき一撃だった。
「奥寺! 応答しろ!」
東の通信になんとか奥寺が応えるが、さすがにこの一撃は堪えたようだ。
「この野郎!!」
同僚、というよりは相棒の奥寺がやられて小荒井は怒り心頭だった。比較的冷静な奥寺と比べると、小荒井はむしろ『アタッカーらしい』性格をしている。そんな直情的な彼が相棒をやられて黙っているわけがなかった。
「止せ小荒井! 奥寺が戻るまで待て!」
新型の狙いが、小隊単位で手強く戦う彼らの分断であると感じた東が制するよりも早く小荒井は敵に飛びかかった。
奥寺にしても小荒井にしても、アタッカーとして非凡な能力の持ち主というわけではなかった。だが、彼ら個人の能力は決して低いわけではない。
また、彼らの連携攻撃は上位アタッカーのそれをも上回るとボーダー内では非常に評判が高い。とはいえ、片翼をもがれてしまい、逆上して雑になった小荒井の攻撃を、新型は軽くしのいでしまった。
わずかに刃先を首筋にかすられながらも、たいしたダメージを受けることなく新型は飛びかかってきた小荒井の体を片手でかるがると掴むと、手近な塀にそのまま押し付けた。
「離せこの…」
叩きつけられたダメージも気にせず、反撃しようとした小荒井をあざ笑うかのように、新型はもう片方の手で小荒井の両腕を掴むと、まるで不要なプラモデルを破壊する子供のようにもぎ取ってしまった。
驚く小荒井と東をよそに、新型は腹部パネルを開くと細い触手のようなものを小荒井に伸ばす。状況から即時に敵が小荒井を捕獲しようとしていると判断した東は、スナイパーとしては至近と言える距離でアイビスを放つ。
スナイパーの取るべき行動としては下策ではあったが、今はそのような場合ではなかった。東としては隊員を守るために必死であったし、弾速が遅い代わりに威力と貫通力が高いアイビスであれば、むしろ素早い新型に対してはこの距離から放つ方が良いかもしれなかった。だが。
――― アイビスを弾いただと…
小荒井を捉えている方とは別の腕を軽く伸ばして、新型は東の放ったアイビスを事も無げに弾いたのである。
ボーダーきっての戦術家として名高い東ではあるが、戦闘員としてはスナイパー。しかも、ボーダー最初のスナイパーであり、培われた狙撃技術は超一流だった。
個人ランキングこそ、気鋭の当真や奈良坂に追い抜かれたものの、堂々の3位にランキングしている。スナイパーに適正があるためトリオン量とて一般のボーダー戦闘員の平均よりは多く質も高い。
そんな東が放ったアイビスを至近で受けて、片腕で弾くというのは東でなくても度肝を抜かれることだろう。
しかし、そんな余裕は東にはない。今まさに小荒井が敵に捕獲されようとしているのだ。
「うわあああ! 東さん!!!」
恐怖に彩られた声音で叫ぶ小荒井の頭部を、東は躊躇なく撃ち抜いた。こうした真似を平気で行えるのは、ボーダー広しと言えども多くない。
頭部が破壊された小荒井は、トリオン体の活動限界を超えたためそのまま緊急脱出した。
ひとまず捕獲の危機から救い出されたわけだが、経験の無い恐怖と、やむを得なかったとはいえ味方に撃たれて『死んだ』という事実は、小荒井の心に小さくはない傷を残したのは間違いなかった。
「コアラ大丈夫!?」
隊のオペレータールームへと戻って来た小荒井に、オペレーターの人見 摩子が愛称で呼んで声をかける。恐ろしい経験をした小荒井だったが、いつもの姉御の声にようやく普段の自分に戻ることができた。
「た、助かった…!」
ようやく一言を絞りだした小荒井は、現状の自分の能力に悲嘆し、相棒がやられたことで冷静を欠いた自分を省みてうなだれた。
それと共に、戦術の師であり隊長でもある東に汚れ役のような仕事をさせてしまったことを大いに反省するのだった。
東から新型の報告を受けた本部はかなりざわついた。
人に近い形状で二足歩行で移動し、高い戦闘力を誇る上にアイビスを弾く外殻の硬さ。何より隊員を捉えるような動きを見せたということ。
攻撃力と防御力、敏捷性が高いレベルでまとまっているタイプの新手が、ここへ来て現れるとは。清治が当初懸念していた出来事が、清治が考えよりも悪い形で的中してしまった。
この報告を聞いたレプリカから、さらなる情報がもたらされると、本部はさらなる驚きで満たされることになる。
曰く、新型の名前はラービットと言い、トリガー使いを捕獲することに特化したトリオン兵だと言う。
大型のバムスターやバンダーも捕獲用トリオン兵ではあるが、この連中は戦闘力が低い。一般的なボーダー隊員からすればお粗末なほどのレベルだ。
それを考えれば、ラービットの戦闘力は相当なものだと言える。実際、レプリカもラービットは他のトリオン兵とは別物だと考えるように促した。
『A級隊員であったとしても、単独で挑めば喰われるぞ』
ここへ来て、ボーダーは戦術の転換を決断する必要に迫られた。しかし、その決断は首脳陣の中でも異論を呼ぶことになる。
その頃、某黒トリガーの使用者は未だに地獄のようなツーリングを敢行するハメになっているのだった。
現に、B級でも上位の隊である東隊が既に崩されている。B級では、隊単独では難しい相手だと判断すべきだ。
ね。あのハゲ出番なかったでしょ(^^)b
武:そりゃねぇぜ次元〜〜…