「そりゃしゃ〜ないじゃろ。あんな事になって、誰もお咎め無しってわけにはいかんて」
「でもさ〜。あの時俺、それなりに大変だったんだぜ」
ボーダー本部の会議室へと続く廊下を『セクハラの双璧』が並んで歩いている。実はこうして2人が顔を合わせるのは意外に久しぶりだ。
例の『演習』以降、2人がこうしてまともに顔を合わせるのは今回が初めてだった。迅は任務と暗躍に忙しく、清治は例の一件とその後の女子たちからの依頼、さらには先日の『トリオンモンスター事件』にと、それなりに忙殺されていたのである。すれ違ったりすることはあったが話をするのは本当に久しぶりだ。
「それにしても、あんなにたくさん出てくると、いくら俺でも疲れるよ」
迅が愚痴っぽく言っているのは、雨取が起こしたあの事件の後のことだった。
膨大なトリオン量を誇る彼女は、そうとは全く思わずに対大型ネイバー用の狙撃トリガー、アイビスを訓練の時に放った。
元々アイビスが抜群の威力と貫通力を持っているというのもあったが、彼女のトリオン量とも相まってアイビスを開発したエンジニアですら想定していなかったほどの凄まじい破壊力を発揮したのである。
その時できた穴を修復するためには膨大なトリオンを必要とした。そのトリオンを補填するために迅は強制的に働かされるハメになったのである。
「まぁえぇぢゃん。知っとって黙っとったんぢゃろ? それにゆういっちゃんなら、街を埋め尽くすほどの数のトリオン兵が出て来てもわけなかろうに」
「そりゃ俺もエリートだから強いけどさ。だからって疲れないわけじゃないいだよ?」
壁の修復作業の最中に、清治は開発室長の鬼怒田にある提案をしたのだ。トリオンを得るには、ボーダーの場合最も効率的なのは、ネイバーフッドからやってくるトリオン兵を機能停止に追い込み、溶かしてしまうというものだ。
そのためには大量のトリオン兵を倒さなければならない。そしてその役を迅に押し付けたのである。
つまり、今の迅の愚痴の原因となっているのは清治の発案したそれなのだが、清治はそれが自分の発案だということは彼には黙っていた。知っているのかもしれないし、知らなければそれはそれで良かった。
彼としては、自分たちだけが苦労しているのに、そうなることを知っていて黙っていたこの親友にも少々の意趣返しがしたかったというのもある。
「しかし、大型ネイバーを見るたびにずっと不思議に思っとったことがあるんじゃが、あいつら何であんなに歯並びえぇの?」
「気になるのそこなの!?」
「いや、他にもあるよ。なんでのどち○このとこに目があるんかとか」
「…」
他者が迅に対して感じていることを、迅はしばしば清治に対して感じることがある。何を考えているのか分からないという点である。
いや、この言い方は語弊があるかもしれない。清治の場合、間違いなく今言ったようなどうでも良いことを本当に気にしているのだ。分からないのは、どうしてそんなことを気にするのだろうということだ。
もっとも、それを聞いたところで本人は
「いや、ただ何となく」
と応えるだけだろうことは明らかなのであえて聞いたりはしないのではあるが。
「お。いけん。端末持って来んの忘れても〜た。悪ぃけど先行っといて」
そう行って急ぎ足に引き返す清治を見送ると、迅は普段の『実力派エリート』の顔へ戻る。彼がこうした愚痴めいたことを言えるのは、考えてみれば清治くらいしかいないのかもしれない。
迅に取っても清治は得難い親友だった。なので彼は、清治が自分の所にゲートを集中して誘導することを進言したことを許してやることにした。
思わぬ苦戦を強いられた。それが、たった今ランク戦を行った緑川 駿の感想だった。
最初は三雲に対してちょっとした興味を持っただけだった。風間と引き分けるほどの人物だったらランク戦をすると楽しいに決まっている。そんな程度のことだった。
そして、話しかけようと近づいてみると隊服のエンブレムが目についた。それは玉狛支部のものだったのだ。
玉狛支部。そこは彼にとって尊敬を通り越して崇拝の対象となっている人物が所属していた。『暗躍エリート』こと迅 悠一である。
緑川は以前、迅に命を救われている。突然現れたネイバーに殺されるなり誘拐されるなりしそうになった所を迅が駆けつけたのである。それが緑川がボーダーに入隊を希望した直接の動機だった。
少しでも早く彼に近づきたかった。だから彼が迅の姿を模倣し、戦闘スタイルも彼に倣ったものとした。どちらも迅のそれと異なって来ているのは、それらを自身の本来のスタイルに照らし合わせて徐々に変化させたからである。
それほど迅に執心している緑川が、三雲が玉狛支部のエンブレムを着けているのを見て放置するはずがない。そして、聞けばその迅の誘いで玉狛支部に転属したと言うではないか。
その話を聞いた時、緑川の胸に去来したのは強烈な嫉妬だった。自身はどれほど望んでも転属が叶わないというのに、この一見冴えないメガネはいとも簡単に…
おまけに、先の通り風間と引き分けるほどの実力もあるのだと言う。
その時思いついたのがランク戦である。ロビーに座っているだけで周囲がざわつくほどの人物と、入隊間もなくA級にまで駆け上がったという自分が戦えばギャラリーが集まるはずである。
風間と引き分けた以上それなりに実力はあるのだろうが、見たところ自分に勝ち越せるほどでもなさそうだ。そんな彼をギャラリーの前で恥をかかせてやるのは痛快なことだろう。
緑川は普段はこうした陰険な真似をするような少年ではないのだが、こと迅絡みになると暴走してしまうきらいがある。今回もそんなところだった。
10本勝負ということで早速に三雲を圧倒しようとした緑川だったが、この1本を取るのに意外な苦戦を強いられた。
相手が避けるのが上手いわけではない。逃げるのもどこか動きがたどたどしかった。ただ、こちらの攻撃を『受ける』のだけが異様に上手いのである。
――― くそ! なんで当たんないんだ!!
ほぼ完璧に入ったはずのスコーピオンの斬撃を、シールドモードのレイガストとシールドで巧みに受ける三雲に、緑川は徐々に苛立ちをつのらせた。
1本目はまさに乱撃と呼べる攻撃でどうにか取ったが、その時雑になった攻撃の一瞬の隙をつかれてしまって2本目は不覚を取った。
5本目までに3対2と勝ち越したが、緑川としては納得できるものではなかった。元々10本勝負だったのでそのまま戦ったが、そのあとさらに1本取られてしまった。
勝敗としては7対3で緑川の勝利だったが、数字がしめすほど一方的な戦いではなかった。
――― …一体どういう人なんだ?
勝負が終わった後、緑川は戦いを振り返りながらそう思った。先の通り攻撃は素人以上、初心者未満のつたないものだったし、攻撃に対する対応もお世辞にも上手いとは言えなかった。
逃げ方に至っては到底心得がある者の動き方ではない。にもかかわらず、受けた攻撃を防ぐのだけは抜群に上手い。
ゲームのような表現で三雲のパラメータを5段階で表現すれば、攻撃2、素早さ1、回避1、防御5といった感じだ。こんな歪な能力値のキャラクターなどゲームやマンガでもなかなかいない。
ブースを出た緑川は、ギャラリーたちも反応に困っていることに気がついた。結果は緑川が圧倒したように見えるが、内容は猛獣のように攻撃をしかける緑川と、亀のように防御を固めた三雲を見続けたようなものだ。どう評価して良いのか分からないのも無理からぬことだろう。
そしてそれは、実は先の風間と三雲の模擬戦の、特に最後の戦いを見ていた者たちと同じようなものだったのである。
「修くんを3日間、それも夜の間のみではありますがお預かりさせていただきたい」
普段にはない丁重な言葉で母親にそう言う清治を、三雲はいくらか奇異なものを見る目で見ていた。
いつもの調子とは全く違う、目上の者に対する丁重で、いささか堅苦しい言葉遣いで母にそう言う清治も不思議だったが、ボーダーへの自身の入隊を反対していた母がその申し出を受け入れたのも不思議だった。
もっとも、一番驚いたのは清治が最初から母を三雲の母親だと認識していたことである。
三雲の母親である三雲 香澄は実年齢とはかけ離れた容姿の持ち主だった。実際には既に40代に手が届く年齢なのだが、どう見ても20代半ばから後半にしか見えない。
そのため、初対面の人間には必ず彼の姉だと勘違いされるのだが、清治は最初から分かっていたかのように話し、母もそれを不思議には思っていないようだった。
清治が帰り、寝床についた後で三雲は清治の来意について思い返してみた。なんと清治は、自身が祖父から受け継いだ『あるもの』を三雲に伝えたいと言い出したのである。
と言っても、何らかの訓練なり稽古なりをするというわけではない。単にその『型』を伝授するだけだと言う。それで身につくというものではないが、知っているのと知らないのでは戦闘において大きな違いが出てくると言うのだ。
「率直に申し上げれば、息子さんは1対1の戦いにおいて勝負できるタイプではありません。ですが、訓練ならばともかく『戦い』となれば、勝つことよりも負けないことの方が重要な場合が多々あります。こちらについては彼には十二分な素質がある」
曰く、清治が三雲に伝えたいものとは彼の流派にいくつかある秘伝の剣の1つであり、その剣は守りの剣で『無敵』ではないが『不敗』なのだと言う。
勝つことと負けないことがどう違うのか。また、無敵と不敗の違いがどういうものかという疑問は、ここでは言うべきではないような気がした。また、母もそれを問いただすようなことはしなかった。
考えさせて欲しいと言った母は、清治を玄関まで清治を見送った後
「ずいぶんきちんとした子がいるのね」
そう言って薄く笑っていた。普段は全くと言って良いほどに表情を崩さない彼女が久々に見せた笑みだった。
2日ほどして母の許可を得て、夜の間だけ清治から手ほどきを受けた。そして、その時得たものがどうやら一応の効果を発揮したようである。
――― 最後まで動きが読めなかった…
それが三雲の、この戦いにおける率直な感想だった。そして、それと同時にそれでもかなりの精度で相手の剣を防ぐことができたという実感があった。
「これを伝授したとして、メガネくんがそれを体得できるとは思うてはおらん。また、仮にできたとしても飛び道具も交じるトリガー使い同士の戦闘でどれほど役に立つかも分からん」
と、清治は三雲に言った。
「じゃが、わしよりも君の方がこの剣には向いている。これはの。臆病な者でなくては身に付けることができんのじゃ」
『臆病』という言葉に三雲が引っ掛かりを覚えると、すかさず清治が言葉を続けた。
「臆病とはな。用心深くて思慮のあることを言うのだ。勇敢と無謀をはき違えない者でなければこれは体得できん」
3晩を用して秘剣『柳枝』の伝授は行われ、確実に身につけたとは言わぬまでもそれなりの形にはなった。そして、その形が緑川との戦いの中で幾度ともなく現れたのは収穫だった。もっとも、結果が負け越しであるという事実に変わりはないのではあるが。
「こらおさむ! 負けてしまうとはなにごとか!」
「なんか目立ってんなー」
ブースから出てきた三雲を出迎えたのはなぜかここにいる陽太郎といてもおかしくない空閑だった。
「おつかれさま。え〜と」
「三雲だ。三雲修」
「ああ。三雲先輩。ハッキリいって強くないけど、受けるのすげぇ上手いよね」
「はは…」
ギャラリーの微妙なざわつきをよそに、緑川は当初の目的を忘れて普通に三雲たちと接した。
話の流れで空閑とも戦った緑川は、今度は反対に空閑に圧倒された。後半は手も足も出なかった。
――― これが今の俺とあの人の差か…
改めて強さとは何かを考えるきっかけと、共に研鑽することができる仲間を得た緑川だったが、自身の謀が失敗して逆に自分がギャラリーの前で恥をかくことになったことに気がついたのは家に帰ってからのことだった。