え? 見直し? モチロンヤッテマスヨ〜(白目)
E01 2人と2人
その少年は幼い頃から祖父に剣術を叩きこまれて来た。年長者との激しい稽古に始まり、山や海で一人研鑽する日々、闇稽古… 今の時代であれば問題になるようなことばかりであった。
最初の頃は泣くことも許されず、声を殺して慟哭するばかりであったが、少年が10歳になるころには、闇稽古で彼に比肩する者は祖父の門下の人間にはいなくなった。
14歳なると、彼に剣を当てることができる者もいなくなった。外からやってきた若い剣士が彼に肉薄したかに見えたが、それも立合いのほんの最初のころだけであった。
ある日、彼は祖父から木刀で自身と立合うように言われた。
木刀の立合いは危険だ。経過によっては互いの命に関わることになる。
しかし祖父は固く言い募る。結局少年が折れる形で、誰もいない道場で立合うことになった。
木刀を構えると、祖父は軽やかに後ろに下がって間合いをあけた。構えにも動きにも、一毛の隙もなかった。
少年は平青眼に構え、そのまま二人は動かなくなった。
いつしか床を舐めていた日差しは天井に届こうとしていた。羽目板の外からは秋の虫の声が聞こえてくる。
少年はそれまで感じたことの無い威圧感が、ふと壁のごとく前面に広がるのを感じた。刹那、祖父が凄まじい気合と共に上段から打ち込んできた。
かたりという乾いた、しかし低い音を立てて2本の木刀が蛇のように絡みつく。二合ほどの立合いの間に祖父の木刀は少年の左手の小指をかすめたが、少年の木刀はその祖父の右肩に深々と砕いた。
すれ違い、振り向いた少年の胴を祖父の木刀が襲う。その剣が僅かに下方に流れたのは肩を砕かれていたからだろう。
少年は小さくはっと気合を吐くと、怪鳥のごとく跳躍した。そして、その時には少年の木刀は祖父の額を捉えていた。祖父は弾かれたように後方に飛ばされ、壁際まで滑っていくとそのまま昏倒した。
それは、当代最強の剣客と謳われた祖父の、生涯初の敗北であったという。
年が明けて数日たったその日は、灰色に曇った寒い日だった。
立ち込めた雲の隙間から切れ切れに陽光が差し込むものの、その光には暖かさは無かった。むしろ、刺すような冷たさを感じるような光だった。
西から追い打ちをかけるように強く冷たい風が吹きつけ、市内にある小高い山、あの日空閑と雨取が三雲と会うために時間をつぶしていた神社のある山にまばらに生えている松の木々を揺らしている。
時折ちぎれたような黒い雲がその風に乗るかのように流れて行った。物憂い冬の一日だった。
冷たい弱い陽光が市内の中心地にほど近い場所にある雑居ビルの無機質な灰色の外壁を美しく輝く銀のように染めた。しかし、その美しい一瞬の煌めきに目を留める者などない。
そんなビルの周囲に目を向けると、二人の若い男が連れ立ってあるいているのが見えた。
一人は学生のようだ。黒い制服に、首には暖かそうなマフラーをしている。彼が寒がりなのかもしれないが、マフラー無しではあまりに寒い日であるのは間違いない。
もう一人は特に防寒着のようなものを身につけていない。緑色のショートジャケットの両肩にはボーダーのエンブレムがついている。鈴鳴支部のそれである。左手に少し大きめのタブレット端末を持ち、それを時々覗き込んでいる。
学生服の男はボーダー所属の戦闘員、三輪 秀次だ。彼は来たるべきネイバーの大攻勢に備えて敵がどこから攻めてくるのか、その際、自分たちはどう動くべきかを確認しようと学校帰りに街を歩いていたのだ。
もう一人は言うまでもなくボーダーが誇る『セクハラの双璧』である。彼もまた三輪と同じことを考えて街に出てきたのだが、別に二人で申し合わせて街を見て回っているわけではない。三輪は彼を嫌っているし、彼もまたそのことは知っている。というより、先日面と向かって嫌いだと言われたばかりだ。
そんな二人が連れ立って歩いているのにはそれなりの理由があった。街でばったり会った二人は、お互いの目的が異ならないことを知ると、どちらともなく共に歩きまわっているのだ。
1つには、一人で見て回るのには三門市はあまりに広いということがあった。己の脚で歩き回るのであれば、一定の決まりらしきものを定めて回る方が効率が良い。
攻めてくる相手の目的が分明では無い以上、それを予想あるいは想像して歩くしかない。
これもまた先日の会話で分かったことだが、清治は戦略面に関してはボーダーの中では頼りになる存在だということを、三輪は不本意ながら認めないわけにはいかなかった。そこで、彼の見解を聞きながら下見をする方が良いと判断したというのがある。
もう1つには、互いに会話を交わす方が思考がより明確になってまとまりやすいということがある。ことがことである以上、自分のひとり合点で物事を考えるのは危険なことだった。
今日二人が見て回ったのは、主にイレギュラーゲートが発生した場所だった。これには当然、三門市立第三中学校も入っている。そう。空閑や三雲たちが通っている学校である。
途中、道端の自販機で缶コーヒーを買って一服しながら、二人は話しをしている。
「敵は警戒区域以外の場所から攻めるだろうか?」
三輪が二本目の缶コーヒーを買おうとしている清治に問いかけた。
「いや。それは多分なかろうて。ゲートを開けるトリオン兵がおりゃぁ別ぢゃが、今はこちらの誘導装置が効いとるけぇの。ただ、警戒区域から外に出ようとはするじゃろう」
「そうなると、やはり基本は基地周辺で隊員を待機させることになるのか」
「ほうじゃの。ただ、敵の数は最悪を想定しておいた方がえぇ。規模は前回の攻勢よりも遥かにでかぁことになろうて」
それがどれ程の規模かは、さすがに三輪と清治には想像できなかった。
「仮に敵に人型がいても、その人数は多くはないんだな」
「遠征艇をデカくするんにゃ、それなりにトリオンが必要になる。よそさまから人をさらってトリオンを補給しようなんて連中にそれが十分あるとは思えん」
とはいえ、最低でも1人は指揮なりトリオン兵のコントロールなりを担当する人間がいるのではないかというのが清治の見解である。
「そいつが戦闘も担当する可能性は?」
「無ぁとは言えんの。ひょっとすると2人以上の人型が来て、例えば片方は船を守り、もう片方が指揮なり戦闘なりを担当するかもしれん」
やってくる人型の数が多ければ役割分担はもっと緻密になることだろう。清治の見解では多くとも5〜6人を超えることはないだろうというもので、三輪もその意見に同意した。
2人は次に、敵の戦略目標について考えた。基本的には『トリオン能力の高い人間の捕獲およびトリオンの確保』であるはずだ。そのための方法は前回の大侵攻と同様、市街地での人狩りであろうことは明白だった。
「前回と違い、一定のトリオン能力を持った集団がいることも連中は理解しているはずだ」
三輪の言葉に答えて清治が言うには、市街地にいる一般人に加えて比較的捕らえやすいボーダーの人間も捕獲対象となるという。
「それなら、B級以下の隊員が散らばるのはまずいな。それに、C級隊員のみが集まるのも」
三輪の言う通りだった。一口にB級C級と言っても戦闘能力はそれぞれだが、敵が大挙して襲って来た場合、ほとんどのB級隊員では対処できない可能性が高い。同じ理由で大勢のC級隊員がまとまっていると、それこそ一網打尽に攫われてしまう可能性すらある。
「規模も能力も分からない敵を相手に、一般市民だけでなく隊員の安全も確保する必要があるわけか。しんどいな…」
2人はお互いの見解を併記した上申書を三輪名義で提出することにした。上層部がその意見を取り上げるかどうかはわからないが、何もしないよりは良いように思えた。
「わしゃこの後基地に戻るが、三輪っちはどうするん?」
今日は新人隊員の入隊式とオリエンテーションがある。これから戻っても式には間に合わないが、オリエンテーションには間に合うかもしれない。
清治にとって少なからず縁のある2人が新たに入隊する晴れの日だ。一応は顔を出しておきたい。
「俺は帰る」
三輪としては目的を達成した以上、嫌いな人間といつまでも行動を共にする理由などなかった。それに、この後上申書を作る必要があった。草稿を作成したあと清治に渡し、問題なければドラフト版として東に渡す。
東から返ってきたドラフト版をさらに改稿した上で上層部に提出するのだ。時間が十分にあるとは言い難い。
2人は短く挨拶を交わすと、それぞれ自分の目的地に向けて足早に歩き去るのだった。
風間 蒼也が違和感を覚えたのは、かれこれ15本目の戦闘に入った時だった。模擬戦である。対戦相手は最近B級に昇格し、それと同時に本部から玉狛支部へと転属した三雲だった。
先の『演習』のおり、風間らがターゲットとしていたのは空閑である。彼は今日の入隊式を経て正式にボーダー所属となった。
空閑に三雲、そして風間は面識は無いがスナイパー希望の雨取。彼ら3人の中で唯一の正規隊員は三雲だけだ。それ故、風間は彼に模擬戦を挑んだのである。
「迅の後輩とやらの実力を確かめたい」
最初に風間がそう言った時、誰もが彼が希望しているのは空閑との対戦だと考えた。
それもそのはずで、たった今空閑は戦闘訓練において、居並ぶ者達の度肝を抜いたばかりだった。
訓練の相手は、全体的に小型に調整されたバムスターである。これと仮想空間内で交戦し、5分以内に倒すというものだったのだが、全般に戦力になり得るのは1分以内に倒すことができた隊員である。これまでの記録はA級草壁隊に所属する緑川 駿の4秒だった。ちなみに、今風間と戦っている三雲は時間切れだった。
そんな中で空閑は、なんと1秒を切る記録を2回連続で叩き出した。しかも、1回目よりも2回目の方が早かったのである。驚異的であると言えた。
先に述べた通り、このバムスターは訓練用にデフォルメされている。サイズも小さいし戦闘力も低く設定されている。敷いて言えば、オリジナルより装甲がやや固くなっているといった程度だ。
それでも、B級上位の戦闘員であっても1秒を切るのは難しい。まさに驚異的と言うべき記録だったのである。
誰しもが、それを見て風間が空閑に興味を持ったのだと考えた。だが、風間の考えは全く異なるものだった。
彼は疑問だったのだ。以前あれほどまで『風刃』に執着していた迅が、それを手放してまで守ろうとした者たちのことが。
風間には矜持があった。正規隊員である自分が実力が高いとはいえ訓練生に過ぎない空閑と戦うのは彼にとっては好ましいことではない。それに、先ほどみて彼のおおよその実力はつかめている。A級隊員と比較しても遜色ないものだ。あるいはアタッカーとしては上位ランカーとも互角にやりあえるかもしれない。
であれば、彼が知りたいのはもう一人の迅の後輩、そして正隊員として模擬戦を行うのも問題ない人物。それが三雲だったのである。
模擬戦開始前、その様子を見たがっていた新入隊員たちを、指導員として訓練に参加していた時枝が連れだした。実力的に考えて三雲が一方的に攻撃されることは目に見えている。彼としては、自分の隊の隊長である嵐山が目をかけている三雲が新入隊員たちの前で恥をかくような状況にはしたくなかった。
他の理由もあった。実力はどうあれ三雲はB級隊員だ。そんな彼が、格上のA級であるとはいえ風間に一方的に負けるような姿を新入隊員が見れば、彼らがB級隊員全体を甘く見る可能性がある。これは三雲にとっても新入隊員たちにとっても良いことではなかった。
また、戦闘がそうした経過をたどることが予想に難くないのであれば、そんな戦いを見たところで新入隊員にとって益するものは何もない。単に
「A級すげー! B級ショボっ!」
という感想を持つだけになってしまう。
実力が伯仲した者同士の戦いであれば参考になる点も多いかもしれないが、仮に三雲と風間の実力が互角に近くても、今度はレベルが高すぎて彼らには理解できない。そんなものは見ないにこしたことはないのである。
当初は誰しもが予想した通りの結果だった。そして、その結果をいつまでも積み重ねるだけであった。少なくとも外野から見ている分にはそうとしか見えなかった。
実際、勝負に立ち会った木虎が、やはり後輩の様子を見にやって来た玉狛支部の烏丸にやめさせるように進言し、訓練室のオペレートを担当していた諏訪もとっととやめれば良いと考えるほどであった。
しかし、実際に戦っている風間は違った。
――― なんだこの違和感は…
当初は最初の一撃で難なく三雲を撃破していたのだが、戦闘回数が2桁になる頃には三雲がわずかにその攻撃を躱すような動きを見せはじめたのである。もっとも、躱すことができたわけではないし、それで止めを刺せなかった場合でも第二撃で問題なく撃破できた。
それ自体は問題ではなかったのだが、三雲の動きそのものが風間の心を強くとらえた。三雲はまるで、そこに風間の斬撃が来ることを最初から『知っている』かのような動きを見せはじめていたのである。
風間は、その動きを三雲よりも遥かに高い次元で行うことのできる人物を知っていた。1つ年下の、残念な毛髪の男である。彼にとって清治は極めて相性の悪い相手だった。
誤解を恐れずに言えば、清治と模擬戦を行ったことのある人間で、アタッカーの間合いで清治に勝利しうる者は誰もいない。
正確に言えば清治の剣戟の間合いに入った人間で清治の斬撃を防ぎ得る者はいないのである。そのため、例えば太刀川は清治の間合いの外から2本の孤月と旋空、そしてグラスホッパーを駆使した立体的な長距離斬撃を行う。これはまさに超人技だ。
また、最近清治との模擬戦を避けている小南も、基本的にはメテオラを使用して清治を近づけないようにする戦法を基本としていた。
多くのボーダー隊員に舐められている清治だが、ごく限られた実力者たちは清治との近接戦闘を極力避ける戦法を取った。そして、こうした戦法に清治は少なくとも近接戦闘よりは苦手なのである。
清治の剣戟の間合いとは、単に清治の剣が届かない範囲というものではない。古流剣術である無外流の使い手である清治にとって、4間つまりおよそ7.3mほどだ。その外側から攻撃をかけるためにはアタッカーの場合は旋空孤月かスコーピオンを伸ばす、レイガストのオプショントリガーであるスラスターを使用して範囲外から飛び込むという方法しかないわけだ。
スコーピオンでこの距離をかせぐには現時点で影浦のみが使用できるマンティスを駆使するしかないわけだ。そして、これらの方法を風間は使うことができない。
風間にとって清治が相性が悪いというのは、つまりそういうことだ。実際の実力では風間の方が上ではあるが、こうした問題のため風間は清治に勝ち越すことができずにいるのである。
風間のアタッカーの個人ランキングは2位だ。3位の小南が、実質は自分が1位と言い張るのは、自分より上位である風間が、自分と互角の清治に勝ち越せないこともその理由の1つだった。
一方三雲は、手応えを得ると共に反省点も見出していた。言うまでもなくこれまでの戦闘についてである。
師匠である烏丸と、烏丸を通して清治から指導を受けていた三雲は戦い方は勿論のこと、より高いレベルに達するために先人のログをチェックしていた。
風間ももちろんログチェックの対象だった。清治が言うには、ポジションに関係なく風間こそがボーダーの全戦闘員の目指すべき理想形だと言う。
何度も見た。そして、烏丸と2人で何度も学習した。風間の動き方や戦い方を参考にするのは勿論、仮に風間と戦うことになった場合はどのように対応すべきかを確認した。
完璧とは言い難いが、その反復が三雲を強くしたことは間違いないし、その結果が風間の初撃に対応できるようになったという事実だ。
だが、自身の考えている動きがようやくできるようになるまでに2桁もの敗北をしていれば、戦場であれば間違いなくアウトだ。しかも、それですら十分に対応できているわけではない。
最初の一撃をなんとかしのぐことができるようになってきたものの、体勢を完全に崩されている。その状況で第二撃を受けているわけだから対処のしようが無かった。
いうなれば、今の三雲は『死ぬのがちょっと遅くなっただけ』といった状態である。依然勝負にはなっていないということになる。
――― 反撃のイメージが全くできない…
訓練のおり烏丸に言われたことを三雲は思い出した。隙をついて反撃する。その反撃につなげるためには隙を見出さなければならない。
なければ隙を作る必要がある。しかし、これまでのところ三雲は風間から隙を見出すことも作ることもかなわずにいた。
風間の初撃をしのいでの反撃はできそうにない。であれば、自分が風間に対して『先に』攻撃すべきだ。
三雲は改めて自分の装備している武器を確認した。そして、それらを全て生かして風間に攻撃する方法を考えた。そして、ふとある考えに思い至った。
――― ここならトリオン切れは無い。だったらアレを試してみよう。
三雲が思いついた『アレ』とは、何も以前から練習していた攻撃方法ではない。それは、訓練中にぶらりとやってきた清治とやった『遊び』を応用したものであった。
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