無責任野郎! 武蔵丸 清治   作:アバッキーノ

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02 鬼怒田 本吉と非常勤エンジニア

 ICUから一般病棟の個室に移ることのできた男は、しかしほとんど動くことはできなかった。

 左目は開いているようだがほとんど物を映さない。もっとも、仮に映していたとしても見えるのは無機質な天井だけだったのかもしれないが。

 利き腕はまったく動かなかった。左腕はどうやら動くようだが。もし後遺症が残るようなら色々不便だなと思った。ところで、何の後遺症なんだろう。

 ふと、どうやら見えるらしい右目の視界の端に何かが映った。人のようだ。黒いスーツを着た、顔に傷のあるおじさんが無表情に自分を見ている。誰だろう。

「目が覚めたかね…?」

 静かに問いかけるスーツの男の言葉を聞きながら、男は先ほどの疑問を自らにもう一度問いただす。彼の記憶の中にはこの男の姿はない。

 ベッドの男に頓着することなく、スーツの男はベッドサイドのスツールの上に何かを置いた。

「君のおじいさんの形見だ。もし、体が治ってその気があるようであれば、それを持って私のところに来るといい。地図は置いておく」

 それだけ言うと、スーツの男は静かに歩き去って行った。その後ろ姿を見ながら、ベッドの男は『この人は相当に遣う』と思った。はて、なぜそう思ったのだろう。

 じいさんか。そういや、入院していたな。あれ? どうして入院してんだっけ?

 彼の記憶が混乱しているのは、命の危機を脱した直後だからという理由だけではなかった。

 

 無外流という剣術の流派がある。現在世間で言うところの『剣道』は、明治時代以降になって発展した競技だ。そこには流派の垣根はなく、基本的には防具を着用して竹刀で、試合規則に沿って撃ち合う。

 もちろん、古代から続く武芸の線上にあるため、単に運動競技としてでなく、『人間』を鍛える武道でもある。

 一般的な道場ならば、無外流とて同じく無外流の『剣道』を教える。だが、武蔵丸道場のそれは競技としての剣道は全く教えなかった。

 教えるのは在りし日の剣術――― 『無外流真伝剣法訣』に記された、『鎮国』つまり国家の守護の要としての『剣術』である。

 そして、現代における無外流の第一人者である武蔵丸(むさしまる) 政実(まさざね)が、三門市の病院でその生涯を終えたことを知っているのは、全日本剣道連盟の関係者と、ボーダー上層部のごく一部の人間だけであった。

 

「おい大丈夫か? 首が傾いとるぞ」

 鬼怒田 本吉が心配そうにそう声をかけるのは、つい先ほどまでセクハラの報復を受けていた武蔵丸 清治である。

 彼は基本的にセクハラの報復を受けないように用心深く(いやな用心深さだ)立ち回っていたのだが、彼とて万能ではない。そうそう毎回報復を回避できるわけではないのだ。

 ボーダー内部でも有名なセクハラエリートが清治が報復を受けている様子を見たことがないのは、単に彼がその場に居合わせないだけである。もっとも、報復される確率そのものが低いのも事実ではあるが。

「大丈夫ですよポンさん。時機に治るんで」

 一言で言えばズタボロと言って良い状態で清治が言葉を返す。見た感じには全く大丈夫そうには見えないが。

 時に、鬼怒田のことを『ポンさん』呼ばわりするのはこの男だけである。彼がその名前のアナグラムである『たぬきぽんきち』と影で呼ばれているのはうっすらと本人も知ってはいるが、面と向かってそう言う人間はいなかった。

 それも当然のことで、鬼怒田はボーダーの根幹であるトリオン技術のパイオニアであり、トリガーの量産化、基礎システムの構築、ゲート誘導システムの開発など、彼の功績を挙げればキリがない。そして、その功績にふさわしい尊大な態度の彼は、尊敬はされてはいるが煙たがられているのもまた事実である。

 清治は、そんな鬼怒田の懐にごく自然に入ってきた。現れるなりまるで、親しい親戚の叔父さんにでも話しかけるかのように接して来たのである。

 鬼怒田も最初は、そんな彼を好きにはなれなかった。だが、どんな叱責にもめげることなく真摯に仕事に取り組む姿を見て、一応それを認めるようになったのだ。

 ただ、気になる点は多々あった。まずは勤務中の態度だ。どうも真面目に仕事をする人間の態度ではない。仕事自体はきちんとしているのだが、いかんせんふざけているようにしか見えないのである。

 また、残業を全くしない。ボーダーのエンジニアは激務であり、仕事があればいつまでも働くような側面がある。

 一般からすれば立派なブラック企業だが、慢性的な人手不足やエンジニアリングにおけるミスによる防衛の失敗という目も当てられない惨状を迎えることは絶対に避けなければならない。それは至上命題である。

 結局のところ、今のボーダーの根幹を支えているのは、華やかに見えるもののその実は命の綱渡りを続ける戦闘員と彼らを情報面でサポートするオペレーター、その両方を技術力で支える決して表舞台に出ることのないエンジニアたちなのだ。

 であるにも関わらず、清治は全く残業をしなかった。

 さらに悪いことには、清治は黒トリガーを所持するS級隊員でもある。そのため、防衛任務が入った際はそちらを優先することは上層部の認めるところなのだが、開発室のメンバーの中で彼が戦闘隊員を兼務していることを知っている人間はごくごく少数なのだ。

 そのため、防衛任務のために開発室に出てこないことがあったりするため、周囲からは欠勤だと思われているようだ。そのあたりから『非常勤エンジニア』などという渾名がつけられてしまったのだろう。

 加えて、彼はしばしば記憶の混濁を引き起こす。そのため、すでに報告済みである案件を再度報告して怒鳴られたり、テストが完了しているトリガーをテストエリアに放置したままにしてしまうことがしばしばあるのだ。

 そのあたりから『無責任エンジニア』などという渾名がつけられてしまったのだろう。

 だが、少なくとも鬼怒田が知る限り清治は与えられた仕事に対しては真摯であった。

 清治が主に行っている業務の中に、ログのチェックというものがある。それは重要な仕事ではあるが、功績にはなりにくいためにやりたがる人間があまりいない仕事だった。

 一言で言えば作業だ。トリガーにしてもシステムにしても、常に完璧な状態で機能するわけではない。例え再現性の低いバグでも一度発生してしまうと、場合によっては隊員や職員の命に係わる事態になりかねない。

 今の清治の仕事は、勤務時間の間中それらのログをチェックし、バグが発生しそうな兆候があれば対処するといったものだ。

 こうした、重要であるにも関わらず手柄にはなりにくい仕事を、清治は進んで引き受けた。1つには、自身の新規開発能力が他のエンジニアと比して低いという点がある。

 だが、彼が言うには

「わしが防衛任務に着いとる時にバグったら嫌過ぎる」

から真剣なのだと言う。

 真意は不明だが、とにかく彼は、新たな何かを開発するよりも発生した問題に対処する方に能力を発揮しているし向いている。功績は無いが仕事はきちんとしているというわけだ。不真面目な態度ではあるにしても。

 ところで、彼は業務とは別にある提案を挙げてきた。それは、自らが後天的に得ることになったサイドエフェクト『強化感知』を会得することができる可能性のある訓練内容およびその設備の拡充だった。

 清治はサイドエフェクトを2つも有する稀有な人材だ。1つは先天的な、高いトリオン能力が持つ人間に稀に発現する超感覚だ。そして、もう1つが今回の訓練の対象である『強化感知』である。

 これは、簡単に説明すれば第六感による認識能力だ。視覚や聴覚によらずに危機を回避する、あるいは感知する能力である。

 よく似たサイドエフェクトの持ち主で、現在B級ランク2位の影浦隊を率いる影浦 雅人の『感情受信体質』体質というものがある。

 周囲の人間の視線から感情を察知することができるというものだが、清治のそれは影浦のものと比較すると、それほど明確に感知できるというわけでもない。

 直観的に殺意、敵意、害意といったものを察知する感覚が優れている。一言で言えばそういったものだ。漫画などで主役キャラが、後からの攻撃を振り返りもせずに躱したりするようなアレである。

 できる場合とできない場合の差は歴然としており、当然ながらできる方が戦闘、特に混戦や乱戦では有利になる。ただ、鬼怒田は訓練の方法を問題視しているのだ。

「本当にこんなことで身につくのか? いや、それ以前にお前本当にこんなことをしていたのか?」

 鬼怒田が今見ている書類には、清治が書いた訓練内容が詳細に記述されている。簡単に言えば、木々が生い茂った急峻な山肌を目隠しをして駆け下りるというものだ。無茶苦茶である。

「やっとりましたよ。わしが3歳のころから、良くじいさんにやらされてました」

 右肩をさすりながらそう言う清治の言葉に驚いた鬼怒田は、彼が『あの』武蔵丸 政実の孫であり、最後の直弟子であることを思い出した。

 競技としてでなく古流剣術を極めた兵法家だった政実氏であれば、そういった修行を弟子に課していても不思議ではないとは、ボーダー本部・本部長を務める忍田 真史の言だ。

「ふ~む…」

 一つ唸ったあと、鬼怒田は実際にこの訓練を実施する場合に必要な設備や技術、問題点などを清治と話し合った。

 そう長くはないディスカッションの結果、必要な機材などを清治が所属する鈴鳴支部に搬入し、テストケースとして鈴鳴第一の隊員でその訓練を実施することが内定した。

 この件は即日決済を受けて鈴鳴支部に通達され、正式にモデルケース運用がなされることになったのだった。


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