とりあえず『脚フェチおっぱい星人でおしりも好き』
ハーブティーを淹れたあと、咎めるかのような厳しい口調で清治を問いただした三輪の言葉は苛烈なものではあったが、清治は動じることはなかった。
むしろ、三輪がたじろぐほどに優しい目で彼を見つめた清治は一言
「三輪っちは優しいな…」
とつぶやいた。
言葉の意味を咀嚼できずにあっけに取られている三輪を、清治は奥の部屋へ促した。こちらのバーカウンターを設置した部屋は原則誰でも出入りができる。三輪の質問は清治にとっても三輪自身にとっても他者に触れられたくはない事案だった。ここで話すのに適当な話題ではない。
ハーブティーが注がれたガラスのティーカップと、おかわりの入ったティーポットをガラス製のおぼんに載せた清治に続いて部屋に入った三輪は、先ほどとはうって変わって極めてシンプルな部屋に少し驚いた。
その部屋には窓がなく、入り口から一番遠い壁には本棚が置いてあり、その一面びっしりに本が置いてある。全てをチェックしたわけではないが、どうやらそれはトリオン関連の技術書のようだ。隣には小さな戸棚が置いてある。
一番隅の一角には、そうしたものとは全く違う本が置いてあった。論語、大学、中庸、孟子といった、その昔侍がたしなみとして身につけていた学問書がほとんどで、その他には基礎数学や応用数学、そろばんの本も置いてあった。
入り口から向かって右側の壁は埋め込みのベッドが設置されていて、前時代的なレトロな目覚まし時計がラックに置いてある。ラックには読書用のライトもついていて、眠る前に読書をする習慣のある清治には必須のものだった。
部屋の中央にはごくありふれたシンプルなテーブルと丸椅子が置いてあり、壁の左側には壁に備え付けられた小さなテーブルとロッキングチェアーが置いてあった。テーブルの上に置いてあるのは、どうやらパイプ煙草の道具のようだ。おそらくここで吸うためなのだろう。
そういえば、部屋全体にどこか甘い感じの香りが染み付いている。例の休憩室で清治と出会った時にしばしば嗅いだあの香りだった。
清治に勧められて椅子に座り、ハーブティーを一口ほど含んだ三輪は、先ほどの問いに対する清治の答えを待った。
「何でネイバーであるユーマをかばうような真似をしたか、か… さて、何から話せばえぇかのぉ」
珍しく思案顔の清治は、そうつぶやいた後しばらく考えこんだ。右肩をそっと撫でると、何かを思い出したかのように話しはじめる。
「そうさな。まずはゆういっちゃんが頼んで来たからというのはあるの」
実際に清治に加勢を依頼したのは玉狛支部長の林藤ではあるのだが、実質は迅に頼まれたようなものだった。
「あんたも大切な人たちをネイバーに殺されたんだろう! なのに何故迅がそう言ったというだけでヤツをかばう!!」
三輪の思いはそこにあるのだ。迅にしても清治にしても、自分と同じ『痛み』を抱えているはずなのである。にもかかわらず彼らはネイバーである空閑に肩入れをしたのだ。そこが三輪には分からないし許せないのである。
「ゆういっちゃんについてはわしもわからん。わし同様ネイバーフッドに行ったというのもあるじゃろうし、最上さんの薫陶もあったんじゃろう。いずれにしても、ゆういっちゃんと三輪っちでは、ネイバーに対する思いも考えも違う。ただそれだけぢゃ」
諭すわけでもなく突き放すわけでもなく、ただ淡々とそう言う清治を三輪は先程にも増して鋭い視線で睨みつけた。
「わしに限って言えば、そうさな… 結局のところ、わしは三輪っちほど強くも優しくも無いんぢゃろうて。だから、自分の家族を奪われたにも拘らず、三輪っちほど苛烈に連中を憎むことができんのぢゃ」
三輪の視線にも拘らず、清治はまるで自分自身に問いかけるようにそう言った。
「ぢゃが、全く憎しみも疑いも無ぁわけでもなぁしの。わしはユーマを信じとるというよりは、ユーマは問題ないというゆういっちゃんを信じとる。ま、そういうことぢゃ」
もちろんそんな言葉で三輪が納得するわけも無かった。続けて問いただそうとする三輪の言葉を遮るように、清治が言葉を続ける。
「ネイバーフットへ出向いたというのもあるんかもしれん。こちらの世界同様、えぇ奴もおれば悪いヤツもおった。それで言えば、少なくともユーマは悪いヤツではない。これはあくまでもわしの直感ぢゃがの」
さらに清治は言う。
「言い訳臭い話しになるが、先の大攻勢でわしは死にかけた。マッさ… 忍田本部長のおかげで一命は取り留めたが、ハッキリ言やぁ意識が戻った後の方が大変ぢゃったんじゃ。えげつないほどに、な。おかげで、ネイバーを憎むヒマも無かったといえば無かった」
清治の言葉を聞いて、三輪はあの戦闘に後に嵐山から言われた事を思い出した。
『今生きている方が不思議なくらいだったそうだ』
その時の清治の状況がどのようなものだったかというのは、話を聞いただけの三輪には分からなかったが、憎い相手を憎む
「話を聞くより見る方が早かろう。ただ、ちょっとした衝撃映像クラスなんじゃが、見るきゃ? 時間帯が時間帯ぢゃからあんまオススメはできんがの」
清治が普段からトリオン体で過ごしているということは三輪も知っている。ということは、今から換装を解くということなのだろう。
一瞬の閃光と共にトリオン体を解いた清治の姿を見て三輪は絶句した。先ほど目の前にいた人物と今目の前にいる人物が同じだとは到底思えないほどの変わりようだったからである。
土気色の朽木のような痩せ衰えた体に頭蓋骨そのものの形状としか思えない頭が載っている。その頭部の頂点から向かって左側にかけての部分が驚くほどに見事な直線を描いているのは、あまりにも鋭い刃によって斬り落されてしまっているからだった。
右目は濁った色の瞳で三輪を見つめているが、左目はまっすぐ前を向いてはいるものの焦点が合っていないことは明白で、これ以上ないというほど不自然に見開いている。
右腕は肩のほんの少し下が無い。三輪の位置からは見えづらかったが左足も膝から下が存在しない。
三輪でなくともショックを受ける姿であった。まさに『生きていることが不思議』なほどのレベルである。
「どうじゃ… バ○オのゾンビと間違って撃ちたくなったじゃろ?」
必死に絞り出したような、地の底から聞こえてくるような不気味で不吉なかすれ声が聞こえた。おそらく清治の声だ。普段の快活な様子など微塵もなかった。
絶句する三輪の眼前で再び閃光が瞬く。光が消えると、三輪も良く知る人物が目の前に座っていた。正直ホッとした。
「あのままではお互いに喋り辛ぁけぇの」
気恥ずかしげに笑う清治を見て、三輪はやはり分からなくなった。先ほどまでの怒りにも似た感情はあらかた吹き飛んでしまったが、それでもやはりネイバーが憎くはないのだろうか。
「そりゃ憎いよ。当たり前じゃ。じゃが、連中を根絶やしにすることなんぞ出来やせん。そんなことをするなら、メテオラの数百倍は威力のあるトリオン爆弾をいくつも作らんといけん。そんなことは不可能じゃ。それに、それを試みたら、あちら側にわしらのような悲しい人間を新たに創りだすだけじゃ」
正論だった。だが、だからこそこちらにやってくるネイバーは全て殺さなければならない。でなければ、自分たち以外のこちら側の人間にそうした悲しい思いを抱えさせてしまうことになるからだ。それが三輪の偽らざる本心だった。
「それが友好的なヤツであってもかね?」
「ネイバーは全て敵だ!」
「堂々巡りぢゃね。そんならやはりメテオラ爆弾を作らんといかんのぉ」
愉快そうにそう言うと、清治はハーブティーを口に含んだ。少し冷めている。
「あんたは! あんたは奴らを許せるのか!?」
「いいや。ぢゃが、わしが許せんのは先の侵攻を行った奴どもであって他の者たちではない。関係ない連中をわざわざ戦禍に巻き込むこともなかろう」
「それなら、その連中がやって来たらどうする? 殺すだろう!」
三輪の問いに、清治は深く息を吐き出すと、投げ捨てるように応えた。
「殺さんよ…」
意外な答えに三輪は虚を衝かれたように驚いた。だが、その後の清治の言葉にさらに驚くことになる。
「死んだ方がマシぢゃという目に合わせて、死なん程度にそれを延々と続けてやるのだ。さぞ楽しいことぢゃろうて」
笑みを浮かべるでもなく、怒りの表情を浮かべるわけでもなく、ただ淡々とそう語る清治の言葉は、三輪を戦慄させるには十二分だった。
三輪は今理解した。自分が清治を避けていたのは、単に彼の人柄を疎んでのことだけではなかったのだ。
おそらく清治は、三輪と同じ程度にネイバーを憎んでいる。ただ、憎み方が違うのである。
三輪はネイバー全体を敵視することによって、絶えることのない自分の怒りを燃やし続ける。だが、清治が憎んでいるのは、あくまでも自身を死地に追いやり、かつ家族を奪った者達だけだった。
試しにどのような目に合わせるつもりなのかを聞いてみた三輪は、その内容を聞いて背筋が凍えるのを感じた。常人では到底思いつかないであろう行為を2、3挙げた清治の表情には何の感情のゆらぎも感じられない。
相手が許しを乞うような場合はどうするのかと聞いてみると、さらに恐ろしい答えが返ってきた。
「許す? 何かこちらが許さなければならんことがあんのかね。連中は自分らのためにやりたいようにやって、こちらはそれにたいしてしたいようにするだけじゃ。許す許さんの問題でもないし、こちらが手を止めてやる理由にもならん。女じゃろうが子供じゃろうが、な」
もはや疑う余地はない。三輪は清治を恐ろしいと思っている。彼を避けていたのは、漠然とした恐怖を感じていたからなのだ。
ふと、三輪は清治が最初に言っていた言葉を思い出した。
――― 三輪っちは優しいな…
あれはどういう意味だったのだろうか。それを問うと
「まんまさね。優しい三輪っちぢゃから、大切な人たちを奪われた悲しみが分かる。ぢゃけぇネイバーが憎いんじゃろ?」
そんな風に言われたことが初めてだったため、三輪は少し戸惑った。彼にしてみれば、単に姉の命を奪ったネイバーを許すことができないという思いが第一だったからである。
「それに、わざわざ話しをしに来てくれたしの。普通なら自分の気に入らん人間なんぞ、話すどころか見たくもなかろうに」
そう言う清治の言葉と態度には、それまでと違って優しさや親しみの情が感じられた。
――― やっと分かった気がする
三輪はそう思った。清治は情が深いのだ。そのため、味方に対してはどこまでも懐深く接するが、敵対関係になるとそれまでの関係性など考慮しない。誰であろうとも容赦はしないのだ。
そして、その境目で危ういバランスを保っているのが普段の様子なのである。
「じゅんじゅんではないが、ボーダーもこんだけ人が居りゃぁ、いろんな考えのモンが居る。三輪っちみたいなのや、ゆういっちゃんみたいなのや、わし… のようなのはこれ以上居られたらアレぢゃがの」
苦笑しながら清治が言う
「それを分かれとは言わんし、誰かと同じように考えろとか言うつもりもなぁ。ただ、知らんぷりして欲しい」
「知らんぷり?」
唐突に出た緊張感皆無なワードに三輪は聞き返さずにはいられなかった。
「うん。知らんぷり。誰かの意見なり考えなりが絶対的に正しいっちゅ〜わけでもなぁし、思いが違っても同じボーダー隊員ぢゃ。いざっちゅ〜時は助け合わんと生き残れん」
清治が言うには、悪感情を持っていると連携が難しくなるが、だからと言って気に入らないものは仕方がない。そこで、なるだけそうした人物のことを気にしないようにして欲しいというのだ。
「俺は… 迅もあんたも嫌いだ…」
「よろしい! ならば戦争ぢゃ!」
言われてぎょっとする三輪を見て清治が大笑いする。
―――ああ。やはり俺はこの人を好きにはなれん…
三輪はそう思った。
話しはいつしか、先日の戦闘のことに移って行った。
「しかし、お粗末な顛末じゃったのぉ」
放たれた言葉に三輪が反応しないわけがなかった。穴を穿つがごとく、あるいはその眼力で相手を射殺すかのごとくするどい視線を清治に向ける。
だが、言うべき言葉が見つからなかった。彼は誰よりも自分たちが『負けた』ことを明確に認識しているからである。
そんな三輪に清治が告げた言葉は驚くべきもであると言えた。
「勘違いしんさんな。戦闘自体はとば口には問題があったが、全体的には良くやっていた。勝敗はしょせんは相対的な力関係で決まるもんぢゃ。負けた方には敗因があるにしても、勝った方に勝因があったとは限らん。今回はそうしたケースぢゃ」
三輪は耳目を疑わずにはいられなかった。まさか、自分が嫌悪するこの怠惰かつ無責任な男から、自分が最も敬愛する戦術の師匠、東の言うような言葉を聞くことになるとは夢にも思わなかったからである。
「確かに戦術的な作戦を考えたのは三輪っちぢゃし、指揮を執ったのはたっち~ぢゃ。二人には敗戦に関する責任があるかもしれん。ぢゃが、わしが問題視しとるのは一戦局の帰趨によってのみ目的の成否が左右されるような作戦を実行した上層部ぢゃ。今後の防衛作戦の抜本的な見直しが必要かもしれん今、こうした弱さが露呈したのは逆に良いことかもしれんが、ね…」
驚愕する三輪の目の前にいるのは、普段から想像もできそうにないことを、普段のようなちゃらんぽらんかついい加減な態度・口調で述べる清治であった。
というわけで、暇つぶしにアップ(^^