「はいはい。どったの先生」
嵐山隊らしきトリオン体が迅が言っていた地点に到着したのを見計らったかのようなタイミングで、清治のボーダー用の端末に着信があった。
連絡してきたのは烏丸だ。彼も含めた玉狛支部の面々には、今回の『演習』のことは秘匿されている。
「ムサさん。今いいですか?」
「構わんよ先生。なんかあったんきゃ?」
清治が烏丸を先生と呼ぶのは、彼が三雲の師となったからだった。ただ、彼自身も木崎の弟子であるため、師匠と呼ぶのには支障があると思った清治はこう呼ぶことにしたのである。
「先生はよしてください。ところで、相談したいことがあるんです」
言うまでもなく三雲のことについてだった。しばしば光る動きをする彼ではあったが、全体的には極めて能力が低いと言わざるを得なかった。率直に言えば、今のC級隊員の中にでさえ、彼を上回る実力の持ち主は探す必要もないほどにいるはずである。
三雲がボーダーに入った経緯を迅から聞いていた清治としては苦笑するしかなかった。ただ、ボーダーが重視するトリオン能力の絶対値や、それを使役する能力以外の面で三雲には伸びしろがいくらでもあるはずだ。
何より、トリオン器官は成年まで成長を続けるものだ。彼のトリオン器官が今後急激に成長する可能性だって無いわけではない。また、例えトリオン能力が低いままだったとしても、成長によりある程度は伸びるはずだ。
彼自身が持つ彼だけの『強さ』を見極めることができればエース級の活躍だって不可能ではないはずだ。元に今A級になっている隊員の中にも、トリオン量では他の隊員と比べてハンデのある者も少なくない。
清治の見立てでは、三雲は将来的にはボーダーに不可欠な『人財』となりうる人物だった。血気盛んな若者たちの集まりでもあるボーダーの隊員たちは見落としがちだが、彼らが後顧の憂いなく戦うことができるのは、ボーダー本部で立ち働く多くの人々の支えがあってこそだ。
おそらく三雲は、自らが戦闘に出向いて作戦を立案し、作戦のために隊を指揮をする必要がある場合でも、目の前のことだけではなく戦闘全体、もっと言えば戦闘には直接参加しない非戦闘員の動きにすらも気を配ることができる人間になるだろう。
さらに言えば、三雲は唐沢好みの人材に育つ可能性があった。周囲の状況を鑑みて己に有利な状況を作り、戦闘なり交渉なりを行うことのできる人材に。これは、清治にとっても大変好ましい人材だと言えた。
もしそうした人材が既に複数名ボーダー内部にいたら、今回のような無駄な諍いは避けられたかもしれない。そうなれば迅もあのような決断を下す必要がなかっただろう。
ところで、烏丸の目下の悩みは当然のものだと言えた。トリオン能力にも戦闘能力にも申し分ない空閑。戦闘にはあまり向いていないが、黒トリガーレベルのトリオン能力の持ち主である雨取。
この二人と比較すると、現時点での三雲は大きく見劣りしてしまうのは明白だ。そして、そんな彼を強くすることをミッションとして課せられた烏丸からすれば、内心
「なにこのムリゲー」
と言いたい心境なのかもしれなかった。
ここ数日、三雲の能力は伸び悩んでいた。そのため烏丸も必死で訓練メニューを考えてはいたのだが煮詰まってしまったのである。
こうした場合、客観的な意見を聞くのが一番望ましいことだし、それであれば、先人の部外者に聞くのが一番良い。そこで烏丸が選んだのがまぐれS級隊員だったわけである。
彼としては、以前まるで立ち話のように的確なアドバイスを清治がしてくれたことを念頭に置いていたのである。
烏丸からメニューの内容を聞いて問題ないように思った清治は、どうやらドンパチを始めたらしいあちらの動きを注視しながら2つのことを烏丸に提案した。
1つは、1度の模擬戦ごとにログをチェックし、一番良くなかった点を指摘してそのシチュエーションではどうするべきかをレクチャーする。レクチャーの後は指摘されたシチュエーションを繰り返し行い、うまく動けるようになるまで繰り返すというものだった。
三雲は物覚えの良い方ではないが、覚えたことは決して忘れないタイプだ。こうして1つずつ問題点を指摘して改善していくうちに、問題個所はどんどんなくなっていく。
他の者ではこうはいかない。彼以外の人間だと、4つめの問題点を改善するころには、最初に指摘された点の半分くらいは忘れてしまう。
教えられたものすべてをまじめに身に着けるタイプの三雲には、感覚的なことよりもこうした落とし込みの方が適しているのだ。
こうしていくうちに、彼の実力は徐々に底上げされていく。時間はそれなりにかかるだろうが、確実に強くなれるはずである。
2つ目は風間隊の隊長の風間 蒼也と柿崎隊の隊長の柿崎 国治のログをチェックすることだった。
迅や太刀川など、感覚的に行動できる天才タイプとは違い、風間は天賦の才と論理的な思考を併せ持つタイプだった。今後三雲がアタッカーになるかどうかは分からないが、現時点でボーダーの戦闘員の中でもっとも高いレベルで洗礼されている人物だった。
清治からすれば、ポジションの違いがあっても、風間こそが全ボーダー戦闘員が目指すべき目標だった。
また、柿崎はやや慎重に過ぎる点もあるが、作戦立案や指示など小隊の隊長としては理想的な人物だった。本人も個人としてはA級レベルのため戦闘力は決して低くない。今後空閑たちを隊長として率いる予定の三雲にとって、見習うべき点は山ほどある人物であると言えた。
「漫然と眺めさせちゃダメよ。1つ1つ注目すべき点を提示して、見た後は確認テストをして、腹落ちさせんと意味がなぁ」
「なるほど… ありがとうございます」
烏丸との通話が終わると、清治は改めて現場に目を向ける。
どうやら太刀川あたりが派手に始めたようだ。
――― …遅い
清治からすれば、戦闘開始があまりに遅すぎた。そのために彼らは唯一の勝機、しかもかなり大きなものを自ら手放したに等しい。
清治の見解では、本部派遣部隊が迅の存在に気が付いて立ち止まった時点で勝敗はほぼ決していた。嵐山隊が助力してくれることは知っていたからだ。
おそらく停止を命じたであろう太刀川の判断を妥当とも思いつつも、清治は良い判断とは言えないと考えている。迅がどういう意図でそこに立っていたかなど明々白々だからである。
彼らは迅のサイド・エフェクトについて知っている。つまり、迅は彼らがそこに現れるということを知っていて待っていたのである。
何のために。久しぶりに帰還した太刀川たちの顔を見るためでないことは確かだ。そうしたいのであれば、本部で遠征艇の帰還を待っていれば良いのである。
玉狛支部にいる空閑の黒トリガーを奪取するという今回の太刀川たちのミッション。その道中で接触を図ったということは、少なくとも何らかの方法でそれを阻止しようとしているに違いなかった。
ボーダーの規定では、いかなる場合であっても模擬戦以外での隊員同士の戦闘行為を禁じている。今回の場合、太刀川らは正式に本部から指令を受けており、戦闘を行えば咎められるのは清治も含めた『こちら』ということになる。
それでも戦闘は必至だった。少なくとも空閑の『事情』を知っている側からすれば、何があっても空閑の黒トリガーを本部に渡すことはできない。
もっとも、そのことを知らない太刀川らからすれば、単純に空閑の黒トリガーを奪取しろと命じられたのであればその空閑以外の人間、殊にボーダーの隊員、しかも黒トリガーの使い手である迅との戦闘は避けるべきだと考えるのは当然だ。
ならば空閑についてはどうか。彼は既にボーダーに入隊する意思を示しているし、そのための訓練も受けている。実質的には玉狛支部所属の人間と言って良かった。
ただ、空閑(と雨取)が正式にボーダーに入隊するまでにはまだ数日あった。太刀川あたりがその辺を指摘したかもしれない。
もしそうなら、太刀川らの行動の方が当然ながら理がある。だが、理があるからと言って迅に退くつもりがあるのであれば、最初からそこにはいない。
おそらくそんな話をしているのだろうという予想は清治にもできた。だが、戦闘開始が清治の予想よりも遅れたのは、迅が退く意思がないことを示した上でも、おそらく風間あたりがあくまでも説得によって退かせようとしたのであろう。
清治から見れば、太刀川にしても風間にしても身内には甘い。そして、そのために迅と嵐山隊が合流してしまうという、彼らにとっては最悪の事態を招いてしまったというわけだ。
もし彼らに対して『万難を排して黒トリガーを奪取せよ』と命令が出ていたらどうだろうか。
――― わしならそう命じるが、ね…
もちろんその命令には、玉狛支部の誰かあるいは全員と戦闘をすることも含まれる。そうした場合、規定を理由に彼らが命令を拒否することも考えられた。そうした権利も隊員は持っている。
仮に彼らのうちに何人かが命令を拒否したらどうだろう。本部は空閑の黒トリガーを諦めるだろうか。
いや、それは考えにくい。林藤が清治に言った通り、黒トリガーは貴重であり、その威力はノーマルトリガーの比ではない。
単純にトリガーの『強さ』という面において言えば、例え玉狛のみが所有する高性能なトリガーを全て合わせたとしても黒トリガーには及ばない。
それだけに本部は必死なはずだ。そして、その必死さの結果がこれである。清治からすれば、様々な意味で愚な選択としか言いようがなかった。
この場合彼らはどうすれば良かったのだろうかと思った上で、清治はその点について考えるのをやめた。
唐沢ならば交渉と懐柔する手段を模索しただろうが、結果として城戸は強硬手段に出たのだ。
彼らからすればそれこそが『正しい』ことなのだろう。であれば、玉狛側も彼らの『正しい』ことを行うだけだ。
――― で、わしもそっちに加担するわけか…
我ながら物好きなものだと清治は思った。基本的に事なかれ主義な彼にとっては、こうした『内輪もめ』に首を突っ込むような真似は本意ではない。
今回のことはやむを得ぬ仕儀と言って良かった。1つは他でもない迅の頼みだったから。そして、もう1つには空閑の命がかかっているということだった。
空閑本人にも伝えた通り、清治は未だに空閑本人を完全に信用しているわけではなかった。だが、偶然とは言え隣家に越してきたこの奇妙な少年を、清治は既に見捨てることができなくなっていたのである。
さらには、色々な意味において本部執行部に対して思う所があったというのもある。清治は彼らを尊敬しているが、それだけに今回のような強盗まがいの行為を看過することはできなかった。
しかも、戦略的には穴だらけの戦闘行為を、帰還して間もない遠征部隊に命じている。トリオン体である場合、理論上は全く疲れを感じないのだが、『心』の疲れというのはどうしようもない。
ついでに言えば、今回の派遣部隊も陣容としては十分ではなかったと清治は考えている。清治であれば、もしものことを考えて東と二宮を太刀川らとは別に後詰として派遣していただろう。
そうしていれば、例え今回のように迅が嵐山隊と組んで太刀川らを迎撃したとしても、それらを退けることができただろう。また、迅らを倒した後にさらに玉狛の隊員たちと戦うことも想定される事態だ。その場合も後詰は十二分に威力を発揮するはずである。
おそらく本部は、ボーダーが『割れている』という事実を外部には知られたくはないだろう。そのために派遣する人数を限ったのであろうが、これに彼ら2人が加わったところでさほど大舞台というわけでもない。
ただ、仮に彼らが任務を全うできたとしても、玉狛支部との亀裂は決定的なものになるのは言うまでもない。結局のところ、彼らの任務が成功しても失敗しても、本部にとって良い結果はついてこないのである。そこがやるせなかった。
誰にとっても得のない戦闘が、今目の前で始まっている。
いずれにしても、既に命令の遂行は不可能だ。本部の沽券に関わる事態と言えた。とりあえず清治は成り行きを見守ることにした。何にしても迅が出した2つの条件が満たされるまでは、清治はただの観客に過ぎないのだ。
条件の1つは、迅に張り付いた相手については構わないということだった。頭数の少ない迅たちは、いずれ必ず二手に分かれる。
清治が頼まれたのは嵐山隊のフォローであり、迅の方に向かうであろう太刀川や風間には手出しをしないで欲しいと言われた。
もっとも、風間はバランスを考えて嵐山を落としに向かうかもしれず、その場合は清治も彼と戦うことになるかもしれなかった。
もう1つは嵐山隊だ。彼らのうち誰か1人が落とされたら、それこそが清治参戦の最後のトリガーである。
戦闘は長引くかもしれない。というのも、迅が清治に提示した2つのプランのうち、最初のプランはこれから行う持久戦だった。
嵐山隊と連携して追手のトリオンをじわじわ削り、撤退に追い込む。彼らを倒してしまうよりも撤退してもらった方が、本部との摩擦が少なくて済むし、彼ら自身との軋轢も小さなもので済むはずだ。
清治からすれば迂遠な行為だった。相手がこちらを
しかし、それでも敢えて迅の献策を清治は否定しなかった。上記のように思いつつも、優しい彼らしい考えであるとも思ったからだ。これが、もし別の人物からの献策であったならにべもなく却下していたことだろう。
そうなると、清治の出番はもう1つのプラン… 太刀川たちには悪いがきっちりと負けてもらうことだった。
「そうか。ムサさんも来るのか」
木虎の献策を受けて『分断された』態を装うことを決めた後、清治の参戦を迅から聞かされた嵐山は珍しく冷や汗をかきながら言った。
「ああ。多分どっかから俺達を見てるよ。もっとも、ムサさんの参加には色々と面倒をお願いしたんだけどね。黒トリガーも今回はナシで」
迅の考えた『策』を成功させるためには、この戦闘に勝利することも重要ではあったが『勝ち過ぎ』も良くなかった。
一番良いのは、言うまでもなく太刀川たちに退いてもらうことだった。しかし、現時点で既に戦いは始まってしまっている。
こうなると中策となるのは戦って撤退してもらうこと。できるだけ戦いを長引かせた上でこちらはトリオンを温存し、相手のトリオンをじわじわ削るというものだ。これから行うのはその策である。
この策を講じる場合も清治には出番が無い。迅にしても嵐山隊にしても、引き気味に戦うのであれば相手に墜とされる可能性は限りなくゼロに近い。同時に相手を墜とす可能性も同程度であるわけではあるが。
清治が参戦するケースは下策、つまりは強行手段によって太刀川らを退かせる際に、嵐山隊の誰か1人が墜とされてしまった場合だった。
「いろんな意味で責任重大ですね」
清治から普段
「できるキノコ」
と呼ばれている時枝 充が、普段と変わらない口調でそう言った。
ただ、普段から彼と付き合いのある人間からすれば、その声音にはかすかに驚きと恐怖からくる震えがあったことに気がつくかもしれなかった。
「ああ。何せ、この話をした時のムサさんは大笑いしてたからな」
木虎は驚いた。重要な話をしている最中に笑うなど、彼女からすれば不謹慎極まりないことだったからだ。しかし、彼女が驚いたのは、次の嵐山の発言だった。
「それは… 怖いな」
「ああ。怖かったよ… お。来たな」
彼らの読み通り、太刀川たちは迅と嵐山隊を分断しにかかった。彼らはそれに呼応する形で2手に別れた。
「いくら何でも笑うなんて変じゃありませんか?」
2手に別れた太刀川らのうち、三輪たちと思われる相手を待ち受けるまでの少しの間、どうしても木虎はそう漏らしてしまった。堅物と言っても良いほどに真面目な彼女からすれば理解できないことだった。
「それは違うよ。木虎」
彼女にそう言ったのは時枝だった。彼は以前ネイバーフットに出向いた際に清治とも行動を共にしている。
「ムサさんが大笑いする時は、だいたい怒っている時だよ」
嵐山が言うには、清治の大笑いは、だいたい怒りが度を越してしまった時に感情のバランスを取るためなのだそうだ。その辺りは清治と一定の距離で一定の時間以上過ごさないことにはわからないことだった。
「ダソスの時以来ですね」
時枝はその時のことを思い出すと、今でも身震いを禁じ得ない。
「ああ。おまけに視界の効かない夜の戦闘だ。この状況でムサさんと戦う… 想像したくもないな」
嵐山にしても時枝にしても、随分と清治のことを買っているようだ。
木虎は清治のことを良く知らない。年上の女子隊員からはセクハラを警戒され、世話になっているエンジニアたちからも好かれてはいない。
S級隊員だとは知ってはいるが、どのようなトリガーを使うのかも知らない。
しいて言えば、先日のイルガーとの交戦の際に、それなりに狙撃をできる程度の腕を持っているということを知ったくらいだった。
黒トリガー使いとして参戦するのであれば、確かに凄い戦力が味方となっているという風には思うが今回はそうではないらしい。それにしても、嵐山たちの会話を聞いていると、まるでそれ以上の『規格外』の能力を持っているようにも聞こえる。
どうも要領を得ないし、彼がそれほど凄い戦闘員であるとは正直信じられない。また、もし仮にそうだったら彼女としてはかなり癪だった。
木虎は清治のことを良く知らない。ただ、以前清治と共に遠征に言ったことのある嵐山たちがそう言うのであれば、少しは役に立つかもしれないとだけは思った。
夜の戦場。そこにおいて、清治はアタッカーでもシューターでもスナイパーでもない。もしその状況を適正に表現できるポジションがあるとしたら、それは『ハンター』だった。
嵐山は思った。敵ながら清治と、清治の得意な状況で戦うことになるかもしれない太刀川たちのことを。
いずれにしても、清治の参戦はできれば避けたいという思いは迅も一致していた。そして、そのためには自分たちの動きが鍵になるということも理解している。
誰も墜ちない。一言で言えばそれだけだが、実際にはかなり困難なことだ。しかも、相手が相手である。
「参ったな… 自分たちのためだけではなく、敵のためにもがんばる必要があるなんてな」
接近してくる三輪たちの姿を見ながら、この戦いの皮肉さを嵐山は感じずにはいられなかった。
次の投稿には間に合うのか…(^^;