――― こりゃまたエラいシュールな光景じゃのぉ…
旧弓手町駅のプラットフォームに着いた時の清治の最初の印象だった。既に決着はついていた。
目の前には年下の親友とA級部隊に所属する凄腕のスナイパー二人がいる。だが、清治がそうした感想を抱いたのは、彼らのさらに先に見えた光景だった。
二人の見知った人間が倒れているのが見える。そして、彼らの体から妙な六角形の小さな柱のようなものがいくつか生えていた。
ボーダーのガンナー向けトリガーのオプショントリガーのそれに似ているが少し違うようにも見える。
清治は、道すがら迅から説明を聞いていた。
「しかしゆういっちゃん。なんでゆういっちゃんは空閑くんのトリガーが黒トリガーなんを知っとったん?」
一通りの説明を聞いたあと、清治が至極まっとうな質問をした。
「『見えて』たからだよ」
迅を知る人間にとって、これ以上ないハッキリとした説明だ。
つまり迅は、ここで空閑がA級部隊である三輪隊と戦い、その際に自身の黒トリガーを使用するということまで見えていたのである。恐るべしやは未来視のサイドエフェクトと言ったところだ。
「なるほどのぉ… ん? それ見たのいつ?」
「ああ。初めて会った日だよ。ほら。ラッドの件でさ」
清治は思い出した。三雲の処遇について上層部の会議があり、会議の翌日に迅の案内で空閑に三雲と3人で会いに行ったあの日である。お分かりだろうが結構前だ。
つまり、迅は初対面の時に空閑の『この未来』を見ており、彼のトリガーが黒トリガーであることを最初から知っていたのである。
知っていて、親友である自分には言わなかったということだ。
おそらく迅にはそうした理由があるのだろう。清治にも思い当たる点が無いわけではない。空閑を全面的に信用しているらしい迅と三雲とは違い、清治は未だ彼を完全に信頼できるとは思っていないのだ。
無理もない話だった。普段の彼の行動や言動からは想像もつかないことだが、清治は実際慎重な人間だ。常に『ある種の可能性』を考え、その中から誰もが考慮しない点を注視して行動する。
実際には徒労に終わることが多いのだが、それは問題ではなかった。問題なのは、考慮していたにも関わらず何もしなかったがために、深刻な事態を招いてしまうことである。
戦闘に関わる以上自分はもちろん仲間、引いては非戦闘員であるボーダー職員を含めた三門市民に被害が出るような事態は絶対に阻止しなければならない。そのためには、百万が一の可能性であっても検証するに値するものであれば見逃してはいけないのである。
それが清治の基本姿勢であるため、形としては多くの者が目を向ける事に背を向けるような恰好になる。周囲が彼の態度を不真面目と捉える理由の1つである。
そんな清治にとって、この世界にネイバーがいるというイレギュラーな事態は看過して良いものではなかった。
例え彼に『今』害意がなかったとしても、将来どうなるかなど分かりはしない。いや、もしかしたら迅には既に『見えて』いるのかもしれないが、見えない清治にとっては軽快に警戒すべき対象であると言えた。
そんな清治に空閑が黒トリガー使いであることを伝えてしまった場合、未来に何らかの良からぬ影響が出てしまうのかもしれない。いや、おそらく迅にはそうした未来が『見えた』のだろう。
理性的には理解できたが、感情面で納得することは難しかった。重要な事案ではあるし、何より親友に隠し事をされたということが残念でならなかった。
また、隠し事をさせてしまったという自責の念も無いではなかったが、色々考えた結果話さなかった迅が悪いことにすることを清治は決めた。
とりあえず移動中に少し強めに迅の尻を蹴っておいたあと、改めて空閑の黒トリガーについて考えた。
見れば空閑は片腕を失っている。どうやら先ほどの戦闘の際に奈良坂が放った一発がヒットしたのだろう。あれで腕を持っていた奈良坂も、腕だけで済ませた空閑も只者ではないと言って良いだろう。
三輪と米屋の体に生えているものが、ガンナー向けのオプショントリガーである『鉛弾』と同じものであれば、シールドに干渉しないはずなので接近戦の時に撃てばよかったはずである。
最初から使わなかったのには何らかの理由があるのだろうか。あるとすれば何だろう。一定の条件を満たさなければ撃てないのだろうか。それとも…
様々なことを考えながら、清治は迅たちからだいぶ遅れて歩いていた。何となく三輪と顔を合わせ辛かったし、先ほどの蹴りだけで迅との間の小さなわだかまりにケリをつけることもできそうになかったからだった。
迅と奈良坂、古寺が三雲達と言葉を交わし、空閑たちのところに移動していくのを見計らって清治が三雲たちに話しかけた。
「よ。メガネくん。さっきぶりぢゃね」
「武蔵丸さん」
ふと横を見て清治は直感した。果たして彼女が三雲の会う約束をしていた相手なのだろう。
「お? お? 彼女? どこまで行っとんの?」
必死に否定する三雲をひとしきりからかい、千佳に挨拶をした後、清治は三輪と米屋から見えないように位置を気を付けつつそちらへと向かうのだった。
少し離れた場所に立つ清治を横目に見ながら、迅は三輪隊の面々にいかに空閑と戦うことが無駄なことであるかを説いていた。
「むしろお前らは善戦した方だな。
――― もしその気があったらどうするよ…
清治としては思わずにはいられなかった。空閑の人間性を攻撃的かつ排他的なものだとは思わないが、清治としては万が一を考えないではいられなかった。
また、清治自身がネイバーに対して少なからず憎しみを持っているというのもあるのかもしれない。三輪ほど苛烈にネイバー全体を憎むことは清治にはできなかったが、やはりあの大攻勢を行ったネイバー… 清治にとって両親の敵であり、自身の命をも危うくした敵かもしれない相手である可能性が僅かでもある人物を、迅が言うからという理由だけで無条件に信じることができないのである。
以前にも少し触れたが、清治は三輪を非常に高く評価している。単に戦闘能力が高いからとか、城戸の腹心を務めているからだとかいう理由ではなかった。
感情的に見られがちな三輪だが、実際には心のバランスが非常に高いレベルで均衡していた。知と勇のバランスが良いのである。清治からすれば彼と比較すれば、太刀川や迅は勇に、東は知に傾いている。この見解は東とも一致していた。ちなみに清治自身は自分を『
また、三輪は義と仁にも篤い。清治や迅のことを嫌ってはいても、話すべきことがあれば当然話をするし、相手の話を聞かないということもない。一応聞いた上で自分で判断する。嫌いな人間を相手にこれはなかなか難しいものだ。
清治の考えをよそに話は進んでいく。その間に三雲は、レプリカから黒トリガーについてレクチャーを受けていた。考えてみれば、こうしたことを知るのも正隊員の仕事だった。
三雲が知らないのが悪いのではない。彼にそのことを教えるのを怠っていた自分をはじめとした先輩や上司たちが悪いのだ。清治としてはなんだか申し訳ないと思わずにはいられない。
「その黒トリガーが街を襲うネイバーの仲間じゃないっていう保証は?」
奈良坂が、常々清治が思いながらも迅に遠慮して聞けなかったことをズバッと聞いた。清治としては奈良坂を全力で褒めたいところである。
「俺が保証するよ。クビでも全財産でも賭けてやる」
――― ならわしに先に言わんかいっ!!
という言葉を、清治は必死で飲み込んだ。
ところで、迅がそう言い切る以上は、空閑の未来においてそのようなものは見えないということなのだろう。
複数の道筋が見える中でそうした流れが見えないということは、まずは一安心と言っても良いということだった。
もっとも、完全に安心というものでもないと清治は思っている。現に迅は、今ここに清治がいるという未来を『読み逃して』いるのである。
とはいえ、迅がわけもなく空閑をかばいだてしているわけではないということがハッキリ分かった今、清治は一応迅を許してやることにした。もっとも、それすらも迅には『見えて』いたのかもしれないが。
「損か得かなど関係ない… ネイバーはすべて敵だ…!」
彼らしい苛烈な言葉を残して三輪が緊急脱出した。一条のまばゆい光が美しい放物線を描いて、やたらに晴れ渡った青く美しい空を飛び去って行く。
緊急脱出はボーダーの正隊員のトリガーには等しく備えられている機能で、トリオン体が破壊されたり場合や本人が戦闘の継続が不可能あるいは無意味と判断した場合に本部基地に転送されるのである。
これにより、ボーダーの戦闘員は戦闘に敗れても捕虜になったり最悪は死亡したりするような事態を防ぐことができる。
「負けても逃げられる仕組みか。便利だなー」
基地へと飛び去る三輪の姿を見ながら空閑がぽつりとつぶやいた。ネイバーフットで約3年もの間、苛烈な戦争に身を投じていた彼らしい一言だった。
「あー負けた負けたー!」
トリオン体を解き生身となった米屋が、ふてくされたようなセリフを、ふてくされているとは思えないようは口調で吐く。
「しかも手加減されてたとかもー」
言うや米屋は、プラットホームの上に線路側に足を投げ出して仰向けになった。
「さあ好きにしろ! 殺そうとしたんだ。殺されても文句は言えねー」
しかし、この言葉に反応したのは空閑ではなかった。もし米屋がこの人物の存在に気が付いていたら、こんな不用意な発言は絶対にしなかっただろう。
「よっしゃ! そんならちんちん見せろ!!」
言うや清治は米屋に躍りかかった。
「うわっ!? ムサさんいたの!?」
驚いて逃げようとする米屋だが一瞬遅かった。清治はすさまじい力で米屋を掴むと、早速ズボンを脱がしにかかったのである。
わちゃわちゃしている二人を見ながら、奈良坂は呆れ、古寺は驚き、迅はかすかに笑っていた。
迅にしても、清治があの蹴りだけで自身を納得させたとは思っていなかった。先ほどまで険しい顔をしてこちらを見ていたが、今は普段の彼のようだ。まずは安心と言って良いだろう。
清治はしつこい性格なので、この件を忘れるということはないだろう。だが、それについて苦情を言うようなことはもう無い。しいて言えば、ずっと先に昔話でこの件に触れることはあるかもしれない。そして、迅としてはそうした『ずっと先』があることを願わずにはいられなかった。
「ムサさん。女の子もいることだしその辺で」
迅がそう言って止めに入った時には、既に米屋はズボンを脱がされていた。パンツだけは必至に守ろうとしてはいるが、それでもお尻が半分出てしまっている。
「おお。ほおじゃったの。メガネくんのより先に米やんのを見せるわけにはいかんか」
清治が手を放すと米屋は大急ぎでズボンをはいた。
「ったく… 俺はムサさんじゃなくてそっちの白チビに言ってんの」
言いつつ米屋は視線を空閑に向ける。
「別にいいよ。あんたじゃ多分おれは殺せないし」
「マジか! それはそれでショック!」
空閑の返事にそう応えた米屋だが、言うほどショックを受けているという感じではない。
「じゃあ今度は仕事カンケーなしで勝負しようぜ!
彼にとって、戦闘とは楽しむべきもののようだ。
「ふむ。あんたはネイバー嫌いじゃないの?」
空閑の疑問はもっともだった。隊長の三輪のあの様子を見れば誰しもが同じようなことを考えるだろう。この時、ほんのわずかに清治の目つきが鋭くなったがそれに気づく者はいなかった。
「俺はネイバーの被害受けてねーもん。正直別に恨みとかはないね。けど」
立ち上がり、プラットホームから下りながら米屋は、迅と話をしている奈良坂と古寺の方に目を向けた。
「あっちの二人は家ネイバーに壊されてるから、そこそこ恨みがあるだろうし、今飛んでった秀次なんかは、姉さんをネイバーに殺されてるから、一生ネイバーを許さないだろうな」
「…なるほど」
空閑には身に覚えのないこととはいえ、三輪のああした言動は理解できた。誰が言えるだろう。例え同じような状況になったとしても、彼のようにネイバー全てを敵視するような真似はしないなどと。
「おいおい米やん。そりゃ言うちゃマズイ類の話とちゃうか」
苦笑しつつ清治が言う。彼は普段が普段なわけだが、それでも一応最低限のマナーなるものを知ってはいる。三輪の姉の件はタブーというわけではないが、プライバシーに関するデリケートな話だ。誰にでも話しても良いというものではない。
「やっべ! 今の話、俺が言ったって言わないでくれよな」
米屋がそう言ったころ、奈良坂たちの方も話がついたようだ。
「陽介! 引き上げるぞ!」
「おーう」
奈良坂の呼びかけに米屋が応える。
「じゃあな! 次は手加減なしでよろしく!」
そう言って賑やかに米屋は去って行った。
喧噪がやんで、空閑がトリオン換装を解くと、迅が事の顛末を本部に報告に行くという。
「三輪隊だけじゃ報告が偏るだろうからな。ムサさんはどうする?」
話を振られた方は露骨に嫌そうな顔をした。
「行かんよめんどくさい。だいたいわしゃ非番ぢゃし」
もともと今日は清治は非番だったのだ。三雲のトリガーの調整のためにちょっと基地に顔を出していただけなのである。
「そっか。ならちょっと頼みがあるんだけど」
迅はそう言うと、清治の耳元で何かささやいた。
「おう。そんぐらいなら構わんよ」
「よろしく~~~」
迅は三雲と連れ立って本部へと向かう。空閑と雨取は三雲の帰りを二人で待つのだそうだ。
迅と三雲を迎えた本部会議室に居並ぶ面々については言わずもがなだった。
「まったく… 前回に続いてまたお前か。いちいち面倒を持ってくるヤツだ」
鬼怒田がこぼすのも無理はないことだった。それでなくとも改良型ラッドの一件がようやく落ち着いて来たというタイミングである。これ以上清治以外の厄介ごとを抱えたくはないのだろう。
とはいえ、それはいささか酷な言い方だったかもしれない。三雲と空閑が知り合ったのは成り行きであり、三雲本人の責任ではないのである。
「しかし黒トリガーとは… そんな重要なことをなぜ今まで隠していたのかね。ボーダーの信用に関わることだよ」
根付の言うことは正しかったが、これも酷と言えば酷な話である。何せ、三雲は先ほどの戦闘の後に初めて黒トリガーについてレクチャーを受けたのだ。そして、それを空閑が持っていることを知ったのもつい先ほどである。意図を持って隠していたわけではないのだ。
忍田本部長が三雲をかばい、鬼怒田と根付をなだめようとしたが、彼らからすれば報告義務を怠った隊員を叱責しないわけにはいかなかった。ただ、外務・営業部長の唐沢はその輪の中には加わらなかった。
――― 報告してたら大事になって、より面倒なことになっただろうな
彼の洞察はいつもながら正しい。もし三雲が空閑がネイバーだと知った時点で報告していたら今頃はボーダー内部が上へ下への大騒ぎだったに違いない。
「まあまあ。考え方を変えましょうよ」
騒ぎ立てる大人たちの声を遮ったのは迅だった。彼は、三雲が空閑に信頼されていること、現に今まで彼がいたおかげで空閑と彼が所持する黒トリガーを制御し、大きな問題を起こしていないことを挙げた。
「彼を通じてそのネイバーを味方につければ、争わずして大きな戦力を手に入れられますよ」
もっともな言い分だし悪くない提案だった。だが、鬼怒田と根付は懐疑的だった。確かに今までは上手く制御できていたかもしれない。だが、ネイバーがネイバーと敵対するボーダーという組織に協力的であるかどうかには疑義を持たざるを得ない。
ネイバーフットにも多くの国があることを知ってはいるが、空閑がこれまでこちらの世界に攻め入って来たネイバーの味方ではないという保証はどこにもない。また、仮にそうであったにしても、彼がボーダーに協力しなければならない理由など、三雲との信頼関係しかないのである。根拠としてはあまりに頼りない。
「…確かに黒トリガーは戦力になる」
意外な言葉が意外な人物の口から吐き出された。城戸司令である。彼がボーダーを率いる際に宣している言葉を知らない者はいない。
その場にいた誰しもが耳を疑うような言葉だったが、次に彼が紡ぎだした言葉は、まさに彼を彼たらしめるものであった。
「そのネイバーを始末して黒トリガーを回収しろ」