清治が会議室に入ってきたのは、ちょうど三雲 修が鬼怒田につるし上げをくらっているところだった。
「バカが見つかった。処分する。それだけの話だ」
「ありゃぁ… そりゃわしのことですかいの」
場違いな呑気な声の持ち主に会議室内の人間の視線が集中する。
「ど~も。お偉いさんの会議の中に『セクハラの双璧』がそろい踏みさせていただくとは、なかなか恐縮ですなぁ」
「いいからさっさと座れ!」
緊張感皆無でどうでも良いことをくだくだ言う部下に鬼怒田が促す。
言われた方は肩をすくめると、同じく会議に出席している迅に『よお』といった感じで手を挙げると手近なイスに腰かけた。
迅の隣にはログで確認したメガネの少年が座っている。予想通り彼の隊務規定に反した行動が問題になっているようだ。
――― それにしても…
ログで見た時には冴えないメガネだと思ったが、実物を見るとログよりも貧相だ。いや、それはおそらくここの雰囲気に呑まれてしまっているのだろうと清治は好意的に思うことにした。
無理も無かった。彼は少なくとも昨日までは、特に見どころの無い訓練生に過ぎなかったのだ。
それが、イキナリ上層部出席の会議に呼び出されているのである。おそらくはこれまで遠くから眺めることはあったかもしれないが、まず接点が無いであろう『お偉いさん』が自分の処遇について話し合っている場に居合わせているのだ。
おまけに、訓練生に過ぎない自分は座らされているのにA級隊員の三輪が城戸の傍でとはいえ立っている。緊張しない方がどうかしていると清治ですら思う。
「私は処分には反対だ」
ボーダー本部長忍田 真史は三雲の処分には反対のようだ。今は一線から身を引いているものの、その戦闘力はボーダー随一とも言われる強者である。
彼が言うには、確かに三雲の行動は隊務規定に反するものではあるが、彼が市民の命を救ったことに変わりはないのだそうだ。
「ネイバーを倒したのは木虎くんでしょう?」
やや嫌味な口調でそう言うのはメディア対策室長の根付 栄蔵だ。ボーダーが世間で好意的に受け止められているのは一重に彼の手腕だ。
そうであるが故に、ボーダーのイメージを損ねる可能性のある隊務規定違反を犯した三雲を、彼としては黙って処分なしとするわけにはいかないのだろう。
しかし、その木虎が三雲の救助活動の功績が大であるという報告を上げたというのだ。彼女の人となりを知っている人間は多少なりとも驚いたようだ。無論清治もである。
「へえ。あの木虎が」
迅の放ったその一言は、そうした彼らの心を代弁したようなものだった。
忍田は三雲を処分するよりも、彼をB級に昇格させて能力を発揮させる方が有意義であるとも言った。確かにその通りかもしれないと鬼怒田と根付も思い始めた。
「本部長の言うことには一理ある… が」
ボーダーの最高責任者、城戸 正宗司令の言葉に全員がそちらに顔を向ける。
「ボーダーのルールを守れない人間は、私の組織には必要ない」
それまでわずかに緊張を解きつつあった場の雰囲気が一気に引き締まった。いや、冷えたという方が正しいかもしれない。そんな冷たく張りつめた空気の中、城戸は言葉を続ける。
「三雲くん。もし今日と同じようなことがまた起きたら、君はどうするかね?」
厳しい質問だった。だが、三雲は臆することなく答える。
「それは… 目の前で人が襲われてたら… やっぱり助けに行くと思います」
決意表明とも取れるその発言を、外務・営業部長の唐沢 克己は好意的に受け取った。だが、彼と忍田を除いた上層部はそうは取らない。ちなみに、玉狛支部の支部長林藤 匠がどのようなスタンスなのかは誰にも分らない。
「ふぁ~ああぁ…」
凍てつくツンドラ平原のような会議室の空気をものの見事に叩き壊したのは、言うまでもなく『無責任エンジニア』だった。
「ああ。すんませんね。ところで、その三雲くんとやらの吊し上げの場に一介の技術者に過ぎないわしが呼ばれたのはどういうことですかいの。できりゃぁ、昼間にゲットしたノイズ波形を解析してバリエーション検討なんぞしたかったんですがね」
らしくない仕事熱心な発言に鬼怒田が苦笑した。見れば迅と林藤も笑っている。ほんの少しではあるが会議室の空気が和んだようだ。
「お前も確か、嵐山の報告書を見とっただろう。それで意見を聞かせろという城戸司令たってのご指名だ」
一応エンジニアとしては直属上司である鬼怒田からそう言われ、清治は城戸の方を見た。考えてみればこの人の顔を見るのは久しぶりだと清治は思った。
「そういうことだ。で、君は今回の件をどのように思うかね?」
城戸に問われ、何か思案するように首をかしげた後、清治は居並ぶ誰もが、いや、彼の人となりを良く知る迅以外の誰もが驚くようなことを言ってのけた。
「なんもせんでえぇでしょ。別に」
あっけらかんとそう言う清治に、普段あまり表情を崩さない城戸も少し目を見開いた。
「何を言っとる! 隊務規定に反した奴を処分もせずに放っておけとはどういうことだ!」
「そうだ! それではボーダーが外部から緩い組織だと思われてしまう」
言い募る鬼怒田と根付を清治はおどけるようになだめる。
「まあまあお二人さん。そんなに青筋立てちゃ血圧あがりまっせ」
人を食ったような態度はいつものことだが、今に関して言えば看過できるものではない。鬼怒田がさらに何かを言おうと立ち上がると
「…理由を聞かせてもらいたいな」
城戸が静かに問いかける。機先を制された形となった鬼怒田はとりあえず腰を下ろした。
「確かに隊務規定にゃ違反しとります。じゃが、そりゃイレギュラーな対応でした。そのおかげで、深刻になっていたであろう被害が最小限かそれ以下に収まった。聞いた話ぢゃ、どっちの件もけが人は多少出たものの死人は出んかったそうぢゃないですか。彼の功績以外の何物でもない」
ここでいったん言葉を切った清治は周囲の様子が落ち着いていることを確認した。
「防衛機関としてのボーダーにとって、彼の取った行動は功績ですよ。んで、行為そのものは隊規違反。なら相殺してチャラっちゅ~ことでえぇんぢゃないですかね」
さらに続けて清治が言う。
「ポンさん。三雲くんのイレギュラーな行動がアウトっちゅ~なら、勤務時間中に関係ないゲート波形探知アプリを作っとったわしも同じことぢゃ。クビにすんならわしのが先でっせ」
「ぬぅ…」
「しかし、君の作ったそのアプリのおかげで、イレギュラーゲートのコントロールがある程度可能になったとも聞いているが?」
忍田の発言に対し、しかし清治は否定的な見解を示した。
「そりゃ結果論ですよ。作ってた当時は誰もわしの発言を重要視しませんでしたし、わしにしてもなんらかの根拠があったわけでもない。ただ、漠然とそういう可能性があるんぢゃなかろうかと思っちょっただけです。おまけに、その上で今日の件ですわ。市街地にあんだけ被害が出たんぢゃ、結果も何もあったもんぢゃありませんよ」
「なるほどな…」
清治の答えにうなずいたのは、忍田ではなく城戸だった。
「その話はもういいでしょう。今はとにかくイレギュラーゲートをどうするかです!」
根付の発言を潮に、会議の内容は三雲の処分からイレギュラーゲートへと話が移って行った。
「結局わしゃあ、何のために呼ばれたんぢゃ…」
閉会後、会議中と同じく大きなあくびを1つしたあと、清治が恨みがまし気につぶやいた。
「城戸さんのご指名だったからね。そんなにノイズ解析がしたかったの?」
一緒に歩いている迅が訊ねる。もちろん、清治が本心からそう思っているなどとは考えてはいない。
「いや、それよりもゆかりんのおっぱいの触り心地を比較・検討したかったんぢゃ。なんか最近ちょっと大きくなっちょる感じでね」
「何それ詳しく!」
頭上で交わされている『セクハラの双璧』のくだらない上に下品で下世話な会話を聞きながら、三雲は会議室を出る前のことを思い出していた。
「三雲くん。1つ訊いていいか」
そう声をかけてきたのは、城戸司令の横に控えたまま会議では一言も発言しなかった人物だった。A級7位の三輪隊を率いる三輪 秀次だ。
彼は昨日警戒区域内で現れたバムスターについて聞いてきたのである。
「ぼくがやりました」
問いに対してそう答え、三輪に礼を言われたが、何かモヤモヤしたものが心に残る。
それはそうだ。あれをやったのは自分ではないことを、彼は当然ながら知っている。だが、心にあるわだかまりの原因はどうもそれだけではないらしい。一体どうしたことだろうか。
三雲の両サイドにいる2人は、そんな彼を挟んだまま下品かつ下劣な話題に花を咲かせている。ろくでもない内容の会話に、男女を問わず廊下に行き会う人たちが後退りするのことに気が付いた三雲はさすがに焦った。
「あ、あの…」
この状況を何とかしたい三雲は、とりあえず2人の会話を遮ることを試みた。そして、それはうまくいったようだ。
「ああ。すまんね。わしの方が一方的に知っとるだけで、君はわしのことなんぞ知らんかったね。鈴鳴支部の武蔵丸 清治だ。よろしくなメガネくん」
「あ、はい。こちらこそ…」
互いに挨拶を交わしたところで清治が言う。
「で、ゆういっちゃん。ゲートの件は目途がついとんのきゃ?」
ボーダーが現在抱える問題の中でも最重要案件であるというのに、まるで清治は何かちょっとした忘れ物の確認でもしているかのような軽い口調で言う。だが、三雲が驚くのはその問いに対する迅の返答だった。
「いや全然」
驚愕して迅を見つめる三雲と、対照的に面白そうなものを見るような目で見る清治。
「でも大丈夫。俺のサイドエフェクトがそう言ってるから」
自信満々にサムアップする迅を見ながら、三雲はこの後のことが少しだけ(本当に少しだけ)不安になった。
会議での結論は、とにかくイレギュラーゲートの対応が急がれるということ。その件については迅と清治が主導するということ。そして、この件で重要な役割を果たすと迅が述べた三雲は、とりあえず処分保留のまま迅に預けられることが決まった。
また、トリオン障壁によるゲートの封鎖は46時間、仮に現時点で分かっているイレギュラーゲートのみに対応する場合であっても最大で52時間ほどらしい。あまり時間があるとは言えない。
「次の会議は明日の夜か。めんどぃのぉ。さ、今日はさっさと帰ろ。で、明日はどうするん?」
三雲は驚いたが、清治はどうやら迅の言う『サイドエフェクト』なるものに疑問を持っていないようだ。
「とりあえずはメガネくん家の近くで集まろう」
帰宅後ほどなく就寝時間になったので、三雲は昼間に聞いた『サイドエフェクト』について、爆撃機型トリオン兵『イルガー』との交戦時(正確には爆撃現場での救助作業)の際に自らをネイバーと宣う友人の空閑 遊真から借り受けた『レプリカ』の分身を利用してそのレプリカ本体と交信していた。
レプリカは自らを空閑のお目付け役と言い、ネイバーのとある国の技術で作られた多目的型トリオン兵だという。自身が喋ったり空中を移動したり、小型の分身を作り出したりするなど様々な能力がある。
三雲は昼間のイルガーの件でこのレプリカの分身に色々と助けられたのである。
時に、サイドエフェクトとは要約すれば特殊能力だ。トリオン能力の高い者に稀に発現するもので、超常的なものではなく人間の本来持つ能力がトリオンが活発化することによって強化されたりするものだという。例えば常人とはかけ離れた高い視力や聴覚といったものらしい。
ただ、他人からすれば超常的な能力を持っているように思えるため、周囲に理解されなかったり、そのために本人へ良くない副作用じみた影響が出てしまったりすることもあるのだそうだ。
レプリカが言う『サイドエフェクトとは副作用という意味』ということはこのあたりから来ているのかもしれない。
「迅さんがやたら余裕な感じなのは、よっぽどすごいサイドエフェクトを持ってるってことなのか…?」
自分がそういうものを持っていない上に、今まで周囲にそうした人物がいたことがない三雲にとっては、レプリカの説明を聞いても漠然としたイメージしか湧かなかった。
「そんなすごいサイドエフェクトなんかあるかなあ?」
自分のことは棚に上げてそういう空閑。彼もまた、清治が知れば『エグい』と言われてしまうようなサイドエフェクトの持ち主である。
「まあ、明日も会えるんだろ? そん時訊いてみればいいじゃん」
そう言う空閑の方から妙な音が聞こえた。何か重くて固いものを動かしたりしているような音だ。
「空閑。お前今どこにいる?」
普通の家であれば聞くことが無さそうな音だ。模様替えでもしているのであれば話は別だが、そんな時間ではない。では、彼はどこにいるのだろうか。
「え? 今? 学校」
然も当然といった口調で答える空閑だったが、聞いた三雲としては驚かずにはいられない。家にいるわけではないとは思ってはいたが、それにしてもそこにいるとは考えられない場所である。
「学校!? こんな時間に!?」
一体何の用があってこんな時間に学校にいるというのだろうか。
空閑が言うには、レプリカがイレギュラーゲートについて心当たりがあるという。それについて調べまわっているというのだ。
「お前『ボーダーに任せる』とか言ってなかったか?」
しかし空閑はそれには答えずに
「なんか見つかったらオサムにも教えてやるよ。じゃまた明日」
とだけ答えた。
空閑はいつ眠っているのだろうか。そんなことを考えながら、三雲の思いは再びゲートの問題に戻っていく。
計算上、ゲートの出現を抑制できるのは42~48時間だ。自分はのんきに寝ていていいのだろうか。
いずれにしても、起きていたところで今彼にできることは何もなかった。せめて明日の待ち合わせの時間には遅れないようにしよう。
そう思うといっきに眠気が襲ってきた。今日あった出来事のことを考えれば無理もないことだった。