00 プロローグ
「いつ見てもこのお天気お姉さん、洗濯板な胸じゃのぉ…」
ボーダー玉狛支部のリビングに備え付けられているテレビを見ながら、男がぽつりとそう言った。
やや暗めの茶色い髪の毛は無造作に伸びている。おまけに、髪の毛にはいく筋か白いものが混じっているのが見てとれた。
声音から、そしてわりとすっきりとした顔立ちからするとさほど年齢が高いとも言えない若者のようだが、その割には前髪が少々寂しい。そのせいで年よりも老けて見えてしまうのは残念だ。
また、妙に年寄くさい言葉遣いもそれに拍車をかける。いやに年寄くさい若者だった。
緑色のショートジャケットの両肩にはボーダーのエンブレムがついている。鈴鳴支部のそれである。
「そうかい? でも、俺はなかなか良いおしりだと思うけどね」
残念な毛髪をした男の隣に座っていた若い男が、彼の声に応えるかのように言う。
相手の男と同じような髪色、しかしそれとは逆に(当然ではあるが)豊富な、白いものが全く混じっていない髪の毛をオールバックにし、首から特徴的なデザインのサングラスを下げている。
黒のラインの入った目にも鮮やかなブルーのジャケットは、隣の男とは対照的に若々しい二枚目の彼に良く似合っている。肩についているエンブレムは玉狛支部のそれだ。当然彼は玉狛支部所属のボーダー隊員である。
口調や声音は隣の男と同世代だと感じさせるが、いかんせん見た目の印象全く逆だ。そのため、二人の会話は残念なエロ男とシュッとしたエロ男のそれになっている。
「お。ゆういっちゃんもそう思うか。わしもこの娘のおしりはなかなかのものだと…」
「だろ? あ。ぼんち揚げなくなった」
「なら、わしのうまい棒をやろう」
「サンキュームサさん」
ボーダーに所属している人間であれば誰もが知る実力派(セクハラ&暗躍)エリート、迅 悠一が『ムサさん』と呼ぶ男は、ボーダー鈴鳴支部に所属するエンジニア、
もっとも、実情を言えば彼もまた戦闘員であり、迅が所有する『風刃』と同じく黒トリガーと呼ばれる特殊かつ強力なトリガーの所有者でもある。
そのため、基本的にはエンジニアとしての仕事に従事しているものの、防衛任務についている各隊のシフトによっては単独で防衛任務につくこともある。
余談だが、黒トリガーは一般的なボーダー関係者は『ブラックトリガー』と呼ぶが、清治は『くろトリガー』と呼ぶ。
一つ年下の迅とは妙にウマが合い、しばしば彼の元を訪れてはこうした下品な会話を交わしたり、くだらない悪戯を周囲に仕掛けたりしているのだ。
「二人とも。天気予報はそういう目で見るもんじゃないよ」
シュッとしたセクハラエリートとハゲ散らかしたセクハラエンジニアの後ろからそう声をかけたのは、玉狛支部に所属するオペレーター兼エンジニアの宇佐美 栞である。
戦闘においてもアクにおいても極めて強い面々の居並ぶ玉狛支部において、彼らを見事にサポートする彼女は控え目に言っても凄腕オペレーターであると言えた。
明るい朱色のフレームのメガネをかけた黒髪ロングの美少女であり、エンジニアとしては清治の先輩にもあたる人物である。
「やあ。しおりん。しおりんはおっぱい関係なくえぇ女じゃ。うまい棒食う?」
くだらない軽口を叩きながら、迅がぼんち揚げを他者に勧めるのと同じ要領で清治が栞にうまい棒を勧める。この口調、一体どちらが先に言い出したのだろうか。
「これはこれはありがとう。ところでムサさん。時間大丈夫なの?」
栞に指摘されて腕時計を見ると、そろそろB級ランク戦の夜の部が始まる時間である。ということは、彼にとってはぼっちで防衛任務に当たる時間が近づいているということでもあった。
「もうんな時間か。ま、適度に真面目にやるかねぇ」
そう言いながら清治は、傍らに置いてある程よく使い込まれた濃い茶色のテンガロンハットをかぶって立ち上がる。本人曰く『ハゲ隠し』だと言うが、口にするほど自分の毛髪が薄いことを気にしている様子はない。むしろ面白がっている風情がある。
「んじゃなムサさん」
迅の声に『おう』と応えつつ、清治は恐ろしいほどに自然な動きで栞の左胸を右手で一揉みする。
「ぎゃあぁっ!?」
栞が悲鳴を上げた頃には清治の姿は既にそこにはない。トリオン体とはいえ驚きの素早さである。
「あのやろ~… すっかり油断してたわ」
驚きと怒りにわななきながらそう言う栞を尻目に、右手をあごにあてながら迅がほうほうとうなずく。セクハラ後に対象者から常に報復される迅とは違い、清治が対象者から反撃されている姿をついぞ見たことがないのだ。
いや、彼がそのような行為をしばしばしでかすということはボーダー内でも有名なことなのだが、清治は巧妙に期間をあけて相手の警戒心を低下させ、確実に成功するタイミングを見計らっているのだ。この点について言えば迅のそれよりも悪辣であると言える。
実際、栞が清治に胸を触られたのは一度や二度ではないのだが、以前触られたのはおよそ半年近く前になる。彼女が油断してしまうのも無理からぬことだろう。
見た目は冴えないセクハラエンジニア。技術者としては並だが洞察力が高く、新規開発能力は決して高くないものの問題解決能力はそこそこ評価されている男。
何より黒トリガーを所有するS級戦闘員であり、Cランクとはいえサイドエフェクトを2つも有する稀有の男。
入隊時に黒トリガーを携え、初歩的な訓練の後に正式にS級に進むという異例中の異例の待遇を受けた男。
それがボーダーきっての無責任男、武蔵丸 清治なのである。