【前回のあらすじ】
刹よ。誰か来たと思って確認したら、得体の知れない相手が来てたわ。……ちょっぴり表に似てるのがやりにくいわね。襲ってくるなら容赦はしないべきだろうけど!
◇
プリンセス:ブロワーはその3位という順位からわかるように強力なプリンセスである。自信に満ち溢れた態度に恥じない実力がある。持ち前の速力と携えた刀によって敵に出会うより前に裂き、広大なセクターをも駆け抜け、一瞬のうちに制圧する。ブレイザーと同じく敵性の動体を殲滅したことによるボーナスポイントが与えられていた。
だが。速いのに、裂いたのに、目の前のプリンセスは倒れなかった。コネクターの能力は及んでいないというのに、ジアザーは何度も立ち上がる。鏡像をいくら倒したところでかき消すことはできない。映るものがある限り、鏡は相手を映し出す。そうして消滅と復活を繰り返すうち、ジアザーの衣装には所々薫風や羅刹をあしらった中国風の意匠が現れはじめていた。標的が定まったのだ。レースのドレスに合うはずもないそれら意匠はジアザーの芸術的な妖艶さを害しており、ブロワーをやや不快にさせた。
刹には高いプライドがあった。追い抜かれるのなら雪相手で、いつか追い越すと誓うだの、いくらこのふたりの間柄でも競争することは選ぶといったものだ。だがそのプライドはいま傷つけられようとしている。ジアザーとの交戦で、雪以外には見せたくない敗北を、まったく関係のない相手に見せてしまうこととなる。野芭蕉刹として、どうしても自分のことを裏切れない。
そういった自尊心だけで立ったとき。少女は直情的になる。負けたくない、見せたくないだけでの戦いは逆効果となる。いくらスピードがあっても、追い付けなくとも――向かってくる相手を呑むのなら、口を開けているだけでいいのだ。
身体が沈んでいく。影の中、何をしたところで誰にも届くことのない深い深い闇。雪を追い抜きたい、競い合いたい――いっしょに走りたい。そんな願いが浮かんでは消えて、消えゆくたびに刹の意識を持っていく。
「……古史雪」
生きる意味を手に入れた少女は呟いた。あとはその借り物の意味に従うだけだ。裏は表についてまわるために存在している。きっと生田裏は、そのために産まれたのだ。
◇
自称ライバルのいない学校生活は退屈だった。
決して、雪に友人がいないわけではない。話し相手はいるし、まだ苦手というほど面白くないものもない。それでも退屈だというのは、いつも隣で煽ったり嫉妬したりしてくる相手がいないからに違いない。やかましいものに慣れれば、いなくなったときさみしく感じることはあるのだろう。
いつもは、刹は休むことはない。健康な雪への対抗心でだろうか、出席数は皆勤であろうとしていたし、実際休んだ日があったとは思えない。ダイバーの件での欠席以来だった。あのときだって退屈で仕方なかったが、ちゃんと教師も理由を知っていて安心はできた。仮に彼女の身になにかあったとすれば。何か、例えばプリンセスとしてのこととか。
「まさか、ね」
放課後の誰もいない廊下に吐き捨てて、セクターボードを確認する。通知の項目を開いて、いままでの脱落者についての一連の通知たちを見た。ちゃんと10個だけ項目があり、テイマーに始まりマザーで終わっている。一応の行為だったが、無駄に終わってくれた。いったんは息をつく。
死んではいないということが雪に希望を持たせるとともに、これからどうすればいいのかと不安を抱かせた。
……助けに行く?どうやって?それに、ただの病欠という可能性もある。野芭蕉家が連絡を忘れているだけだったとしたら、雪のこのもやもやは杞憂に終わる。だが逆に考えれば、万が一でも刹が何らかの災難に見舞われているかもしれない。放っておけば、彼女の名がこの死亡通知に並ぶかもしれない。
最悪の未来を想定し、雪は首を振った。そうはさせない。空回りだったとしてもかまわない。むしろこの決意は空回りに終わって、あいつがからかってくるんだ。
そんな淡い期待は、次の瞬間に飛び込んできた侵入通知によって意識から退場させられる。ファインダーの領地に現れたのは、もうひとりの姫だという表示があった。ユウキのみを狙っていたはずの彼女が今になって雪に興味を移すということは――刹の生きる意味を奪った、と考えていいはず。すこし自意識過剰な気もするが、あいつにはいっつも付きまとわれているし本人に聞いてもそう答えてくれそうだ。
「あ、雪ちゃん」
廊下の先からユウキが駆け寄ってくる。ここで彼女に出会えたのは好都合だった。前回の戦闘で、オーダーを起動したジアザーに雪だけでは勝てないだろうとわかった。イーターの力を借りなければ撃退すら不可能だったはず。あの借り物によるオーダーは使いきりだ。残ったダイバーのものは、雪の考えている通りの能力ならば最終手段。それを使えるまでに持っていくには、ブレイヴァーの力が必要になる。
考え込む雪を見て、首をかしげるユウキ。ここで協力を頼めばまずユウキは承諾する。だが、雪の決めたことに抵触する。自ら死なせたくないと思ったはずの相手を死地に連れていくのは賢い選択ではない。ユウキと刹。秤にかけたくないものを、比べなければならなかった。
あの時と同じだと、雪は思い返していた。プランターが消えた日のこと。あのときだって、基とユウキのどちらかを選ばなければいけなかった。今回は確実に死ぬとは決まっていないが、選択を強いられる構図は同じだった。
「……どうしたの?何かあった?私でよければ協力するよ」
覗きこむユウキは、心配そうな表情だった。そして、彼女であれば助けてくれるだろうと思える瞳だった。この瞳を見ていると、雪の脳裏にはもうひとつの選択肢が浮かんでくる。ユウキも、刹も。雪が助ければいい。傷つかぬよう雪が守ればいい。勇者の背中を補い、閉じ込められた羅刹を引き上げる。そう覚悟を決めた雪は、ユウキに向かって口を開いた。
「ユウキ先輩。力を貸してください」
「うん、力を貸すよ。雪ちゃん」
◇
場所は19番セクター。以前にカダヴァーと出くわした場所になる。そのときと風景は変わっていない。あくまでも狙いは雪であって、余計な体力消費を抑えているのかもしれない。プリンセス:ジアザーは前屈の姿勢で待ち構えていたらしく、その状態を起こして雪を見た。眼は狂人のままだったが、色だけは翠色に変化している。ところどころ衣装にも変化がみられるのは、ブロワーの影響だろうか。
「古史……せつゥ……私は、あなたを、追い抜く」
その言葉を聞いて、雪は確信する。こいつは刹に何かした張本人だ、と。
「行きますよ、先輩!」
隣に控えているユウキに声をかけ、雪はいつものリボン――ではなく、珊瑚の指輪を取り出した。撫でてやれば強制的に起動できる。長く息を吐いた雪は、本来とは異なるペティグリィを使用して叫んだ。
「プリンセス・チェンジ!」
衣服の変化もまたいつもの盗賊姫になるものと同じではない。ところどころにそれらしいジャケットなど面影が残っているのみで、主体はスクール水着と海底火山を描いたスカートだ。ダイバーの着用していた衣装のままで、ファインダーの身体を包んでいる。
隣のプリンセスの剣を抜く動作が視界の端に映ったことで、ファインダーは攻撃体勢に入った。周囲に短剣をいくつも展開し、一斉にジアザーへと向けて射出する。姉の衣装をまとったことに呆然としていたのか、ジアザーは迎撃の開始が遅れた。相手の腰からは鉄扇が抜き放たれ、短剣のうち数本は容易く打ち落とされる。それでいい。本命は短剣たちが飛ぶ後ろから迫る勇者姫と、どこかへ消えた盗賊姫の攻撃であった。
しかし。選定の剣は力を流されてセクターと激突、背後から突如浮かびあがったファインダーも蹴りを入れられる。相手とは反応速度が違う。武器を出現させられるファインダーは素手でしか潜ることのできないダイバーの能力とは相性がよく、鈍重なジアザーならば手数で有利に立ち回れるはずだった。だがブロワーを取り込んででもいるのか、速度を身に付けている。何より不意討ちを実行する雪が本命の狙いであるため、ユウキによる陽動が意味を為していない。何本の刃物を飛ばしても防がれるのが落ちだった。ファインダーは舌打ちをしていったん潜ろうとするが、その一瞬で相手は距離を詰め鉄扇による斬撃を加えようとしてくる。間一髪で間に合いユウキの隣に避難できたが、一瞬遅れていれば血塗れだっただろう。
「ちっ、あれで速いってなんだよ」
「でも攻撃は通るようになってる」
「……あぁ、なるほど」
ブロワーを取り込んだことによって彼女の技量と能力を手に入れたのなら納得もできる。なにしろ3位、一瞬にしてレヴェルを斬り伏せたというブレイザーにも匹敵する強敵。厄介な奴が付きまとってきてたもんだと、雪はかすかに笑った。
「……さて、ユウキ先輩。この変身には残量がありまして、ラストオーダーを使うならチャンスは残り少ないです」
「突破口はあるの?」
「えぇ、まぁ。賭けにはなりますがね」
ファインダーによる他プリンセスへの変身は使いきりになる。ペティグリィに残った未練、意思の力を使わせてもらうからだ。今回のダイバーのように比較的多めに使えてもラストオーダーを一発撃てばほとんどからっぽ。失敗は許されない。そんな中で雪は、ダイバーだった表を信じ、賭けることにした。
「さぁ行くよ……『ファーストオーダー』!邪を祓え、栄光の剣!」
ジアザーめがけてエネルギーの束が放たれて、直線上の全てを恙無く巻き込んでいく。今のジアザーならばこの程度の遅い攻撃、避けるのは容易で、ふわりと横に逸れるだけでいい。次の一瞬でこの攻撃を仕掛けてきた邪魔者、また隣にいるはずの標的へ向かっていこうと考えたか、あわよくば仕留めてやろうとしたか。彼女は光がすこしでも晴れるのを待っていた。あの少女を倒すことこそ生きる意味なのだと勘違いして、鉄扇を構えていた。
しかしいるはずの場所に雪はいない。あの表に酷似した衣装はどこにも見えない。彼女を探してしまったことで、ジアザーのユウキへの攻撃は一瞬遅れた。代わりに――ファインダーの攻撃が間に合った。
ジアザーの横には飛び込んでくるファインダー。避ける間もなく、ずぶずぶと沈んでいく。裏の心とジアザーの王権の内部へと、ファインダーが潜り込んでいく。入り込まれるという異常な感覚。裏の身体はびくんと震え、衣装にあったブロワーの意匠、さらには構えていた鉄扇が消えていく。
「あ、あぁ……わたしの、お姉様がぁ……!」
ジアザーが腹部を押さえ、その場にへたり込んだ。
◇
黒い空間だった。気が狂いそうだった。憧れを超えてしまった盲信、依存が渦巻く心象世界。その中央に刹はおかれていた。雪が空けた小さな孔から唯一の光が射し込み、それが唯一の視界になってくれたために刹が目を開ける。まぶしくて細めはしたが、見ているのが影の世界でない証拠だった。
追い求めていた少女に手をひかれ、深海を泳ぐようにして心象世界を抜けていく。刹の身体が、小さな孔から放り出される。
次に見たのはどこかのセクターで、騎士の格好をした誰かプリンセスが立っている光景。背後にはきっと、さっきまで刹を内包していたもうひとりの姫がいることだろう。
目の前の騎士は剣を構えた。光が収束し、オーダーが放たれる気配がする。大急ぎで刹はまだあまり動かない四肢を無理矢理に動かして、生まれたての小鹿のようになりながらもある程度避難した。さっき自分を助けたあの少女、雪に追い付くまでは死ねないと思ったのだ。
あとは、現実に帰るでも立って走るでもいい、とにかくプライドをこれ以上傷つけさせないために逃げてしまえばよかった。けれど、無性に気になって、振り替えってみれば。ジアザーが居ると思っていた場所には、いつか見たことのあるシルエットがあった。確かにあれがジアザーには違いない。けれど、なにかがおかしいと、刹にはそう思えて仕方がなかった。
◇
心象世界より刹を助け出した雪は、そこらに浮かぶ感情どもからジアザーの能力を知った。鏡像はものを映しているかぎり鏡像であると。つまり、誰も映していない、取り込んでいない状態のジアザーを殺すことはできない。
雪はまたとないチャンスを掴んでいた。このプリンセスを殺すには、誰かを映させればいいという情報を得た。そして、ダイバーのラストオーダーによる侵入は抵抗しない相手ならば口も手足も動きを制御できる。試しに小さく声を出そうとしてみると、自分ではなく裏の耳からその小さな声が聞こえてきた。材料は揃っているのだ。
雪は裏の身体を使い、ユウキに呼び掛けた。
「……先輩。私です、雪です。ラストオーダーの力で制御してます」
困惑するジアザーの心が伝わってくる。雪はお構いなしに続けた。
「こいつは、初期状態だと倒せません。この前戦ったときと同じです」
じゃあどうすればいいのか、とユウキの質問が聞こえた。雪は、裏になるべく楽しそうな満面の笑みを作らせる。
「このまま吹き飛ばしてください」
もちろん、この状態でジアザーが死ねば雪も消える。だが、これはユウキが勝ち残るために必要なことだった。
その意図を汲み取ってくれたのかはわからない。単に断れないだけかもしれない。どちらでもいい。ユウキは、剣を構えてくれた。
「……さようなら、ユウキ先輩。今行きますよ、お姉様。刹は……そのストーカー気質抑えてね」
裏の言葉と雪の言葉が紡がれる。どうやら裏も、この最期を受け入れているようだった。
意識が閃光に飲み込まれていく。不思議と気分は悪くない。まるで日陰に佇んでいた残雪が、陽射しを受けて解けていくようで――
◇
【次回予告】
参加者が残り5人となったとの通知が届いたことを合図とし、セクターを覆っていた結界は消え去った。
ついに姿を現すプリンセス:エンペラー。
戴冠式は終局へ向かってゆく。
次回『17人目のプリンセス』