大急ぎで、ユウキの身体を担いだ雪が飛び出していったあと。新聞部の部室には、基の身体と双美だけが残っていた。いつ目覚めてもおかしくはないその肉体をなんとか持ち上げ、双美は廊下にずるずると引きずり出した。
「ふぅ。新聞部で二人目が死んでたら、さすがに部員が私だけになってしまう」
ふだんめったにかからない50kgほどの負荷でちょっと痛む肩を回したり揉んだりマッサージしつつ、部室へと戻っていく。今のうちに、きちんと言い訳を考えておかないといけないからだ。
仮にプランターが死んだとしても、ブレイヴァーが死んだとしても。どちらにせよ奔走していた雪の行動や死因に関する証言は求められる。その相手が教師だろうが、警察だろうが、わかるはずもないのだが。結局なにもわからぬまま墓におさめられたいるかのようになるだけ、いたずらに時間を取られるだけだ。
万が一、前回の戴冠式をリタイアした者なんかがいたなら、物わかりがいいかもしれない――なんて、思考が逸れる双美。
「そんなわけ、ないのにさ」
それが夢物語であることはわかっている。前回がもし行われていて、10年前に日本を騒がせた連続少女不審死事件がその犠牲者だとしても、この町からプリンセスが選ばれているという保証はどこにもない。その人物が警察だの教師だのになっている可能性は極めて低い。
いわゆる妄想の類いを頭から抜いて、双美はいつものように机に向かって生き残りを待つことにした。
「じゃあ、あとはファインダーくんの報せでも待とうか」
「あら、だったらあたしも隣で待っていていいかしら?ずっと立っているのは乙女には相当な負担よ」
ぼそりと呟いたはずの独り言。それに返答する声があるのは、驚くべきことだ。特に、このブレイヴァーもファインダーもプランターも退出していったはずの部屋で。
扉の影から、その声の主である少女は双美の視界に歩み入る。体格は雪のように小柄だが、スカートから覗く脚は健康的にしっかり肉がついているらしい。キツめの顔つきは先程の言葉もあわせ気の強さを物語っており、そのキツい眼と気取ったような立ち方で双美へ向ける視線は自信に満ち溢れていた。
「誰だい?盗み聞きだなんて悪趣味な」
「はぁ?何よそれ。あたし史上最高のあなたに言われたくないことよ」
双美がモニターであることは理解しているらしく眉をひそめる彼女。双美は言われてからやっと気付いたらしく、それもそうだと頷いた。
「……それで、君は?」
「ん、あら?あぁ、自己紹介はしてなかったわね」
自己紹介を求められ、少女は何やら制服の胸ポケットを探り始める。何を取り出すのかと思えば、金色で鳳凰の描かれた扇子。ひとふりで一気に広げた翅が、廊下から差す昼間の陽を受け煌めく。
「まさか、それは――」
「そのまさかよ、『リミテッド・オーダー』!駆け抜けろ、芭蕉が葉!」
その煌めきは、ただの反射などではなかった。ほのかに帯びていた意思の力、プリンセスとしての能力の行使の前段階だったのだ。少女のリミテッドオーダーは烈風を巻き起こし、部室内の書類を暴走といえるほどに舞い上がらせる。
最たる影響は、鳳凰より撃ち出された風の弾。ふわり宙に浮くプランターについての資料に風穴を空け、せっせと書かれた文章を台無しにしてしまった。
「なっ、せっかく整理した資料が!」
「挨拶には実力行使が手っ取り早いでしょ?それが一人前のプリンセス流よ」
「あぁもう迷惑!すっごい迷惑なこの風に、私の徒労をぶち壊す弾丸の攻撃……3位、速疾姫『ブロワー』か!」
くすりと笑った少女は、今度は上へひとふりすることで扇子を畳んでしまい、ポケットに収納する。そして、双美の推測には悪戯っぽく正解だと告げる。
「えぇそう。大正解。そして気になるあたし自身は『野芭蕉刹』。あっちの雪のクラスメイトだわ」
書類の散らばる部室に、少女の名前が告げられる。せつと言われて、彼女の言う『あっちの雪』を思い出すがこっちの刹も意識しているらしく誇らしげにクラスメイトだと言った。
刹は、基に連れられてここまで来た後、彼女が飛び出してもじっとしていたのだった。雪にも双美にも気づかれなかったあたり、隠密行動が上手いらしい。あるいは単に影が薄いか。
「何よ!?影薄くないじゃない、濃いわよ!」
「誰に怒ってるんだい」
双美に言われて罵詈雑言を止め、大きく息を吐いて続けた。
「とにかく!あたしはあいつのこと待ちたいだけ!椅子借りるわよ!」
「ストップ!その前に整理してからにしてくれ!」
「はぁ!?」
「荒らしたのは君だからね」
「……ちっ、やってやるわよ!あいつが帰ってくるより先に完璧にしてやるわ!」
ばっと急いで取りかかる刹を見て、案外彼女は扱いやすいプリンセスかもしれないと双美は口角をあげた。
……そうして、資料だの原稿だのをかき集めて分類しはじめて数分ほど経った頃。唐突に、プリンセスの脳裏には振動音が直接響く。セクターボードだ。
「なによ、もうちょっとだっていうのに……!」
タブレット型のそれを二人揃って手元に出現させ、通知の中身を確認する。双美は心底わくわくが止まらず、刹はうっとうしがっていたが、どちらも内容を見て笑ったことに変わりはなかった。
「なるほど!ファインダーくんの選んだ通りというわけだ!っくはは、プランターの願いを直接聞けぬのは残念だが、素晴らしいじゃないか!」
「そうね、どっちに転んでもあたしは良かったけれど、4位が消えてしまえば奪えるセクターも多いじゃない。こいつを仕組んだヤツには感謝しなくちゃ、ね?」
モニターとブロワーの、邪な視線が合う。プランターが消えたことへの喜びを宿した瞳がお互いの瞳に映り、価値観の違いを浮かばせている。先に口を開いたのはブロワーで、今言ったとおり感謝の言葉が紡がれる。
「ありがとね、モニターさん?雪を捕まえようとする、意地汚いウツボカズラを潰してくれて」
「そのお礼は私よりブレイヴァーくんにすべきかな。ま、私の狙い通りではあるがね。どういたしまして」
わざわざ伝達係に基を選んだのは、紛れもなく双美である。つまり雪に強いられた選択を招いた張本人だといえるのだ。
「しかし、そこまでファインダーくんに固執するのはどうしてだい?」
「ふん、それより整理に戻りましょう。言い訳は最悪腹下してたでいいわ」
「それじゃ、君一人しか言い訳できないだろうに」
こうして、プリンセス二名はどうしてか仲良く書類整理に奔走したのだった。
◇
その日も夜はくる。誰が死んでも、地球は自転を止めない。日は沈んで、いつかまた昇ってくる。
プランターの脱落した日、地球の影に入った街を構成する一軒家のうちひとつに雪はいた。数分で自炊した適当で質素な飯を平らげて、女の子らしい要素のない自室でベッドにもぐる。この家のほかの住人、といっても父親だけだが、父親は今日は帰ってこない。仕事先への宿泊はいつものことで、家でいっしょに晩御飯など雪か両親の誕生日くらいのものだ。
枕に頭の支えを任せて、雪はじっと天井を見た。だんだん瞼をあけておくのが億劫になって、半ば意識を微睡ませながら瞼を閉じた。
ふと、自分をかばって傷を負い横たわるユウキの姿がよぎった。何か記憶にひっかかるような姿で、忘れられない。このまま眠れば、ユウキを失う夢を見るかもしれない。
瞼を閉じている故の暗闇が、一寸先も見えない未来に重なって底知れぬ恐怖を煽る。
この日、ユウキの生還を喜んだあとは説教どころではなくいろいろに巻き込まれた。いつも強気な刹も抜け出していたそうで、あのめったに見れないおとなしい刹は見ものだった。けれど、面白かったのはそのくらいだ。ボールをぶつけた教師にはこっぴどくしかられたし、警察にも事情を聞かれた。
双美の言い出した『インタビューの打合せ中に基が倒れてしまい、保健室のことをよく知るとちならどうすればいいかわかるかと思った』という作り話でも意外に通せたが、とられた時間は退屈であった。
「……きょうから、土実先輩はいないんだ」
ぼそりと呟いた。同時に、戴冠式はじまって以来の不安だったプランターもいない。癒しと不安をなくして、プラスとマイナス自体は変動していないように思えたけれど、喪失感は大きかった。
「私を可愛がってくれた、先輩は……」
そういう雪の頬にはなにか伝っている。涙だった。今度は気づけたから、言葉を詰まらせたのだった。これ以上口に出していたら、きっと翌朝の枕はびしょ濡れになっていたかもしれない。
プリンセスは残り15人。自分の賭ける願いが何かを心のうちに確かめながら、早く寝ようと布団のなかに顔をうずめる雪。彼女の黒髪を、かすかな月光が綺麗に映し出していた。