――――これより、エレミアの書記より抜粋。
「ほえー・・・」
そこは、幾つもの本が床を埋め尽くす空間。少年と出逢ったのはつい最近の出来事だった。そこから直ぐに仲良くなり、現在ではこうして研究部屋へと案内されるまでに距離は縮まっている。
「ん、やあリッド。いらっしゃい」
リッド。黒髪に紺色の瞳、フロガよりも頭一つ分背は低いがその立ち振る舞いからいっかいの兵士よりも腕がたつということは明らかだ。現にフロガ自身その戦闘能力の高さには舌を巻くほどのもの。普段は礼儀正しい爽やかな印象を受けるが、一度戦闘ともなるとそれは豹変する。そんな姿はオリヴィエともどこか似ていた。
「なんだか、以前入ったときよりもさらに、散らかってないかい?」
「いやぁ研究に没頭してたらいつの間にか片付けるのを忘れてしまってね。それより、何か用かな」
「ああ、そうだった。ヴィヴィ様が呼んでいたよ」
「なんと。それならば早急に御身の元へと駆けねばな」
そう言うと壁際に設けられた机に乗り、窓を開ける。
「え、ちょフロガ!?」
「ん、どうしたリッド?」
「どうしたもこうしたもないよ!普通に行けばいいじゃないか!」
「何を言うんだ。我が主君のお呼びだ。最速、最短で行かねばなるまいよ」
「そうだけどここ城内にある研究棟の最上階じゃないか!?」
「我に不可能はぬわぁぁぁぁぁいッ!」
そう言って跳ぶフロガ。ぶっ飛んでるというレベルではない、この男の辞書に恐怖心と常識という言葉は存在しないのだろうか?そう疑いたくなるリッドだったが散らばった本を踏むことすらいとわずにフロガが跳んだ後を見る。空いた窓から下を覗きこめば、そこには芝生の上を颯爽と駆けて行く怪我一つなく、高笑いを上げながら疾走するフロガの姿があった。初めて出逢った時どことなく不思議な人間だなと思っていたが、訂正しよう。
この男、多分人間じゃない。
シュトゥラの城内、美しく手入れされた花の咲き誇る中庭の庭園。そこはオリヴィエにとってお気に入りの場所の一つとして彼女がよく散歩をする場所だ。武芸に勤しむのも好きだが、こうして和に花を眺めながらのんびりと歩くのも悪くない。
「――――我が君ッ!」
この男の妙なハイテンションさえなければ。こういう空気の読めないところを今まで幾度となく改めさせようとしてきたが最早手の付けようがないと悟って以来ずっとこんな調子だ。呼ばれればすぐ来るというのは騎士というより従者の鏡だが、地上10mほどある塔の上から飛行魔法なしに飛び降りて走ってこいなどと命令した覚えなどオリヴィエにはもちろんない。時々思う。この男を騎士にしてしまったのは間違いだったんではなかろうか、と。
しかしながらオリヴィエ自身
「お呼びでしょうか」
「・・・そろそろ鍛錬の時間でしたので呼びましたが――――」
「お断りしますッ!」
「・・・・
「ちょ、ヴィヴィ声が大きいっ。わ、わかった、わかったからそんなに涙ぐまないでくれ。それから、二人きりの時はいいって決めたけど本当はダメだからな?」
「何故です・・・」
「以前話しただろ?・・・〝ゆりかご〟内で生まれた二人の子のうち、一人は
フロガの言葉に憂いの表情を見せるオリヴィエだが、その後すぐにいつもの怒った顔をする。頬を膨らまし、さながらパンのようにふっくらと表情を変える。
「そんなことはわかってますっ。私が言いたいのはその無駄に高いテンションをどうにかしてくださいということです」
「それはできません!」
「だからなんでですか!?」
やがて言い合いに発展する二人。端から見れば主君にたてつく無礼者、なんて目で見られそうではあるがこのシュトゥラでも二人の関係性は広く知られている。主従の垣根を超えた、さながら本物の兄妹のような姿は見ていて微笑ましいと。しかしそれに巻き込まれる人間からしてみればまったく別の話になるが。
「殿下!殿下はどう思われますか!?」
「そこでこちらに振るのか・・・」
ちょうど定刻通りに来たクラウスに話をふるフロガ。クラウスとしてはオリヴィエの言い分に賛同したいところではあるが、フロガのこの性格に彼自身助けられているのもまた事実なのでどちらかを選んでということはできない。多少やりすぎだと思っていてもだ。
そこでちょうどフロガの後を追ってやってきたリッドに話を投げたのは言うまでもないことだった。
◇
それから数年。平和な時間はいつの間にか過ぎ去り、オリヴィエとクラウスは二人で戦へと赴くことも多くなった。戦乱の時はその渦を瞬く間に拡大し、ゆくゆくは禁忌にすらも手をかけるほどに至ってしまう。そのせいで以前よりも青空を見る機会も減ってしまったと、フロガは嘆いてた。
そんな時、魔女クロゼルグと出逢った。
天真爛漫を絵に描いたような猫耳が印象的な活発な性格の少女。出逢ってすぐ仲良くなり、クラウスとフロガ――――特にフロガにはよく懐いていた。というよりは――――
「よし魔女っ子、お手!」
「にゃ!――――ハッ!?」
調教されていた。
「ぐぬぬぬ、フロガ何するんだよ!?」
「いやはやその動物耳を見たらなんとなくいけるかなと」
「いけるかなってだけで無意識に反応するまで仕込むきみの行動力を私は見習いたいよ」
「クラウス、見習ってはダメです。貴方までダメになりますよ」
オリヴィエの容赦ないツッコミを受けハッとなるクラウス。よく三人で行動しているせいか段々とフロガに毒されている自分がいることに絶句する。違う、こんなのは自分じゃない、そう必死に言い聞かせるクラウスを見てクスクスと笑うオリヴィエ。
「クラウスは王様にならなきゃならないのにフロガを見習っちゃったら王様なんてなれないよ?」
「ああ、わかってる。わかってはいるんだ。でもこう、年々これでもいんじゃないかと思えてきてしまう自分もいるんだ」
「大分毒されてるね」
「というよりもはや手遅れかもしれませんね。もっと早く騎士としての任を解くか、長期の前線での任を任せるべきでした」
「あの、何だか年々扱いが酷くなってきてませんか?」
そんなこと知った事かと吹っ切れたオリヴィエはそっぽを向く。体だけでなく心も成長したことを兄としては喜ぶべきところなんだろうが別の意味でも成長してしまった妹をなんだか素直に喜べない自分もいる。
その可愛さと美しさだけは、拍車が付いていることを喜ぶのだが。
ともあれ、戦で命を懸けた戦いをしていたとしてもこうして何もないごくわずかな時だけは幼い頃のまま平和な時間を過ごすこともできる。いつかは終わってしまう時が来てもクラウスが王となればそれも心配することはないだろう。彼は人格、実力ともに申し分ない。聖王家が〝ゆりかご〟を起動させるとの報告もあるが、その前にこの戦乱を終わらせてしまえばいい。そしてそれができれば、きっとまたこんな風に過ごせる時が来る。
この時までは、誰もがそう思っていた。