大切な人達がいる。大好きな人がいる。それはごくごくありふれたことであり、私にはもう、手の届かないもの。酷い事をした。理不尽な暴力を振るった。今も残る泣き叫ぶ声が、恐怖に歪んだ顔が責め立てる。
これは、お前に与えられた罰なのだ――――と。
理不尽は目に合ったのは自分も同じだ。いや、そんな言葉では生ぬるいほどにアレは残酷だった。自身の弱さがそうさせた。もし私が強ければ、あの人のようにもっと強ければこんな事にはならなかった筈だ。そんな口惜しさと後悔の念が、心の中で音を立てながら何かを崩していく。
ああ、もう何もかもどうでもいい。
ビリリ、と制服のシャツが強引に破かれる。自分を誘拐した男たちのリーダー各のような男がナイフ片手に歪んだ笑みで見つめてくる。
「・・・罰を受ける前に、特別に快楽ってもんを教えてやるよ」
男が下半身を露出する。見たこともないナニかが目の前に出されあまりの気持ち悪さに声が漏れそうになるのを堪える。助けに来てくれた女性は、隠れていた男に取り押さえられて身動きが取れない。せっかく助けに来てくれたというのに、自分に関わってしまったが為にこの有り様だ。必死にやめろと叫んではいるものの、やがて口を塞がれてそれすらもできなくなってしまう。絶望・・・・ああそうか、これが絶望というものか。今まで酷い仕打ちを受けたことなど数え切れないほどあったが、これまでのどれをとっても比べものにならない。自分一人ならまだいい。でも今回は他人まで巻き込んでしまった。それが少女――――リンネ・ヴェルリネッタをさらに責め立てる。しかしもうどれほど懺悔しようと泣き叫ぼうと、助けなど来るわけがない。今更恐怖を感じるなんてつくづく自分は弱い存在だと呆れさえ出てくるが、もうそれすらも考えられなくなるだろう。
でもせめて。せめて純潔だけは、散るならあの人に・・・・。そんな乙女の儚い純情。それももうじき消える。
(フウちゃん・・・兄さん・・・ッ)
瞼の向こうには、自分に向かって微笑みを向けてくれる大切な
「ぐああああああああああああッ!?」
突如男が目の前で
「おい」
パリン。ガラスを靴で踏みつぶした音とその声はほぼ同時に聴こえた。ゆっくりと、二人は声の主を見る。炎と同じ赤い髪と瞳。纏う雰囲気は違えど、それでもその顔はリンネもよく知る、今まさに逢いたいと願った人物の姿だった。
「その子に何をしようとした?」
ドスのきいた低い声。静かに怒りを顕にするその声は男たちの断末魔の中でもよく通って聴こえた。
「・・・ああ、そうだった。これじゃ喋れないよな」
気が付かなかったとでも言うように少年は手を翳すことで炎を消す。魔力で生成されたそれらは人体に軽い火傷を負わす程度であるものの、その迫力と出火した時の光景だけを見ればかなりのものだ。
「こ、これは、罰だ」
落ち着きを取り戻してきた男がそう言い放つ。
「ソイツに病院送りにされた俺の妹は、今でもベッドの上で毎日怯えている・・・一方的に暴力を振るわれたんだぞ!そんな奴に報復して何が悪い!?」
「そう・・・報復。へえ。こんな強姦紛いなことしておいて、報復・・・・!」
ギリッと奥歯を噛む。握った拳は爪が食い込んで手のひらからわずかに血を流す。何かを必死に堪えるようにワナワナと震える手は、とても痛々しく見えた。
「マザーが言ってた。男がこの世でやってはいけないことが二つある。食べ物を粗末にすることと・・・・女の子を泣かせることだ」
瞬間、立ち上がろうとしていた男の鳩尾めがけて拳が叩き込まれた。ミシミシと、骨のきしむ音がはっきりと聞こえるほど強力なその打撃は相手の意識を刈り取るのには十二分すぎるほどの威力を持っており、直後叩き込まれた男は白目をむいて気絶し倒れ込む。それを目撃した他の男たちは恐怖に顔を歪ませながら逃げようとするが、それすらも絶つように外からサイレンの音が鳴り響いてくる。
「・・・過剰って言われても、文句は言えねーな」
そう吐き捨てた少年は、自分に振り返れば笑顔を浮かべ。
「助けに来たぞ、リンネ」
そう言った。
◇
間に合った。間に合うことができた。そう安堵しながら自身の上着を肩から掛ける。このままでは風邪をひかせてしまうし、何より目のやり場に困るからだ。それにこの子のこんな姿を誰にも見せたくはない。そんな兄心から、その行為が自然と出る。しゃがんで目を合わせれば、やがてゆらゆらと揺れる瞳。怖かっただろう。痛かっただろう。でも、もう安心だ。そう言い聞かせるように、あの時と変わらぬやり方でそっと頭を撫でる。そうすれば、堪えていたものを全て吐きだすように涙が溢れ出て頬を伝う。アスカはその姿に孤児院時代の幼いリンネの面影を重ね、そっと抱きしめる。
「ごめんリンネ。遅くなって」
「ううん、そんなことない・・・兄さんが来てくれた、それだけでも私は・・・」
再び声をだして泣きじゃぐるリンネ。彼女が泣き止んだのは、警邏隊が到着してから少しばかり時間が経った頃だった。
アスカ・スカーレットは魔法戦競技選手であると同時に時空管理局嘱託魔導師の身でもある。事件発生の報せを受け、それが終わったならば簡易的でもその場で可能であれば上司へと報告をするのが任である。故に今は彼の上司であるギンガ・ナカジマに対して業務報告を行っている最中だ。
「――――以上で、報告を終わります」
「はい。任務ご苦労様。にしても、随分と派手にやったわね・・・」
ハァ、と呆れたように溜息をつくギンガ。それに何も返すこともできないアスカはただ謝ることしかできずしゅんとなってしまう。彼らしくない、といえばらしくはないのだが。
『ナカジマ捜査官。お言葉を挟むようで差し出がましくはありますが、マスターはこれでも十二分に抑えたつもりです。怒りに我を忘れないよう必死に己を抑えていたことを私は知っています』
「わかってるわブレイブハート。貴方もこの子のストッパー役として頑張ってくれてたんでしょ?お疲れさま」
『いえ。マスターのデバイスとして当然です』
主に忠実でありながら時折その主並にネタに走る時があるクセの強いデバイスに労いをいれるギンガ。「さて」と言って軽く手を打って空気を切り替える。
「あとのことは私達に任せて、貴方は会場に戻りなさい。アインハルトとコロナさんの試合、もう終わるんじゃない?」
「いっけね、そうだった!・・・と、ギンガさん。最後にリンネに会っていってもいいですか?」
「ええ。会ってあげて」
ギンガに敬礼し、彼女の前から走り去る。その姿を見送りながら、ギンガはふぅ、と息をついた。
「・・・私もああいうお兄ちゃん、欲しかったかなー・・・今度アスカに頼んでみようかしら」
そんな呟きが後に残った。
「リンネ!」
ギンガに報告を終えたアスカは再びリンネの元に駆けてくる。それまで少し不安そうだったリンネだが、アスカの顔を見た瞬間にまるで花が咲いたように笑みを浮かべる。
「兄さん、その・・・さっきはありがとう。本当に、兄さんが来てくれて凄くうれしかった」
「気にすんなって。それよりも悪かったな。今まで連絡してやれなくて・・・」
「・・・ううん。平気だよ。だって、またこうして兄さんと逢えたんだもん」
久しぶりの再会に言葉を交わす二人。そこへ居心地の悪さを感じつつも、ジル・トーラが割って入る。眼鏡をかけたその端正な顔立ちは些か童顔ではあるもののキリッとした大人の女性を思わせる印象を受ける。
「失礼。貴方、確か・・・」
「あ、はい。アスカ・スカーレットといいます」
「・・・・そう。貴方が・・・・」
なにか含みを持たせるような呟きをして顎に指を当てて考えるような仕草をするジル。それに首を傾げつつも、服の裾を引っ張るリンネに向き直る。
「兄さん。私・・・格闘技をやろうとおもうの」
リンネから出た決意の言葉にアスカは一瞬ではあるが目を丸くする。あのリンネが、だ。いつもフーカと自分の後ろをついてきたリンネが自分から格闘技をやりたいと言い出した。これは、それほど彼女に今回の事が大きく影響を与えたということだろう。少しの見つめ合いの後、アスカは口を開く。
「それは、どうして?」
「・・・私が弱かったせいで、色んな人を傷つけた。守れなかった約束もあった。だからもう、こんな事は嫌だって。だから強くなろうって決めたの。誰にも見下されないように、今度はちゃんと、自分の力で守れるように」
リンネの口から出た強くなりたいという言葉。その言葉が本物であり、確かな覚悟をもってのものだとアスカも察することができた。だが、そう思う反面その奥にある言い知れぬ何かを感じ取ってしまったことで素直に背中を押せないでいる。うまく言葉にできないでいると、ジルが入ってきた。
「なら、私のところで格闘技やりませんか?」
「本当ですか?」
「ええ。その代わり、私の指導は厳しいですよ」
「・・・やります。やらせてください」
「わかりました。・・・では、スカーレット選手」
「あ、はい」
「私達は一度事情聴取の為失礼しますので」
「はい。・・・・リンネ」
「うん」
「・・・・また、逢おうな」
「うん。またね、兄さん」
小さく手を振ってジルと共に車に乗るリンネ。アスカはその姿が見えなくなるまで、あとを見つめた。
◇
「そっか、コロちゃん負けちゃったんだ」
一連の騒動から帰った時には、もうすでに試合は終わった後だった。現在アインハルトとコロナはそれぞれ医務室で治療中とのことだった。
「そーそ。て言うか、なんでアスカがあたしの所にいるわけ?もうそろそろ入場なんだけど」
「帰ってきた途端、ルーにシャンテのところに行けってやたら言われたから」
あの子も余計な気づかいを。そう心中で吐き捨てるシャンテだが、その実心を弾ませた。
「何かあったようですが、もういいのですか?」
「心配ないッスよシスターシャッハ。もう解決してきたんで。それよりもシャンテ。対戦相手のヴィクターは強力だ。浮かれてると足元すくわれるぞ」
「は?なんであたしが浮かれてんのさ」
「だってお前、嬉しいこととかあるとすーぐ右足でリズム刻む癖あるだろ」
そう言って指摘しながら右足を指さす。アスカの言う通り、シャンテは右足で軽くリズムを刻んでいた。そのことに赤面し、慌てて姿勢を正す。
「プフっ、シャンテもわかりやすいねぇ」
「何か言ったセイン?」
「なんにも?」
「・・・シャンテ」
「あによ?」
からかわれてムッとなるシャンテ。その後に名前を呼ばれてそのままの態度でアスカの方に向く。
「・・・上で、待ってるからな」
いつもとは違う、真剣な顔で言うアスカ。それに思わず面をくらってしまい、一瞬ポカンとなってしまうシャンテ。だがすぐにそれも戻り、不敵に笑ってアスカに返す。
「あたしが負けるなんてあり得ないっての。アスカこそ、合宿の時の借りを返すまで負けたらしょーちしないかんね」
「・・・ああ!」
ハイタッチを交わし、シャンテはそろそろ入場の為アスカと別れてシャッハ、セインのセコンド二人と共に会場へと控室を出て歩いていく。その道中、タッチを交わした手のひらを見つめ、ギュッと胸の前で握り締める。
大丈夫。あたしなら、絶対にやれる。
そう信じ、シャンテは戦いのリングへと登る。相手はエリートクラス、最高成績都市本戦三位入賞の強敵。”雷帝”――――ヴィクトーリア・ダールグリュン。
~シャッハ&セイン、念話にて~
《しっかしシャンテもお嬢も素直じゃないねぇ、とっとと好きって言っちゃえばいいのに》
《まあ、そこはあの子達も年頃ですから》
《そんなこと言ってたら、あっという間に陛下とかアインハルトに取られちゃうよ?》
《え、アインハルトもそうなんですか?》
《えっ?》
《え?》
サラッとアインハルトの内情が暴露(?)された瞬間であった