〈1991年‐11月〉
ハーマイオニーは自分自身に失望していた。自分の行いはスリザリンの得点を下げただけでなく、グリフィンドールが点を稼ぐのを助けたようなものに思えたからだ。それはハーマイオニーにとって耐えがたい事だった。
ハーマイオニーはスネイプのオフィスのドアをノックした。ドアはすぐに開き、机の上のランプと壁の隅にある蝋燭の光だけがチラチラと光る暗い部屋と足を踏み出す。
スネイプはドアに背を向けて机でカリカリと羊皮紙に何かを書きこんでいた。ハーマイオニーが近付くと、スネイプは顔を上げないですぐ傍の椅子に座るように促した。2人は数分の間黙り込んでいた。ハーマイオニーはスネイプの机の周りにある大きさの異なる大釜や魔法薬の入ったいくつかの小瓶、それから羊皮紙のストックを見た後、秒ごとに針を刻む時計をじっと見つめていた。時計の針が正確に8時を指したとき、スネイプは顔を上げることなく言葉を発した。
「ミス・グレンジャー。我輩に女子トイレで何をしていたか話したまえ」
ハーマイオニーはそわそわと体を揺らした。偽るつもりなどなかったが、正確に説明するのは躊躇われた。
「……トロールと戦おうとしていました」
「女子トイレで何をしていたか話したまえ」スネイプは羊皮紙に走り書きをしながら繰り返し質問する。
「マクゴナガル先生がおっしゃったように私はトロールと戦いに行きました。私は――」
「本当のことを話したまえ、ミス・グレンジャー」スネイプはゆっくりと顔を上げた。「我輩を馬鹿だと思っているのかね?」
ベタベタの黒い髪の下から黒い目がハーマイオニーをジッと見つめていた。
「我輩に女子トイレで何をしていたか話したまえ」黒い目は魂を透かさんばかりにハーマイオニーの目を捉えていた。「信じられんかもしれんが、我輩は家の子供たちのことをすべて知っている。誰が夕食にいなかったかぐらい分かるのだ。お前はハロウィーンの宴には初めから参加していなかった。そして昨日、呪文学の授業の後、お前はあらゆる授業を休んだ。これまでどの授業も休むことが無かったのにも関わらず……。それでミス・グレンジャー」
スネイプは低いうなり声で「女子トイレで何をしていたのかね」と再び尋ねた。
ハーマイオニーは視線を下げてモゴモゴと呟いた。
「顔を上げてもう一度言いたまえ」
「私は……泣いていました」
スネイプは羽ペンの動きを止めた。
「女子トイレで泣くために、1日のほとんどの授業を休んだのか?」スネイプの声には疑いの感情が含まれている。
ハーマイオニーは無言で頷いた。
「続けたまえ」スネイプは面白い物語を聞くかのようにのんびりと背を椅子に預けた。
「誰も私のことが好きじゃないんです」ハーマイオニーは泣き声で話し始めた。
「誰も私が好きじゃないんです。学校にきて2カ月がたちました。でも誰も私と喋りたがりません」
ハーマイオニーは零れてきた涙をぬぐって叫ぶように話す。「誰も! ウィーズリーとの喧嘩が最も長い会話です。授業でどれだけ私が活躍しても、みんな嫌な顔をするだけ……。スリザリン以外の生徒はスリザリンの知ったかぶりと言って私を避けるし、スリザリンじゃ私はマグル生まれだと蔑まれる。パンジーは酷い言葉でいつも私を貶してくる。私は、私は――」
「やめたまえ」スネイプは僅かに指を動かして机をたたいた。「我輩は自己憐憫が好きじゃない」
スネイプはハーマイオニーが涙をぬぐってまともにスネイプの顔を見れるまでじっと待っていた。それから机の上の書類をどかして、2つのフォルダーを取り出してハーマイオニーに手渡した。
「お前の成績表だ。見るまでもなく完璧だ」
言われるまでもなく、ハーマイオニーはその事を自覚していた。1人で過ごす間、絶え間ない努力をしてきたからだ。
「もう1つはパンジー・パーキンソンのものだ」スネイプは深い溜息を零した。「不可だ」
ハーマイオニーは反射的に体を揺らした。マグル界では、先生は決して他の生徒の成績表を教えたりはしない。見てみると確かに『どん底』の点数で天文学を落とし、魔法史でかろうじて『まあまあ』だった。
「彼女はしばしばマルフォイとペアを組むので、魔法薬学においては唯一『期待以上』を修めている」
「瓶詰にされた名声を使ってるわけですね」ハーマイオニーは魔法薬学での初回授業を思い出して皮肉めいた微笑みを浮かべた。それからすぐに自分のいる場所を思い出し、ゆっくりと顔を上げるが、スネイプの微笑みを見てそっとため息を零す。
「話を戻そう。我輩にはパーキンソンの緩い舌がお前を女子トイレに導いたとは思えん」
「ウィーズリーです」ハーマイオニーは昨日の出来事を思い出して途端に胸が苦しくなった。
「私は呪文の手伝いをしようと思ったんです。恩着せがましかったと、思います。でも私は口を出さずにはいられなかったんです。それほど彼の技術は酷かった」
スネイプは面白そうに頷いた。彼も同様にウィーズリーが嫌いなように思えた。
「正しい方法を教えました。でも、彼は耐えられないと言って、私が自分の寮で友人が1人もできないことを嘲笑ったんです」
「ハッフルパフに組み分けをされたわけではない。スリザリンでは友人がなかなか見つからないこともある」
「実はその言葉は大したことはなかったんです。彼はスリザリンの生徒が私を憎い程に嫌うのは、全く驚くことじゃないと言ったんです。そこで私はようやく理解したんです。私がどれだけ努力しても、憎まれ、嫌われる環境は変わらないんだって。だって血とか寮とか、そういった偏見で嫌われてるんですから。先生、先生も私が嫌いなんでしょう?」
「偏見だけで嫌ったりはしないだろう」スネイプは続けた。「彼等は自分よりも優秀な生徒が気に食わないのだ。マルフォイは5歳の時から個人授業を受けてきた。それなのにお前はたった3カ月魔法を学んだだけで、既に上回った。これは驚異的な才能だ」
ハーマイオニーは鼻を鳴らした。果たしてそうであろうか? 自分が優秀だから、というのは半分にも満たない理由に思えた。
「たとえ私が馬鹿だったとしても彼らは私を忌み嫌ったと思います」
「それで」スネイプは素早く話題を変えた。「女子トイレでの出来事を話したまえ」
「私は……泣いていました」
「それではなく。鼻をすすって、すすり泣く方法ならロングボトムに聞く。トロールについてだ」
「はい。寄宿舎に戻ろうとトイレの扉を開けた時、目の前にトロールがいたんです。それで驚いた私は叫んで、扉に鍵を閉めました」
「扉に鍵を閉めました、か」スネイプは気取った感じで呟いた。
「はい、愚かでした」ハーマイオニーは鼻をすすった。
「続けたまえ」
「私はしゃがみ込みました。そしたらトロールがトイレを破壊したんです。トロールは他のトイレも一緒に破壊していたので、私は這ってそこから抜け出しました。そしたらポッターとウィーズリーが来たんです」
「それでポッターとウィーズリーがトロールを打ちのめしたのかね?」
「いいえ、ポッターがトロールに棍棒で殺されそうになっていたので、私がトロールの棍棒を浮かべて、彼を助けました」
「それは残念だ」スネイプは冷笑を浮かべていた。
「先生!」ハーマイオニーは抗議の声をあげた。「教師としてその言葉はふさわしくありません!」
「皮肉だ」スネイプはあくまでドライだった。
「ポッターはそこまで悪い人ではありません」ハーマイオニーは眉をひそめる。
「奴は尊大でトラブルメーカーだ。ポッターはお前の手助けなど必要としていなかっただろう!」とスネイプは鋭く怒鳴った。
ハーマイオニーはマルフォイがどうしてスネイプから多大な贔屓を受けているのか理解できた気がした。
「私は先生が1人の生徒を偏った感情で裁くのはプロらしくないと思います」
スネイプは黒い目でハーマイオニーを睨めつけたが、右足を上下に揺らす姿を見ると何とか怒りを抑え込んでいる様だった。
「それでトロールはひとりでに倒れたのかね?」
「いいえ、私が棍棒を頭に落として倒れたんです」
ハーマイオニーはスネイプの皮肉気な表情が強張るのを見ることが出来た。
「すぐにかね?」
「すぐにです」
スネイプは冷たい目でしばらくハーマイオニーを見つめてから口を開いた。「よろしい。その幸運と危機の中での冷静な対処に対して10点やろう。話は以上だ」
ハーマイオニは柔らかな微笑みを浮かべて、「ありがとうございます」とお礼の言葉を口にした。スネイプは初めに受けた減点を相殺する点数を加点してくれたのだ。
ハーマイオニーが退出しようと立ち上がった時、「お前はグリフィンドールを助けた」とスネイプが言葉を発した。
「だが、グリフィンドールはお前を憎み嫌ってくるだろう。お前はスリザリンなのだから。だが悲観することは無い。近年稀に見る優秀な生徒であったから、お前はスリザリンに選ばれたのだ」
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ハーマイオニーはほとんどスキップに近い歩みで談話室へと戻った。「モルガナ」合言葉を言うと壁はすぐに通路に変わった。食後の談話室はいつも通り生徒で混雑している。が、珍しくハーマイオニーは顔を伏せることなく寄宿舎の方へ歩いた。
「穢れた血が帰って来たわ」とハーマイオニーの後ろから声が聞こえた。
「スネイプ先生が彼女に平手打ちでもしていてくれたらうれしいのだけど。一体どうしたらスリザリン生がグリフィンドール生を救おうと思うのかしら。まったく、うんざりするわ」
ハーマイオニーは立ち止まって後ろを振り返った。パンジーがマルフォイの隣のソファーに座って嘲笑っている。ブロンドの髪のガタイの良い男の子も同様に小ばかにした表情を浮かべていた。談話室に響く馬鹿にした笑い声が静かになるのを待って、ハーマイオニーは口を開いた。
「貴方が天文学の単位を落とす間に、私はトロールを倒したわ」
パンジーはポカンとした表情でハーマイオニーを見つめ、他の生徒も僅かに口を開けてハーマイオニーを見ていた。そしてハーマイオニーはパンジーの頬がピンク色に染まるのを見ながら言葉を紡いだ。
「正直に言って、パンジー。貴方は星を見上げているべきじゃないかしら。私にはどうしたら単位を落とすことになるのか理解できないわ。本当に驚くべきことよ」
ハーマイオニーは顔を背けて、寄宿舎に行進するように進んだ。パンジーの息の詰まったガチョウのような叫び声は、ハーマイオニーの心を歓喜で満たしていた。