蛇寮のハーマイオニー   作:強還元水

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第十六章 狙われたネズミ

 「ちょっといい?」

 

 ハーマイオニーは本から目を離し、顔を上げた。目の前にはポッターとウィーズリーが立っている。周りを見渡してみるが、図書館のテーブルはほとんど空いている。

 

 「一体何の用かしら?」

 

 「マルフォイにハグリッドを解雇するように言って欲しいんだ」ポッターは声を潜めて言った。

 

 「また何かやらかしたの?」ハーマイオニーは呆れる思いでため息をついた。

 

 「マルフォイの父親がバックビークを殺させようとしているんだ」ロナルドは非難するように呻いた。

 

 ハーマイオニーは頭を傾けて呟いた。「私はハグリッドについて話してるつもりなんだけど」

 

 「マルフォイにバックビークを殺させるのを止めるよう言って欲しいんだ。責任はハグリッドが負うから」

 

 「1つ、どうして? 2つ、何故私に? 3つ、私に益はあるの? 今、本を読んでいるの。早く出ていってちょうだい」ハーマイオニーは言い終わると、本に視線を落とした。しかし、すぐさまウィーズリーの言葉に注意を引きつけられた。

 

 「1つ、マルフォイが嘘をついているから。バックビークは間違ったことを何もしなかった。2つ、君にとってマルフォイはボーイフレンドだから。3つ、君は僕に恩がある」

 

 ハーマイオニーは鼻で笑い、顔を上げた。「素晴らしいわ、ロナルド。貴方の発言はたった1つとして正しいところがない。まず、ヒッポグリフがドラコを傷つけたことは明らかで、間違ったことをした。それと、ドラコと私の関係は、相互に協力し合う、授業でのパートナーよ。浮ついた心を持っている貴方には恋人関係に見えたかも知らないけどね……」ハーマイオニーは作り笑いを浮かべたが、ポッターの鋭い目を見ることはできなかった。「それと、私が貴方に借りを作っているという認識は、言語道断な誤りよ」

 

 ウィーズリーの耳は真っ赤に燃え上がった。「僕は君のために——」

 

 「それは、一体全体何なの?」ハーマイオニーは飛び上がるようにして席を離れた。ウィーズリーのポケットで何かが激しく動いている。

 

 ウィーズリーはポケットの入り口を抑えるために素早く手を動かした。「これはスキャバーズだ。君の手下がこいつを執拗に追い回すから、寮においておけなくなったんだぞ!」

 

 ハーマイオニーは若干の吐き気を感じながら呟いた。「ポケットでネズミを持ち歩いているの?」

 

 「グレンジャー、こいつはペットだけど、僕の家族だ。多分、君には理解できないことだろうけど」

 

 「私を侮辱しているつもり?」ハーマイオニーは語気を強めて聞いた。「私もペットは家族の一員だと思っているわ。理解できないのは、ペットとしてドブネズミを飼っていることよ」

 

 「そんなことはどうでもいいんだ」とポッターがようやく気がついた様子で話しを断ち切った。「マルフォイの父親を止めて欲しいんだ。そうしたら、僕たちはお互いに益をもたらすことができる」

 

 「そもそも、ミスター・マルフォイを止められる力が私にあると思う? 本気でそう思っているなら、貴方は私が思っている以上に愚かだわ。2度と口を聞きたくないほどに」

 

 「だけど、マルフォイの言うことなら父親だって聞くだろう?」

 

 「それにも同じことが言えるわ。私にはマルフォイの行動を止める力はないもの。だって私たちは、授業を一緒に行うパートナーにしか過ぎないもの」

 

 ポッターとウィーズリーが同時に口を開いた瞬間、図書館の中に悲鳴が響いた。

 

 「図書館に動物!?」

 

 マダム・ピンスが再び鋭い声で悲鳴をあげた。オレンジ色の毛を靡かせて、クルックシャンクが疾走してきている。クルックシャンクスは地面で僅かに沈むと、空気を切って飛び上がった。そして、ウィーズリーのポケットを爪で引っ掻いた。

 

 「クルックシャンクス、やめなさい!」

 

 「外へ! 外へ! 外へ!」ピンスは3人に向かって叫んだ。「今すぐに外へ出なさい!」

 

 「こいつを離してくれ!」ウィーズリーは叫び、クルックシャンクスをかわそうと、図書館の外へ走り出した。ハーマイオニーとポッターは慌ててその後を追う。

 

 「クルックシャンクス、やめなさい!」

 

 「言っただろ、そいつは怪物だって!」ウィーズリーは震えた声で泣き叫んだ。手にはネズミが握られていて、クルックシャンクスの爪が届かない位置に高く上げていた。

 

 「ちょっと興奮しすぎてるのよ。猫がネズミを狩るのは有名な話でしょ」

 

 「猫にその特徴があることを考慮しても、この猫が狂暴であることには変わりないさ」ポッターはクルックシャンクスを追い払おうとしながら呟いた。

 

 「そうかしら、ポッター」とハーマイオニーは低い声で言い返した。「多分、貴方のふくろうだって、このネズミを見かければすぐに襲うと思うけど」

 

 「アイタッ!」とウィーズリーが突然叫んだ。「こいつ噛みやがった!」小さいドブネズミはロナルドの手から抜け出し、ボトッと着地すると、廊下を疾走した。3人のすぐそばにいたクルックシャンクスが、稲妻のようにその後を追いかける。

 

 ウィーズリーが猛スピードで走り出し、ポッターとハーマイオニーは慌ててその後を追いかけた。

 

 「クルックシャンクス!」とハーマイオニーは叫んだ。「ネズミを食べないで! 狂犬病が移るかもしれない!」

 

 「君の猫の方がよっぽど危険だ!」とロナルドは後ろに向かって怒鳴った。

 

 中庭を出て、橋を渡って真っすぐに進んだ頃には、3人の後ろでオレンジ色の太陽が沈みかけていた。

 

 3人はクルックシャンクスが森へと続く獣道から少し離れた高い芝生の丘の上にいるのを見つけた。

 

 「スキャバーズは何処だ?」ウィーズリーが荒い息で呟いた。

 

 ネズミの姿はどこにも見当たらない。クルックシャンクスが前方に向かって鼻をスンスンとさせた。どうやらクルックシャンクスもネズミを見失ったようだった。

 

 「あのネズミはいったい何なの?」とハーマイオニーは息を落ち着かせながら尋ねた。「主人の指を噛むなんて野蛮すぎるわ」

 

 ウィーズリーとポッターは丘の上をさらに進んでネズミを探していた。「君の飼ってる怪物が追いかけるからだろ」

 

 ハーマイオニーはクルックシャンクスを抱き上げると、顔を近づけた。「彼の話は聞かなくていいのよ?」クルックシャンクスはハーマイオニーを無視して左右を用心深く凝視している。

 

 「あのウンザリする生き物は何処に行ったのかしら?」ハーマイオニーはクルックシャンクスが腕の中で体の位置を変えるのを見ながら呟いた。

 

 辺りは急速に暗くなってきていた。太陽は既に地平線の向こう側に沈み込んでいる。「貴方たち、夜間外出禁止令を破るつもり?」ハーマイオニーは腕の中で忙しなく体を動かすクルックシャンクスの頭を撫でながら尋ねた。

 

 「ほうら!」とウィーズリーが叫び声をあげた。ウィーズリーは屈んで、ネズミをポケットの中に大事そうにしまい込んだ。クルックシャンクスが暴れ、ハーマイオニーの腕の中から飛び出した。しかし、ハーマイオニーはそのことに注意を払っていなかった。丘の先に、暗闇の中に隠れるようにして佇む大きな黒毛の犬が居たからだ。犬は背を低くし、耳を前方に傾けて、薄灰色の目でポッターをじっと見つめている。異様に迫力があり、それは異常とも言えるような犬だった。

 

 「ねえ」とハーマイオニーは犬を指差して叫んだ。しかし、ウィーズリーとポッターはクルックシャンクスが解放されたことに慌てふためき、ハーマイオニーの注意に気を向ける様子はなかった。

 

 犬が弾けるようにして跳躍した。

 

 「気をつけて!」

 

 ポッターが振り向いた。しかし、それは遅すぎた——犬は大きくジャンプし、前足でポッターの胸を打った。ポッターは地面に身を投げ出される。

 

 犬はポッターに体当たりを食らわせると、地面に転がり落ちた。犬はすぐさま体勢を立て直すと、すぐ近くにいたウィーズリーに飛びかかった。犬の両顎がウィーズリーの脚にガブリと食い込む。犬は地面に倒れたウィーズリーをまるでボロ人形でも咥えるかのように、やすやすと暗闇の中へ引きずって行く。

 

 杖を取り出していたハーマイオニーは、「ペトリフィカス・トタルス!」と呪文を唱えた。魔法は薄明かりの中へと吸い込まれていく。しかし、犬の唸り声やウィーズリーの悲鳴に変化はなかった。立ち上がったポッターが犬の後を追いかけ、ハーマイオニーはその後に続く。

 

 「ペトリフィカス・トタ——」

 

 うめき声が前方であがった。遅く、重く、不吉なうめき声。ポッターが目の前で薙ぎ倒された。

 

 ハーマイオニーは反射的にその場に立ち止まった。空気を切り裂くように何かが動いている音を聞いた時、目の前でポッターがゆっくりと立ち上がっていた。そして次の瞬間、細い枝がハーマイオニーの顔を打ち抜いた。ハーマイオニーは吹き飛ばされ、地面を2転3転した。

 

 ハーマイオニーは呻き声をあげながら、手を顔に当てた。ヌルリとした感触を感じ、手のひらを見ると、暖かい血が付いていた。ハーマイオニーは暗闇の中で目を凝らして、『暴れ柳』が自分とポッターを襲ったことに気がついた。『暴れ柳』が枝を軋ませ、前に後ろに枝を叩きつけている中、犬はウィーズリーを引きずり、木の根元の大きく開いた隙間へと近づいていく。

 

 「ロン!」ポッターが大声を出し、後を追おうとするが、太い枝が空を切ってそれを邪魔し、近づくことができない。立ち上がったハーマイオニーは、ロナルドが悲鳴をあげながら木の中に姿を消すのを見た。

 

 ハーマイオニーは深く呼吸をした。木の根元にある穴がトンネルの入り口になっているのだろう。ウィーズリーの悲鳴が遠くの方まで移動していたのを考えれば、トンネルはまだ使えているはずだった。そして、そのトンネルを隠す、あるいは守るように立っている木は、間違いなくその用途が目的で埋められたものだ。今、障害となっているのは木だ。

 

 暫くして、ハーマイオニーは余りの簡単さに笑いを零した。トンネルの存在を知らない者はわざわざしないであろう解決策があった。

 

 ハーマイオニーは木に杖を向けた。「イモビラス!」

 

 木は大きく軋む音をたてると、数秒後動きを止めた。

 

 「すごい……」とポッターが驚嘆の声をあげた。

 

 ハーマイオニーは微笑むと、木の幹まで一気に近づいた。根元の隙間を覗くと、緩やかな傾斜が奥深くまで続いているのが分かった。『暴れ柳』のトンネル。スネイプの話を思い返すに、トンネルは『叫びの屋敷』に続いているはずだった。学生時代、満月の晩にルーピンが閉じ込められていた場所。そして、ブラックもよく知る場所。

 

 横でポッターが穴に飛び込もうと身構えたため、慌ててハーマイオニーは「待って!」と叫んだ。

 

 「君が先に入るか?」

 

 「そういう問題じゃないわ」

 

 「ロンを助けに行かなくちゃ!」

 

 「いいえ、そうするべきじゃないわ」ハーマイオニーはポッターの腕を掴んで後ろに引っ張った。

 

 「離してくれ、グレンジャー。いったい何が問題なんだ?」

 

 「それは良い考えじゃないのよ。私達には助けが必要だわ」

 

 「犬がロンを連れ去った! 今にも殺しそうな勢いで!」とポッターは怒鳴った。「僕たちには時間が無い!」

 

 「確かにそうね」ハーマイオニーは腕を話すと、杖を向けた。「ペトリフィカス・トタルス」

 

 ポッターは石のように固くなって地面に倒れた。

 

 柳の木が届かない位置までハーマイオニーはポッターを引きずった。

 

 「ごめんなさい。でも、私がこうしなければ、貴方はブラックの狙い通りに動いてしまうことになるかもしれないの」ハーマイオニーは硬直した手からポッターの杖を抜き取ると、後ろのポケットにしまい込んだ。

 

 ハーマイオニーは木の根元まで近寄った。クルックシャンクスがハーマイオニーの足元に近寄り、トンネルの中を覗き込んでいる。

 

 「スネイプかダンブルドアを呼びに行ってちょうだい!」とハーマイオニーはポッターに叫んだ。「ロナルドのことは心配しないで。たぶん、1人だけなら助けられるわ」

 

 魔法を解くと、木は俊敏な動きを取り戻し、地面に枝を叩き付ける音が辺りに響いた。それと同時に、ポッターが立ち上がった。

 

 「グレンジャー、君は何をするつもりなんだ!?」

 

 「ポッター、先生を呼んできて!」とハーマイオニーは叫んだ。「杖がなくちゃここには来れないわ! スネイプを捕まえて、私がどこに行ったか話して! 彼なら分かるから」

 

 ハーマイオニーは根元の隙間を覗き込むと、穴の中に滑り込んだ。狭い土の傾斜を進み、底まで滑り降りる。

 

 底についても、辺りは真っ暗だった。

 

 「ルーモス」

 

 先へと続く通路は狭かったが、遠くの方まで続いていた。クルックシャンクスがハーマイオニーの先を小走りで進んでいく。延々と続く通路を歩いていたハーマイオニーは、自分が一体全体何をしているのか疑問を抱き始めていた。

 

 ――予想通り、この先にシリウス・ブラックが待ち受けているとすれば、ポッターを置いてきたのは正しい判断だった。でも、本当に予想が正しかったとすれば、私の行動は自殺的ね。

 

 トンネルが上り坂になった。クルックシャンクスは疾走して、通路の先で姿を消した。通路の出口から頭を覗かせると、前には部屋があった。雑然とした埃っぽい部屋で、外観と同じくボロボロ。間違いなく『叫びの屋敷』だ。

 

 ハーマイオニーは床に手をついて通路を出た。手には大量のチリが付いている。窓には全部板が張り付けられ、あらゆる家具が打ち壊されている。

 

 そのとき頭上で何かが軋む音がした。

 

 ハーマイオニーの心臓が激しく鼓動を打ち始める。

 

 ――戦う? それとも逃げる?

 

 ハーマイオニーの中で2つの選択肢が激しくぶつかり合う。

 

 ――私は何をしているの? ウィーズリーには何の恩もない。むしろ、前に1度命を救ったのは私の方よ。

 

 ――ポッターとの貸し借りは五分五分。つまり、何か返す必要はない。

 

 ハーマイオニーの内部では、逃げる方を強く勧めていた。しかし、それでも、ハーマイオニーは前に進み始めた。頭の中の声が小さく戻るよう囁くが、ハーマイオニーはそれを無視した。

 

 1段ずつ、ゆっくりと、階段を登る。

 

 踊り場まで上がったハーマイオニーは「ノックス」と呪文を唱えた。

 

 開いているドアが1つだけある。ハーマイオニーは扉の側の壁に忍び足で移動し、中の様子を伺った。

 

 見えるものは部屋の汚れた壁だけ。

 

 ハーマイオニーは部屋の中に入るのに長い時間を費やした。ゆっくりと息を吐き出し、気持ちを落ち着ける。

 

 ――私なら大丈夫。何が待ち受けていても、対処できる。私はもっと危険なものと対面してるんだから。狂った先生に、バジリスク、それからトムと。

 

 ハーマイオニーは顔を上げ、しっかりと自分の杖を握った。そして、杖先を前に向け、杖腕を引き、僅かに開いた扉を足で開けた。

 

 まず、埃っぽいカーテンのかかった壮大な4本柱の天蓋ベッドが部屋の隅にあるのが目に入ってきた。ベッドにはクルックシャンクスが寝そべり、ハーマイオニーが入ってきたのを見ると、大きくゴロゴロと喉を鳴らした。ベッドの脇の床には、妙な角度に曲がった脚を投げ出して、ウィーズリーが座っていた。ウィーズリーが震える右手でハーマイオニーの後ろを指差して叫んだ。

 

 「罠だ! あいつはアニメーガスだ!」

 

 ハーマイオニーはウィーズリーの指差す方向に杖を向けながら、くるりと振り返った。「ボンバーダ!」呪文を唱えた瞬間、そこに立つ男性の姿が辛うじて目に入ってきた。

 

 男はウィーズリーの杖を無言で振り、呪文を受け流す。それは余りにも簡単な動作だった。

 

 ハーマイオニーは男の胸を切り裂くように杖を振り、「ディフィンド!」と唱えるが、再び同じように受け流される。

 

 「エクスペリアームス!」と男はしわがれた声で唱えた。

 

 ハーマイオニーはシールドを展開しようとしたが、それは余りにも遅すぎだ。杖はハーマイオニーの指から勢いよく飛び出し、男の手によって受け止められた。

 

 男の髪は汚れ切っていてモジャモジャと肘まで垂れ、獣のようなあご髭は顔にびっしりと生えていた。そして、男の目は暗い落ち窪んだ眼窩の奥に沈み込んでいたが、ギラギラと恐ろしいほどに輝いていた。新聞に載っていた写真よりもやつれているが、間違いなく男はシリウス・ブラックだった。

 

 ブラックはハーマイオニーに杖を向けながら、廊下を用心深く覗き込んだ。そして、誰もいないことを確認すると、ドアを足で閉じた。

 

 「ハリーはどこにいる?」掠れた声だった。声の使い方を長いこと忘れていたかのような響きだ。

 

 「安全な場所に」ハーマイオニーは震える声で答えた。「でも、今ならまだポッターを捕まえられるかもしれない。今すぐにでもトンネルを駆け戻るなら」

 

 「トンネルを戻る?」ブラックは破顔した。「ああ、わたしはそうするだろう。だが、その前にやらなくてはならない事がある。まず最初に、な」

 

 「どんな事?」とハーマイオニーは恐る恐る尋ねた。「ポッターは柳の木の外で待ってるわ」

 

 ブラックは横目でハーマイオニーを見た。「ああ、ハリーに会いたくてたまらんよ……だが、わたしはまず最初に殺人を犯さなければならない」

 

 ハーマイオニーは息を呑んだ。震える手がポケットに入っているポッターの杖を見つけたが、握りしめた後、どうしても動かす事ができない。

 

 「ここにいるロナルドは、ダンブルドアの信奉者よ。彼はウィーズリー家の人間なの。何人かは彼のことを血を裏切る者って呼んでいるわ」

 

 「何を言っているんだ!?」痛みで歯を食いしばっているウィーズリーが、素っ頓狂な声で叫ぶ。

 

 ブラックが疲れた様子で頭を掻きむしった。埃やフケが白い粉となって空気中に撒き散る。ブラックは静かで乾いた笑い声をあげた。「君はブラック家のことをよく知っているのだな」ブラックの歪な微笑は一瞬にして消え去った。そしてブラックは杖をハーマイオニーに向けて言った。「さっさと、来た道から出て行け」

 

 ハーマイオニーは扉の方へゆっくりと歩いた。ブラックは歯をむき出しにして、傷ついたウィーズリーに向かって進みだした。ブラックが背を向けた瞬間、ハーマイオニーはポッターの杖を引き抜いた。「エクスペリアームス!」

 

 2本の杖がブラックの頭の上を超えて、ハーマイオニーの手に収まった。ボロボロの服を着たブラックがゆっくりと振り返る。ブラックはふらふらと揺れていて、不安定だった。

 

 「わたしはブラック家の人間だ」ブラックは切羽詰まった様子で手を伸ばした。「ここで恩を売っておけば、全てが上手くいくぞ。さあ、無駄にしている時間はない。頼む、杖を返してくれ」

 

 ハーマイオニーは素早く杖を振った。「ボンバーダ!」

 

 魔法がブラックの顔で弾ける。ブラックは鋭い悲鳴をあげて地面に転げ落ちた。鼻を抑える手からは赤い血がドクドクと流れている。

 

 ハーマイオニーはブラックを見下ろして嘲笑った。「私はブラック家を貴重で高貴だと思う人間の1人ではないわ」ハーマイオニーは意地悪く、ゆっくりと呟く。「何人かの人は、私みたいな人を穢れた血って呼ぶの」

 

 予想外なことに、ブラックは荒い咳をすると、笑い声をあげた。「マグル生まれだと? えっ?」ブラックは床に伏せたまま、ゆっくりと顔を持ち上げた。泥と塵が混ざった血が、顔から床に滴り落ちる。

 

 「きまりが悪いかしら?」ハーマイオニーは吐き捨てるかのように言うと、ウィーズリーに杖を投げ渡した。「偉大なシリウス・ブラック、トム・リドルの最も野蛮な手下。そんな人間がマグル生まれの女の子に打ち負かされるのは、さぞ恥ずかしいことでしょう」

 

 「トム・リドル?」

 

 「貴方の大好きな闇の帝王のことよ」

 

 「それは君が決めた呼び方か?」ブラックは血まみれな手の隙間からハーマイオニーを凝視する。

 

 「……貴方はポッターを捕まえられなかった。そして、ウィーズリーさえも手にかかる事ができなかった。ダンブルドアがすぐにここに来るわ。貴方は再びアズカバンに収容されることになる」

 

 「お見事だ」ブラックは肩をすくめた。「だが、わたしはハリーのためにここにいるわけでは無い。別の目的がある」

 

 「別の目的?」ハーマイオニーは用心深く杖を向けながら尋ねた。

 

 ――ブラックには何か計画があるの?

 

 ブラックはよろよろと這うと、ウィーズリーを指差した。「わたしはネズミが欲しいだけなんだ。頼む、そのネズミを殺させてくれ」

 

 ウィーズリーのポケットからキーキーという声が漏れ出し、ネズミが中でもがき始めた。

 

 「ネズミ?」

 

 ブラックは静かに頷いた。目は飛び出さんばかりにギラギラとしている。「わたしに奴を渡してくれ」ブラックはウィーズリーに手を伸ばして、這い始めた。ハーマイオニーは前に向かって歩くと、ブラックの背中を足で押さえつけた。ブラックは喘いで、床に大量の血を撒き散らした。

 

 「ネズミを手に入れることが貴方の目的なの?」

 

 「ああ、そうだとも」とブラックは囁き、ウィーズリーにまた手を伸ばした。ネズミはまだポケットの中で暴れ回っている。

 

 「グレンジャー」とウィーズリーが請うようにして囁いた。「スキャバーズは何もしてない」

 

 「スキャバーズ?」ブラックは黄色い歯をむき出しにして笑い声をあげた。

 

 「どうして貴方はネズミを欲しがるの?」ハーマイオニーは興味を抱き、質問を続けた。そしてゆっくりと体重をブラックの体から自分の足に移した。ハーマイオニーは自分がこれ以上何かをしなくても事態が収束することに気がついていた。適当に話でも聞いて、ポッターが助けを呼びにいった相手をただ待つだけでいいのだ。

 

 ブラックは唇を舐めると喋り出した。「そいつがただのネズミじゃないからだ」

 

 「ネズミじゃない?」ウィーズリーが叫んだ。「グレンジャー、こいつは狂ってる! こいつの話に耳を傾けるな!」

 

 「それはどういう意味?」

 

 スキャバーズの捕まえ方を練習するかのように、ブラックは指を折り曲げた。「そのポケットに入っている者の名は……ピーター・ペティグリューだ」

 

 ハーマイオニーは鼻で笑い飛ばした。「ペティグリューは12年前に貴方が殺したじゃない」

 

 「いいや!」とブラックは叫んだ。「確かにわたしは、そういう思いを抱いて奴を追いかけた。怒りで満たされていたんだ。だが、だが、追い詰められた奴は――」

 

 「ディメンターがこいつの脳を腐敗させたんだ」とウィーズリーが呆れた様子で話を遮る。

 

 「追い詰めた貴方は、ペティグリューをバラバラにして殺害した。残されたのは僅か1本の――」

 

 「指!」ブラックは叫ぶと、泣き出した。そして、憎たらしそうに自分の小指を握りしめた。「ああ! たった1本の小指だ! 魔法省が見つけたのはそれが全てだった! 奴らが見つけたのはそれが全てだ!」

 

 ブラックは湧き上がる喜びに身を任せるように叫ぶ。「そのネズミを見ろ! 指が欠けている! たった1本の小指が、だ!」

 

 ブラックはのぞるようにしてハーマイオニーを見上げた。「頼む、わたしを信じてくれ」

 

 ハーマイオニーは燃えたぎるような目で見てくるブラックと、まるで握り潰そうとしているかのようにポケットの上からネズミを押さえつけているウィーズリーとの間で目を彷徨わせた。

 

 「例え、本当にあのネズミがペティグリューであるとしても、どうして私が貴方の長年の想いを叶えなくちゃいけないのかしら? 私が罪のない男性を殺させると思う?」

 

 ブラックが高笑いした。「罪のない? 罪のない、だと? ピーターは決して無実な男ではない。そのことは奴自身がよく知っているだろう!」スキャバーズは出口をこじ開けようと必死に暴れている。「頼む、奴を渡してくれ!」

 

 「で、ペティグリューには一体何の罪があるのかしら?」ハーマイオニーは立ち上がろうとするブラックに再び体重をかけた。

 

 「すべて、すべてだ! 奴はヴォルデモートのスパイだった。リリーとジュームズを裏切ったんだ! 奴は、2人を売り渡し、殺させた! さらに奴はわたしに罪をなすりつけ、12年もの間アズカバンに収容させた!」

 

 「ポッター家を裏切ったのは貴方でしょ!」

 

 「違う!」ブラックはすすり泣きながら叫んだ。「2人を裏切ったのはピーターだ。わたしは2人の秘密の守人ではなかった。守人はピーターだったんだ!」

 

 「秘密の守人?」ハーマイオニーは聞き覚えのある単語だと思いつつ尋ねた。

 

 「リリーとジュームズは忠誠の術を使用して身を隠した。誰もが2人の守人はわたしだろうと予想すると思ったから、土壇場になって守人を変えたのだ。わたし達はそれでヴォルデモートの手から逃れられると思っていた。しかし……実際には上手くいかなかった」

 

 ハーマイオニーはブラックの瞳に涙が溜まっていくのをじっと見ていた。

 

 「わたしが間違っていたのだ。あれはわたしの思いつきだった。わたしが2人の命を奪ったも同然だ。だが、だが、わたしは決して2人のことを裏切ったりはしなかった!」ブラックはべそをかいていた。そして、スキャバーズの方に向かって再び手を伸ばした。手は虚しく空を掴み、ブラックは床を爪で引っ掻いた。

 

 ハーマイオニーは唇を噛み締めて考えた。これは決して遊びの一部ではない。ブラックは血に飢えていて、残酷で、危険であると言われているのだ。だが、目の前で見るに、ブラックは感傷的な人間のようにしか見えなかった。

 

 ――突然ネズミが騒がしくなったことも考えれば、確かに何かがあるようにも思える。それに加えて、もしかしてだけど、クルックシャンクスが執拗にあのネズミを狙っていたのも……。

 

 「ネズミがペティグリューであることは証明できるの?」

 

 「ああ、勿論だ!」ブラックは噛みつくように叫んだ。「わたしなら証明できる! 杖を渡してくれ。わたしにやらせてくれ!」

 

 「じっとしていて」ハーマイオニーはもう一度ブラックの背中を踏みつけると、杖先をブラックに向けてウィーズリーの元へ近寄った。

 

 「君はあいつの言う事を信じているのか?」とウィーズリーは弱々しく言った。ウィーズリーの顔は非常に青ざめている。

 

 「ネズミを出して」とハーマイオニーは手を差し出しながら語気を強くして言った。

 

 「嫌だ」ウィーズリーはそう言った瞬間、「イタッ!」と身体を飛び上がらせた。指に噛み付いたスキャバーズはポケットから飛び出し、床に着地する。ハーマイオニーは素早くその尻尾を踏みつけた。スキャバーズはキーキーと甲高い鳴き声をあげた。

 

 「イモビラス!」ハーマイオニーが呪文を唱えると、ネズミは凍りついたかのように身動きを止めた。

 

 ブラックは祈りを捧げるかのように、手を伸ばす。

 

 「おせっかいをやめて」とハーマイオニーは怒鳴り、ブラックの顔に杖を突きつけた。

 

 ブラックは不愉快そうに見えたが、すぐに床に伏せた。ハーマイオニーは2本の指でネズミの尻尾を摘み上げると、部屋の向こうに放り投げた。

 

 「立って」立ち上がったブラックは、涎を垂らしながらネズミを見つめ、手だけをハーマイオニーに伸ばした

 

 ハーマイオニーはブラックの首の後ろに杖を当てた。「少しでもおかしな事をすれば貴方の頭は消し飛ぶから」ブラックは驚くほど素早く頷いた。

 

 ネズミの元にやってきたハーマイオニーは「じゃあ、証明して」と、左肩の上からポッターの杖を渡した。ブラックは右手でそれを受け取り、ネズミに杖先を向ける。

 

 ブラックの体は震えていた。他には何もない。ただ、体だけが震えていた。しかし、杖先はネズミに向き、僅かな振動を除けばほとんど動いていなかった。

 

 「ブラック、5秒以内に証明しなければ呪文を唱えるわ」とハーマイオニーは警告した。

 

 「12年だ……」とブラックは呟いた。「12年も、わたしはこの時を待っていた」

 

 そしてブラックは、硬く握った杖を振り下ろした——

 

 

 

 

 

 

 

 


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