「闇の魔術に対する防衛術」の教室に入ったとき、教壇から顔を上げたのはルーピンではなく、スネイプだった。ハーマイオニーは心地良い驚きを感じながら、教室の1番前の席に着いた。
「ルーピン先生は今日も気分が悪く、授業が出来ないとのことだ」スネイプは薄ら笑いを浮かべた。「彼は何か……持病を抱えておるのだろう。まったく、教師として余りにも不適切な男だ」教室の至る所からクスクスという笑い声が上がる。「よろしい。では、レポートを提出したまえ。提出期限は今日までだ」
一瞬で笑い声がざわめき声に変化する。
「レポート?」ゴイルは頭を掻きながら呻いた。
「ルーピン先生は課題を出していません」とドラコが訝しげに呟いた。
スネイプは眉を顰めた。「ああ、奴ならば課題を出さないであろう。しかし、貴様らに脳みそがついていれば覚えておるだろうが、課題を出したのは我輩だ」
「でも、ルーピン先生がその課題を取り止めました!」パンジーが悲痛な声をあげる。
「パーキンソン、君の前にいるのはルーピン先生かね? 諸君、レポートを提出したまえ。何も提出することが出来ない者は、引き続きレポートに取り組め。無論、提出が遅れるごとに評価は悪くなるだろう」
・
「どうして僕がこんな物をやらなくちゃならないんだ」とドラコが不平をこぼす。「スネイプにしてはスリザリンに対して冷たくないか? せめてもう少しぐらい提出期限を伸ばしてくれても良いだろうに」
「スネイプはいつもあんな感じじゃない」とハーマイオニーは呟いた。「スネイプは自分の発言を滅多に取り消さないし、不健康そうなルーピンが予告無しに休むのも簡単に予想できた。評価をこれ以上下げたくなかったら、ささっとレポートを終わらせることね」
「一体何を書けば良いんだ? 満月の日に狼に変わることとか?」
「それは初歩の初歩よ」
「狼男を特定する方法って何なんだ? 普段の狼男は普通の男にしか見えないんだから、満月の日になるまでは正体が分からないじゃないか」
「本には満月が近づくにつれて狼人間はストレスを感じるようになるって書かれてたわ。それと満月の後には異常に疲れてて病気のように見えるらしい、とも」ドラコに羊皮紙に書き込むよう促しながらハーマイオニーは喋り続ける。「だから満月の周期とそれらの現象が何度も一致すれば、慎重な考慮の末にだけど、狼人間だと特定出来る」
「面白くて簡単な見分け方なんだな」ドラコは顔を顰めながら羊皮紙に字を書き込んだ。「スネイプはグリフィンドールにも同じ課題を出したと思うかい?」
「そうね。おそらく、2、3巻は多いでしょうけど」
羊皮紙から顔を上げてドラコがニヤリと笑った。「そうだ。僕が満月のたびに異様な行動をとれば、ポッターがビビると思わないかい?」
ハーマイオニーは呆れた顔で首を振る。「いいえ」
「まあ……僕もそう思うさ」ドラコは退屈そうにため息をついた。「だけど、せっかく学ぶのに、何にも利用出来ないなんて余りにも無意味じゃないか。そうだ、今週が満月の日じゃなかったか? 天文学でそんな話を聞いた覚えがあるぞ」
「満月は昨晩よ。ドラコ、ポッターをビビらせるためだけにそんな大掛かりなことをする方が無意味よ。大きな努力に、小さな報酬。馬鹿げてるわ」
「ハァ……どうしてスネイプはこんな無意味な課題を出したんだろう。スネイプは厳しい教師だが、課題に関してはまともな物しか出さなかっただろう? んー、スネイプは……ルーピンに嫌がらせして怒らせたかったのかもしれない」
「そんなことでルーピンが怒るかしら。あの人、随分と穏やかに見えるけど。多分、トイレの水を掛けられても苦笑いですませるわ」
「じゃあ、スネイプは満月の度に生徒たちを怖がらせようとでもしたのか?」
スネイプの意図を読み取るのは並大抵のことではない。人柄でさえハッキリとは分からないのだから。しかし、スネイプの普段の行動にはいつも何らかの意味があった。初めてルーピンの代行として授業を行った時、スネイプはルーピンが狼人間について教えていなかったことに本気で怒っているように見えた。その時はルーピンに対する嫌味だと思ったが、今思い出すと何か、非難めいたものだったような気もする。
――でも、どうして? 狼人間は教科書の最後に載ってる。だから、授業でまだ取り扱っていないのは当たり前のはずよ。
しかし、スネイプにとっては狼人間は取り扱うべき題材だった。
本来ならまだ習わないはずの題材を授業で取り扱う意味とは。課題まで出し、生徒に深く理解させようとする意味とは。
――単純に考えれば、必要があるからね。でも、どうして必要になるの? まさか……狼人間がホグワーツの近くにいる?
――いいえ、それはあり得ないわ。もしも狼人間が学校の近くにいると分かっているなら、先生たちが追い出すはずだもの。
ハーマイオニーはふと、森を思い浮かべた。禁じられた森。そこは常に立ち入り禁止にされている。
――仮に、あくまで仮にだけど、狼人間がいるとすれば禁じられた森ね。
だが、そうだとすればスネイプの行動は不自然だ。昔から森に狼人間がいるならば、急に授業で取り扱うことはないはずであるし、つい最近やって来たのであれば、学校中に堂々と警告すればいい。
「何を悩んでいるんだ?」
「うーん?」
「勉強していないのに静かなんて、君にしては珍しい」
「私はいつも静かよ」
ドラコは作り笑いを浮かべた。「君がそう思うならそうなんだろう。君の中ではな」
「黙って」ハーマイオニーは顔を赤くして、ドラコの肩を本で叩いた。「ねえ、ドラコは新入生の中に狼人間がいると思う?」
「新入生の中に?」ドラコは眉をひそめる。「どんなに小さな狼だったとしても、流石に気付かれるだろ」
「狼人間だと先生たちが知っていて、それを隠しているとしたら?」
「どうだろう。でも……気が付かないかもしれない」
「ええ、多分ね」ハーマイオニーはしばらく考え込んだ末に呟いた。「私、図書館に行ってくるわ」
「どうぞ、どうぞ」ドラコはため息まじりに言った。
ハーマイオニーはすぐには立ち上がらず、少しの間ソファーに座り続けた。自分と同じぐらいの歳の女の子が(ドラマや映画で見た)こういう時どうするのか考えていた。
「それじゃ、また後で」ハーマイオニーはそう呟くと、ドラコの頬に素早くキスをし、振り返ることなく、足早に談話室を出た。
・
月の周期表を探し出すのは容易なことだった。天文学の棚にも、占い学の棚にも、大量に置かれていた。
1番最後の満月は1月27日になっている。昨日の日付だ。学年度の始まりまで順に戻ると、12月28日、11月29日、10月30日、9月30日が満月だ。今後の満月は、2月25日、3月27日、4月25日。
ハーマイオニーは素早く日付を書きとめると、図書館を出た。満月の日に狼人間を捜しに行くほど、ハーマイオニーは勇敢で無謀なタイプではなかったが、狼人間が本当に満月の後にやつれて、病気のように見えるならば……行く場所は決まっていた。
ハーマイオニーが医務室に入ったとき、太陽は沈み、辺りは薄暗くなってきていた。
「どうしました?」ポンフリーが顔を上げ、ハーマイオニーの元へ歩いてきた。
「あー、はい。ちょっと用があって」
「病気のようには見えませんね」ポンフリーはそう言うと、ハーマイオニーの額に手を当てた。
「私は特に問題はないです。その、私は……ある研究に取り組んでまして」とハーマイオニーはゆっくり喋った。「占い学に関しての」まさか、ポンフリーがすべての生徒の選択科目を知っているわけは無いだろう。「トレローニー先生は、特定の病気が月の周期と一致することがあると仰いました。それで私は興味をそそられまして、誰かがこれらの日付の辺りで病気にかかっていたかどうか教えて頂きたいのです」ハーマイオニーはメモを手渡した。
「ええ、これらの日付辺りで体調不良を訴えてきた生徒は幾人かいましたよ」ポンフリーは肩をすくめる。「ですが、それが月の周期と関係しているとは思えません。シビルの発言を丸呑みするのは止めた方が良いですよ。シビルは……物事を過大に表現しますから」
「その生徒の中で、毎月のように体調不良を訴えに来ている人はいますか?」
ポンフリーは自信のある笑みを浮かべた。「あら、私がしっかりと病気を治せないと思っているんですか?」
「いいえ、マダム・ポンフリーは間違いなく優秀な治療者です」ハーマイオニーは落胆に満ちた声で呟いた。
ハーマイオニーは肩を落として医務室を出た。
――学校に狼人間を通わせているとすれば、ダンブルドアはポンフリーに話をするはず。でも、ポンフリーは知っているようにも、隠しているようにも見えなかった。狼人間は……生徒では無い。生徒ではないならば……まさか。
ハーマイオニーは突き上げるような動悸を感じた。
――持病。
スネイプは授業でそう言っていた。ルーピンが体調不良を起こしたために、防衛術の授業を代行したのだ。ルーピンの調子が悪くなったのは昨日。昨日は、満月の日だ。
――ルーピンに対する発言はスネイプの誇張表現だと思っていたけど……まさか、本当に。
ハーマイオニーは図書館へ全力で走り、年間授業スケジュール表と月の周期表を取り出した。
12月28日はクリスマス休暇に入ってしまっている。意味がない。
11月月29日。月曜日。翌日の授業はスネイプが代行している。
10月30日。土曜日。運がない。授業は無い。
9月30日。木曜日。防衛術の授業は……休みになっている。
ハーマイオニーはの周期表をめくり、8月の満月の日を調べた。8月は31日が満月だ。そして、その翌日に学校は始まった。ホグワーツ急行の列車で見たルーピンは……異常に疲れ果てて病んでいるように見えた。
ハーマイオニーはパタンと本を閉じた。
――まさか。
ハーマイオニーは図書館を出ると、廊下を再び走り出した。ホールでポッターと遭遇し、ポッターの悩まし気な様子に気がついたが、ハーマイオニーはそれを無視して全力で走り、地下牢へ降りた。スネイプの仕事部屋の前にたどり着くと、ハーマイオニーは躊躇いもなくドアノブを捻った。意外なことに、ドアには鍵がかけられていなかった。
スネイプは机から顔を上げると、真剣な眼差しでハーマイオニーを見つめた。
「ルーピン先生は、狼人間ですか?」
スネイプは慎重に羽根ペンを机に置いた「我輩は君の鋭い観察眼から獣がどれくらいの間逃れることが出来るのか、疑問に思っておった」
「それで、それは事実なんですか?」
スネイプはハーマイオニーに座るよう促した。ハーマイオニーは焦る気持ちを抑えて椅子に腰掛ける。
「さよう……ルーピンは満月のたびに遠吠えを楽しんでおった」
「ダンブルドアは狼人間を雇ったんですか?」ハーマイオニーは膝の上で拳を握った。「それは……危険ではありませんか?」
スネイプは低い唸り声をあげた。「ホグワーツにやって来るまでの間、ルーピンが人を殺さなかったのはまさしく奇跡だ」
「この事は誰が知っているんですか?」
「全ての先生方が知っておる」スネイプは軽蔑の意思を隠そうとしなかった。
「先生方はその、気にはしないんですか?」
「ダンブルドア校長は、ルーピンが城に滞在していれば、慈悲深いままでいられるという確信を抱いておいでだ」スネイプは冷笑した。「奴が我輩の魔法薬を飲むならば、だが」
「トリカブト?」ハーマイオニーは畏敬の念を抱いて尋ねた。本には『脱狼薬』というものが最近発見されたと書かれていた。しかし、その薬を調合するのは非常に難しいらしく、調合出来る人間は一握りしか存在しないらしい。
スネイプはゆっくりと頷いた。「さよう。しかしながら、薬があったとしても本人が飲まなければ意味は無い」
「……普通なら、有難がって飲むのでは?」
「ルーピンは決して聖人ではない。奴は大量殺人鬼と仲良く過ごしていた男だ。グレンジャー、君にはルーピンに対して注意を払うよう警告しておこう」
「他の皆には伝えないのですか?」
「校長からの命令で、教師が生徒にルーピンの正体を明かすことは禁止されておる。それに、我輩の授業を受けても、この事に気がつかない愚か者達は、警告すべき人間には値しないであろう」