蛇寮のハーマイオニー   作:強還元水

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第三章 マルフォイ邸

 足元で砂利がきしむ。体がぐらつき、ハーマイオニーはしゃがみ込む。何だか気持ちが悪い。

 

 「大丈夫?」とナルシッサの声が隣から聞こえた。ナルシッサはハーマイオニーの腕を掴み、立ち上がるのを助けた。

 

 「初めてにしてはよく頑張った方よ」

 

 ハーマイオニーは重たい咳をした。まだ、頭が少し揺れている気がする。

 

 「『姿現し』は気分が悪くなる人が多いの。でも、時間と共によくなるわ」ナルシッサはハーマイオニーの背中を軽くさすった。「私たちの家にようこそ」

 

 あたりを見まわすと、砂利の長い馬車道が館に通じているのが分かった。館は宮殿のように見える。2人が歩き出したので、ハーマイオニーは広い庭を見ながら後に続いた。きっちり刈り揃えられた高い生垣に囲まれた庭には、噴水までもある。

 

 3人が近付くと、人影もないのに玄関のドアが突然開いた。明かりを絞った広い玄関ホールは贅沢に飾り付けられ、豪華なカーペットが石の床をほぼ全面にわたって覆っている。壁には幾つかの肖像が掛けられている。すらりとした顔、青白い顔、マルフォイ家の人々なのだろう。シンプルに装飾が彫られた木造の階段は上へ縫うように伸びている。

 

 横を見上げると、ナルシッサが笑みを浮かべてハーマイオニーを見ている。ハーマイオニーは口を開けたままなことに気が付いた。礼儀正しさ、ハーマイオニーは素早く口を閉じる。

 

 「その、素晴らしい……屋敷ですね」

 

 「ありがとう。ヴィリー?」

 

 空気が弾けたかのようなポンという怪し気な音が部屋に響いた。そして、醜い小さな生き物が目の前に現れた。その生物の皮膚は黄褐色で、耳は長く垂れ下がり、緑の目はテニスボールぐらいに大きい。そして小さな薄汚れた布を身に着けている。

 

 「御用でしょうか、奥様?」とその生物は熱っぽく尋ねた。

 

 「ハーマイオニーのトランクを運んで、客室に彼女を案内しなさい」小さな生き物は活発に頷き、耳がパタパタと動いた。「彼女がここに滞在する間、彼女のために働き、彼女が必要とすることをすべてしなさい」

 

 「もちろんです、奥様。ヴィリーは一生懸命働きます!」小さな生き物は細く長い指を鳴らした。すると、ハーマイオニーのトランクは浮かび上がり、勝手に階段を登り始めた。小さな生き物はトランクを追いかけて階段を登り、途中でハーマイオニーに向かって手を振った。ナルシッサは穏やかにハーマイオニーに微笑んだ。

 

 「ルシウスはそろそろ帰ってくると思うわ。またあとでお会いしましょう。ヴィリー、夕食の準備を」

 

 「はい、奥様! もちろんです、奥様!」小さな生き物は階段の上から叫んだ。そして、ハーマイオニーが階段を登って来るのを見ると、満面の笑みを浮かべた。

 

 「来てください、ミス・ハーマイオニー。快適な客室をご用意しています。ミス・ハーマイオニーに喜んでもらうのがヴィリーの願いです!」

 

 ハーマイオニーは何を言えばいいか分からなかった。

 

 ――この生き物はなに? これが、屋敷しもべ妖精?

 

 スリザリンの同級生らは、自分の家に屋敷しもべ妖精という生き物がいることを何度か話していた。この生き物はマグルの世界で言う年季奉公人なのだろうか。

 

 「ヴィリー、って呼んで良いかしら?」会話の取っ掛かりとしてハーマイオニーはそう尋ねた。

 

 屋敷しもべ妖精はその場で何度も回ってから、ハーマイオニーの顔を見上げた。

 

 「はい、はい! ミス・ハーマイオニーはヴィリーの名前を覚えてくださいました! ヴィリーは感激です!」ヴィリーは笑みを浮かべていた。そしてヴィリーは、ハーマイオニーの顔を見たまま、後ろ足で進みだした。トランクがヴィリーの後ろで不気味に浮かんでいる。

 

 「お坊ちゃまは、ミス・ハーマイオニーのことをたくさん話していました。ヴィリーはそれを聞いて、ミス・ハーマイオニーは素晴らしい方だと思っていたのです」

 

 「ドラコが貴方に私のことを話したの?」ハーマイオニーは微笑んだ。

 

 ヴィリーは突然立ち止まった。微笑は恐怖の表情にゆっくりと移り変わった。そしてただでさえ大きい目がギョロッと開いた。ヴィリーは柱へと駆け寄ると、頭をぶつけ始めた。「ヴィリーの馬鹿! ヴィリーの馬鹿!」

 

「やめて、ねぇ、やめて!」ハーマイオニーは叫び、ヴィリーを引き上げた。「やめて!」

 

 「ヴィリーは悪い子です! ヴィリーは悪い子です!」ヴィリーはハーマイオニーの腕から逃れようと暴れ回る。

 

 「ミセス・マルフォイは私の言う事を聞くように言ったでしょう? 暴れ回るのをやめてちょうだい」

 

 ヴィリーは急に静かになった。そして、かわいそうな子犬のようにハーマイオニーの手をペチペチと叩いた。

 

 「一体、どうしちゃったの?」

 

 「ヴィリーは悪い子……です」ヴィリーは項垂れていた。

 

 「確かにそうかもね。でも、どうして頭を柱にぶつけたりしたの?」

 

 「ヴィリーは自分を罰しなければならないんです」

 

 「何のために?」

 

 「ヴィリーは勝手にお坊ちゃまの話をしようとしたのです……。ヴィリーは悪い子です!」ヴィリーの目は涙が溢れ出そうなほどウルウルと揺れている。

 

 「あなたは悪い子じゃないわ。自分を罰する必要なんてまったく無いわ」

 

 ヴィリーは鼻を鳴らした。「ミス・ハーマイオニーはお優しい方です」

 

 「そうだ、お部屋を早く見たいわ」ハーマイオニーはヴィリーを床に降ろした。うるんだ大きな瞳にじっと見つめられていると落ち着かなかった。

 

 ヴィリーはすぐに元気になった。ヴィリーが仕事を至福だと思っているように、ハーマイオニーには見えた。

 

 「ヴィリーが案内します! ヴィリーはミス・ハーマイオニーにお部屋をお見せします!」

 

 ヴィリーは床で何度か跳ねると、ハーマイオニーのトランクを運びながら、大急ぎで階段を駆け上った。

 

 案内された部屋は、贅沢と言う言葉がピッタリの部屋だった。四柱式のベッドが部屋の中心に置かれ、ダークグリーンのビロードのカーテンと豪華な枕が備え付けられている。大きなフランス式の窓からは、広い庭を見渡すことが出来るバルコニーに出ることが出来た。手入れのされた暖炉は、灰色の石と、表面に複雑な紋章が刻まれた暗い木で出来ていた。

 

 「すごい……」とハーマイオニーは囁いた。自然と畏敬の念を抱いていた。

 

 「ミス・ハーマイオニーは喜んでいますか?」ヴィリーは目を輝かせて甲高い声を出した。

 

 ハーマイオニーは静かに微笑んだ。

 

 「ミス・ハーマイオニーは、とっても喜んでいるわ」

 

 

 ヴィリーは、ルシウスが帰ってきたことと、夕食の準備がそろそろできることを伝えるために、再びハーマイオニーの部屋を訪れた。ハーマイオニーはドラコの手紙に書かれていた『きちんとした服』について考えていた。

 

 一体どんな服が純血の魔法族にとってふさわしい恰好なのか分からないのだ。恐らく、ドレスであろうことは分かるのだが、魔法族にとってふさわしいドレスとは、マグルの世界で1世紀も前に流行ったドレスのことなのだろう。

 

 結局、ハーマイオニーは簡素な、青いドレスを着ることを決めた。ルシウスの好みの服がどんなものか今ここで考えてもどうしようもないのだ。それならば、自分の好きな、シンプルで、控えめな服を着るのが一番良い。

 

 ハーマイオニーはドレスに着替えると、自分の黒い髪を撫でた。髪型に関しては何も考えていなかった。ナルシッサの髪型を考えれば、纏めるほうが良いのだろうが、自分の力だけではナルシッサのようなエレガントなヘアスタイルに出来ない。

 

 ハーマイオニーはため息をつくと、髪を軽く纏めて、肩に滝のように緩く流した。それは夏の間に何度かハーマイオニーが試していた髪型だった。

 

 鏡を覗き込んでから1分後、ハーマイオニーはブラシを手に取り、髪を梳きだした。しかし、途中で馬鹿らしくなって、ブラシを置いた。ルシウスが純血主義に基づいてハーマイオニーを見定めるのだとすれば、どんなドレスでも、どんな髪型でも、出される結論は変わらないだろう。

 

 部屋から出たハーマイオニーは1階に降りるために階段に向かった。階段を降りていると、1階で待つドラコの姿が目に入った。ドラコはうろうろと歩き回り、落ち着かない様子で手を握りしめている。ハーマイオニーが軽い咳払いをして、ようやくドラコは気が付いた。

 

 「ああ、やぁ……」ドラコは小さな声で呟き、自分の髪をそっと撫でた。

 

 「このドレス、どう思う?」

 

 ドラコはハーマイオニーの顔を直視した。「えー、ドレス?」

 

 「手紙に書いてたじゃない。きちんとした服を着て来いって」

 

 「ああ、そうだったな」ドラコは軽く咳払いすると、自分のネクタイを締め直した。

 

 「もしかして、両親と夕食を摂るのが不安なの?」ドラコはあまりにも奇妙だった。

 

 「え?」ドラコの頬はゆっくりとピンク色に染まった。「あっ、いや……その、ちょっとした疑問があって」

 

 「どんなこと?」

 

 ドラコはチラッとハーマイオニーを見て、それから躊躇いがちに言った。「もしも……もしもポッターがファイアボルトを手に入れたらどうなる?」

 

 ハーマイオニーは眉をひそめる「ファイアボルト?」

 

 「ああ。奴はニンバス2000でもかなり活躍をしている。それなのに、箒がファイアボルトになったらどうなる?」

 

 「なに、そんなことを考えていたの?」ハーマイオニーは馬鹿らしくなって口元を歪めた。「ポッターが自分よりも悪い箒に乗っていたときでさえ勝てなかったんだから、結果は目に見えてるんじゃない?」

 

 ドラコは顔を赤くし、顎を上げてハーマイオニーを睨んだ。「黙れ、グレンジャー。今年ポッターは、当然の報いを受けることになるんだ」

 

 ナルシッサの声が屋敷の中に響いた。「ドラコ! ハーマイオニー!」

 

 ハーマイオニーは階段を降りると、ドラコの後に従って左の廊下を進み、大きな食堂に入った。装飾を凝らした長テーブルが部屋の中央に置かれている。テーブルは少なくとも20人が座れると思われた。

 

 ヴィリーがテーブルに設置された椅子を引いた。そこには銀製の食器が陳列され、湯気を立てる大皿が綺麗に並べられている。

 

 入り口から最も遠い席に男性が座っていた。長い、ブロンドの髪に、厚いローブ。彼がルシウス・マルフォイだろう。ナルシッサが手招きしたため、ハーマイオニは前に進んだ。ルシウスはヘビの装飾が付いたステッキに右手を置き、左手で琥珀色の液体が入ったカップを口元に運んでいる。ルシウスは用心深く、疑いを持った表情でハーマイオニーを見ていた。

 

 

 「ハーマイオニー、こちらが夫のルシウスよ」とナルシッサは柔らかい声で紹介した。「ルシウス、こちらがドラコの友人のハーマイオニーよ」

 

 「ミスター・マルフォイ、お会いできて光栄です」ハーマイオニーは緊張のあまり、無意識に手を差し出した。

 

 ルシウスは眉を吊り上げたが、ナルシッサを素早く一瞥すると、カップを皿に降ろして、ハーマイオニーの手を握り返した。

 

 「ハーマイオニー」とルシウスは冷たい声で呟く。「ドラコは君に関して数多くの話をしていた。しかし、私は一部の話に疑いを持っていてねぇ」

 

 ハーマイオニーは歪みそうになる表情を抑え込みながら聞いた。「ドラコはどんな話をしたんですか?」

 

 「ポッターとの決闘の時に、君がヘビを出したと話していた」

 

 ハーマイオニーはソワソワと揺れる足をすぐに静めた。「ええ、私はヘビを出しました。しかし、スネイプ先生がそうするように命じたんです。呪文を事前に教えて」

 

 ルシウスは楽しそうに鼻歌を歌って、カップに手を伸ばした。「ポリジュース薬は?」

 

 「あー、確かに作りましたが、ドラコの手助けもあって……」

 

 「自分がスリザリン生だと確信しているかね?」とルシウスは突然尋ねた。

 

 「はい。私は確かにスリザリン生です」

 

 「それならば、なぜ、様々な功績をひた隠しにするのだ? 君が全ての功績を公表していれば、昨年はグリフィンドールではなく、スリザリンが寮対抗杯を獲得していたかもしれない」ルシウスは不満そうな表情を浮かべる。

 

 「私は、その……つまり」

 

 「彼女は余計な圧力がかかるのが嫌だったんだ」ドラコが遮った。「ハーマイオニーは、ダンブルドアがとち狂って自分を退学にするんじゃないか心配していた」

 

 「老いぼれは、歴代の校長の中で最も愚かな校長になるだろう」とルシウスは神妙な顔つきで頷いた。

 

 「ポリジュース薬の材料を簡単に手に入れることが出来たとドラコが話していたが、それは事実か?」

 

 「はい」

 

 ルシウスはハーマイオニーをじっと見つめ続けた。

 

 「——言うまでもないだろうが、2年生の女子生徒がポリジュース薬を調合した話を信じる者は普通いない」

 

 ルシウスはそっと目を閉じた。「しかし、セブルスもその話をしたとなると話は別だ。君はセブルスが感づいていたことを知っていたかね?」

 

 ハーマイオニーは短く息を吸い込んだ。「スネイプ先生が? いいえ、知りませんでした」

 

 「あの男は病的なまでに魔法薬に憑りつかれている。魔法薬の材料は彼の財産だ。間違いなく、すべて把握している。何を調合するか誤魔化すために、使わない材料も取ったとしても、彼は何を調合するか見当をつけてしまうだろう。君もそう思わないかね?」

 

 「それは、確かに……言われてみれば」ハーマイオニーはぶつぶつと呟いた。

 

 ――スネイプ先生はどうして私を止めなかったのかしら。破った規則は何十にも及んでいたのに。

 

 「セブルスは楽しんでいるようだった。二度目は無いと思うがね」

 

 「食事の用意が出来たわ。さあ、食べましょう」

 

 夕食は、パン粉をまぶされた鶏に、白米と野菜だった。ハーマイオニーは子牛のステーキのような、豪華な食事を予想していたため、少し質素な食事に思えた。しかし、どの食べ物も非常においしく、ハーマイオニーは全く不満ではなかった。

 

 ルシウスが軽く談話していた。今日あった会議で、ノット家やグリーングラス家、魔法大臣らと会ったらしい。それからルシウスは、ホーレスという人物に手紙を出したらしく、ドラコと会ってもらえるかもしれないと話していた。ドラコは何度かクィディッチの話題を出し、ファイアボルトの名前を何回も出したが、2人は全く反応していなかった。

 

 「ハーマイオニー、どうしてそんなに静かなの?」ナルシッサが尋ねた。

 

 「私、あまり邪魔をしたくなくて」ハーマイオニーは礼儀正しく答えたが、本当はボロを出したくないからだった。

 

 「邪魔だなんてとんでもない。貴方のことをもっと話してちょうだい」ナルシッサはワインを一口飲んだ。

 

 「そうだ、ロックハートを殺したというのは本当なのか?」流ちょうな口調でルシウスが尋ねる。

 

 ハーマイオニーは咳き込み、米をのどに詰まらせた。

 

 「ルシウス!」ナルシッサが悲鳴に近い声で叫んだ。

 

 『グレンジャー』

 

 「本当かどうか確かめたかっただけだ」ルシウスは肩をすくめてカップに手を伸ばした。

 

 ハーマイオニーは咳をすると、ゆっくりと呼吸を整えた。そして僅かに滲んだ涙をナフキンで拭った。隣に座るドラコが手を伸ばして、ハーマイオニーの手を握る。ハーマイオニーは手をひっくり返してギュッと握り返した。

 

 「ホグワーツでの暮らしで、ハーマイオニーは何が楽しい?」とナルシッサが素早く尋ねた。

 

 「そうですね、授業が楽しいです」ハーマイオニーはゆっくりと答えた。「一部の人は授業が退屈だと言いますが、私は魔法を学ぶことが楽しくて、退屈だとは全く思えないんです」

 

 ナルシッサは微笑む。「貴女の大好きな授業は?」

 

 「1つに絞るのは難しいです。魔法薬学も楽しいですが、呪文学も面白いですし。それから闇の魔術に対する防衛術も。まぁ、この授業に関しては、先生がその……優れた方であったことはありませんが」ハーマイオニーはゆっくりと喋るペースを落とした。

 

 ルシウスが静かに呟いた。「その通りだ。ダンブルドアには教師を見る目が無い。この数十年間、闇の魔術に対する防衛術の教師は誰一人としてまともではなかった。ダンブルドアが正当な教師を学校に入れるのを怖れているからだ」

 

 「ルシウス」ナルシッサが小さな声でたしなめる。「この話は前もしたでしょ」

 

 「言ってみただけだ」ルシウスは空中に手を広げると言った。「私たちの子供が本当に闇の魔術から身を守るためには、それ相応の教師でなくてはならない」

 

 「ルシウス、もう十分よ」ナルシッサはルシウスを睨んだ。

 

 「闇の魔術に対抗するための方法を、教科書と睨めっこするだけで学べると思うか?」

 

 ルシウスはドラコに顔を向ける。「ドラコ、昨年は、防衛術で何を学んだんだ?」

 

 「えー、魔法生物のこと?」

 

 「ほらね、ナルシッサ。情報を教えるだけなんだ。何について教わった? 狼男? グール?」

 

 「ピクシー妖精」ドラコは顔をしかめた。

 

 「ピクシー?」ルシウスは咳き込んだ。「ナルシッサ、ピクシーだ。学校は、私達の息子にピクシー妖精をやっつける方法を教えている」

 

 「まだ2年生なのよ?」

 

 「だが、危険は年齢を考慮したりはしない。実際、去年、生徒たちが襲われた。年よりで朦朧とした校長が何も教えないと言うならば、私が息子に身を守る方法を教える」ルシウスはカップの液体を飲み干した。

 

 ナルシッサは黙ってルシウスを睨みつけている。

 

 ルシウスはしばらくドラコを見続けると、立ち上がった。「ドラコ、ついてきなさい」

 

 ドラコは躊躇していた。父親を不安そうに見てから、ハーマイオニーに視線を移し、それからナルシッサの顔を見た。

 

 「ハーマイオニー、君もついてきなさい」とルシウスが言った。「自分の身を自分で守りたいと思うならね」

 

 ドラコはハーマイオニーが肩をすくめるのを見て立ち上がった。

 

 「ルシウス、貴方何をする気なの?」ナルシッサが噛みつくように尋ねる。

 

 「息子に知っておくべきことを教えるだけだ」ルシウスは扉の方へ歩き出した。

 

 ハーマイオニーとドラコはその後を追うために立ち上がる。ドラコは繋いだ手を離さなかった。

 

 「何が起きてるの?」

 

 「父上は、時々妙なことを考え付くんだが、母上はそれが嫌いなんだ」

 

 「彼らはまだ子供よ! 教えるには早すぎるわ!」

 

 ハーマイオニーは少し興味を抱き始めていた。「もしかして新しい呪文でも教えてくれるのかしら?」

 

 ドラコはうなずく。「多分、そうだと思う」

 

 「ドラコはたった一人の息子で、マルフォイ家の後継者だ。私はドラコが単純な魔法しか知らない魔法使いに育ってほしくない!」ルシウスは怒鳴り、扉を大きく開けた。「ドラコはいずれにしろ学ぶことになるのだ。それが今であっても、問題はないだろ?」

 

 「まだ13よ」

 

 「ほとんど一人前の男だ」ルシウスは手を振ってハーマイオニーたちを呼ぶと、そのまま屋敷の外へ出た。オレンジ色の光が遠くの空を照らし、辺りはまだ暖かかった。

 

 後からやって来たナルシッサがため息をついてルシウスに言った。「死の呪文は駄目よ」

 

 ハーマイオニーは耳を疑った。死の呪文?

 

 ルシウスが唸るとナルシッサは怒鳴りつけた。「死の呪文は駄目よ!」

 

 「分かった!」ルシウスは砂利の道をズカズカと歩き出した。そしてしばらく歩いたところで振り返り、「ついて来い」と手を振った。ハーマイオニーが後ろを振り返ると、ナルシッサの姿は既になかった。ハーマイオニーはドラコと一緒にルシウスの後を追って庭へと進んだ。

 

ルシウスはそれから、垣根、花壇、噴水を通り越し、敷地の外れにある小屋のような場所へ向かった。

 

 ハーマイオニーは手が汗ばんできたことに気が付いた。長い間、手をつないでいたため、蒸れたのだろう。

 

 「もう大丈夫よ」とハーマイオニーは静かに言った。

 

 「なに?」

 

 ハーマイオニーは繋がれた右手を上げた。「もう手をつなぐ必要はないわ。元気だから」

 

 「ああ」ドラコは赤面し、すぐに手を離した。「僕もちょうど——そう考えていたんだ」

 

 「ありがとう」

 

 ドラコは静かに頷くだけだった。

 

 1年前、ハーマイオニーは誰かが自分に親切な態度を示してくれるとはこれっぽっちも思っていなかった。ハーマイオニーは自分の幸運を噛み締めた。

 

 ルシウスは煙突から煙が出ている古い小屋の前に立つと、ステッキで扉を叩いた。扉はすぐに開き、薄汚い男が顔を覗かせた。「何でしょうか、旦那様?」

 

 「これはマグルだ」ルシウスは顎で男を示すと、ステッキの持ち手を引っこ抜いた。それは杖だった。

 

 マグルの男は表情を凍りつかせる。ハーマイオニーは素早く手を挙げた。

 

 「インペリオ!」呪文を唱えたルシウスは、ハーマイオニーが手を挙げていることに気がつき、杖を下げた。「何だ?」

 

 「どうして此処にマグルの男が住んでいるのですか?」ハーマイオニーは好奇心に駆られて尋ねた。

 

 ルシウスは鼻を鳴らす。「私は妻をマグルの市場に行かせたりはしない。それは彼女を汚す行為だからだ。そのため、この男、マージーを屋敷に住まわせて、市場に行かせたり、作物を作らせたりしている」

 

 「ヴィリーを市場に行かせたりはしないのですか?」

 

 「君はマグルが屋敷しもべ妖精にまともな接客をすると思うのかね? 奴らは屋敷しもべ妖精を袋叩きにして、恐らく燃やすだろう」

 

 「魔法界の市場にはどうして行かないのですか?」

 

 「魔法使いは土をいじるのが好きじゃない」ルシウスは苦々しげに頭を振る。「それに加え、マグルが魔法界の農地にまで侵食したため、今では伝統的な方法で作った作物を販売している魔法界の市場は存在せん」

 

 ルシウスはしばらくハーマイオニーを見つめ、次の質問を待っているようだった。しかし、ハーマイオニーが口を開かないのを見ると、話し始めた。

 

 「インペリオ、『服従の呪文』は対象を意のままに操ることができる。例えば——マージー、ジャンプしろ」男は飛び上がった。「座れ」男は地面に尻をついて座りこんだ。「鳴き声はどうした?」男は犬のように怒鳴り声をあげる。

 

 「わかったか? 猟犬を訓練するよりもずっと簡単だ」

 

 ハーマイオニーは眉をひそめた。「対象は命じたことを何でも聞くんですか?」

 

 「呪文を唱えた者の言葉なら」

 

 「その人の意思とは無関係に命令に従うんですよね?」

 

 「ああ」

 

 「でも、その呪文は……違法ではありませんか?」

 

 ルシウスはハーマイオニーの元へ近づくと、身を屈めて目線を合わせた。

 

 「女子生徒を殺すことも違法とされている。しかし、人はそれを守ろうとしない。君も実際に体験したんじゃないのかね?」

 

 ハーマイオニーは視線を逸らした。ルシウスは鼻を鳴らすと少し離れた場所へ歩いた。

 

 『グレンジャー……』

 

 「危機から自分の身を守るためには、時に法律の壁を破らなくてはならない。この魔法は命の危機に晒された時にのみ使え。ドラコ、決してグリフィンドールの生徒に使うのではないぞ」

 

 「でも、奴らだって攻撃してくる」とドラコが不満をこぼした。

 

 ルシウスはステッキの端で、ドラコの胸を突いた。「ウィーズリー家の馬鹿やハリー・ポッターとの揉め事如きで、この魔法を使ってはならない!」

 

 ルシウスはドラコの髪をつかんで、自分の元に軽く引き寄せ、冷酷な目で見つめた。「良いか?致命的だと思える状況においてのみ、自衛の手段として使うのだ」

 

 ドラコは黙って頷く。

 

 「もしもお前がインペリオを誰か、例えば女子生徒の前で得意げに使っている話を聞いたならば……いや、その時には私は何もすることが出来なくなっているだろう。私がお前の皮を生きたまま剥がそうとしても、お前はアズカバンに収容されてしまっているのだから」

 

 「僕はそんなことは――」

 

 「しないと願っている。息子がそんな馬鹿をするとは考えたくないのでね」ルシウスはドラコの背中を押した。「よし、呪文を唱えてマージーを支配下におけ」

 

 ハーマイオニーは素早く手を挙げた。倫理がジレンマを引き起こしていたからだ。

 

 「今度は何だ、ハーマイオニー?」

 

 「彼にはこの行為に対する正当な報酬が払われていますか?」

 

 「正当な報酬?」ルシウスは手をポケットに突っ込んで、金色のコインを引き抜き、それをあばら屋に投げ込んだ。「ああ、もちろん」

 

 ハーマイオニーは、ダンブルドアがこの行為を『誤り』か、『大部分の人々が間違っていると考えるもの』のどちらとして考慮するかなと疑問を抱いた。しかし、すぐに『自分自身は自分で決めろ』という言葉を思い出した。

 

 ハーマイオニーは考えた。自分の命を守れるならば……正常な生活を取り戻すことが出来るならば……

 

 『グレンジャー……』

 

 ハーマイオニーはマージーに杖を向けた。

 

 「インペリオ!」

 

 

 ハーマイオニーは身体の奥底に力を感じていた。莫大なエネルギーが身体を走っているのを実感していた。身体のどこかで、新しい何かが解放されていた。

 

 その晩、ハーマイオニーは深い眠りについた。悪夢を見ることは一切なかった。汗でびしょ濡れになって、飛び起きるなんてことはなかった。暗闇でロックハートに悩まされることは、もうなかった。

 

 

 




マルフォイ家がハーマイオニーを買っている理由は少しずつ出していきます。

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