蛇寮のハーマイオニー   作:強還元水

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第二十二章 道徳は世界を救わない

 ハーマイオニーは戸口の横に像のようにして立った。

 

 「ジニー!」

 

 茶色のセーターを着た小太りの赤毛の女性が、2人の子供達を抱きしめるために、大きく手を広げて駆け寄ってきた。そして赤毛の男性もすぐ後に続いた。

 

 ウィーズリー親子を通り越した向こう側に、ダンブルドアとマクゴナガルとスネイプが並んで立っている。ハーマイオニーはスネイプが近づいてくるのをぼーっと見ていた。スネイプは凄まじい目でハーマイオニーを見ている。

 

 ハーマイオニーは何かを言おうとした。しかし、何も言えなかった。

 

 ――スネイプに何を話せばいいのだ? 先生を殺したことを? ジニーを殺そうとしたことを? ポッターとウィーズリーを見殺しにしてでも、ヴォルデモートに付いて行こうとしたことを?

 

 スネイプはハーマイオニーの汚れたローブの端を掴んだ。そして、血と嘔吐物と泥だらけの学生服をじっと見下ろした。

 

 「不潔だ」とスネイプは吐き捨てた。

 

 スネイプは手でハーマイオニーの髪を掬い上げた。乾いた血、それから新しい血が頭皮にビッシリとくっ付いている。スネイプがあちこちに頭を動かすと、血の塊が降り落ちた。スネイプはハーマイオニーの髪を軽く引っ張り、傷を見つけようとしていた。頭を調べ終わると、血が付いているあらゆる部分を調べ始め、ハーマイオニーが軍医のことをボンヤリと考えている間に、足元まで調べていた。

 

 足を調べ終わったスネイプの顔には明らかに安心の感情が浮かび上がっていた。スネイプはハーマイオニーをじっと見つめた末に、突然髪の毛を軽く掴んだ。

 

 ハーマイオニーはスネイプの顔を見て、彼が自分を叩こうとしていたことに気がついた。

 

 「医務室へ、すぐに」スネイプは黒い目に怒りを含みながら命令した。

 

 「すみませんが、セブルス」マクゴナガルが遮った。「我々全員、一体何があったのか知る必要があります」

 

 「その通りです」と赤毛の女性が言った。

 

 すべての目は自然にポッターの元へ集まった。もちろん、ハーマイオニーも説明を考えていた。しかし、自分で事末を語りたくはなかった。

 

 ポッターは少し躊躇していたが、机まで歩いて行き、「組み分け帽子」とルビーのちりばめられた剣、それにリドルの日記の残骸をその上に置くと、ゆっくりと語り始めた。

 

 ハーマイオニーはスネイプが自分の側から動かない事に気がついた。スリザリンは、家族。グリフィンドール生がスリザリン生を攻撃するならば、それは全体への攻撃を意味し、スリザリンは団結する。スネイプは1年生の時に話していたことを自ら体現しているのだろうか。

 

 ポッターは一部始終を語っていた。自分にしか聞こえない声。ディーンの予感。クモ、本のページ、パイプと女子トイレ。ロックハートと秘密の部屋へ行ったこと。

 

 ポッターはフォークスの救援まで話した。そして帽子から剣を取り出し、バジリスクと戦って勝ったこと。トムのこと。トムの日記のこと。しかしポッターは、ジニーに関することを躊躇した末にほとんど飛ばした。そしてポッターはダンブルドアを見た。

 

 ――ジニーのこと、ロックハートが殺されたことは話さないの?

 

 「わしが興味あるのは」ダンブルドアは初めて口を開いた。

 

 「ヴォルデモート卿がどうやってジニーに魔法をかけたかということじゃな。個人的な情報によれば、ヴォルデモートは、現在アルバニアの森に隠れているらしいが」

 

 赤毛の男性は焦った声を出し喚いている。

 

 「この日記のせいだったんです。リドルは16歳のときに、これを書きました」ポッターは急いでそう言うと、日記をダンブルドアに見せた。

 

 ダンブルドアは日記を手に取り、熱心に眺め回した。

 

 「見事じゃ。たしかに、彼はホグワーツ始まって以来、最高の秀才だったと言えるじゃろう。ヴォルデモート卿が、かつてトム・リドルと呼ばれていたことを知る者はほとんどおらん」

 

 「でも、うちのジニーが、その、その人と何の関係が?」

 

 「その人の、に、日記なの! あたし、いつもその日記に、書いてたの」

 

 ウィーズリー氏は切羽詰まった様子で闇の魔術に関する注意を長々と喋り始めた。しかし、それはジニーをすすり泣かせるだけだった。

 

 「ミス・ウィーズリーはすぐに医務室に行きなさい」ダンブルドアがきっぱりとした口調で話を中断した。

 

 「苛酷な試練じゃっただろう。処罰はなし。もっと年上の、もっと賢い魔法使いでさえ、ヴォルデモート卿に誑かされてきたのじゃ」

 

 ハーマイオニーはチラッとダンブルドアが自分に目線をやったのを見て、鼓動が早まった。

 

 ――ダンブルドアは知っている?

 

 「ミネルバ、これは一つ、盛大な祝宴を催す価値があると思うんじゃが、キッチンにそのことを知らせに行ってはくれまいか?」

 

 「分かりました。では、ポッターとウィーズリー、それからグレンジャーの処置は先生にお任せしてよろしいですね?」

 

 「もちろんじゃ」

 

 マクゴナガルは部屋を出て行った。

 

 「わしは君に何か頼んだほうがいいのかね、セブルス」

 

 ハーマイオニーは隣に立つスネイプを見上げた。

 

 「我輩は豪華な食事を頼むのに1人で十分だと考えますが」

 

 「セブルス。わしはここに君がいない方が、もっと上手く話を進められるように思うのじゃ」

 

 「グレンジャーは頭部と足に外傷を負っています。彼女を放っておくのは、スリザリンの寮監として怠慢でしょう」

 

 ダンブルドアは微笑む。「セブルス、君の学生の心配は必要ない。グレンジャーを無事に送り返すことを約束しよう」

 

 スネイプは躊躇していた。「我輩は、彼女が、まともに考えて行動していたとは、思えんのです。何か働きかけられていたとしか」

 

 「セブルス、先ほども言ったように、罰はない。グレンジャーは今夜、無事に寮に戻れる」

 

 ダンブルドアの穏やかな微笑は、ハーマイオニーを暖かく満たしはしなかった。スネイプはダンブルドアに背を向けたが、その目は鋭かった。

 

 ドアが閉じるとダンブルドアは3つの椅子を目の前に出し、全員に座るように指示した。ハーマイオニーは重い足取りで歩いた。目は虚ろだった。

 

 質問はすぐに始まった。

 

 ダンブルドアは椅子の後ろに大きく背中を預ける。

 

 「わしの記憶では、君たちがこれ以上校則を破ったら、2人を退校処分にせざるをえないと言いましたな」

 

 「でも、先生は罰しないと」ロナルドは震える声で呟いた。

 

 「その通りじゃ。だから前の発言は撤回じゃ。3人とも『ホグワーツ特別功労賞』が授与される。それに、ウム、1人につき200点ずつグリフィンドールに与えよう」ロナルドはそれを聞いても黙り込んでいた。「もちろん、スリザリンにもじゃ」

 

 ロナルドは今度こそ喜べたようで、顔をピンク色に染めた。

 

 「しかし、1人だけ、この危険な冒険で帰ってこれなかった者がおるようじゃ。尋ねてもよろしいかな、ロックハート先生はどうしたのじゃ?」

 

 『グレンジャー……』

 

 ハーマイオニーは再び心臓が飛び出そうになった。ハーマイオニーは目を床に釘付けにし、意志の力で身体に震えが走るのを止めた。

 

 長い沈黙の末、ポッターが率直に言った。「彼は死にました」

 

 ダンブルドアは深くため息をつく。「どのようにして、それは起こったのじゃ?」

 

’「あの、あいつは、僕たちを攻撃したんです」とロナルドが切り出した。「魔法でハリーを吹き飛ばして。それで、僕、武装解除しようと思って、魔法を唱えたら……」

 

 ハーマイオニーはぼんやりと考えた。ロナルドの杖が折れていないまともな杖で、彼がまともな魔法使いだったら、こんな事にはならなかったのだろうか、と。

 

 「魔法が逆噴射して、それで、壁に吹き飛ばされて気絶しちゃったんです。その前にグレンジャーとロックハートが身構えているのがチラッと見えたけど。で、目が覚めたら爆発があって、たくさんの岩が落ちてきて、ハリーとグレンジャーの間に岩の壁が出来ちゃったんです」

 

 次に切り出したのはポッターだった。

 

 「僕は突然ロックハートに魔法をかけられて、吹き飛ばされたんです。気絶はほんの少ししかしていなかったと思うけど、メガネを見つけるのにしばらく時間がかかって。それで、暗闇の中、ロックハートとグレンジャーが口論しているのを聞いてました。ロックハートはグレンジャーを継承者に仕立てあげようとしていて……それで……」

 

 ハーマイオニーは全員が自分を見ていることに気がついていた。彼らはハーマイオニーの言葉を待っている。

 

 「……彼は私を殺すつもりでした」ハーマイオニーは顔を上げずに囁いた。

 

 部屋は沈黙に包まれる。

 

 「わしは彼が生徒を傷つけようとするとは思っていなかった」ダンブルドアが重く呟いた。「わしはギルデロイを見誤っていた。ミス・グレンジャー、わしは君に謝っても謝りきれない。本当に申し訳のないことをした」

 

 ――その通りよ。

 

 「ギルデロイは洞窟で岩に押しつぶされた、ということじゃな?」

 

 しばらくしてポッターが「はい、先生」と述べた。

 

 「よく分かった。ミスター・ウィーズリー、君は一刻も早く妹に会いに行きたいじゃろう。医務室へ急ぎなさい」ロナルドは言葉もなく立ち上がって、駆け足気味に部屋を出て行った。

 

 「ミスター・ポッター、君が良ければじゃが、個別に話す機会を設けたい。ミスター・ウィーズリーの後を追って、ご馳走を食べた後、わしのオフィスに来たまえ。話したいことがたくさんあるじゃろう」

 ポッターは小さくお礼をすると、部屋を出て行った。

 

 ――残されたのは私1人だけ。

 

 「さて、ミス・グレンジャー。良くやってくれた。君は大きな勇気を示してくれた」

 そうは思えなかった。ハーマイオニーはダンブルドアのきらめく目を見上げた。

 

 「重大で危険な状況下で君はよく成し遂げてくれた。大きな功績じゃ」

 

 「先生は私のことを見誤ってます」ハーマイオニーは呟いた。「私は秘密の部屋へ入る気はありませんでした」

 

 「それにもかかわらず」ダンブルドアは微笑む。「君は成長した年上の魔法使いから自身と仲間の学生を救ったのじゃ」

 

 「決して成功したわけではありません」ハーマイオニーは自虐的な笑みを浮かべる。「私は運が良かっただけでした」

 

 ダンブルドアの笑みは広がった。

 

 「君がそう言ってくれて安心した。わしはトム・リドルが君に何か影響を与えたのではないかと心配しておったのじゃ」

 

 「トム・リドル?」ハーマイオニーは眠っていた神経がゆっくり起き上がる気配を感じた。

 

 「彼と話したかね?」

 

 ハーマイオニーは5秒後に頷いた。

 

 「彼は何を言っておった?」

 

 「彼はポッターがどのようにして生き残ったか知りたがっていました」

 

 「彼なら間違いなくそれを聞くじゃろう。しかし、わしが今聞きたいのは別のことじゃ」ダンブルドアは身を屈めてメガネの上からハーマイオニーを凝視した。「彼は君に何を話した?」

 

 「彼は、自分が私と似ていると言っていました」

 

 ダンブルドアは首を傾げた。

 

 「他の人とは異なっていると……。つまり、私は魔法界で異質な存在であると」

 

 「トムは人の心に入る方法を持っておる」

 

 「でも、彼は正しかった、私は魔女のハズなのに……仲間ではない。ここでは私は穢れた血です」

 

 「ハーマイオニー、その言葉は口にするでない」

 

 「どうしてです? ただの言葉に過ぎません。問題なのは、マグル生まれが悪いものだと思われていることです」

 

 「差別的で、軽蔑的な言葉だからじゃ。わしは学校でその言葉を耳にしたくない」

 

 「なら、いつか廊下を歩いてみてください。至る所で耳にすることが出来ますよ」

 

 ダンブルドアはため息をついた。「子供たちは時に残酷なことが出来てしまう。しかし、君が先生に相談すれば、我々が問題に対処することがいくらか可能だったはずじゃ」

 

 ハーマイオニーは頭を振る。「自分の問題は自分で対処できます」

 

 「わしを信用出来んかね? それとも先生を?」

 

 「あなたは私を信用しませんでした」

 

 「うん?」

 

 「私はポッターが継承者であるとあなたに話しました」

 

 「わしは継承者がヴォルデモートである可能性を考慮しておったのじゃ」

 

 「しかし、その事を私は知りませんでした。そしてポッターは、バジリスクの声を聞いていました」

 

 「それは彼を追い出さなければならない理由にならん」

 

 「そうではなく……彼を尋問して声のことを聞けていれば、校長先生は怪物がバジリスクだと気がつけていたでしょうし……事態は急速に解決していました」

 

 ダンブルドアは静かに頭を振った。

 

 「わしらは過去を振り返って、何をすることが出来たか、しなければならなかったか、語ることができる。しかし、それは何も変えることが出来ん。わしらは学生が誰も命を落とさなかったことに感謝すべきなのじゃ。マンドレイクは準備ができておる。石にされた生徒は皆、元気な姿に戻る。そして学校から脅威は去った」

 

 ハーマイオニーは静かに座っていた。早くこの場から立ち去りたかった。ベッドに潜り込んで、ずっと眠りたかった。しかし、ハーマイオニーは暗闇で何が待っているか分かっていた。

 

 『グレンジャー……』

 

 『君はとても美しい女性だ』

 

 「何か、君を悩ませているものがあるのかね、ハーマイオニー」

 

 ハーマイオニーは素早く瞬きした。「トム・リドルは私が最高の魔女に成り得ると言いました。彼が私に教えるなら」

 

 ダンブルドアの眉が逆立った。「彼は君を訓練すると申し出たのかね? 彼は君がマグル生まれであると知らなかったのかね?」

 

 「知っていました。でも、彼は私達は似ていると話していて、私がマグル生まれでないと考えていたようです。そして、私も……そう思い始めていました」

 

 「その考えは非常に危険じゃ」

 

 「分かっています。私は自分が何なのかしっかり理解できています」

 

 「良かった」ダンブルドアの目は輝いた。「トムの話を聞いて、君は何か考えるものはあったかね?」

 

 「私はサッカーのことを考えていました」ハーマイオニーはあえて話を逸らした。

 

 ダンブルドアは再び頭を傾けた。

 

 「サッカー。私がポッターに日記を蹴ったとき」

 

 ダンブルドアは静かにクスクス笑った。

 

 「何か……わしに聞いておきたいことはあるかね?」

 

 ハーマイオニーは僅かに身じろいだ。「なぜ組み分け帽子は私を……スリザリンは多くの闇の魔法使いを輩出すると言われています」

 

 「他の寮出身の者もおる」

 

 「しかし、スリザリンは特にそうです。そして私は、スリザリンに分類されました」

 

 「スリザリンが君を闇に近づけるか知りたいのじゃな?」

 

 ハーマイオニーは頷いた。

 

 「君はなりたいかね?」

 

 ハーマイオニーは眉をひそめた。「私が闇の魔法使いに?」

 

 「そうじゃ、君は選択できる。スリザリンに分類されたからといって、君は闇の魔法使いである訳ではない。帽子が君の何かを見て、その何かを深められると思ったから、君をスリザリンに分類したのじゃ。君は闇の魔法使いになりたいかね?」

 

 「私は……分かりません。トム・リドル、彼は私達なら世界を変えられると言いました」

 

 「そして君はそれをしたかったのじゃな?」

 

 ハーマイオニーは頷いた。

 

「世界を変える。それは様々な意味を含んでおる。最も明白なのは君が野心を持っていることじゃ。しかし、それはスリザリンの女の子が誰でも自然に抱くことじゃ」

 

 「しかし、私——私は……何かをしたかった。リドルに貢献したいと思っていました」

 

 ダンブルドアはハーマイオニーの目を見た。ダンブルドアの目には何かがあった。ハーマイオニーはその何かを言ってほしくなかった。

 

 「しかし、君は彼を拒んだ」

 

 「はい」

 

 「なぜじゃ?」

 

 「なぜ、ですか?」

 

 「トムは力を持っていた。トムは君が望んでいた何かを持っていた。それなのに、なぜ君は彼に付かなかったのじゃ?」

 

 「私は……彼に好きではない何かを見ました。だから私は、彼を信用できなかった」

 

 ダンブルドアは微笑んだ。

 

 「君はスリザリンじゃが、わしは君に他の寮の幾つかの資質があるように思える。ハーマイオニー、君は彼が間違ったことを望み、間違ったことをしていると気がついたのじゃ」

 

 「いいえ、多分、私は自分自身を守りたくて拒んだんです」

 

 「表面的にはそうかもしれん。しかし、そこには深い意味がある。君は彼が悪であることを知って、善い行いをしたのじゃ」

 

 「先生、これは善悪の問題ではないと思います。一般的には間違っていると思われることでも、状況や人によっては正しいと思えるときがあります」

 

 ダンブルドアの目は明るく輝いた。「つまり、どういうことかね?」

 

 「視点を変えればどんな行いにでも正義が生まれるということです。問題を解決するとき、道徳はあまりにも無意味です」

 

 「いや、道徳は問題を解決に導いてくれる」とダンブルドアは朗らかに笑った。「君の場合もそうじゃっただろう。さて、ハーマイオニー。もう一度尋ねるが、闇の魔法使いになりたいかね?」

 

 ハーマイオニーは眉をひそめた。「その質問にどんな意味があるんですか? 私が凶悪な人物かどうか確かめたいのですか?」

 

 「いいや、ハーマイオニー。闇の魔法使いは人々に凶悪だと思われているだけじゃ」とダンブルドアは優しく微笑む。

 

 「君の指摘した通り、絶対の善悪など存在せん。一般的に間違っているとされることでも、人によっては正しいと思うことがある。それはつまり、闇の魔法使いも間違ってはいないという事じゃ。また、闇の魔法使いは多くの人に悪だと思われておる。しかし、善だと思う人々には悪ではない。

 ハーマイオニーが闇の魔法使いになる道を選んだとしても、それは間違ってはおらんし、凶悪ではない。善いか、悪いか判断する基準は人によって異なっているのじゃから。重要なのは、その基準に従って善いことを選択することじゃ」

 

 「でも、闇の魔術はホグワーツで教えられていません」

 

 「正当な理由がある。闇の魔術は古い心も若い心も混沌に導く。善いか、悪いかではなく、非常に強力なのじゃ。安易に闇の魔術を教えてはならん。制御できるを実力を身に着けた者が、学ぶべきなのじゃ」

 

 「闇の魔法使い、ですか?」

 

 「一般的に正義とされる魔法使いもじゃ。君が必ずしも学び使う必要はない」

 

 「ですが、もし誰かが闇の魔術を学んで使用すれば、その人物は悪人と呼ばれますよね?」

 

 ダンブルドアはため息をついた。

 

 「闇の魔術を君が使ったとしても、君は悪人ではない。君が間違ったことをしたことにもならん。

 偏狭な者はそう思わんじゃろうが、わしはあまりにも多くのことを見てきてそう思った。わしは、多くの魔法使いを知っておる。闇の魔術を使う多くの人々。多くの悪人。しかし、彼らは同じではない。

 ヴォルデモートが闇の魔術を使う闇の魔法使いであるから、彼と似たような事をする者、似たような資質を持つ者、似たような考えを持つ者などを悪人だと決めつけてしまう者がおる。

 君もトムと似たような考えを持っていると思ったかもしれない。しかし、それは君がトム・リドルと同じことをすることを意味してはおらん。

 わしは前に君に言ったが、もう一度言っておく。ハーマイオニー、君が自分の行く道を選択するのじゃ。何者になるのかを決めるのは君自身じゃ。

 この世の中には純粋な心を持ちながら、闇の魔法を使用する者もおる。魔法とは善でもなく、悪でもない。そして、正しくもあるし、間違ってもいる。魔法は力じゃ。使用する魔法使いによって様々に意味を変える。

 正しいと思われる方法で闇の魔術が使われれば、人々に益がもたらされるじゃろう。闇の魔術と関係ない魔法が、人々を傷つけることもあるじゃろう。

 例えばギルデロイ。彼は闇の魔術を使ったわけではない。しかしそれでも、彼は、結局は、悪人じゃった……。

 ハーマイオニー、結局は使い方なのじゃ。君の選択が全てなのじゃ。

 君が闇の魔法使いになる道を選ぶのなら、君の心にある善に従うのじゃ。ハーマイオニー、君は世界がこれまでに見たことのない最高の闇の魔法使いになるかもしれん。しかし、それは君が悪人であることを意味しているわけではおらんし、悪人にならなければならんと言う事でもない。君は他人からの意見に左右されてはならんし、血や家に基づく考えに染まってもならん。わしは君の中にわしの考える善を見た。自分自身を自分で決めれば、君は君の望む存在になれるじゃろう」

 

 

 廊下には誰もいなかった。不気味なほどに静まり返っている。唯一の音は、ハーマイオニーが僅かに足を引きづる音だけ。ダンブルドアから軽い治療を受けたとはいえ、身体は重い。ハーマイオニーは目線を床に下げたまま、地下牢へと歩き続けた。スリザリンの談話室へと続く壁の前に来ると、壁は独りでに静かに開いた。

 

 談話室に入り、顔を上げたハーマイオニーは凍り付いた。談話室は満員だった。全てのスリザリン生が集まっていると思われ、そして、彼ら全員がハーマイオニーをじっと見つめていた。

 

 誰も口を開かない。しばらくして、金髪の頭が集団の中で揺れ、前に進み出てきた。

 

 「どこで何をしていたんだ、グレンジャー……」マルフォイは困惑した表情でハーマイオニーに近づいた。「どうして……こんなに汚れているんだ?」

 

 「分かりきったことじゃない!」パンジーの金切り声が響く。「ウィーズリー家の娘が連れ去られたって聞いて、その汚れた血は助けに行ったのよ! 汚物は汚物と仲が良かったに違いないわ!」

 

 身体が震えた。ハーマイオニーは杖を取り出すためにローブに手を突っ込んで、そして身動きを止めた。

 

 『グレンジャー……』

 

 ハーマイオニーは大量の涙が頬から床へと落ちていくのを感じた。パンジーが笑っている。しかし、ハーマイオニーはそれに反抗することが出来なかった。この場でスリザリン全体に対して立ち向かうことは出来なかった。

 

 ハーマイオニーは身をひるがえすと、談話室を飛び出し、無我夢中で走り、地下牢の空き部屋に飛び込んだ。そして扉のすぐ近くでしゃがみ込み、顔を手で覆って、すすり泣いた。

 

 ――スリザリンの継承者を止めたことを聞いたら、彼らは何て言う? 理解してくれる? それとも私を憎む?

 

 心の中で呟くものがあった。――既に彼らは私を憎んでいる。今よりももっと憎むようになるだけ。

 

 ハーマイオニーは教室の扉が開く音を聞いた。ハーマイオニーは鼻をならして、深く呼吸する。そして、頭の中で響くロックハートの声を自分の中から必死に追い出そうとした。

 

 『グレンジャー……』

 

 誰かがいつの間にか横に立っていた。高級そうな黒い靴を履いている。

 

 「何があったんだ?」

 

 「お願いだから消えて」とハーマイオニーはすすり泣きながら言った。そして、再び顔を手の中に押し込んだ。

 

 しかし、マルフォイは動こうとはしない。教室の扉を閉めてその場に立ち、ハーマイオニーが泣くのを見ていた。「何があったんだ?」

 

 ハーマイオニーは俯いたまま頭を横に振る。

 

 「何か大変なことがあったに違いない。グレンジャーはあんなことでメソメソ泣くタイプじゃない」

 

 1分後、マルフォイはハーマイオニーの隣に座った。

 

 「驚くことに……君はパンジーに魔法をかけなかった。パンジーは攻撃されるのを待っていたんだ」

 

 ハーマイオニーは黙って俯いていた。マルフォイの意図が分からなかった。この状況を楽しんでいるのか、自分はちょっとした娯楽なのか。

 

 「スネイプは豪華な食事を用意していると言っていた。多分、先生たちは継承者を捕まえたんだろう。ホグワーツは閉鎖されない」

 

 「あなたにとっては残念な結果だったわね」ハーマイオニーは震える声で笑った。

 

 「君が愚かな魔女だったのは少し残念だよ」

 

 「私は愚かじゃないわ」ハーマイオニーは手を取りはらって虚ろな顔で呟く。

 

 「事件が起きてから2、3時間後に汚い姿で現れて、赤ん坊のように泣いている。僕には愚かにしか見えない。それに、何があったか教えてくれない」

 

 「どうして知りたいの?」

 

 マルフォイは肩をすくめる。「父上と母上に必ず守るように言われている規則がいくつかある。シャツはしっかりとズボンに仕舞えとか、ネクタイはしっかりと締めろとか」マルフォイは首元に手を当ててネクタイをゆっくりと締める。

 

 「それから父上は、女の子が泣いているのを見たら、色々な方法を使って慰めろと僕に言った。でもそれは中々難しいことだ。だから母上は、泣いている女の子にはまず、何があったのか尋ねろって言うんだ。それが正しい魔法使いがしなければならないことだって」

 

 「何があったか知ったら、あなたは何をするの?」

 

 「尋ねた後に何をするかは父上も母上も話してくれなかった。即席で対処しろってね」

 

 ハーマイオニーは鼻を鳴らした。「ロックハートが私を殺そうとしたのよ」

 

 マルフォイはどもった声で聞き返した。「なんだって?」

 

 「私たちは部屋の在り処を見つけたの。私は部屋には入りたくなかった。でも、ロックハートは無理矢理私を部屋に連れ込んだ」マルフォイは靴紐を弄ぶ手を止めた。「それで私たちがバシリスクを殺す方法を知らないことに気が付くと、彼は継承者として私を仕立てあげて、殺そうとしたの」

 

 マルフォイはそわそわと体を揺らした。「いま、ロックハートは何処にいるんだ?」

 

 「秘密の部屋」とハーマイオニーは囁いた。「私はロックハートを殺したの」

 

 『グレンジャー……』

 

 「私は先生を殺したの」ハーマイオニーはかすんだ目でマルフォイを見つめた。「ホグワーツの教職員を殺した」

 

 「でも……それは、正当防衛だ」

 

 「私は彼が死ぬのを見た。彼が死ぬ瞬間を見た」

 

 マルフォイは何も言わなかった。居心地悪そうに教室の天井を見上げるだけだった。

 

 ハーマイオニーは再び涙が込み上がってくるのを感じて、マルフォイの腕に抱き着いて、顔をローブに沈めた。マルフォイは体に力を入れたが、離れようとはしない。ハーマイオニーは体の震えを抑えようと力強く腕にしがみつく。マルフォイは不器用に背中を軽く叩いた。

 

 「大丈夫だ、グレンジャー。もう大丈夫だ」

 

 『グレンジャー……』

 

 「私をそれで呼ばないで」とハーマイオニーは震える声で囁く。

 

 「どういう意味だ?」

 

 「名前で呼んで、ドラコ」

 

 ハーマイオニーはドラコの心臓の鼓動が早くなっていくのに気が付いた。そして、胸が大きくなって、ゆっくりとした呼吸で収縮していくのを。ハーマイオニーはドラコの呼吸と自分の呼吸を合わせて、ゆっくりと気持ちを落ち着かせた。

 

 「もう大丈夫だ、ハーマイオニー」

 

 ドラコはあごをハーマイオニーの頭のてっぺんに置いた。二人はしばらくその姿勢で座っていた。そしてちょうど一緒に息を吐き出したとき、ハーマイオニーが口を開いた。

 

 「ドラコ?」

 

 「うーん?」

 

 「あなたの両親は、マグル生まれの女の子と仲良くしちゃダメって規則を作らなかったの?」

 

 「ああ」とマルフォイは静かに答えた。

 

 「それと、どうして此処にいるの? 規則は理由にならないわよ。だってあなたがそれを守るようには思えないもの」

 

 マルフォイの頭がゆっくりと離れる。「僕はずっと考えていたんだ。君が言ったことを」

 

 「なに?」

 

 「君のなにがトーマスやクリービーと異なっているかだ」ハーマイオニーは涙をぬぐって顔を上げた。「彼らはマグル生まれだ。彼らの両親はマグルで、彼らは偶々魔法使いとして生まれた」

 

 「私の両親だって——」

 

 「君は魔女だ。君は普通のマグル生まれとは違ったから、スリザリンに入ることが出来たし、最初から魔法を上手く使えた。パンジーとウィーズリーが君を悩ましていたときでも、君は魔法界から去ろうとはしなかった。君は彼等よりも自分が優れていることを証明したかったんだろう? そして実際にそうだった。ハーマイオニー、君は偶々マグルの元に生まれた魔女だ」

 

 「言っていることがよく分からないわ。それにそうだったら何だっていうのよ?」

 

 「君が純血だってことを意味する」

 

 「私は純血じゃないわ」

 

 「君の実力を知って、君の事を知れば誰だって気が付く。ミリセントはこれまでに君を汚れた血と呼んだか? グリーングラスが呼んだか? ザビニは汚れた血を嫌う。でも、君には何もしたことが無い。

 君は分からないのか? 自分で言ってたじゃないか。魔法界から追放されるくらいなら死を選ぶって。本来、マグル生まれにとって魔法とは、後からつけられたパーツだ。死ぬくらいならそのパーツを外す。でも君はそうじゃなかった。君は魔女で、魔法は切っても切り離せないものだったからだ。

 君はスリザリンの他の皆とは異なる何かを必要としているんだと思う。君には何か特別なものがあるから」

 

 ――何が言いたいの? こんなもの何の証明にもならない。

 

 「彼らが私を汚れた血と呼ばないのは、そもそも話をしないからよ」

 

 「君と彼らは対立しているからだ。敵は普通、親しくはしない。でも君が……努力するならば」

 

 「何、私達は友達にでもなれるの?」ハーマイオニーはあざ笑った。

 

 「そうだ」ドラコはしばらくして呟いた。「僕たちは……友達になれる」

 

 ハーマイオニーはドラコを押しのけて、顔を覗き込んだ。ドラコの唇は、意地の悪い冷笑で歪められていない。

 

 「友達?」

 

 ドラコは素早く立ち上がると、顔をそむけた。「僕は友達のせいで煩わされるのが嫌いなんだ。ハーマイオニー、起きろ。僕は空腹だ。さっさと豪華な食事を食べに行こう」

 

 ハーマイオニーは差し出された手を握って立ち上がり、ドラコの後に続いて教室の外へ出た。ハーマイオニーが乾いた涙をローブで取り除いた時には、スリザリン寮の壁の前についていた。

 

 ハーマイオニーは寮の中へ入ろうとするドラコの腕を引っ張って、「待って」と言った。

 

 「私たちは……談話室に入っても——友達のまま?」

 

 ハーマイオニーは、ドラコがスリザリン内の政治を重視していることを知っていたし、マグル生まれの友人を持つことをスリザリン生が嫌うことを良く知っていた。

 

 ドラコはハーマイオニーのローブを見下ろし、「君がその汚い服を燃やして、新しい制服を着るならね」と笑顔を見せた。

 

 ハーマイオニーは自分を見下ろした。あらゆる物、ローブ、シャツ、スカート、ソックス、靴は、ずぶぬれで、血まみれで、泥がくっ付き、至る所に穴が開いている。笑いがハーマイオニーの喉に引っかかった。ドラコの言う通り、本当に買い替える必要があった。

 

 ハーマイオニーは胸からこみあげてくる笑いでどうしようもなくなって、ドラコに飛びかかった。そして、抱きつくように身体を腕で包みこんだ。

 

 ドラコはハーマイオニーの背中を軽く叩きながら呟いた。「君がこのままくっつくなら、僕も制服を買い替えなくちゃならない」

 

 ハーマイオニーは友達がくすくす笑うのを聞いて、より一層強く抱きしめた。




ダンブルドアは性善説に基づいて行動してると思う。

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