蛇寮のハーマイオニー   作:強還元水

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第二十一章 美女と怪物

 ハーマイオニーはすぐ傍に嘔吐した。胃の中身をすべて吐き出すと、胃液が込み上がり、涙がこぼれ落ちた。息は荒く、まともに酸素が吸い込めない。落ち着こうと深呼吸すると、嘔吐物の匂いと血の匂いと肉の焦げる臭いを吸い込んでしまい、再び吐いてしまう。

 

 暗闇の中で誰かが動いているのが薄っすらと見えた。

 

 「グレンジャー、君なのか?」

 

 ポッターは地面を這うようにして近付いてきた。ハーマイオニーは返事をしようとしたが、荒い呼吸音が漏れ出すだけだった。突然体が痙攣し、胃液が急上昇し、粘っこい液体が口から噴出した。ハーマイオニーは苦しくて、痛くて、大量の涙を零した。

 

 「僕の杖がどこにあるか分かるか、グレンジャー?」ポッターは尋ねた。

 

 ハーマイオニーは頭をぐらつかせて自分の場所を示そうとしたが、暗闇ではポッターがそれに気が付くか分からない。

 

 しかし、少しして、ポッターがすぐ側にやって来た。ポッターの手はハーマイオニーの背中に置かれていた。

 

 「私の杖を使って」ハーマイオニーは震える声を出すと、ポッターの手を握り、杖を手渡した。

 

 淡い輝きが暗闇を照らす。周囲が輝き出し、ハーマイオニーは目の前で自分の胃の内容物を目にすることになった。ハーマイオニーはうめいて、身体を傾ける。

 

 「何があったんだ?」ポッターは尋ねた。そして、出口を塞ぐ大量の岩の壁を見た。

 

 「ロックハートよ」ハーマイオニーは喘いだ。

 

 「それで……」ポッターはそれ以上言わなかった。ポッターは恐らくロックハートの死体を発見したのだろう。

 

 「ローン! 大丈夫かー? ローン!」

 

 岩の向こうで「此処にいる!」という声が微かに聞こえる。

 

 「大丈夫か!?」

 

 「僕は大丈夫! でも、岩に塞がれてそっちに行けそうにない!」」

 

 ハーマイオニーは黒い天井をじっと見つめていた。再び涙が頬を流れ落ちてきたので、鼻を指で塞ぎ、深呼吸した。ふかーい、深呼吸を。

 

 「やっぱり無理だ!」ウィーズリーの声は必死だった。「何とか石をどかしてみるけど、何年もかかってしまいそう!」

 

 「それは長すぎる」ポッターは静かに呟いた。

 

 ハーマイオニーはゼーゼー荒い息を交えながら言った。「レダクト、よ!」

 

 ポッターはハーマイオニーを無視した。または、ハーマイオニーの声が小さすぎて聞き逃していた。

 

 ポッターはトンネルを歩き回って床を調べていた。

 

 「ごめん、グレンジャー。もう少し杖を借りるよ」

 

 ハーマイオニーは気にしなかった。もう一度深い深呼吸をする。

 

 「そこで待ってて、ロン」ポッターは叫んだ。「僕が1時間以上戻ってこないようだったら……」

 

 ハーマイオニーは2人を無視して、自分の荒い呼吸音を聞いていた。そして、もう一度深呼吸。

 

 「わかった」とウィーズリーは答えた。「僕は少しでもここの岩石を取り崩してみるよ。そうすれば君が――帰り

にここを通れる。だからハリー――」

 

 「わかってる。またあとでね」ポッターは前方へ明りを向けた。「グレンジャー、君の杖を借りていくよ。悪いと思うけど、必要なんだ」ハーマイオニーはポッターが立ち去っていく音を静かに聞いていた。

 

 ポッターが離れると光も離れ、辺りは暗闇に包まれた。そして、沈黙。耳をつんざくような沈黙。ハーマイオニーは自分の心臓が再び脈をたてて激しく鼓動するのを感じた。深呼吸。深呼吸。目を開けると、ロックハートの死体。暗闇の中にロックハートがいた。火傷した男。血を流す男。下半身が潰れた男。残忍な男。死人。いいや、そうじゃない。

 

 ――私が殺した男。

 

 ハーマイオニーは悲鳴を押し殺した。何かが、暗闇の向こう側で動いた。石が転がる音が闇の中で響いた。

 

 この場所にだけはいたくなかった。

 

 ハーマイオニーは血だらけの足と腕を使って体を起き上がらせた。そしてかなりの苦闘の末、壁に近づいて、立ち上がった。ハーマイオニーは前方へ、ポッターが行った方角に自分自身を駆り立てた。しばらくして、ハーマイオニーは遠くで小さな光を見ることができた。

 

 「ポッター」ハーマイオニーはかすれる声を出した。

 

 「ポッター!」

 

 光は、ひょこひょこ上下に動くのを止めた。

 

 「ちょっと待って!」

 

 ハーマイオニーは壁に手をついて座り込んだ。そして体に走る寒気と震えと戦った。ポッターは幾分かの時間をかけた末に、ハーマイオニーの前方へ現れた。そして、申し訳なさそうに顔を顰めながら言った。

 

 「ここには居られないんだ。ジニーが僕の助けを必要としている」

 

 「お願い、暗闇の中にいたくないの」ハーマイオニーは必死に懇願した。

 

 ポッターが歩き回って曲がり角に隠れるたびに、ハーマイオニーは暗闇の中に吸い込まれ、心臓は破裂してしまうのではないかと思うぐらいに鼓動を早くした。

 

 ポッターの光が動きを止めたところで、ハーマイオニーは自分自身を駆り立てて、立ち上がった。足を引きずりながら近づくと、ポッターは壁の前に立っていた。エメラルド色の目の2匹のヘビの彫刻が彫られている。ポッターは壁の近くに歩いて、ヘビに低く幽かなシューシューという音をたてた。

 

 壁が開くと、細長く奥へと延びる薄明かりの部屋が現れた。彫刻が施された石の柱が上へ上へそびえている。ポッターはヘビの柱の間を一歩一歩用心しながら前進しだした。

 

 ハーマイオニーはグリフィンドールの勇敢さにある種の恐れを感じながら、自分のペースで後を追った。彫り物のヘビの虚ろな眼窩が、ハーマイオニーの姿をずっと追っているような気がした。一度ならず、ヘビの目がギロリと動いた気がする。

 

 ――私はスリザリン。私はスリザリン。私は殺されない。私は大丈夫。

 

 最後の1対の柱のところまで来ると、部屋の天井に届くほど高くそびえる石像が、壁を背に立っているのが目に入った。そしてその像の下に、燃えるような赤毛の、黒いローブの小さな姿が、うつ伏せに横たわっていた。

 

 ポッターはジニーの元へ駆け寄り、ハーマイオニーの杖は音を立てて床に投げ捨てられた。

 

 ハーマイオニーは足を引きずりながらジニーの元へ進んだ。ポッターはジニーを揺さぶって必死に声をかけているが、ジニーは何の反応も起こさない。ハーマイオニーはポッターの隣に跪いた。ジニーの脇腹付近に本が落ちている。

 

 「その子は目を覚ましたりはしない」

 

 ポッターとハーマイオニーはぐるっと振り返った。背の高い、黒髪の青年が、すぐそばの柱にもたれてこちらを見ていた。

 

 「あなたは誰ですか?」ポッターは噛み付くように尋ねた。

 

 青年は整った顔立ちをしていて、黒い髪はしっかりと手入れされていた。青年は黒い目をハーマイオニーに向け、唇を歪めた。

 

 「ポッターには注意するように言ったんだけどね、ハーマイオニー。僕は彼を信用しない、と」

 

 ハーマイオニーは青年をじっと見つめた。それから視線を下げ、ジニーの側の本に目を向けた。本ではない。日記だ。

 

 「トム――トム・リドル?」

 

 トムは頷いた。

 

 「目を覚まさないって、どういうこと? ジニーはまさか」ポッターが絶望的な表情を浮かべて尋ねた。

 

 「その子はまだ生きている。しかし、かろうじてだ」

 

 「あなたは、ゴースト?」

 

 確かにトムはゴーストのように見えた。薄気味の悪いぼんやりとした光が、その姿の周りに漂っている。しかし、トムの足はしっかりと地面についていた。ゴーストは通常、歩かない。

 

 「記憶だよ。日記の中に、50年間残されていた記憶だ」

 

 ポッターは日記に目をやり、それからハーマイオニーを見た。

 

 「トム、私たちを助けて。バジリスクがこの辺りにいるの。どこかは分からないけど、今にも出てくるかもしれない。私たちは雄鶏を連れてこれなかったの」

 

 トムはゆっくり頷いた。「ああ、分かっている」

 

 ポッターは汗だくになって、ジニーの体を半分床から持ち上げ、杖を拾うのにもう一度体をかがめた。

 

 トムは地面からハーマイオニーの杖を拾い上げ、すらりとした指でくるくると遊んだ。

 

 「拾ってくれてありがとう」ポッターは手を杖の方に伸ばした。

 

 しかし、リドルは動かなかった。じっとポッターを見つめ続けたまま、所在無げに杖をクルクル回している。

 

 「グレンジャーの話を聞いてなかったのか? バジリスクが今にも出てくるかもしれないんだ!」

 

 「呼ばれるまでは、来やしない」

 

 ハーマイオニーは眉を顰めた。

 

 「どういうこと、トム?」

 

 「バジリスクは指示を待っている」

 

 「継承者の?」

 

 トムは無言で頷いた。

 

 「でも、継承者はハグリッドじゃなかった。継承者が壁にメッセージを書いたの。それにハグリッドはアズカバンにいる。そして、ポッターも継承者じゃない……」

 

 「当たり前だ!」ポッターはハーマイオニーに怒鳴った。

 

 トムはクスクスと笑う。「確かにポッターではない」

 

 「いい加減にしてくれ! 今、僕たちは『秘密の部屋』の中にいるんだ。話ならあとでできる」

 

 「今、話すんだよ」

 

 ハーマイオニーは驚いてトムを見た。変だ。何かがおかしい。

 

 「ジニーはどうしてこんなふうになったの?」ポッターはゆっくりと切り出した。

 

 「話せば長くなる。だけど、僕たちには時間がある。ジニー・ウィーズリーがこうなった原因は、誰なのかわからない目に見えない人物に心を開き、自分の秘密を洗いざらい打ち明けたことだ」

 

 「それって」

 

 「そうだ、ハーマイオニー。ジニーは僕の日記に何ヶ月も馬鹿馬鹿しい心配事や悩みを書き続けたんだ。兄さんたちがからかう、お下がりの本やローブで学校に行かなきゃならない、それに」

 

 リドルの目がキラッと光る。

 

 「有名な、素敵な、偉大なハリー・ポッターが、自分のことを好いてくれることは絶対にないだろうとか……」

 

 トムは凶悪な笑顔を浮かべていた。

 

 「11歳の小娘の悩み事に付き合うのは退屈だったよ。でも僕は辛抱強く聞いた。返事を書いた。同情してやった。そして、彼女は僕に夢中になった」

 

 リドルの話は続く。

 

 「僕は必要となれば、いつでも誰でも惹きつけることができた。だからジニーは、僕に心を打ち明けることで、自分の魂を僕に注ぎ込んだんだ。ジニーの塊、それこそ僕の欲しいものだった。僕はジニーの心の深層の恐れ、暗い秘密を餌食にだんだん強くなって、十分に力が満ちた時、僕の秘密をウィーズリーのチビに少しだけ与え、僕の魂をおチビちゃんに注ぎ込み始めた……」

 

 「どういう意味?」ハーマイオニーは喉がカラカラだった。

 

 「まだ気がつかないのかい? ジニー・ウィーズリーが『秘密の部屋』を開けた。学校の雄鶏を絞め殺し、壁にメッセージを書いた。『スリザリンの蛇』を4人の『穢れた血』や『スクイブ』の飼い猫に仕掛けたのもジニーだ」

 

 「まさか」ポッターは呟いた。

 

 「もちろん、彼女は自分がやっていることを全く自覚していなかった」

 

 ハーマイオニーは息を飲んだ。

 

 ――トムは自分にも同じことをしたのだろうか。私はジニーと同じように、誰かを襲撃する手伝いをしたのだろうか。

 

 ハーマイオニーはトムの日記をじっと見つめた。

 

 「バカなジニーのチビが、日記を信用しなくなるまでにずいぶん時間がかかった。しかし、とうとう変だと疑い始め、捨てようとした」

 

 トムはハーマイオニーに微笑んだ。

 

 「そして僕は、有名なハリー・ポッターを疑う一1人の少女に会った」

 

 「何について話してるんだ?」ポッターの手は拳を握り、怒りで震えていた。

 

 「ポッター、君のファンは多いのかもしれないが、どうやら無能な少女で構成されているようだ」トムは2本の指の間でハーマイオニーの杖を回転させていた。「まあ、いい。とにかく、僕は君が12年前にどうやって生き延びたか興味があるんだ。どのようにしてヴォルデモート卿の死の呪いから生き延びた? ヴォルデモート卿の力が打ち砕かれたのに、君の方は、たった1つの傷跡だけで逃れられた?」

 

 「僕がなぜ逃れたのか、どうして君が気にするんだ? ヴォルデモート卿は君より後に出てきた人だろう」

 

 「ヴォルデモートは僕の過去であり、現在であり、未来なのだ……。ハリー・ポッターよ」

 

 トムはハーマイオニーの杖で空中に文字を書いた。

 

 『TOM MARVOLO RIDLE』

 

 もう一度杖を一振りした。名前の文字が並び方を変えた。

 

 『I AM LORD VOLDEMORT』

 

 「汚らわしいマグルの父親の性を、僕がいつまでも使うと思うかい? 母方の血筋にサラザール・スリザリンその人の血が流れているこの僕が? 僕が生まれる前に、母が魔女だというだけで捨てたやつの名前を、僕がそのまま使うと思うかい? 僕は自分の名前を自分でつけた。ある日必ずや、魔法界のすべてが口にすることを恐れる名前を。その日が来ることを僕は知っていた。僕が世界一偉大な魔法使いになるその日が!」

 

 ――トムが闇の帝王? ヴォルデモート? ポッターの両親を殺した人?

 

 「違うな」

 

 「何が?」

 

 「君は世界一偉大な魔法使いじゃない。世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。誰もがそう言う。君が強大だったときでさえ、ホグワーツを乗っ取る事はおろか、手出しさえできなかった」

 

 「ダンブルドアは僕の記憶にすぎないものによって追放され、この城からいなくなった!」トムは歯を食いしばった。

 

 「ダンブルドアは、君の思ってるほど遠くに行ってないぞ!」

 

 ハーマイオニーは黙って瞳を閉じた。ダンブルドアは城から追放された。彼が戻ってくることはありえなかった。ハーマイオニーはそれを知っていた。ポッターもそうだ。ポッターはトムを恐れさせたかったのだろう。

 

 どこからともなく歌が聞こえてきた。歌が近づいた時、すぐそばの柱の頂上から炎が燃え上がった。

 

 大きな深紅の鳥はポッターの方にまっすぐに飛び、運んできたボロボロのものをポッターの足元に落とし、その肩にずしりと止まった。

 

 「不死鳥か……」

 

 「フォークスか?」

 

 「組み分け帽子……」ハーマイオニーは床に落ちた、つぎはぎだらけでほつれた薄汚い帽子を見つめた。

 

 トムは大きな声で笑う。

 

 「ダンブルドアが味方に送ったのはそんなものか! 歌い鳥に組み分け帽子! ハリー・ポッター、さぞかし心強いだろう?」

 

 トムは笑い止むと「ハリー、本題に入ろうか」と静かに言った。

 

 「君の過去に、そして僕にとって未来に、僕たちは二度出会った。そして2回とも僕は君を殺し損ねた。君はどうやって生き残った? すべて聞かせてもらおうか」

 

 「君が僕を襲った時、どうして君が力を失ったか誰にもわからない。でも、なぜ君が僕を殺せなかったか、僕にはわかる。母が、僕をかばって死んだからだ。母は普通の、マグル生まれの魔女だ。君が殺すのを、母が食い止めたんだ。去年、僕は本当の君を見たぞ。落ちぶれた残骸だ。かろうじて生きている。君のなれ果てだ。君は逃げ隠れしてる! 醜い! 汚らわしい!」

 

 トムは怒りを押し込むように呟いた。「そうか。母親が君を救うために死んだ。なるほど、それは呪いに対する強力な反対呪文だ。つまり、君自身には特別なものは何もないわけだ。実は何かあるかと思ってたんだ。ハリー・ポッター、何しろ僕たちは2人とも混血で、孤児で、マグルに育てられたという共通点があるんだ。しかも君は蛇語を話せるうえに、見た目も何処か似ている……。しかし、僕の手から逃れたのは、結局運だったからに過ぎないのか。それだけわかれば十分だ。さて、ハリー。お手並みを拝見しよう」

 

 トムはその場を離れると、石像に近寄り、ずっと上の方の石像の顔を見上げた。そして横に口を大きく開くと、シューシューという音を漏らした。

 

 スリザリンの巨大な石の顔が動いている。石像の口がだんだん広がっていき、ついに大きな黒い穴になった。中で何かが動いている。ポッターが後ずさった。ハーマイオニーはじっと見つめることしかできなかった。口の中で鱗上の何かが輝いた。

 

 ふと、目の前に黒と緑のローブが現れた。上を見上げると、トムが微笑を浮かべてハーマイオニーを見下ろしていた。

 

 「ハーマイオニー、目を閉じた方がいい。僕は君が死ぬところを見たくない」

 

 ハーマイオニーは慌てて後ろを向き、頭に自分のローブを被せた。何か巨大なものが部屋の石の床に落ち、振動が伝わってきた。トムが低いシューッという音をたてた。埃っぽい床をズルッズルッとずっしりした胴体が滑る音が隣から聞こえてくる。

 

 音が遠ざかった時、トムが穏やかな声を出した。「もう大丈夫だ」

 

 ハーマイオニーはローブをどけ、見上げた。トムはじっとハーマイオニーを見ていた。トムが動かず、無言なので、ハーマイオニーは尋ねた。

 

 「どうしてバジリスクに私を殺させなかったんです?」

 

 トムは微笑んで柱の向こう側を見るだけだった。

 

 「私は穢れた血ですよね?」

 

 「多分、違うだろう」

 

 「私の両親はどちらともマグルです」

 

 トムは肩をすくめた。「人々は、僕がマグル生まれだと考えていた。しかし、僕は彼らが間違っていることを証明した。僕は君もそうだと思っている」

 

 トムの黒い目はハーマイオニーの目を覗き込んだ。

 

 ハーマイオニーは身体を震わせ、それからジニーに目を向けた。「あなたは彼女に何をするつもりですか?」

 

 「彼女はもうすぐ命を失い、僕は肉体を得て完全に復活する」

 

 ハーマイオニーはジニーの赤い髪を払いのけて、首筋に2本の指を押し付けた。かすかに脈が動いている。

 

 「あなたが完全に復活する前に彼女が死んだらどうなるんです?」

 

 トムは無言だった。トムは身をかがめると、ハーマイオニーの顎の下に杖を滑らせ、向き合わせるために頭を持ち上げた。

 

 「君は人を殺した」

 

 ハーマイオニーはトムを払いのけて、「殺してないわ」ときっぱり否定した。

 

 トムは立ち上がって言った。「君は僕に嘘をつけない。君はついさっき、人を殺した。君の目がそれを認めている」

 

 「私は殺してないわ」ハーマイオニーは涙が溢れでるのを抑えることができなかった。そして、ロックハートの死に際の姿が脳裏に浮かび、胃液が込み上がった。

 

 「君は殺した」トムは繰り返す。「2年生にして人を殺した。僕は何年も待たなくてはならなかったが……」

 

 金切り声が部屋中で響き渡った。バジリスクの不快そうな鳴き声とフォークスの鋭い鳴き声が混じり合ったものだ。

 

 「ハーマイオニー、君には可能性がある。僕にはそれが分かる。だが、ホグワーツでは必要としているものを学べない」

 

 「大学か何かに進学しろと?ホグワーツは唯一の魔法学校じゃないんですか?」

 

 「違う……君には個人的な指導が必要なんだ」トムは再びしゃがみ込み、穏やかに話した。

 

 「僕は君にたくさんのことを教えることができる。君は世界で最も強力な魔女になり得るんだ。正常な教育を受ければ」

 

 ハーマイオニーは唇を噛み締めた。トム・リドルはダンブルドアのライバルで、世紀で最も恐れられた魔法使いだ。個人指導を受ければどれほどのことが学べるか。

 

 「ダンブルドアは……君の殺人を決して許さないだろう」とトムは囁いた。「奴は一生君を信用しない」

 

 「ダンブルドアは校長ではなくなりました」

 

 「奴はいつも巧みに逃げ道を用意している。あの男は誰かを犠牲にしてでも目的を達成する。奴は自分の考える正しい道から外れた君を絶対に許さない。君がどんなに努力しても、認められることは決してない」

 

 トムはハーマイオニーの首を触り、頬を撫で、ビロードの声で語りかけた。

 

 「僕達は偉大になれるんだ、ハーマイオニー。僕達は一緒に偉大な存在になれる。ダンブルドアのような人々は、僕達を恐れるようになる。魔法使いは僕達の名前を讃えるようになる。世界は僕達のものだ。一緒により良い何かに世界を変えられる。永遠の平和を作り出せるんだ」

 

 ハーマイオニーは身体を震わせ、トムの黒い目を見上げた。親切な目。優しい目。トムはハーマイオニーを気にかけてくれた。常にハーマイオニーを心配してくれた。トムが望むのは、ハーマイオニーが最高の魔女になる事だけだった。

 

 力

 

 地位

 

 財産

 

 栄光

 

 他に何を望む?

 

 完璧な髪

 

 そのハンサムな顔

 

 暖かな黒い目

 

 他に何を望む?

 

 トムは甘い顔で微笑んだ。「ハーマイオニー、僕なら君が何者であるか教えてあげられる」

 

 トムは空中で杖を優雅に振った。その瞬間、ハーマイオニーの頭はグイッと動いた。口の中に圧力がかかり、髪は引っ張られて頭皮が鈍く痛み、そしてすぐに不快感はすべて消えた。

 

 ハーマイオニーは手を自分の歯に当てた。ハーマイオニーの前歯は通常のサイズに縮み、奇妙に突き出ていなかった。他の歯と高さを揃え、完全に同調していた。

 

 それからハーマイオニーは自分の髪に手を当てた。髪はボサボサではなかった。ボリュームはまだあったが、凝縮されていた。そして、癖毛ではなかった。野生の茂みのように混沌としていた髪は、滑らかに背中に垂れ下がっていた。手に持つと、茶色の髪は黒くなり、光沢が生まれ、ダフネの美しい髪と遜色の無いものへと変わっていた。

 

 「君はとても美しい女性だ」トムの声が耳をくすぐり、ハーマイオニーは身じろぎした。そして、ハーマイオニーは再びトムの目を覗き込んだ。

 

 「これが君の望んだことだね?」

 

 「ええ」ハーマイオニーは躊躇なく囁いた。

 

 トムは微笑む。「ここでのことが終われば、ポッター、あるいはダンブルドアに頭を悩ませる必要は無くなるだろう」

 

 ハーマイオニーは笑顔で返事を返した。

 

 金属がぶつかる音が鳴り響き、ハーマイオニーはトムから視線を逸らした。ポッターは眩い光を放つ銀の剣を握り、バジリスクと向きあっていた。

 

 バジリスク。

 

 ハーマイオニーは直接その目を見ていた。

 

 しかし、ハーマイオニーは死ななかった。

 

 バジリスクは……目が潰れていたからだ。

 

 バジリスクは闇雲にポッターに襲いかかっている。ポッターはギリギリの所で避け、蛇は壁にぶつかる。

 

 シーッという音を聞いて、ハーマイオニーはトムを見上げた。トムの目は赤く光り、整っていた顔は怒りで醜く歪んでいる。ハーマイオニーの中から何かが抜けていく。心が何かを拒んでいた。

 

 ――私は彼を信用しない。

 

 「トム、杖を返してもらえますか?」ハーマイオニーは静かに尋ねた。

 

 「後で返す」トムは厳しい声で言い、それから思い出したかのようにハーマイオニーの頭を優しく撫でた。

 

 ハーマイオニーはトムから視線を逸らし、床に倒れているジニーをチラッと見た。一瞬の躊躇の末に、ハーマイオニーは腕を伸ばして青白い腕の下から日記を取り出し、自分のそばに隠した。そしてジニーのローブの中に手を滑り込ませて、冷たい木の感触を探した。そして、ジニーの杖を見つけると、引き抜き、自分のローブの袖の中へ隠した。

 

 バジリスクが甲高い声をあげた。ポッターは剣を鍔まで届くほど深く、毒蛇の口蓋にズブリと突き刺していた。

 

 バジリスクはもがいて倒れ、剣は地面で鈍い音を立てた。ポッターはハーマイオニーから10メートルほど離れた場所で崩れ落ちた。腕からバジリスクの毒牙が突き出ている。ポッターは牙を腕から抜いて、だらりと力なく横たわった。

 

 真紅の影がスッと横切った。そしてハリーの傍に近づくと、腕の傷に美しい頭を傾けた。

 

 「ハリー・ポッター、君は死んだ。ダンブルドアの鳥にさえ、それが分かるらしい。ほら、泣いている」トムはポッターの元へゆっくりと歩きながら楽しそうに笑っている。

 

 ハーマイオニーは血だらけの足で立ち上がった。そしてローブから杖を引き抜き、隣に横たわるジニーを見下ろした。ジニーは色あせていた。感情を浮かべていなかった。既に命を落としたも同然だった。死ぬことを運命付けられていた。

 

 「これで有名なハリー・ポッターもおしまいだ」

 

 ――ヴォルデモートは闇の魔法使いだ。彼はポッターの両親を殺した。数え切れないほどの親、兄弟を、子供たちを殺した。彼は殺人者だ。

 

 ――彼が復活すれば、これから何百人、何千人が死ぬことになる?

 

 ハーマイオニーは杖をジニーの首元に向けて叫んだ。

 

 「ディフィンド! 裂けよ!」

 

 ハーマイオニーは上手く唱えた確信があった。だが、手元には杖が握られていなかった。

 

 ハーマイオニーは顔を上げた。トムとポッターがじっと見つめている。ハーマイオニーに杖を向けるトムは失望しているように見える。ポッターはゾッとしているような表情を浮かべている。

 

 「僕は、僕たちが何か……特別な存在であると思っていたんだ。ハーマイオニー、残念だよ」

 

 ポッターの方を振り返ったトムは「鳥め、どけ!」と突然怒鳴った。「そいつから離れろ。聞こえないのか。どけ!」

 

 トムが杖をフォークスに向けると、鉄砲のようなバーンという音がして、フォークスは金色と真紅の輪を描きながら、再び舞い上がった。

 

 「癒しの力か……忘れていた。しかし、結果は同じだ」

 

 ハーマイオニーは静かにジニーに目をやった。目の前に倒れる少女は、生きているか死んでいるのか区別がつかない。彼女の生気はほとんど残っていそうになかった。ハーマイオニーはこれ以上何か出来そうになかった。

 

 「1対1だ。むしろこの方がいい」

 

 ハーマイオニーは自分の足元に落ちている日記に目をやった。黒い日記。トムの日記。

 

 記憶。

 

 50年間の記憶が保存された日記。

 

 生気はジニーからトムに移動している。

 

 そしてトムは日記だ。

 

 日記を壊せれば……。

 

 しかし、ハーマイオニーは何の武器も持っていなかった。ハーマイオニーはポッターを見た。ポッターの側には剣がある。そして日記はハーマイオニーの足元にある。

 

 ハーマイオニーはふと、父がスポーツを自分に教えたがっていたのを思い出した。結局何も教わらなかったし、一度たりとも一緒に近所の子のサッカーを見に行ったことはなかったが、少年たちがボールを蹴る姿を、ハーマイオニーは確かに見ていた。

 

 「トム?」ハーマイオニーは静かに尋ねた。「あなたが完全に復活する前に、私が日記を破壊したらどうなるの?」

 

 トムは動きを止め、表情を凍りつかせた。そしてハーマイオニーに杖を向け、杖で空を切り、回した。

 

 その瞬間、ハーマイオニーは足を振り抜き、力一杯、靴の先端を日記に叩きつけた。日記はぬるぬるとした床を滑っていく。

 

 ポッターがそれをじっと見ていた。

 

 トムがそれをじっと見ていた。

 

 そして……ポッターがより早く反応した。ポッターは剣を取りには行かなかった。ポッターはバジリスクの牙を拾いあげ、日記に突き刺した。

 

 

 ハーマイオニーはトムが消えた場所に足を引きずって近づいた。ハーマイオニーの一部は悲しみを感じ、一部は喜びを感じていた。

 

 ハーマイオニーは自分の杖を拾い上げると、すすり泣いている女の子と血に染まっている男の子を振り返った。

 

 「あたし、退学になるわ!」ジニーは泣き叫んでいる。ポッターはそれを慰めながら、ジニーをぎごちなく支えて立ち上がらせている。

 

 ハーマイオニーは床でジニーの杖を見つけ、それを返すために動いたが、ジニーが全く見向きもしなかったので、ポッターに投げ捨てて、2人に背を向けた。

 

 フォークスはトンネルへの入り口で待っていた。ハーマイオニーは不安になってフォークスを見つめる。

 

 ――もしかして、私を睨んでる?

 

 ハーマイオニーが先導してトンネルを歩いた。重い足取りで歩くこと約5分、3人は崩れた石の壁の前にやって来た。

 

 「ロン!」ポッターが大きな声で叫んだ。「ジニーは無事だ!」

 

 ロナルドは石の壁の小さな穴から顔をのぞかせた。「ジニー!」

 

 ハーマイオニーを除いた3人はその小さな穴を広げようと懸命に石を退かし始めた。しかし、ハーマイオニーには自分たちが通れる穴が出来るか、疑わしかった。

 

 「みんな、壁から離れて」ハーマイオニーは警告すると、杖を岩石に向けた。

 

 「レダクト!」

 

 大きな石は粉々になり、ロナルドの空けた穴よりも遥かに大きな穴ができた。

 

 ジニーはロナルドの元へ駆け、2人は再会を喜び合っていた。

 

 「でも、どうして初めからこうしなかったんだ?」ロナルドは散々騒いだ末に聞いた。

 

 「ポッターが私の杖を使っていたからよ」

 

 「そういえば」ポッターはジニーの杖を床に向けて、自分の杖を探し始めた。ハーマイオニーは少し離れた場所に移動し、若干の光を提供した。2分ほどして、ポッターは杖を見つけ、穴を潜った。ハーマイオニーもその後に続こうとしたが、躊躇した。

 

 ――ロックハートは……埋葬するべきなのかしら。もしくは火葬? 魔法使い特有の何かがあったりするのかしら? それとも彼にはそんなことをする必要はない?

 

 ハーマイオニーは天井をじっと見つめた。

 

 「どうした、グレンジャー? 早く来いよ」ロナルドが穴から頭を出し声をかけた。

 

 「今行く」ハーマイオニーは穴を通ってゆっくりと歩いた。

 

 4人は何も言うことなく、パイプの元へ歩いた。ジニーは、何かを話すのが余りにも怖いのだろう。ロナルドは、心の底から安心しているのだろう。ポッターは、英雄的な行動を思い起こしているのだろう。

 

 そしてハーマイオニーは、今日の出来事を忘れたかった。

 

 フォークスはパイプの入り口で羽ばたき、尾羽を振った。

 

 「多分、この鳥は掴んで欲しいんじゃないかな? でも、僕たちを引き上げるのは無理だよ」

 

 「フォークスは普通の鳥じゃないんだ。お互いにしがみつこう。ジニー、ロンの手を掴んで」

 

 ジニーとロナルドは手を握り、ロナルドはポッターのローブを掴んだ。ポッターがフォークスの尾羽に掴まったため、ジニーはハーマイオニーの方を向いて、手を伸ばした。ハーマイオニーはしっかりと手を握ると目を閉じた。

 

 めまいがするほどの急上昇を感じること数秒、ハーマイオニーはバスルームの床に投げ出された。

 

 「あら、生きて帰ってこれたのね」マートルがフラフラと近寄ってきた。ポッターとロナルドがマートルと話す中、ハーマイオニーはフォークスに見惚れていた。フォークスは誇り高かった。ハーマイオニーはペットを飼うなら不死鳥にしたかった。4人を持ち上げるほど力持ちで、非常に美しい鳥。そしてグリフィンドールのように勇敢な鳥。

 

 ハーマイオニーはトランス状態で、先導するフォークスの後を追った。フォークスが連れてきたのはマクゴナガルの部屋だった。

 

 2人の学生の殺人未遂を幇助した疑い。

 

 女子学生の誘拐事件を幇助した疑い。

 

 女子学生への殺人未遂。

 

 ホグワーツの教職員を殺害。

 

 ハーマイオニーが学校を追放されるのは確実だった。

 

 

 

 

 

 


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