〈1991年‐夏〉
「ハーマイオニー、外へ遊びに行きなさい」とヘンリー・グレンジャーが台所から呼びかけた。
「本を読んでるのよ、ママ」ソファーに寝っ転がっているハーマイオニーは、200ページほどの短い本から目を離さず、呻くように返事した。
「今日はいい天気よ」
ハーマイオニーは次のページを捲り、ヘンリーを無視する。
「外へ遊びに行きなさい」と反対のソファーに座っていたテリー・グレンジャーが、ヘンリーの言葉をオウム返しした。
「隣の家の子がそろそろサッカーの試合を始める頃だろう。見てくればいい」
「パパはいつもその提案をしてるけど、一度も一緒に見に行ったことが無いわ」
「まぁ……そうだね」
「パパは忙しいから仕方がないのよ」そう言ってヘンリーはリビングに入って来た。「でも、ハーマイオニーは別よ。夏を楽しむべきだわ」
「ママは学校の勉強を禁じたうえに、本を読むことまで禁止するつもりなの? そうしたら、私は一体どうやってリラックスすればいいの?」
「楽しい番組でも観ればリラックスできるんじゃないか?」テレビをつけながらテリーはぼやく。
ハーマイオニーは溜息をついて立ち上がり、母親の顔を見上げて軽く睨む。
「わかった。じゃあ、この本は外で読むことにする」
そして顎を上げてズカズカとドアへと向かって歩いた。
「暗くなる前に帰るんだぞ!」と扉がバタンッ!と閉じる前にテリーは叫んだ。
明るい太陽の元へ出てきたハーマイオニーは、鼻にしわを寄せてうつむいた。そしてすぐに、木の陰に移動することを決め、灰色の猫がスンスンと匂いを嗅いでいる花壇に、短い緑の草に、小石の歩道がある、よく手入れのされた庭へと移動することにした。
——二人とも愚かすぎるわ。自分たちがどれほど優れた娘を育てているか分かってないのよ。
ハーマイオニーは多くのことを求めなかった。本、食べ物、それから雨風しのぐ屋根。彼女はそれだけで十分に過ごせると思っていた。近所を走り回って理由もなく叫んでいる他の子供とは違う、そういう思いがあった。さらに学年度の終わりには、両親の期待にしっかりと応えた。国際コミュニケーションに関しては2番目であったけども、他の科目ではすべて1番だったのだ。
ハーマイオニーは将来のために頑張っていた。まだどんな職業に就きたいか具体的には決めていなかったが、両親のように人のためになる職業に就きたかったし、権威のある職業を得たかった。
——でもパパとママは勉強ではなくて、外に出て他の子どもたちと遊べと言う。学校を暇つぶしの場所と思っているような子供と仲良くなれるわけがないのに。
ハーマイオニーは意識を本に戻して、自分が同じ文章を何度も読んでいたことに気が付き、眉を顰めた。この本はとても面白い本だったのに、外へ出てからは殆ど読めていない。
突然本を覆い隠すように影が現れたので、ハーマイオニーは凍りついた。ゆっくり顔を上げると、年上の女性が目の前に立っている。初め、彼女は分厚い、黒いガウンを着ているように見えたが、すぐに彼女がローブととがった帽子をかぶっていることに気がついた。厳格な(しかし、意地悪という風ではない)顔付きの女性は、少し身を屈めてハーマイオニーの様子を観察している。
ハーマイオニーはどんどん不信感を募らせていった。女性が庭に入ってきたことにまったく気がつかないなんて、普通、あり得ないことなのだから。
「ミス・グレンジャーですか?」見た目通り真面目な口調で女性は尋ねた。「ハーマイオニー・グレンジャー?」
「なんでしょうか」ハーマイオニーは小さな声で聞き返した。それから本をそっと閉じて、何時でも叫べるように心の準備をした。何かあれば両親が駆けつけてくれるだろう。
「私の名前はミネルバ・マクゴナガル。貴方は本当にハーマイオニー・グレンジャーですね?」
「ええ」
「素晴らしい」マクゴナガルは微笑を浮かべた。「私はホグワーツ魔法学校から来ました。貴方に入学の案内をするのが副校長である私の役目です。ご両親の元へ案内して貰えますか?」
ハーマイオニーはしばらく空を見つめてから言った。「その話をする対象として、私は少し年を取りすぎていませんか?」
「それは、どういう意味ですか?」
「つまり……ホグワーツなんて名前は聞いたことが無いし、それに魔法? 貴方は私がそんな話にでも引っかかると思ったのかしら」ハーマイオニーは後ろを振り返って家の前の道路を見つめてから尋ねた。「誰かに言われてきたの? ジョニーかしら……ほんと、いつまでも子供ね」
「私は貴方をだまそうとしていませんよ」柔らかな声で言ったマクゴナガルは、ローブの中から1通の手紙を取り出した。エメラルド色で宛名が書いてある。
『グレンジャー家、庭 ハーマイオニー・グレンジャー様』
ひっくり返してみるとホグワーツ魔法学校と書かれている。
「貴方は魔法界で最も権威のある学校に、アルバス・ダンブルドアから招かれました」
「ダンブルドア?」ハーマイオニーはしばらく考え、それからフラップの下に手を滑らせて手紙を開けた。彼女の頭は今の状況を否定していたが、心は好奇心と期待感で溢れ、今を楽しみ始めていた。
―――――
ホグワーツ魔法魔術学校
校長アルバス・ダンブルドア
マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員
―――――
ハーマイオニーは続きを読まずに尋ねた。「色々な肩書がついていますけど、この方ってどんな人なんですか?」
「アルバスは私の最愛の友人であり、偉人の1人です」
「あー、魔法の世界で?」ハーマイオニーの言葉は少し淀んでいた。
「もちろん、貴方が手紙を受け取っただけで信じるとは思っていません。だから私がここにいるのです」そう言うとマクゴナガルはローブから1本の棒を取り出した。
「えーと……」ハーマイオニーが意図を尋ねようとする前に、マクゴナガルは空気を切るようにして棒を振り、少し大きめの石に棒を向けた。
ハーマイオニーはまじまじとその石を見つめる。石はまるで空気が入ったかのように地面を弾み、それから大きく跳ねあがって、空中でバスケットボールに変化する。ハーマイオニーは思わず声にならない悲鳴を出した。
「このように魔法は様々なことを可能にします」それからマクゴナガルは野球ボールに変えたり、石に戻して数秒ごとに色を変えたりしてみせた。
うっとりと1分ほど石を見つめた後、ハーマイオニーはマクゴナガルを凝視した。「これが……魔法……」
「ええ、魔法。そして、貴方は魔女です」
「大鍋とか……猫に変化したりだとか、箒に乗ったりだとか……不思議な薬とか……」ハーマイオニーの呻きはマクゴナガルが手を上げるまで続いた。
「最近は箒に乗る時間がありませんし、魔法薬に関しては余り才能がありませんでしたが、大方その通りです。それと猫のことに関しては、出来れば生徒に内緒にしてください」マクゴナガルはにこやかに告げた。
ハーマイオニーは激しく何度も頷いて、それから誰も見ていなかったかを確認するために通りを凝視し、そのうえで自分のくせ毛をそっと整えた。マクゴナガルはその様子を見て再び微笑むと、灰色のトラ猫に変化し、それから人間の姿に戻り、ハーマイオニーの口をあんぐりと開かせた。
「さて、貴方のご両親に会わなくてはいけません。案内して貰えますか?」
ハーマイオニーは無言で頷くと、玄関の扉を身振りで示した。そして扉を開けると、大きな声で「パパー! ママー!」と呼んだ。
「まだ少ししか外に出ていないじゃない。あら、どちらさま?」
「こちらはマクゴナガル先生。ママ、先生は魔女なの!」
ヘンリーは視線をハーマイオニーに移した。「え、どういう意味?」
「先生は猫に変化できるの」とハーマイオニーはきっぱりと言った。「私見たの! 魔法を使うところも。それに私は魔女だって!」
ヘンリーの後ろにいたテリーは前に進み出てしゃがみ込み、ハーマイオニーの肩に手を置いた。「魔法は存在しないんだよ、ハーマイオニー。お前はそんなこととっくに気が付いていると思っていたよ」
「私も今までそう思っていたわ。でも、魔法は本当に存在したの」
マクゴナガルは軽く咳払いして注意を引き寄せ、礼儀正しく挨拶した。「私はミネルバ・マクゴナガル。ホグワーツ魔法魔術学校の副校長をしております。お会いできて嬉しいです」
「ええ、まったく」とヘンリーは言った。「どういうつもりか分かりませんが、私達の娘は……」
マクゴナガルが杖を取り出して花瓶を浮かばせるのを見て、ヘンリーはそっと口を閉じた。
「そんな……あり得ない」テリーは小さく呟いた。
「私が保証しますが、魔法は存在します。そして娘さんも訓練することによって同じことが出来るようになります」
ハーマイオニーは軽く飛び跳ね、両親に抱き着いた。「今の聞いた? 私、学校に行きたい! ねぇ、お願いパパ」
テリーは眉を顰めてハーマイオニーを見下ろし、それから空中で回り始めた花瓶を見て困惑気に顔を顰めた。
「魔法が存在することは……まぁ分かりました。しかし、どうして娘も使えると分かるのですか?」
マクゴナガルは花瓶をゆっくりと降ろしながらと答える。「生まれた時に魔法の素質を持つかどうかわかるのです。ホグワーツにはその子供たちのリストがあり、ミス・ハーマイオニーもそこに記載されています。そして彼女は魔法族ではない親同士から生まれたため、説明役として私が派遣されたのです」
ハーマイオニーが期待の目でテリーを見上げると、テリーはじっくりと考えている様子だった。
「貴方は何か……身の回りで変なことが起きたりしませんでしたか?」マクゴナガルはハーマイオニーの目を見て尋ねた。「怖かった時、怒った時、何か起こりませんでしたか?」
「あー、はい!」ハーマイオニーは無意識に手をピンっと張り上げた。
マクゴナガルは再び微笑を浮かべた。「では、ミス・グレンジャー?」
「ある日、学校で、一部の男の子たちが私の本を取ろうとしました」
「それで?」
「本がネズミ捕りみたいに男の子の手を挟みました」
「本当に?」
「本当よ、ママ。彼らそれからちょっかいを出さなくなったんだもの」
ヘンリーは微笑んでハーマイオニーのぼさぼさの髪を柔らかく撫でた。
「だが、ハーマイオニーには何かスポーツを教える予定だったんです。勉強だけじゃ良くないから」
ハーマイオニーはテリーからスポーツを教わる気は全くなかったが、テリーが自分を心配して手放したくないのは十分に理解できた。
「魔法界にもクィディッチというスポーツがありますよ。学生の頃よく遊びました。彼女も学校で習うことになります」
「クィディッチ?」ハーマイオニーは熟考しながら呟いた。「聞いたことがないわ」
「箒に跨って空を飛びながらするスポーツですからね」
「空を飛ぶ?」ハーマイオニーは驚いてマクゴナガルの顔を見た。「それは危険だわ」
「その上、2つのボールはプレイヤーを箒から落とそうとしてきますよ」マクゴナガルはからかうように小さな笑みを浮かべた。
「どうやって勝負を決めるんです?」ハーマイオニーは信じられない顔で父の顔を見上げた。
「3つの輪があり、そこにクアッフルというボールを入れると10ポイント獲得できます。キーパーがいますのでなかなか難しいですが……。ゲームの終了条件は、時間ではなく、スニッチという小さな金のボールを捕まえることです。そしてスニッチを捕まえた時のポイントは150です」
「150……」
「それで、クラスはどうなるんですか?」ハーマイオニーは話を断ち切って尋ねた。「それから教科書は? どこで買うことが出来ますか? 普通には売られてないでしょうから、きっと」
「貴方が受け取った手紙に書籍一覧表があります。2、3日の内に学校から連絡が入り、ロンドンとキングス・クロスを案内してくれるでしょう」
「駅?」
「キングス・クロスはホグワーツ行きの特急が出る駅です」
「ホグワーツには電車で行くんですか?」
「正確には汽車ですが、その通りです。ホグワーツは全寮制で、9月から6月まで不思議で魅力的な仲間たちと過ごすことになります」
「9カ月も?」
ハーマイオニーは2週間よりも長く家を離れたことが無かった。そして、その2週間というのも休暇で両親と旅行に行った時のことだった。
「すぐに城は家に少しも劣らない場所になりますよ」
「ホグワーツは城なんですか?」ハーマイオニーは興奮気味に尋ねた。
「ホグワーツは城です。最も偉大な4人の魔法使いと魔女によって創立されました。学生が過ごすことになる寮は、彼等の名をとって名づけられました。勤勉で優しい生徒が集まるハッフルパフ、あなたが入るかもしれない研究者的な思考を持つ生徒が集まるレイブンクロー、それからスリザリン」そこでマクゴナガルはいったん言葉を止め、おそらく何を言うべきか考えていた。「彼らは向上心に溢れています。そして最後にグリフィンドール、私の寮です。勇敢な生徒ばかりですよ」
「寮は個性によって決められるんですか?」ハーマイオニーは期待を込めて尋ねた。学者的な思考、きっとレイブンクローに入れば真面目に勉強に取り組む生徒ばかりで、何のトラブルも起こらないだろう。その環境ならば、きっと友人だって作ることが出来るはずだ。
「ええ、そうです」
「でも、どうやって判別するんですか? 一人一人を長い間観察するなんてことは出来ないでしょう?」
「貴方は本当に知識欲旺盛ですね。非常にレイブンクロー生的な良い姿勢です。しかし、組み分けの方法については教えることが出来ません。でも、心配しないでも大丈夫ですよ。安全で知的な方法がありますから」
それからマクゴナガルはチラリと腕時計を見て言った。
「一旦学校に戻らなくてはいけません。とにかく、制服、学用品に関しては後日連絡申し上げますので、2、3日の間は時間を空けておいてもらえると助かります。それではグレンジャー、ホグワーツで貴方のことを待っていますよ」