「大丈夫かグレンジャー?」マルフォイはハーマイオニーをジッと見て尋ねた。
ハーマイオニーは日記を見下ろしていた。文字が消えてもトムの言葉は頭の中に残り、いくつもの疑問を思い浮かばせていた。トムの言葉が真実なのか。どうしてダンブルドアは秘密の部屋を開いてマグル生まれを殺した男を雇っているのか。
マルフォイが肩越しに顔を覗いた。「まるで幽霊みたいだ。本当に大丈夫か?」
ハーマイオニーはトムの日記をバッグにしまい、「大丈夫よ」とブツブツと答えた。
「薬はどんな感じだ?」マルフォイは大鍋の蓋を持ち上げた。
「そろそろ完成よ」とハーマイオニーは不機嫌に呟いた。そしてマルフォイの手を軽く叩いた。「放っておきなさい。それより、すぐに髪の毛を集めなきゃいけない」
「ああ。で、君はどうするんだ?」
「私は既にパドマの髪を手に入れてるわ」
「彼女がグリフィンドールじゃないって知らないのかい?」マルフォイは冷笑した。
「わかってるわ。でも彼女の双子の姉妹はグリフィンドールよ。顔も全く同じ」
ハーマイオニーは人差し指でこめかみを軽く叩いた。「濃くしすぎないようにして。私は捕まりたくないわ」
「それで、僕の分はどうなってるんだ? ロングボトムだけは勘弁だぞ。あいつの酷いアクセントは到底真似出来るとは思えない」
「あなたにはロナルド・ウィーズリーになってもらうわ」ハーマイオニーは笑顔で言った。
「冗談は勘弁してくれ。馬鹿が必要なら、クラッブを連れて行けばいい」
「私は真面目よ。マルフォイ、本当にポッターに秘密を吐かせる気なら、あなたはウィーズリーになるしかない。ウィーズリーに話さない秘密なら、ポッターは誰にも打ち明けないでしょうし」
「絶対にゴメンだね!」
・
「で、僕はどうすればいいんだい?」
マルフォイはスリザリンのテーブルからグリフィンドールのテーブルを伺っていた。
「ウィーズリーの髪を入手し、彼の皿にこのスコーンをそっと置いて帰ってきて」
「このスコーンには何かあるのか?」
「消化不良を起こす特別な魔法薬が混ざっているわ」
「消化不良?」
「つまり、一晩中ゲーゲー吐くの」
マルフォイは顔を顰めた。「ウンザリするだろうな」
「でも、そうしないとウィーズリーとバッタリ遭遇してしまうかもしれないわ。ウィーズリーが2人いるなんて、頭がどうにかなっちゃう」
「パドマには対策をしているのか?」
「彼女は毎週金曜日の夜に、パーバティーと一緒に図書館に行くの。週末に課題を終わらせてるわけよ」
「どうして分かる?」
「頻繁に図書館にいるから」
マルフォイは奇妙な表情を浮かべた。
「それで、君はウィーズリーがこのスコーンを食べると確信してるのか?」
「ウィーズリーは自分の皿の上にのっている物は全部食べるわ」
「どうして知ってる」
「これまでにウィーズリーの食事を見たことがある? 彼は豚よ」
「なるほど、なるほど。素晴らしいね。おい、クラッブ、ゴイル行くぞ」マルフォイは立ち上がって、スコーンをローブの袖の中に入れた。
ハーマイオニーは彼らが大広間を大きく横切って、グリフィンドールのテーブルに近づくのを見守った。マルフォイはどうやらウィーズリーの家を侮辱しているようだった。
少しして、マルフォイはウィーズリーの皿に手を伸ばしたが、その動きはかなり目立っていた。ハーマイオニーはマルフォイに罪は無いと分かりつつも、仕事を任せたのが正しい判断ではなかったと、後悔せずにはいられなかった。マルフォイは魔法使いであっても、マジシャンでは無いのだから。
突然、ウィーズリーは立ち上がり、マルフォイに殴りかかった。マルフォイはよろけ、腕をテーブルにぶつけ、それから後ろに飛び跳ねた。
テーブルから少し離れたマルフォイは、再び何か言っているようだった。ウィーズリーはマルフォイに突進し、2人は抱きつくように衝突する。弾き飛ばされたマルフォイはクラッブとゴイルによって支えられて体勢を立て直し、戦う構えをとった。しかし、近寄ってくるマクゴナガルを見て、素早く回れ右し、スリザリンのテーブルへ戻ってきた。
「上手くいったはずだ」とマルフォイは袖からスコーンの残骸を落としながら言った。「ウィーズリーが本当に豚ならな」
数分後、口元を手で覆い隠したウィーズリーは、大広間から大急ぎで走り去っていった。
・
「本当に効くのか?」マルフォイはグラスに入った茶色の液体をジッと見つめた。
「もちろん」
ハーマイオニーは液体の中に2、3本の髪の毛を投入した。液体はグツグツと動き、それから明るいキャラメル色の液体に変わった。しかし、匂いは……黒胡椒のようなスパイスのものだった。
マルフォイも同じように髪の毛を投入した。そして彼の液体は病的なまでに濃いピンク色に変化した。マルフォイは匂いを嗅いで「ウンザリする」と呟いた。
「乾杯」
ハーマイオニーはグラスをぶつけると一気に液体を飲み干す。マルフォイは少しずつに分けて飲んでいた。
胃の中はうごめいているようだった。鼓動が大きく鳴り響き、胸、胃、喉が熱く燃え上がる。肺は圧迫され、胸は絞られていた。皮膚が溶け始め、日焼けしていく。ハーマイオニーは呼吸することが出来なかった。
ついに耐えられなくなって、ハーマイオニーはグラスを床に落とし、その場に倒れた。
ハーマイオニーは自分の腕が発疹のように少しずつ茶色くなっていくのを恐怖を感じながら見ていた。髪は少しずつ短くなり、頭皮を引っ張る。
そして、それらの変化は突然止まった。
ハーマイオニーは咳き込んで、懸命に空気を吸い込んだ。
呼吸が落ち着くと、ハーマイオニーはマルフォイに目を向けた。マルフォイは壁に手をつけてゼーゼー喘いでいる。マルフォイの滑らかなブロンドの髪は、明るい赤毛に変わり、尖った鼻に貴族的な顔つきは、ロナルド・ウィーズリーのずんぐりとした顔に変化していた。
ハーマイオニーは震える足で立ち上がった。
「私たちは――」
口から出たのは、ハーマイオニーの声ではなかった。
「私たちは、成功したのよね?」
ハーマイオニーは喉に手を当てて、鏡を覗き込んだ。鏡に映るのは少女だったが、ハーマイオニーではなかった。
「パチルはそんな風にどもり声だったか?」マルフォイはウィーズリーの声で言った。
「いいえ」
確かにこの声は正しくなかった。これでは自然では無い。ハーマイオニーはパドマを意識して再び声を出した。
「こんな感じかしら」
「絶対に見分けがつかないな」ウィーズリーはパドマの隣に立って鏡を覗き込んだ。
「さっそく着替えましょう」
「ああ……」マルフォイは顎をさすると鏡から目を背けた。
グリフィンドールのエンブレムは、自前のエンブレムにハーマイオニーが魔法をかけて変化させたもの。それからローブにネクタイも同様の手段で用意した。
「時間よ」ハーマイオニーは新しい声帯で呟いた。そしてトイレ前の廊下に誰もいないのを確認すると、大広間に向かった。
グリフィンドール生の集団を中央階段で見つけ、ハーマイオニーはその後を追った。
「大丈夫だろうけど、談話室の場所は知っているんだろうな?」
ハーマイオニーは目をパチパチさせた。「今から突き止めるに決まってるじゃ無い」
「今から?」マルフォイは階段の途中で突然立ち止まった。「計画してなかったのか? 僕たちには何ヶ月もの時間があった。それなのに今から突き止めるだって?」
「仕方が無いじゃ無い。スリザリンの制服を着ているだけで、グリフィンドール生に警戒されちゃうんだもの。それに校内をウロウロしてたらスネイプに怪しまれるわ」
マルフォイは額に手をあてた。「君は相談というものを知らないのか」
「大丈夫よ。問題無いわ」
「ロン!」
ハーマイオニーは身動きを止めた。そしてゆっくりと頭を回した。階段の最上段で、ハーマイオニーは最重要ターゲットを発見した。ハリー・ポッター、スリザリンの継承者。
近づいてくるポッターをクローズアップせずにはいられなかった。少し汚れた黒髪にメガネ。小さな細い男の子。ハーマイオニーはポッターよりも背が高かった。正確には、パドマ・パチルは、ポッターよりも背が高かった。
「ロン、もう大丈夫なの?」ポッターはマルフォイの肩に手を置いて、心配そうに尋ねた。「今からお見舞いに行こうとしてたんだ」
「トイレに行って……うん、大丈夫……うん」とマルフォイはブツブツ呟いた。
「さあ、談話室に戻ろう」
ポッターとマルフォイはハーマイオニーの先を歩いた。
グリフィンドール寮は、太ったレディの肖像画の後ろに隠されていた。ポッターは合言葉を言って扉を開けると、談話室の人気の少ない隅の席へ歩き出した。
グリフィンドールの談話室には木の家具、赤いクッションにソファー、明るい暖炉と、スリザリンの地下牢よりも暖かな雰囲気だった。
ハーマイオニーがポッターの近くの席に腰を下ろすと、ポッターは今頃存在に気がついたかのように、驚いた顔でハーマイオニーを見つめた。
「えっと……パーバティーは僕と話をしていたんだ」とマルフォイは切り出した。
「彼女はつまり……君の側につきたいそうだ」
「僕の側?」
「そう。えー、インドではパーセルタングは悪いものとして扱われていない」
ハーマイオニーはうなづいた。「選ばれた者、尊い存在だわ」
「えっとー……」
「それで僕は……彼女を引き入れたいと思って」
「彼女を引き入れる?」
「ああ。僕に話したことを彼女にも話してやってよ」
ポッターは口をゆっくりと開いた。が、焦ったマルフォイが口を挟んだ。
「ほら、ハリー。君は7年間この場所にいることになるわけじゃないか?君には仲間が必要なんだよ」
「僕にはもう仲間はいる」ポッターは拗ねるように呟いた。
「ウィーズリーという名前がつかず、クィディッチチームのメンバー以外に?」
ポッターは黙り込んでしまった。
「さあ、ほら」
「やっぱり、ロン」ポッターは頭を横に振った。「こんなの間違っていると思う」
マルフォイはため息をついた。「でも、ハリー。ダンブルドアは、この状況下で君が孤立することを望んでいないよ」
「ダンブルドアは……すぐに犯人を捕まえてくれる。最高の魔法使いなんだから」ポッターはブツブツと呟いた。
「奴は狡猾でノロマーー」マルフォイは突然口を押さえた。「気持ち悪い。ちょっとトイレに行ってくる」
マルフォイは立ち上がり、寄宿舎に続くであろう階段の元へ走った。
「ロン、そっちは女子寮だ!」
マルフォイは急停止すると、別の階段を駆け上がっていった。
ハーマイオニーは茶番に呆れつつも、ポッターと2人きりになれたことに感謝していた。
ポッターはハーマイオニーがいないかのように無視していた。あるいは本当にいることを忘れていたのかもしれない。最初に声をかけたのはハーマイオニーの方だった。
「あなたは本当に……継承者なの?」
ポッターはウンザリしたように首を振った。「違う」
「でもラベンダーはそう言ってたわ」
「どのラベンダーが何を言ったかは知らないが」とポッターは吐き捨てた。「僕は継承者じゃない」
「さっきのダンブルドアに関しての言葉も、嘘なんでしょう?」
「いい加減にしてくれよ。……頼むから、すぐにラベンダーのところに行って、彼女の発言が間違ってることを伝えきてくれ」
ハーマイオニーはポッターの明るい緑の目を覗き込んだ。次の瞬間、奇妙な感覚が頭を通って、じんわりと胸に入り込んできた。それは恐怖と戸惑いだった。
奇妙な感覚が消えた時、ハーマイオニーはすっかりポッターの言葉を信じきっていた。
ポッターは秘密を隠そうとしている継承者ではなかった。ただの、恐怖を抱える男の子だった。
ハーマイオニーはしばらくの間黙り込んでいた。
「分かったわ。私はあなたを信じる」
「そりゃ、良かったよ」とポッターは投げやりに言い、椅子に座り直した。
「それで、あなたはダンブルドアに何を隠しているの?」とハーマイオニーは静かに尋ねた。
ポッターは驚いた顔をしたが、すぐに「何も無い」と返答した。
「ねぇ、ハリー」ハーマイオニーは慎重に口を開いた。「ダンブルドアにはすぐにバレると思わない?」
ポッターはジッとハーマイオニーを見つめた。
「だとしても、他のみんなに話す必要があるとは思えない」
「マグル生まれの生徒を助ける気がないなんて、本当に悲しいわ」
「決闘クラブ以降、グレンジャーが僕のことをどういう目で見ているか知ってるか?」
ハーマイオニーの背筋に、逆撫でされたかのようなゾワッとした感覚が走った。まさか自分の話題が出るとは思ってもみなかった。
「まるで僕が両親を殺したかのような目で見てくるんだ」
「あなたを継承者だと思ってるからよね?」ハーマイオニーは身を乗り出した。「スリザリンの継承者がマグル生まれの生徒を襲撃している中、あなたがパーセルタングを話したから」
ポッターは肩をすくめた。「ジャスティンを助けようとしただけなんだけどね」
ハーマイオニーは言葉に気をつけながら踏み込んだ。「でも、他の人から見れば違って見えたと思わない?」
「無我夢中だったんだ。蛇が噛まないように集中していたから」
ふと疑問が湧いて、ハーマイオニーは尋ねた。
「ねぇ、秘密の部屋と関係無いなら、どうしてパーセルタングが喋れたのかしら? つまり、喋れた理由が遺伝じゃ無いとしたら」
ポッターはしばらく黙り、それから緑の目でハーマイオニーを捉えた。「遺伝じゃないなら、精神的なもの?」
ハーマイオニーはポッターの発言についてよく考えてみた。
魔法の存在を知ってから2年ばかりしか経っていないが、それでも沢山のことで驚かされてきた。最近で言えば、トムの日記がそうだろう。ハリーの指摘する精神的なものというのは、あながち間違いではないかもしれない。ダンブルドアがパーセルタングを話すポッターを継承者だと頑なに認めなかったのも、遺伝だけではなく、別の理由が思い当たっていたからかもしれない。
「ハリー、あり得るかもしれない」
ポッターは小さく頷いた。
「頭の中に誰かの存在を感じる?」
「いいや」ハリーはきっぱりと答えた。
「誰かの声が聞こえたり、考え、あるいは感覚が伝わってきたことは?」
ポッターは僅かに遅れをとった。
その時、マルフォイが階段を降りてこちらに歩いてきた。どこか満足気な様子に見える。
「調子はどう?」
「すっかり良くなったよ」
「それは良かった」
「で、彼女が信頼できるってのは分かってもらえた?」
「その話は既に解決したわ」とハーマイオニーは素早く話した。
「パーバティーは、ラベンダーの言ってることが全て正しいわけじゃないって知れたようだよ」とポッターは苦々しく言った。
「そりゃ、良かった。それじゃ僕ーーこれからチェスをする予定があるんだ。そろそろ行かなくちゃ」
マルフォイは喉に手を当てると、キョロキョロと辺りを見渡して、歩き出した。
「ロン、部屋はそっちじゃないよ!」ポッターは叫んだ。
「大広間でする約束なんだ!」マルフォイは怒鳴り、グリフィンドールの1年生をかき分けて肖像の穴から出て行った。
「危なっかしいわね……」ハーマイオニーは小さく呟いた。
ハーマイオニーが視線を戻した時、ポッターは呪文学の教科書を開いていた。どうやらポッターは、学業に対する努力がウィーズリーを上回っているようだ。
「それじゃ、ハリー。私はラベンダーに話をしてくるわ」
「うん、頼んだよ」
顔を上げたポッターの顔を見て、ハーマイオニーは右のレンズの底にヒビが入ってるのを発見した。
「ハリー、メガネが壊れてるわ」ハーマイオニーは信頼できる愛用の杖を取り出した。
「迷惑をかけたお詫びよ。オキュラス・レパーロ!」
ヒビは消え、メガネは新品であるかのように輝いた。
「ありがとう、パーバティー」ポッターは状態を確かめるためにメガネを外した。
「クィディッチの試合で壊れてしまわないか、不安だったんだ」
「幸運を祈るわ。マルフォイを地面に叩きつけてやりなさい」
「次の対戦相手はレイブンクローだよ?」
「まぁ、ともかく、来年、彼を叩きのめしてやって」
ポッターは笑顔を浮かべた。
「もちろん、そのつもりだ」
ハーマイオニーはすぐに帰ろうとしたが、寄宿舎に少し寄ることにした。マルフォイが見れたのだから、自分も見に行っても問題ないように思えたのだ。
ハーマイオニーは階段を登って、2年生の部屋を見つけた。緑のものが赤に変わっている以外、スリザリンと同じ部屋だった。
「あら? パドマと図書館で勉強してる時間でしょ?」
ハーマイオニーは凍りついた。ラベンダーがベッドに寝っ転がって雑誌を見ていたのだ。
ラベンダーは詮索するように、ジッとハーマイオニーを見つめていた。
完全に不注意だった。パーバティーがいつも同じ行動をしているなら、彼女の親友もそれを知っていて当然なのだから。
「ああ、その……」ハーマイオニーはブツブツ呟いた。「ちょっと忘れ物しちゃって」
ラベンダーは満面の笑みを浮かべた。
「そんなの嘘よ。パドマはそんな理由で貴女を逃したりしないわ」
「確かに」ハーマイオニーは曖昧に笑った。「でも、トライしてみる価値はあったわ」
ラベンダーはクルクルとベッドの上で回った。
「それで、ハッフルパフの男の子は、今夜何処にいるの?」
「えっと」ハッフルパフの男の子? 誰だか見当もつかない。「いいえ、約束してないの」
「何を照れてるのよ。貴女ってホント可愛らしいわね。ほら、早く行きなさい。恋愛は勉強よりもずっと簡単よ」
ハーマイオニーは頷いて、パーバティーが気にも留めないであろう真っ白なノートを手に取ると、素早く部屋を出た。
ハーマイオニーは2段飛ばしで階段を降り、早足で談話室を歩き、肖像画の穴から勢いよく飛び出した。そして
大広間の方へ降りていき、途中で地下牢の方へ向きを変えた。
しかし、パーバティーの格好で談話室に戻る訳にはいかないと気がつき、2階の女子トイレに方向転換する。
2階の女子トイレに入ると、いつものようにマートルの呻く声が聞こえた。ハーマイオニーは気にもせず、角へ向かい、隠していた大鍋を取り出した。
大鍋を手洗い台で洗っていると、トイレの個室から荒い呼吸が聞こえてきた。それからすすり泣く音も。
泣いているのは、マートルではなかった。
ハーマイオニーは慎重に大鍋を置くと、杖を取り出した。そしてゆっくりとトイレの個室に近づき、完全に閉まりきっていないドアを、慎重に開けた。
りきっていないドアを、慎重に開けた。
しゃがみ込んで、便座に頭を向けていたのは、ロナルド・ウィーズリーだった。
数秒ごとに彼は痙攣し、胃の内容物を吐き出そうとしている。しかし、赤毛の男の子は何も吐き出せず、酷いゼーゼーという音と、泣き声を出していた。
――多分……薬が強すぎたんだわ。
罪の意識が湧き上がり、ハーマイオニーは心臓に痛みを感じた。ハーマイオニーはここまでウィーズリーが苦しむなんて、思ってもみなかったのだ。
――でも、相手はウィーズリーよ。彼は今までにたくさん酷いことをしてきたわ。
ハーマイオニーはこのまま放置して去ることを考えた。しかし、この女子トイレに大釜を隠さなければならないのだ。
ウィーズリーは大鍋を見つけ、大騒ぎするかもしれない。マートルが彼に秘密を話すかもしれない。そして、秘密を知れば、ウィーズリーはダンブルドアに何でも話してしまうだろう。
――だから、彼をこのままにはしておけないわ。
「ウィーズリー。ねぇ、ロン、起きて」ハーマイオニーは責めるような声で呼んだ。
ウィーズリーはゆっくりと顔を傾けた。
「パーバティー? ここで何をしてるんだ? ここは――」ウィーズリーは激しく咳き込んだ。「男子トイレだ」
「いいえ、ここは女子トイレよ。あなたはどうして此処にいるの?」
「気持ち悪くて……」
ウィーズリーは突然口を押さえて頭を前後に揺らした。ハーマイオニーは哀れな男の子が不快感で地面で震えているのを黙って見ていた。
「起きて、ロン」
「無理だ!」ウィーズリーは叫び、便器にしがみついた。
「行くわよ」ハーマイオニーはローブの襟首を掴むと、力を入れてウィーズリーを立ち上がらせた。
「待って、ほんとに、待って!」ウィーズリーは泣き声の混じった懇願をし、再びしゃがみこもうとした。
「此処にいちゃ、いつまでも回復しないわ。さあ、頑張って」
ハーマイオニーはウィーズリーの腕に自身の腕を絡ませて、女子トイレから彼を引きづり出した。ローブは嘔吐物で汚れたが、ハーマイオニーは気にも留めなかった。
2人は廊下の壁際を歩いて、医務室に向かった。ウィーズリーは時々荒い咳をし、その場にしゃがみ込んだ。が、その度にハーマイオニーはウィーズリーを担ぎ直し、医務室へ急いだ。
医務室の扉を開けると、マダム・ポンフリーが顔をしかめた。
「一体何事ですか?」
「彼が女子トイレに倒れていたので連れてきました。多分、彼は夕食の途中から吐いていたんだと思います」
ポンフリーはウィーズリーをベッドに横たえるのを手伝いながら尋ねた。「まだ吐き出しそうですか?」
「もう何も残ってません」と真っ青なウィーズリーは言った。
「そう」ポンフリーは杖を取り出すとブツブツ呪文を唱えた。
「深刻なものではないわ。胃を休めれば大丈夫よ」
ポンフリーは近くのキャビネットに早足で近寄り、色のついた瓶を取り出した。そして、それを慎重に小さなカップに注ぎ込んだ。
「ミス・パーバティーは寮に戻りなさい。夜間外出禁止令はもうすぐ始まります」
ハーマイオニーは頷いた。そして立ち去ろうとしたが、2つのベッドが視線に入った瞬間、体の動きを止めた。
――ジャスティンとコリンはまだ石のままだ。
ハーマイオニーはハッと息を飲んだ。継承者はまだ学校にいるのだ。そしてポッターは、継承者ではなかった。
――では誰が?
恐れるな。ハーマイオニーは自分自身に言い聞かせた。そしてスネイプの言葉を頭に思い浮かべた。スリザリンなら計画を練る。
ハーマイオニーは走り出した。今するべきことは地下牢まで全力で走ることだった。
ハーマイオニーは全く気がついていなかったが、走っている最中に、パドマの姿は徐々にハーマイオニーに戻り出していた。ハーマイオニーがその事に気がついたのは、スリザリンの寮の前についた時だった。ハーマイオニーは杖を取り出すと、ローブから汚れを取り除き、それからかけていた魔法を解いてスリザリンのローブに戻した。そして合言葉を言うと、急いで中へ入った。
マルフォイは既に談話室に戻っていた。彼はクィディッチのメンバーに囲まれ、楽しそうに笑っている。その傍にはパンジーの姿もあった。ハーマイオニーはその輪に飛び込む気には全くなれず、自分の部屋にまっすぐ向かった。
部屋はハーマイオニーの大好きな状況だった。誰1人としていない、空の部屋。
ハーマイオニーはローブを脱いで投げ捨てると、ベッドに飛び込み、トムの日記と羽ペンを取り出した。トムがハグリッドのことを書いて以来、日記には何も書き込んでいない。
『トム?』
『大丈夫かい? ルビウスに話しかけていないよね?』