戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

95 / 128
犬子と柘榴と一二三と九十郎第130話『元気万倍』

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

粉雪と九十郎の対決は、一瞬にして終わった。

粉雪の気力、体力はとっくの昔に限界を超えていたのだ。

 

九十郎の峰打ちでもって粉雪は木の葉の如く吹っ飛び、力無く倒れ伏していた。

 

「そういや、初めて会った時もボロボロだったよな」

 

犬子と一緒に尾張から出奔し、新たな仕官先を求めて旅をしていた頃の話だ(第18話)。

思い返せば、随分と時間が経ったような気がした。

 

「愛した男が実は敵……か……

 あの時はあたいと九十郎がそういう関係になるなんて思ってもみなかったぜ」

 

「お互い体調が万全だったなら、結果は逆だったかもな」

 

「何言ってるんだ、遅滞戦法の完遂を優先させて、

 勝負を避けて逃げ回ったのはあたいの方だぜ」

 

「それ含めて、勝負かね……」

 

九十郎は純然たる剣士として粉雪に相対した。

一方粉雪は最初から最後まで武将、あるいは前線指揮官として戦っていた。

粉雪にとって戦とは、眼前の勝ち負けを度外視してでも達成しなければならない目標がありうるものであり、また、自分が万全な状態で戦えるよう立ち回る事も含めてのものなのだ。

 

「親衛隊は……しばらく動けないか……」

 

粉雪と赤備え達は凄まじい勢いで越軍本陣をかき回していった。

親衛隊を含めた本陣の兵達はこれでもかって位に混乱し、少なくない数が傷つき、逃げる武田晴信を追いかけたり、敵中に取り残された美空を助けに行くにはしばしの時間が必要だ。

 

その意味では、粉雪と赤備え達は見事に作戦目的を達成したと言えるだろう。

 

「さーて、あんまりモタモタしてると美空や柘榴がやばいかもな……

 祝勝代わりと再会祝いに一発ヤッちまおうかと思ったが、やめにしよう」

 

「おいこらっ! 美空がやばくなかったらこの場でヤる気だったのかぜ!?」

 

「ああ」

 

九十郎は一切の躊躇無く頷くと、倒れた粉雪をお米様抱っこで持ち上げる。

 

「馬鹿野郎っ!!

 いくらなんても衆人環視の……しかも敵のど真ん中でセックスなんてできるかっ!!」

 

「いや、流石に物陰に引っ張り込むくらいの配慮はするつもりだったぞ」

 

「んな配慮いらねぇぜ!!」

 

「ぶっちゃけ今、勃起してる」

 

「馬鹿っ!! そういうのは……そういうのは、閨の中で、2人きりの時に言えよ……」

 

粉雪の顔がかあぁっと赤くなっていく。

惚れた男と密着しているせいか、武将としての色が消え、武人としての色も薄れ、1人の女の色が濃くなっていく。

 

もしも九十郎から、今すぐ、この場でお前を抱きたいとでも囁かれたら、自分はどうするだろうかと考える。

もしかしたら、なんやかんや文句を言いつつも、受け入れてしまうのではと考える。

今、この場で九十郎に押し倒されたい、抱かれたいという背徳的な願望が胸の奥に僅かな、しかし確かな震えとともに湧き上がる。

 

だがしかし……

 

「松葉、俺が戻るまで粉雪の身柄を頼む。

 俺の戦利品だからな、逃がしたり無駄に傷つけたりするんじゃねえぞ」

 

「……承知した。 御大将と柘榴は任せる」

 

九十郎は粉雪を米俵のように担ぎ上げたまま、松葉に身柄を預けようとする。

 

粉雪自身、このまま九十郎の捕虜というか、戦利品になるのも決してやぶさかではない。

だがしかし……

 

「合図か来たか……悪い、九十郎」

 

粉雪が九十郎の耳元で囁いた。

 

「何だ、急に?」

 

「実は連れてきてるんだよ」

 

「……誰を?」

 

九十郎は猛烈に嫌な予感がした。

 

「……小夜叉」

 

瞬間、九十郎は血の気が引いた。

そして叫ぶ、腹の底から叫ぶ。

 

「松葉避けろおおおぉぉぉーーーっ!!」

 

ざくりっ! と、松葉の胸から真紅に染まった刃先が生える。

人間を、まるで骨が無いかのように切り裂き、貫く名槍、人間無骨が彼女を貫いた。

 

「が……ぐぅ……!?」

 

完全に不意を衝かれた。

咄嗟に急所を……心臓を刺し貫かれるのを避けるのが精一杯であった。

 

「死ねっ!!」

 

フルプレートで武装した小夜叉が人間無骨の柄を蹴り上げる。

その衝撃で刃先が一気に跳ね上げられ、松葉の左肩を大きく切り裂いた。

血管が何本も何本も切断され、噴水の如く鮮血が流れ出す。

 

「小夜叉てめぇっ!!」

 

九十郎が激高し、粉雪を放り投げてて走り出す。

 

「……ちっ、浅かったか」

 

小夜叉が小さく舌打ちをする。

全員の視線が粉雪に集まっていたが故に、不意打ちには成功した。

しかし、それでもなお松葉は紙一重で致命傷を避けていた。

 

一直線にこちらに向かってくる九十郎を前に、松葉にトドメを刺す時間はあるかと自問自答し……

 

「まったく、このオレが……二戦連続で1人も殺せずとは情けねぇっ!!」

 

……決断する。

 

「こっちに向かって!?」

 

「通してもらうぜっ!!」

 

松葉を救出しようと走る九十郎。

九十郎の予想に反し、逆に九十郎と粉雪の方向へ身を低くしながらダッシュする小夜叉。

 

森一家特有の勝負に対する感性が、再び九十郎の意表を衝き、小夜叉に行動の自由を与える。

 

そして……

 

「悪ぃな、九十郎! 今回の戦は、引き分けって事にしてくれなんだぜ!」

 

小夜叉は倒れ伏す粉雪を抱えると、凄い速さで退散していった。

 

「……やられたな。 山県昌景を甘く見た俺の落ち度か。

 いや、親の身柄がこっちにあるからって、

 あの小夜叉が不参加って決めてかかった俺の不明か。

 ええいクソッ! いくらボロボロになろうとも侮らないって言った先からコレかよ!

 おい松葉大丈夫か? すぐ止血するからな」

 

九十郎は一瞬、悔しそうに歯噛みするも、すぐに松葉の手当を開始する。

 

「しばらく……動けそうも無い……」

 

「しばらくって言うか絶対安静だぞ! 死にたくなかったら大人しくリタイヤしてろ!」

 

「……不覚」

 

「こりゃかなりの深手だな……下手すりゃ……」

 

嫌な予感が九十郎によぎる。

もしかしたら、もう二度と槍を握り、馬に乗れないかもしれない。

もしかしたら、もう二度と戦場に立てなくなるかもしれない。

あるいはこのまま……命を落とすかもしれない……

 

九十郎の額に脂汗が浮かんだ。

 

「……追って」

 

「口を開くな、重傷なんだぞ」

 

「追って! 今すぐ!」

 

松葉が声を荒げる。

瞬間、傷口から一気に血が噴き出した。

 

「馬鹿野郎! 大声出すな! 死にてぇのか!」

 

「……美空様を、守って」

 

鋭い眼光は九十郎を射抜く。

今にも死にそうな程の重傷だというのに、九十郎は思わず身を竦めてしまった。

 

「そうだったな、お前ら親衛隊にとっちゃ、

 美空の生還は自分の首の有り無しよりも重要な事だったな」

 

松葉が頷く。

九十郎はそれを見てふっと笑い、すっくと立ちあがる。

 

「死ぬんじゃねえぞ、松葉」

 

犬子と信虎が向かった先へ……未だ混沌として、殺伐とした殺し合いが続く戦場へと駆けだした。

 

……

 

…………

 

………………

 

一方その頃、松葉殺人事件(未遂)の下手人は、疲労困憊の粉雪を背負い走り続けていた。

 

「……それにしてもお前、度胸あるな」

 

「そうだろ? 女は度胸、戦場で生き、戦場で死ぬ森一家ならなおさらさ」

 

息を吸うよりも気楽に人殺しができる少女、小夜叉がニカッと笑う。

が、粉雪が言いたい事はそういう事ではない。

 

「いや、奇襲は見事だったぜ。 あたいが注意を引いてたつっても、

 松葉相手にああも見事に不意討ちを決めるのは普通じゃねえぜ。 でもよ……」

 

「あん、他になんかあんのかよ?」

 

「お前の母さん、今越後の世話になってんだろ。

 あたいの退却を手伝うだけならともかく、松葉をぶった斬ったら立場危うくしねえか?」

 

「……?」

 

小夜叉は何も考えていなかった。

至極単純に、あの場にいた中で松葉が一番の手柄首だからと襲い掛かっただけである。

 

「まあ、その辺は追々考えりゃ良いか」

 

小夜叉はとりあえず考えるのをやめた。

とりあえずぶち殺した相手が、後で殺しちゃ拙い奴だったと判明するのは、小夜叉にとっていつもの事である。

 

「あたいら赤備えにできる事はここまでだ。 後は頼んだぜ、春日、兎々、心……」

 

自分だけ一足早く戦場から離脱する事に一抹の不安と、罪悪感を覚えつつ、粉雪は意識を失った。

どっちにしろ、既に彼女は限界だった。

 

……

 

…………

 

………………

 

「怯むな! 押し返せ! 赤備えだけに良い恰好をさせる気か!?」

 

春日が声を張り上げる。

ここまでの戦いで、彼女もまた少なからず負傷し、少なからず疲弊していた。

 

だがしかし、この程度では武田四天王筆頭は折れない、曲がらない、諦めない。

何度も何度も声を張り上げ、次から次へと詰めかけて来る越軍の雑兵共を切り捨て、今にも崩れそうな味方を鼓舞し、戦線を支え続けている。

 

粉雪と赤備えが稼いだ、千金にも勝る時間をギリギリまで使い、敗走をしつつあった味方から比較的戦意を維持している連中をかき集め……しかし……

 

「(これは……駄目かもしれんな……)」

 

春日は歴戦の勇将である。

勝ち戦も、負け戦も、数えきれない程に経験している将である。

それ故に分かる、分かってしまう……すでに勝負は決していると。

ここからどれだけ奮戦しようとも、甲軍の敗北と、自分達の討ち死には覆らないと。

 

「兎々、どうやらここが拙らの死に場所らしい」

 

春日がそう言って笑った。

見る者全てが戦場である事を忘れてしまいそうになる程、春日が武田四天王筆頭である事を忘れてしまいそうな程に優しく微笑んだ。

 

「兎々は……兎々の命の使い方はずっと前から決めてたのら。

 死ぬ時は絶対、御屋形様のためにって決めてたのら」

 

兎々は春日と同じ位……いや、もっとずっと深く深く傷ついていた。

常人では死んでいてもおかしくない程に失血し、身体のあちこちに銃創があった。

 

先程から典厩武田信繁の姿や、山本春幸の姿が見当たらない。

どうしても最悪の予想が頭にちらつく。

 

だがしかし、だがそれでも。

 

「御屋形様が退却するまでは……」

 

「ここは絶対! 通さないのらぁっ!!」

 

再び気合を入れ直し、春日と兎々が絶望的な戦いを再開する。

 

そこに……

 

「そろそろ諦めて降伏しろ、馬場。 負け戦だ、それが分からぬお前ではなかろう」

 

美空を確保し、光璃を殺すべく突撃を繰り返す越軍の指揮官が……武田信虎が苛立ちに満ちた表情で2人の前に現れる。

 

「寄せ手の将は先代様か、道理で見覚えがある」

 

「貴様も相変わらずのようだなあ。 晴信はじきに死ぬ、我が殺す。

 故に降伏を薦めよう。 貴様の実力は、ここで喪うには惜しい」

 

「春日が御屋形様を裏切るなんて、ありえないのらぁ!!」

 

「黙れ、貴様には聞いていないぞ、晴信の自慰道具風情が口を挟むな」

 

「なにぃ……」

 

春日の表情が険しくなる。

愛玩動物だの、夜の玩具だの、尻を差し出して出世しただの、そうやって兎々を揶揄する者は過去にも何人かいた。

 

無論、兎々は実力で武田四天王の座を勝ちとった事は知っている。

だからこそ、そのような下種な勘繰りをする者には怒りを覚える。

 

「こんな所で朽ち果てたくはなかろう? 晴信と手を切り、我に付け。

 だがそうだなあ、お前がどうしてもと言うのであれば、

 そこの高坂とかいう晴信の妓女の命も保証しよう」

 

「願い下げだっ!!」

 

瞬間、春日の頭が沸騰した。

武田信虎が越軍に付いた事は知っていた。

戦場で敵として会う事も覚悟していた。

相対した時、何を言うべきか、伝えるべきかは考えていた。

そんな考えは一瞬で吹っ飛んだ。

 

そして今までの戦いで疲弊しきった身体に鞭打ち、一直線に信虎の首を刈り取らんと飛翔する。

 

が……

 

「させないよっ!!」

 

必殺の一撃は前田犬子利家によって阻まれる。

 

「くぅ、仕損じたか……」

 

「あいたたた、腕が痺れたぁ……これは本気でやらないと拙いかも……」

 

春日は渾身の一撃が防がれた事に、犬子は満身創痍の状態でなお一瞬槍を落としそうに成す程の一撃を叩き込まれた事に驚愕する。

 

互いに互いを油断のならぬ相手と認識し合う。

 

「兎々! まだ行けるか!? 2人でやるぞ!」

 

「当然らぁっ!!」

 

「前田、できれば生け捕りにしたい。 御家流を使え」

 

「信虎さん、美空様からは、いざって時以外使わないようにって厳命されてるんですけど」

 

「今がいざという時だろう」

 

「……とりあえず、御家流は使わず、正攻法で行きます。

 信虎さんは危ないから下がってて」

 

そう言うと犬子は先程春日の一撃を防いだ直槍を投げ捨て、腰に佩く太刀に手を伸ばす。

 

「九十郎の神道無念流が強いって所、見せてやる」

 

犬子の目が、獲物を狙う肉食獣のように鋭くなった。

 

……

 

…………

 

………………

 

一方その頃、美空と柘榴は死にかけてた。

 

「あっちだ! あっちに逃げたぞっ!」

 

「追え! 追えぇっ! 絶対に逃がすな! 奴さえ討ち取れれば勝機はある!」

 

ドライゼ銃の集中砲火によってズタズタにされ、士気も指揮系統もボロボロの甲軍であったが、美空と柘榴が戦場のど真ん中で孤立している事に気づいてる所だけは元気一杯だ。

 

その状況はロバの鼻先に吊り下げられたニンジンとそう変わらない。

 

「御大将、まだ生きてるっすか?」

 

「三途の川を渡りかけたわ」

 

「御大将なら泳いで帰ってこれるっすよ」

 

「あんたもね」

 

美空と柘榴が草むらの中で大の字に寝転んでいた。

何度目になるか分からない襲撃、追撃を振り切ったものの、2人の疲労はかなりのものだ。

 

「完全に犬子とはぐれちまったっすねぇ」

 

「そーね」

 

「次見つかったら、本気でやべーかもっすねぇ」

 

「そーね」

 

「御大将、御家流はあと何発っすか?」

 

「すっからかん、そっちは?」

 

「逆さに振っても鼻血すら出ねーっす」

 

「後継者、決めといて良かったわね、本当に」

 

「名月は経験不足っすよ、越後長尾家を背負うのは10年早いっす」

 

「決めないままで死んだらもっと面倒になるでしょ」

 

「それは……まあ、そっすね」

 

2人がしばし無言になる。

美空と柘榴を探し回る武田の雑兵達の声や足音がそこら中から聞こえてくる。

 

全身をけだるい疲労感が包み込み、このまま眠り……いや、気絶しそうになる。

だがしかし、今この状況で意識を手放したら死ぬのは目に見えている。

 

「……死ぬ前に酒が飲みたいわ。 持ってない?」

 

「一滴も持ってねーっす」

 

「そう……」

 

美空が落胆した表情になる。

 

「死ぬ前に九十郎とエッチしたいっすねぇ。 御大将、ちOこ生やしたりできねーっすか?」

 

「できる訳ないでしょっ!! アンタ私を何だと思ってるのっ!?」

 

「三昧耶曼荼羅で大体の事解決するし、もしかしたら~って」

 

「……意外とやってみたらできるかもしれないわね、生きて帰れたら練習してみましょう」

 

「できても不思議じゃねー所が御大将の恐ろしいとこっすよね」

 

そんな戦場らしからぬアホらしい事を話していると、美空と柘榴を探し回る甲軍の雑兵達の声がさらに近づいてくる。

 

「この場所もそろそろ見つかりそうね」

 

「みてーっすね」

 

美空も柘榴も、最早剣や槍を振るう体力も、走る体力も残っていない。

次に見つかれば、討ち死には間違い無いだろう。

 

「男ならそこら中で私らを探してるみたいよ。

 そんなにセックスしたいなら、生尻突き出して犯してくださいとでも言ってみたら?」

 

「その間、御大将はどうしてるっすか?」

 

「私は逃げるわ」

 

美空がくすりと笑ってそう告げる。

当然、美空は冗談のつもりでそう言った。

 

だが……柘榴はそうはとらえなかった。

 

「………………」

 

「柘榴っ!? 何で黙り込むのよ!?」

 

「その作戦が一番、御大将が生還できる確率が高いか……」

 

「真顔で検討するんじゃないわよ! 本気で実行する気!?

 山籠もりの前に私に約束した事忘れたの!?」

 

「もう二度と、九十郎以外の男に股は開かねーって誓ったっす」

 

「だったら変な事を考えるのはやめなさい!」

 

「……だけど、どうせここで死ぬ命っす。

 甲軍の男に股を開いて、御大将が少しでも長く生きながらえるなら、

 御大将が生還できる可能性が少しでも広がるなら……」

 

「本気で怒るわよ!」

 

「それでもっ!」

 

「九十郎が泣くわっ!!」

 

「ぐ……それは……」

 

柘榴の決意が一瞬揺らぎ、言葉を詰まらせた。

しかし、大勢の足音がどんどん近づいてくる。

 

このままでは2人共見つかってしまう。

そうなればきっと……柘榴は瞑目し、心の中で美空と九十郎への詫びの言葉を呟いた。

 

直後、柘榴は自らの着物を力一杯引き裂いて自らの豊満な乳房を露出させると、名槍・十六夜蕪を茂みの奥に隠し、その辺に落ちていた手ごろな大きさの木の枝を拾う。

 

戦って血路を開くつもりなら、乳房を晒す必要は無い、わざわざ木の枝を武器にする必要も無い。

 

「柘榴やめなさい、2人で生き延びる方法はきっとあるわ」

 

美空には柘榴の考えがすぐに分かった。

今の柘榴は戦う気は無い、生き残る気も無い。

今の柘榴はわざと負け、雑兵達の劣情を誘い、犯され、注意を引いて時間を稼ぐ気なのだ。

 

「御大将、ごめんっす。 柘榴には他の方法が思いつかねーっす。

 九十郎にも後で謝っておいてほしいっす」

 

「柘榴!」

 

美空が何かを言おうとした瞬間、柘榴は人差し指をそっと美空の口に添えた。

今喋れば、美空を探している連中に見つかる。

そうなれば柘榴がやろうとしている事は……自らの命と尊厳を犠牲にして、誓いを破ってでも美空だけは生き延びさせようという試みが無駄になってしまう。

 

「あ……ま……」

 

待ってと叫びそうになった。

行かないでと叫びそうになった。

 

だが……叫べなかった。

 

美空は頭ががぁんっ!! と殴られたかのような感覚に陥る。

美空は今、この瞬間、柘榴を見捨てたのだ、見捨ててしまったのだ。

柘榴に命と尊厳を投げ出させ、自らの生存を優先させたのだ。

 

柘榴に向けて伸ばした手が……空を切った。

 

「はああぁぁっ!!」

 

柘榴は既に茂みから飛び出していた。

そして一番近くにまで来ている足音の主に飛び掛かり、木の枝を振り下ろし……避けられる。

 

「……く……うぅ」

 

今の自分には不意打ちで雑兵1人倒す力も残っていない。

そんな事実に愕然としつつも、柘榴は予定通りの行動をとる。

 

適度に戦い、できるだけ多くの注意を引き、できるだけ遠くに逃げ、敗れて犯されるだけだ。

 

なのだが……

 

「柘榴、お前なんつう恰好で戦ってるんだ」

 

……殴り掛かった相手は甲軍の雑兵ではなかった。

柘榴の夫、斎藤九十郎が真顔でドン引きしていた。

 

「えっと……さっき、破れて……」

 

柘榴は視線をそらした。

 

「それに木の枝って、まさかずっとそれで戦ってたのかよ」

 

「あ、いや……その……さっきどこかに落として……」

 

柘榴は冷や汗をかいた。

 

「美空はどこだ? 一緒じゃないのか?」

 

「その……さっき逸れて……どこにいるのやら……」

 

柘榴はもう限界間近だ。

 

「あ、私ならここにいるわ。 十六夜蕪もここに」

 

「おーっと! 意外と近くにいたっす~! 槍もこんなに近くに落ちてたなんて~っ!!」

 

柘榴は凄い棒読みだった。

 

「大方、気力体力が限界だから、

 自分一人が囮になって美空を逃がそうって魂胆だったんだろ」

 

「……ぎく」

 

「九十郎、良くここが分かったわね」

 

「お前らが咄嗟に逃げ込みそうな場所なら勘で分かるよ」

 

「柘榴、もう諦めましょう。 今謝ればきっと許してもらえるわよ」

 

「御大将、今から腹斬るから、介錯をお願いするっす」

 

「絶対嫌」

 

「柘榴、帰ったらお仕置きだ」

 

「い……痛いやつっすか……?」

 

「いんや、エロいやつだ。

 二度と他の男の事考えられなくなるまでアヘアヘにしてやるから覚悟しとけ」

 

そう宣言すると、九十郎は自分の羽織を柘榴に着せ……その唇を強引に奪った。

 

「んんっ!? ん……んぅ……」

 

柘榴の目がとろんと緩む。

 

山籠もりをしている間、ずっとこの感触が欲しかった。

舌と舌が絡み合う感触が柘榴に活力を注ぎ込んでいた。

最早立ち上がるのすら一苦労な程に疲弊していた筈なのに、九十郎を唇を重ね、舌と舌を絡ませるだけで力が湧いてきた。

 

そして……美空と柘榴のハラがぐううぅ~っと鳴った。

 

「お前ら、腹減ってるのか?」

 

「一昨日から何も食べて無いわね」

 

「柘榴は3日前から水しか口にしてねーっす」

 

「……途中でカネが無くなったか?」

 

美空と柘榴が同時に視線を逸らす。

派手に道に迷い、当初の想定より2倍近く日数がかかったため、路銀の残りの計算が狂ったのだ。

 

「乾パンとマーマレードなら持って来てるから食え。 果糖が疲労回復に効果がある筈だ」

 

「九十郎大好き!!」

「愛してるっす!!」

 

「頂きますくらい言えよお前らぁっ!」

 

美空と柘榴が先を争いながら九十郎が差し出した食料を口の中に放り込む。

萎えかけていた気力が戻り、ぷるぷると震えていた腕や脚に力が戻る。

 

「何か涙が出てきたわ……美味し過ぎて……」

 

「う、美味い……美味いっす……久々の九十郎の手作りの食事……」

 

当然、九十郎はプロの料理人ではない。

人並以上の腕はあるが、感動で涙を流させる程のものではない。

 

空腹と言う名の最高のスパイスに、もう二度と会えないと覚悟した愛する人と再会した喜びが、美空と柘榴を感動させた。

 

そんな3人の再会の時間を妨害するかのように、美空と柘榴を探し回る甲軍の雑兵達の声や足音が聞こえてくる。

 

「柘榴、もうひと暴れいけるわよね?」

 

「元気百倍……いや、元気万倍っす」

 

「御家流はいける?」

 

「気合もやる気も十分っす、二発は無理でも、一発くらいならブチかませそうっすよ。

 御大将は?」

 

「私も一発分くらいは回復したわ」

 

九十郎が持ってきた乾パンとマーマレードを残らず平らげ、美空と柘榴が立ち上がる。

既に彼女達の心に絶望は無い。

あるのは絶対に生き延びてやると言う強い強い決意だ。

 

「九十郎、お酒ある?」

 

「あるぞ、消毒用のウィスキーで良けりゃな」

 

「一杯頂戴」

 

「これからチャンバラやろうってんだ、呑み過ぎるなよ」

 

「大丈夫よ。 柘榴、良いわよね?」

 

「一杯だけっすよ」

 

「ありがと」

 

美空が九十郎からウィスキー入りの徳利を受け取り、ぐいいぃっと胃に流し込む。

 

「これで私も元気万倍! 完全復活よ!」

 

「にしても、何で俺より先に出た犬子と信虎がいねえんだ?

 一体いつ追い抜いたんだか」

 

「さっき一度合流できそうだったっすけど、

 乱戦になってそれどころじゃなくなったっすよ」

 

「何やってんだよあいつら」

 

「武田四天王が奮戦しているわ。

 あれだけバカスカとドライゼを撃ち込まれたのに前線が崩壊していないのは、

 きっと連中の手腕でしょうね」

 

「合流を阻まれたのも四天王っすね、たぶん」

 

「ええ、そうね」

 

「どっちみち四天王をどうにかしねえと武田晴信は殺せねぇか。

 粉雪はさっき撃退したから、あと3人だな」

 

「内藤は槍働きが得意な方じゃないから、実質残り2人ね。

 その2人はどっちも一筋縄じゃいかない奴だけど」

 

そんな事を話していると……3人の前に甲軍の雑兵達がわらわらと現れる。

 

「ほうらおいでなすった」

 

「まずはこいつらを蹴散らすわよ」

 

「腕はなまっちゃいねーっすよね、九十郎?」

 

「疑ってるのか? なら見せてやるよ……神道無念流の強さをなぁっ!」

 

3人が臨戦態勢をとった直後……

 

「ひ……光璃……?」

 

九十郎が信じられないものを見た。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。