戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と一二三と九十郎第129話『それはそれ、これはこれ』

「音が……止まった……」

 

甲軍の一兵卒がそう呟いた。

ズダンッ! ズダダンッ! という火薬の破裂音が止まった。

ヒュン! ヒュンッ!という鉛玉が飛び交う音が止まった。

次から次へと、そこら中から聞こえてきた断末魔の叫び声が止まった。

 

信じられないといった表情で恐る恐る周囲を見渡す。

 

見渡す限り続く死体死体死体死体……死体死体死体死体死体死体死体死体……

どれもついさっきまで生きて、喋っていた戦友達の死体、甲軍の将兵の死体であった。

 

それを目にした瞬間、心が折れた。

もう戦えない、もう嫌だ、死ぬのは嫌だ、怖い怖い怖い……

 

「う……うぅ……うあああぁぁぁーーーっ!!」

 

恐怖が脳裏を覆いつくし、体中を震え上がらせて、糞尿を垂れ流しながら叫び、逃げ出し……

 

「状況は?」

 

……その声が聞こえた瞬間、逃げようとした足がピタリと止まった。

 

いつも通りの声だった。

自分と同じようにあの恐ろしい銃弾の雨に晒されて、自分と同じように同胞がゴミのように吹き飛び、落命していくのを見ていたというのに、その声はいつも聞くのと同じ声であった。

 

前には無数のドライゼ銃、後ろは荒ぶる千曲川。

絶望的な状況の中で、武田光璃晴信はかつて何度も潜り抜けた他の戦と同じように、震え一つ起こさず、泣き言一つ言わずに淡々と報告を求めていた。

 

さっき落とした槍を慌てて拾い上げる。

越軍が使うドライゼ銃に比べれば遥かに原始的で、遥かに殺傷力が低く、遥かに頼りない武器であったが、ほんの少しだけ勇気が湧いた。

 

気がつけば、武田光璃晴信の姿に奮い立ち、1人、また1人と甲軍の将兵達が立ち上がり始めた。

 

大多数が死んだ。

少なくない数が逃げた。

だがしかし、それでもなお武田の旗の下で戦おうとする者もいた。

 

「御屋形様、やはりこの場所が最も入念に撃たれたようです。

 本陣から離れた場所は比較的損耗が少ないみたいです」

 

本陣に詰めていた武田四天王の1人、内藤心昌秀がそう報告した。

 

「……当然、光璃が越軍でもそうする」

 

「只今各部署の状況を確認しております! しばし時間を頂ければ……」

 

「待つ余裕は無い、今分かるだけの事を簡潔に」

 

「御屋形様! お怪我を……すぐにお手当てを!」

 

光璃の右腕に大きな風穴が空いていた。

幸いにして急所とは言えない場所ではあるが、鉛玉が骨を砕き、肉と神経をズタズタにして、激しい出血を生じさせている。

 

「あまり時間は無い、最低限の止血だけ」

 

「……は、はいっ!! 誰か、すぐに止血を!」

 

近くの兵士が比較的マシな陣幕の一部を破り、即席の包帯のようにしてキツクキツク光璃の右腕を縛り上げる。

 

右腕を触った瞬間、手当をした者には分かってしまう。

例え手当をしたとしても、この腕はもう二度と動かないと。

 

「申し上げます! 前線は壊滅的な状態です!」

 

「未確認ですが、典厩様が討ち死にされたとの報告が……」

 

次々と絶望的な報告が集まってくる。

光璃は穴の開いた右腕の手当てを受けながら、眉一つ動かさずに淡々と話を聞き続ける。

 

状況は絶望的だ。

それは誰の目にも明らかだ。

 

「今回は、負け戦」

 

光璃がそう言った。

誰の頭の中にも浮かんでいたが、誰もがそれを口にしようとしなかった、できなかった言葉を口にした。

 

「ここは退く」

 

「し、しかし千曲川は未だ増水があり、流れも急でして……」

 

「増水は一時的なもの、だけど、このまま水が引くまで立ち止まることもできない。

 故に……」

 

光璃がすっと左手で軍配を持ち上げ、ある一点を指し示す。

それは戦場のど真ん中、春日の部隊が一方的に虐殺された場所からはやや外れているが、それでも銃弾が雨あられの如く降り注ぎ、半数を大きく上回る数の将兵が殺された死地……

 

「あの方向に退く」

 

……この最悪極まりない負け戦の中で敵中突破をやろうと言い出したのだ。

 

「御屋形様!? 正気ですか!?」

 

心が思わず悲鳴をあげる。

本陣にいる者はドライゼ銃の集中砲火を浴び、無傷の者は少なく、比較的傷の軽い者でも心は恐怖に染め上げられている。

ついさっきまで砲火に晒されていた場所に向かって走れと命じて、いったい何人がそれに従ってくれるだろうか。

 

「あの方向が最も生還の可能性が高い。 何故ならば……」

 

「な、何故ならば……?」

 

「……さっき、あの場所で長尾景虎が三昧耶曼荼羅を使った」

 

「何でぇ!?」

 

心が再び悲鳴をあげる。

銃弾がシャワーの如く飛び交う先に、行方知れずだった敵の総大将が単独で出てくるなんて意味不明以外のなにものでもない。

万一何かしらの作戦で潜んでいるのだとして、どうしてわざわざ自分の居場所を周囲に知らせるような事をしたのだろうか。

 

当然、光璃も何がどうなって美空があんな場所で孤立していたかなんて知らないし、分からなかったが、それはそれとして美空があんな場所で孤立しているという状況を最大限に利用する方法を考えていた。

 

これが罠である可能性も考慮したが、最早それを確かめている時間は無いし、他の選択肢も思いつかない。

一か八かに賭けるしかないのだ、どっちみち。

 

「越軍の周りにかかった多量の煙……おそらくあれは、火薬の煙。

 一度に多量の鉄砲を撃ちすぎたせいで、視界が悪くなっている」

 

「そうか……今は戦場の様子が良く見えないから、

 撃てば景虎を巻き込むかもしれないから」

 

「しかし当然、撃てないなら撃てないで……手は打つ」

 

次の瞬間、幕のようにぶ厚い硝煙で良く見えなかったが、ずっと陣地に籠り、隊列を乱さずに射撃だけを続けて来た越軍に動きがあるのが分かった。

 

「直接景虎さんを確保するつもりですね」

 

「違う、動かしたのは母様。

 私が中央突破して逃げようとしているのに気づいて、頭を押さえに来た」

 

「いくら先代様でもそこまでは……あ、どうしよう、やりそう、凄くやりそう」

 

そうこうしている内に、さっき撃ち抜かれた光璃の右腕の止血がとりあえず終わる。

酷い激痛に、失血からくる眩暈に吐き気……それでも光璃は、ここで死ぬわけにはいかない。

 

「其の疾きこと風の如く……」

 

光璃が精神を集中させる。

 

「其の徐かなること林の如く」

 

さらにさらに精神を集中させる。

 

「侵掠すること火の如く」

 

光璃の周囲の将兵達が淡く、暖かな光を纏い始める。

 

「知り難きこと陰の如く、動かざること山の如く」

 

それは武田の旗の基に集いし武者達にさらなる力を与える御家流。

 

「動くこと……雷霆の如しっ!!」

 

武田家御家流・風林火山が発現する!

痛みが引き、恐れが消え、勇気と力が湧いてくる。

 

武田は負けない、武田は消えない、武田はまだまだこれからだと武者達が高揚する。

 

「そして逃げ出すこと脱兎の如し」

 

……次の瞬間、武田の武者たちがズコーっとコケた。

 

「御屋形様、そんな一節ありましたっけ?」

 

「肝心な時にヘタレる事兎々の如し」

 

「兎々が聞いたら泣きますよ!」

 

「微妙に空気が読めないこと春日が如し」

 

「私もちょっと思いますけど今言いますか!?」

 

「ツッコミが微妙なこと心の如し」

 

「典厩様みたいには無理ですよ!」

 

「………………」

 

「こなちゃんには何も無いんですか!?」

 

武田の陣幕でどっと笑い声が響き渡る。

煙幕が晴れればすぐにでもドライゼの一斉射が再開されるだろう。

越軍に退路を断たれたり、先に長尾景虎を確保されても全滅は必至だ。

 

1秒が千金にも値する状況下で、あえて光璃は皆を笑わせた。

 

春日と兎々は、集中砲火によりズタズタにされた部隊を纏め、押し寄せる越軍に対しどうにか組織的抵抗を行おうとしていた。

 

そして粉雪は……

 

……

 

…………

 

………………

 

「撤退の時間はぁっ! キッチリ稼がせてもらうぜぇっ!!」

 

「ちいぃっ!!」

 

……越軍本陣のど真ん中で、粉雪と赤備え達が無理無茶無謀な戦いに挑んでいた。

 

赤備えは少数ながらも精鋭揃い。

一度部隊をバラバラに分散させ、窪地や物陰を利用しながら回り込み、越軍の陣地の目の前で再集結……そうして豪雨の如き鉛玉の暴威による損耗を最小限にしてみせたのだ。

 

甲斐武田の赤備えでなければ実現不可能な方法だ。

 

「九十郎! 大丈夫!?」

 

犬子が血相を変えて叫ぶ。

他の赤備えが次から次へと本陣へと雪崩込み、状況は混沌としてきている。

 

「敵は少数です! 慌てず騒がず迎撃を!」

 

「名月は下がって、親衛隊はこういう時のために存在する」

 

秋子の指示が飛び、松葉が親衛隊を率い、赤備え達を迎撃に走る。

 

「全員固まるな! 一か所に留まるな! 走り続けろ!

 味方の撤退までこの陣地をかき混ぜ続けろ!

 今ここであたいらが四半刻も踏ん張れば、甲斐武田家の命脈が1年長引くぜ!」

 

越軍親衛隊を次々と斬り伏せながら、自らも決して少なくない手傷を追いながら、粉雪が赤備えに下知を出す。

 

九十郎は思う……赤備え達は全員がこの場で死ぬ気だと。

全員が1分1秒でも長く時間を稼ぎ、1人でも多くの敵と刺し違えるつもりだと。

 

「犬子! 信虎! お前らは美空の所に走れ! 粉雪は俺がどうにかする!」

 

そう叫び、九十郎がポン刀片手に粉雪に飛び掛かる。

 

「第七騎兵団! 赤備え共には構うな! 我に続けぇ!」

 

信虎が即座に動く。

一方、犬子は混迷を極める越軍本陣が気にかかり、中々前に進めない。

 

「や……やっぱり犬子も九十郎と一緒に戦うよ!」

 

「柘榴も美空と一緒だ。 美空の匂いも柘榴の匂いも覚えてるだろう。

 あいつらを見つけ出すのに、お前の嗅覚が役に立つ」

 

「そ、そうかもだけど……」

 

「良いから早く行け! 美空と柘榴を頼む!」

 

「わ、分かった……気をつけてね!」

 

犬子も信虎の後を追い、先程美空が三昧耶曼荼羅を発現させた場所へと向かう。

犬子と信虎が越軍本陣から離れたのと、心と光璃がボロボロの将兵達をまとめ、中央突破からの撤退を開始したのは、ほぼ同時であった。

 

向かう先は全く同じ……

 

……

 

…………

 

………………

 

「本気でやべーっすよ御大将。 敵も味方もこっちに向かって一直線っす」

 

「見りゃ分かるし、見る前から分かってたわ。 たぶんこーなるだろうってね」

 

美空と柘榴が鯉口を切り、剣を抜く。

 

「正直、とっととトンズラこきたいのだけれど。 もう勝負ついてるし」

 

「そうしてーのは山々っすけど、それはちょっと厳しそうっすねえ」

 

「片や酒断ち、片やエロ断ち、

 武田との戦そっちのけで山籠もりしていた罰が当たったかしら」

 

「今まで散々護法五神を飛び道具扱いしている人が罰がどうとか言える立場っすか?」

 

「柘榴、これが終わったら覚えときなさいよ」

 

「無事にこの場を切り抜けられたなら、好きなだけ付き合うっすよ」

 

美空と柘榴は早くも取り囲まれていた。

それも明らかに友好的とは思えない、殺気立った連中にだ。

 

「あれが……長尾景虎なのか……」

 

「さっき出した御家流、俺は見覚えがあるぞ」

 

「し、しかし越軍の総大将が、何故こんな所に……」

 

剣丞と行動を共にしていた薫の……武田信廉の親衛隊が美空と柘榴を取り囲んでいるのだ。

武田晴信の親族であり、影武者でもある薫を守るという任務を与えられている彼らの練度はかなりのものだ。

彼らを突破して逃げ出すのは容易ではないし、彼らが美空に一斉に襲い掛かれば……という状況だ。

 

「待ってくれ! 双方剣を納めてくれ!」

 

一触即発の状況で剣丞が大きく声を張り上げる。

剣丞をガードするように綾那と歌夜もまた割って入る。

元より、甲軍と越軍の戦を止め、正面衝突を回避させるためにこの場に来たのだ。

その意味では越軍総大将であり、剣丞の嫁の1人である長尾美空景虎と対面できたこの状況は決して悪くない。

 

……既に甲軍は壊滅寸前、越軍はほぼ無傷の状況で停戦させてどうなるのだという疑問から、剣丞は目を逸らした。

 

「剣丞様、どうするつもりです?」

 

歌夜が若干冷や汗を浮かべながら剣丞に耳打ちをする。

 

「なんとか説得してみる」

 

「自信、あります?」

 

「全然、でもやらなくちゃ」

 

剣丞がちょっと肩をすくめながら苦笑した。

イケメンは苦笑する所もイケメンだ。

 

「剣丞様、綾那が美空をひっつかんで走るってのはどうなのです?」

 

「……場合によっては頼むかも、心の準備だけはお願いするよ」

 

綾那の常人離れした……いや、人間離れした身体能力頼みの策とも呼べない力技を選択肢に入れつつ、剣丞は大きく深呼吸をする。

 

「美空、ここで兵を退いてくれないか」

 

「断る」

 

薫の親衛隊が俄かに殺気立ち、槍や剣を構える腕に力が入る。

 

「これ以上の人殺しを重ねてどうするつもりなんだ!」

 

「分かっていないわね、武田晴信が生きている限り、甲斐武田家の命脈は尽きない。

 どれほどの大敗を喫しようとも、甲斐は再び蘇る……

 少なくとも、私を取り囲んで剣を向けてきている連中は本気でそう信じているようよ」

 

「ここで越軍よりも早く御大将の身柄を抑えれば、晴信を安全に退避させれるかも……

 そういう目をしてるのが分からないっすか、剣丞」

 

柘榴は思う……逆の立場になったとすれば、自分も同じ事を考え、同じ目をするだろうと。

 

「待った! 待ってくれ! そうやってどちらかが滅ぶまで、

 完全に息の根を止めるまで殺し合いを続ける気なのか!?」

 

じりじりと距離が狭まっていくのを食い止めようと、剣丞がさらに大きく声を張る。

 

「貴方には分からないかもだけど、殺し合いをしたのよ、殺し合いを続けて来たのよ。

 私達はこの程度の流血では止まれない許せない。

 向こうも同じ、この程度の流血では止まれない、諦められない」

 

「そんなの悲し過ぎるだろうっ!!」

 

「信虎とも約束したっすしねえ、晴信は殺すって。

 晴信を殺す事を約束したから、信虎は御大将に従ってるっす」

 

「約束を抜きにしても止まれないわ。 家族を喪い、友を喪い、故郷を喪い。

 お互い血が流れ過ぎて、恨みや憎しみを育て過ぎた」

 

「そんな事は無い! まだ間に合う! 戦いは止められる!

 君が決断さえしてくれればきっと!」

 

「無理よそんなの! だって……」

 

 

 

 

 

「今軍を動かしてるの名月だし、私は句伝無量みたいな便利な能力も無いわ」

 

 

 

 

 

剣丞があれぇ……とでも言いたげな表情になる。

 

今の美空には物理的に戦を止められない。

剣丞のプランが見事なまでに破綻した瞬間である。

 

「えっと……小波……」

 

『無理です、越軍は誰も御守りを持っていません』

 

そして最後の望みも絶たれた。

 

「お兄ちゃんもう良いよね! とりあえずかかれーっ!!」

 

「うおおおぉぉぉーーーっ!!」

「景虎覚悟おぉっ!!」

「御屋形様のためにぃっ!!」

 

薫の掛け声と共に親衛隊が一気に美空へと襲い掛かる。

 

「来たっすよ御大将!」

 

「見りゃ分かるわ! 腹括りなさい柘榴っ!」

 

「腹が減って力が出ねーっす!」

 

「私もよコンチキショウ!! こうなったら最後の悪足掻きを見せてあげるわっ!」

 

「し、仕方ない……綾那! 歌夜! とりあえず応戦だ!」

 

「どっちの味方すれば良いんですか!?」

 

「とりあえず手当たり次第になぎ倒すのです!」

 

「綾那ちょっと待って! それ状況悪化させる予感しかしないわ!」

 

「とりあえず昇竜槍天撃ぃっ!!」

 

「本日二度目の三昧耶曼荼羅ぁっ!!」

 

「ぬわーーーっ!!」

 

俄かに場が混沌としていく。

斬ったり斬られたり蹴ったり殴ったり噛みついたりの大乱戦、大混戦が繰り広げられ……

 

「御屋形様! 景虎殿がいましたぁっ!!」

 

「……このまま突入」

 

光璃と心達がそんな大乱闘の真っ只中に到着し……

 

「そこか晴信うううぅぅぅーーーっ!!」

 

「美空様ぁっ!! 柘榴ぉっ!! 大丈夫ーーーっ!?」

 

やや遅れて犬子と信虎、第七騎兵団が乱入してきた。

 

……

 

……………

 

…………………

 

「ぜぇ……ぜぇ……はぁ……」

 

粉雪が大きく肩で息をしている。

 

粉雪と甲斐の精鋭赤備え達が越軍の本陣に突入してから、どのくらいの時間が経っただろうか。

粉雪は既に限界を超え、気力だけで身体を支えている。

何発かの銃弾が直撃し、刀傷もあり、失血死寸前といえる程に深く深く傷ついていた。

右も左も敵だらけの中で1秒たりとも休まずに暴れ続けたため、体力も限界だ。

 

それでもなお……

 

「まだ……まだだぜぇ……」

 

それでもなお、彼女は戦いを放棄しようとしなかった。

最後の力を振り絞り、槍を杖代わりに立ち上がる。

 

「やっと追いついた。 随分頑張るんだな、粉雪」

 

そんな疲労困憊、半死半生の粉雪の元に、斎藤九十郎が追いついた。

 

「赤備え共は全員死ぬか逃げてったよ。 後はお前1人だ」

 

「ああ、そうか……流石はあたいが鍛えた連中だ、引き際はわきまえてるようで何よりだぜ」

 

「お前が大暴れしてなければ全員ブチ殺せてたよ。

 たった1人に引っ掻き回されたって、松葉が地味にショックを受けていた」

 

「引っ掻き回された……か……過去形で語るには、まだ早いんじゃあねえか?

 あたいはまだ、この通り生きているんだぜ」

 

「……何人斬った?」

 

「数えてねぇよ」

 

「やっぱお前は凄いよ、山県……いや、粉雪。

 たった1人で良くここまで頑張った。 良くここまで踏ん張った」

 

「惚れたかい?」

 

「惚れ直したね。 山県昌景なんて関係無い、もうそんな事はどうだって良い。

 粉雪っていう女を俺のモノにしたい、俺の女にしたいって心の底から思ったね」

 

九十郎が赤備え達を何人も斬り伏せ、絶命させた血染めの刀を投げ捨て、竹刀を構える。

 

「俺の女になれよ、粉雪」

 

九十郎がそう告げる。

それを聞き、粉雪は笑う。

こんな修羅場の中でもなお、心底嬉しいという感情が抑えられなかった。

 

「何言ってるんだぜ、九十郎。 あたいはとっくの昔に、九十郎の女だと思ってたぜ。

 粉雪って女は、とっくの昔に九十郎のモノで、九十郎を愛しているぜ」

 

粉雪が自らに活を入れ、何人もの越軍親衛隊を切り伏せ、絶命させた血染めの刀を投げ捨てると、その辺に落ちていた棒っきれを拾い構えた。

 

「愛してるぜ、粉雪」

「愛してるぜ、九十郎」

 

粉雪と九十郎が笑い合った。

 

そして……

 

「……が、それはそれとして晴信は殺すがな」

「……が、それはそれとして御屋形様が逃げる時間はキッチリ稼がせてもらうぜ」

 

粉雪と九十郎が対峙する。

九十郎は美空のために、粉雪は光璃のために、死力を尽くして眼前の敵を……愛する威勢であり倒すべき敵を打倒する覚悟であった。

 

「とりあえず……お前をブチのめして手籠めにする。

 そして無理矢理にでも俺の嫁にしてくれるぜ、げっへっへっへっへっ」

 

「おいおい、もう勝った気でいるのか?

 武田四天王にして甲斐最強、泣く子も黙る赤備えの大将は、

 九十郎が思ってるよりずっと強いって事、教えてやるぜ」

 

「それだけの消耗でまだ勝つ気とは恐れ入ったよ、だからこそ俺は粉雪が愛しいんだ」

 

「あたいが勝ったら、九十郎を甲斐に連れ帰って無理矢理婿入りさせてやるぜ」

 

「柘榴と離婚する気は無いぞ俺は」

 

「そこは犬子も入れてやれよ!?」

 

粉雪は決意した、次に犬子に会う時があったら思いっきり優しくしようと。

 

「だが……そうだな、良いぜその話乗った。

 俺が負けた時は甲斐にでもどこにでも行ってやるさ」

 

「言ったな、負けてから前言撤回したら許さないぜ」

 

「しねえよ。 それに……いくらボロボロになろうとも、山県昌景を侮る程馬鹿じゃねえ。

 本気で、全力で、格上に挑む気でやらせてもらう」

 

粉雪が精神を集中させる。

九十郎が精神を集中させる。

 

眼前の敵を……愛しい異性であり、別の主を仰いだ敵でもある相手を全力で叩き潰すべく、全神経を集中させる。

 

そして……

 

「いざ、尋常に……」

 

「「勝負っ!!」」

 

粉雪と九十郎がぶつかった。

 

 


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