戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と一二三と九十郎第127話『裏切者』

「いよいよだな」

 

「……そーだな」

 

川中島と呼ばれる地で、2人の男女が佇んでいた。

斎藤九十郎と、武田信虎の2人である。

 

「……なあ、信虎」

 

「うん? どうした?」

 

「勝てるかな?」

 

そんな事、誰にも分かる筈が無いと思いつつも、九十郎はそう尋ねた。

 

「勝てる」

 

だが信虎は躊躇無く断言した。

負ける可能性など微塵も無いと確信しているかのように胸を張った。

 

「おいおい、相手はあの武田信玄だぞ。 しかもこっちは上杉謙信抜きで戦うんだ。

 本当に勝てんのかよ?」

 

「それでも勝てる」

 

信虎は再び力強く断言した。

 

「その武田信玄を生まれた瞬間から知っている我が言っているのだ、信じろ」

 

「こっちは上杉謙信抜きだ」

 

「何の問題も無い」

 

「情報戦はボロ負けだ」

 

「ならばそれを逆手に取った策を採れば良い」

 

「ドライゼの情報も抜かれたかもしれねえ」

 

「いや、草共にアレの性能は理解できんよ。

 奇跡的に理解する者がいたとして、武田の将兵はまず信じまい。

 武田の騎馬隊は無敵だ、いかなる策も、いかなる武器も真っすぐに踏みつぶせば良いと。

 ふん、誰よりも卑劣で、誰よりも醜く、

 汚く生き足掻く武田晴信を主と仰ぎながらなんたる矛盾か。」

 

「その辺は良く分からん」

 

「たぶん晴信の命が尽きた時が、武田の命運が尽きる時だろう。

 そしてその事に晴信は気づいている。

 新田剣介を迎え入れた理由、鬼と戦うためというのもあるが……むしろ……」

 

そこまで呟いた所で信虎は口を閉ざし、ふっと小さく鼻で笑った。

 

「関係無い、我は晴信を殺す。 ただそれだけで良い、ただそれだけが望みだ。

 それで甲斐武田家の命脈が尽きるのであれば、尽きてしまえば良い」

 

「寂しい人生だな」

 

「武田は代々こうなんだ。 全くもってふざけた血筋だよ。

 いっそ今、この場でスパッと滅ぼしてやるべきだ」

 

「どうかと思うぞ……だが……」

 

武田の陣幕とから見えるかがり火の光を前に、信虎がそっと九十郎の手に触れる。

九十郎はそれに気づくと、信虎の手をぐっと力強く握り返した。

 

「オーディンの事もあるが、オーディンの事を抜きにしても、勝つしかねえ。

 勝たねぇと柘榴も、犬子も、美空も守れねえ。

 剣丞はちょい心配だが、まああいつは主人公だし、

 一二三にフォロー頼んだから多分大丈夫だろ」

 

「勝てるとも、そして勝つとも。 心配ならばその証拠を見せてやろう」

 

「証拠……?」

 

「これだ」

 

信虎が印籠を取り出し、そこから小さな丸薬を取り出し、九十郎に見せた。

その丸薬には見覚えがある

かつて信虎が九十郎に見せた、口にすれば鬼に変わという危険な薬。

 

何やら吉野だから尊治とかが日ノ本にバラ撒いているから聞いていたが、久々に見たなと九十路は思う。

今見てみれば、少し前に柘榴が纏っていた瘴気に近しい、怪しい空気を漂わせているように感じた

 

「まだ持ってたのか、それ」

 

「まあな、だが……もはやこれを後生大事に抱え込む必要は無いっ!!」

 

その危険な丸薬をもう一度印籠に戻すと、信虎は勢いをつけて遥か彼方にブン投げた。

 

「おい! 信虎!?」

 

「……我はな、ハッキリいって勝利を確信している。

 負ける可能性など微塵も無い、ドライゼはそれ程強力な武装であり、手札だ。

 ならば負けた時の命綱など不要……故に捨てたまでだ」

 

「いやあれ変な奴に拾われたら面倒だろ」

 

「……あ」

 

信虎がきょとんとした表情になる。

正直その辺は全く考えてなかった。

 

「環境汚染とかも大丈夫か? この辺で採れる野菜が全部真っ黒になったりしたら、

 土下座しても許しちゃくれねえぞ多分」

 

「うぐぐっ」

 

信虎が眉間に皴を寄せ、物凄く物凄くバツが悪そうに前髪を掻き……

 

「……拾ってくる」

 

さっき投げ捨てた印籠が飛んでいった方へと向かう。

 

……

 

…………

 

………………

 

「ハッキリ言います、ドライゼは張り子の虎も同然です」

 

武田家家臣団の前で、一二三(本物)は臆面も無く断言した。

当然、その言葉は嘘八百、大した面の皮であるが、表裏比興と書いてクソヤロウと読む真田昌幸にとっては平常運転だ。

 

一二三は気づいている、一二三は確信している。

今の越軍とまともにぶつかるのは自殺も同然だと。

 

「詳しく聞かせて」

 

光璃が話の続きを促す。

 

「長尾はここしばらく、諸国から鉄砲を作れる鍛冶屋を呼び集め、

 ドライゼと呼ばれる武器を作らせている。 ドライゼとは、何?」

 

「連発可能な鉄砲です」

 

一二三が正解を告げる。

ここまでは伝えても良いと、あらかじめ美空と打ち合わせ済みだ。

 

「どのくらいの速さ?」

 

「我々の知る鉄砲隊20人分から30人分とお考え下さい」

 

「馬鹿な! 不可能だ!!」

 

春日がすぐさま異議を唱える。

 

「……雑賀衆や根来衆は、1人の射手に複数の鉄砲を割り当て、

 鉄砲の数と同数の助手をつけ、弾込めを代行させるのはご存知ですか?」

 

「それは聞いている。 そうして雑賀衆は恐るべき弾幕密度を実現させたとな。

 我々もどうにか再現できないか試してみているが、中々な……」

 

「ドライゼは鉄砲の内部の部品が弾込めをします。

 それも、人の手で込めるよりも何倍も速く、何倍も正確に。

 鉄砲を助手に渡す時間も無ければ、狙いを付け直す必要も無く……

 引き金を引き、弾込めの機械を作動させれば、瞬き程の僅かな時間で次が撃てます。

 さらに玉薬を点火する手法がこれまでのものと異なります。

 引き金を引けば即座に撃てる、つまり……」

 

「狙いをつけ易い、か……」

 

「御明察、止まった的を撃つかのように当ててきます」

 

春日の額にうっすらと汗が浮かぶ。

彼女は今なお、武田の騎馬は最強であると考えているし、戦えば勝つと信じている。

だがしかし、あの長尾景虎に恐るべき新兵器を得た以上、勝ったとしても相当な出血を強いられるだろうと予感する。

そうすれば、あの強かな北条や、近年急速に勢力を広げつつあり、新田剣丞の最初の妻でもある織田信長が何をするか全く予想がつかない。

 

最悪のケースを考えると……

 

「どらいぜってそんなにヤバい物だったのか……」

 

一二三より長く越後にいた癖にその辺の事情を全然掴めなかった粉雪が思わず蒼褪める。

流石は九十郎だというちょっと誇らしい気持ちも多少はあったが、今はそれより主君武田晴信や、戦友である心を守れないかもという不安が大きい。

 

「長尾景虎はここ最近、ドライゼに関する情報を入念に秘匿していた。

 一二三、今の話は誰から?」

 

「斎藤九十郎殿から」

 

「斎藤……られ(誰)なのら?」

 

「ちょっと前に柿崎の夫になった奴でやがるよ」

 

「何故そいつがドライゼの情報を知っているのだ?」

 

「ドライゼを発案したのがその斎藤九十郎殿だからですよ」

 

「……偽情報を掴まされた可能性はないの?」

 

「そうなのら、斎藤ってのが嘘を言ってるかもしれないのら!」

 

「あー……そういう器用な事ができる奴じゃないと思うのぜ」

 

「そうでやがるな、単純そうと言うか、単細胞と言うか、

 後先考えてなさそうな奴でやがったな」

 

九十郎と面識のある粉雪、夕霧が答える。

 

「質問を変えよう、どうやって聞き出した?

 ドライゼが秘匿されている事は、九十郎とて知っていた筈だ」

 

「抱かれて、閨の中で聞き出しました」

 

一二三が妖艶に笑う。

いつも飄々としている彼女が、全身に淫らな雌の空気を纏い笑う。

こんな表情もできたのかと、春日は思わず唾を呑み込み、湖衣は一瞬、途轍もなく嫌な予感が心中に過った。

 

「夕霧?」

 

「あ~……ま。まぁ、事実でやがる……」

 

夕霧が少し言い辛そうな表情で質問に答えた。

脳裏によぎるのは、かつて越後で見た光景、一二三が九十郎に抱かれた証を自分たちに見せてきた瞬間の光景だ(第111話)。

 

「ふ、不潔なのらぁっ!!」

 

「しかし、相手によっては有効な手段ではある。 拙としては……まあ、否定はすまい」

 

「まあ、古典的ですけど、有効な手ですよね」

 

「あたいはノーコメントだぜ」

 

「脳とれ?」

 

「何も言う事は無いって事だぜ」

 

兎々が顔を真っ赤にして声を荒げ、残りの四天王もちょっと釈然としない様子である。

 

そして光璃は床几と呼ばれる折り畳み椅子を蹴るかのような勢いで一二三の近くに詰め寄り、ちょっと頬を赤らめて……

 

「……どうだった?」

 

「柿崎景家殿がチン堕ちしたとの噂……あれ、たぶん真です。

 実際に体験した私が言うのですから間違い無いです」

 

「チン堕ち……」

 

「本当は2~3回抱かれた段階で必要な情報は概ね揃っていたのですが、

 もう一回だけ、あと少しだけと混浴姦して、疑似獣姦して、

 結局10回くらいは交わりましたね」

 

「疑似獣姦とは?」

 

「前田利家殿の御家流で犬になって、こう……文字通り獣のように……」

 

「なんと……」

 

「しかも野外で」

 

「興味深い……」

 

「てめーら真面目にやれでやがるうううぅぅぅーーーっ!!」

 

軍議そっちのけでエロ談義モードに入りつつある2人の後頭部に、夕霧のツッコミチョップがクリーンヒットした。

 

「一二三、今しれっと前田利家の御家流がどうとか言わなかったか?」

 

「ちょっと珍しい御家流ですね。 自分自身の体を犬に変える。

 犬になった状態で噛みついた相手を犬にできる。

 他人を犬に変えた場合、犬になっている間は好きに動かすことができる。

 そういう御家流です」

 

「あ、あいつそんなやべぇ御家流持ってたのかよ……」

 

「こ、怖すぎなのら……」

 

「ちなみに弱点は犬になっている間、頭の中身も犬と同程度になる事です。

 簡単な指示や、敵味方の区別くらいならは理解できますが、

 高度な作戦や策略は理解しきれません」

 

「良くそこまで調べあげたものだな」

 

「九十郎殿は閨の中では随分とお喋りでしてね」

 

一二三はそう言って春日に軽くウインクをする。

九十郎から聞いたと明言していない所がポイントだ。

 

その言葉は確かに真実だ。

九十郎がセックスの前後でうっかり口を滑らせた事は何回かある。

しかし、犬子の御家流の情報については、九十郎から聞いたわけではない。

 

本当は美空から聞いたのだ。

武田家臣団に、武田晴信に伝えろと言われたからだ。

その理由は……

 

「ならば、先程ドライゼが張り子の虎と評した理由は何だ?」

 

「そうなのら! さっきかららまって聞いてれば、ろらいぜを褒めてばっかりなのら!」

 

その理由は……これから言う嘘に少しでも信憑性を持たせるためにだ。

 

さあここからだと、一二三は静かに手を握り締める。

さあここから先は死地にも等しいと、一二三は静かに息を吸い込む。

 

表裏非興と書いてクソヤロウと読む真田昌幸が、息をするよりも自然に嘘を言える一二三が、珍しく……本当に本当に珍しく、緊張の色を隠しきれなくなりつつあった。

 

「どんなに優れた鉄砲も、玉薬が無ければただの筒です」

 

「何?」

 

「………………」

 

光璃は無言だ。

眉一つ動かさずに一二三を凝視している。

 

「(……そ、想像してたより怖いな、これは)」

 

動揺するな、汗をかくな、震えを起こすなと全身に活を入れるも、全身の細胞がこれからやらかす事への不安と恐怖に怯えていた。

 

「どうした? 何故黙っている?」

 

春日が一二三に尋ねる。

 

馬場春日信房……武田四天王筆頭、文武に優れ忠義に篤い武田家臣団の中で最も優れた将である。

一二三とて武家のたしなみとして多少の武術の心得はあるが、春日には遠く及ばない。

その気になれば……光璃が殺せと命じれば、瞬時に首を刎ね飛ばされるだろう。

 

「(いや……違う、しくじれば死ぬのはいつもの事じゃないか。 怖いのは死ぬ事じゃない)」

 

一二三は思う……何故自分は震えていると。

一二三は思う……何故自分は、それでも武田晴信を討ち取ろうとしているのかと。

 

「(どう考えても詰んでるとしか言いようがない甲斐がこれまで何とかやって来たのは、

 間違い無くこの人がいたからだ。

 武田晴信の命が尽きた時、甲斐武田家の命運も尽きる)」

 

そして一二三は湖衣を見る。

何度も騙して、何度も裏切って、何度も怒らせて、それでも自分を友だと呼んでくれる得難い人だ。

真田昌幸の本質がクソヤロウと知りながら友と呼んでくれる人だ。

 

一二三は夕霧を見る。

武田の血筋を引く者の中で、最も武田らしくないのが彼女だ。

聡明で、理知的で、義理堅い……裏切りと人殺しを嫌い、戦国時代に生きるのには向いていない可愛らしい女の子だ。

 

この2人だけではない、甲斐には何人もの友人がいて、死んでほしくない人も、壊れてほしくない物も沢山ある。

武田晴信を殺すという事は、それら全てを地獄の底に叩き込むも同然だ。

 

一二三が震えている理由はそれだ。

 

しかしそれでも、一二三は武田晴信を殺そうとしている。

その理由は……

 

「(単なる保身のため……? 甲斐武田家は武田晴信個人の名と能力に頼りすぎている。

 甲斐武田家はいずれ沈む舟、沈み切る前に他の船に乗り移らないといけない。

 だから武田を裏切り、長尾に身を寄せるため……)」

 

そんな理由が頭に浮かんだ。

しかし、一二三はその理由は些細なものだと頭から消した。

 

「(オーディンの目論見を阻止するため……?

 この国、この時代の数多の英雄の魂を収奪し、手駒にする恐ろしい計画を阻止するため)」

 

そんな理由が頭に浮かんだ。

しかし、正義の味方なんてカラじゃないと、その理由も頭から消した。

 

「(もっと単純に、九十郎が好きだから……?

 九十郎が武田晴信を討って、美空の手助けがしたいと言ったから……)」

 

そんな理由が頭に浮かんだ。

しかし……

 

「(たぶん、それも理由の一つなんだと思う。 だけどそれだけじゃない。

 たったそれだけの理由でこんな怖い思いをして、

 友人を地獄の底に叩き込もうとしているんじゃない)」

 

そして一二三は、ある理由に思い至った。

 

「(……私が裏切りたいだけ。 あの武田晴信の裏をかき、ぎゃふんと言わせたいだけ)」

 

その理由が頭に浮かんだ瞬間、一二三の震えはピタリと止まった。

彼女は真田昌幸……後に表裏比興の者と呼ばれる彼女が、己の性質を自覚した瞬間だ。

 

「湖衣、越後に入った硝石の量は?」

 

「はい、減っています」

 

「減って……本当でやがるか? おかしいでやがる!?」

 

「なあ、ころ……硝石ってなんだっけ?」

 

微妙に話についていけてない粉雪が、こっそりと隣に座る心に助けを求める。

 

「玉薬はね、硝石、木炭、硫黄を混ぜて作るんだよ。

 木炭と硫黄は簡単に集められるけど、硝石は結構珍しいの。

 日ノ本で採れる分じゃ全然足りないから、最近は海の外から買うのが大きいんだよ」

 

「ふんふん」

 

「だからね、外国から硝石を買った商人の動きを見張れば、

 他国がどこくらい玉薬を備えているか分かるんだよ」

 

「なるほど」

 

「御屋形様がずっと海に面した国を掌握したがってるのは、

 外国との交易で、日ノ本では手に入りにくい物資を買うためでもあるんだよ」

 

「へぇ、色々考えてるんだな……て、え? 何か矛盾してねえか?

 何で長尾はどらいぜをたくさん作って、玉薬は減らすんだよ」

 

「鉄砲鍛冶の招聘にかなりの大金を費やしていると聞くぞ。

 まるで金子をどぶに捨てるようなものではないか」

 

「………………」

 

光璃は無言だ。

しかし、視線の動きに僅かに迷いが見える。

彼女もまた、長尾景虎の真意を測りかねているのだ。

 

「一二三、理由に心当たりは無いのか?」

 

「硝石の予想外の値上がり、そして金子も尽きた」

 

春日からの問いに対し、一二三が即座に断言する。

 

「……どらいぜを作るのに金をかけすぎ、硝石を買えなかったと?」

 

「どこの大名も競って買い集めていますからね、

 特に織田は買い占めんばかりの勢いで買いまくっているとか。

 当然、値上がりもしますし、

 堺と距離がある越後まで硝石を運ぼうとする商人も少なくなる。

 付け加えるなら、鉄砲鍛冶だって多くの大名家が欲しがるもの。

 あれだけの人数を呼び集めるのにどれだけの無茶をしたか」

 

「長尾景虎程の者が、そんな初歩的な失態を晒すでやがるか?」

 

「越後の龍も完全無欠ではありませんよ。 たぶん読み違えたんでしょう。

 だから長尾は今までずっとドライゼを使えなかった。

 使えば玉薬が不足している事を気づかれてしまうので」

 

「しかし物見の報告では、越軍は此度の戦に大量の鉄砲……

 おそらくどらいぜを持ち込んでいるぞ。

 景虎が使えもせぬ武器を運ばせるのに人手を費やすのか?」

 

「今回の総大将、誰でしたっけ?」

 

その瞬間、皆の脳裏に電流が迸る。

中途半端に兵を集めた段階で唐突に長尾景虎と柿崎景家が失踪し、その行方は武田の諜報網でも捉えられていない。

急遽後継ぎが神輿として担ぎ上げ、甲斐への出兵は強行されたものの、越軍は長尾景虎個人の才覚に頼り切っているが故に、その歪みが出ているのだと。

 

「玉薬の不足……跡継ぎには知らされていなかったのか!?」

 

「北条名月景虎が跡継ぎと決まったのはごく最近でやがる。

 ありうる……ありうるでやがる!」

 

「初めての総らい将、戦果欲しさに新兵器に飛びついたのら!」

 

皆が目の色を変える。

これまで幾度と無く甲斐武田家の邪魔をし続けて来た越軍を今日こそ打ち破れる。

目の色の瘤の如く晴信を悩ませていた越後長尾家を、この機会に取り除ける。

そんな希望を皆が抱いた。

 

そして……

 

「いずれにせよ、長尾に母様がいる以上、和議は不可能……」

 

光璃がしばし瞑目し、そっと席を立つ。

 

「……越軍を討つ。 母様は殺す。 そして、両港と金山を手に入れる。

 長尾景虎不在の今が、最大の好機」

 

……光璃が決断をした。

 

……

 

…………

 

………………

 

一方その頃、越軍の陣幕では。

 

「……正直、作りすぎたな」

 

「何をだ?」

 

「火薬」

 

「今ここに火が付いたら、さぞや派手な花火になるだろうな」

 

山のように積み重なった弾薬の前で、信虎と九十郎が呟いた。

越軍のドライゼ部隊が1日中射撃し続けても使い切れぬ程の弾薬がそこにあった。

 

ハーバー・ボッシュ法……それは、空気と水からパンを作る技術。

空気中の窒素を固定化し、硝石を作る技術。

美空が最も入念にその存在を秘匿する技術。

確実に確実にドライゼ銃よりも危険でブッ飛んだ技術である。

 

そんな危険な技術を、光璃は知らない。

そんな危険な技術を、一二三は知っていて黙っていた。

 

 


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