戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と九十郎第9話『邪風発迷』

光璃「義元を殺そうと思う」

 

久遠「デアルカ、していつ殺す?」

 

光璃「意外と驚かない、武田と今川は曲がりなりにも同盟国」

 

久遠「たわけ、貴様が同盟関係程度の事で尻込みするような性格か。

   このまま義元の上洛が完遂されれば、

   第13代征夷大将軍の足利義輝は将軍の座から引きずり降ろされ、

   義元自身がその座に納まろう」

 

光璃「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ、

   今川は数名謀殺すれば征夷大将軍職の継承権を得られる名門中の名門……

   上洛が成れば武田も織田も義元の命に従わざるを得ない、逆らえば逆賊になる」

 

久遠「その通りだ。 故に我と貴様は上洛完遂前に義元を殺すか、

   義元の走狗に甘んじるか、そのどちらかしか生きる術は無い」

 

光璃「今川の走狗となれば、義元は無理難題を突きつけて武田を潰す。

   下僕として使うには、武田光璃晴信は悪鬼外道の名を広げ過ぎた」

 

久遠「我もそうだ、織田久遠信長は跳ねっ返りのうつけ者の名を広め過ぎた。

   狡兎死す前に纏めて煮られるのは火を見るよりも明らかだ」

 

光璃「故に義元を殺す、それ以外に武田が生き残る術は無い」

久遠「故に義元を殺す、それ以外に織田が生き残る術は無い」

 

久遠「デアルナ、していつ殺す?」

 

光璃「尾張に入った時、緒戦はあえて勝たせ、油断させ、奇襲で殺す」

 

久遠「ふむ、貴様も我と同じ考えか……しかし言う程簡単な事ではないぞ、

   あの海道一の弓取り、今川義元が間者や物見を使わぬ筈が無かろう」

 

光璃「間者と物見は光璃がどうにかする」

 

久遠「歩き巫女を動かすのか?」

 

光璃「そうだけどそれだけじゃない。 山本晴幸、そして飛び加藤」

 

久遠「相変わらず油断も隙もあったものではないな貴様は。

   どんな手を使った? 噂の甲州金とやらか?」

 

光璃「……」

 

久遠「だんまりか……まあ良かろう。

   何にせよそれならば、今川の動きもかなり詳細に把握できるか。

   しかし……それでも少々厳しい賭けになるぞ」

 

光璃「今川の陣に穴を空ける、それならば可能?」

 

久遠「やれなくもない、しかしどうする?

   武田はいつか必ず裏切ると、義元から警戒されていよう」

 

光璃「確かに、湖衣を引き入れたとは言え、大規模な軍事行動を行えば察知される。

   だから警戒が不十分な者に協力させる、義元に信用されている者……

   今川の武将を引き込む」

 

久遠「一歩間違えばこちらの目論見が筒抜けになるぞ」

 

光璃「危険な博打を打たなければ勝ち目は無い」

 

久遠「デアルナ、では少し伝手を当たってみるか」

 

葵「やります」

 

久遠「そ、即答だとっ!? お、おい竹千代!

   働きかけた我が言うのも何だが、もう少し躊躇とか葛藤とかは無いのか!?」

 

葵「それで、いつ殺しますか?」

 

光璃「上洛途上、尾張に入った時を狙う」

 

葵「では私の役割は内側から今川の陣形を乱す事ですね」

 

久遠「こら貴様らぁっ!! 我をそっちのけで話を進めるなぁっ!!」

 

葵「久遠様、今川では上洛に向けて相当具体的な準備が進められています。

  躊躇葛藤している時間はありません。

  それと今は松平葵元康と名乗っておりますので、葵とお呼び下さい」

 

久遠「尾張に居た頃と性格が違っておらぬか? 今川で虐められでもしたのか?」

 

葵「いえ全く、次代の家老候補として雪斎禅師直々の教育を受けさせて頂きましたし、

  鞠様はまるで十年来の親友、あるいは実の姉妹のように接して頂いております」

 

久遠「それで良く裏切る気になるな」

 

光璃「呂奉先も裸足で逃げ出す不義理ぶり」

 

久遠「美濃の蝮でもここまではやらんだろうに。 あと光璃、貴様にそれを言う資格は無い」

 

葵「母様が不慮の死を遂げた時、城も領地も纏めて接収した事、

  まだ忘れていませんし許してもいません。

  おかげで国に残した家臣達がどれ程苦労したか……」

 

久遠「デアルカ」

 

光璃「気持ちは分かる」

 

久遠「実母を追い出し、妹婿を誘き出して切腹させ、

   挙句の果てには志賀城に3000の生首を並べた貴様がそれを言うか」

 

光璃「分かっている、光璃にそれを言う資格は無い。

  光璃はたぶん、ロクな死に方をしない」

 

久遠「……すまぬ、失言であった。 我が至らぬばかりに博役を切腹させ、妹を殺し……

   我もまたロクな死に方ができぬだろうな」

 

葵「ならば、あれ程気にかけてくださった雪斎禅師を裏切り、

  鞠様の母を喪わせる手助けをする私も、きっとロクな死に方をしないでしょうね」

 

光璃「我等は皆、邪なる風に迷う者」

 

久遠「人人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。

   一度生を享け、滅せぬもののあるべきか……

   どうでロクな死に方ができぬのならば、最後の最後までロクデナシを貫くとしよう」

 

葵「人の生は、重き荷を背負い長い道を歩むもの……

  ならば義元公の死も、鞠様の嘆きも悲しみも背負って生きる事といたします」

 

久遠「やるか」

 

光璃「やる」

 

葵「やりましょう」

 

光璃「細かい段取りは久遠に任せる。 こちらは裏から……しかし、全力で支援をする」

 

久遠「まずは大々的に籠城の準備をし、

   我が既に破綻している遅延戦術に固持していると思わせよう」

 

光璃「承知した、歩き巫女を使って流布させる」

 

葵「では私は義元公がそれを信じるよう、それとなく話題を誘導します」

 

久遠「露骨にやり過ぎるなよ竹千代……ではなく葵、この作戦の要は貴様なのだからな」

 

葵「ご心配には及びません、もう10年以上も続けてきた事ですので。

  おそらく私と三河勢は先鋒を申しつけられると思いますので、

  上手く負けて頂けますか」

 

久遠「丸根砦、鷲津砦は捨てる。 それと佐々政次を敗死させる予定だ」

 

葵「小豆坂七本槍を緒戦で使い潰すつもりですか!?」

 

久遠「既に本人の了解は得ている。

   妹の佐々成政に家督を継がせ、重く用いる事を条件にな」

 

光璃「大胆な事する」

 

久遠「相手は海道一の弓取り、あの今川義元だ。

   その位やらねば、油断させるためにあえて負けたと感づかれよう。

   葵、もし三河勢が政次を討ち取ったなら、首級は丁重に取り扱ってくれ」

 

葵「はい、お約束いたします」

 

久遠「頼む。 対面もできぬ、葬儀もできぬというのでは、和奏があまりにも哀れだからな」

 

葵「義元公が死去した後、三河勢は独立を狙って動きます」

 

久遠「あい分かった、織田はそれを妨害せん」

 

光璃「武田の狙いは安倍金山と海、可能なら氏真の身柄。

   三河まで手を伸ばすつもりは無い、今はまだ」

 

葵「鞠様をどうするおつもりで?」

 

光璃「今、葵が考えているような事をする」

 

葵「……本当にロクな死に方ができませんよ、私も貴女も。

  それはそうと、適当な所で織田、武田と同盟を結べませんか?」

 

久遠「今川に対する明確な裏切りになるぞ?

   駿府館には葵の家臣達の家族が多数人質として預けられていると聞くが、

   危険ではないのか?」

 

葵「義元公ならばともかく、鞠様がそれを是とする性格とは思えませんが……

  最悪、全員斬られる事も覚悟しています」

 

光璃「同盟があっても攻める時は攻める、光璃はそういう性格、それでも?」

 

葵「構いません」

 

久遠「承知した、末永く頼りにさせてもらう」

 

光璃「分かった、殺すのは氏真の後にする」

 

久遠「葵、武田の動向から絶対に目を離すなよ。

   氏真の後に殺すと約束したな、あれは嘘だとか普通に言い出しかねんぞ」

 

葵「当然です、いつ一方的に同盟破棄して襲ってくるか分かりませんから」

 

久遠「ああそれと、先日前田犬子利家が当家より出奔したのだが、

   どうやら三河の御油という場所に居着いているらしい。

   悪いがそれとなく便宜を図って貰えぬか?」

 

葵「ぶっふぉあっ!?」

 

久遠「葵? どうした?」

 

葵「なななななな何でもありませんわ久遠様! ええ全く何でもありませんとも!!

  未だ駿河の地から離れられぬ身の上ですが、

  故郷の三河衆を通じて最大限の便宜を図る事にいたします」

 

久遠「そうか、それは助かる。

   いずれ当家に帰参させるつもりだが、流石に今すぐと言う訳にもいかんからな」

 

葵「かっふぉっ!!」

 

久遠「お、おい葵!? さっきから反応がおかしくないか!?」

 

葵「い、いえ何でもございません! いずれ帰参ですね、いずれ帰参!

  どうにかその前に独立して……ところで、その……九十郎様も犬子様と一緒で……」

 

久遠「九十郎? 誰だそれは?」

 

葵「いえいえ、分からないのでしたらそれで構いません。

  尾張に居た頃に2~3言葉を交わした程度の関係ですので」

 

久遠「そ、そうか? なら良いが……」

 

なお、話を分かり易くするためにこの部分だけ台本形式にしたが、以上の会話は全て密書による連絡であり、この3人が直接会話をした場面は無い。

 

雛は褒められても良いだろう。

 

そして後日、織田松平同盟の詳細を詰めるため、雛は尾張と三河を何度も往復する羽目になる。

少しでも有利な条件を引き出すべく、細かい文言にまでひたすら拘る葵相手に、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……

 

雛は褒められても良いだろう。

 

……

 

…………

 

………………

 

甲斐・躑躅ヶ崎館……甲斐国守護武田氏の居館であり、領地経営の本拠地であるこの場所で、1人の少女が筆を置く。

 

「駿府館を先に落とすか、安倍金山を優先させるか、

いっそ今川より先に松平を滅ぼすか……悩ましい」

 

静かにそう呟く赤毛の少女の名は武田晴信、通称は光璃。

後に斎藤九十郎の人生に深く深く深ぁ~く関わる事になる少女だが、今はまだ面識も無く、互いに名前すらも知らない関係だ。

 

しれっと同盟を結ぶ約束をしたばかりの松平元康、通称葵を殺す事を本気で検討しているが、光璃にとってはこれが平常運転である。

 

「……姉上、入るでやがりますよ」

 

そこに光璃の妹、武田信繁・通称夕霧が室内に入ってくる。

 

武田の今後に関わる重要な話がある、必ず一人で来るようにという連絡を受け、夕霧はやや緊張した面持ちであった。

 

光璃は筆を置き、尾張と駿河から届いたばかりの密書を折り畳む。

邪風発迷の謀は、妹の夕霧、武田四天王筆頭の馬場春日信房にも内密に進められている。

その全貌を把握しているのは、光璃と山本湖衣晴幸のみだ。

 

その謀を、武田の起死回生を賭けた秘中の秘を、今日夕霧に伝えようとしていた。

 

「義元を殺そうと思っている」

 

「また同盟破りでやがりますか。 姉上も飽きないでやがりますな」

 

武田の今後を左右する重大事を前置きも無く話したというのに、夕霧は狼狽えない。

前科が大量にあるのだ……姉妹にも家臣にも内緒で事を進め、実行寸前でいきなり伝えてくるのが、いつもの光璃なのである。

 

「……意外と驚かれない」

 

「いつもの姉上でやがりますからな。

 姉上は同盟の意味を一回考え直すべきでやがります」

 

「戦国の世、下剋上の世で、仁義八行を馬鹿丁寧に守っている余裕は無い」

 

「夕霧もそう思うでやがります。 ただ……今までそれを蔑ろにし続けてきた事が、

 長尾との戦いで劣勢になっている原因の一つである事もまた、

 疑いようがない事でやがります」

 

「武田だけは信用ならない、武田と組むのだけは嫌だ……

 そう言って武田から離れ、長尾に付いた豪族は少なくない」

 

「長尾美空景虎は、その辺りは馬鹿正直、馬鹿丁寧にやってるでやがりますからな。

 武田との対比もあって随分とマトモに見えるでやがります。

 最近では葛尾城主の村上義清が怪しい動きをしやがって……」

 

「警戒は怠れない。 それに景虎は元僧侶、寺社勢力や信心深い民衆からの人気も高い」

 

「……おかげで、一向一揆も頻発してるでやがります」

 

2人が顔を突き合わせながら、はあぁっと深いため息をついた。

 

裏切りも、謀略も、残虐非道な殺戮も、必要だからやったまでだ。

自ら望んで悪鬼外道の行いをした事は一度も無い。

だがしかし、その時々の最善の行動が、回り回って現在の光璃の首を絞めつつあった。

 

「いっそ光璃も出家する? そうすれば一向一揆を抑えられるかもしれない」

 

近所にある長禅寺住職の岐秀元伯を導師に、戒名は『徳栄軒信玄』にでもしようか……半ば思い付きに等しい考えであったが、最近思いついた対長尾の策の中では相当効果的なのではと思い始める。

金欠に苦しむ今の武田が、金をかけずに寺社勢力の機嫌を取れる妙手なのではと……

 

「姉上は今までに焼いた寺社仏閣の数を覚えているでやがりますか?」

 

「10から先は数えていない」

 

「姉上は今までに殺した僧侶や神官の数を覚えているでやがりますか?」

 

「100から先は数えていない」

 

光璃は残虐性、異常性においてはディオ以上である。

 

「出家した程度に誤魔化せる悪名じゃないし、

 むしろ逆撫でする危険が大きいでやがります!!」

 

「……残念」

 

「残当でやがります」

 

光璃は頭の中で、景虎に対抗して出家する案をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱にダンクシュートした。

 

「まあ冗談はその位にして……」

 

「本気だった」

 

「冗談はぁっ! その位にぃっ! しやがれでやがりますっ!!」

 

光璃はこくんと頷いた。

九十郎がこの場に居たら、どっちが姉か分かったもんじゃねぇなと笑う事だろうし、後日似たような光景を見て実際に笑う、指を差しながら腹を抱えて笑う。

 

実際の所、頭の回転は速いがどこか常識知らずな所がある光璃に対し、常識人でしっかり者の夕霧や、御淑やかで包容力のある薫……光璃のもう一人の妹・武田薫信廉は、まるで光璃の姉であるかのようにフォローや世話をする時が多々ある。

 

「それで、今回は何を考えて同盟破りを?」

 

「必要に迫られて」

 

「成程、いつもの事でやがりますな。

 正面から? それとも搦め手から殺すでやがります?」

 

「搦め手でいく、表向きには尾張の織田久遠信長にやらせる。

 武田はそれを裏から支援する」

 

「卑劣な術でやがりますな、いつもの事でやがりますが」

 

もし光璃が穢土転生の術を使えたなら、戦国の世に阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた事であろう。

光璃の性格上、躊躇無く連発する。

 

「勝算はあるでやがりますか?」

 

「ある。 まずは物見と間者を始末する。 湖衣と飛び加藤に手伝ってもらう」

 

「姉上、正気でやがりますか? 湖衣は名目上こそ武田に仕えてやがりますが、

 実質は姉上の動向を監視するために送り込まれた今川の間者、

 飛び加藤に至っては長尾が雇っている忍でやがりますよ」

 

「引き抜いた」

 

「そんな大根じゃあるまいし……

 もし湖衣か飛び加藤が義元に裏切りを報告したらどうする気でやがりますか?」

 

「その時は光璃の負け」

 

「今川の間者や物見を始末するなんて簡単に言うでやがりますが、

 1人でも殺し損ねたら異変が義元に伝わっちまうでやがりますよ」

 

「その時も光璃の負け。 次に今川の布陣に穴を開け、義元の居所を織田に伝え、

 久遠にそこを衝いてもらう。 これは松平葵元康にやってもらう」

 

「そんな事が可能でやがりますか。 あの義元が気づかないとでも?

 それに松平元康は義元と氏真のお気に入りでやがる、裏切る理由がねぇでやがるよ。

 松平が裏切ったふりをしてこちらを騙そうとしてるのでは?」

 

「その時も光璃の負け。 最後に奇襲して義元を討ち取る、久遠が頑張る」

 

「本陣を固めるのは今川の精鋭中の精鋭でやがりますよ。

 尾張の弱卒にそれが抜けるでやがりますか? 取り逃がしでもしたら……」

 

「その時も光璃の負け」

 

夕霧は一瞬、意識が遠のいた。

 

「ちょっと待つでやがります姉上っ!! さっき勝算はあるって言ったでやがりますが、

 自分がどれだけヤバい博打をしようとしてるのか理解してるでやがりますかっ!?」

 

「相手は海道一の弓取り……万分の一の勝算でも十分過ぎる。

 それに葵も久遠も夕霧が思う程無能じゃない、成功の目は確かにある」

 

数秒間、夕霧は光璃の顔を親の仇のようにじぃ~っと睨みつけ、はぁ~っと深く溜め息をついた。

 

「こんな重大事を今までずっと隠してきたのは、

 情報が漏れるのを防ぐためでやがりますか?」

 

「そう」

 

正面から……つまり兵を挙げての戦であれば、武田御一門衆として夕霧も関わらざるを得ない。

しかし搦め手……権謀術数でもって状況を操作する戦いでは、夕霧はむしろ足手纏いになりかねない。

 

人間、向き不向きというものがあるのだ。

 

「にしても、今回の同盟破りは随分と早かったでやがりますな」

 

「長尾の……ううん、長尾美空景虎の実力を過小評価した、光璃の落ち度」

 

甲相駿三国同盟が成立してからの無様な戦いを思い出すと、光璃は自分が情けなくて頭が痛くなってくる。

既に3度、光璃と美空は川中島で対峙しているが、いつもいつも決着はつかずに痛み分け。

そして引き分けを演じる度に、周囲の豪族達は武田も大した事がないと侮り、長尾の実力を認め、頼るようになっていった。

 

三国同盟成立から3年以内にぷちっと潰す予定であった長尾は、5年経った今でも未だ健在……それどころか、5年前よりも勢力を増していた。

 

「甲斐の黒川金山は枯渇しつつある。 甲州金は武田の力、武田の生命線。

 武器も、兵糧も、馬も、鉄砲も甲州金で仕入れている。

 武田の諜報網も甲州金が支えている。 黒川金山が尽きた時……武田は終わる」

 

「甲州金の質が下がっているという噂は聞いてるでやがりますが、

 黒川の産出量はそんなに酷い有様でやがりますか?」

 

「金山奉行の今井兵部が、あと4~5年で産出量が半分になると言い残して腹を切った」

 

「病死じゃなかったでやがりますかっ!?」

 

今明かされた衝撃の新事実に、夕霧はあんぐりと口を開ける。

 

「長尾を潰し、佐渡の金山と海を手に入れてから今川義元と対峙する予定だった……

 だけどもう限界、黒川金山は枯渇寸前、今川の上洛も目前。

 そこで長尾の前に今川を潰し、安倍金山と海を掌握し、長尾と雌雄を決する」

 

光璃は何でもない事のようにさらりと言ったが、バラモスが思っていたよりも強いので先にゾーマを殺しに行くのと同じ位の暴挙である。

ゾーマ殺すには『ひかりのたま』……もとい新しい金山が必要なのだが、その辺は久遠と葵を上手く利用して無理矢理殺す気である。

 

「義元が上洛したら、現将軍を廃して自分が将軍の座に……で、やがりますね」

 

「義元ならやりかねない」

 

「で、やがりますな」

 

そしてそうなった場合、今川は国力と大義名分の双方を備え、武田も織田も順当に擦り潰される……その点に関しては光璃と夕霧の共通見解になっていた。

 

「いっそ今川に降服する線は」

 

「不可能」

 

一言でバッサリと切り捨てた。

いや……

 

「正確に言うなら、光璃が武田の頭領である間は不可能」

 

そう付け加えた。

 

「姉上、それはどういう……」

 

不穏な空気を感じ、その言葉の真意を質そうとする夕霧を遮るかのように、光璃は夕霧の眼前にある物を突きつける。

 

それは光璃愛用の軍配……武田の頭領・武田晴信がここぞという場面にのみ持ち出す物、光璃にとっての決意の証だ。

 

「……どういう、意味でやがりますか?」

 

夕霧は息を飲み、もう一度尋ね直す。

 

目の前に居る人物は、既に自分の姉では無い。

武田家当主・武田晴信……必要とあらば実母を追放し、妹婿を騙し討ちし、数え切れぬ程の寺社仏閣を焼き、志賀城に3000の生首を並べる悪鬼外道である。

必要になれば、きっと眉一つ動かさずに自分の首を刎ねるだろう……問い一つ投げかけるのも命懸けだ。

 

「さっき夕霧が言った通り、これは分の悪い賭け。 負けた時の事も考えざるを得ない。

 故に織田がしくじった時は、武田晴信を追放し、武田信繁が頭領になる。

 そして義元にはこう告げる……姉が勝手にやった事、自分は何も知らなかった。

 変わらぬ友好の証として、姉を人質として送る……と」

 

「なっ!?」

 

夕霧が絶句する。

それはつまり、かつて2人が実母武田信虎に対して行った非情の策の再現に他ならない。

 

「今川の走狗として生きるのであれば、武田の頭領は武田晴信よりも武田信繁の方が良い。

 義元の信を得るには、光璃は悪名を重ね過ぎたから」

 

「姉上を隠居させろと?」

 

「隠居だけでは足りない、最低でも追放、場合によっては首にして差し出してほしい」

 

「夕霧に姉上を殺せとっ!?」

 

そう抗議しようとする夕霧の喉元に、軍配が突き出される。

 

「武田の頭領として命じる……やれ」

 

氷のように冷たい声であった。

血を分けた妹に……生まれた日からずっと信じ合い、助け合ってきた妹に対する言葉では無い。

 

人殺しの、悪鬼外道の、戦国大名の言葉であった。

 

「夕霧に生恥を晒せと!? 姉上を見殺しにして無様に生き延びろと!?」

 

「恥だの何だの言う暇があったら戦え。

 膝を屈し、誇りを捨て、それでもなお生き足掻け。 武田を……守れ」

 

否とは言わせぬ、言えば殺す……そんな無言の迫力があった。

 

「姉……上……」

 

嘘だと言ってくれ、間違いだと言ってくれ、冗談だと言ってくれ……そんな懇願にも似た想いと共に、夕霧が掻き消えそうな声で言う。

 

「もう一度命じる、やれ。 3度目は無い」

 

光璃は一切聞く耳を持たない。

志賀城の石垣に降伏した将兵の首を並べろと命じた時と同じであった。

 

「……御意」

 

夕霧はそう答えるしかなかった、答えざるを得なかった。

光璃と共に実母信虎を追放した日を思い出し、それを自分1人で、敬愛する姉である光璃に対してやるのかと想像して……吐き気と震えがした。

 

「2つ、約束してほしい」

 

「な、何を……で、やがりますか?」

 

軍配は降ろしている。

言葉の節々が穏やかなものになっている。

光璃は武田の頭領としてではなく、夕霧の姉として、伝えたい事があった。

もしかしたら今日が、最後の別れになるかもしれないのだから……

 

「一つ、光璃が死んでも仇討ちは考えない事、光璃が人質になっても動じない事」

 

動じるなと言うのはつまり、何かあったら躊躇無く見捨てろという意味だ。

 

夕霧は何かを言おうとして、何かを叫ぼうとして……心底悔しそうに口をつぐむ。

今、彼女が頭に思い浮かべた言葉を口にすれば、武田家頭領武田晴信にも、夕霧の姉の光璃にも背く事になるのだから。

 

「二つ、何があっても諦めない事、自棄にもならない事。

 光璃が死んでも、人質になっても、武田四天王を喪っても、何個城を奪われても、

 躑躅ヶ崎館を奪われても、御旗盾無しが焼け落ちても、領地が無くなっても……

 武田の血統を継ぐ者が一人でも残っている限り、

 最後の最後まで諦めないで戦い続けて、抗い続けて」

 

夕霧は唇を噛み、血が滲む程に拳を握り締め……大きく一回頷いた。

ふざけるなと言いたかった、認められるかと叫びたかった。

 

「だけどそれじゃ……それじゃあまるで……遺言みたいに聞こえ……」

 

そう言うのが精一杯であった。

 

「違う夕霧、これは遺言。

 どれだけ入念に準備をしようとも、邪風発迷の策は9割失敗する大博打。

 失敗すれば光璃は死ぬ、良くても今川の人質になる。 だから今の内に遺言を残す」

 

気がつけば夕霧の頬に涙が伝って落ちていた。

光璃はそんな妹をそっと抱き寄せて、涙を拭った。

 

普段はあまり姉らしい事ができていない光璃であったが……今この瞬間だけは、光璃は確かに夕霧の姉であった。

 

「例え光璃が死んで、夕霧が武田を継ぐ事になったとしても、

 晩年の孫仲謀みたいな真似は厳に慎むように」

 

「姉上こそ……姉上こそ孫伯符みてえな死に様は晒すんじゃねーでやがりますよ」

 

嗚咽を漏らしながらも、夕霧は軽口で返す。

姉に心配をかけまいと、何が起ころうと武田家を守ると……そう伝えるために。

 

麗しき姉妹愛と、感動的なシーンと言いたい所だが、もし孫伯符と孫仲謀がこの場に居たらこの2人をしこたまブン殴っていた事だろう。

 

他愛も無い軽口をたたき合いながら、光璃は思う。

自分のような屑はきっと、ロクな死に方ができないだろうと。

 

光璃が斎藤九十郎と出会うのは、まだ大分先の話である。

 


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