「しばらく越後には戻れねーでやがるよ。 何かやり残した事はねーでやがるか?」
典厩武田信繁・通称夕霧が剣丞にそう確認する。
時間が差し迫ってる筈なのに待ってと言えば待ってくれる人……龍が如くでは良くある光景、現実には滅多に無い光景だ。
「…………………」
剣丞が無言で考え込む。
昨晩は色々ありすぎた。
自分の足元が粉々に砕けて奈落へと引きずり込まれるかのような感覚がする。
愛する嫁である織田久遠信長を命懸けで守ろうとしていた自分が、その久遠を害そうとする陰謀の片棒を担がされていたのだから。
「おい! 聞いてたでやがるか!? 返事くらいするでやがるよ!」
「ああ、すまない」
「剣丞様、何かあったのですか? 顔色が優れませんよ」
詩乃が心配そうな眼差しを向ける。
一瞬だけ目が合って、剣丞は居た堪れなくなって目を逸らした。
「剣丞様……?」
明らかに様子がおかしいと詩乃は感じた。
昨晩宴会でベロンベロンに酔っぱらった美空が、『あ~たわりゃしのおっとでしょ~がぁ~』とか何とか言いながら剣丞を引っ張り、半ば無理矢理晩酌に付き合わせた事や、今朝何故か美空が全身ズタボロの傷だらけだった事が何かしら関係があるのではと思ったが、具体的な事は何一つ分からない。
剣丞も黙して語らない。
聞くべきか、それとも自分から語ってくれるのを待つべきか……詩乃が迷い、悩む。
同時に剣丞も悩んでいた。
昨日の出来事を言うべきか、言わざるべきかではない。
「(言える訳が無い、あんな事を……)」
……
…………
………………
……美空と剣丞が増えるエーリカ達に襲撃された直後まで時は少し遡る。
増えるエーリカを撃退し、服を着直した4人は、血痕だらけで刀傷だらけの部屋の片づけを部下に任せ、井伊直政・通称新戸の元へやって来た。
「何で一二三までいるのよ?」
……訂正、4人と一二三が新戸の元へやって来た。
「青姦してた」
「青姦してました」
「青姦してたから」
犬子と一二三と九十郎の声が無駄にハモる。
「あんたらこの非常時に何ヤッてんのよ!?」
「無茶言うなよ、非常時だって分かったの、お前が犬笛吹いたからなんだぞ」
「私も結構急いで走ったんだけど、
流石に犬子殿と九十郎殿の健脚には敵いませんでしたと」
「あんまりコイツに機密性の高い話を聞かせたくないのだけど……」
「むしろ一二三にこそ聞かせるべきだと思うぞ、剣丞のフォロー頼んだんだから」
「そもそも何でわざわざ敵にそんな事頼むのよ……」
「はいはい、そんな事より新戸ちゃん。
こっちの経緯はそんな感じなんだけど、何か知ってる事無い?」
今日あった事を犬子から聞いた新戸は、しばらく黙り込み……
「ふふふ……ふふははは……はぁ~っはっはっはっはっはぁ!!」
……唐突に笑い出した。
「変な悪役笑いしてる暇あったら何か喋れよ」
九十郎が新戸の後頭部を思い切りドツいた。
そしたら新戸は妙にハイテンションで笑い転げていたのだ。
「最高に『ハイ!』ってやつだアアアアア! アハハハハハハハーーーッ!!」
「DIO様ごっこしてねぇでまともな事を喋れ」
九十郎が新戸の後頭部に斎藤パンチを叩き込んだ。
「痛いぞ、クズロー」
新戸がぶす~っと頬を膨らませながら抗議の視線を向ける。
「何か楽しい事でもあったのか? こっちはそれどころじゃねえんだ、後にしろよ」
「楽しいというか……嬉しい事だ、とてもとても愉快で堪らない」
「分かったよ聞いてやるよ30秒で終わらせろよ」
「オレ達の戦いは無意味ではなかったぁっ! オレ達の死は無駄ではなかったぁっ!」
「はい聞いた。 じゃあこっちの用件を話すぞ」
「もうちょっと聞いてくれクズロー」
新戸が若干涙目になりながら抗議の視線を向ける。
「ぶっちゃけ眠い。 とっとと終わらせて帰って寝たい」
「九十郎、仮にも主君が殺されかけたって時にそれは無いんじゃないかな」
「そうね、ぶっちゃけ私もドン引きよ」
「おやおや、九十郎の主君は柿崎景家殿と聞いていたのだけど、違ったので?」
主君兼弟子兼正妻という訳の分からない立場である。
「主君の主君は主君も同然でしょうが!」
「そんなクリスタル聖闘士理論は俺には通じないんだよ」
「全く、本当にこいつは時々格好悪いわね」
「そういう所も九十郎なんですけどね、私も時々幻滅しそうになります」
「むしろ駄目人間な所が良いんじゃないかな」
「一二三さんって、実は男性の趣味が悪い?」
「犬子、ブーメランブーメラン。 いや私にも刺さるけど」
「何にせよ剣丞、後は全部任せたから俺は帰って寝る」
「その剣丞様が問題だから来てるんだって!!」
「じゃあ犬子、後は全部任せ……」
「噛むよ」
「仕方ないな、美空……」
「三昧耶曼荼羅、無理すればあと一発くらい撃てそうなのよね」
「一二三、頼んだ」
「え? この後私が好き勝手にして良いのかい?」
一二三が瞳を爛々と輝かせる。
その瞬間、九十郎は大江戸学園時代の友人である比良賀輝と同じ印象を抱いた。
即ち……放置したら絶対にロクな事にならんという確信である。
「前言撤回! 分かったよ、聞きゃ良いんだろ聞きゃあ。
何だって俺が糞ニートの機嫌とらなきゃいけねぇんだ」
九十郎がぶつくさと文句を言いながら話を聞く体勢になる。
「それで、何でそんなに上機嫌なんだ糞ニート君は?」
「それを語るには下準備……」
「うん? 何やってんだお前?」
新戸がその辺から棒きれを拾い、地面に大きな円を描く。
「ちょっと危ないからこの線から中に入るなよ」
「てっきり魔法陣でも描いてるのかと思ったぞ」
「グルグルの読み過ぎだな」
美空と犬子と一二三、それに剣丞が言われた通りに一歩ずつ後退する。
新戸はさっき地面に描いた大きな円の中心に座り、空を見上げた。
「さて、長い話になるが、どこから話そうか……」
無数の並行世界に存在する無数の虎松達の戦いの記憶に思いを巡らせる。
長い戦いだった。
長い長い戦いだった。
何百もの、何千もの虎松達が無残に落命していった。
虎松達はもう駄目なのか、もう無理なのかと諦めかけていた。
少なくない数の虎松達が戦いを諦め、抵抗をやめていた。
まだ完全勝利には程遠いが、大きな大きな勝利を収めた、
新戸にはそれが嬉しくてたまらないのだ。
「先にクズロー達の疑問に答えておこう」
にまぁ~っと笑いながら新戸がそう告げる。
心が読めるので、新戸には九十郎達が何を見て、何を聞いたのかを完璧に把握しているし、九十郎達が自分に聞きたい事も完全に理解している。
今の新戸の心境は『積年の恨みじゃコンニャロウ』といった具合だ。
恨みの対象はそもそもの元凶のオーディンと、現場の苦労も知らずにあれをやれこれをやれと口うるさい早雲、そして数多の世界で虎松達の思惑とは真逆の事をしでかし、数多の世界で虎松の死因、敗因になってくれた新田剣丞だ。
「犯人はオーディンだ」
「ほう」
そう告げた瞬間、新戸がキッと空を見上げて身構える。
10秒待ち、20秒待ち、30秒待ち……天を裂き、大地を割り、全てを貫く恐怖の一撃が一向に来ない事を確かめる。
「グングニルは飛んで来ないか。 どうやら相当大きなズレができているようだな」
再び新戸がにまぁ~っと笑みを浮かべる。
「おい糞ニート、何だグングニルだのオーディンだの、それじゃまさか北欧神話の……」
九十郎が新戸を小馬鹿にするような言葉を投げかけ……途中で言葉を途切れさせる。
「もしかしてマジでオーディンが敵に回ってるのか?」
九十郎が真顔でそう尋ねる。
戦国時代に来てからバーゲンセールのように超能力者に会うし、井伊の糞女とは会うし、鬼は出るしで、ここまで来たらオーディンが出てきてもおかしくねーかと思ったのだ。
「うん」
新戸が頷く。
九十郎は目の前が真っ暗になった。
「理由は?」
「英雄の魂」
「ターゲットは美空と犬子か……」
九十郎は頭が痛くなってきた。
「九十郎、オーディンって誰?」
「北欧神話の神様だよ。 勇者の魂をヴァルハラに集めてラグナロクに備えてる」
「え~カミサマ~? カミサマなんて迷信でしょ~」
「景虎さ~ん、貴女はその台詞言ったら駄目だと思いますよ~」
「美空様、ブーメラン刺さってます」
「神社の奥から御神体引っ張り出して拾ってきた小石を置いてきた事あるけど、
別に何も起きなかったわよ」
「比良賀と同じ事してんじゃねぇよ上杉謙信っ!!」
「美空様もしかして意図的に罰当たりな事繰り返してませんか?」
「いっそオーディンとかいうのに連れ去られた方が平和なんじゃないかなあ」
「一二三さん、流石に言い過ぎ」
惚れた男から辛辣な台詞を浴びせられたショックで、美空が物陰で一人マルバツを始めた。
「オーディン……確か、ルーン魔術の……」
剣丞がそう呟いた。
「ああ、ルーン魔術を作ったって話だな、神話では」
剣丞が無言になる。
美空の身体に宿った自称毘沙門天が立ち去る寸前に告げた言葉が……『ルーン魔術』という言葉が剣丞の脳裏によぎる。
「おいこら糞ニートォッ!! 何で今まで黙ってやがったこの野郎ぉ!!」
「頼む教えてくれ! 一体何が起きているんだ! 犬子の事もオーディンの仕業なのか!」
剣丞と九十郎がさっき描いた円を踏み越えて新戸に詰め寄り、縋りつく。
「その円から入ってこない方が良いぞ、巻き添えで死にたくなかったら」
「何かあんのか?」
「いつものパターンだと、グングニルが飛んでくる」
「あっぶねぇなおい!?」
剣丞と九十郎が慌てて円から外に出る。
「……で、いつから気づいてたんだ?
美空達がオーディンに眼をつけられてるって事によ」
「だいぶ前、別の世界のオレが命と引き換えに掴んだ」
「何でその時点で俺か剣丞に言わなかった?」
「迂闊に情報を出し過ぎるとグングニルが飛んでくる」
「飛んできてねぇぞ、いい加減な事を言うな」
「オーディンのシナリオにズレが起きた。
グングニルはオーディンの魔術の中でも特に複雑で繊細だ。
だから今、オーディンはこの世界にグングニルを飛ばす事ができなくなっている」
「九十郎、分かる?」
犬子は早くも話についてこれなくなりつつあり、困り果てた表情で九十郎に助けを求める。
一人マルバツをしている美空もしっかりと耳を傾けている様子であったが、やはり話についていけておらず、頭上に多数の『?』マークを浮かべていた。
「すまん、俺もちょっと分からん。 糞ニート、もう少し分かり易く話せ」
「オーディンにとっても、異なる世界に対して魔術を飛ばすのは難しい。
例えるならイトカワに小惑星探査機を飛ばして、サンプルを持ち帰らせるようなもの。
もしも急にイトカワの軌道が変わったらどうなると思う?」
「……どうなるんだ?」
「軌道計算のやり直し。
場合によっては設計図の段階から探査機を作り直さなきゃいけなくなる。
だがグングニルはオーディンの切り札、そうポンポン連発できるものでもなければ、
そう簡単に設計変更ができるようなものでもない」
「必中の槍のくせに融通がきかねぇな」
「撃てば必中だが、撃つのが大変なんだ」
「ところで、さっき言っていたシナリオのズレってのはどういう意味で?」
「今日、美空は剣丞と結ばれる運命だった」
「あ? 誰が誰と結ばれるって?」
隅っこで一人マルバルをしていた美空が新戸にガンをつける。
「もう一度言う、今日美空は剣丞と結ばれる運命だった。 神が定めた宿命だった」
「つまりオーディンとかいうクソッタレが勝手に決めたって事でしょう」
「奇跡ってのは起きないから奇跡と言うんだ」
「kanonか、懐かしいな。 小学生だった事にプレイしたよ」
しれっと18歳未満お断りのゲームをXX歳でプレイしたと自白する屑男がいた。
エロゲーなぞ一度もプレイしてない真面目な剣丞には全く理解できていない会話である。
「オレが100万回死んだ」
新戸がどこか陰のある表情でそう呟く。
美空も犬子も、剣丞も九十郎も思わずぎょっとする。
目が完全に死んでいて、焦点もあわず、虚ろだった。
それは冗談でも何でもなく100万回分の死を経験しているのかと思う程だ。
「100万のオレが犠牲になった。 大部分が何の成果も得られない無駄死に、犬死だった。
数少ないオレ達がほんの僅かな情報と引き換えに命を落とした。
そして少なくないオレの心が折れ、諦めた。
運命なのだと、何をやっても無駄だと……諦めて、受け入れるしかないのだと」
「諦めたらそこで試合終了だよ」
「本当にな。 だから正直オレは……オレ達は半ば諦めていた。
オレがさっき笑っていた理由はそういう事だ」
「んで、そもそもお前は何でオーディンと戦ってるんだ?」
「北条早雲を知っているか?」
「名前くらいはな」
犬子と美空と一二三、それに剣丞もうんうんと頷き合う。
「オーディンは英雄の魂を集めラグナロクに備えていた。
早雲はかつてオーディンの協力者だった。 今は決別しているがな」
「新戸ちゃん、ごめん、らぐなろくって何の事かな?」
「宇宙サバイバル編みたいなものだ」
「ごめん、全然分かんない」
それが分かるのはドラゴンボール超視聴者だけである。
当然、剣丞にも九十郎にも分からない。
「オーディンの予知で、将来途轍もなく大きな戦いが起きるとだけ考えていてくれ。
オレも全容を知っている訳じゃない。
初めのうちは早雲は自発的にオーディンに協力していた。
ラグナロクに備えも、そのために英雄の魂を必要としている事も嘘は無い。
だがその過程で、オーディンが早雲の家族の魂を奪い、
エインヘルヤルにしようとしているのが分かった、 だから早雲はオーディンと戦った」
「新戸ちゃん、えいんへるやるって……」
「英雄の魂を小豆とするなら、エインヘルヤルはこし餡だ」
「つまり集めた魂を加工してるって事ね。 まったく、人を何だと思っているのやら……」
「オーディンに囚われると生きたまま蒸したり焼いたり刻んだり痛めたりされて、
他の英雄の魂と混ぜ合わせられられて、
最終的にはオーディンの手駒にされる……と理解していれば良い」
犬子と美空、それに剣丞、あろう事か九十郎までもがぞくりと背筋を震わせる。
自分自身が、愛する嫁が、生きたまま調理される光景を思わず想像してしまったのだ。
「そーいえば孔子様は人肉が好物なんだっけなぁ」
「一二三さん! 変な時に変な事言わないで!」
「なあ、他の魂と混ぜ合わせるって言ったよな。
例えば……明智光秀の魂と、ルイス・フロイスの魂を混ぜる事も……」
剣丞が恐る恐るそう尋ねる。
「そうだ、エーリカはエインヘルヤルだ。
こちらの状況をコントロールするためにオーディンが送り込んだ。
本人はその自覚は無いだろうがな」
「増えるエーリカの正体がそれか……」
「なら、あの6匹だけじゃないと考えておいた方が良いわね」
「1匹見たら20匹はいるって昔から言うねぇ」
「一二三、それゴキブリだぞ」
「それで、早雲がオーディンと戦った後、どうなったんだ?」
「当然、早雲が負けた。
剣魂という怪異を斬るための武器を用意したが、それだけでは勝てなかった。
早雲はオーディンから逃れるために、無数に存在する並行世界の一つに逃げのびた。
逃げた先で、早雲はより強力な武器を作り始めた。
それと同時に、オーディンのシナリオを潰す方法も模索した……
その過程で、虎松と出会った」
「それで協力する事にしたのか?」
「あまりにも哀れだったからだ。 だが今は正直に言って後悔している。
早雲は人使いが荒い、他人の死を前提にした策を遣うのも嫌いだ」
「ははは、お前って昔から貧乏籤を引くよな」
「オレはいつもそうだ、尊治の時もそうだった。
あまりにも哀れだと思って……後で後悔する」
「今からでもやめちまったらどうだ?」
「途中でやめたオレは大勢いる。
何の成果も無く、何の意味も無く死んだオレはもっと大勢だ」
「これから俺達はどうすれば良い?」
「今、オーディンはこちらの世界に干渉する手段を完全に失っている。
だが、時間と共に再びこちらに干渉する手段を得る。
単純で、簡便で、融通の利く魔法ほど早く、
複雑で、強力で、融通の利かない魔法は遅いだろう。 グングニルは一番最後だ」
「それを防ぐためには……もう一度シナリオを動かすか」
「その通りだ。 今のオーディンは目も耳も塞がれ、手足を縛られているも同然。
しかし、グングニルを飛ばせるようになった時点では、奴は限りなく全知全能に近い」
「糞ニート、この後のシナリオはどうなる?」
「剣丞は甲斐に行き、武田晴信と会う」
剣丞はどきりと肩を震わせる。
美空と犬子が思わず顔を見合わせる。
明日の夜明け、剣丞は典厩武田信繁・通称夕霧と共に甲斐に行く事になっていくからだ。
夕霧が越後に来た事すらオーディンの思惑、オーディンの計算に入っているのかと……
「ハンサムの剣丞君は武田晴信と妹達、武田四天王と共に鬼と戦い、愛を育む。
そして剣丞を中心とした織田、浅井、松平、長尾、武田の大同盟が組まれる」
「剣丞君の大ハーレムね。 晴信と棒姉妹だなんて寒気がするわ」
「……そうなる事が、オーディンの計画なのか?」
剣丞が震えながら尋ねる。
頭をがつんと殴られて、思考が真っ黒になっていくような気分だった。
「そうだ」
新戸は極めて冷静に、極めて冷徹に、淡々と質問に回答する。
「美空様、本気で剣丞様を除きませんか」
犬子が真剣な表情で提案する。
除くとはつまり殺すという事だ。
「おい犬子、それは無しだって何度も言ってるだろ」
「でもさ、向こうは剣丞様と武田晴信さんが結ばれるのを避けなきゃいけないんでしょ。
一番確実だよ」
「それに手っ取り早いわね」
「お前らな……俺は反対だぞ」
「死ぬよ」
新戸のぼそっと呟いた一言に、議論がぴたりと止まった。
何とも表現し難い、妙な重みと妙な迫力の籠った呟きであった。
「……糞ニート、今何て言った?」
「剣丞を殺せば、犬子も死ぬ」
「え゛っ!?」
犬子は思わず、女の子がしてはいけない声を発する。
「言うなれば剣丞は鵜飼の鵜。 剣丞と関係を結んだ女は全員マーキングがされ、
剣丞の死と同時に魂を抜かれ、ヴァルハラに送られる。」
「関係って……」
「ちOこをまOこに挿入する事だ」
「デデーン、犬子アウトー」
「笑い事じゃないよ九十郎ぉっ!
私だけならともかく、ひよ子とか詩乃さんとか、松葉まで死んじゃうよ!」
「く、久遠と一葉も……だな……」
「アンタ公方様にも手を出してんの!? 他は!? 他はいないの!?」
「壬月と麦穂と桐琴と転子と鞠と梅と歌夜と小波と眞琴と市と双葉と幽……」
「織田の風紀乱れすぎぃっ!?」
「美空様どうしましょう!?
それだけの人数が一遍に急死したら何が起きるか分かりません!」
「殺すのは無しよ! 流石に洒落にならないわ!
それで……えっと……軟禁! 甲斐行きは中止して座敷牢に入れましょう!!」
「なるほど! 流石は美空様です!」
「……ごめん、やっぱ無し。
急に甲斐行きを中止したら晴信が攻め込んでくるかもしれないわ」
「そ、そんなぁ……」
「そっくりさんを送り込んで、これが新田剣丞ですと言い張るのはどうだ?」
「いくら何でも夜明けまでに影武者を用意するなんて無理よ!」
「新戸ちゃん! 何とか外せないの!? その……まぁきんぐっての」
「オレにはできん。 だができる可能性がある人物は知っている」
「え、誰?」
「五十嵐光臣」
「誰ぇっ!?」
「あいつかよ!?」
犬子は誰の事だと分からずに、九十郎は誰だか分かったが故に頭を抱える。
五十嵐光臣……ニホンが誇るトップエリート共がその溢れんばかりの才覚をゴミ箱にダンクシュートし、俺はここだぜ一足お先と光の速さで明後日の方向にダッシュする魔境大江戸学園の中でもトップクラスの天才であり、同時にトップクラスのバカでもある。
ついでに言うと、斎藤九十郎の前の生での友人であり、戦国時代の人間ではないため絶対に助力は見込めない人物である。
「とすると……」
「ええ……」
「剣丞様! 甲斐では誑し禁止ですよっ!!」
「剣丞! 甲斐では誑し厳禁よっ!!」
美空と犬子が声を揃えて剣丞に詰め寄る。
それにしても新田剣丞に誑しを禁止するなど、魚に泳ぐな、鳥に飛ぶな、両津に副業をするなと命じるようなものである。
「わ、分かった」
剣丞は若干引き気味にではあるが、2人の言葉に頷いて見せた。
「誑し禁止と言われて止められるものかな……」
そんな3人とは少し離れた場所で、一二三が小さく呟いた。
「イケメンの剣丞様だしなぁ……
正直、武田晴信の方が勝手に惚れて、勝手に嫁になるって言い出す可能性、結構高いぞ」
九十郎も心配そうに呟いた。
「それならいっそ……」
「ああ、そうだねえ……」
一二三と九十郎が一歩ずつ近づき合い、肩が触れ合う程に密着する。
次にいう言葉は、新田剣丞には絶対に効かせられない言葉だからだ。
「……先に晴信を殺すか」
「……御屋形様に死んで頂いた方が」
2人の考えが一致した。
……
…………
………………
そして翌朝、剣丞は昨晩の出来事を思い出しながら、これからどうするべきかと考え込む。
「(とにかく、武田晴信さんと仲良くなるのはともかく……たぶん無いとは思うけど、
同衾というか、ナニをアレする事だけはなんとか避けないといけない。
今はマーキングを外せないとはいえ、外せる可能性はあるんだ。
その方法が見つかるまで、死ぬ訳にはいかない)」
そして剣丞は、腰に帯びた二振りの剣に視線を下ろす。
一つは姫野から譲り受けた小太刀、もう一つは昨日電池を抜かれ、置物同然になった出自不明の刀である。
「まさか電池で動いていたなんてな……」
剣丞が呟く。
新戸によれば、おそらくオーディンによってプログラミングを変更され、オーディンの洗脳魔術を中継するアンテナのような役割をさせられているとの事だ。
そして電池を抜いている限り、勝手に動いたり、オーディンの魔術の中継をされたりはしない筈だとも聞いた。
そしてプログラムを元通りに直す事ができるのは……
「(大江戸学園の五十嵐光臣か……なんとか行く方法があれば良いんだけどな……)」
剣丞には何も思い浮かばない。
今剣丞達がいる世界にとって、大江戸学園はいわゆる異世界、いわゆる並行世界にあたる。
異世界、並行世界に渡る術など、思い浮かぶはずもない。
ニホンが誇るトップエリート共がその溢れんばかりの才覚をゴミ箱にダンクシュートし、俺はここだぜ一足お先と光の速さで明後日の方向にダッシュする魔境でもなければ、異世界に渡る方法を本気で研究する者も、それを実行に移そうとする者もいる訳がない。
「それじゃあ改めて聞いてやるでやがる。 剣丞、越後でやり残した事はねーでやがるな?」
「ああ……」
聞かれるまでもないと、剣丞は思った。
自分がやるべき事……いや、やってはいけない事は昨晩何度も何度も念押しされた。
武田晴信を誑さない、セックスしない、ただそれだけを考えろと念押しされた。
オーディンのシナリオを変えるために……
そして剣丞は自分と共に甲斐に行ってくれる人達に視線をやる。
「剣丞様、何があってもお仕えします」
詩乃が頷いた。
「綾那が剣丞様をお守りするのです!」
綾那が大きく胸を張った。
「向こうで変な騒ぎ起こすなよ、鹿角」
そして小夜叉が……
「……あれ? なんで小夜叉がここに?」
「オレも甲斐に行くからに決まってんだろ」
「そんな話聞いてないぞ」
「九十郎の奴が俺は引き取りたくないって言うから、山県家が預かる事になったんだぜ」
ちょっと不機嫌そうな粉雪が横から補足説明をする。
剣丞は知らない事だが、森一家に戻るに戻れなくなった小夜叉を越後の柿崎家で引き取るか、甲斐の山県家で引き取るかで一悶着あったのだ。
「いや、山県家で預かるって……桐琴はどうしたんだ?」
「帰れるかっ!!」
「返せるかぁっ!!」
小夜叉と粉雪の声がハモる。
事情は良く分からないが、いずれにせよややこしい事態になっている事は確実だ……
「……ごめん、まだやる事が残ってた」
結果、剣丞の越後滞在期間が1日延びた。
甲斐で姉(基本クズand人殺し)を待たせている夕霧はそんな剣丞の台詞を聞いた瞬間頭を抱え、聞くんじゃなかったでやがると呟くのだった。