~前回までのあらすじ~
( ・∀・)ノ ---===≡≡≡(雫袋)
~前回までのあらすじ終了~
「正座」
雫袋をぽ~んと投げ捨てた九十郎の元にやって来たのは、明らかにお怒りの表情の小寺官兵衛さんであった。
掛け布団をまるでマントか雨合羽のように羽織っている姿が非常に情けなく、しかもその下は全裸である。
「あ、いや、さっき官兵衛をブン投げたのはだな……
こう、若気の至りと言うか……テンションがおかしかったと言うか……ええっと……」
「いいから、正座」
「はい」
バッファローマンのような体格の大男が、自分の半分以下の身長、
しかも掛け布団一枚剥けば全裸の少女に言われるままに正座をした。
雫の姿も情けないが、九十郎の情けなさはそれ以上である。
「……私も正座します」
九十郎が正座すると、雫もまた九十郎の前で正座をする。
正座する筋骨隆々の大男と、
見た目幼女の天才軍師(マッパ)と言う訳の分からない光景が権現した。
「私にも非はありました。 素っ裸で寝室に忍び込んだのですから、驚かれるのも当然です」
「そうか、じゃあ今回俺は悪くないという事でこの話はおしま……」
「でも! 裸の女の子を窓から投げ飛ばすのはどうかと思いますっ!!」
「……ソウデスネ」
「しかも投げる前にブンブンと回しましたよね、10回くらいグルグル回りながら」
「なるたけ遠くに飛ばそうと思って」
「遠くに飛ばす必要がどこにあったんですかぁっ!!」
「……ナイデス、ゴメンナサイ」
「しかも投げた瞬間にブッ飛べぇっ!! と叫んでましたよね」
「やっぱ掛け声があるのと無いのとじゃ気合の入り方が違うからな」
「気合を入れる必要はどこに?」
「……ナイデス、ゴメンナサイ」
デカい身体の九十郎がしょぼーんと小さくなっていく。
世界広しといえども、黒田官兵衛をハンマー投げの要領でブン投げれるのは、九十郎1人であろう。
「それと、投げられた後、脱出までかなり大変でしたよ。
もがいてる間に不埒な連中に拾われでもしたらどうなってたと思います?」
「乱暴にされるんじゃねえの、エロ同人みたいに」
雫から氷のような冷たい視線が向けられる。
「……スミマセンデシタ」
九十郎、ついに土下座する。
見た目幼女の雫に対し土下座する大男の図は、中々シュールである。
「全く、本当に駄目な人ですね、九十郎さんは」
雫は越後に連れ去られてきてから、九十郎に振り回されてばかりだ。
物理的に振り回されてブン投げられた事も1度や2度ではない。
最初は九十郎を凄い人だと思っていた。
鍛え上げられた肉体、神道無念流という剣術の使い手で、越後の龍と畏れられる長尾景虎からの信頼は厚く、西洋の優れた学術にも通じ……そして何より、自分を好きだと男らしく叫んでくれた人だと思っていた。
しかし、九十郎のそんな印象は後に覆った。
剣丞と比べて自分は駄目だと思い込んだり、犬子を剣丞に取られそうだと1人でメソメソと嘆いたりする女々しさがあって、その場のノリと勢いで自分を物理的にブン投げるいい加減さがあって、そして何より、自分と貞子の扱いが基本ぞんざいというか、辛辣だ。
雫という女の子が好きだという事ではなく、小寺官兵衛という歴史上の人物が好きに過ぎないというのは理解しているが、好きな歴史上の人物への扱いにしてはぞんざい過ぎるような気さえする。
だが……
「それでも、やっぱり諦められないんですよ、私は」
「……何がだ?」
「今でも私は、九十郎さんに愛されたいって思っています」
雫はキッパリと言い切った。
「俺は官兵衛の事が大好きだぞ」
九十郎もまたハッキリと断言する。
「それは小寺官兵衛という歴史上の人物が……ですよね?」
そんな雫の指摘に対し、九十郎はそうだとも、違うとも言えず、視線を左右に揺らしながら曖昧に笑うだけだ。
「私の事だけ、いつも官兵衛って呼びますよね?
他の人は美空とか、犬子とか、粉雪って呼ぶのに」
「気づくか、やっぱり」
「気づきますよ、大好きな人の事ですから」
その言葉を口にした瞬間、雫の顔がかあぁっと赤くなる。
ほぼ同時に、九十郎はどきんと胸を高鳴らせ、視線を泳がせる。
「本気かよってのは、聞かん方が良いよな?」
「本気です」
「そっか……」
それを聞くと、九十郎が姿勢を正し、衣服の乱れも直す。
基本いい加減で、基本ちゃらんぽらんな九十郎が、珍しくマトモな顔になる。
「悪い事をしたと思っている。
俺は今までずっと犬子にも、官兵……じゃない、雫にも向き合おうとしなかった」
初めて九十郎が黒田官兵衛を『雫』と呼んだ。
ただそれだけで、雫は思わず飛び上がりそうになる程に嬉しくなった。
「もしかしたら俺は、現実逃避をしていたのかもしれない」
「現実逃避……ですか?」
「戦国時代に来たなんて認めたくなかったんだよ。
そして朝起きたら大江戸学園の一学生に戻ってるんじゃねぇかって期待してた。
光璃がいて、担庵がいて、遠山がいて……それと、長谷河もいる。
そんないつもの毎日が戻ってくれるんじゃねぇかってさ」
九十郎らしい女々しすぎる現実逃避である。
「光璃さん……?」
「俺のファースト幼馴染だよ。
言っとくが武田晴信とは別人だぞ、偶然同じ名前ってだけで」
九十郎はキッパリとそう断言するが、ぶっちゃけ同一人物である。
九十郎に比べれば何十倍も用心深く、知恵も働く雫であっても、流石に九十郎の幼馴染が武田晴信だとは思えない。
「まあつまり、俺は認めたくなかったんだよ。
前田利家や、長尾景虎、それと小寺官兵衛が同じ人間だって。
生きて、悩んで、苦しんで、笑って、泣いて、血の通った人間だと認めたくなかった。
それを認めたら、俺は……戦国時代にいる事を認めてしまうような気がしてた」
九十郎が自分自身を嘲笑うかのように言葉を紡ぐ。
それは九十郎の罪であり、九十郎の弱さでもある。
「雫、ちょっと良いか?」
「あ、はい」
九十郎が正座をやめ、雫の真後ろにどっかりと座り込む。
そして小柄な少女を背中から抱きしめ始めた。
「あ、あのっ!? 何を!?」
「こっから先は、お前の顔を見ながらじゃ喋りにくい。 嫌だったか?」
「いえ、決して嫌な訳では……」
かけ布団越しに、九十郎のゴツゴツとした太い腕が当たる感触は、決して嫌ではなかった。
力強くて安心できる、神道無念流の鍛錬によって鍛えられ、磨かれた、剣術家としての九十郎の腕がそこにあった。
九十郎が話すいくつもの突飛なアイディアを現実のものにする、優れた技術者としても腕もそこにあった。
そして何より、雫が愛した男の腕であった。
そんな九十郎の腕を感じるのに、雫袋としてぶん投げられ、なんやかんやで泥だらけになった掛け布団が邪魔だと思った。
だから……
「あの……く、九十郎さん……よ、良かったらなんですけど、
お嫌でなければなんですけど、お、お布団を……ですね……」
九十郎はそんな雫の訴えを聞くと、静かに……僅かに指先を震わせながら、雫の背中を覆う掛け布団を取り払い、自分の背中をマントのように覆わせた。
まるで二人場織のように掛け布団が2人を覆い、雫と九十郎の身体が密着した。
心臓がどくん、どくんと早鐘のように鳴っていた。
「……これで、良いか?」
「はい、これで……いえ、これが良いです」
雫には、自分の顔が真っ赤になっていくのが分かった。
九十郎の息の音がすぐ後ろから聞こえてくる。
息の音、ごくりと唾を飲み込む音で分かる……九十郎が緊張して興奮して、同時に葛藤しているのだと。
「私が黒田官兵衛だという事が気になりますか?」
「気にならない……と言ってやりたい所ではある。
だがやっぱ気になるな。 前田利家、上杉謙信、山県昌景……黒田官兵衛。
全部が全部、俺にとっちゃでかくて重い名前なんだ」
とりあえず九十郎は日本全国の柿崎景家のファンに土下座するべきである。
「黒田官兵衛が美空様と並び評されるような名前とは思えないのですけど」
「俺にとってはそうなんだ」
九十郎は全く迷わずにそう告げる。
「九十郎さんは……未来の方なんですか?」
そして雫が核心に触れた。
自分の真後ろで、九十郎がどきんと肩を強張らせ、唾をごくりと呑み込んだのが分かった。
最早それ以上の言葉は不要であった。
「……誰にも言うなよ」
九十郎がちょっと震えた声で、やや消極的にではあるが雫の指摘を認めた。
ちょっと失言癖があるが、基本的に聡明な雫にとってはバレバレの事であったが、九十郎的には隠しているつもりの事実である。
九十郎は未来の知識を持っている。
雫は今、長尾にとってかなり重要な秘密を知ったのだ。
「(最近分かったけど、この人は自慢したがる性格で、
美空様は時々ブッ飛んだ事を考えて、実行しちゃう性格なんですよね……
美空様や九十郎さんは隠したがってるみたいですけど、
早めに手を打たないとどこまで知れ渡るのやら……)」
雫は将来的に物凄く胃が痛くなりそうな舵取りを……美空と九十郎のフォローという名の苦労を背負い込む事を予感した。
普通なら嫌気がさすような未来予想に対し、雫は心が弾むような想いである。
自分が惚れこんだ相手に尽くせる、役に立てる……軍師と呼ばれる人種にとって、それは極上の美酒にも勝る喜びなのだから。
決してドMな訳ではない。
「九十郎さん、私は……雫は、貴方をお慕いしています」
そして雫はついに意を決して、もう一つの核心に触れる。
「俺は……俺は、どうなんだろうな?」
身も蓋もない返答であるが、その言葉は九十郎の心情を端的に表している。
嫌ってはいない……それは確信を持って言える。
しかし、目の前の人物は黒田官兵衛であり、同時に雫という名の女の子でもある。
雫の事を考えると、どうしても黒田官兵衛という名の笑える……もとい尊敬する歴史上の偉人の事が脳裏に過る。
良く分からなくなってしまうのだ、自分が雫をどう思っているのかを。
「九十郎さん、私を見てください」
だからこそ、故にこそ雫は退かない。
退くどころか、2人を覆っていた掛け布団を自ら捨てて、一糸纏わぬ姿で九十郎の目の前に直立した。
つい先ほど動揺の余り窓から投げ捨てた雫の裸体が、再び九十郎の視界に入る。
「ど、どう……ですか……?」
「どうって……何が……?」
「私には魅力がありませんか? 女とは見れませんか?」
目の前にあるのは、見た目幼女の貧相な身体だ。
九十郎が大好きな豊満な乳房はそこには無い。
いつもの九十郎であればへっと鼻で笑って寝所から追い出していただろう。
だがしかし……
「(やべ、勃起してる……)」
九十郎がバツが悪そうな表情で、それとな~く股間の剛直を隠そうとする。
しかし、臨戦態勢に入ったソレを目の前の雫から隠し通す事まではできなかった。
どうしても思い出してしまう、貧乳の粉雪と身体を重ねた記憶を。
あの日、あの時、自分は貧乳の粉雪を押し倒し、その身体を貪り、楽しみ、そして膣内射精したのだと……
だからこそ、食指が動く。
目の前の貧相な胸の人物を女性認識してしまう。
目の前の女性を……雫を押し倒したい、犯したい、膣内射精したいと思ってしまう。
ごくり……と、唾を呑み込む音がやけに大きく聞こえた。
「いやでも、雫は……いや、黒田官兵衛は……」
九十郎がなけなしの理性をフル動員させて、どうにか雫から視線を逸らそうとした。
その時、九十郎の脳裏に浮かんだ言葉は、やはり黒田官兵衛を剣丞の元から引き離そうとした最大にして唯一の理由……
「梅毒……ですか?」
その瞬間、九十郎は心臓が飛び出たかのような感覚に陥った。
九十郎が脳裏に浮かべた言葉を、雫は見事に言い当てたからだ。
その話を知るのは柘榴と美空だけの筈だと(第64話)……
「柘榴からか?」
「いえ、美空様です。 ベロンベロンに酔われた時に」
「あいつ意外と口軽いな……」
しかも泥酔中だったが故に、うっかり口を滑らせたという自覚すら無い所が恐ろしい。
上杉謙信らしからぬ駄目っぷりに九十郎は頭を抱え……ふっと笑う。
「上杉謙信……じゃねえ、長尾景虎も人間か……本当に俺は、美空に救われてばっかりだよ」
九十郎が犬子や粉雪、雫らと向き合う気になったきっかけは、美空だった。
顔を合わせる度に、言葉を交わす度に新たに駄目な所を発見し、その度に上杉謙信のイメージが砕けていった。
それが九十郎の思い込みを崩していった。
「救われたと言えば、やっぱ柘榴かな。
あいつは出会った時からずっと普通の女だった。
普通の女のまま俺を好きだと言ってくれた……
犬子とは別の意味で、俺には過ぎた嫁だよ」
九十郎にとって、柿崎景家は誰そいつとしか言いようのない無名武将である。
そんな柘榴からの純粋な好意が、歴史上の偉人である前田利家に好意を持たれ、居心地の悪さを感じていた九十郎を癒していた。
柘榴がいなかったら、たぶん自分はどこかで潰れてしまっただろう……犬子や美空の傍から離れるために、書置き一つ残さずにどこか遠くに蓄電逃亡していただろうと、九十郎は思った。
そして……
「……認めるよ。 俺は雫が梅毒に罹っていると思ってる。
それで、それが雫を剣丞の元から引き離した理由だ」
そしてついに九十郎は自身にとって不都合な真実を認めた。
この件は墓場まで持っていこうと決意した事実は割とあっさりと、よりにもよって当の本人に漏れてしまったのだ。
「すまん、流石に気を悪くしたよな。
剣丞とエロい事しないってんなら、剣丞の元に戻っても構わねえから……」
「確認してくださいっ!!」
「……へ?」
幻滅して自分の元から去っていくと思った。
しかし、雫は全裸のまま、逆に九十郎へと詰め寄っていった。
「あの……雫? ちょ、ちょっと距離が近いんじゃないかなぁって俺は思うんだが……?」
「私は性病になんか罹っていません!
御疑いがあるなら、気の済むまで確認してください!」
「あ、いや、確認ってもどうやって……」
九十郎が思わずそう言った瞬間、雫は九十郎の目の前に一冊の本をバッと開いて見せた。
そこにはこの時代の本にしては驚く程に写実的に描かれた女性器の絵図面と、いくつもの説明書きがあった。
「なにこれエロ本……いや、医学書か!?」
九十郎にはそれが梅毒と呼ばれる性病の特徴を詳細に記した物だとすぐに分かった。
「梅毒は鼻欠け病と呼ばれるように、罹患すれば外観に出る病気です。
この本の正確さについては私が保証します。
これでも薬屋の娘です、正しい医学書と、いい加減な医学書の見分けはつきます」
「つまり……これと見比べろと?」
「はい、お願いします」
雫は本気だ。
茶化している様子や、冗談を言っているような雰囲気は一切無い。
そしてそんな決死の表情のまま雫は布団の上に腰を下し、自らの秘所をくぱぁっと開いた。
「黒田官兵衛相手にお医者さんごっこ(ガチ)かぁ……
何かもう訳がわからん事になってきたなぁ……」
九十郎は全てを諦めきった表情で深々とため息をつき、どうしてこうなったと内心頭を抱えながらゆっくりと雫に顔を近づける……
……
…………
………………
約30分後……
「……すいませんでした」
見た目幼女の全裸の女性に土下座して許しを請う、バッファローマンのような体格のマッチョがいた。
情けなさが天元突破しているが、それはそれでいつもの九十郎である。
何度も何度も確認したが、梅毒の特徴である肌の荒れがどこにも見当たらなかったのだ。
「それだけですか?」
「そ、それだけって……?」
雫から予想外の言葉を向けられ、九十郎が言葉を詰まらせる。
「身体の隅々まで、処女膜まで見せたのですよ。
すみませんの一言で終わらせるなんて、あんまりじゃないですか?」
「え、えっと……」
そう言われて、考える。
真夜中の寝所で、一糸纏わぬ少女がいる。
その少女は、あろう事か自分が好きだと言っている。
目の前の少女を自らのモノにするか、それとも拒むか……雫が聞きたい事はそういう事だ。
黒田官兵衛だからという言い訳はもう使えない。
九十郎は上杉謙信もまた人間と理解し、前田利家と向き合い、山県昌景を抱いたのだから。
相手が黒田官兵衛だからそれができないとは口が裂けても言えはしない。
梅毒だからという言い訳はもう使えない。
たった今、お医者さんごっこ(ガチ)で確認させられたばかりである。
そして巨乳好きだからという言い訳は……
「(俺の愚息がガチガチになってる以上、使えねぇだろうな……)」
そして九十郎は思う、自分は雫をどう思っているのかを。
黒田官兵衛だという事を忘れて、雫本人をどう思っているのかを。
肉体的というか、外貌という意味で魅力的だという事は確かだ。
だがしかし、例え相手がそれを望んでいるからといって、ちOこに引っ張られるように関係を結ぶのは柘榴にも、犬子にも、雫本人にも敬意を欠く。
そして頭に浮かんだ様々な言い訳も、性欲も頭の中から取り払い、九十郎の心中に過ったものは……模型帆船や、写真機、ブリュナエンジン、半自動紡績機を見せ、普通の人には良く分からないがらくたに見えるそれらの機械がどう凄いのか解説した時、とても嬉しそうに相槌をうってくれた光景だ。
「(そうなんだよな……俺はそうやってアレコレ言い訳をして……
いつも言い訳を考えなくちゃいけないくらい……雫を……)」
そして九十郎は大きく息を吐き、睨みつけるかのように雫を見る。
今の九十郎は、雫だけを真っすぐに見ていた。
黒田官兵衛だとか、梅毒だとか、そういう良い訳は全部振り払った。
「正妻は柘榴だ、そこは変えられんし、変える気も無い。
俺が雫に示してやれるのは、俺の側室っていう立場になるが……それでも構わないか?」
九十郎がそう告げた瞬間、雫の肩がビクンと跳ねて、天井の板がガタッと音を立てた。
それは九十郎にとっては無礼千万な提案だ。
お前は側室だけど良いよななんて、現代人の価値観からすればあり得ない提案だ。
「え……?」
だがしかし……雫にとっては望外の待遇、最上の提案であった。
雫は目尻が熱くなるのを抑えられなかった。
ぶっちゃけ普通に断られる可能性や、セフレ止まりで終わる可能性が高いと思っていた。
「良いんですか……本当に! 本当に私が側室で良いのですか!?」
越後長尾家の重鎮であり、柿崎城の城主でもある柿崎景家と同格になれるとはハナっから考えていない。
それよりも重要なのは、薬屋の娘と揶揄される程に歴史が浅い家に生まれ、しかもロクな功績も無い自分が、物心ついた頃から常に傍にいて、織田家を出奔して浪人になっていた頃を含め苦楽を共にした女である、前田犬子利家と同等の立場が用意されたという事だ。
「え、いや……側室だぞ? 正妻って訳じゃ……」
「ハイ! 受けます! 受けましたからね! もう言質取っちゃいましたよ!
後で失言でしたって撤回したら泣いちゃいますからね!」
雫はぽろぽろと涙を零しながらそう叫ぶ。
目から止めどなく涙が流れていたが、雫の顔は笑顔である。
そしてそのまま雫は九十郎に抱きつく。
九十郎もまた、雫をゆっくりと押し倒し……
「(あれ……そういえば……何で雫は全裸で俺の寝所に忍び込んでたんだ……?)」
……その時、九十郎の脳裏にちょっとした疑問が起きる。
「(考えてみれば雫が梅毒だって知ってる奴、もう1人いたよな……)」
そして思い出す。
一二三にも雫が黒田官兵衛で、豊臣秀吉の軍師になる事、実は梅毒だという事を告げていた事を(第82話)。
そして疑念に思う。
さっき見た医学書は、雫の持ち物に無かった筈だと。
何せ雫は拉致され、着の身着のままで越後に連れ去られた上、犬子と九十郎と共に練兵館で寝起きをしているため、九十郎が知らない持ち物はほぼ無い筈なのだ。
そして先程、天井の板がガタっと鳴った事も併せて考えると……
「……そこか一二三いいいぃぃぃーーーっ!!」
九十郎はさっき使った医学書を鷲掴みにして、ガタっと鳴った場所目がけて思い切りブン投げた。
「ぎゃふんっ!?」
およそ結婚適齢期の女性がしてはいけなさそうな声と共に1人の女性と、横山光輝の漫画に出てきそうな全身黒装束、ステレオタイプ忍者が落下してきた。
「一二三と……えっと、誰だてめぇ?」
雫と九十郎から疑念の視線が向けられる。
仲間とか友人とかに向けられる類の視線では無い事は、誰の目にも明らかである。
「え、えっと……この人は青海さんで……ご、ご近所のお坊さん……」
「ほぉ、てめぇのご近所では坊主が天井裏に潜むのか?」
「一二三さん、いつからそこにいたんですか?」
「き、君が布団と一緒に窓から投げ捨てられた辺り……」
「最初からですか、そうですか」
雫の視線が氷よりも冷たくなる。
軽蔑とか、侮蔑とか、怒りとか、そういう視線である。
「そもそもお前、越後にいる間は監視が付いてるんだよな?
どうやって天井裏に忍び込んだ?」
「いや、それは……えっと……才蔵に頼んで代わってもらったと言いますか……」
「誰ですか、才蔵さんって?」
「ご、ご近所の……えっと……も、ものまね芸人?」
「影武者を使って監視を欺いたんですか、そうですか」
雫の視線がさらに冷たくなった。
「雫、こいつらどうする?」
「布団でくるんで、窓から投げ捨てましょう」
「2人同時はいけるかなぁ? 雫は軽いからどうにかなった……まあ、やってみるか」
九十郎がゴキゴキと手の関節を鳴らしながら一二三と青海に近づいていく……いつも飄々としている一二三だが、珍しく危機感を覚えていた。
それ故に……
「佐助っ! 自来也っ!」
一二三がそう叫んだ瞬間、一二三達を投げ捨てようと開いた窓から小さな袋のような物体が複数投げ入れられ、部屋中が小麦粉に似た真っ白な粉塵が充満する。
「ぎゃあああぁぁぁーーーっ! 喉痛ぇっ! 眼が痛ぇっ! 鼻も痛ぇっ!」
凄まじいまでの刺激臭と共に眼と鼻に激痛が奔り、マッチョの大男がのたうち回る。
雫は咄嗟に眼と鼻を布で覆って防御したために軽傷だが、視界全てが覆われてしまう。
そして……九十郎のダメージが回復し、どうにか眼を開けられるようになった頃には、練兵館には一二三の姿も、一二三と共に天井裏に潜んでいたステレオタイプ忍者の姿も全く無くなっていた。
『ごめんなさい』と、急いで書いたが故に乱れた字体の書置きを残して……
「おのれ一二三いいいぃぃぃーーーっ!!」
「一二三さんのアホおおおぉぉぉーーーっ!!」
雫と九十郎の遠吠えが真夜中の越後に響き渡った。
後片付けが終わるころには、雫も九十郎も男女の営みを再開するような気分ではなくなっていた。